日本1のお米ができるから良質の教育もできるかも
蛍火の初恋高校3年間のかけがえのない思ひ出それは大量の課題、小学生なみの宅習記録に逆らうように2人で駅まで歩いた黄昏。追いついてきたスクールバスから注がれる冷たい視線も気にせずに手を繋いだ。夕陽が魚野川をキラキラ撫でてまぶしそうに川面に視線を移すあなたが凛々しかった。私、泣き出しそうなくらいうれしくてずっとその横顔を見つめていた。蛍火のような微かな時間が ススキのように秋風に揺れた。黄昏に頬を染めたあの日は戻って来ない。指導室に呼ばれた翌日、あなたは高校を辞めた。わたしの初恋が潰えた(ついえた)瞬間だった。魚野の川面は今日も何もなかったかのように静かに流れる。わたし、夢を見ていたんだ。あなたがずっとそばにいてくれる夢・・・夕陽を見るとあの日がよみがえる。それはかけがえのない永遠の思ひで。黄昏に何度あなたの名前を呼んだことだろう。こんなに寂しい夕暮れさえ、まるで何もなかったかのように明日を連れてくる。だから・・・私もう泣かない!いつかあなたに会える日が来ると信じてまっすぐに未来を駆け抜けて行く!私の思いが時空を突き抜けあの黄昏時に届くまで。あなたもどこかでこの夕陽を見ているかもしれない。 監督
○▽美へ もらってあんなにうれしい手紙は久々でした。一杯いっぱいイッパイ書いてくれてありがとう。お元気そうで何よりです。実は夏に来なかったからどうしているのかなあ、大学生活はうまくいっているのかなあと心配していました。そのせいで監督はすっかり痩せました? 連絡しようかと何回もメールを開いたのですが、もう新たな世界に飛び出したのだからしつこく追うようなことはしないでおこうと連絡は控えていたのです。また機会があればおかあさんに元気でやっているのかどうか、大学のカリュキュラムが国試に向かって準備できる状況かどうかだけ、そっと聞こうかと思っていたのです。そういう中、こうして手紙で一杯報告を届けてくれて安心しました。だからあたしまた肥りそうよ! 資格取得を目指してのこり3年、しっかりとしたペースで前進してください。一人でも多くの生徒をささえられる強くて優しくてほかほかした先生になってください。○○美が初めてレインボーにきてくれてから1年暑い暑い南魚沼2024レインボーランゲージハウス 監督P.S. 「夏におみやげもっていきますよー」とか「メールがつながるようになりましたから、これから監督と連絡がとれますねー」とか調子のいいこと言っていたメール名ホトトギスススは元気なの? もし話すことがあったら「うそつきー!」と大きな声で伝言しておいてくださいね。
生徒達にあふれる優しさと全国平均もないような学力のなさが背中合わせの高校だから涙を隠して厳しく育てるここは南魚沼 迷門進学高遠く険しき受験坂E判定がふえようとも笑顔をたやさぬ生徒達他人事のように模試結果が通り過ぎてゆくここは南魚沼 自称進学校志望校の背中さえ見えない受験坂地力無し、作戦無し お勉強の積み上げも、そもそも全国と競争をしているという意識なし。それでも行きたい有名大学 国公立狙いの生徒を夏の合宿で自習をさせてどうするの?「受験の幕」はお勉強不足を待ってはくれない。幕が上がったら最後、その惨めな演技力が容赦なく観客の前でさらされることになる。そして2度と舞台にはたてない。ああここは越後の八海山 神頼みが監督の日課となりました。
会社に入ってどんな上司に出会いどんな指導をうけるかが就活の選択が正しかったか否かを決定する。極論すると自分では決められない大きな流れ、出会い、まさに縁が横たわっていると思う。 欠員募集の入社試験で他社の志望動機を朗々と話して面接官の役員が帰り際に会社の説明をしてくださったあの日、1日3回も面接を受け東京から姫路に帰ったら、合格が決まっていたあの夕刻、思いもよらぬ経理部配属で面食らった新入社員の春。夜間の講義やセミナーと様々な教育機会を与えられ上司の卓越したアドバイスや新人にかかわらず多くを任されたことで燃えに燃えた新人時代。経理部でずっと頑張りたいと思っていた矢先に突然通達が出て営業に配属になった入社3年目の秋。初日に「お前を希望した覚えはない。」と、部員の前でカミソリのように切れる凄腕の部長に言われた営業デビュー。親身になった指導とすべてに答えがあった課長との1年、部長から受けた計り知れないアドバイスと交渉面で見せつけられた実力。業績表彰を取り続け課長になった矢先に部長のご配慮で営業を離れ大学院留学をさせていただいた29歳の夏。営業TOPの常務から「あんたは面白い。そのままでいいんだよ。」と皇居の近くの如水会館のラウンジでいただいた一言。夜中の2時に主力工場を出るとき警備員さんが「あんたいくら営業さんでもこんなに働いていたら身体を壊す。私が東京の部長さんに電話を入れたげる。」と言われ、深々と頭を下げタクシーに乗ったあの晩。仕事もしたが入社以来誰よりも学んだと自負できる20代がそこにあった。学んだことのスクラップブックは数十冊になっていた。毎日のように部課長に回覧される新聞記事や業界資料にマークを入れてアシスタントにコピー迄させた。就活時全く想像しなかった日々、出会い,すなわち学びがあった。営業部長は今なお連絡をいただくことがある。師匠であり恩人とはまさにこういう人を言うのだと思う。電話をいただくと直立不動になって話す自分がそこにいる。 もう一つ、特筆すべきは夜の教育だった。講師は人事部長、のちの社長だ。入社時の採用責任者だった。今では理解できないだろうが毎週のようにクラブやラウンジでお酒とカラオケ。馴染みのホステスさんがついた。口数が少なく怖いくらい迫力があった。「おい 1曲歌えよ。」それくらいしか言われないから余計にたまの一言が心に残った。組織の在り方や理不尽の極め付けが人事なのだなぁと学んだ。夜の1時頃タクシーで帰るのだが多摩川辺りで先に降りられある夜,「お前だけだなぁ。何度言ってもうちに泊まらないのは。」そう言ってから「運転手さんあとよろしくお願いします。」と付け加えられた。 飲み代,タクシー代を含めて毎月凄い出費だったことだろう。ある晩2人きりの時「今日は私に払わせて下さい。」と言ったら,ホステスさん達が「はまちゃん(監督のこと)それはやめた方がいい。そんな事しなくていいのよ。」部長はただ笑っていた。当時初めて持てたクレジットカードで払った。大卒の手取りが15万程度だったあの頃、73,000円だった。これも部長なりの教育の一端だったと思う。「いくらだ?」とも聞かれずに「ありがとう。」とだけ言われた。 カードと控えを革製のトレイに入れて持って来たママも微笑んでいた。この日以来後輩たちや部下達と飲む時は全て自分が払うと決めて実際そうした。半分は恩返しのつもりだった。何がいいたいかというと想定外の得難い学びが至るところにあったと言う事かな。 こんな事もあった。人事と経理の合同忘年会で渋谷にみんなで出た。1次会を出たところで大学生かなあ,乱闘騒ぎになっていた。大きな方が相手の学生を蹴り倒していた。みんな無視したがこの人事部長が止めに入った。さらに蹴ろうとするお兄ちゃんと倒れそうなお兄ちゃんの間に身体を入れて強い方を睨みつけている。慣れているのかそのでかい方が笑いながら「怪我をしない内に離れた方がいいですよ。おじさん!」と言った。こうなると黙ってみているわけにいかなかった。飛び込んでいって部長を引き離し、ゆっくり微笑みながらこう言った。「全然力が違うんだからこれ以上蹴ったら相手怪我しちゃうよ。やめてあげてよ。な!」その学生は何も言わずニコッとしてくれた。監督は本社でただ1人パーマをかけてオールバック、4年間武道で鍛えていたから拳立ての跡が両手にガッツリ残っていた。合い通ずるものがあったのだろう。一方で蹴られまくった奴とは一言もはなさなかった。部長を取り囲んで女子社員が「全く何考えておられるんですか。怪我をされたらどうされるのですか。」部長は「誰かがとめてやらねえとだめじやねえか・・」それだけ言われた。 まだある。道を知らないでゲートを通り越した沖縄出身のタクシーの運転手さんに激怒して首都高速で車を止めさせた事があった。プロらしくないからが理由だった。 東京駅の山手線で出入り口をあけろ、あけないで昇降客と小競り合いになり駅員が来る前に、間に入って平謝りに謝った事もあった。そのおじさんが監督の顔を見つめてニコニコしながら「俺は絶対真ん中に立つ主義なんだけどいいねー!あんたに免じて空けたげるよ。今日は。」と言ってくれた。監督はそれ以上もめないよう部長の腕を掴んで2人を引き離すよりに乗り込んだ。相手のおじさんは終始笑っていたが監督は全く余裕がなかったな。周りが通報したりして電車を遅らせたら翌朝新聞記事になると思った。相手のおじさんの方が上司みたいに思えたな。感謝した。 こんな調子だからここに書けないこともふくめ様々な意図せぬ想定外の勉強をした。つまり「あの課長カッコいい!」とか「いいソフト紹介してくれた!」とか「転職がうまい!」とか「自分があるんだよねーあの人!」とか 「社外のネットワークが凄い!」etcそういう次元でない長持ちする人生という旅路に落ちる雫のような教育、出会い 経験だった。それらすべてはおよそ就活のときには全く意図していなかった計り知れない体験となったし、その後の人生の方向性を決めた。 母親の介護で社内初の介護休職を1年間とり、休職明けの日,社長室で直接辞表を出した。43歳で営業部長になっていた。奇しくも社長は20年前の入社試験の責任者、そして夜の教育担当人事部長だった。社長室にかけてある漢詩を読まれて「また1人俺の仲間が去って行くなあ。」と言われた。社長室を出る時社長はソファに座ったまま「来週月曜日10時 第3応接室でまってるからな!」とまで言ってくださった。お互いこれが最後だとわかっていたが・・最後のあたたかいお言葉だった。おわり
入社して経理部で3年目に入っていた。毎日銀行周りをして金融機関の担当者とI日平均10人近く会う日々で,夜はセミナー参加も続いていた。指導担当の課長が,「君が毎日あってる銀行の担当者はうちが上客だから新人の君でも丁寧に応対してくれてるけど,彼らは本店営業部のエリート達でほとんど東大出だよ。」 そういえば監査法人の担当者も優しくてよくメモ書きをしてくれながら何度でも説明してくださり、まるでいとこのお姉ちゃんみたいに思っていたが東大経済出身だった。その監査法人は上場企業だけを顧客にもつ代表以下全員東大卒だと後で知った。そんな感じで会社内外の周りの人達から受ける数々の影響はすべて教育視点に則っていて日々学ぶことができた。だから経理部に配属されてびっくりしていたが逆にこのままずっと経理で勤めあげたいと会社には申請するようになっていた。 ところが入社3年目の夏、突然通達がでた。監督一人だけの人事異動だった。「本社営業本部第2部に移動を命ずる。」と書いてあった。指導責任者の次長も寝耳に水で抗議の意味か、その週会社に出てこられなかった。翌週直接説明があり「せっかくあんたをみんなで育てて来たのに、私が何度言ってもあかんかった。営業さんの方が強いんやね。会社というところは・・」頭脳明晰、誰もが一目をおく冷静な次長の一言は何よりの花向けだったし,同時に会社と言うところはいつ何時!!転勤があるかわからないと入社3年目に体感した。経理部で3年弱、毎日が勉強で感謝の新入社員時代だったな。 突然の営業への移動でスーツやネクタイの補充もままならないまま同じフロアにある営業部に移った。部長は大手事務機器メーカーから引き抜かれた凄腕であまり多くを語らない人だった。初日部員の前で紹介をされた時、部長は「我が営業部は社長に再々人員の補充をお願いしてきたが、⭕️⭕️君!君を指名した覚えはない。以上」周りの部員も驚いたようだった。監督はね!自分の事を勘違いしているつもりもなかったが、「またいちから出直しだ。」と気合いをいれた。その時点では経理や財務を経験した事がどれだけ営業で役立つかなど知る術もなかったが、後々地力の一端となった。だって会社の全部門の数字が頭に入っていたわけだし、会社にとって何が利益で何が損失かがおぼろげながらわかっていたのだから!そこから営業部門で15年、多岐にわたる上司のきめ細やかな指導・現場を任されるるところから学ぶ経験・そしてユーザーとの出会いがあった。課長の付きっ切りの指導とOJT、早くから重要ユーザーを任される中での様々な経験、メーカーなのでサポートしてくれる技術と品質管理部門の徹底的なバックアップ、そしてなにより部長の含蓄に満ちた指導や判断の明確さ、ユーザーとの交渉術は百選錬磨だった。信じられないかもしれないが、部長からお酒に誘われる事は一度もなく公私がはっきりしていた。そして会社人生だけになりがちな若者を様々な側面から多岐にわたってアドバイスもいただいた。そして1度も叱られたことがなく昇給,賞与では毎年満点評価をいただいた。部長とはわずか3年だけだったが、営業通算15年で業績表彰を15回取れたのも部長と最初についた営業課長のOJTのおかげだと思う。教育の話に戻そう。最大のトピックスは24時間3シフトで日本全体がフル稼働の最中に大学院留学をさせていただいたことだった。29歳だった。営業のTOPから辞令をいただいたとき役員室で「君がいなくなると困っちゃうんだけれど、部長がどうしても行かしてやりたと言ってね。売り上げの事は責任を持つからと言ってたよ。」と常務から告げられた。大手銀行の人事部長から引き抜かれた方で報告書も丁寧に読まれてよく質問をされた。最高の思い出は皇居近くの如水会館ラウンジに連れて行って下さった事だ。あそこが一橋大学専用とは知らなかった。常務はそんなこといちいち言う人では無かったが2人で飲んでいて、ひっきりなしに人が挨拶に来るから、監督の方から,「お知り合いが多いですね,銀行関係ですか?」「いやここは一橋大学のOBだけなのよ。」その晩そこでお酒を飲んでいる三流私立は監督独りかもしれないなあと周りを見渡したことを今でも覚えているな。その晩もいつものように「あんたは面白いね。そのままでいいからね。」とだけ言われた。大銀行の元人事部長がいわれるのだから・・だから余計に気合いが入って寮に帰ってからいつも以上に50キロのバーベル挙げて腹筋をした。夜中の2時を過ぎていた。昼間の教育は今書いた通り!そしてもう一つ特筆すべき教育を受けた。それは夜の教育であった。指導者は時の人事部長,のちの社長だった。To be continued.
ありとあらゆる就活の情報がネットに溢れ就活生の希望や失望・不安や確信をくすぐる。そして就活で稼ぐ会社がうようよ!君が人気の企業に首尾よく入れたとして「よかったね!」「すごい!」「さすが!」と薔薇色の人生を夢見るかもしれないが会社からすると君は単なる「人材」にすぎないのだよ。人材の人生がどう開花するかは君の「人生」と会社側の「人材」の戦力化における目的の同一性がカギなのね。そのカギは社内教育につきるのだよ。でもコンサル会社に高いお金をはらって受ける教育研修とかセミナーのこと言ってんじゃないよ!配属された部署で日々刹那にうける直属の上司(たち)の教育・指導体制のことなんだよ。それが君の人生のスタートを、そしてその先の辛苦に耐えれる実力(じつりきと呼んでほしいくらいの力)を決めるんだ。仮に転職したって通用する。今は時代が違うというかもしれないが説教より事実が1番理解しやすいだろうから実話(監督の経験)を語っておくね。 日経平均が34年ぶりの高値を付けたけれど監督がその34年ちょっと前くらいのバブルに向かう日本の会社がすごい採用意欲で就職協定もがちがちにまもられたころに東京駅を大手町側から一望できる電気メーーカーに″欠員募集“で入った。TVにも出るくらい有名だった大学の就職課の先生が「きみなあ 一部上場で10月すぎて欠員1なら全国から殺到するからあかんぞ、それ・・まあ書類は準備するから受けるだけうけたらええけどな」とやんわり言ってくださったのを覚えている。監督は型破りで自信満々の4年生だった。一次面接で「志望動機は?」「ありません!」と真顔で答えた。面接官たちが噴出して大笑いになった。相撲部出身でサングラスをしていた役員さんが「それなら君が10月1日に受けて滑った△△△の志望動機でいいよ」と言ってくださった。そこで朗々と話した。(コメディみたいでしょ!)帰り際、その役員さんが「君時間あるか?少しうちの会社の製品とか説明を2Fの資料室で説明しておこうか。もし今日とおって本社の面接で他社の志望動機を又話す訳にはいかんからな!」「はい!ありがとうございます!」廊下に響くくらいの返事をした。もちろん帰り際に1次が受かるかどうかは全く保証しないと念を押された。ここで本題!社員教育にすすもう!この会社(うちの会社)(監督の入った会社)はここから教育が始まっていたんだよ!そういうハートをしっかり持った幹部が会社のために若者のためにというメンタリティーをそなえていたと言う事なの。1週間後東京本社で1日のうちに3回も面接して最後に社長から「君は入社したら営業だから。会社というものは営業でもっているのだ。いいな!君は営業だから。」と言われた。東京駅から電話をしたら母親が「あんた2度と東京にいくこともないやろから見学でもしてきたらええよ」といってくれたがトンボ帰りをした。夕方、実家のある兵庫県の姫路駅についたら迎えなど絶対しない父親が立っていた。「おかえり。さっき東京から電話があった。合格だそうだ。」さて教育のはなしにもどそう。3か月間の新人教育研修がおわり6月末に本社で配属発表があった。営業といわれていたわけだから何も心配していなかったが200人の幹部の前で名前をよばれ「本社管理本部経理部」と発表された。経理部がどんな仕事内容かさっぱり知らない(もちろん営業と言われてもおなじことだが)がこれはえらいことになった。黒い腕カバーをして一生電卓をたたき続けるのかと思った。意欲も希望も一気に消え失せた。横に立っておられた社長に「うそつき!」と心の中で叫んでいた。 当時非常に売れ出したよしもと新喜劇の乗りだったので翌週配属初日の挨拶で同期のみんなが名前と「よろしくお願いします。」しか言わなかったから、監督は「もしこのビルのエレベーターになにかがあった時は皆さま全員をおんぶして1Fから19階まで上がってくる覚悟と体力で頑張ります!」と言い放った。営業部門から拍手と歓声が上がりフロアー全体が大笑いとなった。新入社員の監督は「受けた!受けた!」と自己満足、のちに配属先の上司が「お前やったら吉本に行けたやろ。吉本の方がうちよりよっぽどよかったのに。」とポツリ。会社人生で1番褒められたのはこれかもしれないよ!さあ本社管理本部経理部で本格的な教育が始まった。財務課になったが教育は経理部次長が責任者で経理課課長が実指導を担当すると経理部長と財務課長から説明があった。理由は数年間の新卒配属希望がかなえられた為重要な戦力として鍛えねばならないからということであった。毎日のOJTのほかWEEKLY REPORT 夜は簿記の学校、昼間も月1回はホテルで開催される有名人のセミナーに出た。課長はごじゃごじゃ言わずにポイントポイントで質問にも経験談を交えてとにかく丁寧手短に指導してくださった。ある日現金が合わず担当の先輩女子が11時ころ先に帰ってその後監督とその課長は夜中の1時まで計算を続けて助けていただいたこともあった。いろんな局面で経理だから決算ルールや簿記だけでなく課長の実際の経験談まで交えて教育を受けた。数十年たった今でも覚えていることは監督の書くWEEKLY REPORTに指導担当の課長から上司、教育責任者の次長が毎週丁寧にコメントを書いてくださりそれが部長と役員まできっちり回覧されていたことだった。何人も自分の仕事ぶりを見つめてくれているという実感が持てる日々だった。毎週真剣に書いていただくコメントを楽しみに読んだ。 様々な研修も受けたが当時日本1の経営学部は横浜国立大でそこの看板教授黒澤先生の原価会計学の夜間セミナーに参加させてもらった。あの大学を目指した時期もあったので大変うれしい機会でもあった。「黒澤教授だからなあ、おれも受けようかなあ」と課長も一緒に通った。監督は教科書とノート、課長はタオルを机の上に毎回出された。「じゃあ俺は寝るからお前しっかりきいておいてくれよ」そういう人だった。監督は「はい!」と燃えた。完全に教育なんだよ。これが!「重要な交渉に1人で行ってこい。頼んだぞ!」というメッセージのように伝わっていた。こんなふうに新入社員の頃から徹底的に教育を受けた。そしていつの間にか経理部財務課でずっと学びたい、仕事をさせていただきたい、上司たちに少しでもお役に立てるように頑張りたいと心底思えるようになっていた。すべてが勉強で自分の力がついていると実感しながら新人時代を過ごした。 監督To be continued
私は霞ヶ関から見ると地方の田舎で従業員10名そこそこの零細語学スクールと塾を経営している。親の介護でそれまで勤めていた郵便番号100の東証1部上場企業を43才の時やめた。社長室で直接辞表を出した時,「次の次の社長にお前を考えている。だから辞めるな!」とまで言われた。だからある程度組織の事はわかっているつもりだ。さて、日本で最大かつ至高の使命と責任を担う組織とはどこだろうか。それはまさに最大与党の自民党と言えなくはないか!ところでそもそも社長は誰なんだ?総理の座にある自民党総裁のあんただろう。国民の生命と財産を守る株式会社日本にの押しも押されぬ社長はあんただろう。もし戦争になったら専守防衛自衛隊の最高指揮官もあんただろう。そしてその株主は誰だろう?大株主もアクティブイストもいない。株主は赤ちゃんからお年寄りまで毎日一生懸命に生きている一億の個人株主、日本人そのものなのだ。日本人だからこの株がどんなに値上がりしても大暴落しようとも決して売らない。だから社長(総理・総裁)さんよ!こんなうれしい都合のいい株主構成はないのだよ!!安定株主たる国民にちょっと甘えすぎじゃありませんか?その社長が部下や地方支社の従業員から「辞めてくれ」と言われ(言わせて)、それを処分もしない、できない。そんなふざけた事が組織内で起こっていいものだろうか。普通の組織ではあり得ない。そんなふざけた事を部下たちがぬかしたらその瞬間に首だ。放って置いては組織が成り立たない。よりによって株式会社日本だよ!おまけに政治資金を誤魔化し,中には自分の政治団体に寄付の形でマネーロンダリングをして税額控除を受け,地方組織のイベントでは酒を飲みながら踊り子の水着に札を挟みこむ。いやらしい顔をして?・・しっかりしてくれよ。目を覚ましてくれよ。そんなバカな出来事に毎回毎回「丁寧な説明」など要らない。今日は沖縄市民の4人には1人が亡くなられた沖縄戦慰霊の日。太平洋戦争の日本軍としての組織的戦闘が終わった日と言われる。亡くなられた20万の沖縄市民の尊い命、今なお背負うご家族の苦しみに心から哀悼の意を申し上げ,同時にこの平和な日本に感謝し、安心安全な日々が続く事を切に願わずにはいられない。かってなく平和に対する不安定要因が高まって来ている昨今の世界だから。拝啓,総理大臣さんカタカナ語も「丁寧な説明」も要らない。ついでのAIのニュース放送みたいな官房長官の記者発表も聞き飽きた。日本語で言葉少なでいいから強い指導力と具体的施策で間違ったことをした者には当たり前の処分、ざる法には待ったなしの変更を国民の前で見せて欲しい。各地の戦争・紛争・領海侵犯・犯罪の多発・巧妙な詐欺の連鎖・不登校の増大・・・我が日本はレベルの低いことに時間をかけてる場合でない。安心安全を最優先として必至の仕事をすすめて見せてやっていただきたいな。社長として! レインボーランゲージハウス 進学塾アップリフト監督
監督の場合、高校生は個人指導がほとんどでなぜか女子が多い。女子の方がお勉強熱心ということかな。今日は思い出に残る一人の高校生のお話。 レインボーランゲージハウスを設立して間もない頃、大学教授であった米国人の妻の名前が売れていたのでEnglish Comunication部門は2年目で100人近く生徒が集まっていた。一方、塾の方は頼まれた場合のみ監督ができる範囲で教えていた。それは会社を辞めて兵庫県から母親に引っ越してもらい自宅介護をしていたためだ。あるとき地元のとてもお世話になっている夫婦から相談があって、そこの高1の娘さんの英語の校内順位が下から数えた方が早いということでなんとかしてほしいとたのまれた。ところが夜は介護、それに急拡大のレインボーに妻はかかりっきりで子供の世話も監督がしなければならず教えたくても時間がない。突然「何時でもいいですよ ZOさん(監督のこと)!」と夫婦そろって言うのだ。監督は教えたかったし、成績を急変させる自信があったから「じゃあ朝の6時とか7時でもいいですか?」 その親は間髪をいれず「もちろん!」 娘さんはそのとき学校で勝手に我々で決めちゃった。まだ娘さんとはあったこともなかった。 週1回平日朝、登校前にレッスンを始めた。中学で1番とか2番だったからとても良くできた。何より感心したのは、この高校は小テストや課題が山のようにあるのに、生徒は早朝から機嫌が変わらず力も抜いて授業についてきた。自然ないい関係がすぐ構築できた。特にこいつはできると思ったのは、基礎が曖昧だから「中3の教科書まだもってるかい」と聞くと“はい”と立ち上がって本棚から即出した。英語だけでなく他教科も中学の教科書を並べていた。こういう子供もいるんだなあと感心した。監督だって今でも中学の英語教科書CROWNを1分で出せるよ!!! 1番の思い出はある朝の出来事。いつも通り上がっていって部屋をノックしたら返事がない。お父さんがすっ飛んできて「いいです!入っていってください。」って言うのだ。「寝てるなんてとんでもない!」っていいながら。もう生徒との関係がバッチリだったから、笑いながらもう1回ノックして「おはよう!○○○起きてるか?」すると「ああ すみません!」といいながらパジャマのまま出てきた。それを見てみんなで大笑いした。娘は眼をこすりながら部屋に戻り、監督は準備ができるまでしばらく待っていた。おそらく朝の2時3時までお勉強をしていたんだと思う。 その日も何もなかったように自然にしっかり朝日の中、2人でお勉強をした。この生徒がここまで信頼してくれていると思うとうれしかったな。同時に馬力があるんだな、こういう生徒は。監督のいうところの“お勉強馬力”。だから指導すれば決定的に伸びていく。潜在的なPOWERをもっているから。半年もかからず学年で一桁のレベルまで上がり、その後希望の国立大(新潟大学よりずっと上)にすすんだ。高3のときは余裕があったからEnglish Communicationの受講もして、夏休みなどはレインボーのクラスアシスタントまでしてくれた。朝の6時のレッスン パジャマ 学年下位から上位一桁 全て作り話みたいだけれど本当の話。いつも言うように「インディアンと監督 ウソ 言わない!」 この生徒は今2児の母親となり東京に暮らす。この間久しぶりに会って「○○○のこどだから子供たちきっと将来はお勉強ができるよな!」っていったら「そう願いたいですが、それぞれ適性がありますから、しっかりみていきます。」と答えた。相変わらず冷静だ。なぜあんなに英語が高1のとき悪かったかは理由がある。中学の時、いい加減な授業と簡単な試験を暗記だけで乗り切り、基礎構築のための理屈とのバランスがとれていないまま英語ができると勘違いしたからだ。理屈が整備されていなければ高校の英語、特に長文は無理。 パジャマのまま目の前にたった時、普通はこんなこと絶対ないよなと思いながら笑ってみていらていられたのは、あの生徒を信頼していたから。そして一緒にゴールにむかって走っていたから。まあチームメイトみたいな感覚があったかな。懐かしく思い出すな。とても大切な思い出のひとつだから。レインボーランゲージハウス塾部門 アップリフト監督
レインボーで授業を受けるのは初めてだけど美子ちゃんの紹介であなたの隣に座ったの勉強慣れしている人みたい辞書を引く早さでわかるのよそんな受験生の独り言・・・体に毒だわ 毎週模試をうけるなんて地力もないのに 時間の無駄よどうせEが返ってくるだけのことそのお金で映画でも行って来たら 少しは気持ちも晴れるでしょそんな受験生の独り言・・・遅くなったから車で送ると監督に言われたけれど、お母さんに叱られるそれに、監督のスロー運転は有名よ後続の車で縦列ができて、ヘッドランプで私まであおられる駅のホームで最終電車を待った方がましそんな受験生の独り言・・・グレーのズボンに淡いブルーのシャツ美子ちゃんのいい人ね少し話をしたいけど渋い笑顔にどことなく長高生の自信が漂って、私まで酔わせるつもりね 今夜もまたそんな受験生の独り言監督
「Aなんかいらない。E判定まみれの君が好きだ。」と言ってくれた。 だからあたし・・あなたの愛を求めてお金を払い模試を受け続ける!そしてEを取り続けるわだってもしも私がAを取ったらあなたに嫌われてしまうから!だから私・・今週末もE判定をしっかり取れるようお勉強頑張らない!Love is blindP.S. E判定だとわからないかもしれないから訳を書いときます。 Love is blind (恋は盲目)がんばってね!監督
夢にA判定がでてきた。白のスーツ姿でまぶしかった。反響しそうな澄んだ声でこう言ってくれた。「あなたらしく 地力のままに 毎週模試を受け続けないさい。きっといつか光がさすから!」かっこよかった。めちゃくちゃ!見たことないくらい!気分が楽になったし、感動の涙で枕がぬれていた。「さよなら!」A判定は右手を挙げながらパッと振り返って去っていった。その白いスーツの背中に真っ赤な太い文字でこう書いてあった。ここで目が覚めた。今週末も結果が見えてる・・・ 監督
時々ふっと思い出す。高校合格発表の日の事。年末の面談で無理と言われうちにきた中3女子。経済的理由で私立はかけず中卒覚悟で希望高だけを受験した。個人指導て厳しく指導し課題も相当課した。わからない事だらけで英語も数学もボロボロ、それでも毎回笑顔と返事を欠かさず課題も全てやり切った。途中グループクラスも受講させてレベルの認識や距離感を体感させた。1月の最後の確認試験で5教科で100点以上伸ばし希望高の背中が見えるとこまで来た。もう一回確認試験があるなら追いつくがそれはもうない。「ひたすら前を見つめて本試験に賭けろ!」と背中を押した。あんなに厳しく指導したがこの生徒は一度も泣かなかった。逆に笑顔が増えているようにさえ見えた。たった2、3ヶ月の指導なのに何年もうちにいるようにさえ思う事があった。そして3月8日合格発表の日歓声が聞こえるキャンパスから電話がかかった。「監督!〇〇です。合格しました。ありがとうございました。」はっきり大きな声で言った。父親がすぐに電話を替わって「今からすぐご挨拶に伺います。」20分ほどでレインボーの自動ドアが開いた。そして満面笑顔の生徒が入ってきた。「おめでとう! よかった よかった。」両肩をしっかりつかんで 「よく耐えた。よく辛抱した。ここ数ヶ月食べ物の味もわからなかっただろう。」そう言った瞬間、生徒が泣き崩れた。監督の超高級直輸入カシミアセーターの右肩部がこの娘の涙でびちょびちょになった。そぱで見ていたお父さんが驚いて身体が揺れた。それに自動ドアが反応して開閉を繰り返しだ。うちの受付も立ったまま茫然と見ているだけだった。あいつは気丈な娘だからあんなに人前で泣いた事は初めてだったと思う。だから、何も言わずただ両肩を引き寄せてそのまま泣き止むのを待った。緊張が解けた瞬間の、まさに自分へのご褒美の涙に違いなかった。 監督
♪ E判定 泣いてどうなるのか模試に捨てられたわが身がみじめになるだけE判定 地力の無さ哀し三者面談がわが身に追い討ちをかける第一志望が消え、そして第二志望もかすんでいく今宵、どこかすぐに成績を上げてくれる塾を探すのよE判定 何も手を打てす毎週末数千円を払い続けて模試を受ける春から全統模試で回を重ね、そして秋、駿台記述は落ち葉のように散り、初雪ふるころKパックがやってくる。判定結果以外何も話さない担任E判定まみれの部活の仲間たち名もない大学にすがりつきそうでこわい何も手をうてないまま半年が過ぎようとしている。今宵またすぐに成績を上げてくれる塾を探すのよ・・・♪実話 ある生徒 3年11月末に「英語筆記40%しか取れなくてなんとかしてほしい。」という男子が来た。めちゃくちゃ頭がよかった。▲高はたまにこういうのがいる。英語以外すべて整っていたので結局英語を上げて新潟大学理学部を受けた。本試験の日の夕方「監督!!今日の英語筆記満点です。間違っても1問です。」と電話してきた。こいつなら有り得ると思った。そして見事に合格した。「レインボーで勉強に対する自分の姿勢が根本的に変わりました。」と言いきったな。監督は「おめでとう」とは言わずに「もっと早く来てれば〇輔ならどこにでも行けたよなあ・・それこそ京大でも届いたかもしれない。」サッカーで鍛えたでっかい体をこじんまりたたむようにして、満面の笑みで何も言わず監督の目を見て聞いていた。こいつは頭もマナーも整っていた。それに人間が優しい。だれにでも。滑り止めにマーチの一角が決まっていた。「母親が『東京に遊びにいきたいから新潟でなく私立にして』って言うのですが」と聞いてくるから「お前のおかんは何を基準に進路を考えてるんや!」と怒鳴ったあの日が懐かしい。その時もいつもと同じニコニコしながら監督の目をしっかりと見てだまって聞いていた。そういう奴だった。きっと立派な社会人になったことだろう。 監督レインボーランゲージハウス進学塾アップリフトE判定お祓い風景 左の生徒は学年2番だったがなんと2000円もお賽銭を奉納した。右の生徒は50円だった。
正門からわずか1分のところに塾がある。そこの窓全面に大学合格者数の実績が張り付けてある。東大834名 etc・・・その前を毎日数百名に及ぶ生徒たちが登下校していく。全く受けもしない名門大学の合格実績をこれ見よがしにあたり構わず世間に向かって窓全面に貼り付けるとはいったいどういうつもりなの?大半の生徒は「そんなこと考えたことない」と言うかもしれないが、それなりに進学を目指している生徒たちの心を逆なでしてはいないだろうか。校長先生よ 血相を変えて怒鳴り込むのだ!「なめんなよ! うちの生徒たちを!」そこが伝統であり誇りというものではなかろうか?!?それからあんたかどうか知らないが、去年のうちの2つの中学の中3から聞いた話だが、高校説明会の時「〇高の校長先生は無駄話が多くて高校そのものの情報が不足気味でよくわからなかった。」と口を揃えて言った。監督も授業では余談まみれだが決して無駄話はしない。オタクの高校から新潟大学に進み学部でもtopになって10万円を獲得したのにお好み焼きをおごってくれなかったある女子は、レインボーを卒業する時「監督の英語の授業はあまり役に立たなかったですが、小論クラスの時の余談は楽しくて、人生を考えるうえでとても参考になりました。私が将来親になったら絶対監督の小論クラスを受けさせます。ありがとうございました!」と置手紙。良い子だ。評点4.9もあっって文句なしの学年TOPだった。監督
E判定なら未練残すな第1希望なんかにもとをただせばみんな裸の赤ん坊だったじゃないか覚悟を決めてやってみな何も恐れてならぬ三者面談もおかんの説教も度胸一つで押していけ若いんだ 心をでかく持て受験は魔物 何が起きるかわからない7回転んで8回目に起き上がれ押し黙るように下を向いて聞いていた生徒がおもむろに口を開いた。生徒E「あのぉ・・・ 監督ゥ 来週、模試8回目なんですけど 記述です・・」監督「そうかあ・・・ 名前だけでも書いてこい!」生徒E「はい!」監督「いいお返事だ!」夜9時を過ぎて真っ暗だったけれどその夜、監督は八海山尊神社にお参りに行った。 監督
いつも揺れない私の髪が揺れている。E判定の涙が私の髪を夜明けまで揺らし続ける。この悲しみがあきらめに変わる時、涙が乾いているのならこのままずっと揺れていたい。お勉強の神様がいつか私の願いに少しだけ耳を傾けてくれる日を信じる。レインボーランゲ―ジハウス本校進学塾アップリフト監督
誰もいない夕暮れの銭が淵公園 ふたりの愛を確かめたくてそっと彼女の手を握ろうとした。深緑の湖面が静かに風に踊り、山間に程なく沈む真っ赤な夕陽が「今だ!」と言っているようだった。勇気を出して彼女の左手をぎゅっと握った。その瞬間、彼女は驚いたように手を引いた。「なにすんのよ!」「触んないで!」そう言い終わる間もなく彼女はまた携帯を覗き込んだ。ぼくは一言「ごめんね」と小さな声で言った。それから立ちあがろうとしたら今度は彼女がぼくの腕を掴んで強く引っ張った。その瞬間ぼくはバランスを崩して彼女の上に覆い被さるように倒れた。公園のベンチの上で彼女の顔が静かに目の前に広がった。夕陽はすっかり沈み風だけが静かに湖面を漂う。初めて君の唇に触れた瞬間だった。よかったな 彼女も好きでいてくれたんだよ。 監督レインボーランゲ―ジハウス 進学塾アップリフト 監督
新学期真新しい制服のブレザーーをきた高校1年生が下校している。晴れやかな笑顔で楽しそうに友達と話しながら歩道を歩く。Howeverガリガリの足やぶっとい足を異様に短いスカートの下にさらけ出し、おまけに不慣れな化粧が春の陽射しに異様に映える。なぜかカバンもなくバックパック一つ。まるでハイキングみたい?親が教師が言ってやらないと!「みっともない格好で通学するな」「我が校 の伝統にブライドを持って世間に自分を曝せ(さらせ)」と。最初からこれじゃ3年になると見世物のようになっちゃうよ。この子達も2年後選挙権をもつのかなぁ,この国は。
子供の将来を考えた時、学力をつけるには3つのポイントがある!!1. 文字が読める前から親が張り付いてできる限り読み聞かせをすること2. 小学時代は確実にそして着実に学習習慣を構築させること3. 態度ばかり誉めて学力に触れないタイプとは違うお勉強ファーストの先生に小学時代に出会う事つまり国語力と学習習慣と学力にごだわる先生との出会いということ。小学校時代で決まりだよ!そして中学後半から遅くとも高校前半までで本人に明確な進路目標ができれば、学習習慣の定着した子供は自学ができるから必要な学力を自力で整備していく!その過程で仮に塾で補強を受ける必要がでてきても効率よく吸収していけるからあまり手もお金がもかからない。監督と小1の女の子 国語クラス レインボーランゲ―ジハウス塾部門進学塾アップリフト 春
春の集中講座の最終日,ある小6生に中1と全く同じ実力テストをした。英語中1内容全範囲,国語は今の中学生がほとんど出来ないことわざ,それと小6算数結果はこれ※監督は❌だけつける。合っていれば無印!小学5年から指導しているからその辺の中学生より英語は遥かにできる。しかし愚かな間違いも散見された。最終日だったので一つだけ言っておいた。「来週から中学生だけど,あっという間に高校受験だよ。この辺で長高生は2回同じミスを繰り返さない。1度教えれば絶対。そこが他の高校生との違い。頭がいいとか悪いの話ではないよ。 例えばミスを繰り返すという事は,お気に入りのバックパックに鋭いナイフ(ミス)の刃先を下に向けて放り込むようなものさ。前に進む度(学年が進む)に刃先がリュックの底に突き刺さり突き破って下におちる。やがて大切なバックパック(受験)を捨てる事となる。ナイフを背負わないといけないなら,タオルで巻く,刃先を上に向いておく,ケースに入れるなどさまざまな工夫が必要だろう。それがミスを繰り返さない学習習慣であり,実力を付けていくお勉強の仕方ということさ!」瞬きもせず真剣な眼差しで聞いていた。これで上がりかな!午後から特講にやって来る現中1も学年トップだがこの小6も中1になったらいい成績をとるだろう。少なくとも今日の「バックパックとナイフ」の話は頭に刻み込んだだろうから。監督この写真はヤラセではない。敢えて小6に5年の算数割合の再確認をしている。中学に入れはその意義がわかる!レインボーランゲージハウス塾部門進学塾アップリフト中学英語準備&算数クラス風景