子育てに翻弄される日々に

ふと本来の自分を取り戻したくて




電子ピアノを買った。





娘が生まれたこと、そして息子がピアノに興味を示したのもあり、本格的に購入する流れになって。







子どもを寝かしつけたあと

ひっそりとヘッドホンでピアノを弾く。




ずっとずっと憧れていた時間。






のはずだったけど。





あまりに長い年月 弾いてなかったので

指が鈍っていたのはもちろん




ピアノへの情熱も薄れていることを知る。




情熱というか、興味?執着?




うまく説明できないけど

落ち着いた感じ。





昔、ピアノを弾いてるときの私は

時間を忘れて無心で弾いていた。





この曲が弾きたい

早く弾けるようになりたい


燃えるような気持ちに急き立てられて 楽譜を睨みながら鍵盤を叩き

耳から覚えた音を指に馴染ませるために何度も何度も繰り返し弾く。




とにかく弾いて弾いて、



だんだんと感情をのせて

強弱や緩急をつけていき



最終的には

自分の音に陶酔する。





この感覚がもうね。



ピアノやってる人ならわかると思う。




クーラーの故障した部屋で、汗だくになりながら 何時間もぶっとおしで 弾いていたくらい

ピアノに夢中だった。





ピアノを弾けばなんか違う世界にいけるってくらい、異次元に近い快感があった。






その感覚が、今はもうない。



そのことに対して寂しさがあまりなくて

逆にそれがちょっと衝撃。






自分の時間がほしい。



でも、もう何かに夢中になって 自分のためだけに使うような時間は無い。


自分の人生の半分は結婚して旦那に

残りの半分は子どもたちに


すべて捧げてしまった。





そう覚悟して、自分の時間を諦めているからこそ

何かに夢中になることの象徴であるピアノに心が歩み寄れないのかな、とか。



いろいろ考えたけど

これはもう答えが出ない。






でも、楽譜がなくても覚えてる曲をいくつか弾いていると やっぱり気持ちいい。





そして

曲とともに いろんな思い出がよみがえる。





なかでも私が執着した曲。

ベートーベンの「月光 第三楽章」



汗だくになりながら弾いていたのはこの曲。




久しぶりに弾いて、まったく指がついていかないし 楽譜もないし途中から覚えてなくて惨敗だったけど

そんなに悔しい気持ちもなく。




青春を捧げた一曲やったなあ~

という懐かしさだけが爽やかに残り。






それよりも


久しぶりに弾いて なぜか今の私の心にグッと刺さってきたのは


「卒業写真」。





中学の時のこと。


合唱部に所属していた私は、一年の頃こそ熱心に練習に通い、地区大会に向けて夏休みも毎日部活に力を入れ 部員の皆と充実した日々を送っていた。


ところが二年の後半になり、同じ部員であり塾仲間である友達と個人的につるむのが楽しくなり 部活をサボりがちになって。


相変わらず熱心な部員も多かったので、だんだん部活に行きづらくなり このままフェードアウトになるかもな… と迷いながら幽霊部員をしていた。



そんな三学期のある日、三年の先輩の卒業に向けて お別れ会があり。


後輩たちは 自由にグループをつくって自分たちで選曲、合唱することになっていて。




さすがに出ないわけにいかなくて。


でも幽霊部員のくせに誰とグループ組むのって話で。



合唱なので、基本的に 数名~十数名が ソプラノ、アルトに分かれてプラス ピアノ伴奏が入るスタイルであるべき。





共に幽霊部員になっていた塾仲間と一緒にかなり悩んだ末

「二人でやろう、てか二人でやるしかないよね」



ってことになり。




塾仲間はピアノ未経験なので必然的に私が伴奏担当となり。


じゃあ歌うの私一人!?無理!!

と塾仲間があたふたしているので、ちょっとでも合唱に近づけるために 私は下ハモを歌うことになり。


歌いながら弾くというのはなかなか難しいもので、伴奏、下ハモともに難易度が低くて単純な曲がいい 、そして卒業をイメージした曲でなければならない

という条件で思いついたのが この 「卒業写真」。





とにかく練習した。

毎日、塾がない日も集まって練習した。






そして当日。



自分たちの出番まで、人前で演奏する緊張とはまた違う緊張感に包まれていた私たち。



7~8人グループが主流で、ピアノも合唱も難易度 レベルが高く、合唱スタイルに適した選曲が続くなか



私たちは二人でノコノコと舞台に上がる。




えっ、二人で何やるの?


という声が聞こえてきそうな空気のなか、始めるしかないのでとにかく前奏を弾きはじめる。



歌い出し~サビまではハモれる要素があまりないので塾仲間の 一人オンステージとなる。



若干声が震えている。

そりゃそうやわな。





サビに入り、下ハモで入る。




するとなんだか


あれ?気持ちいい。





私、弾き語りしてるよ!



なんというか、観客がいてこその初めての感覚。

アーティストにでもなったかのような高揚感があって、緊張なんか吹き飛んだ。




自然と歌に感情がこもり 伴奏も盛り上がりを見せたくて力強くなると、塾仲間の声も安定してよく響くようになる。




自分たちがサボってこうなったにも関わらず、中途半端な存在が今日のお別れ会に参加することすら後ろめたいはずなのに

なぜか楽しくて。





演奏が終わってから、友達と先輩に「良かったよ」 「なんか感動した」 って声をかけられて、ちょっと泣けた。





この日の謎の感動が なんだったのか、今思えば。



青春。

それに尽きる。




自分の弱さや過ち、何かをゼロから考える苦労、練習に打ち込む日々、成功の達成感。

それが誰かの心に響いたこと。




……書いてて恥ずかしくなってきた(笑)


でも書きたいので続ける。






そして自分はやっぱり音楽が好きだという再認識。



クラシックピアノの練習曲はあんまり好きじゃなくて真面目に練習しなかったし、楽譜読むのは超絶遅いし、習っていた年数に反してレベルは低かったけど


好きな曲を弾いてたり、ハモったり、伴奏アレンジしたり、自分の好きなように奏でるのが至福のとき。





これは今の私にも通ずるところがある。




料理もそう。

基本のだしの取り方をちゃんと習得しないまま調味料をひたすら組み合わせて好きな味に近づけたり、レシピを必ず自分流にアレンジしたり、アレンジしすぎてもはや創作料理になっていたり

最終的に自己流になってしまう。



しっかりした基本がないの経験や情報や勘でなんとかしようとし、大きな過ちやリスクだけは回避する要領型で、なんとなく形にはなってはいるものの世間的に成功とは言えないけど、その結果に自分は妙に満足している。


これはもう直らない私の生き方なんだろうなと思う。





そう、だから別に自己流に楽しむのはピアノじゃなくてもいい。

あの頃はそれがピアノだっただけで。





今の私には、ピアノよりも楽しいのが

自分の思うことに文章にすること。





ブログを書いてるとき、夢中になって夜更かししてしまう。


バタバタしていてなかなか更新できないけど、たまに書きはじめると止まらない。




話すときって 勢いやノリや相手の反応で言いたい内容がどっか言ってしまうことがあったり伝えきれなかったりすることが

書くときは、じっくりと言葉を選び 納得のいく表現に書き変えることが何度でもできるので、確実に伝えられた達成感がある。




伝えてどうなるか、相手が何を思うかよりも、自分が書きたいから書くという自己満足の究極であるこのブログ。

誰が得をする情報もなく、ただ自己満足のために続けてきた長文ブログ。




かれこれもう10年続いている。


これは私のピアノ歴に匹敵していることに気づいてかなり驚いた。






とにかくこれからも何らかの形で自己表現をしていくつもりな私。



そうやって、日々の生活やストレスやあれこれを乗りきっていこうと思う。