芥川龍之介の小説に「或日の大石内蔵助」という作品があります。
この「大石内蔵助」とは、あの「赤穂事件」の大石内蔵助です。
大石内蔵助は、吉良上野介を討ち取った後、熊本藩の細川家に預けられる訳ですが、その、ある日の出来事が小説には書かれている。
この小説で描かれているのは、この大石内蔵助の「内心」と、「世間の評判」「周囲の印象」との「ギャップ」です。
赤穂の浪士たちが、吉良上野介を討ち取ったことで、世間では赤穂の浪士たちは大評判となり、そのリーダーだった大石内蔵助にも、賞賛の声が寄せられることになる。
しかし、大石内蔵助の心の内は……。
この小説を初めて読んだ時、「芥川龍之介は、このような小説も書くのだな」と、意外でした。
もっとも、内容は、いわゆる「時代小説」のようなものではなく、人間の心を描いた文学作品といったところ。
さて、この「赤穂事件」。
僕は、「歴史」に関することには、あらゆることに興味を持つ性格なのですが、なぜか、この「赤穂事件」に関しては、全く、興味が湧かない。
これといって、何か、知りたいとも、調べようとも思わない。
なぜ、「赤穂事件」に興味が湧かないのか、自分自身でも、とても不思議です。
しかし、一応、「歴史好き」を自認しているので、一般常識程度の知識は必要だろうと、昔、何冊か、「赤穂事件」に関する本を読みました。
昔、わずかに仕入れた知識を元に、「赤穂事件」について、勝手な推測を、話したいと思います。
この「赤穂事件」は、赤穂藩主、浅野内匠頭が、江戸城で、吉良上野介に斬りつけたことで始まります。
そもそも、なぜ、浅野内匠頭は、吉良上野介に江戸城で斬りつけるという暴挙に出たのでしょう。
個人的には、精神的な原因による発作的行動だったのではないかと推測します。
つまり、浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけた理由は、特に、無い。
そして、浅野内匠頭は、切腹、赤穂藩は、取り潰しということになる。
これは、当然の話でしょう。
この時代は「喧嘩両成敗」と呼ばれる習慣があったようで、もめ事があれば、双方が処罰をされるのが一般的だったようですが、この時は、浅野内匠頭だけが処分をされたので、赤穂の藩士たちの中には、不満を募らせる者も出て来る。
しかし、僕の推測が正しく、斬りつけたことに理由が無いとすれば、吉良上野介は、処分を受ける必要はない。
幕府の判断は、妥当だったと思われる。
この時、後処理を任されたのは、赤穂藩の筆頭家老だった大石内蔵助。
恐らく、大石内蔵助の考えとしては、藩士たちの軽挙妄動を抑え、浅野家を再興すること。
そのためには、藩士たちの暴発は、どうしても抑えなければならなかったはず。
さて、赤穂藩士たちの思惑。
恐らく、多くの藩士たちは、まずは「再就職」のことが頭に浮かんだのではないでしょうかね。
そして、「再就職」のために有利な条件を得るためには、「主君の敵を討つ」というう行為が、最も、自身の武士としての価値を高めるのに効果的、と、言うことになる。
恐らく、江戸に在住していた藩士たちの中で「急進派」と呼ばれる人たちの思惑は、こうだったのではないでしょうか。
江戸市中でも、この浅野内匠頭の江戸城での刃傷事件は、大きく評判になっていたはずで、江戸市民たちは、恐らく、赤穂の旧藩士たちが、今後、どうするのか、注目をしていたはず。
そして、大石内蔵助の最大の目標だった「浅野家の再興」は、失敗に終わる。
この時、大石内蔵助は、何を思ったのでしょう。
もし、浅野家の再興が叶わないのなら、筆頭家老として、亡き主君、浅野内匠頭に殉じるという考えがあったとしても、不思議ではない。
いわゆる「殉死」に近い考え。
そして、ならば、主君の死、お家断絶のきっかけになった吉良上野介を道連れに、と、考えたのではないでしょうか。
何の罪も無い、吉良上野介にとっては、大迷惑なこと。
そして、「赤穂の浪士たちが、吉良上野介の屋敷に踏み込み、主君の敵を討とうとしている」というのは、江戸市民、そして、幕府にとって、誰もが知っている公然のことだったはず。
それでも、大石内蔵助が率いる赤穂の浪士たちが、吉良邸に討ち入り、吉良上野介を討ち取ることに成功したのは、幕府の黙認があったとしか考えられない。
恐らく、幕府が、本気で、赤穂の浪士たちの行動を封じ込めようと考えれば、それは可能だったはず。
なぜ、幕府は、それを、しなかったのか。
想像ですが、恐らく、江戸の市民たちは、「赤穂の浪士が、吉良上野介を討ち取る」ということに、大きな期待を寄せていた。
そして、浅野内匠頭を切腹させ、吉良上野介にお咎めがなかったという幕府の裁定に、江戸市民たちは、大きな不満を持っていたはず。(もちろん、江戸市民は、刃傷事件の詳細を知ってる訳ではないので、それは、無責任なものですが)
つまり、幕府が、赤穂の浪士たちの行動を、半ば、放置したのは、江戸市民たちの「ガス抜き」という面があったのかも。
つまり、幕府といっても、世論を無視することは難しいということ。
そして、見事、赤穂の浪士たちは、吉良上野介を討ち取った。
そして、赤穂の浪士たちは、世間の賞賛を浴びることになる。
この時、逆に、この、吉良邸討ち入りに参加をしなかった旧赤穂の藩士だった武士たちは、世間から非難を浴びせられたようですね。
随分と、肩身の狭い思いをしたことでしょう。
恐らく、吉良上野介を討ち取った赤穂の浪士たちには、「これで、再就職が出来る」と、内心、喜んだ人物も多かったのではないでしょうかね。
しかし、それは叶わなかった。
と、勝手な想像をしてみました。
この「赤穂浪士」「忠臣蔵」は、昔は、よく、時代劇としてテレビで放送されていましたが、もう、随分と前から、見ることが無くなった。
やはり、今の人たちには、それほど、人気がある訳ではないからなのでしょうね。