チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷
「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」タイトルからして、なんとなく手に取らなかった作品。
しかし、おもしろい。
さすがに、よく調べて書かれている。
どうしてフランスがイタリアを攻めたのかがみえてくる。
フランス王シャルル、肖像画でもちょっとかわった感じのようですが、
この作品ではかなりの醜男として登場しています。
サンタンジェロ城に向けてテヴィレ河岸に並んだ36門の大砲
「お前たちがしようとしていることは、私を殺すだけでなく、ここにある聖者や
殉教者の聖遺物もともに破壊することになろう。」
グノーシスの薔薇 にくらべ、法王ボルジア(=アレクサンデル6世 (ローマ教皇))は極悪でなく描かれているようです。
交渉中もシャルルはローマ大寺院のミサにでかけ、聖遺物に礼拝を捧げる、
一方、フランス軍によってユダヤ人のシナゴーグが焼き討ちに。
・ 法王(ボルジア)、ナポリ vs
シャルル(フランス王)、ミラノ(イル・モーロ )、後のユリウス2世(=ローヴェレ枢機卿)
というのが、対立の構図
・ ローマに進軍したシャルル。 法王、シャルル 妥協。 ナポリ見捨てられる。
イル・モーロは怒ってミラノに帰る。 ローヴェレ憤慨。
人質役となったチェーザレはシャルル軍がナポリに向かう間に、脱走。怒るシャルル。
・ シャルル vs 同盟軍
戦わずしてナポリに入ったシャルル、さすがに一体となった同盟軍に命からがらフランスに逃げ帰る。
・ 代はかわってルイ12世(フランス王)、チェーザレ vs ミラノ
中世騎士道の読み過ぎのルイ12世と枢機卿職を捨てたチェーザレはミラノを獲る。

以下、新潮社版の本書より
中世を通じて、西欧キリスト教社会の君主の中でも、十字軍遠征の馬鹿らしさに
気がついていた者が
何人かはいた。先に神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ二世。
そしてこのアレッサンドリ6世も。
彼は、異なる宗教の共存を是認した最初のローマ法王であった。
ただ、十字軍派遣をせまる狂信者がいまだに多い時代の中で、
そして法王という立場上、彼はこの考えを、
おもてに出すことができなかっただけである。 P20
カトリックの教理では、聖職者の妻帯は許されていない。
これは何も、信仰生活をより完全にするためにこう決められたばかりではなく、
教会財産の分散を防ぐ理由もあったのだが。
・・・
この「地上の神」である法王が、悪魔のしわざによって、その結果である
子を得て、その子がまた、教会の中で法王に次ぐ権威をもつ枢機卿になる
に至っては、カトリック教会としてますます困難になるのである。 P23
「悲惨な時代の最初の年」。史家グィッチャールディーニが、後年、
この1495年を顧みて言った言葉である。
・・・
自由都市国家郡とうい独自の形態を発展させることによって、
商工業を盛んにし、そこから得た莫大な富を使って、ルネッサンス文化の
花を咲かせ、ヨーロッパに君臨していたイタリアが、歴史の流れというべき、
専制統一国家政体とうい大きな壁につきあたる時がやってきたのである。P29
・・・
ヴェネツィア共和国、ミラノ公国、フィレンツェ共和国、
ナポリ王国、そしてローマ法王庁と各列強に分裂していたイタリア
・・・
フランス軍のイタリア侵入は、どのような原因によって起こったのであろうか。
ある者は、イル・モーロすなわちルドヴィーコ・スフォルツァの策謀だとし、
他の者は、フランス王シャルル8世の名声欲からだとする。
またその他にも、枢機卿ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレの、法王ボルジアに
対する敵愾心からだという者もいる。
いずれの言も間違ってはいない。とういよりも真の原因は、これらのすべてが
組み合わさったところにある。P30
・・・
「ナポリを見捨てるおつもりか。」
法王はしかし、一言の弁解もしなかった。
隊長は、怒りにふるえながら退出した。 P42
しかし、おもしろい。
さすがに、よく調べて書かれている。
どうしてフランスがイタリアを攻めたのかがみえてくる。
フランス王シャルル、肖像画でもちょっとかわった感じのようですが、
この作品ではかなりの醜男として登場しています。
サンタンジェロ城に向けてテヴィレ河岸に並んだ36門の大砲
「お前たちがしようとしていることは、私を殺すだけでなく、ここにある聖者や
殉教者の聖遺物もともに破壊することになろう。」
グノーシスの薔薇 にくらべ、法王ボルジア(=アレクサンデル6世 (ローマ教皇))は極悪でなく描かれているようです。
交渉中もシャルルはローマ大寺院のミサにでかけ、聖遺物に礼拝を捧げる、
一方、フランス軍によってユダヤ人のシナゴーグが焼き討ちに。
・ 法王(ボルジア)、ナポリ vs
シャルル(フランス王)、ミラノ(イル・モーロ )、後のユリウス2世(=ローヴェレ枢機卿)
というのが、対立の構図
・ ローマに進軍したシャルル。 法王、シャルル 妥協。 ナポリ見捨てられる。
イル・モーロは怒ってミラノに帰る。 ローヴェレ憤慨。
人質役となったチェーザレはシャルル軍がナポリに向かう間に、脱走。怒るシャルル。
・ シャルル vs 同盟軍
戦わずしてナポリに入ったシャルル、さすがに一体となった同盟軍に命からがらフランスに逃げ帰る。
・ 代はかわってルイ12世(フランス王)、チェーザレ vs ミラノ
中世騎士道の読み過ぎのルイ12世と枢機卿職を捨てたチェーザレはミラノを獲る。

以下、新潮社版の本書より
中世を通じて、西欧キリスト教社会の君主の中でも、十字軍遠征の馬鹿らしさに
気がついていた者が
何人かはいた。先に神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ二世。
そしてこのアレッサンドリ6世も。
彼は、異なる宗教の共存を是認した最初のローマ法王であった。
ただ、十字軍派遣をせまる狂信者がいまだに多い時代の中で、
そして法王という立場上、彼はこの考えを、
おもてに出すことができなかっただけである。 P20
カトリックの教理では、聖職者の妻帯は許されていない。
これは何も、信仰生活をより完全にするためにこう決められたばかりではなく、
教会財産の分散を防ぐ理由もあったのだが。
・・・
この「地上の神」である法王が、悪魔のしわざによって、その結果である
子を得て、その子がまた、教会の中で法王に次ぐ権威をもつ枢機卿になる
に至っては、カトリック教会としてますます困難になるのである。 P23
「悲惨な時代の最初の年」。史家グィッチャールディーニが、後年、
この1495年を顧みて言った言葉である。
・・・
自由都市国家郡とうい独自の形態を発展させることによって、
商工業を盛んにし、そこから得た莫大な富を使って、ルネッサンス文化の
花を咲かせ、ヨーロッパに君臨していたイタリアが、歴史の流れというべき、
専制統一国家政体とうい大きな壁につきあたる時がやってきたのである。P29
・・・
ヴェネツィア共和国、ミラノ公国、フィレンツェ共和国、
ナポリ王国、そしてローマ法王庁と各列強に分裂していたイタリア
・・・
フランス軍のイタリア侵入は、どのような原因によって起こったのであろうか。
ある者は、イル・モーロすなわちルドヴィーコ・スフォルツァの策謀だとし、
他の者は、フランス王シャルル8世の名声欲からだとする。
またその他にも、枢機卿ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレの、法王ボルジアに
対する敵愾心からだという者もいる。
いずれの言も間違ってはいない。とういよりも真の原因は、これらのすべてが
組み合わさったところにある。P30
・・・
「ナポリを見捨てるおつもりか。」
法王はしかし、一言の弁解もしなかった。
隊長は、怒りにふるえながら退出した。 P42
堕ちた天使 アザゼル
図書館の東欧文学のエリアでタイトルをみて借りてきた。
ボリス・アクーニン (Boris Akunin、1956年5月20日) は三島由紀夫や
丸山健二 短編集のロシア語訳をだしたりしているようで、
「アクーニンは日本語の悪人と無政府主義者 バクーニン の名をかけたもの」
探偵ものとはいえ、<神学>がでてきたり、ユダヤいや、イギリスあたりが
悪巧みの源泉といった流れがみうけられた。
話の展開も早く、結構、面白かった。
話の終わり方がよくないと、指摘がネットでみられましたが、これに同意。
それから、ロシアンルーレットのことをアメリカンルーレットといっていたような。
「ニコライ、ぼくたちのせいで、アメリカン・ルーレットじゃなくて、ロシアン・ルーレットって
名前に変わるぞ、見ててみろ」
これはルーレット自体の呼称がロシアンになるぞ、といっているのかな。
以下、本書から抜粋
「気がしただけ、じゃないよ。アザゼル とは、堕天使のことだ。
学校の<神学>はどんな成績だったかね。
贖罪のヤギについては憶えているかな。
こういうことだ、忘れてしまったかもしれないないが、ヤギは二匹いた。
一方は罪を償うものとして神に、
もう一方はアザゼルに捧げられることになっていた、怒らせないためにな。
ユダヤ人の『エノク書 』では、アザゼルはありとあらゆるくだらないことを
人間に教えたことになっている。
男には闘いや武器を作ることを教え、女には顔に化粧することや堕胎を教えた。
ひと言でいって、不穏な悪魔、追放の悪霊といわけだ」
・・・
ご当地モスクワの八等官のひとりは、仮説めいたものをとうとう唱えていたよ。
ユダヤ人の秘密組織について。
古代ユダヤの長老評議会(サンヘドリン )や、キリスト教の幼児の血について。
その八等官によれば、
ベジェツカヤは娘イズライレワで、アフティルツェフはユダヤの神の供物壇に連れてこられた
生け贄の小羊、というとこになる。
この仮説は、およそくだらない。私は、この手のユダヤ人恐怖症の妄想についてはペテルブルグで
いやというほど見聞きしている。
原因のはっきりしない災いが起こると、すぐに長老評議会(サンヘドリン )に結びつけたがるんだ。
・・・
昔<アメリカ人>とあだ名されていた有名なギャンブラーでトルストイ という男がいたろう。
・・・
支配階級に対するテロが大衆化する可能性もある。 ・・なぜ、<アザゼル>のようなものが
モスクワに突如あらわれたのか ・・
悪魔というのは、きわめて革命的なシンボルだ。
もし腫瘍のごとく初期の段階で手術しておかないと、こういう情熱家たちは、30年後には、
いやそれより早いかもしれないが、フランスのギロチンが可愛らしい悪戯に見えるような、
とんでもない革命をやらかすだろう。・・
を読んだかね。読まなきゃいかんよ。
こいうことを想定して、じつにリアルに描いてある。
・・・
ヴィクトリア女王とティズレーリ首相には、アフリカの金やインドのダイヤモンドだけでは足りず、
ピョートル・ココーリンのラシャ工場やニコライ・アフティルツェフの三千デシャーチナの土地が
いる、というわけか
メモ
Good took Enoch
http://www.myhero.com/myhero/hero.asp?hero=ENOCH
ボリス・アクーニン (Boris Akunin、1956年5月20日) は三島由紀夫や
丸山健二 短編集のロシア語訳をだしたりしているようで、
「アクーニンは日本語の悪人と無政府主義者 バクーニン の名をかけたもの」
探偵ものとはいえ、<神学>がでてきたり、ユダヤいや、イギリスあたりが
悪巧みの源泉といった流れがみうけられた。
話の展開も早く、結構、面白かった。
話の終わり方がよくないと、指摘がネットでみられましたが、これに同意。
それから、ロシアンルーレットのことをアメリカンルーレットといっていたような。
「ニコライ、ぼくたちのせいで、アメリカン・ルーレットじゃなくて、ロシアン・ルーレットって
名前に変わるぞ、見ててみろ」
これはルーレット自体の呼称がロシアンになるぞ、といっているのかな。
以下、本書から抜粋
「気がしただけ、じゃないよ。アザゼル とは、堕天使のことだ。
学校の<神学>はどんな成績だったかね。
贖罪のヤギについては憶えているかな。
こういうことだ、忘れてしまったかもしれないないが、ヤギは二匹いた。
一方は罪を償うものとして神に、
もう一方はアザゼルに捧げられることになっていた、怒らせないためにな。
ユダヤ人の『エノク書 』では、アザゼルはありとあらゆるくだらないことを
人間に教えたことになっている。
男には闘いや武器を作ることを教え、女には顔に化粧することや堕胎を教えた。
ひと言でいって、不穏な悪魔、追放の悪霊といわけだ」
・・・
ご当地モスクワの八等官のひとりは、仮説めいたものをとうとう唱えていたよ。
ユダヤ人の秘密組織について。
古代ユダヤの長老評議会(サンヘドリン )や、キリスト教の幼児の血について。
その八等官によれば、
ベジェツカヤは娘イズライレワで、アフティルツェフはユダヤの神の供物壇に連れてこられた
生け贄の小羊、というとこになる。
この仮説は、およそくだらない。私は、この手のユダヤ人恐怖症の妄想についてはペテルブルグで
いやというほど見聞きしている。
原因のはっきりしない災いが起こると、すぐに長老評議会(サンヘドリン )に結びつけたがるんだ。
・・・
昔<アメリカ人>とあだ名されていた有名なギャンブラーでトルストイ という男がいたろう。
・・・
支配階級に対するテロが大衆化する可能性もある。 ・・なぜ、<アザゼル>のようなものが
モスクワに突如あらわれたのか ・・
悪魔というのは、きわめて革命的なシンボルだ。
もし腫瘍のごとく初期の段階で手術しておかないと、こういう情熱家たちは、30年後には、
いやそれより早いかもしれないが、フランスのギロチンが可愛らしい悪戯に見えるような、
とんでもない革命をやらかすだろう。・・
を読んだかね。読まなきゃいかんよ。
こいうことを想定して、じつにリアルに描いてある。
・・・
ヴィクトリア女王とティズレーリ首相には、アフリカの金やインドのダイヤモンドだけでは足りず、
ピョートル・ココーリンのラシャ工場やニコライ・アフティルツェフの三千デシャーチナの土地が
いる、というわけか
メモ
Good took Enoch
http://www.myhero.com/myhero/hero.asp?hero=ENOCH
Revengeful Elephants
ゾウはなぜ殺し屋になったのか
サイ(Rhinoceros)の死体が次々と発見される。犯人は誰か?

ゾウがサイをかまうようなことはあるようだが...
心の傷を負った、若いゾウ。
通常よりずっと早い発情期にサイをかまおうとして、拒まれ、殺害。
かつて、この「野生動物の聖域」を造るときに、親を目の前で殺されて、親の死体に繋がれ、
その後、連れてこられた幼い象たち。
彼らが青年期にたっしたとき、小柄なサイをつぎつぎと殺戮。
そして、大人の象(以前は大人のゾウを移動させる技術はなかった)を連れてきたところ、
その後、サイ殺しは発生していないという。
原題:Revengeful Elephants
制作:Tigress Productions / イギリス / 2007年
Pilanesberg National Park の The Operation Genesis はたくさんの種を集めた。
アフリカの別の場所では西欧人にマサイ族が
ゾウのために移住させられ、それらもあって、彼らがゾウに
おしおきをしたら、ゾウはマサイ族の牛を殺したり。
生命はそうは創造主の思ったようにはならない。
The Revenge of Ishtar という逸話が「ヒト」にもあった。
サイ(Rhinoceros)の死体が次々と発見される。犯人は誰か?

ゾウがサイをかまうようなことはあるようだが...
心の傷を負った、若いゾウ。
通常よりずっと早い発情期にサイをかまおうとして、拒まれ、殺害。
かつて、この「野生動物の聖域」を造るときに、親を目の前で殺されて、親の死体に繋がれ、
その後、連れてこられた幼い象たち。
彼らが青年期にたっしたとき、小柄なサイをつぎつぎと殺戮。
そして、大人の象(以前は大人のゾウを移動させる技術はなかった)を連れてきたところ、
その後、サイ殺しは発生していないという。
原題:Revengeful Elephants
制作:Tigress Productions / イギリス / 2007年
Pilanesberg National Park の The Operation Genesis はたくさんの種を集めた。
アフリカの別の場所では西欧人にマサイ族が
ゾウのために移住させられ、それらもあって、彼らがゾウに
おしおきをしたら、ゾウはマサイ族の牛を殺したり。
生命はそうは創造主の思ったようにはならない。The Revenge of Ishtar という逸話が「ヒト」にもあった。
ソロモンの秘宝とシバの女王
Tintoretto: «The Queen of Sheba and Solomon» (ca. 1555). Prado Museum
なにげなく、ハンコックの「神の刻印
」を手にしたら、
きっかけは、
この間、日本のテレビで四国の剣山にあるかもと放映されいた、
失われたアークはエチオピアにあるという噂。
これをきいて、超古代の世界に入り込んでいったらしい。
シバの女王 が見物にでかけ、そのときの子である
メネリク1世 が聖櫃をエチオピアに持ち帰ったという。
とにかく、「ファラシャ」という、古い古いユダヤ教徒が
エチオピアにいて、イスラエルに何万人も移住したけれども....
というのは事実。
【動画】故郷を捨て、イスラエル移住を待つ「ファラシャ」たち - エチオピア
「契約の箱」見つかる?
この蓋は贖いの座とよばれ、そこに犠牲獣の血を注ぐ
ことによって、神と人との交わりが回復されるとされた
http://dateiwao.fc2web.com/arkoftheconvenant.htm
* このRon Wayatt 氏(1933-1999)は The Ark of the Covenant 以外にも
The true Noah's Ark なども Claimed discoveries にある。
契約の櫃―「失われたアーク」はすでに発掘されていた (単行本)
ジョナサン グレイ (著), Jonathan Gray (原著), 林 陽 (翻訳)
この本の表紙にあるように、聖櫃は日本のお神輿に似ている。
失われたアークで検索してヒットした本。この著者が
ハンコックの「神の刻印」の日本語訳をして、あとがきを
書いている。
以下 「神の刻印」 訳者(田中真知) あとがきより
1. アークを追い求めた人々の歴史
12世紀の聖杯物語の代表作『パルチヴァール』の解読 アークの探求が受け継がれている
聖杯物語、テンプル騎士団、プレスター・ジョン伝説、大航海時代、フリーメイソンの成立、
ジェイムズ・ブルースの青ナイル水源探検
ここには従来の西洋史研究の死角をつく斬新な見方がちりばめられている。
「聖杯」がアークの隠喩として「発明」されたという説。
プレスター・ジョンの新書が、エチオピア王によって意図的に作成されたものであるする説。
テンプル騎士団廃絶の原点を、騎士団とエチオピアとの確執とみる説。
アークにまつわる知識や情報が中世から近代まで連綿と伝わってきたという説。
今世紀半ば、聖杯文学の研究者ヘレン・アドルフは、聖杯伝説とエチオピアの伝説との関連に
言及していた。
2. アークそのもののだとったルートの探求
ハンコックは
アークが7世紀半ばにエレサレムの神殿から失われ、上エジプトのエレファンティネ島を経て、その後
ナイル川を遡ってエチオピアに入ったと推理する。
エレファンティネのユダヤ人がエチオピアに入り、ファラシャの祖先となったという説は、これまでにも
唱えられていた。しかし、現在の定説では、ファラシャは、西暦1世紀頃、南アラビアを経てエチオピアに
やってきたユダヤ人に由来するとされている。
だが、ハンコックは
ファラシャが、当時の南アラビアでユダヤ人が行なっていた儀式より明らかに古い習慣を残していること。
エレファンティネ・ユダヤ人とファラシャの言語上の類似
アークのルートにまつわるファラシャの伝承内容と考古学的事実の一致
エレファンティネのユダヤ神殿の崩壊伝説と伝説上のアークのエチオピアイリの時期の一致
著者の仮説はみごとな説得力を帯びてくる。
3. アークの実体 アークとは何か
旧約聖書の記述に従えば、アークは大変な威力を持った箱であり、そこから時に応じて炎や光が
放たれ、人間を打ち倒したり、腫れ物を生じさせたりするとされる。
「学問的」には、奇跡そのものの真偽が正面から問題にされることはない。
アークの奇跡はあくまでも比喩として解釈されるのがふつうである。
そればかりか、預言者モーセを架空の人物とする見方も多い。
モーセの実在を裏付ける史料が、旧約聖書のほかには何も見つかっていないからである。
このことから「出エジプト記」は史実ではなく、古代イスラエルの祭儀劇、もしくは穀物霊再生の
祝祭神話であると主張する学者も多い。
実際、1967年から82年にかけて、イスラエルの考古学者によって、当時占領中だったシナイ半島の
集中的な調査が行なわれたが、そこからモーセとイスラエル人の40年間の彷徨の痕跡は何一つ
見出されなかった。
けれども、その一方で近年、旧約聖書の内容を裏付けるような多くの考古学的発見が相次いでいる
のも事実だ。
1986年には、預言者エレミヤの弟子として「エレミヤ書」を記したバルクの印章発見
1990年には、ガザ地区の北のアシュケロンで「出エジプト記」に記されている黄金の子牛像によくにた
像が発掘された。
1993年には、「イスラエルの王」「ダヴィデの家」と書かれた紀元前9世紀頃のアラム語の碑文が
テル・ダンで発見され、ダヴィデ王の実在を疑うことは、もはやむずかしくなった。
1996年には「岩のドーム」内での契約のアークの安置場所を明らかにした画期的論文が発表された
("The Ark of the Covenant: Where is Stood in Solomon's Temple"
Biblical Archaeology Review, January/Feburary 1996)
論文の著者のリトメイヤーによれば、基礎石の北西側に、「出エジプト記」に記さえたアークの寸法と
一致する長方形のくぼみがあるという。
・・・
訳業のさなか、カイロ博物館や上エジプトの神殿郡を足繁くおとずれた。そのあと、調査や確認のため
ふたたびエチオピヤやイスラエルに出かけ、ラリベラでは「ティムカット」を見た。
そのとき(1996年1月)の見聞から、本書の内容に関連することを、いくつかつけくわえておきたい。
まず、本書に登場するアクスムのアークの番人のゲブラ・ミカイルは1991年の半ばに亡くなり、
アッバ・テスファマリアムとうい名の修道僧が現在、跡を継いでいる。彼もまた歴代の番人の例にならい、
礼拝堂から一歩も外にでない暮らしを送っている。
ゴンダール周辺のファラシャの村は、本書にも登場するウェレカ、アンボベル、それにコソイェの3つが
現在でも残っているが、いずれも人口は半減し、僧もいない。ウェレカはゴンダールからの観光コース
になっており、粗末なダヴィデの星を飾った数軒の小屋の前では、いまだに粘土板のシェバの女王と
ソロモンの像の類が売られていた。
なぜイスラエルの移送作戦のときに移住しなかったのか、と聞いたところ、飛行機に乗るのが恐かった
からちおう答えが返ってきた。
一方、希望に燃えてイスラエルに移住したファラシャたち --その数は6万人にのぼる -- にしても、
かならずしも幸せになっているわけではないようだ。
メモ
契約の聖櫃 /『日猶同祖論的な視点から眺めた神風』 http://www.geocities.co.jp/Berkeley/6261/hirohiko.html
なにげなく、ハンコックの「神の刻印
」を手にしたら、きっかけは、
この間、日本のテレビで四国の剣山にあるかもと放映されいた、
失われたアークはエチオピアにあるという噂。
これをきいて、超古代の世界に入り込んでいったらしい。
- 実際は一生エチオピアのシオンのマリア教会からはなれない
- アクスム
のアークの番人の僧がいて、
この番人は以前テレビかなにかで見たことがある。
- 実物をみることはできない。このあたりは、日本の伊勢神宮の
八咫の鏡 と似ている。
シバの女王 が見物にでかけ、そのときの子である
メネリク1世 が聖櫃をエチオピアに持ち帰ったという。
とにかく、「ファラシャ」という、古い古いユダヤ教徒が
エチオピアにいて、イスラエルに何万人も移住したけれども....
というのは事実。
【動画】故郷を捨て、イスラエル移住を待つ「ファラシャ」たち - エチオピア
「契約の箱」見つかる?
この蓋は贖いの座とよばれ、そこに犠牲獣の血を注ぐ
ことによって、神と人との交わりが回復されるとされた
http://dateiwao.fc2web.com/arkoftheconvenant.htm
* このRon Wayatt 氏(1933-1999)は The Ark of the Covenant 以外にも
The true Noah's Ark なども Claimed discoveries にある。
契約の櫃―「失われたアーク」はすでに発掘されていた (単行本)
ジョナサン グレイ (著), Jonathan Gray (原著), 林 陽 (翻訳)
この本の表紙にあるように、聖櫃は日本のお神輿に似ている。
失われたアークで検索してヒットした本。この著者が
ハンコックの「神の刻印」の日本語訳をして、あとがきを
書いている。
以下 「神の刻印」 訳者(田中真知) あとがきより
1. アークを追い求めた人々の歴史
12世紀の聖杯物語の代表作『パルチヴァール』の解読 アークの探求が受け継がれている
聖杯物語、テンプル騎士団、プレスター・ジョン伝説、大航海時代、フリーメイソンの成立、
ジェイムズ・ブルースの青ナイル水源探検
ここには従来の西洋史研究の死角をつく斬新な見方がちりばめられている。
「聖杯」がアークの隠喩として「発明」されたという説。
プレスター・ジョンの新書が、エチオピア王によって意図的に作成されたものであるする説。
テンプル騎士団廃絶の原点を、騎士団とエチオピアとの確執とみる説。
アークにまつわる知識や情報が中世から近代まで連綿と伝わってきたという説。
今世紀半ば、聖杯文学の研究者ヘレン・アドルフは、聖杯伝説とエチオピアの伝説との関連に
言及していた。
2. アークそのもののだとったルートの探求
ハンコックは
アークが7世紀半ばにエレサレムの神殿から失われ、上エジプトのエレファンティネ島を経て、その後
ナイル川を遡ってエチオピアに入ったと推理する。
エレファンティネのユダヤ人がエチオピアに入り、ファラシャの祖先となったという説は、これまでにも
唱えられていた。しかし、現在の定説では、ファラシャは、西暦1世紀頃、南アラビアを経てエチオピアに
やってきたユダヤ人に由来するとされている。
だが、ハンコックは
ファラシャが、当時の南アラビアでユダヤ人が行なっていた儀式より明らかに古い習慣を残していること。
エレファンティネ・ユダヤ人とファラシャの言語上の類似
アークのルートにまつわるファラシャの伝承内容と考古学的事実の一致
エレファンティネのユダヤ神殿の崩壊伝説と伝説上のアークのエチオピアイリの時期の一致
著者の仮説はみごとな説得力を帯びてくる。
3. アークの実体 アークとは何か
旧約聖書の記述に従えば、アークは大変な威力を持った箱であり、そこから時に応じて炎や光が
放たれ、人間を打ち倒したり、腫れ物を生じさせたりするとされる。
「学問的」には、奇跡そのものの真偽が正面から問題にされることはない。
アークの奇跡はあくまでも比喩として解釈されるのがふつうである。
そればかりか、預言者モーセを架空の人物とする見方も多い。
モーセの実在を裏付ける史料が、旧約聖書のほかには何も見つかっていないからである。
このことから「出エジプト記」は史実ではなく、古代イスラエルの祭儀劇、もしくは穀物霊再生の
祝祭神話であると主張する学者も多い。
実際、1967年から82年にかけて、イスラエルの考古学者によって、当時占領中だったシナイ半島の
集中的な調査が行なわれたが、そこからモーセとイスラエル人の40年間の彷徨の痕跡は何一つ
見出されなかった。
けれども、その一方で近年、旧約聖書の内容を裏付けるような多くの考古学的発見が相次いでいる
のも事実だ。
1986年には、預言者エレミヤの弟子として「エレミヤ書」を記したバルクの印章発見
1990年には、ガザ地区の北のアシュケロンで「出エジプト記」に記されている黄金の子牛像によくにた
像が発掘された。
1993年には、「イスラエルの王」「ダヴィデの家」と書かれた紀元前9世紀頃のアラム語の碑文が
テル・ダンで発見され、ダヴィデ王の実在を疑うことは、もはやむずかしくなった。
1996年には「岩のドーム」内での契約のアークの安置場所を明らかにした画期的論文が発表された
("The Ark of the Covenant: Where is Stood in Solomon's Temple"
Biblical Archaeology Review, January/Feburary 1996)
論文の著者のリトメイヤーによれば、基礎石の北西側に、「出エジプト記」に記さえたアークの寸法と
一致する長方形のくぼみがあるという。
・・・
訳業のさなか、カイロ博物館や上エジプトの神殿郡を足繁くおとずれた。そのあと、調査や確認のため
ふたたびエチオピヤやイスラエルに出かけ、ラリベラでは「ティムカット」を見た。
そのとき(1996年1月)の見聞から、本書の内容に関連することを、いくつかつけくわえておきたい。
まず、本書に登場するアクスムのアークの番人のゲブラ・ミカイルは1991年の半ばに亡くなり、
アッバ・テスファマリアムとうい名の修道僧が現在、跡を継いでいる。彼もまた歴代の番人の例にならい、
礼拝堂から一歩も外にでない暮らしを送っている。
ゴンダール周辺のファラシャの村は、本書にも登場するウェレカ、アンボベル、それにコソイェの3つが
現在でも残っているが、いずれも人口は半減し、僧もいない。ウェレカはゴンダールからの観光コース
になっており、粗末なダヴィデの星を飾った数軒の小屋の前では、いまだに粘土板のシェバの女王と
ソロモンの像の類が売られていた。
なぜイスラエルの移送作戦のときに移住しなかったのか、と聞いたところ、飛行機に乗るのが恐かった
からちおう答えが返ってきた。
一方、希望に燃えてイスラエルに移住したファラシャたち --その数は6万人にのぼる -- にしても、
かならずしも幸せになっているわけではないようだ。
メモ
契約の聖櫃 /『日猶同祖論的な視点から眺めた神風』 http://www.geocities.co.jp/Berkeley/6261/hirohiko.html
5月まとめ
2007年12月 /2008年1月 /2月 /3月 /4月 /5月 /
5月 |
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アンドリッチの人と文学
優秀な妻帯を禁じられた元キリスト教徒にひとしく虐げられていたときは
独立しようとまで思わなかったセルビア人も....
そうでないものに支配面されたことが、
結果的に世界大戦の引き金をひく役となってしまった原因なのか。
「ドリナの橋」を読んだ感じではでオーストリアに徴兵されていって、
ここでいろいろと学んで戻ったものが多いことも一因かと。
アンドリッチの人と文学(木村彰一 栗原成郎)
「現代東欧文学全集12 ドリナの橋」 より
----------------------------------------------------------------------------------------
このさながら死んだような村、トラヴニクは、数世紀来、コンスタンチノープルのトルコ皇帝の
権力下にある政治的首府なのだ。
この土地に任命されてくる宰相(ヴエジール)は、同宗者であるはずのボスニアの回教徒を、
残りの少数のカトリック教徒、ギリシア正教徒、ユダヤ教徒と区別なく軽蔑し、
税の取立てにあたっても同様に容赦しない。
民族と信仰を異にする村人は、彼らをひとしく虐げている一つの政治権力下で、
それぞれ信仰する神の名にかけて衝突し合い、
信仰と生活の悲惨さの程度に応じて今日一日を生きたいと願っている。
この村の外の世界ではさまざまな出来事が起こっている。
ドナリ川を距てた隣国のセルビアにおいてさえ、
民族が蜂起して国境を騒がせている。村人はこの外の世界の出来事を知っている。
たとえば、ボナパルトという男のことを知っている。
村の
カトリック教徒はナポレオンの失脚を、
ユダヤ教徒はその勝利を望み、
正教徒はロシアによる調停を望み、
トルコ人はこれらすべての異教徒が狼のように共食いした後に、
聖なるトルコ帝国が再び全世界を支配することを夢みている。
1806年の暮れ、ナポレオンはトルコ皇帝に対し、このトラヴニクに領事館を開く許可を求めた。
イギリスの海上貿易を抑えることを夢みていたナポレオンは、フランスの支配する
ヨーロッパ横断交通路をバルカンに設けたいと考えていた。そのうちの一本は、トラヴニクの
谷間を通るはずになっていた。
1807年2月、フランスの総領事館この地に領事館を開いた。
時を移さず、オーストリアによる巻き返しが行なわれ、その年の秋が終わらぬうちに、
トラヴニクの村はもうひつの総領事を迎えることになったのである。
このように、「ボスニア物語」は、ナポレオン時代における、ボスニアの歴史に材を取った
歴史小説である。
・・・
この橋(ドナリの橋)は1571年にトルコの大宰相ソコル・メフメド・パシャ が
命じて建設させたものである。
この橋の歴史は、オスマン・トルコ帝国の
イエニチェリ 軍団
によるセルビア少年の略奪にはじまる。
・・・
東南欧における被征服地の、とくにキリスト教徒の
移住地域から、5年目ごとに、十歳から十五歳位の
少年のうち、美しく、健康で、頭のよい者を
選び出して、デウシルメ (強制徴収)という形式で
軍団の中に吸収した。
・・・
ドリナの橋の建設者ソコル・メフメド・パシャも
イエニチェリ出身の政治家であった。・・・
その政治的辣腕をもって、長くオスマン史上に
残るものであるが、この老練のソコルも、
ハレム勢力の政治的陰謀にかかって、
1587年刺客の凶刃にたおれた。
--------------------------------------------
デウシルメは英語では Blood Tax ですか。
少年シナンは「シナン」ではイスタンブールに
いきたかったようなふうに描かれていた。
ソコルが「ハレム勢力の政治的陰謀にかかって
刺客の凶刃にたおれた。」
シーンもくやしそうにあった。
「ドリナの橋 = ソコルル・メフメト・パシャ橋 」で
設計はやはりミマール・スィナン
下のスタリ・モストはその門下生の作
当時、どうやって作ったのですかね。詳細不明とか。
メモ
YouTube動画 シナンとダビンチを比較したもの
Islamic Architecture :Sinan The Architect *VS.* L.Da Vinci
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 イエニチェリ
デヴシルメによらないで入隊した生まれながらにムスリムであるトルコ系の者が増え、
妻帯も普通に行われるようになって軍紀が乱れるようになった。
イェニチェリは各都市においてギルド と結びついて顔役・無頼のような行動をとり、
政治にも介入した。特に首都ではしばしば反乱を起こして宰相を更迭させたり君主を廃位したりした。
また、オーストリア国境での戦争時に国境地帯のセルビア 人居住地域から略奪を行い、
また勝手に住み着いて支配階級として振舞ったりしている。
これによって、セルビア人居住地域がトルコからの独立運動を志すことでセルビア公国の誕生に繋がり、
第一次世界大戦 発生原因となるバルカン半島 の混乱の基礎となる。
(ちなみに、鎮圧活動は同時期のナポレオン・ボナパルト によるエジプト進軍対抗への協力を依頼するため
中止された。)
ユーゴスラヴィア解体とイヴォ・アンドリッチ
ユーゴスラヴィア唯一のノーベル文学賞作家イヴォ・アンドリッチが、現在、
旧ユーゴ諸国で、どのように扱われているか
独立しようとまで思わなかったセルビア人も....
そうでないものに支配面されたことが、
結果的に世界大戦の引き金をひく役となってしまった原因なのか。
「ドリナの橋」を読んだ感じではでオーストリアに徴兵されていって、
ここでいろいろと学んで戻ったものが多いことも一因かと。
アンドリッチの人と文学(木村彰一 栗原成郎)
「現代東欧文学全集12 ドリナの橋」 より
----------------------------------------------------------------------------------------
このさながら死んだような村、トラヴニクは、数世紀来、コンスタンチノープルのトルコ皇帝の
権力下にある政治的首府なのだ。
この土地に任命されてくる宰相(ヴエジール)は、同宗者であるはずのボスニアの回教徒を、
残りの少数のカトリック教徒、ギリシア正教徒、ユダヤ教徒と区別なく軽蔑し、
税の取立てにあたっても同様に容赦しない。
民族と信仰を異にする村人は、彼らをひとしく虐げている一つの政治権力下で、
それぞれ信仰する神の名にかけて衝突し合い、
信仰と生活の悲惨さの程度に応じて今日一日を生きたいと願っている。
この村の外の世界ではさまざまな出来事が起こっている。
ドナリ川を距てた隣国のセルビアにおいてさえ、
民族が蜂起して国境を騒がせている。村人はこの外の世界の出来事を知っている。
たとえば、ボナパルトという男のことを知っている。
村の
カトリック教徒はナポレオンの失脚を、
ユダヤ教徒はその勝利を望み、
正教徒はロシアによる調停を望み、
トルコ人はこれらすべての異教徒が狼のように共食いした後に、
聖なるトルコ帝国が再び全世界を支配することを夢みている。
1806年の暮れ、ナポレオンはトルコ皇帝に対し、このトラヴニクに領事館を開く許可を求めた。
イギリスの海上貿易を抑えることを夢みていたナポレオンは、フランスの支配する
ヨーロッパ横断交通路をバルカンに設けたいと考えていた。そのうちの一本は、トラヴニクの
谷間を通るはずになっていた。
1807年2月、フランスの総領事館この地に領事館を開いた。
時を移さず、オーストリアによる巻き返しが行なわれ、その年の秋が終わらぬうちに、
トラヴニクの村はもうひつの総領事を迎えることになったのである。
このように、「ボスニア物語」は、ナポレオン時代における、ボスニアの歴史に材を取った
歴史小説である。
・・・
この橋(ドナリの橋)は1571年にトルコの大宰相ソコル・メフメド・パシャ が
命じて建設させたものである。
この橋の歴史は、オスマン・トルコ帝国の
イエニチェリ 軍団
によるセルビア少年の略奪にはじまる。
・・・
東南欧における被征服地の、とくにキリスト教徒の
移住地域から、5年目ごとに、十歳から十五歳位の
少年のうち、美しく、健康で、頭のよい者を
選び出して、デウシルメ (強制徴収)という形式で
軍団の中に吸収した。
・・・
ドリナの橋の建設者ソコル・メフメド・パシャも
イエニチェリ出身の政治家であった。・・・
その政治的辣腕をもって、長くオスマン史上に
残るものであるが、この老練のソコルも、
ハレム勢力の政治的陰謀にかかって、
1587年刺客の凶刃にたおれた。
--------------------------------------------
デウシルメは英語では Blood Tax ですか。少年シナンは「シナン」ではイスタンブールに
いきたかったようなふうに描かれていた。
ソコルが「ハレム勢力の政治的陰謀にかかって
刺客の凶刃にたおれた。」
シーンもくやしそうにあった。
「ドリナの橋 = ソコルル・メフメト・パシャ橋 」で
設計はやはりミマール・スィナン
下のスタリ・モストはその門下生の作
当時、どうやって作ったのですかね。詳細不明とか。
メモ
YouTube動画 シナンとダビンチを比較したもの
Islamic Architecture :Sinan The Architect *VS.* L.Da Vinci
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 イエニチェリ
デヴシルメによらないで入隊した生まれながらにムスリムであるトルコ系の者が増え、
妻帯も普通に行われるようになって軍紀が乱れるようになった。
イェニチェリは各都市においてギルド と結びついて顔役・無頼のような行動をとり、
政治にも介入した。特に首都ではしばしば反乱を起こして宰相を更迭させたり君主を廃位したりした。
また、オーストリア国境での戦争時に国境地帯のセルビア 人居住地域から略奪を行い、
また勝手に住み着いて支配階級として振舞ったりしている。
これによって、セルビア人居住地域がトルコからの独立運動を志すことでセルビア公国の誕生に繋がり、
第一次世界大戦 発生原因となるバルカン半島 の混乱の基礎となる。
(ちなみに、鎮圧活動は同時期のナポレオン・ボナパルト によるエジプト進軍対抗への協力を依頼するため
中止された。)
ユーゴスラヴィア解体とイヴォ・アンドリッチ
ユーゴスラヴィア唯一のノーベル文学賞作家イヴォ・アンドリッチが、現在、
旧ユーゴ諸国で、どのように扱われているか
ドリナの橋 ~古いスペイン語
ここにもコロンブスが出航するころ、スペインを
追い出されたユダヤ人がきていました。
カピヤにはヴィシュグラードのユダヤ人たちが集まって来た。
商人とその息子たちが。
のんびりと晴れがましく、繻子(しゆす)のズボンに上衣をつけ、
濃い赤色の平たいトルコ帽をかぶった彼らは主の日を厳格に守り、
水中に誰かの姿を捜し求めるかのように岸辺を散歩していた
のである。だがほとんどはカピヤに腰をおろして、
古いスペイン語
(中世の終わりごろイベリア半島から追放されたユダヤ人たちは、後々まで古いスペイン語
の方言を話していた)
で活発な議論を声高くかわしていた。品の悪い単語だけはセルビア語を使って。 P173
ドリナの橋 (東欧の文学) (単行本) イヴォ・アンドリッチ (著), 松谷 健二
* カピヤというのは昨日の写真 にある、橋の中央に設けられた石のソファのことです。
西欧とオスマントルコに挟まれた、地理的に不幸な地域であることは、地図をみれば
わかるのですが、どうしてユーゴスラビアが分解していって、殺戮の嵐が吹き荒れていったのか....
いろいろな民族がそれなりに一緒に暮らしていたようなのに。
最初はどうしてエリザベートは暗殺されたのだっけと? ちょっと検索してみようとしていたのですが...
・ バルカン半島 に古くからいた アルバニア人 、 モンテネグロ人 。
・ スラブ化していった モンテネグロ人 は セルビア人 とは別の民族であるかどうかは論争の対象となるくらい。
・ 南スラブ人 である セルビア人 は血統や言語は クロアチア人 とほぼ同じだが宗教が異なる。
セルビア人 には正教会 信徒が多い。
クロアチア人は主にカトリック を信仰する。
どうやら宗教でもめるというより、クロアチアはカトリックであり、オーストリア・ハンガリー帝国下だったり
ヴェネツィア共和国 の植民地だったりしたのでこともあり、ナチスドイツを後ろ盾にして独立しようとして、
ナチス・ドイツ への抵抗組織(チェトニック )であるセルビア人勢力を虐殺し、その後もかなり悪いこと をしている。
カリスマ性のあったチトー 大統領の死後
ユーゴスラビア = 「南スラブ民族による連邦国家の構成と言うセルビア王国 」 は
「政府をコントロールしているのはセルビア人であるとする反発」により解体。
イタリア、ドイツに近いスロベニア
、クロアチアからすると、田舎者のセルビアさんのいうことなど
聞いていられない、といった感じでしょうか。
オスマントルコ、ハプスブルグなどの支配下があったから、「平和(?)」にやってこれていた?
いや、ナチス・ドイツからみの内戦が不幸のはじまりか。
右:世界遺産 アドリア海の真珠
ドゥブロヴニク旧市街 (クロアチア )
あらためて、「現代東欧文学全集 12 ドナリの橋」の本文の前の背景説明の文章を読むと、
さすがによくまとめられています。以下、この部分からの抜粋です。
それがしだいに分化していって、セルビア人、クロアティア人、スロヴェニア人が生まれていったのである。
・・・
西ヨーロッパ文化の影響をうけ、カトリックを信じるスロヴェニア人、クロアティア人、ギリシャ正教を奉じ、
ビザンチン文化を担いながらも回教徒の支配下にあえいできたセルビア人とは、民族的にはともに
同じスラヴ族でありながら、政治的にも、文化的にも、複雑な対立を内に含んでいる。
ドリナの橋
図書館で「現代東欧文学全集 12 ドリナの橋」を借りてきて読んでいる。
それで、実際の橋を Google Earth で見に行って、まずマケドニアという国が表示されていて、
ちょっと驚く。ギリシャあたりがこれを名乗るのには異議を唱えていたような。
* マケドニア共和国の独立は1991年。 先日2008年2月の独立宣言はコソボ。
ちょうど昨晩 「アヴダガの美しきファタ なれは賢く、 なれは美し!」のところを
読んだばかりだったので、動画の橋から川を覗き込むシーンとこの音楽とでなんともいえ
ない気分。
一番左はモスタル旧市街の古橋地区より http://www.panoramio.com/photo/107980

それで、実際の橋を Google Earth で見に行って、まずマケドニアという国が表示されていて、
ちょっと驚く。ギリシャあたりがこれを名乗るのには異議を唱えていたような。
* マケドニア共和国の独立は1991年。 先日2008年2月の独立宣言はコソボ。
ちょうど昨晩 「アヴダガの美しきファタ なれは賢く、 なれは美し!」のところを
読んだばかりだったので、動画の橋から川を覗き込むシーンとこの音楽とでなんともいえ
ない気分。
一番左はモスタル旧市街の古橋地区より http://www.panoramio.com/photo/107980

ゴーギャン かぐわしき大地
なかにし礼さん
が新日曜美術館で熱くゴーギャンを語っているなかで、特に「ゴーギャンは
幼いときにペールーで黒人の乳母に添い寝してもらって育った」などと聞いて、
なんだかタヒチにいったのが少しわかるような気がして、 「かぐわしき大地 」をみたとき、
感じた何かを思い出してきたりもしている。
ゴーギャン 「かぐわしき大地 」
関根正二 「信仰の悲しみ 」
大原美術館の画像もせめて文化遺産オンライン
くらいの解像度の画像があるとうれしい。
コレクションでめったに展示されないのは論外 として。
幼いときにペールーで黒人の乳母に添い寝してもらって育った」などと聞いて、
なんだかタヒチにいったのが少しわかるような気がして、 「かぐわしき大地 」をみたとき、
感じた何かを思い出してきたりもしている。
ゴーギャン 「かぐわしき大地 」
関根正二 「信仰の悲しみ 」
大原美術館の画像もせめて文化遺産オンライン
くらいの解像度の画像があるとうれしい。
コレクションでめったに展示されないのは論外 として。









































