入社して経理部で3年目に入っていた。毎日銀行周りをして金融機関の担当者とI日平均10人近く会う日々で,夜はセミナー参加も続いていた。指導担当の課長が,

「君が毎日あってる銀行の担当者はうちが上客だから新人の君でも丁寧に応対してくれてるけど,彼らは本店営業部のエリート達でほとんど東大出だよ。」

 そういえば監査法人の担当者も優しくてよくメモ書きをしてくれながら何度でも説明してくださり、まるでいとこのお姉ちゃんみたいに思っていたが東大経済出身だった。その監査法人は上場企業だけを顧客にもつ代表以下全員東大卒だと後で知った。そんな感じで会社内外の周りの人達から受ける数々の影響はすべて教育視点に則っていて日々学ぶことができた。だから経理部に配属されてびっくりしていたが逆にこのままずっと経理で勤めあげたいと会社には申請するようになっていた。

 

 ところが入社3年目の夏、突然通達がでた。監督一人だけの人事異動だった。

「本社営業本部第2部に移動を命ずる。」と書いてあった。

指導責任者の次長も寝耳に水で抗議の意味か、その週会社に出てこられなかった。翌週直接説明があり「せっかくあんたをみんなで育てて来たのに、私が何度言ってもあかんかった。営業さんの方が強いんやね。会社というところは・・」

頭脳明晰、誰もが一目をおく冷静な次長の一言は何よりの花向けだったし,同時に

会社と言うところはいつ何時!!転勤があるかわからないと入社3年目に体感した。経理部で3年弱、毎日が勉強で感謝の新入社員時代だったな。

 

 突然の営業への移動でスーツやネクタイの補充もままならないまま同じフロアにある営業部に移った。部長は大手事務機器メーカーから引き抜かれた凄腕であまり多くを語らない人だった。初日部員の前で紹介をされた時、部長は

「我が営業部は社長に再々人員の補充をお願いしてきたが、⭕️⭕️君!君を指名した覚えはない。以上」

周りの部員も驚いたようだった。監督はね!自分の事を勘違いしているつもりもなかったが、「またいちから出直しだ。」と気合いをいれた。その時点では経理や財務を経験した事がどれだけ営業で役立つかなど知る術もなかったが、後々地力の一端となった。だって会社の全部門の数字が頭に入っていたわけだし、会社にとって何が利益で何が損失かがおぼろげながらわかっていたのだから!

 

そこから営業部門で15年、多岐にわたる上司のきめ細やかな指導・現場を任されるるところから学ぶ経験・そしてユーザーとの出会いがあった。課長の付きっ切りの指導とOJT、早くから重要ユーザーを任される中での様々な経験、メーカーなのでサポートしてくれる技術と品質管理部門の徹底的なバックアップ、そしてなにより部長の含蓄に満ちた指導や判断の明確さ、ユーザーとの交渉術は百選錬磨だった。信じられないかもしれないが、部長からお酒に誘われる事は一度もなく公私がはっきりしていた。そして会社人生だけになりがちな若者を様々な側面から多岐にわたってアドバイスもいただいた。そして1度も叱られたことがなく昇給,賞与では毎年満点評価をいただいた。部長とはわずか3年だけだったが、営業通算15年で業績表彰を15回取れたのも部長と最初についた営業課長のOJTのおかげだと思う。

 

教育の話に戻そう。最大のトピックスは24時間3シフトで日本全体がフル稼働の最中に大学院留学をさせていただいたことだった。29歳だった。営業のTOPから辞令をいただいたとき役員室で

「君がいなくなると困っちゃうんだけれど、部長がどうしても行かしてやりたと言ってね。売り上げの事は責任を持つからと言ってたよ。」と常務から告げられた。大手銀行の人事部長から引き抜かれた方で報告書も丁寧に読まれてよく質問をされた。最高の思い出は皇居近くの如水会館ラウンジに連れて行って下さった事だ。あそこが一橋大学専用とは知らなかった。常務はそんなこといちいち言う人では無かったが2人で飲んでいて、ひっきりなしに人が挨拶に来るから、監督の方から,

「お知り合いが多いですね,銀行関係ですか?」

「いやここは一橋大学のOBだけなのよ。」

その晩そこでお酒を飲んでいる三流私立は監督独りかもしれないなあと周りを見渡したことを今でも覚えているな。

その晩もいつものように「あんたは面白いね。そのままでいいからね。」とだけ言われた。大銀行の元人事部長がいわれるのだから・・だから余計に気合いが入って寮に帰ってからいつも以上に50キロのバーベル挙げて腹筋をした。夜中の2時を過ぎていた。

 

昼間の教育は今書いた通り!

そしてもう一つ特筆すべき教育を受けた。

それは夜の教育であった。指導者は時の人事部長,のちの社長だった。

To be continued.