まだ福知山にいたころ、宇都宮に帰って来ては当時BSフジで再放送していた「北の国から」シリーズの録画を見るのが楽しみだった。
リアタイではまったく興味がなかったのに、50近くになって初めてちゃんと見て、心にしっかりと刺さった。それまではとんねるずのコントでしか見たことなかったのに、、、笑
ただ、ドラマ版の途中から見てしまったため、なぜ黒板親子が北海道に移住したのか、周囲の人たちとの関係性は?など、理解が半端なままだった。
この夏、フジTVは一連の不祥事で放映コンテンツが尽きたからか、ドラマ版の再放送が実現した。
TVドラマ史に残る名作ゆえ、書き始めるときりがない。
色々なメディアでも語り尽くされている。今更それ以上のことを書いても仕方ない。
倉本聰とスタッフ、出演者の後世に残るほどのメッセージ性の強いドラマを作ろうという熱い意思があふれんばかりの作品だった。
倉本聰は当初、純(吉岡秀隆)の成長期をイメージして脚本を書いたのだが、途中から蛍(中嶋朋子)の成長期になってしまったと語っていた。
その視点でもう一度見ると、なるほどと。
倉本さん曰く「北海道の女は強い」。
今の時代、ドラマ描写では考えられないくらい、蛍は過酷な少女時代を生きている。
大人の論理や身勝手に蹂躙、翻弄される姿は、今なら虐待と言われかねないものだ。
だが、蛍はそんな幼少期を過ごしても強く、たくましく生きていく。
それは、ドラマシリーズで出て来た数々のヒロインたちにも当てはまる。
先見の明ともいえる痛烈な物質社会への批判は、このドラマの一つの軸でもあるけれど、「北の国から」が後にも先にもない名作といえるのは、その躊躇ない人間描写と人間愛なのだと思う。
純は親の都合で辺鄙な田舎に連れてこられた悲劇の主人公のはずだが、決してその逆境に耐える美しい心の持ち主などではない。
偏狭で、自己チューで、THE子供という存在だ。
父親の黒板五郎(田中邦衛)も然り。
当初、高倉健がキャストされる予定だったというこの冴えない男は、かっこ悪くて卑屈で根っから考え方が貧乏くさい。
けれど、そのありのままの姿が視聴者の共感を呼ぶ。
抗うことのできない大自然の脅威の前に生きる人たちの姿に、付け焼刃のようなドラマチックな人間性は不要だ。そこにあるのはただ必死に生きようとしている一人の人間の姿のみ。
彼ら黒板家とともに、大自然で生きる生の人間を体現しているキャストでは、北村清吉役の大滝秀治と、笠松杵次役の大友柳太朗の二人のベテラン俳優の存在も大きい。
この二人の名優の存在は、その後のシリーズやドラマのテーマにも大きな影響を与えている。
バブル期~バブル崩壊後の日本への強烈なアンチテーゼだったり、一つの家族の成長を長期間にわたって追いかけたりと、このドラマの独自の世界観に評価が集まるが、このドラマの本当に素晴らしいところは、ただただ普通の人々が必死に生きているだけの世界を、これほど嫌みなく魅力的に、しかも長期にわたり描き切ったことにあると思う。
どこまでも人間臭く、愛すべき人たちの生きる姿を演じた役者たちと、それを支えたスタッフ。
そして情熱をもって制作に取り組んだ作り手たち。
もう二度とこんなドラマは生まれないだろう。
それこそ国宝にしてもいいくらい、とドラマ好きとして思ってしまう。
最近時、外国人投資家が富良野に注目して投資し、どんどん新しい宿泊施設が完成し、街が様変わりしていると聞いた。
確実に時は流れている。