ありとあらゆる就活の情報がネットに溢れ就活生の希望や失望・不安や確信をくすぐる。そして就活で稼ぐ会社がうようよ!

 

君が人気の企業に首尾よく入れたとして「よかったね!」「すごい!」「さすが!」と薔薇色の人生を夢見るかもしれないが会社からすると君は単なる「人材」にすぎないのだよ。人材の人生がどう開花するかは君の「人生」と会社側の「人材」の戦力化における目的の同一性がカギなのね。そのカギは社内教育につきるのだよ。でもコンサル会社に高いお金をはらって受ける教育研修とかセミナーのこと言ってんじゃないよ!配属された部署で日々刹那にうける直属の上司(たち)の教育・指導体制のことなんだよ。

それが君の人生のスタートを、そしてその先の辛苦に耐えれる実力(じつりきと呼んでほしいくらいの力)を決めるんだ。仮に転職したって通用する。

 

今は時代が違うというかもしれないが説教より事実が1番理解しやすいだろうから実話(監督の経験)を語っておくね。

 

 日経平均が34年ぶりの高値を付けたけれど監督がその34年ちょっと前くらいのバブルに向かう日本の会社がすごい採用意欲で就職協定もがちがちにまもられたころに東京駅を大手町側から一望できる電気メーーカーに″欠員募集“で入った。

TVにも出るくらい有名だった大学の就職課の先生が「きみなあ 一部上場で10月すぎて欠員1なら全国から殺到するからあかんぞ、それ・・まあ書類は準備するから受けるだけうけたらええけどな」とやんわり言ってくださったのを覚えている。

監督は型破りで自信満々の4年生だった。

 

一次面接で

「志望動機は?」

「ありません!」と真顔で答えた。面接官たちが噴出して大笑いになった。相撲部出身でサングラスをしていた役員さんが「それなら君が10月1日に受けて滑った△△△の志望動機でいいよ」と言ってくださった。そこで朗々と話した。(コメディみたいでしょ!)帰り際、その役員さんが「君時間あるか?少しうちの会社の製品とか説明を2Fの資料室で説明しておこうか。もし今日とおって本社の面接で他社の志望動機を又話す訳にはいかんからな!」

「はい!ありがとうございます!」廊下に響くくらいの返事をした。もちろん帰り際に1次が受かるかどうかは全く保証しないと念を押された。


ここで本題!社員教育にすすもう!この会社(うちの会社)(監督の入った会社)はここから教育が始まっていたんだよ!そういうハートをしっかり持った幹部が会社のために若者のためにというメンタリティーをそなえていたと言う事なの。

 

1週間後東京本社で1日のうちに3回も面接して最後に社長から「君は入社したら営業だから。会社というものは営業でもっているのだ。いいな!君は営業だから。」と言われた。東京駅から電話をしたら母親が「あんた2度と東京にいくこともないやろから見学でもしてきたらええよ」といってくれたがトンボ帰りをした。夕方、実家のある兵庫県の姫路駅についたら迎えなど絶対しない父親が立っていた。

「おかえり。さっき東京から電話があった。合格だそうだ。」

 

さて教育のはなしにもどそう。

3か月間の新人教育研修がおわり6月末に本社で配属発表があった。営業といわれていたわけだから何も心配していなかったが200人の幹部の前で名前をよばれ

「本社管理本部経理部」と発表された。経理部がどんな仕事内容かさっぱり知らない(もちろん営業と言われてもおなじことだが)がこれはえらいことになった。黒い腕カバーをして一生電卓をたたき続けるのかと思った。意欲も希望も一気に消え失せた。横に立っておられた社長に「うそつき!」と心の中で叫んでいた。

 

 当時非常に売れ出したよしもと新喜劇の乗りだったので翌週配属初日の挨拶で同期のみんなが名前と「よろしくお願いします。」しか言わなかったから、監督は「もしこのビルのエレベーターになにかがあった時は皆さま全員をおんぶして1Fから19階まで上がってくる覚悟と体力で頑張ります!」と言い放った。営業部門から拍手と歓声が上がりフロアー全体が大笑いとなった。新入社員の監督は「受けた!受けた!」と自己満足、のちに配属先の上司が「お前やったら吉本に行けたやろ。吉本の方がうちよりよっぽどよかったのに。」とポツリ。会社人生で1番褒められたのはこれかもしれないよ!

 

さあ本社管理本部経理部で本格的な教育が始まった。財務課になったが教育は経理部次長が責任者で経理課課長が実指導を担当すると経理部長と財務課長から説明があった。理由は数年間の新卒配属希望がかなえられた為重要な戦力として鍛えねばならないからということであった。毎日のOJTのほかWEEKLY REPORT 夜は簿記の学校、昼間も月1回はホテルで開催される有名人のセミナーに出た。課長はごじゃごじゃ言わずにポイントポイントで質問にも経験談を交えてとにかく丁寧手短に指導してくださった。ある日現金が合わず担当の先輩女子が11時ころ先に帰ってその後監督とその課長は夜中の1時まで計算を続けて助けていただいたこともあった。いろんな局面で経理だから決算ルールや簿記だけでなく課長の実際の経験談まで交えて教育を受けた。数十年たった今でも覚えていることは監督の書くWEEKLY REPORTに指導担当の課長から上司、教育責任者の次長が毎週丁寧にコメントを書いてくださりそれが部長と役員まできっちり回覧されていたことだった。何人も自分の仕事ぶりを見つめてくれているという実感が持てる日々だった。毎週真剣に書いていただくコメントを楽しみに読んだ。

 

 様々な研修も受けたが当時日本1の経営学部は横浜国立大でそこの看板教授黒澤先生の原価会計学の夜間セミナーに参加させてもらった。あの大学を目指した時期もあったので大変うれしい機会でもあった。「黒澤教授だからなあ、おれも受けようかなあ」と課長も一緒に通った。監督は教科書とノート、課長はタオルを机の上に毎回出された。「じゃあ俺は寝るからお前しっかりきいておいてくれよ」そういう人だった。監督は「はい!」と燃えた。完全に教育なんだよ。これが!

「重要な交渉に1人で行ってこい。頼んだぞ!」というメッセージのように伝わっていた。こんなふうに新入社員の頃から徹底的に教育を受けた。

そしていつの間にか経理部財務課でずっと学びたい、仕事をさせていただきたい、上司たちに少しでもお役に立てるように頑張りたいと心底思えるようになっていた。すべてが勉強で自分の力がついていると実感しながら新人時代を過ごした。

                                                                 

                                                                                                  監督


To be continued