さて、先日、ここで書いた漫画「ドラえもん」の第8巻。
何をしても、怒られない人柄になることが出来る秘密道具「ニクメナイン」の話。
この「ニクメナイン」の話の中で、のび太は、「ニクメナイン」を飲むことで、誰にも怒られることが無くなり、みんなの人気を得ようと、のび太は、他の人がした「悪い事」を、自分がしたことにしてあげようとする訳ですが、この場面を見て、同じ藤子不二雄さんの別の漫画の一話を思い出しました。
それは「新オバケのQ太郎」の第3巻に収録されている「しかられ屋でござい」です。
この「しかられ屋でござい」という話。
Qちゃんの弟、Oちゃん。
Oちゃんは、まだ、幼い。
そして、「バケラッタ」としか、喋ることが出来ない。
ある日、Oちゃんが、家の中で、遊んでいて、窓ガラスを割ってしまった。
しかし、ママは、「仕方が無い」という感じで、Oちゃんを怒らない。
それを見ていたQちゃんは、ある事を、思いつく。
それは「しかられ屋」というもの。
Oちゃんなら、しかられない。
ならば、他の人がした「悪い事」を、Oちゃんのせいにして、その人から、お金を貰おうというもの。
Qちゃんは、他の人がした「悪い事」を、Oちゃんのせいということにして、その人から、お金を貰う。
しかし、Oちゃんは、それが嫌で、逃げ出してしまう。
Qちゃんが、Oちゃんを探していると、正太が、事情を知り、
「怒られなければ良いというものじゃないよ」
と、Qちゃんを諭す。
この「ニクメナイン」と「しかられ屋」という二つの話。
どちらも、「怒られない」人に、他の人の犯した「悪事」を、背負ってもらうという展開になっている。
果たして、人は「怒られなければ、良いのか」というと、決して、そうではないですよね。
例え、怒られなくても、その人が、悪い事をしているということになれば、その人の、「人間としての評価」を落とすことになる。
そして、例え、怒られなくても、その人は、周囲の人から、陰口を言われ、軽蔑をされることになるのではないでしょうか。
そして、それは、本人だけが、気がつかない。
身近な例で言えば、やはり、会社で働いていると、周囲の誰からも、怒られない立場に居る人は、真面目に、仕事に取り組まない。
周囲の人たちが、真面目に、忙しく仕事をしている中でも、自分は、何をしていても怒られないので、のんびり、だらだらと、暇つぶしをしながら、仕事をしている。
そして、そういう人は、やはり、周囲の人から、悪く言われ、馬鹿にされることになる。
しかし、それは、本人の耳には入らないので、本人だけが、気がつかない。
もっとも、それは、「会社の中」という狭い世界の中だけの話で、外に出れば、また、違った態度でしょうから、その人、個人の会社の中での評価など、それほど、意味のあることではないのかも知れない。
また、陰口を言われ、馬鹿にされていても、本人が気がつかないのなら、本人にとっては、全く、関係の無いことなのかも知れない。
やはり、「怒られる」ということは、嫌なことではありますが、必要なことでもあるのでしょうかね。
もっとも、度が過ぎれば、また、別の問題ですが。