レンブラントとその時代の金融システム2 | 旅行、美術館、書評

レンブラントとその時代の金融システム2


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「われらのお姫さま」と慕われていたブルゴーニュ女公マリーとマクシミリアン1世の頃、スペインでは ロンブス が歴史的な航海に旅立ちます。
映画「1492 コロンブス 」ではSigourney Weaver シガニー・ウィーヴァー のイサベル(Queen Isabel) 役が印象的でした。

さて、敬虔なカトリック教徒であったイサベル1世はグラナダ陥落まで願懸けとして下着を替えなかったとか。(⇒イサベル色 )このあたりの時代の流れは先日、少し調べてみました が、再度コロンブスの観点から追ってみると、またもや「コロンブスとユダヤ人」とういキーワードにぶつかってしまいました。


 なぜ、コロンブス一行は出帆前夜から乗船していたのか?
  ~1492年8月2日午後11時、スペイン・パロス港の謎~
 なぜ前日中に全員が乗船をすませていたのでしょうか。

1492年3月31日 ユダヤ人追放令

 この日、イサベル・フェルナンド両王は「アラゴンおよびカスティーリャからのユダヤ人追放に関する一般勅令」を出しました。その内容は、この年の7月末までにすべてのユダヤ人を領土から追放するというものです。この命令を無視した者が領土内で捕らえられた時は、「死刑と財産没収の刑」となっています。1月にグラナダを陥落させたイサベル・フェルナンド両王は、国内統一を徹底させるためにこの勅令を出したのです。
 イサベル女王はのちに、7月末の期限を2日間延長させて8月2日としました。この日はコロンブス出帆の前日です

 http://www5b.biglobe.ne.jp/~mizuta/mizutasekaisi/2.1492nen.htm

 増田義郎『コロンブス』
“新大陸”にあるはずの黄金も、イェルサレムの聖墓再建のために使うべきと考えており、そうした点で信仰心篤いイサベル女王と精神的に響きあっていたはずだと著者は指摘する。
 http://barbare.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_4db7.html


 いつからアメリカはユダヤ人が世界一多い国になったのか?

コロンブスはユダヤ人だったとの根強い説があるが、真偽のほどは定かで
はない。しかし、彼の計画を強力に推進した、アラゴン王国の金融センターの遷移
豪商で租税を管理していたルイス・デ・サンタンヘルと、その親戚でアラゴン王国の大蔵大臣だったガブリエル・サンチェス、そしてこの2人の友人で侍従職を勤めるジュアン・カプレロという人物が、3人とも揃いも揃って「キリスト教に改宗したユダヤ人(コルペソ/マラノ)」だったことは事実である。
 この3人のユダヤ人が、イザベラ女王に口をきわめて王室財政の窮迫を訴え、「もしコロンブスが“黄金の国”を首尾よく発見したら、巨億の富が転がり込んでくるだろう」と、言葉巧みに説得したのだった。
 ・・・

しかし、このユダヤ人たちの南米における経済的成功の知らせは、ヨーロッパに大きなショックを与え、ユダヤ人をヨーロッパの地から追放したスペインやポルトガルは、直ちに南米のユダヤ人の業績を奪取すべく行動を開始。このため、南米を追われたユダヤ人たちは、中米を経て、今日のアメリカ大陸の東海岸にたどり着くことになる。
 よって、「アメリカ(北米)へのユダヤ人の渡来」は、一般に1654年にブラジルでの迫害を逃れたマラネン23名が、マンハッタン地区(現ニューヨーク)に定着したのを始まりとしているようだ。
http://rerundata.hypermart.net/ura/hexagon/texts/textA2F/a2f2106.html

ブラジル500年記念特集号 オランダの光残す町
オランダのペルナンブコ 侵攻は一六三〇年に始まった

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占領時代、ユダヤ人街と呼ばれたボン・ジェズス街は、とくに往時の面影を色濃く残している。オランダ軍とともにやって来たユダヤ人金融業者は、この付近に居を構えてセニョールの農場主らに金を貸し付けた。ところが、いっこうに返済してもらえない。「ついにユダヤ人は諦めて北米に行き、マンハッタン島を築いた」と案内してくれたペルナンブカーノは、ここでも辛味の効いた揶揄を言う。

 http://www.nikkeyshimbun.com.br/esp500brasil2nordeste.htm

 四 カリブ海で起こったことのヨーロッパにとっての意味
エスパニョーラ島沖に沈没していた、たった一隻のスペインの銀輸送船から引き揚げられた財宝が、当時の英国の経済を刺激し、一挙に好況に向かわせた例も紹介している。十六世紀から十七世紀にかけて、スペインを中心としてヨーロッパ一円に流入していた富の大きさが、どれほどのものだったかが想像できる。
 http://www.zorro-me.com/kto/kto004_2.html

「コロンブスとユダヤ人」 by ゲルハルド・フォーク博士
コロンブスがデ・トーレスを航海に加えたのは、彼がヘブライ語を話せるからであった。
コロンブスは、「世界の反対側に行けばヘブライ語を話すユダヤ人に会えるに違いない」と固く信じていた(または、信じたかった)。
彼は、そこで「イスラエルの失われた十部族」に出会うことができると信じていたので、ヘブライ語が話せる人間が必要だったのだ。
 http://tak0719.hp.infoseek.co.jp/qanda3/99GBX4LPGCuw90627.htm


スペインから南米経由でニューヨークへというのもあったようですが、ニューヨーク市の歴史 を読んでみて
ビーバーの毛皮ニューアムステルダムと歴史の授業で習ったことを思い出します。

イベリア1474年
カスティーリャ王国 とアラゴンを統一してスペイン王国とするための政策としてにユダヤ教徒を追放したと、
コンベルソ の説明にありました。

そういえば以下の本の
大陸と台湾との平和統一」のための動きの説明を読んで、なんでまた今頃、米議会で・・・という疑問が解けました。
中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす (NB Online book)/遠藤 誉

昨年の米下院の慰安婦問題決議についても、主導したのはこの在米華僑華人社会であり、日本で言われているような中国政府による工作ではありませんでした。この著者は在米華僑華人社会の運動の中心人物とパイプがあるようで、本人が直接聞いた情報としてこれを書いています。
  http://d.hatena.ne.jp/Baatarism/20080323/1206251384