少し前に、NHKの「チコちゃんに叱られる」を見ていると、「日本の漫画表現」の話をしていましたよね。
問題は、「なぜ、日本の漫画では、寝ている人が、『鼻ちょうちん』を出しているのか」と、言うものでした。
これです。
鼻から、風船を出している。
これが「鼻ちょうちん」と呼ばれるもの。
外国の人が、これを見ると、とても不思議で、理解することが出来ないようです。
日本の漫画に憧れて、日本に来て漫画家になった外国人の人が、番組の中で話していましたが、この「鼻ちょうちん」を見て、最初は、「セリフの『吹き出し』かな」と、思った、と、言っていました。
日本人は、子供の頃から、当たり前の表現として知っている訳ですが、実際、このような人を見ることは無いですよね。
なぜ、「寝ている人」を、漫画で、このような表現をするようになったのか。
かつて、日本の人たちは、いわゆる「青っ鼻」を流している人が多かったそうです。
漫画の中でも、昔は、「子供」と言えば、「鼻水を流している」という表現がされていた。
こんな、感じ。
なぜ、昔の人は「青っ鼻」を流している人が多かったのかと言えば、「栄養事情が、悪かったから」ということになるそうです。
そして、鼻水を流しながら、寝ていると、「鼻ちょうちん」になる場合も、多かったのでしょう。
それが、漫画で、表現をされていた、と、言うことになる。
他にも、番組の中では、外国人が見ると、不思議な、日本の漫画の表現の話をしていましたが、その中に、「同じ漫画の中で、絵柄が変わる」というものがありました。
例えば、それまで「リアル」な表現で描かれていたキャラクターが、突然、「ギャグ」風のキャラクターに変わってしまう。
これも、外国人が見ると「これが、同じ人物なの?」と、不思議に思うようです。
この表現を、最初に描いた漫画の話もしていましたが、知らない漫画だったので、記憶に残っていない。
しかし、この「リアル」から「ギャグ」へ。「ギャグ」から「リアル」へ。
個人的に、この表現が、とても、印象に残っているのが、「奇面組」です。
「3年奇面組」そして「ハイスクール奇面組」。
個性的なキャラクターたちが、まさに、変幻自在に、大活躍をするギャグ漫画。
ちなみに、番組の中で、チコちゃんが、この「奇面組」の最終回が「夢」だったという話をしていましたが、ネットを見ると、作者は、「夢オチ」のつまりで描いた訳ではないということのようですね。
そして、この最終回を「夢オチ」ととられるのは、心外だということのよう。
僕も、この最終回を、見た時には、完全に「夢オチ」だと思っていました。
やはり、普通の読むと、そう感じるのですから、これは、仕方が無い話。
さて、以下、余談です。
この「3年奇面組」「ハイスクール奇面組」は、「学校」を舞台にしている。
そして、この「学校」を舞台にした物語は、漫画、小説、ドラマ、映画、数限りなく、あるものでしょう。
いわゆる「学園もの」と呼ばれるもの。
僕は、この「学園もの」には、昔から、どうも、違和感を持っていたんですよね。
何が「違和感」なのかというと、「男子生徒、女子生徒が、友達のように接している」という部分。
男子と女子が、何の境もなく、友達のように話をし、仲良くしている。
これが、どうも、「違和感」で、物語の中の、演出なのだろうと思っていた。
僕自身、学校生活の中で、女子と、友達のように話をしたり、仲良くしたりということは、一度も、無かった。
そして、自分の周囲でも、友達のように仲良くしている男子と女子を、見た記憶がない。
だから、学校の中では、男子生徒、女子生徒の間には、距離があるものと思っていた。
しかし、物語の中では、そうではない。
だから、この「男子生徒、女子生徒が、友達のように、仲が良い」というのは、物語の中だけの「フィクション」の世界なのだろうと思っていた。
しかし、今から、5、6年ほど前に、同じ会社で働いているパートの女性に、何かのきっかけで、この話をすると、「それは、おかしい」と、言われてしまいました。
つまり、物語の中の方が、「普通」で、僕のような感覚が「異常」だということ。
そして、別のパートの女性に、同じ話をしてみると、やはり、僕の感覚の方が「おかしい」という話。
何だか、納得が行かないのですが、やはり、「男子生徒、女子生徒は、別のもの」という感覚を持ちながら、学校生活を送って来た僕の方が、「異常」だということになるのでしょう。
でも、僕自身が、女性生徒と、何の接点も無かったというだけならまだしも、他の男子生徒が、他の女子生徒と、友達のように仲良くしているという光景を、僕は、一度も、見たことが無いんですよね。
僕の通った学校は、そうではなかったということなのか、それとも、実際は、あったのだが、記憶に残っていないということなのか。
どうも、不思議です。