ちょっと前からアマプラにあがっていたので、観たかった作品。

 

監督の長谷川和彦は寡作ながらその激しい生き方で、カルト的な人気を博している。

原爆を作って国を脅迫するという衝撃的な内容だが、そんなタブーを扱えたのも、長谷川自身が胎内被爆者であるという事実があったからだ。

 

戦後30年あまりのこの時代に、原爆、それも反原爆・核ではなく、原爆そのものを犯罪に使うというテーマを扱うこと自体、現代では考えられないのだが、物語の冒頭で主役の城戸誠(沢田研二)と、彼を追うことになる刑事・山下(菅原文太)が出会う事件は、伊藤雄之助演じる元日本兵が天皇に会ってモノ申したいという案件で、皇居に突入するシーンが出てきたり、これまたセンシティブな内容だ。

 

敢えてタブーに挑んだ以外でも、4年前に公開された「新幹線大爆破」もそうだったのだが、許可が降りないシーンはすべて無許可のゲリラ撮影、というのも時代を感じる。

コンプライアンスに縛られている現代ではありえない撮影方法で、画面からにじみ出る緊迫感はまさに時代の息吹が感じられる。

 

そのあたりの制作秘話や時代背景はWikipediaからも読み取れるが、一度当時の文献なども読んでみたい。日本映画界が活況を呈していたあのころの、映画人の情熱に触れてみたいからだ。

 

2時間半近いストーリーだが展開が早く、中だるみするところもないのであっという間に終わってしまう。

ジュリーこと沢田研二は色気があり、危険な香りが全身からにじみ出ているかのよう。

都会の片隅で孤独に生き、次第に妄想を膨らませてやがてとんでもないものを作ってしまう。

高度経済成長の日本がバブルに差し掛かる前のこの時代に、映画は後年城戸のようなタイプの犯罪者が出現してくるのを予言していたかのようだ。

 

原爆というセンシティブな題材を扱っているが、原爆はあくまで物語のいちファクターに過ぎない。城戸が内面に抱え込んでいる、モヤモヤとした言語化できない何かが、原爆という形になって表れたのだろうか。

自宅のアパートでひたすら原爆制作に没頭する城戸は、どこか活き活きとしている。

しかし、完成した後の城戸はまるで生きる気力を失くしてしまったかのようだ。

本当は彼は誰かと内に秘めるモヤモヤしたものを共有したかったのではないだろうか。

それが皇居の事件で出会い、危機をともに乗り越えた山下刑事だったのかもしれない。

 

城戸が爆弾魔と知らず執拗に追いかける山下だが、そんな彼から必死に逃れようとする城戸は、少なくとも生きようとしていた。

原爆制作過程で被爆してしまったことを知った時も、生への執着を見せていた。

しかしラストシーンで山下刑事と対峙し激しい格闘の末、ビルから落下、山下刑事は即死するが、城戸は奇跡的に助かる(このシーンは冷静に見たらかなり面白いのだが、、、、)。

山下の死を目の当たりにした城戸は、渋谷の街を原爆を抱えたまま、夢遊病者のように歩いていく。

 

唯一の自分の理解者(だと一方的に思っていた?)山下の死は、彼に死への扉の向こう側に行く決心をつけさせたのか。

物語はこのあと、ブラックアウトして原爆の爆発する音で終わる。

衝撃的なラストシーンだ。

 

その当時の時代の空気を色濃くフィルムに残す作品こそ、名作と呼べるのではないだろうか。だとすれば、「太陽を盗んだ男」は名作だろう。

だが、タブーに敢えて挑んでいた昭和の作品に比べ、現代の映画作品はそこまでの挑戦ができない環境に置かれている。

 

映画は昭和の頃の文化、人々の生き方、思想が良く見えるという点で後世へと引き継いでいくレガシーの価値がある。

果たして今の映画にそのような価値があるだろうか。

 

色々考えさせてくれ、なおかつエンタテインメントとしては最高に面白かった。

見るべき昭和の映画遺産としてお薦めの作品と言える。

2011年のドラマ。

ネットで隠れた名作として紹介されていて、いつか観たいと思っていたが、アマプラにupされて早速視聴。思っていた以上に面白く、アメリカ単身赴任時代であれば間違いなく一気見していただろう。

 

MATTと同世代の武富健治の原作。昭和の学園ものに通じる熱い何かがストーリーには見え隠れするものの、赤裸々に描かれる教師の抱える悩みや生徒にまつわる様々な課題が、上手く織り込まれている。

また、古沢良太の脚本や河合勇人監督らによって、一流のエンタテインメントとしても見どころあり。

 

長谷川博己の連ドラデビュー作であり、このあと「デート」や「家政婦のミタ」でブレイクしていく。生徒たち一人一人の人格を尊重し、その一方で弱さも惜しみなくさらけ出すという魅力的な鈴木先生というキャラクターを、計算し尽くされた演技でまさに才能が爆発している。

 

生徒役も学園モノあるあるで、今きら星のごとく活躍している俳優たちが、まだ初々しい演技で活躍しているのも見どころ。

北村匠海、土屋太鳳、小野花梨、三浦透子、松岡茉優らが、さすがの演技でドラマを引っ張っていた。

土屋太鳳はキーとなる小川蘇美を演じており、小野花梨や三浦透子は生徒たちの中ではセリフもたくさんあり、彼女らが主人公の回もある。

北村匠海は彼一人が目立つ回はほとんどなし。

松岡茉優に至ってはほとんど端役扱いで、セリフも少ない。

しかし二人とも、時折見せる演技は光りまくっていた。

一方で、いい演技をしている子役たちも多数いたが、その後それほど活躍していないような現実を見て、厳しい世界なのだなとも思う。

 

鈴木先生の恋人・麻美には臼田あさ美。当時26歳。

今でも美しく、演技派女優の筆頭だがとても可愛いのよね。。。。素敵です。

臼田あさ美。

そういえば、「御上先生」にも出ておられました・・・

 

教師陣もなかなかのキャスト。NHKに並んでテレ東ドラマはこういうところが心憎い。

校長の斉木しげるをはじめとして、 山口智充、田畑智子、 赤堀雅秋、山中聡、でんでん、富田靖子、歌川椎子、戸田昌宏と、曲者ぞろい。

特に、ドラマ後半でどんどん暴走していく富田靖子演じる足子先生はもはやホラーで、デビューのころの富田靖子を知る世代としては、斉藤由貴のホラーぶりとともに時の流れというか人格の熟成?を感じざるを得ない。

 

ドラマはいきなり1話から突っ走っていく。

まだ中学2年の教え子と、小学4年生の女の子との色恋沙汰という衝撃的な事件。

さすがテレ東の夜10時枠。この頃から攻めている。

全10話で描かれる事件は、どこかに男女の色恋とセックスが絡んでくる。

中学生というのは心と体のバランスが一番不安定な世代なので、これは当然であろう。

 

そんな難しい年ごろの生徒たちに鈴木先生が向ける情熱は、多少歪んでいるかもしれない。

理想の教室・生徒を作るための壮大な実験として、以前から目をつけていた小川蘇美という優等生の美少女を、クラス編成でGETするなどやりたい放題なのだが、それもこれも理想のクラス作りと生徒たちの成長を願ってのこと。

 

だが、その小川に心を奪われてしまうという妄想に苦しめられることになり、その葛藤を長谷川博己は彼独特の内面描写で、生々しく演じている。

いい年をした大人の教師が、中学2年の女子生徒に対して妄想するなど、現代に放送したらかなり気まずいことになっていただろう。まさに今世間を騒がしている問題は、このドラマ以上に酷いことになっているからだ。

 

それはさておき、生徒たちとの間に様々な事件が勃発するが、鈴木先生は決して生徒たちに説教をしたり、正しい道はこれだとばかりに導いたりはしない。

彼が行うのは生徒たちと向き合い共に悩み、それぞれの個性を引き出して、互いの意見をぶつけさせ化学反応を起こすべく、全神経を集中し、自らの持つあらゆる知見を総動員して答えを導き出していく。

 

その過程での生徒たちの心や考えの変化、人格の成長だったり、鈴木先生自身の生徒たちに対する眼差しの進化がとても瑞々しい。

これこそが、このドラマの醍醐味であり見どころだ。

 

そして、恋人の麻美とのできちゃった婚が生徒たちの動揺を呼び、鈴木先生の弾劾裁判へと発展していくが、ここでの生徒たちによるディベートはまさに最終回にふさわしい内容である。

生徒役の俳優たちの演技力と演出、脚本のレベルが高く、これまで観てきた学園ドラマの中でもトップクラスの緊張感にあふれている。

それをしっかり受け止める長谷川博己の演技も素晴らしい。

 

かなりレベルが高く面白いドラマだったが、当時の視聴率はさんざんだったそう。

しかし原作もドラマも高い評価を得て、知る人ぞ知る作品となったのは至極当然。

まだ本作を知らない人がたくさんいるのだろう。

是非観ないと後悔する一品だ。ドラマシリーズの後に放映されたスペシャル、2年後に公開された映画もいつか観てみたい。

まだ福知山にいたころ、宇都宮に帰って来ては当時BSフジで再放送していた「北の国から」シリーズの録画を見るのが楽しみだった。

 

リアタイではまったく興味がなかったのに、50近くになって初めてちゃんと見て、心にしっかりと刺さった。それまではとんねるずのコントでしか見たことなかったのに、、、笑

 

ただ、ドラマ版の途中から見てしまったため、なぜ黒板親子が北海道に移住したのか、周囲の人たちとの関係性は?など、理解が半端なままだった。

この夏、フジTVは一連の不祥事で放映コンテンツが尽きたからか、ドラマ版の再放送が実現した。

 

TVドラマ史に残る名作ゆえ、書き始めるときりがない。

色々なメディアでも語り尽くされている。今更それ以上のことを書いても仕方ない。

倉本聰とスタッフ、出演者の後世に残るほどのメッセージ性の強いドラマを作ろうという熱い意思があふれんばかりの作品だった。

 

倉本聰は当初、純(吉岡秀隆)の成長期をイメージして脚本を書いたのだが、途中から蛍(中嶋朋子)の成長期になってしまったと語っていた。

その視点でもう一度見ると、なるほどと。

倉本さん曰く「北海道の女は強い」。

今の時代、ドラマ描写では考えられないくらい、蛍は過酷な少女時代を生きている。

大人の論理や身勝手に蹂躙、翻弄される姿は、今なら虐待と言われかねないものだ。

だが、蛍はそんな幼少期を過ごしても強く、たくましく生きていく。

それは、ドラマシリーズで出て来た数々のヒロインたちにも当てはまる。

 

先見の明ともいえる痛烈な物質社会への批判は、このドラマの一つの軸でもあるけれど、「北の国から」が後にも先にもない名作といえるのは、その躊躇ない人間描写と人間愛なのだと思う。

 

純は親の都合で辺鄙な田舎に連れてこられた悲劇の主人公のはずだが、決してその逆境に耐える美しい心の持ち主などではない。

偏狭で、自己チューで、THE子供という存在だ。

父親の黒板五郎(田中邦衛)も然り。

当初、高倉健がキャストされる予定だったというこの冴えない男は、かっこ悪くて卑屈で根っから考え方が貧乏くさい。

 

けれど、そのありのままの姿が視聴者の共感を呼ぶ。

抗うことのできない大自然の脅威の前に生きる人たちの姿に、付け焼刃のようなドラマチックな人間性は不要だ。そこにあるのはただ必死に生きようとしている一人の人間の姿のみ。

 

彼ら黒板家とともに、大自然で生きる生の人間を体現しているキャストでは、北村清吉役の大滝秀治と、笠松杵次役の大友柳太朗の二人のベテラン俳優の存在も大きい。

この二人の名優の存在は、その後のシリーズやドラマのテーマにも大きな影響を与えている。

 

バブル期~バブル崩壊後の日本への強烈なアンチテーゼだったり、一つの家族の成長を長期間にわたって追いかけたりと、このドラマの独自の世界観に評価が集まるが、このドラマの本当に素晴らしいところは、ただただ普通の人々が必死に生きているだけの世界を、これほど嫌みなく魅力的に、しかも長期にわたり描き切ったことにあると思う。

 

どこまでも人間臭く、愛すべき人たちの生きる姿を演じた役者たちと、それを支えたスタッフ。

そして情熱をもって制作に取り組んだ作り手たち。

もう二度とこんなドラマは生まれないだろう。

それこそ国宝にしてもいいくらい、とドラマ好きとして思ってしまう。

 

最近時、外国人投資家が富良野に注目して投資し、どんどん新しい宿泊施設が完成し、街が様変わりしていると聞いた。

確実に時は流れている。

一生懸命書いたブログが、up後に何故か消失。。。

前もこんなことあったな。。。

もう同じ内容を書く気力はないが、仕方なく簡易版でも書くか。。。

 

1カ月ぶりのラウンドは、またマサ・Yさんにお付き合いいただく。

6:50にマサ・Yさんが迎えに来てくれて、40分ほどで到着。

7:16ティオフだったが、少し早くスタート。日曜ということもあり空いていた。

 

先週金曜から涼しくなって、ようやく夏も終わったようだが、今日は日差しが強くそこそこ暑くなった。午後からは風も強くなり途中までアゲインストに苦しめられた。

ベルセルバは2月以来。ここはでかいグリーンをいかに攻略するかがポイント。

 

気持ちよい風と高い空。

 

OUTコース

 

1 ミドル 318y 2-2 パー

2 ロング 494y 3-2 パー

3 ミドル 374y 5-2 トリ

4 ミドル 336y 3-2 ボギー

5 ショート 155y 2-2 ボギー

6 ミドル 386y 3-2 ボギー

7 ミドル 332y 3-2 ボギー

8 ショート 179y 1-2 パー

9 ロング 543y 6-0 ボギー

 

【ティショット】

1 〇

2 ○左

3 Xトップミス

4 〇

5 X8Iトップチョロ

6 〇

7 〇

8 〇8I

9 〇

 

MATT 44 まあまあか

マサ・Yさん 49 良い調子です

 

2番はロングパットが寸止めでパー。

3番はティショットをやらかして、セカンドも打ち切れず、3打目50度が左バンカー、バンカーから出すのみ、寄せも寄らずの2パットでトリ。

4番は3mのパットがカップにけられてボギー。

6番は3mのパットを外しボギー。

7番は50度がショートし、アプローチもイマイチ、3mパットも寸止めでボギー。

8番はロングパットが決まりパー。

9番は3打目を右手前ガードバンカーに、スタンス取れないバンカーからはホームラン、アプローチをショート、6打目がチップインして何とかボギーセーブ。

 

5番ショートのワンオンチャレンジは、くじ引きより参加賞の方が豪華という変わり種。

二人とも乗らなかったのに、お姉さんくじを引かせてくれた。

マサ・Yさんからの餞別ということで、参加賞でいただいたのは冷凍餃子(ありがとうございます)。しかしくじで引いたのは平日ラウンド一人無料券。

1500円払って参加賞もらえればそれでいい、という不思議なワンオンチャレンジだった。

 

9番のティイングエリア。

 

お昼はスンドゥブ。数量限定だが、9時過ぎに上がってきたので余裕でオーダー。

 

10時半前に後半スタート。

 

空も高く気持ちよい。

 

INコース

 

10 ミドル 323y 3-2 ボギー

11 ショート 131y 1-3 ボギー

12 ロング 470y 6-3 +4 WH

13 ミドル 348y 2-2 パー

14 ミドル 275y 3-2 ボギー

15 ミドル 310y 3-2 ボギー

16 ショート 175y 1-2 パー

17 ミドル 348y 3-1 パー

18 ロング 468y 4-2 ボギー

 

【ティショット】

10 ○

11 ○7I

12 X左

13 〇

14 △左

15 〇

16 ○PW

17 ○

18 ○

 

MATT 44-45 89 ダボ無しというのは珍しい

マサ・Yさん 49-55 104 後半は別人に、、、

 

10番、5mのパットがカップ手前で止まる。

11番、難しいグリーンにナイスオンも、最後の1mパットをミスりボギー。

12番、ティショットを池に、4打目が左ラフ、寄せでミスり6打オン。パットもミスって3パットの+4となってしまう。

14番、1.5mフックラインを入れられずボギー。

16番、PWでピン下2mにつけたのに、バーディ獲れず。。。

17番、30yのアプローチがべたピンでパーセーブ。

18番、3打目ラフから90y、56度がショートしバンカーに。縁に近いので乗せるのがやっと。しかし20m以上のパットをべたピンに寄せ、なんとかボギーに。

 

後半はティショットが安定していたのに、アイアンがイマイチだったので苦労した。

 

18番ティイングエリア。勝みなみはクリーク手前まで届いたそう。

 

昔から生息しているアヒルたち。

 

13時過ぎにはホールアウトできて、一日が有意義に使えた。

マサ・Yさん、駐在前は最後になりそうですが、また一時帰国の時にでもよろしくお願いします!

2008年公開のタナダユキが32歳の時の監督・脚本作品。

「浜の朝日の嘘つきどもと」や、「マイ・ブロークン・マリコ」など、心に刺さるヒューマンドラマが

印象に残っている。

 

主人公の佐藤鈴子を演じる蒼井優の瑞々しいこと。今ではすっかり大人の女性だが、20代前半、壊れそうなガラス細工のようなたたずまいが、自分としっかり向き合えない鈴子という女性を体現しているかのよう。

蒼井優はその独特の間や表情で、どんな役をやっても「魅せる」ことができる女優さんだと思う。「宮本から君へ」「スパイの妻」「阿修羅のごとく」など、どの役も蒼井優が演じたことで、その役の魅力が増幅する。

 

本作では自分と向き合うことから逃げて、居場所を転々としていく女性を演じているが、心の奥深いところに隠し持っているものを、時折儚げな表情の中に見え隠れさせる。

その繊細な演技力を20代の頃にすでに持ち合わせていたとは、あらためて凄い女優さんだと感じた。

 

物語は、鈴子が家族や今の生活から逃げるように街を出て、居場所を転々としていくロードムービー。拾ってきた猫をルームシェアの同居人に勝手に捨てられたことに激怒、その同居人の家財を勝手に処分してしまい、刑事告訴され前科者になってしまう。

そのため、近所の目が気になり家族に迷惑をかけるからと、家を出て引っ越しに必要な資金=おおよそ100万円が貯まると、次の街へと転々とする生活が始まる。

 

行く先々で、住人たちから温かく迎え入れられるのだが、彼女自身が心を開かないため、すれ違ったり衝突したりを繰り返す。

ある地方都市のバイト先で、中島(森山未來)という男に出会い、やっとお互いに好きと言える関係になり恋人同士になるが、中島はバイト先の新人女子と仲良くなり、鈴子に頻繁に金を借りるように。鈴子は我慢できなくなり結局別れてしまう。

 

失意のどん底の鈴子のもとに、いじめられっ子だった弟からの手紙が届く。

そこにはかつて前科者と罵ってきた知人たちに、真向から立ち向かった時の姉の姿に勇気づけられ、逃げずに生きていく決意をしたと書かれてあった。

涙する鈴子。弟が尊敬した姉は、自分から逃げっぱなしだった。

鈴子は今度こそ弱い自分と向き合い、家族や友人とは言いたいことを言い合える関係を築こうと強く誓う。

 

バイト先を辞して駅に向かう鈴子を、自転車で追いかける中島。

中島は実は鈴子の貯金が100万円に達しないよう、お金を借りていたのだ。

彼自身も鈴子と同じ、自分の本当の気持ちを言えない弱い男だった。

ラストシーンで、駅の階段の上と下で視線が交錯する二人。

二人はお互いを認識したかのように見えたが、鈴子は一言「来るわけないか」とつぶやき、歩き出す。

これはお互い視線を合わせたように見えたが、実はそれぞれ違う場所にいた、という演出だったのか、はたまた鈴子なりの、この街での生活への線の引き方だったのかはわからない。

けれども、人の出会いには必ず別れがある、と悟った鈴子にとっては自然な別れだったのだろう。彼女が人間として成長していくために。

 

17年前の映画なので、出演者が皆若い。

鈴子の両親役のキムラ緑子、矢島健一、海辺の町編の竹財輝之助(金髪でチャラ男)、安藤玉恵、山あいの村編の佐々木すみ江、ピエール瀧、笹野高史(は、あんまり変わらず・・・笑)、ある地方都市編の堀部圭亮、山中崇、中村靖日らも。

また、冒頭のルームシェアの同居人の彼女には平岩紙、弟の学校の先生に江口のり子がちょい役で出演。今では二人とも名バイプレイヤーだ。

 

弟の拓也役の齋藤隆成は、2004年に「光とともに…〜自閉症児を抱えて〜」という篠原涼子主演のドラマに自閉症の子という難役で出ていたらしい。このドラマ、アメリカ駐在時代に見て、とても良いドラマだったので印象に残っている。

 

タナダユキ作品の、人間の弱い部分を優しく見つめる目線が好きだ。

そして蒼井優と森山未來の二人がのフレッシュな演技が、本作品を忘れがたい青春映画にした。良い作品だと思う。

2017年~2018年アマゾンジャパン配信ドラマ。

こんな面白いドラマが埋もれていたとは。

というのも、第一章はフィクションであると謳っていたのに、実際は足利事件を題材にしたノンフィクションに酷似しており、かつ事件の被害者遺族の同意も得ず制作されたことが判明し、評価が地に堕ちてしまったためのようだ。

 

制作過程の問題は看過されるものではないけれど、ドラマ制作側の想いや作品としてのクオリティは非常に高く、きちんとした段取りを踏んでいたら名作になっていた可能性は高い。

いや、しかしもしかすると正規の手続きを踏んでいたら、劇中で描かれた展開のように、こんなにドラマチックな作品にはなっていなかったかも。判断が難しい作品だ。

 

数々の話題作を世に送り出してきた福田靖の脚本は、スリリングかつ余韻を残す作りで、ドラマが発信するメッセージに対し、考える余地を与えてくれる。

 

大谷亮平演じる過去に闇を抱えるフリージャーナリスト・三上と、本田翼演じる駆け出しのBSTVのAD相沢の二人のバディもの。

TV局のスタッフはみんな何かしら事情を抱えてBSに左遷されてきた個性的なメンバーがそろう。TVキャスターの斉藤(羽田美智子)、エグゼクティブプロデューサーの長谷川(岸谷五朗)、

局長の平山(田山涼成)など。

 

第1章は冤罪事件として衝撃的な展開となった足利事件が(たぶん)ベースとなっていて、全7話が短いと思えるほどテンポよく展開していく。

確かに、遺族感情を考慮せずに被害者少女の殺害シーンを挿入するなど、やりすぎな部分もあったが、総じてサスペンス性と社会性をバランスよくミックスした脚本と、役者陣の緊迫感あふれる演技で素晴らしい作品に仕上がっている。

 

第2章は一転、往年の名作「TRICK」や「SPEC」のような少しオカルトチックな作りで、財前直美演じる催眠術を操る謎めいた女・畑山 香奈子が19年前に犯した罪を、三上・相沢が追いかけ、追い詰めていくというストーリー。

こちらは第1章の骨太さとは違い、おどろおどろしい闇に足を踏み入れていく緊張感がある。オカルト過ぎず、さりとて恐怖の質を落とさない絶妙なバランスの脚本・演出だ。

少年を誘拐して監禁したり、実は香奈子の幼い娘・由季枝が真犯人だった、という衝撃的な内容は地上波では放送づらく、配信ドラマの本領発揮ということだろう。

 

真犯人の由季枝が、相沢に催眠術をかけて何か囁いているところが無声で流れて、そのままエンディングに突入していくラストも斬新。

最近のドラマはいちいち説明しすぎて、想像力を掻き立てることがない。

「特捜最前線」は、結末を見せず余韻を残す脚本が多く、心に残る名作ドラマとなった。

視聴者は観終わったあとも、想いを巡らせることができる。

 

なかなか意欲的で、見どころあるドラマだったが先に書いた通り、色々な問題があったからなのか、その後続編もなく終わってしまったのが惜しい。

シリーズ化できるくらいの実力を持ったコンテンツだったのに残念だ。

 

大谷亮平演じる骨太でタフな三上は魅力的だし、当時25歳だったバッサ―こと本田翼も、演技が平板と揶揄されることの多い彼女だが、この作品での相沢はとてもハマり役だったと思う。ちなみに相沢のキャラを今、誰か代わりに演じるとしたら、芳根京子あたりがいいかもしれない。

このドラマでの本田翼は良い演技をしていました。

 

また第1章では、でんでん、嶋田久作、平田満ら3人のベテランが主要キャストとして、ドラマのレベルをぐんとupさせてくれている。またゲストには池田良、松田洋治、海原はるか、井上肇など。

第2章では、森尾由美、矢柴俊博、橋本じゅん、山下容莉枝、大鷹明良、中島亜梨沙と、ゲストは少ないが、良いキャスト。

 

冤罪を扱った名作ドラマといえば、「エルピス-希望、あるいは災い-」が記憶に新しいが、あの作品はきちんと評価を得たので、このドラマもちゃんとした手続きを踏んで作られていれば、、、と本当に残念だ。
 

 

前作はB級ホラーの雰囲気が漂う良作だった。物語の展開に捻りがあり、かつラストでニヤリとさせてくれるのも、昔よくあったアメリカのB級ホラーっぽくて、個人的にはお気に入り。

恒松祐里の演技もさすがだったし。

 

このため続編というのはたいていつまらないものになるので、正直期待してはいなかった。

しかし、監督が前作と同じ永江二郎、出演も恒松祐里、本田望結と同じキャスティングというので、これはもしかすると、、、、と思って観たら期待を裏切る出来で◎。

 

前作はラストでまさかの恒松祐里、悪い人だった展開。

そして本作では、本田望結が徹底的に人間愛を前面に押し出すキャラで、きさらき駅に取り残された恒松祐里を身を挺して助けに行く、という感動のストーリー(ラスト手前までは)。

だが、単純なMATTのような人間はコロッと騙されてしまうのだ。

前作で恒松祐里に騙されたことから、なーんにも学んでいない。。。

人間愛がどれほどの真実を持っているのだろうか。本作の主人公たちは、潔いくらい人間の包み隠せない本性をさらけ出す。

それがこのシリーズの本質なのだろう。

 

前作で見たことあるシーンの繰り返しも、ラスボスのような敵とのファミコンのような戦いも、この作品にとっては刺身のツマだ。

本当の面白さは、きさらぎ駅は人の悪意を具現化する世界であるというところ。

それは誰の心の中にも潜む悪意。

誰でもいつかはきさらぎ駅に行くことができるのかもしれない。

 

今回も前作から引き続き、佐藤江梨子、瀧七海らが出演。

新キャラで奥菜恵が出ている。

 

最近のジャパニーズホラーは本当につまらない作品が多いのだが、このシリーズは正統派ホラーではなくとも、心がぞわっとする嫌な感じを残してくれるという意味で、しっかりとホラーであると思う。

 

2022年2月にブログにupし、その後10月にもリブログでup。

そして、3年後の今回更にリブログするという、リブログのドロステ効果みたいになってしまった。。。

 

約1時間の尺がある第1話を除いて30分そこそこの作品なので、在宅のお昼休みに観るにはちょうどよい。好きで何度も観ている1話以外の7つのお話を、もう一度見返してみた。

何度も観ると、それなりに発見もある。

 

各話のオープニングは有村架純のマネジャー役の野間口徹と、TVプロデューサー役の黒田大輔のゆる~いやり取りが絶妙。たった数分のシーンで、二人とも持ち味をいかんなく発揮している。

 

第2話「女ともだち」は、ペヤンヌマキの脚本のキレがいい。今泉力哉監督とのタッグで、伊藤沙莉と有村架純の二人の女の友情が活き活きと描かれている。二人が本当の友人のように見えてしまうのは、監督・脚本・役者の三拍子揃ったらこうなるという良い例かも。若葉竜也の出過ぎないのに、しっかりクソ男らしさを見せる演技も〇。

 

第3話「人間ドック」は、前回ブログでは是枝監督のエロスが爆発と書いたが、腹部エコーのシーンで、有村架純が関西弁で話しかけると、笠松蒋が最初は標準語だったのに、少しずつ関西弁になっていくやり取りが、すごく良いと気づく。

かつて恋人同士だったのか、お互いに付き合うまではいかないが好き同士だったのかわからないが、密室でゆるやかにお互いの距離を詰めていく様がエロティック。

わかりやすい腹エコーのシーンに騙された。。。

クリニックの婦長役で松岡依都美が出ていたことにも気づく。

 

第4話「死ぬほど寝てやろう」は、柳楽優弥と有村架純のカップルが意外にハマっていて新鮮な発見に。この話の有村架純の女子っぷりがとても可愛くて良い。

夢の中の夢がホラーに転じていく展開もまずまず。古本屋のオヤジは村松利史だったのね。

この4話と8話の監督を担当した山岸良太は、「忘却のサチコ」の 脚本・演出、「tourist ツーリスト 」1話の監督、「時をかけるな、恋人たち」の監督もやっている。いい作品を撮っている。

 

第5話「ふた」は、今回観てちょっと評価が変わった。この話の有村架純はかなりメンヘラなアブナイ女子だ。そんな有村架純はなかなか見られないので貴重。

彼女が夕刻の公園で、ただただひたすら自転車を漕ぐラストシーンはファンタジーであり、印象派のフランス映画のようでもある。監督の横浜聡子は「季節のない街」や「ひとりキャンプで食って寝る」など、面白い作品を撮っている。

 

第6話「好きだから不安」は好きな話だが、渡辺大知と元カノ役の徳永えりは「恋のツキ」でも恋人同士、「ボクたちはみんな大人になれなかった」では、ほんの一瞬カップル役で出演。ともに監督が森義仁ということでセルフオマージュなのだろうか。

この話の有村架純が、もっとも本人像からは遠いかなと個人的に思う。

 

第7話「母になる(仮)」の有村架純が、もっとも表情豊かで魅力的だ。子役の福島星蘭との間に流れる時間が、映画の一シーンのように奥行きがある。脚本もよい。

最後に出てくる父親が岩谷健司だったが、子供の年齢のわりにはちょっと年を取りすぎなように見える。別れた妻とは歳の差婚だった?

 

第8話「バッティングセンターで待ちわびるのは」は、全8話の中で唯一起承転結らしいものが見られるストーリー。だんだんキャラが変わっていく有村架純が面白い。前野健太とのやり取りもしっくりきていて、ラストのほんわかとした雰囲気までバランスが良いストーリー。

 

エンディングの竹内アンナ「RIDE ON WEEKEND」はポップで作品のイメージにぴったり。

オープニングや作品内のBGMも有村架純の持つ、アンニュイな感じにすごくマッチしている。特にオープニングはBGMとしてヘビロテしたいくらいに好きだが、音楽は七尾旅人が担当していたと、今回初めて知る。。。。笑

 

有村架純ファンにとって、何度見ても楽しめるドラマとして永久保存版といえよう。

「地獄の警備員」で29歳の松重豊を見た後に、62歳の松重豊を見ようということで、アマプラにupされたばかりの本作を視聴した。

 

ボン・ジュノに監督を依頼したらスケジュールを理由に断られ、脚本も野木亜希子に頼もうとしたのをキャンセルし、監督・脚本を松重自身が担当したというから、この作品への情熱が見て取れる(脚本は、孤独のグルメシリーズ、めしばな刑事タチバナなどの田口佳宏も参加)。

 

松重豊の情熱がいっぱいに詰まった本作は、ドラマシリーズを長く愛するファンにとっても、初めて見る人にとってもしっかり楽しめる上質なエンタテインメント作品となっている。

 

昔の恋人の娘・千秋(杏)を訪ねてパリに出向くと、千秋の祖父・松尾一郎(塩見三省)から、子供の頃に母親に作ってもらった「いっちゃん汁」をもう一度食べたい、どうやって作るのか調べてほしいと頼まれる。

そして五郎の過酷な食の探訪の旅が始まる。

 

ここから中盤まではコメディタッチのロードムービーとして、孤独のグルメの世界観、お約束は外さず(この辺りは松重豊本人が監督・脚本を担当したおかげか)進み、ファンとしても納得の面白さである。

遭難してたどり着いた謎の島の謎の施設に暮らす志穂(内田有紀)との出会いは、このあとの物語の伏線となる。この島で五郎はヒントとなる食材の入手に成功する。

その後の韓国でのイミグレ審査官とのやり取りなどは、本当に面白い。

韓国のイミグレ審査官役のユ・ジェミョン。

ユの演じた人のいいオジサンを見て、こういうオジサンいるよな、、と韓国時代を思い出した。

ファンテ(スケトウダラ)のへジャンクも懐かしい。

 

そして「いっちゃん汁」の材料の可能性がある食材を携えて東京に戻った五郎が行った先は、志穂から頼まれた、別れた夫(オダギリジョー)が経営するラーメン店「さんせりて」だった。

そこで知り合った「さんせりて」のラーメンのファンだという中川(磯村勇斗)と共に、集めた食材を使ってラーメンのスープを作ってほしいと懇願する。

このやり取りが、最終的には志穂の夢を叶えることとなり、また一郎の求めた「いっちゃん汁」を再現することになる。

 

松重豊監督のセンスが光るのは、ここで2つの見どころを作ったことだ。

一つは、中川が実はTVプロデューサーで、「さんせりて」を劇中劇ともいえる「孤高のグルメ」に出演させるというエピソード。

「善福寺六郎」というキャラを、遠藤憲一が演じており、思わずクスっときてしまう。

(遠藤憲一と松重豊といえば、2008年の「不毛地帯」での共演を思い出す)

 

それからもう一つは、最後まで五郎さんはさんせりて店主に、遠い島で暮らす奥さんのことは話さないこと。余韻を残したハードボイルドさが井之頭五郎の真骨頂であることを一番知っているのは、松重さん本人だからだろう。潔すぎて感動すら覚える。

 

みんなが思っていた、「孤独のグルメ」って映画にできるの?という疑問は、松重豊はじめスタッフの作品を愛する情熱で、見事に嬉しい方に裏切ってくれた。

このドラマの奥深さを思い知らされた一品で、お勧めの作品だ。

黒沢清の初期の作品がアマプラでupされていたので、早速観てみた。

 

公開された1992年といえばバブル崩壊後。

予算の無い中、30代そこそこの若い黒沢清がどんな苦労でこの映画を作ったかは、神の身ならぬMATTにはわかりようもないが、この頃から黒沢映画の幹はできていたのだな、ということは理解できた。

 

ストーリーがあるかと聞かれると、う~ん、、、、。

物語性よりもただただ恐怖を描いたと言えばそうだ。

でも黒沢映画の醍醐味である、ヒタヒタと忍び寄ってくる得体の知れぬ恐怖は、しっかりと感じることができた。

 

その恐怖が何かというと、過去に殺人を犯したが精神鑑定結果無罪になり、警備員となって主人公の会社に配属される富士丸という元力士。

この富士丸を、若き日のゴローさん松重豊が演じている。ゴローさん松重豊は、ただただ低い声でぼそぼそ呟き、ただただこん棒持って人を叩き殺すだけなので、演技というものでもなさそう。

全体的にこの作品、低予算のためかやたらとセリフが聞き取りづらい。

日本映画全般がそうであるように、セリフを聞こうと音量上げたら「ばばば~~~ん!!!」と、効果音が鳴り響き、びっくり。

なんとかしてほしい。

 

若き日のゴローさん松重豊。

「腹が、減った・・・」とは言いません。

 

主演の成島秋子に久野真紀子。この女優さん、その後あまり売れなかったようで名前を聞かない。

美人かというと、角度によってはそう見える不思議なお顔で、どちらかというと同僚の女性を演じた由良宣子という女優さんの方が美人だ。

そもそもこの作品でもホラーのヒロインなのに、犯人の富士丸(ゴローさん松重豊)から狙われる割には全然活躍しないし、最後は当時のトレンディドラマといえばこの人、長谷川ショパンこと長谷川初範が勇猛果敢に?富士丸と闘って勝利するのだ。

 

海外では1979年に「エイリアン」でシガニー・ウィーバーがエイリアンと最後まで死闘を繰り広げる宇宙飛行士を演じ、女性が活躍する未來を大胆に描いたのとはエライ違い。

作品中でも成島さんは、大杉漣演じる上司からセクハラ、パワハラ受けまくりだがじっと耐え忍ぶ。

令和の今なら大杉漣さんは、あっという間に離島送りだ。

昔の大杉漣は、こんな怪しい役が多い。2006年の園子温監督の「エクステ」での怪演が記憶に残る。

 

97分の作品だがラスト30分以外は、黒沢清ファンでなければ辛い時間だろう。

暗い絵にボソボソしゃべる人たちしか出てこないからだ。富士丸もあまり動かない。

ラスト30分は怒涛の展開になるので、まあまあ楽しめるか。

でも結局富士丸が何者だったのかよくわからないまま自殺してしまい、そのまま終わりというトンデモな展開。

まあ、でもよいのです。そういう映画なのだと思って観る作品なのです。

 

成島の職場は絵画を買い付ける仕事をしているので、バブルの頃に流行った海外の有名画家の作品などが出てくる。

途中、富士丸が人を殺すシーンで壁にかかってあったリトグラフは、フランシスコ・デ・ゴヤの「わが子を食らうサトゥルヌス」。

有名な絵画だが、黒沢清らしい演出で実に効果的な使われ方だった。

黒い影を多用した映像も、この5年後に撮られた名作「CURE」にもつながってくるもので、黒沢ファンとしては興味深い。

 

ゴローさん松重豊はじめ、役者さんも当たり前だが皆若い。

諏訪太郎、内藤剛(すぐ殺される)、洞口依子、緒方幹太(緒形拳の息子)らが脇を固める。

 

これは正直、黒沢清ファン以外は観てもちっとも面白くないだろうと思う。

そういう意味ではカルト的作品ともいえるだろう。