レンブラントとその時代の金融システム8 ブルージュのマドンナ
「アンギアリの戦い」 Battle of Anghiari (1440)
はフィレンツェのミラノのとの戦いで、フィレンツェはピサやシエナなども支配下におさめている
> http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/firenze.html
このような都市間の争いをしているうちに、フランスや
神聖ローマ帝国軍にイタリアンは蹂躙されていっています。
この辺りを...と思っていたのですが、アヴィニョン捕囚 くらいまで遡らなくてはいけなそうなことが
わかってきたので、先送りにして、気になっていたミケランジェロのブルージュにある聖母子像を
バチカンにあるピエタの像と並べてみました。
このブルージュのマドンナ 、やはりいいですね。
なぜフランドルのブルージュに、イタリア国外にミケランジェロの
作品があるのか、裏話がありました。詳細は下記を参照。
ミケランジェロは1499年、ローマのサン・ピエトロ寺院のために『ピエタ』(悲しみ)を制作した。
ローマで不動の地位を得たミケランジェロは1501年、ローマを去ってフィレンツェにやって来る。
ピッコロミーニ枢機卿の依頼により、シエナにある同家の祭壇を飾るための15体の彫像を制作中だった。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~nvangogh/gallery10.html
シエナ、美しい街でした。
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以下、作成途上のメモ。
http://www.ekakinoki.com/m_history/renai_intr.html
http://www.aboutflorence.com/firenze-gaido/firenze-rekishi.html
マキャヴェッリ (Niccolò Machiavelli, 1469年 5月3日 - 1527年 6月21日 )
1498年 共和国政府の第二書記局長になる
1512年 市民兵はスペイン軍を相手に敗退。メディチ家 のフィレンツェ復帰に伴い、マキャヴェッリは職を失う。
ジョヴァンニ・ディ・ビッチ (Giovanni di Bicci, 1360年 - 1429年 2月20日 )
コジモ・デ・メディチ (Cosimo de' Medici, 1389年 4月10日 - 1464年 8月1日 )
ピエロ・ディ・コジモ・デ・メディチ (Piero di Cosimo de' Medici 1416年 -1469年 12月2日 )
ロレンツォ・デ・メディチ(Lorenzo de' Medici, 1449年 1月1日 - 1492年 4月8日 )
ピエロ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ( Piero di Lorenzo de' Medici 1472年 2月15日 - 1503年 12月28日 )
クレメンス7世 (Clemens VII 1479年 5月24日 -1534年 9月25日 )はローマ教皇 (在位1523年 - 1534年 )。
メディチ家 の出身で、本名はジュリオ・デ・メディチ(Giulio de' Medici)。
アレッサンドロ・デ・メディチ
(Alessandro de' Medici, 1510年
7月22日
- 1537年
1月6日
通称イル・モーロ (il Moro) 暗殺される
コジモ1世 (Cosimo I de' Medici, 1519年 6月11日 - 1574年 4月21日 )初代トスカーナ大公 メディチ傍系
シャルル8世 (Charles VIII、1470年 6月30日 - 1498年 4月7日 )
チェーザレ・ボルジア (Cesare Borgia, 1475年 9月13日 - 1507年 3月12日 )
フラ・アンジェリコ(Fra Angelico, 1387年 - 1455年 )
受胎告知
サンドロ・ボッティチェッリ (Sandro Botticelli, 1444 /1445年 - 1510年 5月17日 )
レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci, 1452年 4月15日 - 1519年 5月 2日 )
4月分まとめ
2007年12月 /2008年1月 /2月 /3月 /4月 /5月 /
4月 |
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縄文とGilgamesh ギルガメシュ
- 「日本」という国―歴史と人間の再発見
この本の表紙の土偶がいい。
文化遺産オンラインにも 縄文 長野県の土偶 としてありましたが、この本の表紙の写真は - さすがにいいですね。
- 文化遺産オンライン から 「想」 にリンクがあったのは気がつきませんでした。
- http://imagine.bookmap.info/imagine
ここは Amazon のレコメンデーション機能より良いかも。

Amazon で合わせて買わせたい と推奨される、この本の表紙のものもいい。
Amazon の個人にカスタマイズされたページは改めてみると恐ろしいくらいだ。

メトロポリタン美術館はさすがによいコレクションをもっている。
Japan, 1000 b.c.–1 a.d
- ギルガメシュ王さいごの旅 (大型絵本)/ルドミラ・ゼーマン
- この本
- の間の話が少し飛んでいると、おもったら、「ISHTARの復讐」の部分の
- 日本語訳がないようです。
絵本とはいえ、こういうことをするのもどうかと思いますが。 正しい理解の妨げになります。
それで、Amazon で探していた本はこれ。
哲学者 梅原猛氏が齢60歳を越えて文学を志し、書いた最初の文学作品。
読みはじめたばかりですが、出だしはなかなかで、楽しみです。
試しに、Amazon のカスタムイメージを追加 してみました。
「西洋価値感」 と鳥インフルエンザ
今朝、JMM(Japan Mail Media)で「『捕鯨の屠殺と家畜の捕鯨はおんなじだ』と西洋人に言っても
などという記事を読んで、夜、大英博物館 の
Room 55: Mesopotamia あたりを覗いていて
粘土板に楔形文字で書かれた Cuneiform tablet with omens
なるものの説明を読んでいて、ちょっと、気分が・・・
This tablet is the third of a series of twenty-four called shumma izbu concerning malformed newborn humans and animals, and their ominous significance. Everything in Mesopotamia was believed to be the result of divine action, and signs (omens) were used to interpret the will of the gods. Ancient letters reveal that deformities in human and animal births were taken very seriously at this time.
以下http://www.excite.co.jp/world/english/ による機械翻訳結果です。
このタブレットは奇形の新生な人間と動物に関するshumma izbuと呼ばれる一連の24、およびそれらの不吉な意味の3番目です。 メソポタミアのすべてが神の動きの結果であると信じられていました、そして、サイン(前兆)は、神の意志を解釈するのに使用されました。 古来の手紙は、人間の奇形と動物出生がこのとき非常に真剣に受け止められたのを明らかにします。
「 Summa izbu 」はWikipediaに英語のみの
説明が登録されていますが、Net を検索しても
これ程、日本語のページがヒットしないのも珍しい?
検索の仕方が悪いのかもしれませんが。
原罪 の意識というのか、アブラハムの宗教 といいうか・・・
人間と動物の関係についての意識の差に、根が深いものが特に欧米とアジアの間にはあることをいまさらながら強く
感じました。
香港を含む中国南部からベトナムなどにかけての農村
鳥、豚、人とが濃密に接触している地域で
新型のインフルエンザが発生する確率が高い
http://showayakyk.exblog.jp/4407495/
などということに対する意識のギャップも大きいの
かもしれないなどと。
ちょっと、親しみすぎという感じもしますが。
*1
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/title4_1.html
『大陸の風-現地メディアに見る中国社会』 第122回
「国際接軌と全球化」 より抜粋
そういえば、先日、インターネットで日本にいる友人とチャットしていたとき、彼
された論争を見て、「『捕鯨の屠殺と家畜の捕鯨はおんなじだ
通用しないんだよね。世界はつくづくキリスト教の倫理で進んでる
と言った。
「キリスト教の倫理」。
今、中国国内で巻き起こっているカルフールやルイ
ボイコット、アンチCNNを掲げるウェブサイトの出現
不信感なども、だんだんチベット騒動自体の顛末云々を離れ
「キリスト教倫理」に基づいた西洋的価値感への反感に向かってい
「人権」といった、中国批判の際に必ず使用される「キーワード
コットを叫ぶ人々にとって、条件反射的に鳥肌の立つような
なった。
「事件全般において、西洋メディアが犯した最大のミスはその原理
論や自由の理念だったと我われは思う。これは先に反イスラムショ
『Fitna』を製作したオランダの右翼議員が犯した間違いとま
『Fitna』は世界各地のイスラム教徒を冒とくし
張のため、回教徒とキリスト教徒間の恨みを挑発するという代価を
の『ルモンド』などの主流新聞が、あろうことか、パリにおける聖
してやったり』と理解したことは、十分にこれらのメディア自身の
な偏見と思い上がりを暴露するものだ。また完全にこのような言論
しれない深刻な結果を思いやらず、盲目的に自分は正義と心理の側
い込み、メディアの最も基本的な任務である『事実を調べ上げ
履行すら忘れてしまったのである」(「西側メディアは火だるまに
16日)
レンブラントとその時代の金融システム7
レンブラントとその時代の金融システム7
テーマ:レンブラントとその時代![]()
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戦争に明け暮れたカール5世は早期に引退を決意する。
両親から受け継いだスペイン関係の地位と領土は
息子のフェリペ2世
・上図の右下、右図の右側
祖父から受け継いだ神聖ローマ帝国関係の地位と領土は
弟のフェルディナント1世
・右図の左側(オランダ、イタリアの旗などが描かれている)
この作品の詳細はこちら 。
にそれぞれ分け与えた。
さらにフェルディナント1世 *1(上段右) の
次の皇帝が息子のマクシミリアン2世 *2(上段中央)
その息子が次の皇帝で錬金術師を集めたルドルフ2世
プラハ城の一角の「黄金小路」は錬金術師達が
暮らしていたとかで、独特の雰囲気があった。
2歳のイサベル(下段右)はルドルフ2世(上段左)と婚約。
奇人ルドルフに待たされ、結局、
30歳をすぎたイサベル は、従兄にあたるアルブレヒト *4
(下段左)と結婚
イサベルの父、フェリペ2世 (一番上の図の右下)は
スペイン領ネーデルラント の統治を娘とその夫に任せると
遺言していた。

「レンブラントとその時代」の代表的な作品でこの川の右側がイサベル とアルブレヒト 率いるカトリック。
左側がプロテスタント。 右側の後ろの樹木は枯れているのに対して、左側は青々としている。
「私に従ってきなさい。君を人間をとる漁師にしてあげよう」(マルコ1・17) あるいは
ルターが生涯忘れることのできないという祭壇画が関係しているようです。 *5
この作品の詳細はこちら 。
はじめは右側の船は網を投げているだけで、溺れかけている人々は描かれていなかった
そうですが、後から描き加えたとか。 これはブリューゲルの作品などを鑑賞する立場からすると、
かなりの反則?
左側のプロテスタントの船は聖書で魂を救済しているようです。
この作品は日本語の音声ガイドを聞きながら鑑賞した記憶があるのですが、どうも当時は
あまりよくこの作品の内容を理解できておりませんでした。
参考 Wikipedia より
*1
兄カールとの生前の取り決めでは、フェルディナントの次はカールの息子フェリペ(スペイン王フェリペ2世 )が帝位を継承し、以後カールとフェルディナントの家系が交互に継承することになっていたが、これは無視されて次の皇帝にはフェルディナントの息子マクシミリアン2世 が即位した。スペイン・ハプスブルク家もこれを容認したため、以後もフェルディナントの家系、オーストリア・ハプスブルク家が帝位を世襲していくことになる。
*2
マクシミリアン2世は宗教改革 における争いでルター派 に共感を抱いていたが、父フェルディナント1世が廃嫡を仄めかしてそれを禁じたため、カトリック に留まり、プロテスタント 派の諸侯 を失望させた。
皇帝になった後、マクシミリアン2世はプロテスタント派に宗教の自由を認め、同時にカトリックを改革しようとしたが、スペイン の反対により失敗した。
*3
幼少時をスペイン の宮廷で過ごしたため、イエズス会 の影響を受けて厳格なカトリック 教徒となった。
このように政治的には無能だったルドルフ2世であるが、教養に富んでいたことから文化人としては優れていた。ルドルフ2世が芸術や学問を保護した結果、その下にはルーラント・サーフェリー をはじめとする欧州 における多数の芸術家が集まり、帝国首都のプラハ は文化的に大いなる繁栄を遂げたのである。ルドルフ2世自身は、特に錬金術 に大いなる興味を示しており、実際に多くの錬金術師のパトロンとなっていた。
彼はトレド 大司教であったため、ローマ教皇 クレメンス8世 に還俗の許可を得てからの結婚となった。その1年前に亡くなったフェリペは、スペイン領ネーデルラント の統治を娘イサベルとその夫に任せると遺言していた。1601年から、2人は共同統治者としてネーデルラントを治めた。夫の死後はイサベルが総督となった。2人が治めていた時代は、ネーデルラントの黄金時代 と呼ばれた。さかのぼること40年近く続いた戦争が沈静化し、南ネーデルラントの経済が平和を安定化の方向に導いた。2人は多くの芸術家のパトロンとなり、フランドル ・バロック 文化の花咲く要因となった。
*5 http://www5c.biglobe.ne.jp/~paruwees/Histoly_92_95.html
ルターが述べる、マグデブルクでの学生時代に、生涯忘れることのできない
印象を受けたものの 1つとして、教会の祭壇背後の絵のことがあります。
それは天国へと漕ぎ行く船であるが、乗っているのは枢機卿と司教を率いた教皇と
櫓をとる司祭・僧侶ばかりで、船には俗人は 1人も乗っておらず
水中を泳いで、中には溺れかかっている者もいる。
そして船から彼らを救おうと、僧侶たちが綱を投げかけている。
図書館戦争と中世の宝石としてのプラハ
そして、世界遺産 プラハ・中世の宝石と絶賛される街
「ヘイ・ジュード~革命のシンボルになった名曲」マルタ・クビショヴァ(Marta Kubisova 1942~)
ソ連の管理下で放送そして、自由な出版も禁止。
中欧の旅を思い出す
プラハの春の舞台にも実際に足を運んだ。
宿はヴァーツラフ広場のすぐ近くだった。
国立博物館の階段に座って、クラシックの演奏を聴いた。
ワルシャワ蜂起とスターリン
ナチスに対して蜂起したワルシャワ市民をスターリンは見殺しにした。
蜂起したのは共産主義者ではなかったからである。
ワルシャワではもっとも高いビルからの眺めが一番らしい。
なぜなら、ここからの眺望はこのスターリンが贈った建物がみえないからだという。
無神論者は確かに恐ろしい。
一神教者からすれば、多神教者はまだしも、無神論者は気味悪がられるので、「ブディスト」といわなくてはいけない。
アウシュビッツに行った人に「ポーランドにいったなら、ここは絶対にいかなければ」といわれた。しかし、車中から説明を受けるこれらのものを視るだけでも惨状が伝わってくる。
「20世紀最大の金融スキャンダル」といわれているバチカンの使途不明金 は
世界の「反共産主義」の活動組織に資金を提供していた。
バチカンの敵は神を信じない共産主義、であるとすれば最近のチベットに絡んだ中国共産党への非難の
裏ではいろいろな糸を引くものが・・・確かにいそうな気配がする。
- - - - -
しかし、プラハの詩人がこのころ(ソ連管理下で出版も禁止)が一番、
精神は自由だった... と実に意味深く語っていた。
巨大資本の大きなホテルが街中にできなければ中世の宝石としてのプラハの街の精神は保たれる....?
参考
プラハの春~マルタ・クビショヴァ~ビロード革命
http://blogs.yahoo.co.jp/isiit178/6178667.html#6178667
プラハの春 「ヘイ・ジュード~革命のシンボルになった名曲」
http://www.eigaseikatu.com/com/4183/71897/
「法王の銀行家~ロベルト・カルヴィ暗殺事件~」
http://www.sakawa-lawoffice.gr.jp/sub5-2-a-182houounoginnkouka.html
レンブラントとその時代の金融システム6
56年。ダビンチ をフランスに呼んだフランス王フランソワ1世
在位が1515年 - 1547年 。
フランソワはカールに対抗するためルター(その5参照 )を支援したり、オスマントルコのスレイマン一世による第一次ウィーン包囲 に加担したりしていたのでした。
関連: ウィーンの環状道路と世紀末芸術.05
わがヴェネツィアの一番の脅威は・・・
-- レンブラントとその時代の金融システム---- 1 2 3 4 5 6 ----------------------------
上図の中央が「ウィーン一次包囲」でその下が
ロドス島騎士団総長のリラダン。
フランソワは軍を対カールへ向けたため、ロードス島でオスマントルコと戦っていたリランダは・・・
このあたりは 「シナン」 第6章 ロドス島戦記 を参照ください。
この時代、イタリアは、というと衝撃的なのはやはりローマ略奪 。
あのローマが略奪の対象となってしまったのですから。
このときのローマ教皇はクレメンス7世 こと、ジュリオ・デ・メディチ。
パッツィ家の陰謀 で殺されたジュリアーノ・デ・メディチの子でロレンツォの養子 となり、枢機卿 となり、後にローマ教皇 となった。
ヴェネチアが対フランスを意識して、いろいろな策略をめぐらさせていた様子はこの映画でも描かれていました。 この作品の最後の裁判のシーンがなかなか良かったです。
- わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡 (塩野七生ルネサンス著作集)/塩野 七生
- マキャベリがフィレンツェの公職に就けず、著したのがあの「君主論」。どのようにしたら都市国家フィレンツェが生き残れるのか。 塩野さんが「わが友」とかくのも、読んでみると納得します。
以下、アンボワーズの写真です。
- アンボワーズ城の ダビンチが最後に住んでいたところの敷地に展示されている、いくつかのダビンチ提案の新兵器の模型。
- 提供IBM。
それと、その敷地内の川にいたビーバー。
- ダビンチが住んでいた建物(クロ・リュッセ )
ダビンチの墓はあばかれてしまって、遺骨の行方は分からないという。(サン・ユベールのダ・ヴィンチの墓 )
早朝、パリからアンボワーズに向かうバスの
車中より。 農業国フランスを感じた朝。
島根県CMSはRuby on Railsなのだそうですが
島根県であることもあり、こういう
オープンソース「島根県CMS」公開
ことになったのだと思います。
Google App Engine は Python 。
Ruby on Rails の評判はよさそうですが・・・
Google が Ruby を採用してくれていたら、かなりうれしかったのですが。
案の定、マルチバイト関係では細かい不具合が結構ありそうです。 Google App Engine ...
時代はアプリケーションのレイヤーまで進んできているのですが...
















































