Chajinの 徒然フォトブログ

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「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

9月23日(祝)、天気予報で、早朝ライブカメラで確認して上高地へ出かけました。
高山市平湯、あかんだな駐車場からバスでの通行になります。

いつも途中下車で大正池。
大正4年(1915)の焼岳の大噴火によって、泥流が梓川をせき止め、一夜にして
生まれたといわれるせき止め湖。



湖畔からの穂高連峰の全景。湖中に林立する枯れ木の景色の美しさが人気でしたが
今では1,2本。
ここまで訪れたのは仕事ついでの半世紀近く前、見たことも無いその景色は忘れられません。



2011年の写真






大正池から田代湿原から梓川沿いに左岸を河童橋へ向かいます。
今までにない観光客の多さ。



清流の古木、苔に覆われたこの景色は10年変わりはありませんでした。


河原に降りて水流の美しさと枯れ木と焼岳の対比を楽しみます。



何時の事か、いつも見る水中の大木は折れていました。



岸辺の透明な冷たい水の流れの美しさは変わりません。



緑の木々に包まれて田代湿原へ向かいます。


田代湿原から穂高連峰の全景を望みます。








田代池の清流。






いつもこの地のみで見かける蜘蛛の巣のような変わった植物、地衣類で「サルオガセ」。


梓川の左岸を清流の美しさと山々の美しさを楽しみながら進みます。








 

名高い河童橋。






河童橋は景色を撮る人や一緒に写真を写す人々で大賑わい。




河童橋から上流の景色。 多くの方が河原へおりて清流を楽しんでいます。
観光で訪れる方はこの地まで、橋の近くの景色や食事、お土産を楽しんで
帰られる事が多いようです。




上流から河童橋、正面は焼岳。



河童橋のすぐ近く、支流に架かる清水橋から望む川の眺めはいつも素晴らしい。




いつもは左岸を明神へ向かい、帰りは右岸を河童橋へ帰りますが、左岸は通行止めに
なっており、初めて右岸を明神へ。

岳沢湿原







明神へ向かいます。 上高地へ訪れるのは梓川清流、どこからも望むや山々の美しさ、
道沿いに咲く1、500m高地の花々の美しさを楽しむことでもありますが、残念なことに
花には全く出会うことができませんでした。




 紅葉の季節

 


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 創業110年  すいぎょく園
お茶、茶道具、健康茶、抹茶アイス・グリーンソフト 

先週になります、中津川市の「椛(はな)の湖 のそばの花まつり」を
訪れました。そばの花を楽しみに三度程は訪れていましたが、
花祭りのタイミングでは初めて、かってない大勢のお客様で賑わって
いました。








毎年熱気球体験がありますが予約満杯でした。




花より団子状態で多くのキッチンカーなどが大繁盛。















黒い実に変わった所もあり。







10割そば。もちろん、お好みもあります、自分に合う美味しいそばを探し歩いています。
子供の頃、そば畑もあり、祖母が作ってくれた喉を通るときにザラザラするような食感が
苦手でした。今でも味自慢を謳う蕎麦屋さんで出会うことがあります。
20数年前、初めて観光で訪れて時の兵庫県豊岡市の「出石そば」を頂いてから
「ざるそば」が好きになりました。





椛の湖、
「樺」の「華」の部分を、同じ読みを持つ「花」に変えて「椛」という和漢字が出来ました。
「かば」と読みます。「はな」とは読み辛いところです。

過去に幾度も書いて恐縮ですが、1959年(昭和34年)に竣工した灌漑湖。
日本初の野外フェスティバルが開かれたのがこの場所です。有名なアメリカの
ウッドストックフェスティバルより1週間早く、世界初の野外フェスティバルでも
ありました。
1969年8月から3年間開催されましたが、最初の年の観客は2~3000人、2年目は8000人弱、
3年目は20000~25000にもなり、この狭い土地では収拾がつかなくなったことが続けられ
なかった一因です。

初回には五つの赤い風船、高田渡、高石ともや、岡林信康、上條恒彦、中川五郎達、後には
吉田拓郎、五輪真弓、ガロなど、今でも有名なフォークシンガーがほとんど参加しました。
フォーク世代には忘れられない名前です。
残念ながら地元の放送局に入社したのはその後でしたが、先輩達からそのスケールの
大きさをよく聞かされ、主催者の笠木透氏(故人)にお会いしたこともあります。





そば祭りで観光担当の方にこの地の観光地をお聞きして、近くの「夕森渓谷」を初めて
訪れました。
標高700mに位置し、夏には美しい川上川の清流に囲まれ、キャンプや川遊び、BBQ
などを楽しむ設備が整っています。

もみじ橋




竜神の滝














 
残暑の中、清流、滝の美しさと涼しさを満喫させて頂きました。


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もうすぐ秋分を迎えるというのに毎日35度を超すような猛暑が続いています。
我が家は市街地ですが8月末より、夜になると家の廻りのわずかな草むらから
秋の虫の音がうるさいほど。
野山へ出かけると花々はすっかり秋の装い、秋の訪れは近いのでしょうか。

秋の七草

尾花(ススキ)



女郎花(オミナエシ)


葛(クズ)



萩(ハギ)



桔梗(キキョウ)


撫子(ナデシコ)



藤袴(フジバカマ)




野の花々


松虫草(マツムシソウ)







吾亦紅(ワレモコウ)


金水引



仙人草(センニンソウ)


サギソウ



白髭草


 
檜扇


忘れ草(ヤブカンゾウ)






今年の秋彼岸は、【9月19日(木)~9月25日(水)】の7日間。
彼岸花はまだ見れず。

9月19日で当地大垣は猛暑日が50日になったそうです。  
この暑さにはもう耐えられません。


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ホテルを出て松下村塾に着いたのは8時頃、他に観光客は無く、係の方(全て女性)が
ほうきを持って掃除をしておられました。皆さん、「おはようございます、ようこそ」とご挨拶
下さいました。
松下村塾は過去二度訪れました。






部屋の壁いっぱいに受講者の写真が飾られています。






高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋など明治維新期活躍した人材が輩出されました。



すぐ隣が𠮷田松陰の実家。神社の巫女さんが庭掃除をしておられました。



実家の左手奥に松陰が幽囚された部屋があり。



松陰神社、実家のすぐ奥、初めて訪れました。多人数の観光では松下村塾のみでした。





毛利氏廟所、黄檗宗東光寺へ。

三門、国指定重文。






大雄宝殿(重文)






萩藩主毛利家墓所。
東光寺開基の三代藩主毛利吉就公から十一代までの奇数代の藩主、ならびにその夫人の墓が正面に。重臣諸家が献上した石灯篭500基が整然と立ち並ぶことで知られます。







中央は3代吉就、室亀姫。



先回観光で萩市内は歩き回りましたので今回は800kmほどの長距離の家路になりますので
萩観光はここまで。


中国自動車道に向かう途中の津和野へ立ち寄りました。
島根県津和野町は「山陰の小京都」とも呼ばれる美しい街。
千本の鳥居からなるトンネルが幻想的な「太鼓谷稲荷神社」をはじめ、石畳と古い建築物が
情緒あふれる街並みをつくっている「殿町通り」など。
文豪・森鴎外の出身地としても知られています。

津和野市街地。
名高い石畳の街を車では通りましたが歩いて訪れるところまではできず。



左、山の頂上が津和野城址、中央、山の中腹が太鼓谷稲荷神社。



津和野藩主、亀井家の藩邸跡。中央山の頂上が城址。



津和野城址。 時間制限があり城跡までは登れず。



太鼓谷稲荷神社。

京都伏見稲荷等と並ぶ日本五大稲荷の一社。 七代城主亀井矩貞が建立。






こちらから中国自動車道を延々と走り、大阪、京都から名神高速へ、3日間で
1,700kmほどの走行になりました。

追記
ニューヨーク・タイムズは毎年、その年に行くべき旅行先として世界各地の都市や
地域を紹介、2024年はパリに続いて3番目に山口市が取り上げられました。
山口市は西の京都とも呼ばれ、過度な観光客に悩まされることが少ないコンパクトな
都市と紹介。そのおかげでの観光客の増加はあまり感じられないとのことですが、
このブログのトップにも記載しましたし他所でも、他の多くの方々も記載しておられ
ますように、おもてなし心が他の地域とは違う、それを今後も大事にして頂きたい。

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車の宣伝などで一躍有名になった角島(つのしま)大橋を訪れました。

2000年(平成12年)開通、完成当初は通行料金が無料の離島架橋としては日本最長
1,780mであったのが、2005年に古宇利大橋(沖縄・全長1,960m)、2006年に
新北九州空港連絡橋(福岡県・全長2,100m)、2015年に伊良部大橋(宮古・全長3,540m)と
更に長い離島架橋が建設されている。

沖縄の古宇利大橋も二度訪れましたが、海の青さ、美しさではやはり比較になりませんし、
宮古の伊良部大橋は更に抜きんでて美しいらしい。











沖縄古宇利大橋




角島灯台は角島の西端、夢ケ崎に立つ石造の灯塔は総御影石造りで、日本に2基しかない
無塗装の灯台で2020年に国の重文に指定されました。
駐車場の管理の方にお聞きしましたら、1、8、7、6年(覚えやすい、明治9年)で
石油灯で初点灯された古いものですと紹介頂きました。 高さ29.62m、現役灯台。
猛暑日で灯台を昇る元気は出ませんでした。


以前訪れた方から魚が美味しいから是非、と聞いており、灯台近くのレストランで
「しあわせの海鮮丼」と銘打ったものを頂いてみました。
美味しかったのですが、東海、北陸、海沿いの魚料理を知っている者には
失礼ながら特別感はありませんでした。





萩へ向かう途中、長門市の海に向かって赤い鳥居が並ぶことで知られる元乃隅神社
(もとのすみ)を訪れました。
1955年(昭和30年)に地元の網元によって造られたもので個人所有。
神社庁などに登録もされていないそうです。












萩に入り萩東駅近くのホテルに入る前に萩城址を訪れました。






先にご縁のある岩国城を訪れたばかりです。




天守閣跡




明治7年(1874)に天守などすべて解体されました。




天守跡から望むお堀。




正面が城内に入る橋、そのすぐ先は日本海に通じています。




天守閣やその他の建物が残っていないため観光人気は今一つのようで、三度目の
萩になりますが初めて訪れました。

城の近くには萩焼の窯元が何軒も並んでいます。私共の商売にも関連しますが、
萩焼は慶長9年(1604年)に藩主毛利輝元の命によって、慶長の役の際、朝鮮人陶工、
李勺光(山村家、後の坂倉家)李敬(坂家)の兄弟が城下で御用窯を築いたのが始まりと
され、 当初は朝鮮半島の高麗茶碗に似ており、手法も形状も同じものを用いていた。
茶道の世界では一楽(京都)、二萩、三唐津と呼ばれ尊ばれています。


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