あー忙しい忙しすぎる

何に忙しいって子どもの相手をすることが

とにかく子どもに振り回されて一日が怒涛のように過ぎる



次々と投げかけられる理不尽な要求

止むことのない語りかけ(二人同時)

ワガママ、癇癪、パニック

かまえば捕まって逃げられなくなり

用事が山積み



夕方は常に家のなかで走り回ってる








散歩、遊び、療育、学習、しつけ、家事、

それだけのことなのに

一日が24時間で足りない(´д`|||)







おまけに旦那のブラック企業に休みがなさすぎて

月に二回ほどの丸1日の休日は

子どものお出かけで互いにヘトヘトになり

交代して子どもを見つつそれぞれが休むということができないせいで

夫婦ともに疲れがピークに



今年は大人のみ、インフルにかかりましたよ(T_T)





で、

4月からとうとう転職することに。



これで休日ちょっとはリフレッシュできるかも!






あー


ブログに書きたいことめっちゃあるのにー。







久しぶりになってしまったー!




ここ一年色々ありまして…

とりあえず、昨年はよく動いた年でした。





頭のなかは忙しいけど身体はあんまり動いてない、というのが私のスタイルだったはずなのに

最近は 頭のなかより身体が先に動いてる。



というか毎日がバタバタしすぎて考えたり悩んだりする暇があまりなく、それなりのことが起こっても深く悩むに至らない。



つまり、それは良いこと!




とにかく突っ走った一年であり、

今年も突っ走り続ける予定であるということ。





今年もよろしくお願いします。




子育てに翻弄される日々に

ふと本来の自分を取り戻したくて




電子ピアノを買った。





娘が生まれたこと、そして息子がピアノに興味を示したのもあり、本格的に購入する流れになって。







子どもを寝かしつけたあと

ひっそりとヘッドホンでピアノを弾く。




ずっとずっと憧れていた時間。






のはずだったけど。





あまりに長い年月 弾いてなかったので

指が鈍っていたのはもちろん




ピアノへの情熱も薄れていることを知る。




情熱というか、興味?執着?




うまく説明できないけど

落ち着いた感じ。





昔、ピアノを弾いてるときの私は

時間を忘れて無心で弾いていた。





この曲が弾きたい

早く弾けるようになりたい


燃えるような気持ちに急き立てられて 楽譜を睨みながら鍵盤を叩き

耳から覚えた音を指に馴染ませるために何度も何度も繰り返し弾く。




とにかく弾いて弾いて、



だんだんと感情をのせて

強弱や緩急をつけていき



最終的には

自分の音に陶酔する。





この感覚がもうね。



ピアノやってる人ならわかると思う。




クーラーの故障した部屋で、汗だくになりながら 何時間もぶっとおしで 弾いていたくらい

ピアノに夢中だった。





ピアノを弾けばなんか違う世界にいけるってくらい、異次元に近い快感があった。






その感覚が、今はもうない。



そのことに対して寂しさがあまりなくて

逆にそれがちょっと衝撃。






自分の時間がほしい。



でも、もう何かに夢中になって 自分のためだけに使うような時間は無い。


自分の人生の半分は結婚して旦那に

残りの半分は子どもたちに


すべて捧げてしまった。





そう覚悟して、自分の時間を諦めているからこそ

何かに夢中になることの象徴であるピアノに心が歩み寄れないのかな、とか。



いろいろ考えたけど

これはもう答えが出ない。






でも、楽譜がなくても覚えてる曲をいくつか弾いていると やっぱり気持ちいい。





そして

曲とともに いろんな思い出がよみがえる。





なかでも私が執着した曲。

ベートーベンの「月光 第三楽章」



汗だくになりながら弾いていたのはこの曲。




久しぶりに弾いて、まったく指がついていかないし 楽譜もないし途中から覚えてなくて惨敗だったけど

そんなに悔しい気持ちもなく。




青春を捧げた一曲やったなあ~

という懐かしさだけが爽やかに残り。






それよりも


久しぶりに弾いて なぜか今の私の心にグッと刺さってきたのは


「卒業写真」。





中学の時のこと。


合唱部に所属していた私は、一年の頃こそ熱心に練習に通い、地区大会に向けて夏休みも毎日部活に力を入れ 部員の皆と充実した日々を送っていた。


ところが二年の後半になり、同じ部員であり塾仲間である友達と個人的につるむのが楽しくなり 部活をサボりがちになって。


相変わらず熱心な部員も多かったので、だんだん部活に行きづらくなり このままフェードアウトになるかもな… と迷いながら幽霊部員をしていた。



そんな三学期のある日、三年の先輩の卒業に向けて お別れ会があり。


後輩たちは 自由にグループをつくって自分たちで選曲、合唱することになっていて。




さすがに出ないわけにいかなくて。


でも幽霊部員のくせに誰とグループ組むのって話で。



合唱なので、基本的に 数名~十数名が ソプラノ、アルトに分かれてプラス ピアノ伴奏が入るスタイルであるべき。





共に幽霊部員になっていた塾仲間と一緒にかなり悩んだ末

「二人でやろう、てか二人でやるしかないよね」



ってことになり。




塾仲間はピアノ未経験なので必然的に私が伴奏担当となり。


じゃあ歌うの私一人!?無理!!

と塾仲間があたふたしているので、ちょっとでも合唱に近づけるために 私は下ハモを歌うことになり。


歌いながら弾くというのはなかなか難しいもので、伴奏、下ハモともに難易度が低くて単純な曲がいい 、そして卒業をイメージした曲でなければならない

という条件で思いついたのが この 「卒業写真」。





とにかく練習した。

毎日、塾がない日も集まって練習した。






そして当日。



自分たちの出番まで、人前で演奏する緊張とはまた違う緊張感に包まれていた私たち。



7~8人グループが主流で、ピアノも合唱も難易度 レベルが高く、合唱スタイルに適した選曲が続くなか



私たちは二人でノコノコと舞台に上がる。




えっ、二人で何やるの?


という声が聞こえてきそうな空気のなか、始めるしかないのでとにかく前奏を弾きはじめる。



歌い出し~サビまではハモれる要素があまりないので塾仲間の 一人オンステージとなる。



若干声が震えている。

そりゃそうやわな。





サビに入り、下ハモで入る。




するとなんだか


あれ?気持ちいい。





私、弾き語りしてるよ!



なんというか、観客がいてこその初めての感覚。

アーティストにでもなったかのような高揚感があって、緊張なんか吹き飛んだ。




自然と歌に感情がこもり 伴奏も盛り上がりを見せたくて力強くなると、塾仲間の声も安定してよく響くようになる。




自分たちがサボってこうなったにも関わらず、中途半端な存在が今日のお別れ会に参加することすら後ろめたいはずなのに

なぜか楽しくて。





演奏が終わってから、友達と先輩に「良かったよ」 「なんか感動した」 って声をかけられて、ちょっと泣けた。





この日の謎の感動が なんだったのか、今思えば。



青春。

それに尽きる。




自分の弱さや過ち、何かをゼロから考える苦労、練習に打ち込む日々、成功の達成感。

それが誰かの心に響いたこと。




……書いてて恥ずかしくなってきた(笑)


でも書きたいので続ける。






そして自分はやっぱり音楽が好きだという再認識。



クラシックピアノの練習曲はあんまり好きじゃなくて真面目に練習しなかったし、楽譜読むのは超絶遅いし、習っていた年数に反してレベルは低かったけど


好きな曲を弾いてたり、ハモったり、伴奏アレンジしたり、自分の好きなように奏でるのが至福のとき。





これは今の私にも通ずるところがある。




料理もそう。

基本のだしの取り方をちゃんと習得しないまま調味料をひたすら組み合わせて好きな味に近づけたり、レシピを必ず自分流にアレンジしたり、アレンジしすぎてもはや創作料理になっていたり

最終的に自己流になってしまう。



しっかりした基本がないの経験や情報や勘でなんとかしようとし、大きな過ちやリスクだけは回避する要領型で、なんとなく形にはなってはいるものの世間的に成功とは言えないけど、その結果に自分は妙に満足している。


これはもう直らない私の生き方なんだろうなと思う。





そう、だから別に自己流に楽しむのはピアノじゃなくてもいい。

あの頃はそれがピアノだっただけで。





今の私には、ピアノよりも楽しいのが

自分の思うことに文章にすること。





ブログを書いてるとき、夢中になって夜更かししてしまう。


バタバタしていてなかなか更新できないけど、たまに書きはじめると止まらない。




話すときって 勢いやノリや相手の反応で言いたい内容がどっか言ってしまうことがあったり伝えきれなかったりすることが

書くときは、じっくりと言葉を選び 納得のいく表現に書き変えることが何度でもできるので、確実に伝えられた達成感がある。




伝えてどうなるか、相手が何を思うかよりも、自分が書きたいから書くという自己満足の究極であるこのブログ。

誰が得をする情報もなく、ただ自己満足のために続けてきた長文ブログ。




かれこれもう10年続いている。


これは私のピアノ歴に匹敵していることに気づいてかなり驚いた。






とにかくこれからも何らかの形で自己表現をしていくつもりな私。



そうやって、日々の生活やストレスやあれこれを乗りきっていこうと思う。


GW前の体調不良から始まった、


抱っこ地獄。





その頃から息子は夜になるとおばけが怖いと言うようになり。


たぶん怖い夢をみたのがきっかけと思われる。


それと、入園前にまた 焦りと育児に行き詰まってる時期があって、言うこと聞かない息子に「○○しないとおばけが来るよ」と脅しを使っていたことがあって。


かの有名な、せなけいこさん作の「ねないこだれだ」 を図書館で借りてから しばらく息子がハマって何度も読んでとせがまれたので、毎日読んでいた。

そのときは特に本気では怖がりもせず 「おばけさん」と親しみをもって面白がっていて。

私が怖い声で本格的な演出をして読むとなんとなくビビって早く寝るようになった。



そのおかげで9時までに必ず寝ることを覚え、ベストセラー絵本の威力に感動すら覚えたり。



私の演出によって おばけさんはベランダから来て、悪いことをしたらおばけさんに怒られる

ということをなんとなく刷り込まれていったのかもしれない。




ただ 怖い夢を見たその日から息子の怖がり方が急に変わった。



ある夜、急に飛び起きて私に抱きつき、怖い怖いと叫んで繰り返す息子。

呼吸も早く異常な感じがして さすがに私も怖くなり、息子がまた寝ついたあとにネット検索。


すると、入園直後など環境の変化がきっかけでよくある夜驚症かも、という結論に至った。





ただ、息子の場合 夜中だけでなく 起きてるときも連日にわたって怖がっていたので違うなとも思って。



それから毎日毎日、夜になるとおばけが怖いと言い出すように。


夕方暗くなると言い始め 、怖い怖いと頻繁に抱っこをせがむ。

ご飯やお風呂のときも不安げな顔をしてたり、ひどい時は食欲も無くなったのか ご飯中も「こわい」と中断して 抱っこのまま寝てしまったり。




朝になると何事もなく元気な息子に戻り、なにも怖がることはないから不思議。



なんで怖いのか?怖い夢をみたのか?
おばけの何が怖いのか?どんなおばけなのか?
おばけというより夜が暗いから怖いのか?

というようなことを聞いてもうまく答えられないのでこちらも言葉でのなぐさめの対応ができなくて、ただ抱っこ。


とにかく夕方から寝るまで抱っこ抱っこ。



そのうち、朝になりおばけが怖くない時間帯でも気に入らないことがあると泣きわめき抱っこをせがむ癖がついてしまう。

おまけに体調不良で常にグズっている。



そんな日がつづき、私があまりに息子ばかり抱っこしてるので 娘が対抗心を起こし、意味なく泣いて抱っこをせがんでくる。



抱っこー!抱っこー!

ギャー!


ギャー!ギャオォー!

抱っこー!抱っこぉぉ!!






皿の一枚も洗えない…



二人がしがみついてきて動けず、一瞬の隙をついてトイレ行ったり 家事をこなしたりするも家のなかは 私が離れることにより二人の絶叫が常にこだましている。


こんな状況は本来なら娘がうまれた直後に起こるべきやのに、四歳間近と二歳間近でなんでこんなことになってるの??




自分の子どもにこんなこと言ったらあかんけど、倒しても倒しても這い上がってくるゾンビのように見えてくる。


まさに地獄絵図(´д`|||)





そしてダメ押しのように

連休明けから 噂の登園拒否が始まった。




「ようちえんいかへん」



泣き面に蜂。もういい加減にして。


ギャーギャーわめくばかりの息子と一緒にいるのが限界で、連休が明けるのを心待ちにしてたのに。

一時間でもいいから誰かに預かってほしい、息子と離れたい、じゃないと私が発狂してしまう!!
みたいな気持ちでいっぱいで。


息子がなぜ登園したくないのかとか どうしたらいいのかとか考える以前に、とにかくバスになんとしても乗せなければ!!

と焦るあまり、グズる息子を「早くして!!」とただただ叱り まだグズって支度が進まない息子に「ママ行くね!置いてくよ!」と下の子をおんぶで玄関を先に出たら泣きながらついてきた。

そのまましばらく走り、追いかけてくる息子を途中から抱き抱えてバス停になんとか辿り着き、無事に見送った。




明日からどうなるの…

こんな日がいつまで続くの?




絶望。







そして、あまりの悲惨さに 自分の育児を真剣に考えるきっかけとなった。




それからは、おばけの脅しが子どもに与える影響とか登園拒否の対策について夜な夜な調べた。




結論、私が悪かった。



お利口にしてないとおばけが来るから、したいことを我慢しなければならない。

恐怖をちらつかせて抑制を促す、自分の思い通りに動かす、なにより子どもが言うこと聞くのが楽だし、昔からの慣習でもあった一つのしつけとしてちょっとなら大丈夫と思ってしてしまったこの方法

つまりそれは子どもにとって脅迫行為であったかもしれない。



そして始めての集団生活。

楽しいなかにも自分を抑えて周りに合わせるストレスや母親がそばにいない不安もある。

なにより今までの倍ほどに外遊びで体を動かしているから疲労がたまっているのに睡眠時間は変わらず、元気に見えていても小さい身体には限界だったのかも。



私の刷り込みによって おばけはなんか怖い存在だと思わされていたところに、入園後のストレスや疲労と体調不良によって不安感が増しているタイミングで おばけが実体化する夢を見てしまったこと。

その恐怖がトラウマになり不安が持続してしまっている状態なのかなと思った。




そして連休明けや病み上がりはナーバスになっていて、登園拒否したときはじっくり話に耳を傾けて とにかく叱らず無理強いをせず、愛情を伝えてあげることが重要だった。








とにかく、私がまたまた未熟な育児をしていたことがきっかけでこんなことになっている。

もっと子どもの立場で考えてあげればよかった。




申し訳なくなって、猛省…。




それからはとにかく、息子の目線で育児をすることにした。


おばけが怖いと訴えているのに 「おばけさんはこわくないよ、優しいよ」 などと大人目線で言われても共感がわかず 伝わらない寂しさに不安が増すだけなので、とにかく共感するようにした。


「おばけさん怖いね、ママもちょっと怖いよ。
おともだちもみんな怖いよ。
でもママがいたら大丈夫、ぎゅって抱っこしたら大丈夫、おいで」


これが基本。また言い出したと邪険にせず、しっかり受けとめる。



そして具体的にどうすれば怖いのを解決できるか一緒に考えていく。


「おばけさんはどこにおるの?ベランダかぁ。
じゃあママがベランダ行って、おばけさんやっつけてあげる」


と提案すると、自分も一緒に行く!
とついてくる。



ベランダで、おばけがいないことを確認して部屋に戻る。

「おばけさん、○○くん家に行っちゃったみたい。バスで行ったんやって!」



具体的なお友達の名前を出して交通手段まで提示して、やっと息子は納得する。

でもまた数分後には「おばけさんは?」「こわい」と始まる。



とにかく何度も何度でも、納得するまで優しく付き合う。




朝のグズりにも、とにかく叱らずじっくり向き合うようにした。


いつもより早めに起こして、ぎゅーしたり抱っこする時間の余裕をもつようにした。

それを始めてから数日、息子の方から「ようちえんいく」と言い出した。



帰ってくると毎日元気で楽しかったと報告してくるから 幼稚園自体が嫌とかじゃなさそうで、やっぱりどう考えても ママに甘えたい一心だったとしか。



抱っこでバス停までいく、というので
「よし!じゃあ抱っこで行こっか(*^^*)」と笑顔で応え、それからは抱っこが日課となった。


後ろに娘、前に息子で 正直キツいんやけど、なんか心が満たされてるというか、不思議な感覚で。



人見知りや後追いや母親への執着がほとんど無かった息子。

赤ちゃん返りして初めて見せた姿がいとおしく感じて。ああ私、必要とされてる…と。





そんな日々は約一ヶ月続き…




気づけば最近 息子はおばけが怖いとほとんど言わず、いつのまにか歩いてバス停に行くようになっていた。





素晴らしい変化に嬉し涙を流したいとこやのに。



そうもいかなくて(笑)




怖がりと甘えたを克服した息子は、以前にましてワガママになっており。

気に入らないことがあるとずっとわめいてる。
とにかくうるさい。人の話聞かない。同じことずっと言ってる。会話にならない。



おばけ怖いブームが去りつつあり安心した私は、息子に対して溜め込んでいたマグマが限界点に達し、久しぶりに噴火させた。


こいつ、ちょっと私が優しすぎたからって絶対調子のってるやろ!? ( ゜Д゜) と。



そして朝からワガママな息子を叱りつける私と「ようちえんいかない」と言い出し 抱き抱えられてバスに放り込まれる息子の いつもの光景が戻ってきた今週。



可愛い息子と優しい母親は、幻だった模様(笑)




育児も夫婦生活も、お互いをうつす鏡なんやなと実感してる。

そして私の「喉元過ぎれば熱さは忘れる」は直ることなく 一生こんな感じでやってくんやろな…と思った。





そんなこんなで気づいたらもう一学期が過ぎ、もうすぐ夏休みですやん!!







息子が幼稚園に入園して早、1ヶ月半が過ぎ。

ひたすらにバタバタ。



夜な夜なバタンキューな日々となりましたよ…





入園してすぐはとても順調。


入園式では多動ぎみではあったけど、ゆる~い園やし他の子たちもそんな感じだったので気にならず。



初登園も「ようちえんいくねん!」と意気揚々とバスにのって行ってしまった。



ただ息子よりも私の方が情緒不安定になり(笑)


息子の初バスを見送ったあと 娘と二人きりの静かな部屋で寂しさと心配のあまり号泣。


自分の見てないところで息子がどうしているのか分からないことがこんなに不安だとは思わず、とにかく悪い想像ばかりはたらく。


迎えのときに聞くとバス待ち友のママも二人目でも泣いたとの事で、自分が異常なわけではないと安心(笑)




しばらく数日間はとにかく情緒不安定すぎた私。


息子が幼稚園関連のことでちょっとでもマイナスなことを言ったりそんな表情をしたら居たたまれなくなって、また悪い想像。


言葉が遅いうえ まだ噛み合わないことも多い息子のつたない報告ゆえ、中途半端な情報となり余計に不安をあおるんよね。


「ようちえんでおともだちないてた」

とある日 暗い顔で言うので、なんで泣いてたのかと聞いても「○○(自分)はないてない」と、噛み合わず的確な答えは得られず

なになになに、自分は泣かず友達だけ泣いたと言うことは息子が友達を泣かせたのか!?
てなるよね。


そしてその噛み合わなさとあまりに幼い言葉遣いがまた不安をあおる。


こんなんやから幼稚園でも言葉より先に手が出てしまって友達とトラブルになりまくってるんちゃうん!?( ;∀;)



そう、今までは私がついてたから 子どもたちが遊ぶ場でも必ずフォローできていた。

オモチャの取り合いになったら「貸してって言おうね」「順番待とうね」と 手が出たりする前にフォローしてたし、お友達が何か話しかけてくれても気づかずなのか うまく言葉が出ないからなのかスルーしちゃってることも時々あり、それも私が「おともだちが○○って言ってくれてるよ~」とフォローしつつそのお友達にも私が代わりに答えたり。


子ども同士のことやし放置すればいいものを、やっぱり発達の遅い子なのでトラブルや誤解を避けたい思いからフォローが行き過ぎてしまいがちで。



それが、自分のいないとこで しかも観察できない場所でいきなり集団生活とは心配すぎる(´д`|||)

友達や先生に迷惑かけていないか
自分の思いがうまく伝わらず友達と会話も噛み合わず、いろいろついていけず 母親もおらず 寂しい思いをしてはいないか

オロロロロ…

と、盛大な過保護っぷりに自分でも呆れる始末。





そんな私とは裏腹に、息子は毎日楽しそうに幼稚園に行った。



一週間が過ぎ、毎日お弁当も残さず食べ、特に園からのトラブルの連絡もなく。

だんだん私の心も落ち着いてきた頃に家庭訪問があって。



息子は楽しそうに幼稚園で元気いっぱい過ごしているそうで、水遊びが好きで、よく先生にも話しかけ、物の名前などよく知っているとのこと。



おともだちないてた、の件について詳しく聞いてみると、どうやらクラスメイトの子が突然 ママと離れていることが寂しくなって泣き出してしまい、それに便乗した子が何人か泣き出して クラス中が涙に包まれたらしく。

そしてその異様な光景が印象的だったらしいけど自分は泣かない息子。

さすが昔から淡白(笑)



なるほどね、たしかに友達が泣いた理由を聞かれてもそりゃよく分からんわな、と納得。

先生と話して、ようやくいろんな不安がなくなった私。




そして、ささいな自由が私に訪れた。


息子がいない時間は娘とゆっくり向き合えること、ベビーカーのみでゆっくり買い物ができること、ずっと一緒にいないことで息子が前よりずっといとおしく思えて優しく見守ってやれるようになったこと

物理的に日常のすべての行動に制限があってイライラしてたのが嘘のようになくなった。



「いつ何時も何処でも子どもたちと一緒に居ること」という私の仕事を代わりに一時負担してくれる幼稚園に、お金を払って通わせてもらえていること。

専業主婦として初めて心から旦那に感謝の気持ちが湧いた(笑)





そして産後クライシスは完全に終わる。
旦那にも前のように優しく接することができるようになり。


息子にも、娘にも、旦那にも、そして私自身にも笑顔が増え。




幼稚園サイコー!!ヽ(´▽`)ノ



と結論付けた、その矢先。






突然の体調不良からはじまり、全然サイコーじゃない時期に突入したよ(  ̄▽ ̄)






まずは連休前後に風邪でダウン、幼稚園を6日も休むことになり。


明日から休園と外遊び禁止を医者に言い渡されたあとの病院の帰り
「ようちえんいきたいー!!!こうえんいきたいー!!」とわめき散らし、無理だとなだめると「抱っこー!!」と言って聞かない息子。


ベビーカー押してるから抱っこは物理的に無理だと言い聞かせても「抱っこ!!抱っこぉぉぉ!!」と絶叫しつづけ、仕方なく片手抱っこと休憩を繰り返し、最後は引きずって帰ってきた。



これが抱っこ地獄の幕開けだった(´д`|||)







もう3月。

息子の幼稚園入園が迫ってきている。





ここにきて、いろんな思いが溢れてきたよ~( TДT)




3年8か月の間いつも隣にいた息子。

息子が何をするのもすべて見てきた。



4月からは、私の目の届かないところで何時間も過ごし、私の知らない間にいろんな体験をして、知らない間にコミュニケーションを築き先生や友達だけの世界で 私の知らない新しい顔を見せていく。


ここからすべてがはじまり、小学校ではさらに友達との世界に入り、中学校にもなれば母親を疎ましく思い、さらに異性に目覚め、社会に入り独り立ちし、やがては私のもとを去っていく。



おかあさん、あそぼ
おかあさん、みて!
おかあさん、これー
おかあさん、できた!
おかあさん、おかあさん

起こることすべてを私に伝えようとする息子。


息子にとって母親の私がすべてだった時代は あと1ヶ月で終わるのだなと。





寂しい。無理。





はあ…

ドライな自分がこういう感情になるとは思っていなかった(´д`|||)



息子を溺愛しすぎて独占欲、という感じではなく もはや息子と居ることが職業だった私にとって、いきなり自分の役割を他人に奪われる(しかも引き継ぎなしで)みたいな感覚もあるかも。


そのうち先生の方が「○○くんはこういうところがあります」とか、私より息子のことを知り尽くしていくのかなと思うと……嫉妬まではいかないけど複雑。






もうひとつは、やはり息子が集団生活をやっていけるかという問題。


これに関しては療育でかなり改善してきてるのでずいぶん安心はしてるけどね。



ただ療育は個別だから出来ているけど 集団だとまた事情は違ってくるのかも?と少し不安はあった。

自分にだけ向けられる視線や呼び掛けや指示ではなく、集団に向けられたそれをきちんと拾って その通り動けるかになると、それはまだ難しいのではと。



集団での様子が見られるのは 幼稚園プレ。

二週間に一度だった幼稚園プレ、風邪で二回のお休みやら冬休みがあったりで秋から実はけっこう空いていて久しぶりになっていて。

療育や家での接し方など、その成果がどんなものか 新年明けのプレで少し緊張しながら参加してみたところ…



自由遊び、移動、トイレ、部屋で工作、外遊び、部屋で手遊び&絵本、あいさつ。

なんと、全部 先生の指示どおりに完璧に動いていた。


自由遊びでは おかたづけしようねと言われたら素直に片づけはじめ、移動もスムーズ、トイレも一人ででき、工作の時間には私は離れて見ていたので先生に手伝ってもらいながら作品を無事完成させ、絵本は多少興奮したら立ち上がることもありつつ最後までちゃんと座って聞けた。


最後のあいさつを無事に着席して終えたのはその日が初めてだったので 終わった瞬間


ブラボー!!

とスタオベで拍手喝采したくなったよ。




秋には部屋からの脱走はかなり少なくなっていたものの、椅子をガタガタしたり ウロチョロしたり、とにかく落ち着きがなく、私が注意しまくってフォローしないと 先生の指示が聞けず。

プレでの母子分離が始まっても、先生や他の子に迷惑がかかるのが恐怖で私はずっと近くで見守ってきたけど、その日は はじめて 教室の外から覗き見程度でほとんど先生にお任せできた。



そして2月末に迎えたプレ最終日。

すっかり落ち着いて過ごせるようになった息子を、般若でも能面でもなく 菩薩の表情で見守りながら こっそり感涙 (つД`)


自由遊びを終わりたくなくて おかたづけせずにいつまでも部屋から動かず、移動のついでにどこかに走り去り、連れ戻した部屋から脱走を繰り返し、暴れ、工作では糊やセロテープであそびたいだけで作品は途中放棄、いつも自由遊び部屋で特別に過ごさせてもらっていた あの息子が…

なんという成長ぶり。



泣ける (。´Д⊂)




思えば、すべてはプレから始まった。

発達のことに気づいたのも、経験を積んだのも、親としていろいろ学んだのも、プレやったなと。




そして落ち着きを得たことで、それまでプレではあまり周りを見る余裕がなかったけど 改めて 在園児の生活の様子などをゆっくり見ることができた。


ちょうど廊下にいたとき、ガヤガヤと楽しそうにイベントの餅つきを終えた子どもたちの集団が。

楽しかったことを園長先生に報告している子、プレママたちにも笑顔で手をふってくれる子、ひたすらボーっとしてる子、おもらししたのか先生につれられて気まずそうに走っていく子、いろんな子どもがいてほほえましかった。



ふと目に留まったのは、餅つきイベントから帰ってくる子どもたちの集団から遅れて、先生に抱っこされて廊下を通りすぎた女の子。

プレの先生が楽しかった?と話しかけてもあまり言葉がうまく出ないような様子で恥ずかしげに顔をそむけてて。
勘やけど もしかしたら何かしら遅れがあって先生のフォローが必要なのかな、という印象だった。

そのとき周りにいた先生たちの様子が、なんというか、優しくて明るくて温かい。

先生じゃなく まるでお母さんみたいな。



皆と一緒に行動できなかったりいろいろ遅かったりする子を含め、いろんな個性の子どもたちが園のなかでこんな風に生活してるんやなと、それを垣間見ることができて。

ああ、息子はこの幼稚園できっと楽しくやっていける。と安心して送り出すことが出来そう。


寂しいけど、この幼稚園ならきっと大丈夫。
おかあさんの代わりに先生が助けてくれる。

本当に安心した(*^^*)



…でもなんか泣けてくる(´;ω;`)





あとは入園までに 同世代のお友達とのコミュニケーション力をつけてほしいなと思っていて。


最近は 児童館も3歳児のお友達(女の子多め)が集まりやすい日に合わせて行くようにしている。


男の子同士は言葉なしに意気投合して走り回るか 部屋で好きなオモチャで各自遊ぶ感じのどっちかが多く、それはそれで良いんやけど。

コミュニケーション力に長けた女の子と遊ばせると その会話力に刺激を受けられる。
「一緒に遊ぼ」的な誘いも言葉でくれるし、自分の世界で遊びがちな男の子をうまい具合にひっぱって仲間に入れてくれるというか。



ただ入ったら入ったで、物の取り合いや 空気を読まず変なちょっかいかけたりしてケンカも頻繁にあり、こちらもハラハラすること多く。

他害というほどではないけど、相手の気持ちや状況を読み取るのが苦手なのかなというシーンもわりとあって。


三歳同士のやり取りなんてまだまだ自己主張のかたまりだし、傷つくらない程度に微笑ましく見守っていればいい というおおらかな気持ちと、やっぱり発達障害の傾向あるのかな みたいななんとなく不安と、気持ちは交互に揺れ動き。



そんななか一人の女の子ママが「また最近かんしゃくが出てきた、ちょっと治まってきて安心してたのに…」と溜め息ついていて。

その女の子は積極的で明るく 言葉も身辺自立も早く発達にも問題なさそうにみえるけど、母親からすると 気に入らないことがあるとすぐかんしゃくを起こすことで友達に嫌われないか心配ならしく。

言われてみれば、息子とオモチャの取り合いになったときすごい怒って泣いてたなという印象やけど、むしろ息子が声かけなしにオモチャを取ろうとしたことに注目してたから気にならなかった。



自分の子にばかり着目していると不安ばかり増すけど、周りの子にも注目してみると その子にも何かしら親として気になりそう要素は必ずある。

大人しい、自己主張がない、ママばっかりで同世代の子にあまり近寄らない、口達者でついキツイことを言ってしまう、いろいろな子がいて それぞれの母親も悩んでいるみたい。

話聞いて、安心した。



結論として

まだ三歳。友達といっぱい遊んでいっぱいケンカしていろんな経験して、対人を学べばいい。
それが息子にとって何よりも療育になる。

と思うことにしたら気が楽になった。




そうこうするうちに 最近は息子もお友達を見つけると自然と近寄って挨拶をし、遊ぼ、と声かけしたり 「○○ちゃん、どこ~?」と遊び相手を探し始めたり。

ママ遊ぼーばかりだった息子の 友達への興味の目覚めなのかな、と嬉しくなる。


と ともに泣けてくる(´;ω;`)




こんな感じに、療育目線では息子の成長を喜びながらも ただの母親目線では 寂しさも感じたり。

非常に不安定な日々ですわ(笑)






しかしまあ、書いて読み返して思う。

相当な過保護になっとるなと(  ̄▽ ̄)




長く一緒に居すぎていろいろ見えるからこそあれこれ考えてしまうんやなと。


子どもは親が心配するほど弱い生き物ではなく、驚くほどの適応力や 伸びる力をもっている。
と、頭ではわかってるつもりなんやけど。




私は 保育園に早くから通うことは子どもにとってとても良いことと思う。

早い時期の身辺自立や 友達とのコミュニケーションで身に付く社会性、健康的な外遊び。



これらのことを 母親が一人でさせるのはなかなか無理があり、伸び盛りの子どもにとって良い環境が作れている例は多くないと思う。


前にも書いたように 専業主婦の母親に育てられる入園までの子どもは 母親の生活スタイルの影響をモロに受ける。


母親が妊娠したり体調くずしたりすれば 外遊びも交流も激減するし、長時間テレビに子守りをさせることもあるやろうし、育児ノイローゼで精神を病めば虐待を受けたりする可能性もある。

なにせ、育児の免許もないのに自己流でやってる。何が正しくて何が良くないのかもよくわからない。


ただ母親といる時間が大切みたいなことも昔はよく言われていたけど、実際はそんな単純なことでもないように思う。



昔みたいにおばあさんが同居で兄弟もたくさんいて近所の子どもが集まってガヤガヤと過ごすなかでいろんな経験を積んでいた時代とも違って、核家族の家庭という閉鎖的な空間で母親の価値観にしたがい生活することが 場合によってはある意味危険でもあるとすら思う。




息子の発達のことがあって、未熟な母親だった私がはじめて真剣に子どもたちとの生活を見直すきっかけを持てたかもしれないなと思う。

子どもにテレビ見せて旦那とケンカしてる場合ではないなと(笑)


良い機会をもらった。




そして息子を幼稚園に送り出したら 4月からは下の子としっかり向き合わなきゃなとも思う。

かなり放ったらかしやったからね(  ̄▽ ̄)
ごめんよ




あと1ヶ月、とにかく悔いのないように過ごしたい!



療育に通いはじめて三ヶ月目。

条件、環境的にもなかなか良い感じに通えてる!




週に2回、スクールは隣町でバス一本で通えることもあり かなり近いので、通うことが苦痛ということもなし。

電車もバスも、以前から子どもたちとのお出かけでしょっちゅう使ってたから問題なく。
乗り物好きな息子は自分の好きな座席を陣取って楽しそうにしてる(^-^)




トレーニング(個別) は一回30分
プラス面談15分 (親と先生)。


その間、親は監察ルームからマジックミラー越しに子どもの姿を確認しながら 気になった行動などを面談用のシートにメモしながら待機。



トレーニングの内容は、感覚を養う全身運動や手遊び、工作、簡単なゲーム、絵本読み聞かせなど。

内容としては大型設備の必要な全身運動以外なら 家でも実践できそうなことも多いけど、重要なのは 先生の指示を理解し、ルールを理解し守り、時間内にできるだけこなせるようにすること。


園や習い事でも同じようなことをするかと思うけど、ここでは先生と1:1の個別であること、その子に合ったレベルのトレーニング内容を毎回作成してくれることが特長であり、集団の指示が通りにくい息子には合っていると感じる。


なにより、参考になるのは先生の対応。

家で同じようなことをしていて 指示が通らないとき、飽きてそっぽむいたとき、かたづけをしないとき、言ってる意味を理解しないとき、それがもし発達障害の特性が原因だとしたらどんな声かけをすべきなのか、それが学べること。

家でなら私がだんだんイライラしてきてつい怒ってしまうところを、プロはどう対応するのかを興味津々で見ている(笑)




環境的には素晴らしいけど、唯一問題があるとすれば 下の子のこと。


週2で短時間なので預けるにもいろいろ条件的に厳しいというか もったいないし、結局連れていって抱っこ紐のまま監察ルーム。

最初の10分くらいはおとなしくしてるけどだんだんグズリはじめ…
飲み物でごまかしたりオモチャ握らせたりするけど、5分で万策尽きる(  ̄▽ ̄)


最大三名のトレーニングが同室で行われるので他の保護者も監察ルームにいて 先生との会話のやり取りを聞いたりしているので、グズリはじめたら部屋から出てウロウロして過ごす感じになる。

皆さん良い方で「こちらのことは気にしないでくださいね、大変ですよね」と優しく声かけてくれたりするけど、ただのキッズルームじゃないし 子どもたちの発達状況を親の目でしっかり見届けて課題を見つける場なので、絶対邪魔はしちゃいけないと思うし…

すると後半はほとんど息子を監察できず、面談の時に確認することが減ってしまう。

(その場合は先生が会話の内容や返しなど、後でポイントを押さえて教えてくれる)



今 1歳7ヶ月の娘、歩きたいやんちゃ盛りでそれこそ抱っこ紐もそろそろギリギリになるし、ベビーカーでバスも厳しいし物理的にどうやって通うのか 今から頭を悩ませる( ̄▽ ̄;)


そして療育で聞いたことを家でも実践しようとするけど、娘がいることで遊びにも制限があり難しいことも。

小麦粉粘土やクレヨンなども娘が口に入れないかずっと見張っていて、息子が何をしてるか見たりフォローしたりするヒマがなく放置になり本末転倒(笑)

絵本を読んでいたら本を奪われ、それをポイと投げ捨てられる( ̄▽ ̄;)



「運動能力のある宇宙人」である一歳半児は とにかく何をするにも意に反する行動してくるので、とにかく手強い。

か弱い赤ちゃんだった娘はもうおらず、どんどん凶暴化かつワガママ化してきておりますよ(涙)




そんなこんなで。

入園までの療育や家での貴重な時間、出来る限り息子に向き合いたいけど なかなか難しいのも事実(  ̄▽ ̄)





そんなジレンマとはうらはらに…
現状、息子はかなり落ち着いてきた気が。


というより、療育では初回から基本的に脱走したりキョロキョロしたりもあまりせず、先生の言うことを聞こうという姿勢がみえていて。

一対一ということや、自分に向き合ってくれる個別的な環境というのもあるのかも。

そして初回がすでに11月だったのでもう三歳半に近く、遅いながらも少しずつ自然に落ち着きが出てきていたのかも。



しかしやっぱり最初の頃は、聞こうとしても理解が遅く指示を理解できずポカーンとしたり、トンチンカンな動きをしたりして 課題をこなせないことも時々あり。

特に会話が苦手で、意味を理解してないのか 答えの表現が出てこないのか判別は難しいけれど とにかく答えられなかったりも多かった。


慣れてきた頃からは、変な人見知りが発動してなかなか教室に入ろうとしなかったり、教室でトレーニングしている他の子どもの動きが気になってキョロキョロしたり立ち歩いてそちらに行ってしまったり、その間先生の声がいっさい聞こえない感じに自分の世界に入ってしまったり、落ち着きのなさが少し出てきた。



しかしそれも冬休み明けには落ち着いて。

1月に入ってから、息子は急成長した。


先生の指示をきちんと聞き、言葉だけの指示で かなりの割合で正しく動けるようになり、ルールの理解も早くなり、気がそれた時に先生に注意されるとすぐこちらに戻り、そもそもキョロキョロしなくなり、おとなしく指示に従い、あいさつもきちんとできるようになってきた。


一番感動したのは、隣に全身運動でキャッキャと楽しそうな子がいたのに 息子は絵本に集中して最後まで一度もそちらを気にしなかったこと。

以前の息子なら、絶対そっちに走っていって体を一緒に動かし始めていたと思うし(  ̄▽ ̄)




そして三歳半になったこの頃から、会話がやっと噛み合うようになってきた。


また私の質問に対して、イエス・ノーをきちんと言えるようになって 回答に信憑性が増した感じ。

以前は、痛い?と聞くと痛いよ、トイレ行きたいかと聞くと行きたくなくても行きたいなど、自分の意思と関係なくオウム返しっぽく答えていたことが多かったのでそれが本当に心配で。

自分の状況を正しく伝えられないと幼稚園で困るし、先生も対応に困るやろうしね。


とにかく安心したよ。


療育を始める前、母親が記入する書類に私が書いた「当面の目標」 は、入園までに席に座って作業をこなせる程度の落ち着きと 生活に必要な程度のコミュニケーション能力を身につけるという内容だったので、それは達成できているのではないかと!




そして先日 三歳半検診も無事おわり。


問診では、名前と年齢、ここまでどうやって来たのか、自分の性別、大小と長短、色の名前などクリアできて 一安心。

誰ときたの?の質問だけ答えられず、「きんてつでんしゃにのってきたよ」と繰り返していたけど(笑)

これは誰?なら答えられるのに、誰と?はダメなのね(  ̄▽ ̄)



でも思ったより出来ていて安心したし、すでに療育に通ってるから特になにも言われなかったけどね。


検診の問診のような定型の回答はともかく、普段の生活で会話によるコミュニケーションが苦手なのは確かなので、まだこれからも療育は続けていくつもり。


4月からは集団クラス(個別はすでに満員とのことなので)で週一回、幼稚園が終わってからの時間でなんとか通えることになり、ひと安心。


今後は、入園を挟んで集団生活で新たな問題がないかを見守りつつ、また次回の発達テストを検討しましょうという感じ。




しかしまあ、短期間で思ったより成果が見えたのでテンションがあがってしまったけど、これからもそうとは限らないし、いちいち一喜一憂することなく長い目でみていこうと思う(^^)v










息子、先月から療育に通い始めた。

市役所に申請書類を届けてから、許可がおりるのを待っていて やっと通えることに(^^)v





じつはこのあいだ書いた幼稚園の記事、少し訂正があって。



「発達テストの結果、3歳1ヶ月時点で 2歳半レベルの認知・理解度」と書いた (そう説明されたと記憶していた)けど


「2歳半」ではなく「2歳前半」 だった。



それが 幼稚園面接の二日前に 送られてきた、発達テストを受けた市の子育て支援センターからの封書にて発覚。



3歳で2歳前半ってことは、約1年の遅れがあるってことよね?



うーん…

これはちょっと、普通の幼稚園に入れるかどうかの問題になってくるんじゃないの?



( ̄▽ ̄;)




と、しばし混乱し

それから発達障害について 自分なりに詳しく調べるに至った訳ですよ。




まあね、たった一回のテストなので。
気乗りとか オモチャに気を取られて集中出来てなかったりとか、普段出来てるのにたまたましなかったりも多少あるから それですべてが決まるようなガチガチな結果じゃないらしいけどね。


しかしまあ、言われてみれば 腑におちた。


この子はまだ部分的には2歳なんやと思えば納得がいくところが沢山あるわ、と(  ̄▽ ̄)





息子の場合。


私が見ていて気になるところは

・言葉は三文語以上出ていて自分の気持ちや状況はある程度伝えられるが、こちらの質問には答えられないこともあり会話が一方的で噛み合わない時が多い
・集団行動が苦手(ムラはあるが)
・指示が通りにくく、目の前のものに興味がそれるとまったく聞けない
・周りの三歳に比べて こちらの言ってることへの理解が悪い
・痛い?と聞くと痛くなくても痛いよ とそのまま答える時がいまだにある(興味のあるなしにもよる)
・独り言が多く、人の言う言葉で理解できないものはひたすら反復している
・タイヤや回るもの、水への興味がとても強い



コミュニケーション難ありに注目すれば自閉傾向があるようにも見えるし、集団行動に難ありに注目すれば 多動や注意欠陥の傾向にも見える。


逆にそれらの可能性を否定する要素もある。


・病院などでは静かに待てる
・目がよく合い、相手にによく話しかけ、コミュニケーションをはかろうとする意志が見える
・友達と一緒に遊べ、トラブルを起こさず多害もない(ただし会話や距離感をつかむのが苦手)
・最近は手を繋いで落ち着いて外出ができるように
・ボタンやジッパー含む着替えや身仕度や箸づかいなど、相応レベルになってきた
・こだわりは少なく、場面の切り替えもすぐ出来る



コミュニケーションをはかろうとする意志があるのに理解が遅いため 相手の言う言葉の意味の理解や 発語や表現がついていかなかったり、そもそも全体的に理解が遅いことが原因でそうなっているのだとしたら、知的に問題があるようにも見える。


息子の場合は発達テストで部分的な遅れがあったけど、全体的に ではないらしい。

だから知的な問題ではないのかもしれない。




でも、私は「やはり息子は理解が遅いな」と感じる。

毎日毎日子どもとずっと一緒にいて、息子だけじゃなくその周りのいろんな子どもたちとも毎日のように接していて、そのうえでやっぱり何か気になるなと、母親の勘が申しており。





そんなこんなで、発達障害や知的障害について いろいろ調べ尽くして(久しぶりのネット漬け)疲れたわ(笑)




結論として私の見立てでは

息子は「軽い自閉傾向(知的は境界レベル)」または「発達のゆっくりな健常児」または「すべてが興味に左右されるマイペースの極みな健常児」のどれかだと思っている。



まさに、これぞグレー。

何かある とは言い切れないが、何もない ということもないやろうと。



もしかしたら この程度なら幼稚園でもなんとかやっていけて 生活に馴染んで経験も積めば普通に小学校に上がれるかもしれない。


課題をうまくこなせて、言葉のやり取りの怪しささえ気づかれなければ三歳半健診もひっかからないかもしれない。(すり抜ける例もあるらしい)




でもそれはどうなんやろうか。


障害があった場合、何も対策しなければ年齢があがるにしたがってどんどん差が開いていくことが多いらしく。

3歳というのは その気になる言動が ただの性格気質だったり、いろいろ遅いのもゆっくりさんなだけだったり、健常でもありえる段階なのですごく判断が難しい時期で。



診断はなくても とりあえず療育などに通って様子見をして、集団生活に入ってから さらに差が開いていったり定期的に受ける発達テストでも差の大きさが顕著になったりしたら本格的に医療機関で診断してもらう流れが多いようで。

(医療機関での診断も、何回もテストを繰り返したり長く行動観察したり かなり時間や年月をかけての診断となること多し、それだけ診断は難しい)




そもそもこんな小さいうちから子どもの発達を疑うよりも、小さい遅れなんか気にせず個性としてのびのび育てた方が子どもの為なんじゃないか?

とも一度は考えた。




いろいろ調べるうち、発達を疑われる子の親の心理という側面としての情報もたくさんあった。


私のように自らではなく園などの所属施設や3歳健診で何かしら指摘されて発達テストを受けて、その結果 発達障害疑いと言われて療育を勧められても「ちょっと個性的なだけの我が子を障害児扱いしないでほしい」と憤慨する人や、気になると言われた行動も気にしないで、療育にも通わせない、という人もいる。


療育に通うということは、たとえ疑いだとしても 障害福祉課から受給証をもらって 通う権利を取得することになるし、発達障害を疑われてその対策としてのトレーニングを受けることになるわけだから、そういうの気になる人は気になるみたいやね。



個性で済まされていた昔と違い、今はちょっとしたことですぐ発達がどうとか言われる。

そんなことしてたら、ちょっと変わったそこら辺の大人もみんな何らかの診断がついてしまうだろう、という意見も。(統計としてクラスに2~3人くらいの割合でいるらしい)



すごく分かる。

たしかにそう思う。





でも 私は 療育に通わせたいし、この先ほんとに診断がつくようなことがあるならちゃんと知りたい。

普通なら気づかないで大人になるような軽度であっても、知りたい。




私の場合、診断がつくことが嫌だとか怖いっていうより、それを知らずに 息子に合わず生き辛い環境を作ってしまうことがよっぽど怖い。





軽度なら、一見気づかれない程度だからこそ周りに普通を求められて、埋まらないその差に苦しむことになると思うのね。

怖いのは、生活に馴染めなかったり 周りにについていけなかったり、ときにはいじめられたり、生きづらさを感じつづ二次障害として精神疾患を患ったり不登校になったりすること。



だから一番近い存在がまずそれをちゃんと知って、受けいれて、どうしたら本人が難なく生活できるか把握して、周りにさりげなくフォロー入れたり、事情を共有したり、幼稚園や学校先生にきちんと適した対応をお願いできるし。

必要であれば加配をお願いしたり、授業ごとに支援学級で受けたりとか、普通でないことを気にするんじゃなく、本人がちゃんとついていけるようにしてあげられる。


教育実習のとき、支援学級と普通学級を行き来していた子がクラスにいたけど 普通学級の友達が仲良さげに世話やさりげなく手伝いをしてあげてたり、いきいきしてて毎日楽しそうだった記憶もあり。

親が気にしていても案外杞憂に終わることも多いのかも。





なるようになれ、環境にもまれろ、我慢しろ、過保護になりすぎるな、という意見もあると思うけど。

私は人生は分析ありきだと思っていて。

分析して、理解して、対策して、それでもだめなら環境から逃げろ。相応しいレベルの環境でやり直せばいい。


私の持論なので、正解かどうかは不明( ̄▽ ̄;)






ということで、幼稚園の面接時に園長先生に、そしてその後プレに関わる複数の先生方の前でその連絡シート(市の子育て支援支援センターの方が幼稚園に向けて作成した書類)を見せながら息子の状況を話しておいた。


これでもし、療育に通うお子さんの預かりは出来ないと断られたら他を探そう。ここでちゃんと話しておかないと問題が出てからじゃ遅い。
と思い、正直に話したところ、

「入園に問題はありません。プレの様子を見ていても大丈夫と思うし、本人もすごく楽しそうに通ってくれて頑張ってますし。私たちに出来ることがあれば逆にお母さんも遠慮なくいつでも相談してくださいね」とのお言葉が。

また泣きそうになったわ(笑)






それから、療育に通えることについて 私はすごくラッキーなことと思ってる。


発達テストを受ける前、旦那はよく めばえみたいな幼児向け教室に息子を通わせたらどうかみたいなことを言っていて。


そのたびに私は「この子はまず人の話をちゃんと聞くとか、部屋から飛び出さず指示とおりに動くとか、我慢したり集中したり、生活するうえの基本を学ばないと どんな教室に通っても無駄になる」と言っていた。


その「生活の基本」なるものを集中的にトレーニングしてくれるのが療育なんだとしたら、今の息子にとってはまさにどんな幼児向け教室よりも実用性が高いじゃないかという話。


まだ将来の方向性も見えない幼児に、どんなことが得意で苦手なのかを プロと一緒に見守ってもらい 伸ばしたり補ったりの指導してもらえるなんて、すごく贅沢に思える。



ただ それについては、うちは奈良県なので都会に比べて人口も少ないせいか 比較的簡単に療育に紹介してもらえたり、たまたまスクールの待ちも少なかったため書類申請さえできればスムーズに受けられたのかもしれない。


療育は少しでも早い方が良い。
疑いレベルを小さいうちに見つけてもらえて、トレーニングを受けられることはとてもラッキーなこと。

せっかくの良い機会と環境、絶対に無駄にしないようにと思う!





先日 ダイヤモンドユカイさんの双子の息子が就学前健診に引っ掛かったというネットニュースがあり。

それに対する読者のコメントを読んでいたら、世の中の発達障害に対するイメージというか 自分の子どもに軽度であっても障害があるかもしれないいうことを受け入れられない人が多い事実に改めて驚いた。




歴代の有名な発明家や研究家、才能ズバ抜けてる芸能人、起業家、ワンマン社長。

発達障害だからこそ、その能力の偏りをうまい方に生かして活躍している素晴らしい人もたくさんいる。




そんなすごい人になれなくても、自分に合う環境で、理解してくれる人と一緒に 人生を楽しんでくれたらそれで満足。

それは健常であってもなかなか難しいことやけど、そうなれるように意識して人生設計することで 変わってくるんじゃないかなと。

親として、それを手伝ってあげられたらいいなと。




私はそんなに悲観してない。

ただのややこしい子どもと思って育児に手こずっていた頃より、発達障害の可能性を示してもらえたことで これからやるべき事が見えて、スッキリしてる。

息子がどんな大人になるのか、ちょっとワクワクしてる。



まだまだこれから苦労はあるやろうけど、わりかし呑気に、 前向きにやる気に満ちている(^-^)v








産後クライシスを乗り切るために、ピーク時に私がしていたことをいくつか挙げてみる。





①女友達と共感しあう


とにかく大切なのは不満を吐き出すこと。
簡単にいえば、旦那への不満を言い合うだけの事なんやけど(笑)

結局ね、これが最善策。



これは 誰にでもすればいいわけでもなくて。

・家庭環境が似てる
・信頼できる親しい間柄
・旦那のタイプが似てる

この条件が揃ってないと意味がない。



結局ね、一番不安なのは「自分が結婚を失敗したのではないか」 ということなんよね。

こうも毎日イライラしてると、選ぶ相手間違えた?とか思えてくるし、この先何十年もこの人とやっていけるのか不安になってくる。

基本的に育児ノイローゼになりかけの状態ではメンタルも弱っててマイナス思考になりがち。



そこへもって全く環境や状況の違う人に「えー!うちはめっちゃイクメンやわ」とか言われたら 凹むだけやから。

ピーク時はとにかく同じ状況の人にしか家庭のことは話さないようにしてた。


人と比べてはいけない、とか綺麗事は置いといて。とりあえず確実な共感をもらうことで救われる。



自分ばっかりじゃない。

男が育児に協力的じゃなかったり気遣いに欠けるのは一般的な現象である。
男性脳や産まない性であるから、なのかもしれないし、そもそも求めるのが無駄。


私は結婚相手を間違えたんじゃない。
今そういう時期なだけ。

また明日から頑張ろう、と一時的に回復できる。




母親が父親のことを 陰でも決して悪く言うことはあってはならない、みたいな考えもあると思う。


でもそこまでキレイな感情は私には保てなくて、母親は菩薩であるべき、みたいなのは現実には不可能。


母親は子どもの前では明るい家庭を演じる女優ではいられても 旦那や友達の前では一人の未熟な人間でいい。

家庭を守るために外で感情を吐き出すんや!
と、言い訳してみる(笑)


私はそれでいいと思う派。






②ケンカを悪いことだと考えない。


ケンカしてるときって、不満や要望を口にできるチャンスなんよね。怒りに任せないと口から出ないことが勢いで言えたりする。

溜め込みすぎて埋まらない溝ができてしまうよりは、口に出して伝えたよっぽどマシと思う。



ただし、取り返しのつかないような決定的な言葉は言わない。これは大事。


言うのは「もっと手伝ってほしい」とか「育児がどれだけ大変かわかってよ」みたいな小言や訴え。
決定的に相手を傷つける言葉じゃなければ、すごい剣幕でまくしたてても まだ可愛いげある(と思う)。



そして訴えが終わればフォローいれる。

男は一生働き続けなあかんって大変やと思う、私は専業主婦させてもらってありがたいとは思ってる、など。

下げといて、上げる。
すると旦那も乗せられて「毎日子どもらをよく見てくれてると思う」とか言い出したり。

そして最後は「また明日から頑張ろう」と言い合い 丸くおさまる感じ。


自分もスッキリして、ちょっと雨降って地固まる感になるから 一時的に夫婦仲が良い感じになる。
まさに一石二鳥!



そしてまた後日新たなイライラで喧嘩をふっかけてしまい、その繰返しなんやけど(笑)




③手抜きを否定しない。


育児も家事も完璧にやろうとすると 旦那の家でのぐうたら姿が許せなくなるので、自分も手抜きする。これ大事。


ちょっと前まで、私が育児家事でバタバタしてるのに部屋で呑気にくつろいでる旦那をなんとかしたくて「私はこんなに動いてるのにあんたは何?」みたいな雰囲気を出してた事があった。

よくドラマとかである わざとくつろいでる旦那の前を掃除機かけたりみたいな(笑)



それで旦那がぐうたらしづらくなって オレも家族のためにいっちょ奮起するか、みたいになるかと思って。

でもそんなことはあるはずなく(笑)


きっとバタバタ動かれたらゆっくり休まれへんやろ~うぜ~、くらいに思ってたんやろう。


まあ独身時代に母親がバタバタ動いてても同じように うぜ~、と思いながらゲームしていた私が一番それをわかるのでなんとも言えず、、



なのでもう馬鹿らしくなり、頑張り主婦を演じるのを頑張るのはやめて手抜きアピールしてやろうと。

(いや もともと手抜きはしてたんやけど手抜きしてるとバレるのは嫌やっただけで、手抜きは得意)



わざわざ手抜きアピールする意味は、こんな感じかな。

専業主婦やのに手抜きしてることへのちょっと罪悪感→旦那のぐうたらに文句言えない→こんな手抜き女に文句言わず受け入れてくれて心の広い男かも→お互い気楽に行こうぜ→ほんとの意味でリラックスしてもらえる → ギスギスなくなる→夫婦仲がよくなる


とにかくね、完璧にやろうとするとギスギスすんのよ。私はね。


結局、最低限のことさえやってればユルい女の方が男ウケいいんよね。わかってた。わかってたよ。でも認めたくなくて(笑)

でももうこの際認めるわ!ってことで。





④上を見ない。


とにかく、素晴らしいイクメン旦那への理想を捨てる。そんな情報は取り入れない(ここは人と比べないというご都合主義)。

自分の旦那にはイクメンになる素質があんまりなく、またそれを巧みに操ってイクメンに変えるような妻としての力量が私にはない事実(笑)



自分についても、器の大きい素晴らしい母親と比べない。

もともとぐうたらで自分の世界大好きだった私がよくここまで家族のために時間割いて頑張ってるよ!すごいことや!と思うようにしてる。



そんな旦那とこんな私が あと何十年やってかなきゃならないのが現実。理想に逃げてもなにもならない。

実力に相応しい理想をもって、現実的に対処していく。
なにげに重要。





⑤考えを理解してもらうのではなく、行動でしめす。


これは一例やけど。

例えば 子どもたちを風呂に入れてくれたとき、旦那がいちいち脱衣場から呼び出し音を鳴らすことについて、いつもイライラしてた。


世の旦那さんによく向けられる不満として、旦那の思う子どもを風呂に入れる=自分が先に入り身体を洗って 終われば子どもを呼んで入浴させて あがったらあとは妻に任せる。みたいなやり方ね。


女からしたら正直、脱衣、入浴、身体を拭く、服を着せる、部屋に連れてくる、の一連の作業全部やってくれなきゃ 風呂に入れてもらう意味がない。

だって全然休めない。

風呂に入れてもらうのは、つかの間の休息タイムや 子ども居ぬ間に用事を済ませたいからであって、そんな度々呼び出されなら休息も用事もできないし、そんなんなら自分が入れた方が楽って話。




まあね、ちっちゃい話やし こんなこと言ってる方の器もちっちゃいと思われそうやけど。


実はこういうのが真のイクメンかどうかの判断になるんよね。

真のイクメンは「自分が○○してやった」じゃなく「どれだけ妻の負担を減らせたか」「どれだけ妻が休めたか」を重視して行動できると思う。

だから、うちの旦那は真のイクメンではないし、さっきも書いたようにそれを求めてはいけない(  ̄▽ ̄)


だからといって自分が常に負担を感じてイライラするのでは意味がないし、でもせめて私も休日くらいは一人でゆっくり風呂に入りたいし、我慢じゃなく、ここらでなんとかしたい。

しばらく葛藤。


でも言ったら多分旦那の反応の鈍さにイライラしてまたケンカしてしまいそうなので、言葉じゃなく行動に移すことにした。



ある日、旦那がまた脱衣場から呼び出し音を鳴らしてきたけど、放置。

ベランダに出てて聞こえなかったフリできるし、下の子のオムツ替えで手離せないとか なんとでも言い訳できる。



放置してたら、全裸で水ポタポタの旦那が子どもを連れてリビングにやってきた。

じっとしてない子どもにオムツはかせたり着替えさせる脱衣場が実は一番の修羅場なので慣れてなくて格闘したんやろう。ちょっとやつれてた(笑)


それ見て私、めっちゃ愉快な気分になって。


私の大変さを分かってもらえたっぽいし、単純に楽できたし、気分よくて

「ありがとう助かった~~」って久しぶりに笑顔で心から言えた。


そして旦那も「おう、ちょっと休めたか?」とかまんざらでもない感じになって、もはや呼び出し音を無視した理由なんか聞くことも忘れてる様子(笑)



なんで全部やってくれないの?
って相手を責めるより、やらざるを得ない状況にしちゃって感謝する方が相手に自信つけさせられるし、うまくいくかもって実感した瞬間でしたよ。






⑥ときめく



ここ1年ほど、恋してる。

相手はもちろん芸能人ね。




会えなくてもいい。
実際に絡まなくていい。

顔見せてくれるだけで、夢見るだけで、妄想させてくれるだけでいい。


それだけで、全然違う。
生活にハリが出る。
自分が女だったことを思い出す。




昔から芸能人にハマることが多かったけど、独身時代のそれとはなんか感覚が違うのね。


昔は 才能とか仕事に対する姿勢とかそういう部分に惚れてたから、熱愛しようが結婚しようが別に平気だった。



でも今は違う。

真剣に恋愛感情なんよ(笑)




だって、既婚者はもう一生恋愛出来ない。

旦那に家族愛が増すことはあってもトキメキを覚えることはもう一生ない(断言しておく。笑)


このままトキメキが一生無いなんて寂しすぎる。
でも不倫は嫌だ。てゆうか出来ない。



結婚してから、子どもが産まれてからも、芸能人にハマるのすらやめといた方がいいような気がして控えてたんよね。

私ハマると激しいし ライブやらDVDやらでお金も時間も消費もするし、なにより 旦那(パパ)以外の人に恋愛感情抱くのはなんか罪悪感あって。



でも、産後クライシス中にふっきれた。

好きな人作って癒されてやる!!




でも実際 なかなかハマれる人っていなくて。

顔好み~~、くらいに留まって そこから先 どハマりするような人ってあんまりいない。
年々、男を冷静に見すぎて 惚れにくくなるし。



そんな時 たまたまつけてたテレビで出会った。
ドハマりの予感したけど、抑えるのはやめた。



この歳になって もう1年間も持続してトキメキ感じていられるって 奇跡的で。


やっと見つけた 私の心を潤してくれる大切な相手なので、絶対手離したくない!

日々 熱愛発覚のニュースが出ないかと怯えてる(笑)





最近知ったけど、芸能人の熱烈なファンの人って 主婦層が多いんよね。リアルな恋愛できないからこそファン活動に命懸ける みたいな。

ヨン様ファンとか当時分からなかったのが 今すごい理解できる(笑)



時間も自由も限られるなか お手軽に何かに夢中になれて、誰にも迷惑かけず、気持ちが満たされる。最高。







※※※※※※※




そんなこんなで

友達や、子どもの笑顔や、芸能人に助けられて 産後クライシスのピークはなんとか乗りきりましたよ。

家庭崩壊は避けられて良かった。




今はだいぶ落ち着いてる。


旦那にイライラすることもかなり減り、家族に笑顔が増えて、そんな状態が2ヶ月続いてる。

もうクライシスは終息したかもしれない。




次回はそのクライシス終息のきっかけについて書こうと思う。長いけどもう少しだけおつきあいくださいませ。



生後2ヶ月で始まった産後クライシス。



実際にどんな感じだったか。

その実態について。






思えば一人目の時は、まだマシだった。

時期によって かなり波があったというか。



その頃イライラしてたのは前回書いたように、育児のことがよく分からないくせに適当な口出しする(泣いてるからミルクあげたら?みたいな)系統のもの。

育児について調べたり知識を得ようとする姿勢もないのに、適当なこと言ってんちゃうで、と。


手伝ってよ!
みたいな不満はあんまりなかった。





前回書いた 産後クライシスはじまりのきっかけの頃は、睡眠不足が一番きつい時期で。


生後5ヶ月で離乳食開始と共に完ミに切り替えたので夜はけっこう眠れるようになり、気持ちが落ち着いて いったんイライラはおさまった。




代わりに 赤ちゃんの健康面で不安がでてきて、 精神的にしんどい時期に突入して。

生後5~7ヶ月あたり、ある病気を疑ってずっと悩んでいた。


家にずっと居たら時間をもてあまし、赤ちゃんが異常なんじゃないかと 気になる症状があるたびネット検索が止まらなくて 不安におそわれ精神的にまいってしまい…

まだ児童館デビューもしてなくて、不安と孤独の日々みたいになってしまって。

いよいよ赤ちゃんと二人きりで過ごす平日が恐怖になり。日曜の夜は明日が来るのが怖かった。




で、結果的に毎日旦那の帰りを今か今かと待つように。


旦那に心配事を相談してたわけでもないけど、ただ赤ちゃんと二人きりにならなくて済むから一緒にいてほしかった。

産後久しぶりに手を繋いだり、ちょっと愛情が復活したように思えた時期。






しかし そんな日々も、あまりの不安に耐えきれず大きな病院で精密検査を受けて異常なしとわかり、幕を閉じる(笑)




それから児童館デビューして 知り合いも増えて。
一歳間近の息子が歩きだして一気に世界が開けて。

家を荒らす息子に振り回され、孤独感が消えた代わりに身体の疲れと家事を邪魔されるイライラがたまり、また旦那に八つ当たりが増えてきた。



あんなに旦那の帰りを待っていた私は、気がつけば またどこかへ行ってしまってた。




それでもまだこの頃は、ケンカの頻度は少なかったように思う。





そして二人目の不妊治療を開始~妊娠までは比較的穏やかな生活を送り、めでたく妊娠してからも しばらくは幸福感に満ちて心が落ち着いてた。


けど それもつかの間、身体が辛い妊娠中期以降からはまたイライラがひどくなっていった。





お腹が大きくなっても、旦那は一人目妊娠中のときみたいにあんまり手伝ってくれなくなった。

息子のお風呂も風呂掃除も、旦那から「俺がやるから」って申し出はなく。




ひとつは会社で部署異動があってややこしい時期だったのもあり、残業やら休日に呼び出されたりが増えて。

それは仕方ないとして、腹立つのは会社の言いなり過ぎること。



話を聞いてると、なんで旦那がそんなことせなあかんの?みたいなことが多くて。
温厚すぎてナメられてるのか、やるべきこと以上の仕事を押し付けられてる感がすごくて。

こっちも妊婦の嫁がおるんやから、責任外の仕事受けてくるとかやめてよってイライラしてた。




そのせいでか、帰ってきたらご飯食べてすぐうたた寝。


結果、何も手伝ってくれず。



妊婦じゃなかったらともかく。
息子の風呂くらい自ら率先していれろよ。

お腹張るって言ってるのにその意味すらわかってへんやろ。イライラ。





それもまあ当然のことかもね。


私がいつもなんとなく感じ悪いから。
いつもなんかイライラして顔と態度に出まくってるから。

男心に「守ってやりたい」「手伝ってやりたい」と思わせる要素が無いんやろうなと(  ̄▽ ̄)




それもわかる。

けど手伝わない旦那にイライラする。






文句を言うとやってくれる。

しかし要領が悪い。

そして疲れたアピールはすごい。

前回注意した点もなおってない。

人の話聞いてんの?





偉そうな口調でケンカふっかけてしまう。

ケンカになる。


うざいから結局自分でやる。





結果、ただただイライラする。




たまに手伝ってもらっても ありがとうの言葉がなくなる。

褒めて可愛くありがとうって言えばいいのに言えない。

こんなんじゃ足りてないし、もっと自らやってほしいから。これで満足してると思われては困るから。



対男性にそれじゃ逆効果なのは百も承知ながら、きづけば悪態ばかり口をついて出てくる。

もう私は女優にはなれない(´Д`)





で 余計可愛げなくなる。




旦那、部屋にこもる。

会話なくなる。




悪循環の底なし沼(笑)




まあ、毎日ケンカしてるわけじゃないし穏やかになれる日もありつつ。





そんななか二人目が産まれて。

さすがに出産当日こそおめでたいムードで仲良くしてたけどね。


退院当日の夜に 初の二人育児に夫婦ともにパニックなり、さっそく戦争勃発(笑)



また例の眠い眠い地獄の新生児期はいうまでもなく、そこから約半年は 毎日が一触即発。






そして娘がハイハイを始めた頃。

以前記事にも書いたあの「常時プールの監視員」状態の時期。


産後クライシスのピークのピークだったように思う。




もはや旦那が何をしてもイラつく。



会話をすれば男性特有の的はずれな回答にイライラ。まさに「話聞いてた?」の連続。

スマホいじってるのを見ればそんな自由時間あってええなあ、とイライラ。

子どもと遊んでいても、いかに子どもの成長とか育児のポイントに関して無知であるかがみえてきてイライラ。



一人でコンビニ行ったり、頻繁に美容院行ったり、スマホゲームしたり、自分ができないことをしてるのが腹立つ。

腹立つことじゃないのはわかるけど、腹立つ。



さすがにこれでキレたら鬼やし、とりあえず我慢する。

でも顔を見たらキレそう。


もうね、子どもと居すぎて精神状態が普通じゃなく 正常な感情処理ができなくなってる(笑)




だから逃げよう。
子どもではなく旦那から。



家のなかで旦那と極力接しないようにした。

ひいっ 帰ってきたー!トイレに隠れて会話を避けなければ!みたいな。冗談ではなく本気で(笑)




最終的にそんな自分が本格的に頭おかしくなったと自覚して自己嫌悪になり。



旦那が悪いわけじゃないけど、このまま呑気に生活してる旦那といたら発狂してしまう。


もう一時的に家出たい、と思った。






例えばピーク時、具体的に私がどんな旦那の行動に日々イライラしてたかというとまあこんな感じ。

※産前の私だったらこう思ったやろうなって感情と、今の私の感情それぞれ書いてみる。



・ぐずる子どもに勝手にお菓子をやる

産前→子どもの喜ぶ顔見たかったんやろな、たまにはいいよね。
産後→ 歯磨きの大変さナメとんな、許さん。



・私が席外してるとき子どもみてるフリしてうたた寝

産前→ 仕事疲れてるんやろうな。
産後→ あんだけ目離したらあかん言うてんのに、こんな責任感ない奴には任せられん !!



・体調不良

産前→ 大丈夫かな、心配…。
産後→ 自己管理しろ、役立たず。


・子どもらが寝静まったあとに寝室をのぞきにくる

産前→子どもの顔見て癒されたいんやろうな。
産後→バタバタしてるとき部屋こもってたくせに 寝静まったとたん出てきて父親面かよ。


・休日午前中に息子を散歩に連れ出し「あー疲れた」と帰ってくる

産前→ ありがとうお疲れ様!
産後 → こんくらいで疲れてどうする。疲れたアピールもイラつく。


・さきほどの散歩疲れから午後はずっとダラダラ

産前→ 午前中頑張ってくれたからしばらく休ませてあげよう。
産後→ いつまで過去の栄光に浸っとんねん 。





こうやって書き出すとまあ冷酷で優しさのかけらもない妻やな(-_-)



でもね、これが嘘偽りない 私の頭のなかのセリフそのもので。(ヤバイこれ、恥ずかしい…)

さすがに口には出してないけど、表情や態度に出てるからきっと伝わってるであろう。



悲しいほどに、同じ状況に遭遇したときの 産前と産後の感情が変わってしまった。





いや ほんとに悩んだ。


憎まれ口たたいたり、口に出さなくても心のなかで旦那に不満ばっかり抱いてたり。

なんでこうなってしまうのか。




旦那は別に絵に描いたような 妻に嫌われる夫じゃない。

浮気も暴言もなくおとなしい、ただ あまり人の話を聞かず気遣いや想像力に欠けるだけの人。ついでに口下手。


あと 結婚するまで実家に長く居て、家の事は何でも母親(妻)に任せる典型的なタイプで、それは長年の環境がそういう価値観をつくったからであり 本人を責めても仕方ない部類のもの。

それも理解したうえて結婚したし。





そんな悪気のない旦那の悪いところばかり見つけてはイライラグチグチ。

もうね、理想の妻からどんどんかけ離れていく自分が嫌で仕方なくて。果てしない自己嫌悪。

最終的には旦那より自分が嫌いになった。




どうしてこうなるの?





ホルモンの関係といえば一言なんやけど。



それだけじゃなく。

たぶんね、根幹にあるのはこういう気持ち。




二人で子ども作ったのに、なんで私だけがこんな自由がなくなって、あんたは独身と変わらないの?
専業主婦やからって、家にいて楽してるってナメられてる?



これに尽きる。


やっぱりね。長く働いてた身からすると、どうしても専業主婦がお気楽な人種と思われてるんじゃないかという被害妄想に取りつかれる。


仕事で無休だったら大変やねと労われるのに、主婦が家事育児で年中無休なことには大変!とはならないの?


大変って思われてたらちょっと休めよって声がかかるはずなんやけど、それがないのはやっぱりナメられてる……

という被害妄想。




これがあるから、手伝ってもらえないのかな。



これについてはね、専業主婦は家事育児が仕事だから全部こなすのが当たり前って意見もあるやろうし理解できる。


けど人はそれぞれキャパが違う。
環境や性格も違う。



もし私が全部こなして毎日ニコニコして旦那にお疲れ様なんて言うとしたら それは建前でしかなくて。

無理して不満を溜め込んでたら いつのまにか夫婦の溝が深くなって取り返しのつかないことになるのは間違いない。



全部こなす代わりにイライラするよ。
イライラしないでほしいなら手伝って。

って事。




会社でも私、同じことになってイライラしてた。


どんだけキャパ狭いんやろうか。
基本的に自己中心型やし。理不尽なことを我慢できないとこ いまだに直らないし。

これまた自己嫌悪 (´Д`)



そう、私も悪いとこいっぱいある。

でもしょうがないんやもん。私も精一杯やし。





もうね、母親の心がそんな状態で子育てしていていいのか、子どもに悪影響になるんじゃないかと悩んだ。





とりあえず、ここまでゴチャゴチャと恥さらしな日常を時系列で書き出してみて わかること。


『身体的・物理的な負担の大きさが、不満やイライラの大きさと比例する』

ってこと。




だとしたら、これから先 息子が幼稚園に入るまでは少なくともこの状況が続くよね。




旦那がいきなりイクメンになることはないし、私が突然穏やかな人間になることもない。


問題は、どうやって毎日を乗り越えるか。






産後クライシスを乗り切るために私がどうしてきたか、これからどうしていきたいか。


次にまた続きます。