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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


4月13日(日)に開幕した「EXPO2025 大阪・関西万博」。通算15回目となった5月29日(木)の訪問記をお送りしています。



お国では「バーラト」という呼称だとはじめて知った「インドパビリオン」を観覧しています。




大変な人出なのですが、多目的ホールでは演目の上演中。観てみたかったのですが。


みなさんがくだんのショーに釘付けになっていましたので、この先は少し空いて来ました。ありがたや。



お、これはかっこいい。お国の最新型特急列車だといいます。




車内の様子もわかるモックアップ。こういうのは大好きです。寝台車ですね。



ただ、ちょっと気になることに気づきました。それが、寝台の配置。


線路に対して並行にベッドが並ぶのが「プルマン式」と呼ばれる方式で、対して直角になるのが開放式。日本では、車両ごとにこのどちらかの方式が採用されているのですが、これが併用されている、というのははじめて見ました。

ただ、これは少し狭そうですね(汗)



こちらの展示スペースでまたも目に留まるのは実に色鮮やかな鉱石の数々でした。




地学についてはからっきしですが、このような
美しい色形にどうやって化すのか。不思議なものです。


これは、うなぎの蒲焼きのよう(苦笑)



ところ狭しの展示はまだまだ続きます。最後にはお国の民芸品やおもちゃ類がたくさん。ギャラリー風にどうぞ。













いや、かわいらしいものばかりです。
この種の展示は他のパビリオンでも幾つか目にしましたが、これほど色鮮やかで多種多様なものは記憶にないほどです。



そして、最後は物品販売スペースでした。



価格は記されてはいないので、どうやら詰めて居られるおじさんと直接交渉するよう。それはそれで楽しそうですが。




出口付近に見つけたのは「悟りの樹」。
そう、やはりお釈迦様の生誕地ならではです。

その教えが何百年もかかって日本にまで伝来した訳です。展示を拝見して来て、文化や習俗が我が国とはまるで違うのに、ということが不思議なことのように感じるのでした。



大変、奥深い印象のインド、バーラトパビリオンなのでした。今度は空いている時に来よう。

次回に続きます。
今日はこんなところです。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


4月13日(日)に開幕した「EXPO2025 大阪・関西万博」。通算15回目となった5月29日(木)の訪問記をお送りしています。




大屋根リングの右側に、反時計回りにあれこれと巡っています。前回のオーストラリアからしばらく進みますと、なんと大きな合掌のモニュメントに驚きます。


ピンク色の蓮の花が美しい、ここが「インドパビリオン」でした。ところが、正面入り口には「BHARAT」の文字がでかでかと。

「INDIA」ではないのですね。


「BHARAT(バーラト)」はインドのヒンディー語表記。「INDIA」は英語表記ですが、お国の憲法では、どちらも公式国名に定められているのだとのこと。これは知りませんでした。


しかしながら「バーラト」は、英国の植民地になる以前からの歴史や文化を象徴する意味の深い言葉だというので、国際的に呼び換えを推奨する動きなのだそうです。



待ち列に並びますが、えらい人出!ただ、外壁の涅槃図が美しい。雰囲気が上がります。


20分ほど待って入場。おっ、なかなか豪華な内装ですね。



展示スペースはこまかく分けられてはいますがまず目に留まるのは、オブジェの数々です。







壺のそれには最初はなにか分かりませんでしたが。目のつけどころが斬新ですね。





仏塔に、舟で行商する人々。写真の類はいっさい出て来ないのですが、お国のイメージが湧きます。こういった魅せ方のパビリオンはあまりなかったような。



殊に興味深かったのが、次室に続くこちらもオブジェ群。



孔雀の像。木製だそうですが、これは精緻な。



そして、これは金属製の水差し。王様はこのようなものを身近に置いていたのですね。


ところで「インドの王様」というと、NHK「みんなのうた」で有名な、この「ラジャ・マハラジャ」という楽曲を思い出します。

歌詞には象に引かせた車に乗って后を探しに行くなどするので、いかにもこれに出て来そうやなあなど。わたしが小学校低学年の頃でしたから、40年くらい前の歌です。YouTubeより。



かわいらしかったのはテラコッタ製の自動車!


いや、最初からなかなか中身の濃いインド、いやバーラトパビリオンです。


次回に続きます。

今日はこんなところです。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


4月13日(日)に開幕した「EXPO2025 大阪・関西万博」。通算15回目となった5月29日(木)の訪問記をお送りしています。




見ごたえのあった「中国パビリオン」を後に、大屋根リングの右側に戻り、これを下って行きます。曇り空は相変わらずですが、人は引きも切らずです。




続いては、この「オーストラリアパビリオン」へ入場することにします。前は幾度も通るのですが、意外にもまだ入ったことはなかったのでした。



お、エミューです。ショッキングピンクは意表を突かれますが、大きいものなんですね。



10分ほど並んで入場。



最初の展示はうっそうとした原生林。よくつくり込まれていますので、没入感はすごいです。




巨木の合間からはコアラ。思わぬところからでしたから、びっくりしました(汗)



岩をイメージしたものには、なにやら特徴的なデザインが彫り込まれているのに気づきます。先住民の文化が特徴的なのも、お国ならではです。



次室に向かうのですが、スタッフの方いわく、ここの天井が人気を博しているといいます。



空が澄んでいるお国ならではの天体観測体験。



なるほど、これだけ美しく夜空を眺められれば。昔の人も、星座を描きたくなるはずです。これは、10分くらい釘付けになるほど美しいものでした。



そして、こちらがメインシアター。豊かな自然のお国のイメージ映像上映でした。





美しい山々やサンゴの澄んだ海はもちろんですが、国土の多くを占める砂漠や荒地などもくまなく紹介されるなど、こちらも見ごたえのあるものでした。行ってみたくなります。


さて、パビリオンを出ますと、ギターとともに聴こえるのは、心地良い歌声。ちょうどショーがはじまったようでした。




お国では有名なミュージシャンの方でしょうか。世界的に活躍されていると紹介にありましたが、実にやさしく胸に響く歌声なのでした。



いや、こういった光景に遭遇出来るのも万博ならでは。俄然、うれしくなります。


次回に続きます。

今日はこんなところです。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


4月13日(日)に開幕した「EXPO2025 大阪・関西万博」。通算15回目となった5月29日(木)の訪問記をお送りしています。





ただいま「中国パビリオン」を観覧しています。悠久の歴史に、我が国との関係についでもあちらこちらで取り上げられているのが印象的です。


さて、2階の展示に移動するスロープに並ぶ、日中の歴史を作った偉人たちの木彫り装飾は、なかなか興味深いシーンが続きます。

固い握手を交わすのは、当時の鄧小平副首相(1904-1997)と松下幸之助翁(1894-1989)。パナソニックの創業者です。では、出典①。


「21世紀は日本や中国などアジアの時代」と予言していた松下幸之助。中国におけるパナソニック発展の歴史は、37年前の1978年10月28日、中国の鄧小平副首相がテレビ事業部を訪問したことに端を発する。

1978年10月、「日中平和友好条約批准」のため訪日した鄧小平副首相は、当社の茨木テレビ事業部を訪問。「松下さん、あなたは日本で経営の神様と言われています。中国の近代化を手伝ってくれませんか」と呼び掛けた。これに対して幸之助は、「できる限り中国の近代化に協力させていただきます」と、即座に答えた。


この瞬間、「中国国民の生活向上に貢献する」ことを目指した松下電器の中国事業が始まった。鄧小平氏の招聘により、松下幸之助は1979年と1980年に訪中し、中国における電子工業の近代化を図るための「日中電子工業連合合弁会社 設立構想」を話し合った。出典②。

ところが、日本の電子機械工業会で賛同が得られず、「それならば松下電器が単独で合弁会社をつくろう」と決意。合弁会社の設立にあたっては、「中国で最も歓迎される業種を選定すべきである」との基本理念に基づき、輸入に頼っていたカラーテレビの基幹部品であるブラウン管を選定。数年にわたる中国当局との交渉を経て、1987年に中国における合弁会社第一号「北京・松下彩色顕像管(有)」が設立された。


生産開始に向けて、当社の経営理念である「ものをつくる前に人をつくる(注釈∶松下電器は人をつくる会社で、合わせて家電もつくっている、と幸之助翁は公言していた)」との考えのもと、第一ラインを担当する250人全員が、半年間、日本で実習した。スピードも品質も日本と遜色ないレベルにまで習熟、1989年6月、北京での生産第一号機が完成。その後、同社は飛躍的に製品の生産販売数を伸ばしていった。

1979年の訪中では、こんなエピソードもある。技術合作先の北京電視機廠を訪問した松下幸之助は、「皆さんはカラーテレビをつくることに非常に努力されている。こういう努力を続ければ、必ず数年で日本の技術に追いつき、また日本にない新しい技術を開発されることでしょう。その時には、最初に松下電器にその技術を売りに来てください」と述べて、列席した関係者を唖然とさせたという。


これはリップサービスではなく、幸之助の本心であった。中国は今や世界最大の巨大市場であり、研究開発を含めて"世界の工場"であることは言うまでもないが、創業者は中国の可能性と将来性をいち早く確信していたのだ。出典③。

なるほど…人口増加の著しい中国は、日本にとって巨大市場になることを予見していたという。これは幸之助翁の先見の明ですね。


前回の佐伯氏や幸之助翁と、実に奥深いエピソードばかりですので感嘆するのですが、このようなお互いの深い信頼に拠る関係、懐の大きさというのこそ、いまの日中関係では大事なことのように感じます。

当時は、先の大戦が終結してようやく国交正常化を実現した時代背景もあったのでしょうが。




さて、続いての展示は、お国の一日をなにげない市民の生活風景を切り取り紹介するという映像展示。十二支で時刻を表すのが中国らしい。






芝居でなく、ごく普通の市民の生活を垣間見るこのような展示は大好きです。なんら、飾りがありませんので。




さらに別館に向かいます。ここにも木簡はあったんですね。全部で、どれくらいの名句や諺の数が記されているのでしょうか。



こちらでは、うって変わって近年、お国で著しい宇宙開発についての展示が並びます。


お、月のオブジェがきれいですが、この前に飾られているガラスケースに、長蛇の列が出来ているではないですか。これが、中国パビリオン随一の目玉、というのですが。



お国の探査船が、月面の裏側から採取したという「月の砂」!へぇっと感じますが、このあたりはアメリカパビリオンの「月の石」展示と張り合っている気がしないでもありません(汗)


これは、一回入場しただけでは見切れないほどの内容です。
また機会を見つけて入ってみたくなりました。


最後にはグッズショップでした。





ピンバッジに、やはりパンダですね。かわいらしい。日本人はどうしてもパンダに釣られますね(汗)



次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「パナソニック ホールディングス」公式サイト)

https://news.panasonic.com/jp/stories/522


(出典②「PHP」公式サイト)

https://www.php.co.jp/php/topics/konosuke/article-30264.php


(出典③「フリー百科事典Wikipedia#松下幸之助」)

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


4月13日(日)に開幕した「EXPO2025 大阪・関西万博」。通算15回目となった5月29日(木)の訪問記をお送りしています。




我が国の間とも、その歴史の深さをあちこちで感じる「中国パビリオン」を観覧しています。




ただいま、2階の展示へと上がろうとするスロープ。その合間には、日本と中国との長い歴史を作って来た、さまざまな人物たちやものごとの一幕が、立派な木彫りで飾られていました。




ところで先日来、しつこく?述べておりますが、パビリオン正面に掲げられていた巨大木簡に見つけた「徳不孤 必有隣(とくは こならず かならず となりあり)」という、論語の一節。



これに加え、なんと偶然なことかとびっくり仰天したのが、この人々が集うシーンでした。



右端には毛沢東主席(1893-1976)。
日中戦争の終結後、国共内戦に勝利し、現在の中華人民共和国を建国した人物です。棚には「日本商品展覧会」とありますので、我が国からの商品を取り扱う場のよう。


その隣では、歓談する3人の人物。
左側は周恩来首相(1898-1976)に、右側は稲山嘉寛氏(いなやま・よしひろ、1904-1987)。1980年代前半に日本経団連の会長を務め、長く製鉄業界に身を置いた財界人です。

戦後は長年にわたって中国へ製鉄技術の指導に当たり、お国の製鉄技術の向上に寄与した人物としても知られています。


そして、その二人の間に立つ人物は佐伯勇(さえき・いさむ、1903-1989)という実業家。えっ、この人物も日中の歴史に関係があったのか、と驚きます。




佐伯氏は愛媛県出身。東京帝大(現在の東京大学)を卒業後、昭和2年に近鉄の母体会社となる「大阪電気軌道(大軌)」に入社します。



戦後、発足したばかりの「近畿日本鉄道(近鉄)」の社長や会長を長らく歴任。

「伊勢湾台風」で壊滅的な被害を受けた路線の復旧に合わせて「名古屋線」の軌道幅(1067mm)を「大阪線(1435mm)」と同一に改軌させ、名阪間の直通運転開始や二階建てビスタカーの導入を実現(1959年)。



沿線の中小私鉄多数を買収し路線規格を大幅に向上。さらに先の「大阪万博(1970年)」を機に、伊勢志摩一帯を今日に至る一大リゾート地に発展させるなど、鉄道以外の各方面でも事業の拡大や発展に尽力したことから、近鉄中興の祖と呼ばれる人物です。ここまで、出典①。



また、プロ野球がセ・パ2リーグに分立した際新規にこれにも参入。「近鉄パールス(→近鉄バファローズ→現、オリックス・バファローズ)」を創設、死去するまで名物オーナーとして球界の発展に尽力したことでも知られています。1990(平成2)年、野球殿堂特別表彰。







1989(平成元)年10月14日、9年ぶりにパ・リーグ制覇を果たし、胴上げされる近鉄・仰木彬監督。オーナーを務めていた佐伯氏はこの9日前に急逝、歓喜の瞬間を見届けることは出来なかった。出典②。


そして、本題の佐伯氏と中国との関係については、大阪商工会議所会頭を1971年から1981年まで10年間務めた間、会頭就任直後に中国を訪問し、翌年の国交回復の足がかりを作ったといいます。さらに掘り下げます。以下、出典③。




昭和47年秋、多年の念願であった日中国交正常化が実現した。これに先立ち昭和46年9月、関西財界訪中団(団長=佐伯勇会頭)が組織され、中国との懇親が行われた。これが正常化へのきっかけともなった。図説は出典④。




関西は歴史的に中国との関係が深い。それだけに過去30数年の断絶をとり戻すには関西にふさわしい役割であった。この正常化を機会に佐伯会頭が昭和47年9月、議員総会に大阪で中国博を開こうと提唱、自らこの実現に邁進した。


さっそく関経連、工業会、同友会、関経協ら在阪経済5団体と連盟で博覧会開催の要望をまとめ政府等関係当局に働きかけ、協力の約束をとりつけた。一方、中国側にも来日した要人らに要望するとともに、昭年48年1月、佐伯会頭自ら訪中し、中国側の責任者に説明し、その熱意を訴えた。



こうした努力の結果、わが国初の「中華人民共和国展覧会」開催が決った。そこで昭和48年受け入れ機関として財団法人大阪中国展覧会協会(会長=佐伯会頭)が設立、実行に移された。会期中、連日の爆発的な大盛況となった。

中国展の概要

●主催/中華人民共和国国際貿易促進委員会

●会期/49年7月13日(土)~8月11日(日)

●会場/万博記念公園内(大阪万博跡地)

●展示内容/・第1展示館(7,200平方m)=日中友好展示、農林漁業、重・軽工業部の展示。・第2展示館(万博美術館)=手工芸品部門、文化部門。・劇場(万博記念ホール)=映画紹介。・中国特産物記念即売場

●入場者/260万6,320人




たった一ヶ月の会期に関わらず、入場者が260万人を超えるという、大変な人気ぶりだったようで、この短期間に入場者数を勘案すると、この夢洲万博と変わらないほどです。


しかし当時、日本人から中国というお国には、大変な感心があったんですね。そういったこともあり、佐伯氏はその後にも中国との友好関係を築いて行ったようでした。出典⑤。



千里の万国博会場跡で中国展が開催された翌年の1975(昭和50)年11月、近鉄が手がけていた大工事が完成します。紀伊半島の付け根、三重県の北端・布引山地を東西に貫く全長5652mにも及ぶ「新青山トンネル」の開通でした。


西青山にて。中央が佐伯氏。以下、出典①。



この区間は急峻な山々が連続し、新トンネルの完成に至るまでは、昭和初期に開業した当時のままの急カーブが連続する単線区間で、特に、名阪直通運転がはじまって以来、輸送上の大きなネックになっていました。

これに変わる複線の新トンネルを掘削する構想はありましたが、その距離があまりに長く、難工事が予想されたために手づかずでした。


しかしながら1971(昭和46)年10月、その単線区間のトンネル入り口で特急列車同士が正面衝突し、多数の死者・重軽傷者を出すという大事故が発生します。



近鉄はこの事故をきっかけに、単線区間を含む区間を、新規に複線トンネルを掘削した上で、直線区間の新ルートへ全面的に切り替えることを直ちに決定。


「新青山トンネル」の工事がはじまりました。



そして、事故翌年から3年あまりの工期を経て、悲願の「新青山トンネル」は竣工。同時に「大阪線」はすべて複線化されたのでした。




5652mにも及ぶ「新青山トンネル」の大阪側の坑口にはその竣工を記念し、佐伯氏がしたためた扁額が令和の現在も掲げられています。


それが「徳不孤(とくは こならず)」



そう、先ほどパビリオン入り口の木簡に記されていたものです。


難工事の陣頭指揮を取った佐伯会長が、これまでの中国との深い友好関係やさまざまな典拠に思いがあってこその揮毫だったのでしょう。



冒頭でも触れましたが、論語の「徳不孤(とくは こならず、徳のある人は孤独ではない)」「必有隣(かならずとなりあり、必ず同じく徳のある人が隣に有る)」と続きます。



これは俗談ですが、「孤独=単線」と考えると「必有隣=必ず隣にレールがある」つまり複線になってこそ、このトンネルの意味がある。大事故を受けての、長大な複線の新トンネルの完成。氏の深い意味があるのかなと感じます。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「近畿日本鉄道 80年のあゆみ」近畿日本鉄道編・発行 平成2年10月)

(出典②YouTube「1989.10.14【生中継】近鉄バファローズ優勝試合」)



(出典③「図説日本史通覧」帝国書院編・黒田日出男監修 2014年2月)

(出典④「大阪商工会議所」公式サイト)

https://www.osaka.cci.or.jp/Shoukai/Rekishi/06.html


(出典⑤「近畿日本鉄道 最近20年のあゆみ」近畿日本鉄道編・発行 昭和55年10月)

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


4月13日(日)に開幕した「EXPO2025 大阪・関西万博」。通算15回目となった5月29日(木)の訪問記をお送りしています。




巨大木簡に記された、古典に拠る数々の名句や諺などが印象的な「中国パビリオン」にやって来ました。30分ほど並んで入場。



入り口では、やはり?パンダがお出迎え。そういえば、南紀白浜(和歌山)から名物のパンダがみな里帰りしてしまったなと思い出します。

関西では「南紀白浜=パンダ」でしたから、今後どうなるのか。温泉とパンダをセットに旅する人も多いくらいですし。


それはさておき、広々したエントランスホールでは最初の映像上映がなされていました。





お国で活躍する人々の紹介。殊に、宇宙開発に携わるものの多さに目が行きます。近年では、この分野では中国は進出著しいですね。

順路を進みますと、アメリカパビリオンの「月の石」に対抗しているという、月に関するあるものが目玉の展示だといいます。楽しみです。



続いての展示ホール。


おっ、こうしたものは世界史の図説などで目にしたことがあります。動物の骨に、古代文字が刻まれているもの。「甲骨文」といいます。



ショーケース越しでしたのではっきり視認出来なかったのですが、うっすらと文字らしきものは見えました。どれくらい以前なんでしょう。



興味深かったのは、これらに記されている字の変遷。漢字は、絵文字のようなものから枝葉がついたり外れたりして形づくられているのは言うまでもない歴史ですが、こうして見るとおもしろいですね。きちんと意味を為している。



隣に展示されていたのは、秦の始皇帝時代に使われていたという銅版。

解説では「紀元前221年」とありますから、いまから2300年近く前のもの。よく現在まで残されていたなとびっくりしますが、これに命令を記したものが、帝の詔勅となっていたという。



お、こちらは文字が見えます。帝や縣、詔、などでしょうか。皇帝に関係のありそうな文字。


そして、反対側にあったのがこの巨大な円形のスクリーン。最初は、美しい模様がずっと流されていたのですが…


お国での、四季にまつわる節気が水墨画とともに流れます。日本の二十四節気と同じくするものもたくさんあるのに驚きます。これは美しいもの。風情があります。

10分くらい、ぼけ〜っと眺めていました。



これはすごい。高さは3mくらいありましょうか。実にたまらん色合いの青銅器です。

お国の四川省・三星堆(さんせいたい)遺跡(約4500〜2900年前)から出土したという、青銅神樹のレプリカ、だとのこと。神霊が宿る神聖なご神体で、実物は国外持ち出しが堅く禁じられているほどの宝物だとのこと。




4500〜2900年前のもの、と作られた時代の幅はかなりだとはいえ、これは見事なものです。




さすがにこのあたりは中国です。遥か昔から、すぐれた文明が繁栄していたあかし。すごいものを拝見出来ました。


さて、ここで2階へと上がります。スロープには中日友好の歴史を辿るという、これまた立派な木彫りのオブジェが並んでいます。


遣唐使として唐の国に渡り、時の皇帝・玄宗(712-756)に仕えるものの、帰国を果たせず客死した、阿倍仲麻呂(698-770)。


幾多の航海の困難を乗り越え、仏法を伝来するために来日した鑑真和上(688?-763)。



そして、遣唐使の一員として、唐の国に密教を学んだ若き日の弘法大師・空海(774-835)。帰国後に真言宗を開いたことで知られています。



そして、鉄腕アトムと孫悟空の取り合わせ!


というように、お国と日本との長い歴史で登場する、さまざまな偉人たちがずらり、なのですが、この後、なんとこれ偶然なことか、と腰を抜かしそうになる一場面に出くわすのでした


次回に続きます。
今日はこんなところです。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。



4月13日(日)に開幕した「EXPO2025 大阪・関西万博」。今日からは、通算15回目となった5月29日(木)の訪問記をお送りします。



季節は、梅雨の頃に差し掛かったこの日。
連日、うっとおしい曇り空が続いていました。尤もいま、お盆も終わりなんですが(汗)

出発はいつもと同じおらが街「OsakaMetro中央線・近鉄けいはんな線 長田駅(大阪府東大阪市)」から。



ホームに降りますと、すぐに列車は入って来ました。しかし、なにか様子が違います。


行き先表示は「夢洲」ではなく「回送」!
さらに、扉が開くではありませんか。



そういえば、中央線の各駅ホームにはこの告知がなされているのに気づきます。万博に社会学習や遠足などに向かう、小中学生にメトロが専用列車を走らせていたのでした。


わたしが見かけたのは「子ども専用列車」。
夢洲方の最大4両が子ども専用で、長田方の残り車両には、一般客も乗車出来るというもの。各駅停車です。OsakaMetroホームページより。

ただし、一般客の乗車は「森ノ宮(大阪市中央区)・弁天町(同港区)」からのみという、なかなか特殊な運用。ちなみに、運行は夢洲ゆきの一方向のみです。



そういえば、助手席側にミャクミャクも乗っていました。これは雰囲気が上がりますね。



そういったことで、1本後の列車で「夢洲駅(同此花区)」に到着したのは、10時半過ぎ。なるほど、遠足や社会見学で万博会場にやって来るのにはこの時間がいちばん良かったんですね。

列車はすぐに「森ノ宮ゆき」で折り返して行きました。車庫に入庫するのでしょう。



地上に出ました。やはり曇り空は変わらずですが、雨予報ではないので気は楽です。混雑は激しいのですが、そのおかげか来場予約は11:00〜しか取れませんでした。




しかしながら列の進みはむちゃくちゃ早く、並んで10分ほどで入場出来ました。ありがたや。



さて、今日はどのように巡りましょうか。事前予約、当日予約ともいっさいなしです。


電力館のタマゴを左に折れて、大屋根リングを時計回りに進む。


ポルトガルパビリオンが角の「エンパワーリングゾーン(Pゾーン)」に出て来ました。


ウォータープラザが近く、いつも人通りの多いこのあたりですが、今日はがんばって?未入場のパビリオン群に入場してみたいと思います。万博公式サイトより。


この一帯の人気パビリオンというと、右側のクウェートと、左側の中国でしょうか。


今日はまず、その「中国パビリオン」から入場を試みることにします。列は長いです(汗)


中国パビリオンといいますと、外観の巨大木簡に記された、古典に典拠する数々の名言、諺の数々。



字体も大きさもさまざまで、おもしろいなあと思いながら前を通っていた次第です。

ただ、具体的な内容はこのように列に並んでいますと、ようやくわかるのでした。ただ、知らぬものばかりやなあと、しげしげ観察していたのですが…


「徳不孤(とくは こならず)」を見つけました。

「必有隣(かならず となりあり)」と続く論語の一節ですが、実は、鉄オタのわたしにしてみれば、後ほどのパビリオンの展示も拝見して、こんな偶然なことがあるのかと、腰を抜かすほどびっくり仰天することになるのでした。


次回に続きます。

今日はこんなところです。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


4月13日(日)に開幕した「EXPO2025 大阪・関西万博」。通算14回目となった5月22日(木)の訪問記をお送りしています。




さて、思い立って昨日に引き続いての訪問となった万博。今日は会場をぶらぶらして巡ろうかと思っていたのですが…

なんと、幸いに「null²(ヌルヌル)」の当日予約が取れました(14:30〜)。これまで、7日前抽選や3日前先着予約に挑むものの、ことごとく跳ね返されて来た、人気のパビリオンです。

開幕前から、メディアやネットで多数取り上げられて来た注目のパビリオン。ぜひ入場してみたかったのでこれはうれしいと、大屋根リング上の散歩はそこそこにさっそく向かいます。


シグネチャーパビリオンという、各界著名人がプロデューサーを務める、「いのち」をテーマにした8つのパビリオン群は「シグネチャーゾーン(Xゾーン)」と呼ばれます。その南端にあるのが「null²」。万博公式サイトより。



これが「null²」パビリオン。
全面鏡張りで、実に変わった形をしています。そして、不気味な唸り声に、クニャクニャ動く鏡。前を通る度に、これ中はどうなってるんやろ?と、不審にすら思っていたのですが。

「null²(ヌルヌル)」は、メディアアーティスト落合陽一がプロデュースする「いのちを磨く」をテーマに掲げるパビリオンです。
人類が未だ見たことのないインタラクティブな構造体として設計され、訪れる人々の身体をデジタル化し、パビリオン内で有機的に変形する「Mirrored Body®(ミラードボディ)」と対話することができます。


nullとはコンピュータプログラミングで「値がない」状態を意味します。本パビリオン「null2」では、この「何もない」状態を「新しい価値が生まれる可能性の場」と捉え直し、物質と情報、リアルとバーチャルの間で新しい生命観を提唱します。自然と人工物、身体と情報空間が融合した「デジタルネイチャー(計算機自然)」を体験することで、来場者の皆様に新しい自己認識や生命観を提供します。


「null2」は従来の鏡の概念を再発明し、訪れる人々に「自己との遭遇」という前例のない体験を提供します。パビリオン公式サイトより。




と、解説されているのですが。

あまりにわからないので、6月末からEテレで放送されていた朝の子ども向け「ザ・ウェイキー・ショウ」という番組で取り上げられていた、シグネチャーパビリオン特集から拾ってみます。7月2日放送より。




なるほど、古代から姿が変わって来なかった、鏡の未来を見せてくれる…そう言われますと、なんとはなしに外観の意味もうっすらわかるような気がします。


「null²」のプロデューサーは落合陽一さん。
メディアアーティストという肩書きですが、アート・デジタル・情報処理などの分野で広く功績を残し、大学の客員教授を多数務められている、世界的に活躍する学識者です。


未知の風景 変形しながら風景を歪める彫刻

物理的に現場に行くことの価値を作り出す。人類が未だ見たことのないインタラクティブな構造体。
風景を変換しながら、自然と人間の間にデジタルの自由さを持って調和をもたらす。
数年に一度しかない世界的に大きなナショナルイベントでしか進展しないような建築やインタラクティブ技術の進歩を巻き起こす。


未知の体験 デジタルの身体による合わせ鏡

訪れた人々の身体をデジタル化し、パビリオンの中では有機的に変形し自律的に動作する身体と対話する。有史以来、行われてこなかった鏡の再発明。同。


しかし、あまりにも概要が深淵過ぎてわたしなどにはさっぱりわかりません。ただ、よくこのようなものを考え出して、そして拵えたなと感心するのみ。




ただ、本当に美しい造形です。鏡ですから、空の様子がそっくりそのまま映し出される訳で。きれいやなあと、前を通るだけでも立ち止まってしまうのでした。


20分ほど予約列に並び入場。いままで見たことのないようなあの奇抜な外観、ということもありますので、真っ暗な中をおそるおそる進むのですが…


そこに広がるのは、ガラスと鏡張りのなんと表現すれば良いのかわからぬ、不思議な世界。

無限反射空間
天井と床の鏡面状LEDによって構成される内部空間は、無限に広がる反射世界を生み出します。視覚的な無限性と物理的な有限性が交差するこの空間で、来場者は時間と空間の認識を新たにし、自己と宇宙の関係性について考えを深めることができます。同。


ショーはほどなくはじまりました。



視覚的な無限性と、物理的な有限性との交差…と言われますと、現実と幻想との区別が徐々につかなくなって来るような気がします。




7分ほどで、メインの映像ショーは終了。



とかく、言葉がありません。というか、見つかりません。どんなパビリオンやったん?と聞かれても、説明出来ないことだけは確かです。


しかし、スタッフの方の解説では、落合は仏教思想も念頭に置いてパビリオンをつくっています、とのこと。空や虚、という言葉に当てはまるでしょうか。とにかく、すごかった…



余談ですが、55年前の千里万博、つまり先の「大阪万博(1970年開催)」の時に女学生で、会場には友人らと幾度か足を運んだというおかん(齢70半ば)の感想を思い出しました。


千里万博はどんなんやった、と聞くと、とにかくなぁあんたすごかった、まずは「太陽の塔」自体がわからへんのに、屋根を突き破っていることに仰天した、他のものもどんな詳しい意図があるのかわからへんけどすごかってん、とばかりいつも繰り返す意味が、少しはわかった気がしたのでした(^_^;)出典①。




さて、まだ日は高いのですが、わたしの方は念願の「null²」に入れたので、大満足。今日はこれでお開きということにしました。


ではこの日、5月22日(木)のまとめです。

長田09:17→夢洲09:54
普通夢洲ゆき⑥32858

10:10 夢洲駅構内のローソンで時間つぶす
10:25 地上へ出る
10:35 東ゲート並ぶ
11:10 東ゲート入場
11:25 ルクセンブルクパビリオン並ぶ
11:55 ルクセンブルクパビリオン入場
12:35 ルクセンブルクパビリオン退出
シグネチャーパビリオン「null²」当日予約取れる(14:30〜)
12:45 昼食・休憩
13:10 大屋根リングを長めの散策
14:20 シグネチャーゾーン到着
14:30 シグネチャーパビリオン「null²」予約列並ぶ
14:50「null²」入場
15:10「null²」退出
以降、シグネチャーゾーン・エンパワーリングゾーン付近散策
15:45 東ゲート前「MARUZEN JUNKUDO」「大丸高島屋百貨店」おみやげ屋覗く
16:35 東ゲート退出

夢洲16:49→長田17:25
普通長田ゆき⑥7203(近鉄車)

開幕40日目/14回目入場
総入場者∶13万7767人
(一般:11万9741人 関係者:1万8026人) 


次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」2023年9月5日〜同10月25日開催 千里ニュータウン情報館 展示より)

みなさんこんにちは。前回からの続きです。



4月13日(日)に開幕した「EXPO2025 大阪・関西万博」。今日からは、通算14回目となった5月22日(木)の訪問記をお送りします。




万博の会期も残すところ2ヶ月を切りました。

早いもんやなあと感じるのですが、わたしの方はというとまだ5月下旬のまま。果たして、どうなるのでしょうか(汗)



さて、昨日に引き続いての万博です。出発はいつものおらが街「OsakaMetro中央線・近鉄けいはんな線 長田駅(大阪府東大阪市)」から。


各駅から乗り換え客が次々と乗り込み、満員で10時前に「夢洲駅(大阪市此花区)」到着。



毎度ながら感じるのですが、車内から駅、構内からゲート前に至るまで、乗り合わせた人々のなんと明るい表情に、期待のこもった会話。

このような経験は万博会期中だけなのかも知れませんが、わたしまでいつもわくわくします。



実は今日は、思い立っての来場でしたので、パビリオンの予約はいっさいなし。さらに、入場も11:00〜しか取れませんでしたので、駅構内で時間をつぶしてから東ゲートに並びます。

しかし昨日同様に、雲の多い空です。陽射しは差し込むのですが、急に厚い雲で薄暗くなるという繰り返し。暑くないだけましですが…


40分ほど要して無事に東ゲートを通過。

やはり今日も、遠足の小中学生の姿をあちこちで見かけます。ひとつでも多く、パビリオンに入れたらええですね!



さて、思い立っての来場になりましたので、別段予定はありません。さらにこの時間ですから当日予約もほぼ埋まっています。

昨日はさんざん歩き倒しましたので、ゆっくり巡ろうかとは思います。まず大屋根リングに入りこれを反時計回りに。



おっ、ルクセンブルクパビリオンの待ち列が短いのに気づきます。普段ならば、リング側までつづら折りになっているのですが。さっそくに並ぶことにします。



ルクセンブルクは3回目の入場です。開幕日の4月13日入場、4月16日アップ。さらに、ちびっ子次女と5月17日入場、8月1日アップ。






30分ほどで入場。前室のお国紹介から、入場者の知力エネルギーを集結させるコーナー。

そして最大の目玉は、やはりお国の豊かな自然をネット越しに360度満喫出来る、没入感たっぷりの映像体験。何回体験しても、すぐにまた来たくなるパビリオンなのでした。


40分ほどでルクセンブルクを退出。入場した時点より薄暗いあたり、やはり変な空模様です。


ところで、ここで大変なことになりました。
やはり、どこか当日予約が取れたらええなとアプリをいらっていましたら、なんとあのシグネチャーパビリオン「null²(ヌルヌル)」が取れました(14:30〜)。

落合陽一さんプロデュースで、開幕前からマスコミやネットで多数取り上げられていた人気パビリオン。どうやら、入場枠を何時間かおきに開放してくれているようです。ありがたや。


いや〜、これはうれしい。7日前予約でも幾度もトライしていたのですが、すべてはね返されていましたので。一気にテンションが上がります。こんなことがあるんですね。


くだんの「null²」まではまだ時間があります。昼食をはさんで大屋根リングに上り、散策してみることにします。万博公式サイトより。



久しぶりにリング上に上がって来ました。間断なく吹き抜ける海風が心地良いのですが、地上からは最大で高さ20m近くはありますので、気温の感じ方がまったく違います。



それでは、さっそくリングから会場を眺めつつぷらぶら散策することにします。



スペインパビリオン。入り口は階段を上った右端にありますので、順路はまるで巡礼のよう。






神殿のようなトルクメニスタンパビリオン。



そして、隣には外観に緑濃くなって来たセルビアパビリオン。


大通路をはさむと「セービングゾーン(Sゾーン)」です。角にベルギーパビリオン。


この一帯は、会場内でも人通りがとても多いところ。ベルギー、イタリア・バチカン、シンガポールと続きます。活気を感じますね。


再び、スタート地点に戻ります。



リングは何か所かで上下に通路が分かれています。景色の良いのはもちろん上の方ですが、にぎわう会場内とは趣きが異なり、芝生広場が長く広がります。ここがいちばん高いところ。


地上から。東ゲートから入場し、まっすぐ進んで最初にリングに突き当る、ここです。


再び、同じ場所から。これは素晴らしい景色。東ゲート付近のみならず、周辺の様子も手に取るよう。といいますか、こんな高いところやったんですね。



夢洲の東側は、万博以前からコンテナヤードです。物流拠点としての役割を果たしています。

奥の赤い多層の橋は、阪神高速の通る「港大橋(全長980m、1974年7月開業)」。大阪ベイエリアでは、昭和時代からのランドマークです。


大阪ヘルスケアパビリオンの屋根の向こうは、同じく大阪湾に浮かぶ人工島「舞洲(まいしま)」。手前は「夢舞(ゆめまい)大橋」です。


そして、北西側では整地の真っ最中。ここに、カジノや国際会議場などを含むIR(統合型リゾート)が出来ることになっています。


大阪ベイエリアの様子がよくわかるのでした。


さて、先に進みます。行列が2本、右側はアメリカパビリオン、左側はフランスパビリオン。






ロープが外観のポルトガルが見えて来ました。リングはここからウォータープラザの上に差し掛かります。下部の通路は自動車専用道路に変わり、人は立ち入れない区間になります。


リング自体はまだ続くのですが、いったんここで地上に降りることにします。





地上に降りて来ました。このあたりは「エンパワーリングゾーン(Pゾーン)」。昨日、入場した国際機関や赤十字などのパビリオンが左側に並ぶところ。右側は、クウェートと中国。



そして、隣接する「シグネチャーゾーン(Xゾーン)」に辿り着きました。

だいぶ歩きました。名称の通り、8つあるシグネチャーパビリオンの集うゾーンの中枢です。


その一角に、ずっと入場したかったシグネチャーパビリオン「null²」はありました。いや、楽しみです。

次回に続きます。

今日はこんなところです。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。



4月13日(日)に開幕した「EXPO2025 大阪・関西万博」。通算13回目となった5月21日(水)の訪問記をお送りしています。


会場の中央付近に位置する「国連パビリオン」を観覧しています。次はシアター上映だということで、どのようなものか楽しみです。



はじまりました。国連が果たそうとしている世界情勢の安定と平和維持、経済や文化の発展と、それを全世界に遍くもたらし協力関係に導くという、まさに他には出来ない、地球規模の活動について。スケールがあまりに大きくて圧倒されます。



アントニオ・グテーレス事務総長のメッセージがあり、国連の目指す平和を基調とした世界が描かれます。



これは、なかなか見ごたえありました。また、拝見してみたくなるものです。


シアター上映を終えると、後は自由観覧です。こちらでも、国連のさまざまな活動についての紹介を、入場者がタッチパネルで自由に観覧出来る、というもの。



そんな中、気になったのは「日本人国連ボランティア」にまつわるものでした。派遣されたのは、116カ国にも及ぶといいます。


さらに詳しく、派遣先の国々を上位から。
ケニア、スーダン、東ティモール…と、政情が不安定であったり、生活や教育などの環境が整わないお国もたくさんですが、今般の万博で単独出展している国々の名前も幾つか見られます。

意外な感を率直に受けましたが、それぞれのお国にはそれぞれの深い事情があるはず。パビリオンだけの見た目には正直わからないものだ、と感じます。言い方が難しいのですが。



最後は、グッズショップになっていました。



オリジナルの商品がたくさん。お菓子も売られていました。



ところで、このショップの傍らに巨大なこのガチャガチャを見つけました。なんやろう。QRコードからアンケートに答えて頂くと、どうぞ!とのこと。


さっそくやってみました。


中身は、国連を組織する各機関を紹介する説明書き。これはなかなか意表を突かれましたが、
わたしの引き当てたのは「IMO(International Maritime Organization)」。

「国際海事機関」は、海運の安全と海洋や大気汚染の防止に関わる機関だそう。まったく聞いたことはないですが、見えないところで地道な活動をされているのだなと、感心します。


いや、世界は知らないことばかりです。
こういったパビリオンが存在することにこそ、万博の意義はあるのでしょうし、先ほど訪問した国際赤十字・赤新月運動館ともども、もっと世に知られるべきものではないか、と胸につまされます。



さて、空を見上げますと日は暮れつつあるのとポツポツ降って来ました。傘は持って来ていないので、大屋根リングの下に駆け込みます。

雨やしもう暗いし、どないしようかなと思うのですが、アプリをいらっていますと、運の良いことに「三菱未来館(19:22〜)」の当日予約が取れました。キャンセルが出たのでしょうか。


急いで東ゲート前まで戻ります。



三菱未来館は、東ゲートを入って左側にいちばん近いパビリオンです。これはありがたい。


ですが、予約なし入場も30分待ちで可能、との案内。どのみち助かりますが(汗)



三菱未来館は、思えば開幕日に入場して以来です。迫力あるシアター上映でしたので、入場出来て良かった。ナビゲーターの「ビビ・ナナ」が待ち構えていたのですが…



スタッフのおねえさんが拡声器で仰っていたのですが、ビビ役の声を演じるのは花江夏樹さん。そう、あの竈門炭治郎役です。


さらに、パートナーのナナ役は早見沙織さん。なんと、胡蝶しのぶ役だったという。出典①。


まったく気づかなかったのですが、出口に至る 通路に貼られていたポスターには、ちゃんとクレジットされていました。

ちなみに、作中で他に登場する火星探査隊員役は沢城みゆきさん。確か、新バージョンの「ゲゲゲの鬼太郎」で鬼太郎役をされていたかと。


いや〜、これにはびっくりしました。
鬼滅の刃は、ちびっ子次女に付き合って観ていたのですが、まったく気づきませんでした。

といいますか、鬼殺隊のあの鬼気迫る雰囲気ではとてもではない、ここは夢のある三菱未来館ですので(汗)


そういったことで、最後の最後に思わぬ収穫でした。わからんもんやなあと思いつつ、東ゲートを退出します。


時刻は8時半前。帰宅ラッシュは9時を過ぎる頃ですから、30分後です。



ではこの日、5月21日(水)のまとめです。

長田08:55→夢洲09:35遅れ4(先行列車混雑のため)普通夢洲ゆき⑥408-10

09:45 東ゲート並ぶ
10:25 東ゲート通過
10:35 大阪ヘルスケアパビリオン横でニンジンクラフトビール味わう
国際赤十字・赤新月運動館当日予約取れる(17:36〜)
10:50 大屋根リング時計回りにエンパワーリングゾーンへ向かう
11:00 ブラジルパビリオン並ぶ
11:15 ブラジルパビリオン入場
11:40 ブラジルパビリオン退出
11:50 マーケットプレイス東フードコートで醤油ラーメンとチャーハンの昼食
12:15 マーケットプレイス東退出
12:25 国際機関館並ばず入場
13:00 国際機関館退出
13:05 建国記念日で休館中のオランダパビリオンを遠巻きに眺める
13:10 シンガポールパビリオン並ぶ
13:25 シンガポールパビリオン入場
14:10 シンガポールパビリオン退出
14:20 EUパビリオン並ぶ
14:30 EUパビリオン入場
14:55 EUパビリオン退出
15:00 バルトパビリオン並ぶ
15:10 バルトパビリオン入場
15:40 バルトパビリオン退出
15:45 アルジェリアパビリオン並ぶ
15:55 アルジェリアパビリオン入場
16:30 アルジェリアパビリオン退出
16:35 チュニジアパビリオン並ぶ
16:45 チュニジアパビリオン入場
17:10 チュニジアパビリオン退出
17:20 カメラクルーの並ぶオランダパビリオン前を遠巻きに眺める
17:40 国際赤十字・赤新月運動館予約列並ぶ(当日予約17:36〜)
17:45 国際赤十字・赤新月運動館入場
18:20 国際赤十字・赤新月運動館退出
18:25 国連パビリオン並ぶ
18:35 国連パビリオン入場
19:10 国連パビリオン退出
19:15 大屋根リングを反時計回りに東ゲート方向へ向かう・三菱未来館当日予約(19:22〜)取れる
19:25 三菱未来館予約列に並ぶ
19:30 三菱未来館入場
20:10 三菱未来館退出
20:15 パナソニック館はす向かいの加賀・能登名産品おみやげ屋覗く
20:25 東ゲート退出

夢洲20:34→長田21:10
普通長田ゆき⑥401-03

開幕39日目/13回目来場
総入場者∶13万3581人
(一般:11万4569人 関係者:1万9012人) 


次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「kimetsu-no-yaiba.fandom.com」)