さて、また、この本から。

 

 

最近、「オンラインカジノ」が話題になりましたよね。

外国のサーバーで運営をしていても、日本で、この「オンラインカジノ」をするのは、違法行為なんですね。

知りませんでした。

やはり、多くの人が、知らずに、ハマり込んでしまうのかも。

 

何で、人は、「博打」「賭博」に、ハマってしまうのでしょうね。

やはり、一攫千金を狙ってということになるのでしょうが、賭博など、ほぼ、全ての人が、儲からない。

しかし、あの水原氏の賭博が問題になった時に、「ギャンブル依存症」が話題になっていましたよね。

どうも、この「ギャンブル依存症」になってしまうと、「儲かる」「儲からない」よりも、取りあえず、「お金を賭ける」という行為に、快感を感じるようになり、ギャンブルを止められなくなるという話。

とても、怖い。

 

しかし、人間とギャンブルは、切り離せないもののよう。

日本の歴史の中でも、何度も、この「賭博」を禁止する「法」が出されているようです。

しかし、賭博は、無くならない。

 

「日本書記」によれば、持統天皇3年(689)に、「双六禁止令」が、出されているそうです。

 

この「双六(すごろく)」は、日本の賭博の、定番ゲーム。

 

ネットで調べて見ると、この「双六」には、「盤双六」と「絵双六」があるそうです。

しかし、「盤双六」は、江戸時代の終わりに、廃れてしまい、今は、「絵双六」しか、残っていないということ。

今でも、子供は、「双六」をして遊びますよね。

サイコロを振って、絵が描かれた上を、コマを動かして行く。

「人生ゲーム」なども、「絵双六」の一種でしょう。

 

さて、「盤双六」について。

 

これが「盤双六」と呼ばれるもの。

時代劇などで、見たことが無いですかね。

 

日本には、奈良時代に、中国から輸入されたそうです。

持統天皇の時代は、奈良時代よりも前なので、どのような「双六」で、賭博をしていたのでしょうね。

 

この「盤双六」は、見た目も、ルールも、「バックギャモン」に、よく似ている。

ルーツが、同じということなのでしょう。

 

こちらが、「バックギャモン」です。

 

日本では、あまり「バックギャモン」は、メジャーな遊びではないですよね。

面白いゲームなのですが、一緒に楽しむ相手が居ない。

残念。

 

さて、鎌倉幕府。

弘長元年(1261)に出した法令の中に、賭博を禁止したものがある。

内容は「強盗や放火は、博打が原因なので、度々、禁止をして来たが、まだ、違反をする者がある。保の奉行人や、守護、地頭に命じて、重ねて、禁止させるように。ただ、囲碁、将棋は、禁止しない」というもの。

ちなみに、この条文には、「以前にも、同じ内容の法令を出した」という注意書きがあるそうです。

つまり、何度も、「賭博」は「法」で禁止されているのですが、やはり、無くならない。

 

面白いのは「囲碁、将棋は、禁止しない」という一文。

つまり、当時は、囲碁も、将棋も、「賭博」の対象だったということになる。

でも、なぜ、この二つは、禁止を免れたのか。

色々考えると、面白い。

 

暦仁元年(1238)には、全国を対象に「双六は禁止する」という「法」が出ているそうです。

しかし、寛元2年(1244)には、「今後は、博打の中でも、武士が行う双六については、許可する。ただし、庶民は、永久に禁止」という「法」が出ているそうです。

何だか、理不尽ですよね。

 

本の内容からは、離れますが、「時代劇」「賭博」で、思い浮かべるのは「丁半博打」ですよね。

 

二つのサイコロを、小さなコップのようなものの中に入れ、振って、畳の上に、伏せる。

「半か、丁か」

と、客は、出目を予想して、「コマ札」を賭ける。

ちなみに、偶数が「丁」、奇数が「半」となる。

 

この「賭博」によって生計を立てている人を「博徒」と言い、この博徒が、賭場に客を集めて博打をするようになったのは、江戸時代の中期頃から、と、言うこと。

ちなみに、「木枯らし紋次郎」の主人公、紋次郎の生きていた時代は、確か、天保の頃だったっはず。

紋次郎もまた、博打で、生活費を稼いでいたので「博徒」ということになるのでしょう。

紋次郎が、博徒になったのは「無宿」であるから。

この「無宿者」に関しては、また、色々と、調べてみたいところ。

 

ちなみに、漫画「じゃりン子チエ」に登場する「テツ」は、博打が大好き。

テツが、熱中する博打は「カブ」ですが、この「カブ」とは、「おいちょかぶ」のこと。

ブラックジャックは、「21」になることを目指す訳ですが、カブは「9」になることを目指すよう。

今でも、やっている人は、居るのでしょうかね。