
私の防災・その455 防災とボランティア週間 ボランティアの形と「共に生きる」
自己紹介&ブログ紹介
先天性の遺伝子疾患と重度知的障害ありの娘(22歳)
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アニメ&防災オタクの私(アラフィフ)
元々は娘の子育て中の記録として始めたブログですが、現在は主に障害児(者)家族の防災ブログとなってます
今日から「防災とボランティア週間」が始まりました。
ちょうど30年前に起きた阪神・淡路大震災の時全国から多くのボランティアが駆け付けて支援したことがきっかけで制定されました。
ボランティアと言うと瓦礫や泥の撤去や炊き出しなど現地に足を運んで身体を動かす体力勝負な作業のイメージが有りませんか?
でも、ボランティアとは一言で説明できないくらいニーズや適正に応じた様々な形態が有ると思います。
片付け作業
炊き出し
心の負担を減らす傾聴ボランティア
子どもの遊び場確保や見守り
足湯サービスやハンドマッサージ
等々
細分化していったらきりがないですね。
ボランティアの中にはプロとしての知識や技術、専用の機材がなければ出来ないことも有りますが、素人でも出来ることも多くあります。
例えば我が家のもえもえの様に障害があったり医療的ケアを必要とする人は非常時にこそ人手を必要とします。
でも、必要とする支援は直接本人をケアして欲しいということばかりではないのです。
障害児者や医療的ケア児者本人のケアは家族や専門の知識を持った支援者に任せて、支援している家族の支援をお願いしたいのです。
例えば、医療的ケア児者は移動する時には医療機器はじめとても多くの荷物を持ち運ばなければなりません。
移動する時に荷物を持って付き添うだけでもとても助かります。
もえもえの様に医療的ケアは不要でも常に見守る人の目が必要な場合、私がトイレに行く時などそばを離れざるを得ない時にそばに付き添っているだけでもとても助かります。
こんな報道もありました

プロにはプロの素人には素人の助け方が有るのです。
聴覚や視覚に障害がある人に情報を提供する手伝いだってそうですね。
文字情報を読み上げるとか、紙に書いたりスマホを通して文字情報に変換するとかその程度のことで充分助かります。
障害がある人に何が出来るかわからないことで手を出しにくいと感じる人も多いと思いますが、
どんな支援を必要としているのかを把握しているのは障害がある人自身
です。
そして、
知識を持った支援者にしか出来ないこと、
一般人でも出来ることの違いを把握しているのも障害がある人自身
です。
まずは「障害がある人に困っていることはないか声をかけてみる」ことからはじめてみてくれませんか。
ボランティアと言うと現地で活動するものが多いですが
現地に行かなくても出来る支援
もありますね。
以前台風被害で破損した屋根瓦の代わりに銀色のブルーシートと段ボールで簡易な瓦を作って送ると言うものもありました。
アシスト瓦で検索すると作り方等も出てきます。
そして、現地に行かなくても出来る支援としては
災害発生直後に防災グッズや水、非常食等を買い漁らない
ことも含まれると思います。
災害発生したと言うことは防災グッズや水、非常食を必要としている人が現地に大勢いると言うことです。
今まさに必要としている人達の分を全く何も困っていない状況の人達が横からかっさらう様な真似をするのはおかしいと思いませんか。
日頃から災害に備えておくことは
自分達家族を守るだけではなく
自分以外の人が被災した時に
必要な物品を必要とする人の手に確実に届ける
ためにも必要なことです。
目に見える活動だけがボランティアではないと私は思います。
そして、ボランティアは被災地以外の場所の人がするものと思っていませんか。
大きな災害が起きたら被災した人たちはまず自分と家族や大切な人の命と生活を守ることに力を尽くすことになります。
その被災者を最初に助けるのは同じ被災者の中で比較的被害が少ない人達になります。
能登半島地震の時、半島という土地柄、交通網が寸断されて孤立した地域が多く、個人的なボランティアの受け入れが出来るようになるまで時間がかかりました。
一年前に書いた記事がこちらです

能登半島地震の時の様に外部からのボランティアが来るのが困難な状況になることもあり得るのです。
私は被災した時に出来れば支援される側でいるより、自分の出来る範囲で支援できる人になりたいのです。
勿論もえもえのことも有りますから、支援される側になる可能性は高いです。
でも、支援を受けることを前提にして「誰かが助けてくれるはず」と受け身でいたくはないのです。
「助ける」「助けてもらう」
の関係ではなく
「助け合う」「共に生きる」
関係を私は築きたい。
阪神・淡路大震災の時はまだ福祉避難所と言う概念すらありませんでした。
そんな中で養護学校を障害者のための避難所とした記録があります

この避難所では障害者も支援者も「支援する」「支援される」立場から徐々に同じ人として「共に生きる」関係に変わっていったそうです。
私が目指すのはこの「共に生きる」関係構築です。
ダウン症の書家金澤翔子さんはご存知でしょうか。
この方が長年書き続けている言葉が「共に生きる」です。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/sci_cul/2023/05/story/2023-0501/
リンクの中でも出ていましたが、東日本大震災が起きた時に報道でそれを知った翔子さんが自分は助けにも行けない、被災した人を凍えさせる雪を止ませるとこも出来ない、でも心だけは寄り添っていると表現する為に選んだ言葉が「共に生きる」です。
リンクの中でも出ていましたが、東日本大震災が起きた時に報道でそれを知った翔子さんが自分は助けにも行けない、被災した人を凍えさせる雪を止ませるとこも出来ない、でも心だけは寄り添っていると表現する為に選んだ言葉が「共に生きる」です。
現場に足を運び活動すること
物資や寄付を送ること
被災地に余計な負担をかけないこと
支援する人を支援すること
どれも大切な活動でありボランティアです。
てすが、その全てが出来なくても心を寄せること「共に生きる」ことは出来るはず。
それも立派なボランティアだと私は思っています。
おまけ
防災とボランティア週間は災害用伝言ダイヤルのお試しが出来ます。
正月三が日に試しそびれた方は是非❗