収骨(分骨) | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、去る4月19日(木)の「納骨(七七日・満中陰法要)」のブログの冒頭に、

「(前略)去る3月6日(火)の『母親の転帰』のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。そして、去る3月8日(木)の『うなぎ蒲焼かばやき・73(お通夜・父親の食事)』のブログ そして 去る3月9日(金)の『うなぎ蒲焼かばやき・74(告別式・父親の食事)』のブログに記させて頂きましたように、お通夜 と 告別式がありました。それから、七七日 すなわち 四十九日の納骨がありました。(後略)」と記させて頂きました。そして、某・本願寺の須弥壇に 収骨(分骨)しました。 ちな みに、御布施は 金20万円とのことでした。また、読経志として 金5千円とのことでした。なお、収骨(分骨)に関しましては、去る 一昨年おととしの4月25日(月)の「祖母の三十三回忌」のブログの上段に、

「(前略)昨日は 祖母の祥月命日(御承知のように、また、去る 一昨年おととしの12月4日(木)の『神社参拝』のブログ に記させて頂きましたように、一周忌以後の当月の命日のことです)でありまして、しかも、三十三回忌の日でありました。それで、浅草の某・本願寺にも 祖母の納骨(収骨)を致しておりますので、伺う予定でした。約一ヶ月前から 調整していました。ところが、準備をして 出ける 間際まぎわになって、母親によりますと 父親が 苦しい、具合がわるい、吐きそうとのことであり、行かないで欲しい と言っているとのことでした。父親の母親の三十三回忌の日です。それで、急遽きゅうきょ 父親に付き添うことになりました。事前に 浅草の某・本願寺には 通知しなくてもいいシステム(英語:system)でしたので 連絡はしておらず、前述のように 当日 伺う予定でした。それで、浅草の某・本願寺から 三十三回忌の案内は来ていましたので、母親が書いた手紙を添えて お 布施ふせを郵送致しました。また、去る10月23日(金)の『レクイエム』のブログ の中段やや上に記させて頂きました誓願寺にも、お布施ふせを送りました。ちなみに、去る9月6日(日)の『無畏施むいせ』のブログ の上段 そして 去る 昨年の1月29日(木)の『ボランティア・地域医療・その3』のブログ に、この『布施ふせ』のことを記させて頂きました。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、祖母も、この同じ 某・本願寺で 収骨(分骨)しているのです。

 

 

合計 金205,000円の披露状(本日 すなわち 5月8日の日付が入っています)

 

 

本堂(「立入禁止」と書かれてありましたが、「撮影禁止」とは パンフレットにも書かれてありませんでしたので、撮影致しました)

 

 

本堂

 

 

本堂正面

 

 

 

 なお、上記の納骨のときに 印刷した案内を配りましたら、二人ふたりの叔母(3女 と 4女)が来てくれました。バスを用いたそうです。ついながら、昨日 すなわち 5月7日(月)の「リハビリテーション(父親)・5」のブログの上段に、

「(前略)先週は 祭日とのことで お休み とのことでありましたので、二週間が経過し、また 同じ 理学療法士のかたが見えました。このとき 丁度ちょうど 叔母(3女)から電話が入り、重なってしまいました。(後略)」と記させて頂きました。この電話で 叔母(3女)によりますと、老眼鏡が壊れてしまった とのことでした。それで、母親の老眼鏡を火葬で出していなければ 持って来て欲しい とのことでした。それで、捜して 下の画像の 三つみっつの老眼鏡を持ってって 手渡しました。 ちな みに、この老眼鏡は、母親に求められて 一緒に買いにった 思い出深い老眼鏡です。なお、一般的な老眼鏡を購入しましたので、叔母(3女)にも合うと思われました。

 

 

叔母(3女)に 手渡した 三つみっつの老眼鏡

 

 

 

 また、去る3月25日(日)の「叔母たちの来訪・続報2」のブログの中段やや下に、

「(前略)この叔母(4女)から 『(母親が亡くなって、)寂しい?』とかれました。それで、去る3月20日(火)の『うなぎ蒲焼かばやき・83(父親の食事)』のブログの中段に、

『(前略)去る3月6日(火)の【母親の転帰】のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。そして、母親が 亡くなってから 毎日、母親と 会話 すなわち 話しかけています。つまり、【ようやく 暖かくなって来たね。】とか、【今日は、何を食べたい。】とか です。(後略)』と記させて頂きました。このように 『母親と 会話 すなわち 話しかけています。』 と回答しようと思いました。(後略)」と記させて頂きました。このように 「母親と 会話 すなわち 話しかけています。」 と話しましたら、誠に有り難いことに 叔母(3女)も そうしている とのことでした。

 それから、牛久阿弥陀大仏・永代経(胎内仏)に 母親の法名追加の手続きをして、来る5月10日(木)の午後10時から 牛久阿弥陀大仏胎内三階で 読経がなされる と伝えました。すると、叔母(4女)も 母親と一緒にったことがある とのことでした。 

 ならびに、その電話で 叔母(3女)によりますと、仙台の親戚から 何も送って来ないのは どうかしている とのことでした。および、叔母(4女)によりますと、仙台にって来た とのことでした。そして、義理の姉は 老人ホームにて dementia(英語)(ネガティブ[英語:negative]で 御座ございますし、お読み下さっている 方々かたがたに影響を お与えすることの無いように、日本語で つづることを控えさせて頂きましたが、以前 それでは わからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。認知症のことで 御座ございます。以下、英語で dementiaと示させて頂きます)とのことでした。ちな みに、話し けても 反応がないそうです。

 なお、仙台の親戚から、東京に所用のついでに 当家に来る と言って 電話連絡がありました。ところが、この叔母(4女)によりますと、仙台の親戚は 忙しいので 来なくてもいい と話した とのことでした。それで、「済みません。」とのことでした。

 

 また、一昨日おととい すなわち 5月6日(日)の「弔問客の来訪・続報6」のブログに記させて頂きました おばさんから、昨日 電話が入りました。それで、このおばさんも バスで行ける所なので、見える とのことでした。但し、翌日の午前中に 診療が入っているので、終わったら ぐに帰る つまり 失礼する とのことでした。ちな みに、自分の父親は 京都の某・本願寺に 収骨(分骨)した とのことでした。なお、このおばさんによりますと、姉の子供が 3歳だったときに 見ている とのことでした。ついながら、このおばさんによりますと、誠に有り難いことに 母親は そばる とのことでした。それで、去る3月14日(水)の「告別式での挨拶」のブログの中段に、

「(前略)ターミナル・ケアに携わったこともありましたが、ほぼ唯一と思える 救いは、生命は行き通しである ということを信じておりまして、彼岸 すなわち あの世に 母親は 生れていることと思います。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、母親は 彼岸に生れていますね と回答しました。

 

 

某・本願寺からの案内

 

 

 

 ときに、上記のように 法要開始時間が 午後3時になっていますので、上記のおばさん そして 二人ふたりの叔母(3女 と 4女)には、この時間を伝えていました。

 そして、電話でも、御遺骨(分骨)を収骨する関係で 上記のように 40分前まで に 御遺骨を持って来て欲しい とのことでした。それで、1時間前に到着しました。すなわち、当方 と 同行したヘルパー(日本語:家政婦)のみが 御遺骨を届ければいいと思っていました。ところが、法要の前に 須弥壇に 収骨する行事がある とのことでした。勿論 もちろん 、まだ 上記のおばさん そして 二人ふたりの叔母(3女 と 4女)は 到着していません。それで、取り えず 母親の御遺骨を 桐箱に移す作業を行いました。 ちな みに、去る3月9日(金)の「うなぎ蒲焼かばやき・74(告別式・父親の食事)」のブログの中段やや上に、

「(前略)誠に有り難いことに、火葬場で 母親の喉仏のどぼとけが出ました。ちなみに、火葬に際しての喉仏のどぼとけとは、咽喉頭のどの軟骨(燃えてしまいます)のことではなくて 第二頸椎(軸椎[英語:axis]とも、呼ばれます)のことです。なお、去る 一昨年おととしの1月1日(金)の『謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(智慧と愛)』のブログの中段やや下、去る 一昨々年さきおととしの5月18日(月)の『一大事とは』のブログ の後半、去る 一昨々年さきおととしの3月21日(土)の『介護』のブログ の上段 そして 去る 4年前の10月18日(土)の『心身医学会』のブログ の中段やや上などに、

『(前略)元・心理療法内科の学会の理事長に依頼されて、某・日本医療心理学院で、早稲田大学やお茶の水女子大学の心理の大学院生に心身医学の講義を行っていました・・・(後略)』と記させて頂きました。この講義のときに、上記の 第二頸椎(火葬に際しての喉仏のどぼとけ)のことにつきまして、図を用いて説明しました。

 

 

喉仏のどぼとけが入った 母親の遺骨(分骨に用いるとされている とのことです)

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。なお、誠に有り難いことに、この母親の喉仏のどぼとけ すなわち 第二頸椎が 入っていることが 確認出来ました。

 

 それから、須弥壇での行事が始まる前に、誠に有り難いことに 上記のおばさん そして 二人ふたりの叔母(3女 と 4女)が到着しました。それで、共に 須弥壇に参りました。 ちな みに、一昨日おとといすなわち 5月6日(日)の「弔問客の来訪・続報6」のブログの上段に、

「(前略)このおばさんによりますと、膝に 人工関節をした とのことでした。それで、正座は出来ないとのことでありましたので、椅子を用意致しました。(後略)」と記させて頂きました。それで、今回も 僧侶に 椅子を用意してもらいました。なお、誠に有り難いことに、おばさんに 須弥壇を見ることが出来て よかった といってもらえました。

 

 それから、午後3時から 法要が始まりました。 ちな みに、三人さんにんの僧侶によって 仏説・阿弥陀経が唱えられました。そして、その後、説法がありました。なお、同行したヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、若い僧侶とのことでした。この若い僧侶によりますと、遺骨を 狭い 窮屈な お墓の中に閉じ込めてしまう とのことでした。この説法のあと、身体に比べれば 御遺骨は 小さなものなので、言われるまでは そんなこと思わなかった、この場で話されることとしては 疑問との話になりました。そして、納骨が済んだばかりであるのに 誠に無神経との話にもなりました。しかも、天気予報によりますと 雨が降り出すので、お経が終了して 皆 ぐに 帰りたいのに 話が長い とのことでした。案の定あんのじょう 後述致しますように、帰りは 雨になりました。

 また、そのヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、お経のほうは 読むスピードが速すぎる とのことでした。ついながら、このヘルパー(日本語:家政婦)の手当は 一時間で 金2,110円です。今回、本日一日で 六時間半  かりましたので、このヘルパー(日本語:家政婦)に 金13,715円を支払いました。

 

 ところで、上記の披露状(領収書のこと)を頂きましたときに、下の画像の品物を頂きました。 ちな みに、上記のおばさん、二人ふたりの叔母(3女 と 4女) そして そのヘルパー(日本語:家政婦)に すべて 差上げました。

 

 

お菓子

 

 

おばさんから 「なに。」とかれましたので、マッチと回答しました。ちな みに、このおばさんによりますと、この品物を トイレに置いて来てしまった とのことで 取りに戻られました。

 

 

上記と同様に マッチ

 

 

差上げた 品物

 

 

 

 さて、二人ふたりの叔母(3女 と 4女)から 上記のおばさんについて かれました。 ちな みに、二人ふたりの叔母(3女 と 4女)は、このおばさんのことを知らなかったようです。それで、紹介しました。そして、このおばさんによりますと、自分が券を渡して、以前 二人ふたりの叔母(3女 と 4女)と共に 日生劇場にった とのことでした。

 

 ときに、法要が終って 帰宅して 自宅に到着したのが、午後5時半でした。交通手段と致しましては、自転車、2社の電車 そして 地下鉄を用いました。ちな みに、帰りには 冷たい雨が降り出していました。帰りの 途中で 歩いているときに、そのヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、あのタワー なんでしたっけ とのことでした。それで、東京スカイ・ツリーと回答しました。ついながら、東京スカイ・ツリーのことは、去る 4年前の10月5日(日)の「ボランティア・高尾山登山 」のブログの中段 そして 去る 4年前の11月1日(土)の「東ベルリン(旧・東  ドイツ)」のブログの上段などに記させて頂きました。この去る 4年前の10月5日(日)の「ボランティア・高尾山登山 」のブログの中段に記させて頂きましたときには、まだ 東京スカイ・ツリーは 建設途中でした。このときは、両親と やはり 同じ 某・本願寺に参拝したあとでした。すなわち、毎年 正月に、両親と この某・本願寺に参拝しておりました。

 

 なお、そのヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、思っていたよりも 時間が  かった とのことでした。ついながら、このヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、cold(英語)(ネガティブ[英語:negative]で 御座ございますし、お読み下さっている 方々かたがたに影響を お与えすることの無いように、日本語で つづることを控えさせて頂きましたが、以前、それではわからない、と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。感冒[俗に、風邪]のことで 御座ございます。以下、英語で coldと示させて頂きます)ぎみとのことでした。それで、もっと早く言ってくれれば 休んでもらったのに と回答しました。ならびに、このヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、cold を引き易い とのことでした。および、弱い総合感冒薬を 服用んだ とのことでした。このヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、いつも ぐ 服用んでしまう とのことでした。 ちな みに、去る 一昨年おととしの10月8日(土)の「両親の食事・2」のブログの中段やや下に、

「(前略)さらに 昨夜は、午後10時に 様子を見に行きました。すると、母親が 寒気がして 風邪気味とのことでありました。そこで、市販の 葛根湯カッコントウ と 去る  一昨年おととしの10月12日(日)の『 薔薇ばらの花』のブログ の中段やや下、去る  一昨年おととしの11月23日(日)の『アロマ・テラピー』のブログ の上段やや下 そして 去る9月8日(木)の『北海道旅行・5(原生花園)』のブログの上段に記させて頂きました ローズ・ヒップ(英語:rose hip)のビタミンCを 服用んでもらって 大事にしてもらっています。なお、 葛根湯カッコントウにつきまして ワン・ポイントのみ お伝え申しあげますと、 葛根カッコンとは、 葛根くずの根です。また、御承知のように、漢方薬は 食前に お湯で 服用むことになっています。それで、漢方薬の名称の最後には 『湯』と付けられています。(後略)」と記させて頂きました。すなわち、coldをひきますと、日本では なかなか そういうわけにはいきませんが、北欧の人たちは 仕事を早退して ビタミンCを 服用んで 休む とされています。それで、そのヘルパー(日本語:家政婦)にも、早めに帰って ビタミンCを 服用んで 休んでもらえば よかった と話しました。すると、ひどいときには そうさせてもらう とのことでした。

 なお、二人ふたりの叔母(3女 と 4女)には お土産は 呉々も 気にしないでもらいたいと 今朝 連絡しました。ところが、荷物になるけど とのことで 誠に結構な品物を持って来ました。そこで、「結構な品物を 誠に有り難う御座ございました。」と伝えました。それで、下の画像の お土産の 鰻丼うなどんを 父親が食べないと言うので、このヘルパー(日本語:家政婦)の coldのため に 差上げました。 さら に、このヘルパー(日本語:家政婦)に、手当(給料)のほかに 感謝の印と致しまして 下の画像の すべての お土産をあげました。ついながら、本日 すなわち 5月8日(火)の「父親からの連絡・18・後編」のブログの最後に、

「(前略)本日の午後3時46分 そして 日没後 すなわち 午後8時9分にも、父親から 電話連絡が入りました。ちなみに、本日の2回目の電話のときには、その直前まで 父親によりますと おなかいていない とのことでありました。ところが、おなかいた とのことでした。(後略)」と記させて頂きました。上記のように そのときは 父親は お土産の 鰻丼うなどんを食べない と言ったのですが、このあとの 午後8時9分のときには、「おなかいた。鰻丼うなどんを食べたかった。」 とのことでした。 

 

 

そのヘルパー(日本語:家政婦)にあげた 鰻丼うなどん

 

 

そのヘルパー(日本語:家政婦)にあげた 黒胡麻ごま

 

 

そのヘルパー(日本語:家政婦)にあげた 白胡麻ごま

 

 

そのヘルパー(日本語:家政婦)にあげた 落花生

 

 

そのヘルパー(日本語:家政婦)にあげた ロースト・ピーカン・ナッツ(まだ 食べたことがないので、食べたい とのことでした)

 

 

ナッツ


 

煮物

 

 

 

 ところで、前述致しましたように これらの すべての お土産をあげた ヘルパー(日本語:家政婦)によりますと、上記のおばさんと同様に 膝がわるい とのことでした。

 

 (半角で 4万文字以内という字数制限を超えましたので、文章を削らせて頂きました)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)