同じことを繰り返してきた10年
シンガポールを訪問する機会を頂きました。国際学会での発表のためですが、シンガポールは初めてなんです。お隣のマレーシアは、昨年度、足を運んだばかりですが、こんなに近くても、なかなか国を挟むと、まだまだ足を運ばせて頂いていないそんな国々、土地があります。シンガポールの中心街での学会なのですが、行きかう車、人々を見ながらいつも想うこと。みんな同じようなことをしていて、でも全く違っていて。交通ルールにしてもそれなりに、赤と緑(青)で制御していて、同じようなルール(リズム)でもって、我々を統率していて。それでもって、バラバラでもある。このような光景を見ると、僕は自分の体の中を感じます。人の体って、脳や心臓、腸、すい臓、腎臓、肝臓といった種々の器官があって、食細胞といった人の体を支える、免疫細胞を持っていたりする。このようなバラバラなものが、ルール(リズム)をもって、僕という個人を創り上げていることが、とっても不思議で、でもって、ミクロからマクロに視点を移す。人間社会、自然界、さらに宇宙に想いを広げても、バラバラなものが、一定のリズムをつなげている。人間の死が美しいのは、死ってアンバランスそのもので、それを映し出す背景(自然)は、バランスそのもの、安定している。その安定した背景に、アンバランスな死が投影されるから、美しいのだとどなたかが仰っていたのを思い出します。誰だったかなぁ。シンガポール初日の夜。僕は、お隣のチャイナタウンに独りで繰り出し、夕食を摂りました。Fried rice, please.一瞬伝わらないオーダー。请给我炒飯。一介。昔勉強した中国語でオーダーしなおす、僕。何度となく、繰り返してきたなぁ、このシチュエーション。。。同じことを繰り返してきたような10年。でも、ばらばらなことを繰り返してきた10年。そのばらばらのアンバランスが、いつかバランスを構築して新しいものを創り上げていきたい。それが、人生の折り返しの現在、僕がひしひしと感じていること。チャイナタウンに、それっぽいお店がありました。甘そうな珈琲に、食パンね。以前バンコクの朝に、炭火で焼いた食パンと甘いコーヒーを飲んだことがあります。ふと、横をみると、托鉢の若い僧侶が、朝なのに既に蒸し暑いバンコクの空気をかいくぐる朝日を受けて、不思議な色合いを見せていたことを思い出します。チビ太郎が生まれる前のことです。