チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 | 旅行、美術館、書評

チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷

「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」タイトルからして、なんとなく手に取らなかった作品。

しかし、おもしろい。
さすがに、よく調べて書かれている。
どうしてフランスがイタリアを攻めたのかがみえてくる。

フランス王シャルル、肖像画でもちょっとかわった感じのようですが、
この作品ではかなりの醜男として登場しています。

サンタンジェロ城に向けてテヴィレ河岸に並んだ36門の大砲
「お前たちがしようとしていることは、私を殺すだけでなく、ここにある聖者や
 殉教者の聖遺物もともに破壊することになろう。」

グノーシスの薔薇 にくらべ、法王ボルジア(=アレクサンデル6世 (ローマ教皇))は極悪でなく描かれているようです。

交渉中もシャルルはローマ大寺院のミサにでかけ、聖遺物に礼拝を捧げる、
一方、フランス軍によってユダヤ人のシナゴーグが焼き討ちに。

・ 法王(ボルジア)、ナポリ vs
    シャルル(フランス王)、ミラノ(イル・モーロ )、後のユリウス2世(=ローヴェレ枢機卿)
 というのが、対立の構図

・ ローマに進軍したシャルル。 法王、シャルル 妥協。 ナポリ見捨てられる。
 イル・モーロは怒ってミラノに帰る。 ローヴェレ憤慨。
 人質役となったチェーザレはシャルル軍がナポリに向かう間に、脱走。怒るシャルル。

・ シャルル vs 同盟軍
 戦わずしてナポリに入ったシャルル、さすがに一体となった同盟軍に命からがらフランスに逃げ帰る。

・ 代はかわってルイ12世(フランス王)、チェーザレ vs ミラノ
 中世騎士道の読み過ぎのルイ12世と枢機卿職を捨てたチェーザレはミラノを獲る。






以下、新潮社版の本書より

中世を通じて、西欧キリスト教社会の君主の中でも、十字軍遠征の馬鹿らしさに
気がついていた者が
何人かはいた。先に神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ二世。
そしてこのアレッサンドリ6世も。
彼は、異なる宗教の共存を是認した最初のローマ法王であった。
ただ、十字軍派遣をせまる狂信者がいまだに多い時代の中で、
そして法王という立場上、彼はこの考えを、
おもてに出すことができなかっただけである。 P20
カトリックの教理では、聖職者の妻帯は許されていない。

これは何も、信仰生活をより完全にするためにこう決められたばかりではなく、
教会財産の分散を防ぐ理由もあったのだが。
・・・
この「地上の神」である法王が、悪魔のしわざによって、その結果である
子を得て、その子がまた、教会の中で法王に次ぐ権威をもつ枢機卿になる
に至っては、カトリック教会としてますます困難になるのである。 P23

「悲惨な時代の最初の年」。史家グィッチャールディーニが、後年、
この1495年を顧みて言った言葉である。
・・・
自由都市国家郡とうい独自の形態を発展させることによって、
商工業を盛んにし、そこから得た莫大な富を使って、ルネッサンス文化の
花を咲かせ、ヨーロッパに君臨していたイタリアが、歴史の流れというべき、
専制統一国家政体とうい大きな壁につきあたる時がやってきたのである。P29
・・・
ヴェネツィア共和国、ミラノ公国、フィレンツェ共和国、
ナポリ王国、そしてローマ法王庁と各列強に分裂していたイタリア
・・・
フランス軍のイタリア侵入は、どのような原因によって起こったのであろうか。
ある者は、イル・モー
すなわちルドヴィーコ・スフォルツァの策謀だとし、
他の者は、フランス王シャルル8世の名声欲からだとする。
またその他にも、枢機卿ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレの、法王ボルジアに
対する敵愾心からだという者もいる。
いずれの言も間違ってはいない。とういよりも真の原因は、これらのすべてが
組み合わさったところにある。P30
・・・
「ナポリを見捨てるおつもりか。」
 法王はしかし、一言の弁解もしなかった。
 隊長は、怒りにふるえながら退出した。 P42