みなさんこんにちは。前回からの続きです。

 

 

先日、ついに撤去の方針が決定した「花の万博 EXPO90」のシンボル「いのちの塔(花博記念公園鶴見緑地内、大阪市鶴見区)」についてあれこれと想い出を巡らせながら振り返るということをしています。

 

9年前の平成22(2010)年春に、閉館前最後の無料公開が行われた際の様子をお送りしています。 

 

 

「パノラマフロア」から再び1階へ降りて来ました。 

 

 

エントランスに入っていちばん目立つのは、この「樹木」をイメージしたオブジェでしょうか。いかにも「90年代前半の…」という感を受けます。世はバブリーだったですね。 

 

 

塔の1・2階部分には、花博関連の展示スペースが設けられています。ここは、当時とあまり様相は変わっていないように感じます。 

 

 

 

この「いのちの塔」建設に当たっては、全国から「いのちの塔会員」というものが広く募集されていました。 

以下、その概要について、閉幕後に刊行された記念書籍からご覧頂きたいと思います。

 

 

 

 

 

ということで、会員は当時の想い出や絵画、写真などを事務局に送付し登録して貰うことで、訪問した時には、専用のタッチパネル機具を通して、その記念の作品をいつでも観覧出来る…というのをウリにしていました。これは当時、いい記念になるなあと感じました。

 

(出典 花博「いのちの塔」記念写真集/ゆめの塔 花の万博「いのちの塔」記念出版委員会 1991年3月発行 より)

 

 

訪問時にもその機具は置かれてはいたものの、どうやら使用はされていないようです。

塔の閉鎖に当たって、記念に収めた品々の様子は、別の場所にある管理事務所で引き続き観覧出来るようになっているとのこと。

 

ただ「100年後も…」という謳い文句ではあるものの、30年ほどで塔自体が撤去されてしまうとは…ちょっと複雑な気持ちになります。 

 

 

展示スペースは2階へと続きます。 

 

 

こちらでは「花の万博」にまつわる展示がなされていたのですが、目に留まるのはこの樹木。

塔のデザインともども、独創的なものです。

 

 

 

 

開催当時の、懐かしいジオラマや写真に見入ってしまいます。 

 

 

その中に、日本でこれまで開催された「国際博覧会一覧」なるものを見つけました。

これまで、規模の大きい「国際博覧会」は、日本では5つが開催されています。

 

最初の「日本万国博覧会(大阪万博)」は、1970(昭和45)年に開催された、アジア初の万国博覧会としてあまりにも有名です。

わたしは生まれてはいない頃のことですが、ちょうど両親の若き日の出来事でしたので、いまだに機会あるごとに思い出話を耳にします。

その後「沖縄海洋博(1975年)」「つくば万博(1985年)」と経て、他の万博とは少々趣意の異なる「園芸博」としての意味合いも込めて開催されたのが、今回取り上げている「国際花と緑の博覧会(花の万博、1990年)」でした。

 

 

話せば長くなるのであれですが、「花の万博」は、わたしを「万博」のとりこにさせたビッグイベントでした。

ですので、成人してから開催された「愛知万博(愛・地球博、2005年)」へは、大阪から実に16回も足を運ぶほど熱中したものです。

 

「愛知万博」会場を訪問した際の、詳しい記録はこちらもどうぞ↓

当ブログ

PLAYBACK EXPO2005~「愛・地球博」見聞録~その1(2010年9月25日アップ)

https://ameblo.jp/kyle-of-lochalsh/entry-12477761848.html

 

 

 

それから、当時人気を博した「パビリオン」のコンパニオンのお姉さんたちが着用していた、オリジナルユニフォームのフィギュアがあるではないですか。これも興味深いものでした。 

 

 

最後に。出典の記念書籍には、近隣の方が撮影されたという、建設当時の「いのちの塔」の姿も収められていました。

 

 

徐々に形になって来る「花の万博」会場と「いのちの塔」。塔屋の部分は、下部から躯体を持ち上げながら建設されていたようです。

 

 

そして会期中。会場の南北を結ぶロープウェーから撮影されたもの。いやしかし、いつ来ても会場はにぎやかで、華やかなものでした。

 

 

そういったことで、30年前の大阪で華々しく開催された「国際花と緑の博覧会(花の万博)」のシンボルだった、ありし日の「いのちの塔」の想い出などについて、あれこれと取り上げて来ました。 

 

 

あの頃の懐かしい花博の、当時小学生だったわたしにとって、実にわくわくした想い出はいまも色褪せないものではあるのですが、今回の「いのちの塔」撤去への動き…普段から見慣れているわたしとしては、当時もいまもあまりにも当たり前の存在でしたから、一抹の寂しさのようなものを感じます。

 

存続のためにさまざまな手段を講じられたとは言え、シンボルがなくなってしまうというのは…

わたしを「万博好き」にさせてくれた「花の万博」の想い出がまたひとつ、なくなってしまうのかなと感慨にふけってしまいます。

 

 

ところで、「その1」の記事でも取り上げた「読売新聞オンライン」には「(鶴見緑地を)2025年大阪・関西万博のサテライト会場としての活用も検討」とのくだりもありました。

 

 

(出典)公益財団法人「2025年日本国際博覧会協会」公式ホームページより。

 

 

 

昨年、開催が決定した「2025年大阪・関西万博」ですが、報道のように、「鶴見緑地」がまたにぎわいが見られる場所になりますと、それはそれでうれしいものです。

開催まではまだ6年ほどありますが、出展するパビリオンはどんなものなのか?どんな非日常の体験が出来るのか?そういった動向も大変気になりますし、花博の時のように、大阪の街はまたどのように変貌するのか?ということも楽しみに期待したいと思います。

 

 

おつきあいくださりありがとうございました。

今日はこんなところです。