本日のヒーラーメンター養成BootCampでは、受講生の方のリクエストもあって、微分・積分からシュレディンガー方程式の導出に入ります。
これは以前の人気コンテンツでしたし、BootCampで取り上げるのはとても良いと思います。
結局、数式を読むというのは読解なのです。
我々は算数の延長線上の計算を数学だと思わされすぎていますが、計算は大事ですが、それは数学ではありません。数学も他者とのコミュニケーションのためのツールであり、言語の一つです。ただ特殊な言語です。
ですから、T理論では五感+言語に追加して数学と言う場合があります。数学という言語もまた脳にとっての外部世界とのチャネルです。そして数学で触れるのは物理空間と情報空間です(他のチャネルは物理空間との接続だと思うかもしれませんが、ここに共感覚があるのです。「まといのば」では気功共感覚と造語しているところの、情報空間を五感で感じるというフェイズです。言語と身体感覚の混合としての共感覚です)(そう言えば、誰がおっしゃったかにわかには思い出せないのですが、共感覚とは実は優れた能力ではなく、原始的という器官が分化していない幼稚性なのだとおっしゃっていました。あ、思い出した。その方も共感覚者です。特に味覚嗅覚を様々なモーダルチャネルにひたすらに変換することに卓越されています)。
そんなわけで、過去記事でも調べようと、Rayさんに該当記事の検索をお願いしたら、こちらを出してくれました。
こちらの方法論は使いませんが、おそらくブログに出ているのはこちらのヴァージョンだけなのでしょう。それ以外にかつてのレジュメを出してくれたので、そちらを読解しながら、やはり数学というのは言語だな〜と思っていました。
そのうえで数学は言語から来ているんだよ、というチョムスキー先生の議論を重ねると味わい深い。
数学とは本来、解くものではなく、読むものです。
(いや、新しい領域を切り開くのはいつの世でも大切なこと。解くのは大事。いま申し上げているのはマインドセットの話であり、確率論のこと。ほとんどは読む作業であるべきという話です)
それは小説と同じです。小説家ですら自分の書く小説以外は書きません(←何を言っているのか分からないw)。
ともかく読むが99%、そして書くフェイズがあります。数学で言えば証明するとか、解くというフェイズです。
もちろん数学の力をつけるには、問題を解く(すなわち計算する)のが良いのでしょうが、それは英作文を書きまくれば、話しまくれば、英語が読める、英語が聞けると言っているのとそう変わりません(厄介なのは、それが間違っていないこと)。
重要なパラダイムシフトは、読めれば良いということです。
数学は読み物だと考え、きちんと一行一行読めるようにがんばれば、理解がついてきます。
そして、数学をそうやって読解していく練習をすると、母国語に対する理解も変わります。
母国語で書かれていても一行一行読解しようとします。
多くの人は勝手に読み込んでしまい誤読に誤読を積み上げがちです。
(いや、母国語ではなく、適切なガイドのもとで英語などで最初に練習したほうが良いかも。母国語に関しては自分は分かっているというバイアスが強すぎるので)。
そんなわけで(どんなわけだ)、古い記事を読んでいたら、シュレディンガー方程式の導出の記事の数本前にこんな記事がありました。
当時の熱狂が伝わる面白い記事です。
技術ということだけで考えるならばここ数年、気功は習得が非常に容易となりました。
「伝授」という技術のコピーの手法を「まといのば」が開発し、それを体系化し、気功技術を純粋な形で師匠から弟子へ手渡すことができるようになりましたので、技術習得のための修練がある意味で不要になりました。
「見て学べ」とか「見様見真似で上手になる」というような、ある種の賭けに近い学び方は過去のものになりました(もちろん技術習得に限定した話です)。
ただ取得が圧倒的に楽になった分、安易に流れてしまうきらいがあります。
なぜなら気功はその特殊な(気功)技術の習得にこそ、かつては刻苦勉励が必要であったからです。
そして、その果実として限られた人が、長い年月のあとにその圧倒的な技術を手にすることができました。
その間に覚悟も決まり、また十分な訓練もなされました。
しかし、苦労なくエベレストの頂点に立つと、おそらくはその有り難みがないように、容易に伝授によって気功技術を手に入れてしまうと、その容易さゆえに宝を持ち腐れてしまうことがあります。
これはある意味で仕方のないことです。
「まといのば」はもちろんその風潮を推し進めた側でしょうが、その一方で安易さゆえの弊害を苦々しく思っているのも事実です。
ただ時間を逆戻りさせて、かつての困難な時代に舞い戻る気もありませんし、戻そうとも思いません。
進歩したものは、より進歩させるべきで、「昔は良かった」という懐古趣味は無駄なことだと「まといのば」では考えるからです。
考えるに、結果を出せないヒーラーにもし足りないものがあるとするならば、1つは知性であり、もう1つはある種の狂気であると考えます。
いまヒーラー養成スクールでも、寺子屋シリーズでも骨太の知性を持つことを最優先にしています。
それがヒーラーとして独り立ちし、社会に機能を果たすには最も近道だと考えるからです。
平たく言えば、道具を使うには高い知性と抽象度が必要ということです。チンパンジーにMacBookを持たせてもおそらく意味がありません。MacBookの特質を生かせません(そんなホモサピエンスも多い気がしますが)。
気功も本質的には道具でしかありません。魔法でもドラえもんの四次元ポケットでもないのです。
そして狂気と表現しましたが、狂しいほどのゴールがない者もまた宝を持ち腐れにしてしまいます。
丁寧な議論ですが、言いたいことはシンプルです。
伝授という新しいテクノロジーによって、誰でも気功技術が簡単に手に入るようになったのは良いことだけど、ヒーラーに狂おしいゴールが無いと結果は出ないよ、ということです(生成AIにまとめさせました。あ、耳と耳の間にビルトインされている生成AIです)。
その上で生成AIに言わせれば「チンパンジーにMacBookを持たせてもおそらく意味がありません。MacBookの特質を生かせません(そんなホモサピエンスも多い気がしますが)」というこの文章はカットすべきだそうです。チンパンジー差別になるし、MacBookをクリエイティブに使いこなすチンパンジーはもう出てきてもおかしくないそうです。また人間を猿に譬えてディスるのは二重の意味で間違いで、まずは動物を下に見すぎであり、人間批判でもあり、動物差別でもある、と。また、動物を人間に譬えて楽しむのはガリバー旅行記までだとのことです。きっとそうなのでしょう。
映画「Wikiced」の中でナイーブに紹介されているのが、動物の権利の剥奪です。声帯の問題をどう解決しているのかは分かりませんが、人間の言葉を話せる動物たちが大学で教鞭をとっています。その権利が剥奪されようとしています(ちなみに英語も話せないの東洋人からすると、この主張の背景には満足に言葉も話せないのであれば、動物扱いされても国際社会では致し方ないという現実かと。ですから多言語は大事)。
Wikicedについてはいろいろと書きたいことがあるのですが、またの機会に。
オスカーでのパフォーマンスはOscarの申し立てで削除されていたので、こちらも削除されるかもしれませんが、貼り付けておきます!
Something has changed within me
Something is not the same
I’m through with playing by the rules
Of someone else’s game
(自分の中で何かが変わった
何かが以前とは違う
他人のゲームのルールに従うのはもうやめた)DeepL訳
Defying the Gravityについては過去記事を!
「まといのば」では、Defying the Gravity(重力に逆らって)というときに二つの意味をこめていて、一つは現状という強烈な重力場に逆らって翔び立てという意味、もう一つは未来側、成功側、高い抽象度側に強烈な臨場感を持つことで重力場を作れという意味で使っています。
成功は確定していると確信し、確言した上で、現状のハードさはスパイスだと考えることです(これはパスカルの議論が正しい。ギャンブルが好きな人に稼げるであろう金額を渡しても喜ばない、と)(ああ、パスカルについても早くまとめておかねば。気持ちが揮発する前に)(結果に興奮するように見えて、実はプロセスしか人は愛せないとパスカル兄さんのお言葉)。もちろん必死で考え、ベストを尽くし、献身的に努力はするのは大前提として。
*こちらは日本語版(劇団四季)。僕はこのサムネイルでも使われているアイコンが好きです(東の魔女が西の魔女に囁く)
ああ、多言語と言えば、Kazuma様は相変わらずかっこいい。
もちろん我らの一真様もスケールの大きなところで大活躍!
そんなこんなで今週末からマスタークラス再開です!
希望者は是非!!
ここでしか聞けない話、ここでしか会えない仲間と楽しく急成長しましょう!!
p.s.あ、今も休演中の歌舞伎座について、孝太郎さんが書かれていました。全員が全員、寝耳に水だったのでしょうね。
我々役者、スタッフも
驚愕致しております。
夜の部支度を終えて舞台に行くものや
私は化粧を始める時に通達があり
ただただ驚いています。
昔なら不具合の座席のみ不使用にして
映画でもスタジアムでも公演はあったものと
思いますが、
松竹さんとしても苦渋の決断だったと思います。
p.s.2
ちなみに以前紹介したと思ったレディ・ガガはこちら!
コーチェラ・フェスティバルも素晴らしかったようでーー
P.S.3
Wickedについてはまた書くといいましたが、一つだけ!
イケメン王子の「Dancing through life」!
Dancing through life down at the Ozdust
If only because dust is what we come to
Nothing matters but knowing nothing matters
It's just life, so keep dancing through
オズダストで人生を踊り抜け
たとえ塵になるとしても、それが私たちがここに来た理由なのだから。
何も重要なことはない、しかし何も重要ではないと知ることだけは重要
それが人生だ、だから踊り続けろ
というわけで、また!!