後見制度とは何か、私の「わからない」に答えてくれる人、いませんか?
  • 16Jan
    • 任意後見ってどうなのかな?②必要がなければ発効しない方がいいんじゃないかな。

      「成年後見制度には,法定後見と任意後見があります。」うちは任意後見の方なのです。任意後見には①移行型②将来型③速効型がありますが、母と私の契約は①移行型財産管理等委任契約、任意後見契約及び死後の事務委任契約です。現在、結ばれている任意後見契約は親族との①移行型契約が多いそうです。納得です。私の任意後見人生活も5年が過ぎましたが、「私も任意後見人です。」という方にまだお会いした事がありません。任意後見契約の件数自体が少なく、任意後見契約にあっても、申立てを行わず任意後見発効に至らない事が多いからかもしれません。移行型任意後見の問題点として、本人の意思能力が不十分な状態となっても財産管理委任契約に留まり、監督人選任の申立てをしないままチェックが行われない状態となっている事が指摘されています。が、あえて、実際に監督人選任の申立てを行い、母の任意後見人という立場で過ごしてきた感想。法定後見を使わずにすむよう任意後見契約をしておき、必要がなければ発効しない方が良いと思います。財産管理に関しては、かなりお金がかかっても良いのであれば家族信託だと思います。突っ込み所はいくらでもあると思いますが、正直なザックリとした私の感想です。ブログですし、、正論を書いても意味がありません。我が家の場合任意後見この初めて耳にした契約を勧めてきたのは司法書士でした。当時、仕事と子育てで慌ただしく生活していた私は、正直あまりこの契約に実感がありませんでした。意思のままならない状態で長く生活をした親族がいましたので、そういった状況となった際に必要となる契約だとは認識しましたが、子宮筋腫と歯医者以外、病院に行った覚えがない母にそのような姿を重ねることが出来ませんでした。とりあえず母自身がこの契約に思いのほか前向きでしたし、私も母が先々を考えている事に安堵しました。そして、士業先生がお勧め作成して下さった契約書類であれば問題はないのであろうと思っていました。その後、母の家を整理した際に枕元に見つけたのがこの本です。本を買う事は母の趣味で、コレクションのごとく多くの書籍が放置されていましたが、この本に関しては違いました。赤いペンで線が引かれ、任意後見に関してのページが折られ読み込まれていました。母はこの本を読み、先々行く末に関して考えていたのではないかと。勧められたからだけではなく、自ら任意後見契約の必要性を感じていたのではないかと思います。というのも、母は長く祖母の介護に生活を捧げました。諸々の問題もあったようで、閉塞感に満ちた辛い時間だったのではないかと思います。その経験から自身が不自由になった際の対策が必要であるという事を、切実に感じていたはずです。上大岡の公証役場で任意後見の契約を行なった後、大戸屋で母は「すけそう鱈と野菜の黒酢あん定食」私は「チキンかあさん煮定食」デザートも食べました。いつになく機嫌良く安心した様子で、難しい事に関しては考えたくないので色々と子供にお任せしたいという事や、料理教室の予約がなかなか取れないなど趣味に時間を使いたのだという介護生活を終えた母の希望が伺える話をした覚えがあります。後日、税理士も交え資産管理に関する相談も行いました。あの時、まさか娘がこの契約で書類作成に追われ、家裁や士業に蔑まれ、行き場をなくし憔悴しきるなどと考えたでしょうか?これは母がこの制度と契約に望んだ事なのか?そんな思いをしてきた5年間でした。それでも、もしこれが法定後見だったらと考えます、、母の意思は尊重されなかったでしょう。後見制度は本人意思の尊重を掲げていますが、ここ数年の家庭裁判所の法定後見における運用方針を考えると、そもそも私は後見人に選任されなれなかったに違いありません。実の子供がいながら赤の他人が契約を結ぶとか、、見知らぬ士業に月額2万円以上根拠の明らかにされぬ報酬を払うとか、、後見制度支援信託の利用とか、、母が望むはずのない事を法定後見により強要されていたに違いありません。法定制度で本当に尊重されているのは、家裁士業の意思なのではないかと思います。本人が望む人間を確実に後見人に指定しておける。資産状況を把握する。そういった事だけでも任意後見には価値があります。我が家の場合は任意後見発効が必要な状況がありましたが、後見制度の不安定な現状や家裁士業の親族への扱いを思うと法定後見を使わずにすむよう任意後見契約をしておき、必要がなければ発効しない方が良いと思います。資産管理に関しては、かなりお金がかかっても良いのであれば、家族信託だと思います。2025年「5人に1人が75歳以上という、超・超高齢化社会に突入」だそうです。「認知症患者数は700万人前後に達し、65歳以上の高齢者の約5人に1人を占める見込み」だそうです。人ごとではなく大変です。後見制度は誰もが利用する制度ではありません。けれど、もしもの将来に向けて、もし信頼する人がいるのであれば、もしお願いしたいことがあるのであれば、包括的に人権を否定出来てしまう法定後見に比べれば、任意後見は大切な、可能性のある契約のはずです。法定後見の不評を受けて任意後見をお勧めする記事も出てきました。https://www.moneypost.jp/614157相続は死んでからの問題ですが、後見は生きている間の問題です。現行の法定後見を使わずにすむ砦として、任意後見契約をお勧めします。任意後見発効をおすすめしない理由と体験に続く、、、

  • 06Nov
    • 任意後見ってどうなのかな?①法定後見と任意後見は根幹が違うはず。

      「成年後見制度には法定後見と任意後見があります。」具体的な違いは調べればと色々と説明されていますが、あまり認識されていないように感じること、法定後見と任意後見は根幹が違うそうです。私、確かに法定後見と任意後見は全然違うけれど、家裁に管理されるヒドイ制度には違いない。だからどうした?と思っていました。そんなことはわかっているが任意後見には監督人が付き報酬も発生するのだから、後見制度には違いないであろう。だからどうした?と言われそうです、、、上手く説明する自信がありません。でも全く違うはずで、、それは大きなことのはずなので、、、法定後見と任意後見の根幹の違い法定後見は、本人の能力を否定して代理人を選任する、本人保護が目的の司法措置。任意後見は、本人が自分の利益のために他人と結ぶ委任契約の一形態。なのだそうです。法定後見の審判が下った人は「被後見人」任意後見契約が発効した人は「任意後見契約の本人」という立場が正しいのかもしれません。法定後見が開始されると,選任された成年後見人は,制限はあるものの、法律により本人の行為ほとんど全てを代理することができるようになります。代理できない事としては以下となるでしょうか。・医療行為への同意・身元保証人、身元引受人、入院保証人等への就任・本人の住居を定めること・婚姻、離婚、養子縁組・離縁、認知等の代理・遺言・自宅の売却に関しては家庭裁判所の許可が必要また、被後見人が行った法律行為を不利益なものだと判断すれば、取り消すことが出来る取消権も与えられます。取消権!何だか便利そうですが、これは被後見人の能力を否定しているからこその権利なのでしょう。一方、任意後見が開始されると、任意後見人は本人との契約の範囲内の代理を行うようになります。これは、あくまでも委任契約であり、任意後見人の就任は任意後見契約の発効に過ぎず「任意後見契約の本人」の能力は法的に否定はされていないので、取消権はありません。法定後見の被後見人、被保佐人、被補助人と違って「任意後見契約の本人」は法的にいかなる法律行為においても制限を受けないはずです。「任意後見契約の本人」は法律上、契約の相手方が認めればご本人が契約を行う事も出来るはずです。後見制度物事を判断する能力が十分でない方について、その方の権利を守る援助者(成年後見人等)を選ぶことで、法律的に支援する制度だそうです。必要な制度なのかもしれません。でも、絶対に守って支援してもらえる保証はないようです。物事を判断する能力が十分でない方について、その方の権利を代理する人(成年後見人等)が選ばれることで、法的に権利を失う制度ともなり得るわけで、、、2025年「5人に1人が75歳以上という、超・超高齢化社会に突入」だそうです。「認知症患者数は700万人前後に達し、65歳以上の高齢者の約5人に1人を占める見込み」だそうです。人ごとではなく大変です。2018年家裁が法定後見の申立てに対し、親族を後見人として選んだのは23%だそうです。やめる事も、選ぶ事も、変える事も難しい制度。たまたま選ばれた本人を知らない人間の「正しさ」にお金を払いながら人生を終えることになるかもしれないわけで。「正しさ」って実は怖い。強い「正しさ」ほど人を追い込むことがある。実感しました。欧州の後見が本人の権利を守るため、必要な支援のみを必要な時のみおこなう「小さな後見」を目指す中、日本では後見人に医療同意の権限を与えることも議論されているようです。法定後見が物事を判断する能力が十分でない人を、不都合な人として、社会や司法や個人の都合良く動かすための制度とならなければ良いのですが、、、後見制度は誰もが利用する制度ではありません。けれど、もしもの将来に向けて、信頼する人がいるのであれば、お願いしたいことがあるのであれば、法的に人として否定されないよう、現行の法定後見を使わずにすむ砦として、任意後見という委任契約を考えても良いかもしれません。意思や自己決定権の尊重、ノーマ ライゼーションといった理念が掲げられても、選挙権が認められても、欠格条項がなくなっても、本人を否定できる制度であることに変わりはないのが「後見制度」だと感じています。実際、根幹は違うものの、残念ながら任意後見も後見制度に違いないので発効しない方がいい。に続く、、、

  • 27Sep
    • 普通の家族は「成年後見制度」は敬遠した方がいいんじゃないかな?

      こちらの家族信託を猛烈に推奨する文、https://kazokushintaku-shizuoka.net/family-trust-protects-wife-with-dementia/普通の家族は「成年後見制度」は敬遠した方がいい。と最後の方にある。多様性の時代、「普通の家族」という基準もなくなっていくのではないかと思う。でも、我が家は「普通の家族」の範疇なのではないかと思っている。他人様から見れば個性的な所もあるだろうけれど、「Aさん家族って普通じゃない。」などと言われたらちょっと悩む。で、多分普通な我が家は夫の収入に頼って生活している。そこに妻である私の副収入を加え、何とか生活している。住宅ローン、教育費、車、光熱費など大きな支払いは夫。食費など日常の出費、私個人の交遊費などの支払いは妻。かなりルーズな線引きで暮らしている。家族としての貯金も夫の口座にあり、私にヘソクリはない。我が家において、ご主人のお金を奥様は使えません!などどいう事になったら、困る。かなり困る。というか、私と子供は生活出来ない。100%夫の収入、100%お母さんの収入、夫婦で完全に財布を分けている、など、各家庭の成り立ちがあるのではと思う。家のお金のことは各家庭のルールに任せられていて、一人一人が厳密に個人のお金を管理しているというのは割と珍しい気がする。家計である。後見制度を使う最も多い理由は銀行の預貯金の管理・解約のためらしい。経済的に家族のキーパーソンとなっている人物のお金が使えない状況となり、銀行から後見人を立てるよう言われる。といった所なのではないかと思う。ところが、本人のお金は本人個人のお金である。個計である。ご主人のお金は死ぬまで、ご主人のお金。奥様は使えません。などという嘘のような事になったりする可能性もある。それどころか、見ず知らずの士業さんに毎月2万円もの後見人報酬が必要となり、奥様はご主人の資産状況を確認出来ないとか、そんな事もおこったりしている。夫婦でなくとも、家族、親族というのは割と曖昧で不思議な金銭感覚で成り立っていたりするのではないかと思う。稼ぎ頭みたいな人がいたり、サポートする人がいたり、お金を使うばかりの人がいたり、そのバランスを尊重したり、黙認したり、もめたり、、、家族には家族の金銭的な成り立ちがある。そういった家族の成り立ちを、本人はもちろん、家族間で決められなくなるのが後見制度なのかもしれないとも感じている。ちなみに、判断能力を失った家族を巡り経済的な成り立ちが上手くいかなくなっているのであれば、後見制度を使えばいいという意見もあるが、私は反対です。ここの所、後見制度見直しの議論がなされているようだけれど、とりあえず、やっぱり、普通の家族は「成年後見制度」は敬遠した方がいい。

  • 18Mar
    • 後見制度、関わらない方がいいんじゃないかな?

      少し前ですが、後見制度に関わった親族の方々との懇談会に参加しました。「このような会には良く参加なさるのですか?」という質問を受けたのですが、初めてでした。Twitterを見ていると年に2〜3回、自治体によるものでしょうか?後見親族による集まりのような告知を見かけた事はあったのですが、遠かったり、予定が合わなかったりで参加したことがありませんでした。壇上からの制度に関するお話をお聞きしたり、先生と呼ばれる方にご相談したり、個人的に親族のお話を伺う機会はあったのですが、やはり同じ制度を使っている者同士、うちの後見人はこうだ、後見監督人にこんなことを言われたなど具体的な経験を共有するというのは良かったですし、耳を疑うような士業後見人の話などもお聞きし、色々と考えさせられる機会となりました。改めて思うのですが、現在の後見制度はびっくりするくらい閉鎖的です。家裁や士業が何を基準にどう決めているか、全然わかりませんし、困っても行き場も相談先もありません。後見制度を使う本人と関わる親族は上の指示に従うしかないと思わされます。後見利用者側が意見を交換するような機会はネット上以外、ほとんどないのではないでしょうか?家裁や士業団体が後見利用者の情報交換を好まないという説もありますが、あながち嘘ではないでしょう。この会は主催者側に制度に対する知見があり、後見制度自体は悪くはない。運用が悪い。という視点で話は円滑に進みましたが、後見親族を集めるだけではまとまりのない場となってしまうかもしれません。けれど、何かしら利用者にとってのオープンな場があってほしいです。「誰が老後の財産を管理すべきだと思うか?」(認知症などで財産管理が難しくなった際)というような質問も受けました。上手く答えられなかったのですが、人権問題はさておき、老後の財産管理というのは、あまりに過渡期なのだと思うのです。残念ながら家族が当然の事として財産管理をすべきという感覚が否定されなければならないのは致し方ないのでしょう。だからといって現在の勧められるままに後見制度を使ったら見知らぬ他人が財産を支配し始め、家族は状況を知る事も出来ず従うしかないというのは乱暴なのではないでしょうか?母の後見人という立場から言わせて下さい。家族のことは家族が決めるというのは未だ一般的な感覚として在るのではないでしょうか?家族に管理してほしいと考えているご本人さんもいらっしゃると思いますし、家族には家族の形があり、本人を良く知る家族でなければ出来ない支援があります。制度利用当初、母と私は後見制度という檻に閉じ込められたような感覚に陥りました。母は人間失格という刻印を押され、後見監督人の保護観察のもと財産を管理され、指導され、後見監督人の許可を得ながら生きろという法的措置を受けたかのようでした。任意後見、なのに、、、後見制度。意思支援、権利擁護の素晴らしい制度のように推進されていますが、あまり良い話は耳に入ってきません。私自身イヤな思いばかりしてきたので推進も苦々しく感じるばかりで、斜に構えた見方しか出来ません。弁護士、司法書士という職業に不信感を持つようになりましたし、家裁というのも随分な機関なのだと知りました。最近では、割の合わない仕事しか回ってこない、などという士業さんのボヤキを目にする機会も増えました。後見される側、する側、双方がこの制度に疑問を持ち始めているのではないでしょうか?人生100年時代だそうです。私は今年50歳になりました。そう順調に行くとは思っていませんが、あと50年生きるという可能性もあるわけです。バブルに踊った世代も親世代の老後問題に直面しています。そして自分自身の老後についても考え始めています。カラオケで尾崎豊を熱唱したような世代が現在の後見制度を自身の老後の財産管理方法として受け入れるとは到底思えません。スタバでコーヒーでも飲みながら、「うちは家族とこんな任意後見を結んでいる。」「うちは子供の兄弟仲が悪いから、専門家に財産管理をお願いした。」「私は子供がいないから○○という会社に、こんな後見と身元引受人をお願いしたの。」「そっちの後見の方がよさそだわ。」「私も契約の中にその項目も入れてもらおこうかしら。」「うちは、家族で相談して家族信託にしたの。」「うちは銀行のこんなサービスを利用しているから後見は使わないわ。」「後見助成制度の申立てって、どういう基準なのかしら?」などと、老後の財産管理に関してオープンに情報交換を行い、司法による措置ではなく、保険や医療サービスを選ぶように自らの老後を選び決めるような時代になってほしいと思うのですが、、自らの老後を選ぶことが当たり前となり、選択肢が増え、ノウハウが整うまでには、まだ時間がかかりそうです。それまでにキナ臭い高齢者市場の奪い合いが諸々ありそうです、、、家裁で後見に関わる方々、士業先生、関係する皆様、お願いします。老後の財産管理や後見制度は転換期のようです。現在の過渡期にある人生が無下にされ、家庭の在り方が壊されるような事がないよう、本当に後見制度の利用がベストの選択なのか、しっかりとした説明と、ご本人の立場に立ったアドバイスをして下さい。とにかく後見制度に誘導しておこうというのは違うと思うのです。現行の問題にも向き合って下さい。制度の詳細も知らされず、選択肢も与えられず、後見制度に閉じ込められた利用者がいます。この制度にはご本人と家族の、生活が、人生が、未来がかかっているかもしれないのだから。などと、私が後見制度の片隅とさえ言えないような所でブツブツ言っても制度はひた走ります。この懇談会は制度に対してマイナス志向の場であった事に配意しても思ってしまいました。やはり、後見制度、関わらない方がいいんじゃないかな?

  • 15Feb
    • 後見制度を使って長生きする意味は何なんだろう?

      愛犬が虹の橋を渡りました。19歳と1ヶ月ほど。立派な犬生でした。19歳の誕生日には、このままハタチまで!と思いましたが、それは難しいことを誕生日を過ぎた頃から感じていました。1年前頃から細い足に負担がかからないようこだわった無垢のフローリングで所構わず排泄をするようになりました。洋服を着ることを嫌う彼女にオムツをはかせるのは気の毒とトイレットペーパーを段ボール買いし、深夜に目覚める生活。ここ数週間、歩くことが困難になり、食事を食べなくなりました。最後の1週間、日に日に軽くなる体を膝に抱えタオルをあて栄養食をスポイトで数回に分けてあげました。愛しい時間でした。親を施設に預け犬の介護をするという矛盾を感じながら、仕事、日々の生活、週2回の施設訪問、後見報告も作成しなければ、、、母の体調が安定していた事に感謝。我が家には13歳で突然逝ってしまった犬がいました。朝出かける時には元気に餌を食べ、飛び跳ねていた子が家族で回転寿司を食べ帰宅したら動かなくなっていました。いわゆる“ピンピンコロリ”です。自分は家族に迷惑をかけないよう、“ピンピンコロリ”で逝きたいと思っていますが、愛犬が“ピンピンコロリ”と逝ってしまった時、後悔ばかりが残り激しく落ち込んでしまった思いが未だ残っています。13歳という年齢は犬としてはそれなりの年齢でした。なのでこの別れも15歳頃からは十分覚悟をしていたように思います。彼女は家族にたっぷり心の準備の時間をくれました。ゆっくり、ゆっくり、たくさんの思い出を作りながらこの世の生活とお別れしました。最後の週末、お世話になった獣医さんに点滴を打って頂き、家族で思い出の場所にも行きました。自己満足かもしれませんが、獣医さんの「ちゃんとわかっていますから、声をかけてあげて下さいね。」という優しい言葉に救われ声をかけました。100点満点の飼い主ではありませんでしたが、19歳です。天寿を全うしてくれた事に、ただただ感謝しかありません。とてもとても寂しいけれど、悲しくはない。そんな感じです。長寿を福と考えて御赤飯を出すという話がありますが、別れを迎え夫と乾杯をしました。“我が家に来てくれてありがとう”本当に可愛い犬でした。私達家族は彼女の飼い主になれて幸せでした。ありがとう。こんな風に穏やかにお別れを迎えられたのは、心の準備の時間があったからだと感じています。犬の話を人間に置き換えるようなことは不謹慎かもしれないけれど、思うのだ。後見制度を使って長生きする意味は何なんだろう?認知症や母のように脳出血で後見制度を必要とする。それは、終わりなのかな?空気を吸い、壁を見つめ、時を止めるために後見制度を利用するのかな?行為能力を制限されたり、財産を管理・処分することを禁じられながら生きることが後見制度を使う意味なのかな?脳出血で倒れた母は大好きだった「きょうの料理」にも興味がなくなってしまいました。自分で鍋をつかむことも食材を調達しにスーパーに出かけることも出来ないのですから、当然です。母のような被後見人が後見制度を使って生きる意味は何なんだろうと考え続けています。少なくとも士業に報酬を払うためではないと思うのですが、そのように感じてしまっている親族もいると思います。実際、後見監督人に報酬を支払うことが意味の一つではないかと感じてしまう事もあります。気をとりなおして、、、きれい事に過ぎないかもしれません。理想に過ぎないかもしれません。でも、私は未来を見る事が出来るからなのではと思っています。母に長生きしてほしいと思っています。孫の成長を見てほしいと思っています。未来を見てほしいと思うのです。士業さん、中本かおりさん、吉野絵美さん、市川事務所さん、お願いです。後見制度を使う時、当然ですが本人は生きています。後見制度を安易に考えないで下さい。ご本人はもちろん、家族にとっても、後見制度を必要とするような時間をどのように過ごすかは、とてもとても大切だと思うのです。「未来」って言葉、若い人の言葉のように思っているかもしれないけれど、生きている誰にでも「未来」があって、可能性にあふれているんですよね。さらには、長生きをした分、ご褒美の時間……ボーナスタイムっていうのがあると思うんです。老いとは、もつれた糸を幸せな結末に結び直すごほうびの時間90歳の弁護士、湯川久子さんの言葉、素敵だと思うのです。母にも、我が家にも、笑顔があふれる時、暗いトンネルから抜け出せないのではと思うような時、色々な時間がありました。脳出血で死んでいたかもしれない母が手に入れたボーナスタイム。私は後見制度を使うことで長生きした分「未来」を、幸せな結末を見ることの出来る、ご褒美の時間にしたいと思っています。後見制度は、「未来」を遮る制度になっていないかな?後見制度は、長生きが罪であるかのようなロスタイム消化のための制度になっていないかな?後見制度は、もつれた糸を二度とほどけないよう固く縛るための制度になっていないかな?士業さんは被後見人に未来を見せてくれるかな?

  • 29Dec
    • 後見制度は車椅子やつえのように気軽に利用できる制度なのかな?

      平成28年4月成年後見制度の利用の促進に関する法律が公布され、有識者の委員会が立ち上げられたそうだ。https://www.huffingtonpost.jp/fukushi-shimbun/alzheimers-help_b_12382942.html?ncid=other_twitter_cooo9wqtham&utm_campaign=share_twitter制度そのものが周知されていないために利用率が低いということもあり、様々な促進活動が行われてきている。紙芝居、漫才まで、、、私は人形劇を見た。促進に関する法律が公布されて2年半ほど、市町村長による申立ても増えているよう。すでに利用している立場からすると後見制度は随分浸透したと感じている。4年前、市役所、銀行、郵便局等で任意後見人である事を告げ手続きを行おうとすると「コーケーニン、、、ですか。。。聞いた事のあるような言葉だが、どうしたら良いのやら、、、」大抵の窓口担当者は奥に引っ込み、上司らしき人物との相談が始まる。電話会議に及ぶことも珍しくなく、30分待った末にご自身にいらして頂かないとどうしても無理と言われることも、、、、「本人が来れないので私が任意後見人としてまいりました。どうしても本人に会う必要があるのであれば、施設までご同行願えないでしょうか?」キレそうになったのはマイナンバーカードの受取りであっただろうか、、、後見人として仕事は時間の余裕を持ってイライラせぬよう。自分に言い聞かせた。ところがここ最近はだいたいの機関でスムーズに対応して頂ける。銀行は任意後見人の登録を伝えれば、身分証の確認ですむ。市役所で若干古い登記事項証明書を見せた所、「後見人さんということであれば。」と、書類を入手する事が出来た。後見制度は対応側には浸透したように思う。けれど肝心の制度利用は伸び悩んでいるらしい。ニーズはあるのに使ってもらえていないということだろう。https://news.yahoo.co.jp/feature/1122『利用率の低さはどこに原因が?』「市民後見人養成講座」を運営する一般社団法人地域後見推進センターのプロジェクトに携わっている特任助教の飯間さん『ひとことで言えば、面倒臭いからじゃないですかね。』とある。説明がなされているけれど、何だか回りくどい。利用率の低さの原因は面倒臭いからなのかな???母と私が任意後見契約の書類を作成した4年程前、後見制度に関する情報は本当に少なかった。今、制度の利用を検討する側はデメリットも含め様々な情報知ることが出来る。特に家族信託の宣伝はダイレクトに制度のリスクを伝えている。https://trinity-group.jp/kazokusinntaku/seinenkouken/?utm_source=yahoo&utm_medium=cpc&utm_term=%2B後見&utm_campaign=y_kazokushintaku&utm_content=kouken_1go朝日新聞にて、弁護士の河村さんは『お隣 手助けする気軽さを』と後見制度をお勧めしている。読売新聞にて、司法書士の稲岡さんは『成年後見制度は車椅子やつえと一緒。判断能力の補助手段として気軽に利用してもいいものだと伝えたかった。』と後見制度をお勧めしている。車椅子や“つえ”のように判断能力の補助手段として気軽に利用できるような制度があればいいと思う。車椅子や“つえ”を手にいれたことで転ぶことを防いだり、行きたかった所に行けたり、会いたかった人に会えたり、安心して買いたい物を買うことが出来たり、後見制度がなければ見ることのできなかった未来を見ることが出来たらどんなにいいだろうと思う。しかし、後見制度、こんな“つえ”だ。利用費用はだいたい月額2万円くらいからなんですけど、使ってみないとはっきりは分かりません。一応希望は聞きますが、どの“つえ”になるかはこちらで決めますから文句は言わないで下さいね。気に入らなくても交換は出来ませんよ。一人でスイスイ歩けるようになるまで、一生使い続けて下さい。“つえ”は絶対です。“つえ”を勧めるよう言われています。“つえ”があると助かると思いますから、、、是非使って下さい!この“つえ”をお隣に手助けを求めるような気軽さで使えるだろうか?“つえ”が合わないために転んでしまった人もいる。本人の行動を遮るための“つえ”を持たされている人もいる。この“つえ”は親族を追い払うことにも使われる。本人の望まない所に連れていく車椅子や、動かない車椅子もある。後見制度という“つえ”を使うとしたら①“つえ”について良く知らなかった。②箸でも棒でも、“つえ”ならなお結構。何かつっかえ棒を使わないと壊れてしまう。③“つえ”を用意するから、私にはあまり頼らないでほしい。④魔法の“つえ”を持たせましょう!と弁護士から提案された。そんな感じではないかな、、、車椅子や“つえ”を必要としている人はいる。これからどんどん増える。私の周りにもいる。後見制度に関心を持っている人も。後見制度を使いたがっている人も。後見制度を使えばいいのにと思う人も。後見制度を使うことになりそうな人も。後見制度を使ってほしい人も。そんな人達に私は制度のデメリットを説明する。大抵はびっくりなさる。この制度で本当に面倒くさがられているのは、制度の問題点を利用者側に説明する事や、専門家が個人として問題に対峙することや、制度の中心に昔からいる人達が根本を見直すことだったりしないかな?後見制度の利用率の低さの原因はひとことで言えば、利用者や利用させたい人が使いたいと思うような制度ではないからではないかな、、、私の母には後見人が必要だ。後見制度があって良かったと思う。私が後見人であることで母も兄弟も安心していると思う。それでも私は後見制度は使わないですむのであれば、使わない方が良いと思う。この制度は構築過程で不安定だ。高く安全な場所にいる人達が、家族の歴史や本人の個性や現場にいる人間の思いも知らず正義を盾に人を代理・管理する恐怖を見聞き実感している。そして現行の制度で士業と親族が手をつなぎ本人を支えることは難しいと思う。何より法定後見において被後見人となるという事は、法律上の意思が葬り去られる事をも意味している。後見制度は重い制度だ。親族にとっての後見制度、姥捨山のような場所になってしまわないかな、、、

  • 10Oct
    • 不動産って、 売っちゃえばいいのかな?

      「売ればいいじゃないですか、お金になるのだから。」空家となっている母の不動産に関しての、後見監督人弁護士のお言葉です。確かに私の任意後見人として代理権目録では、委任者の所有不動産の売買が認められている。だから、売っちゃっていいのかな?社会問題となっている空き家、空き地の対応、以下が考えられるのではないかと思う。①現状維持②活用③売却①現状維持固定資産税、保険、草刈りなどの維持費負担がかかる。平成26年11月に空家等対策特別措置法が成立し、空き家が社会的問題である事は一般にも周知されている。自然災害による建物倒壊、火事等人的災害の心配、周辺環境悪化等。問題が起これば後見人の管理責任も問われる。現状維持にメリットはない。ような、気がする、、、②活用相続税対策を売りとした大手メーカーによるアパート建設、賃貸物件として貸し出す、駐車場等、利活用。古民家カフェ、デイサービスなど高齢者向けスペース、子供食堂、シェアオフィス、シェアハウス、民泊などの社会的ニーズを考慮した様々な空き家活用も提案されている。施設で暮らす親の家に子供が住む。これも活用の部類に入るのでは。↓法定後見はあくまでも現状維持が基本のため、積極的な活用は出来ない。不動産を売却し療養看護費用を捻出する可能性などを考えると、下手に居住者がいると退去を迫ることが難しくなる。子供といえども居住を推奨するわけにはいかない。法定後見では活用は出来ない。ような、気がする、、、③売却売却し現金化すれば、本人の現金資産が増え維持費もかからない。売却は良い。ような、気がする、、法定後見の性質や社会通念を考えると監督人弁護士がおっしゃられた、売ってお金にする事が後見制度における空き家、空き地に関する一番良い選択のような、気がする、、、我らこそが後見の専門職であると宣言し、士業後見人として最も多くの割合をしめるのは、福祉や法律ではなく不動産登記を得意分野とする司法書士だし、、、後見制度とは不動産売却が目的の制度のような気もしてくる。きっと今後は後見制度により空き家、空き地問題が解決されるのだろう。だから、空き家、空き地となっている被後見人の不動産は売っちゃえばいいのかな?後見監督人弁護士から売ってお金にすることを推奨された不動産で、私は幼稚園の年少から大学を出て生活力がつくまでの約20数年間暮らした。引越し当初に父が庭の中央に植えた小さく貧弱だった桜の木は、2階の屋根ほどの高さの大木となり、春には見事な花が咲く。半世紀近くになるのか、、、売っちゃえばいいのかもしれない不動産は母にとっての「家」、子供にとっての「実家」だ。今、この家は空き家となっているが、母がこの家を売りたいと言った事はない。母は不動産を売却しなければならない経済状況にもない。ついでに言えば、子供の中で売りたいという意見が出た事もない。私には委任者の所有不動産の売買契約が認められているが、それは代理権の一部に過ぎず、任意後見の書類には『後見事務を行うにあたっては、甲の意思を尊重し』とある。「売ればいいじゃないですか、お金になるのだから。」監督人弁護士のお言葉を母に伝えてみた。脳出血で倒れた母は会話ができる。認知症の診断を受けた事はない。「なぜ、そんな事を弁護士が言うの?」母は戸惑っていた。2017年に障害者虐待防止法が施行されたそうだ。その中では勝手に障害者の財産を処分する事は経済的虐待であるとある。すごいのだ。後見制度を使うと、経済的虐待を弁護士に推奨される。経済的虐待が合法化される。もし、後見制度の基本理念が「自己決定権の尊重」であるとしたら、被後見人の不動産売却における後見監督人の仕事は、売却が本人の意思にそったものであるか、あるいは必然性があるのかに留意することで、本人の意思を確認もせず売却を勧めることではないのではないと思うのだけれど、これはキレイごと??法定制度では自宅の売却のみ家裁の許可を得る必要がある。任意後見では自宅の売却のみ後見監督人の許可を得る必要があるという雛形文となっている。自宅以外の不動産は許可がいらないということのよう。実際は家裁も施設など本人の生活の場が確保され士業が良しと判断したのであれば、自宅であれ不動産売却に関して詳しく追求する事はないのでは?売却出来るのであれば被後見人の不動産を売却したい、してほしいと考える士業さん、いらっしゃるのでは?後見人、後見監督人の士業さんにとって、資産はお金にする事が好ましいのでは?被後見人の不動産を売却する→売却手続きに対して家裁から特別報酬が加算される。現金化する事によって被後見人の流動資産(お金)が増える→後見人、後見監督人の基本報酬額が増える。逆に維持や活用などのために現金資産が使われる→流動資産が減り後見人、後見監督人報酬が減ってしまう。後見をビジネスととらえると、手間や経費をかけず多くの報酬を得れるよう、被後見人の資産は現金化して管理すべきだと思う。空き家、空き地なら、お金にしてしまいたい。後見する士業の本音ではないかな?いつの間にか実家がなくなっていた。遺言で相続される予定だった不動産が売却されていた。士業後見人が被後見人の不動産を片っ端から売り飛ばした。実際にあった話のようだ。「売ればいいじゃないですか、お金になるのだから。」任意後見においてさえ、本人も後見人も親族も望んでいない不動産売却を推奨されるのだ。成年後見制度利用促進という名目のもと、行政や業者により空き家対策の手段として成年後見制度が利用される事も増えそうな気がする。こちらのお婆様、戸惑い落胆している。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/53004https://gendai.ismedia.jp/articles/-/53096決して不動産を売ってはいけないと思っているわけではない。本人の施設入所や生活費捻出のために自宅を売るという選択もある。空き家問題の深刻な状況も実感している。今後の人口減少に伴い、一部のエリアを除いた不動産価値は劇的に下がるだろう。売れる時に売ってしまった方が良い。所有者不明の不動産が増えないためにも、早いうちに権利移転、登記を行った方が良い。家や土地が余っているのに高齢者や障がい者の生活の場が確保できない状況もある。空き家、空き地を積極的に動かし活かすべきだと思う。でもそれは、本人や家族の意向を排除して、後見制度を利用し士業が勧めることではないのではないかな?不動産の生前贈与における税負担を減らし早期の資産継承を促し、登記を義務化する。法定相続人全員の同意を得て、一時的後見などで土地を売却することを可能にするのもありなのではないか。本人の意思や家族の同意を得て、不動産を動かし活かせるようにするための制度改正が必要のなではないかと思うのだけれど、、、実家を出て、家庭を持ち、家を持ち、家族にとっての家を思う。様々な家の形があると思う。我が家は35年という人生の多くの期間お金を払い続ける決心をし、広い世界の中でちっぽけな土地を選び、狭いながらもこだわりまくり家を建てた。もし子供が受け継いでくれれば嬉しい。こんな親からの思いで受け継いだ先祖からの不動産もあるだろう。これからの世代は、家を買いローンを完済することが家長としての仕事であるような価値観は変わっていくのではないかと思うけれど、まだ現役のライフスタイルだと思う。特に親世代にとって家は、家族の思い出の象徴のような気がする。そして先祖から受け継いだ不動産は、先祖の歴史の象徴のような気がするのだ。ただのお金になる箱や地面ではない。売却には何かしらの事情や、それなりの決心が必要だ。家庭によってはそれが争いの元となる事もあるかもしれないけれど、家族がいるのであれば、家の歴史や思い出に関わった者が未来を、行く末を決めるのが当然ではないのかな?「売ればいいじゃないですか、お金になるのだから。」借金取りでも、もう少し心ある言葉をかけるのではないだろうか。自ら頼んだ覚えもない弁護士に、家族の思い出がある不動産売却を勧められる。母は、我が家は、何か悪い事をしたのかな?後見制度を使う事理弁識能力のない被後見人の意思を聞くことは出来ないというのが、伊東弁護士のお考えだ。実際法的に事理弁識能力のない人間の意思は意思として認められない。後見制度を使うという事は、事理弁識能力がないと認定されたことになる。だから、被後見人の意思を尊重する必要はないのだ。制度の常識、社会通念、はたまたご自身の都合も考慮なさると、売却しお金にするのが正しい選択なのだろう。正しいから被後見人の意思など、尊重する必要はないのだろうか?仮に私が任意後見人を辞め、監督人ご自身が後見人となられたら母の不動産を売ってしまうのだろうか?被後見人となっても母には母の意思や思いがある。正しい選択と本人の思いが同じとは限らない。後見で一番大切にしなければならないのは、制度の常識、社会通念、ましてや士業の都合ではなく、本人の思いではないのかな?その思いを知るために「本人に身近な親族」の話にしっかり耳を傾け、時には意向を確認する事も必要なのではないかな?私は母の任意後見人として母の思いと家族の意向を尊重したい。母は不動産を売りたくないと言っている。母の不動産には先祖の歴史と母の思いが詰まっている。母は不動産を売却しなければならない経済状況にもない。ついでに言えば、家族の中で売りたいという意見が出た事もない。だから、母の不動産を売ってはいけない。後見人がつくことで、本人の資産が、生活が、活きてくる。それが制度の理想ではないかと思うのだけれど、、、現実は理想を形にする程の余裕はないのだろう。後見制度は本人の資産を現金化し、凍結し、士業に報酬を支払うための制度になってしまわないかな?制度と士業が守りたいのは、本人の意思なのかな?それとも本人のお金なのかな?制度と士業の唱える正しさに、戸惑い置き去りにされている被後見人はいないかな?行き場を失い、疲弊している家族はいないかな?

  • 13Sep
    • 私は後見人をやめるべきなのかな?

      先日、財産目録及び収支報告書類を郵送した。随分遅くなってしまった。この場を借りてお詫びします。この報告、4年目に入るが未だどのような形式がベストなのか悩んでいる。私は任意後見人として、3ヶ月毎に後見事務の定期報告を行っている。「3ヶ月に一度くらいがいいんじゃない?」と母が言ったわけではない。任意後見契約の雛形がそうなっていて、「これが一般的な任意後見契約です。」と司法書士N女氏に説明を受けたからだ。なので3ヶ月に一度の報告で十分のような気がするのだけれど、後見監督人弁護士先生より提出のご指示があるので定期報告に加えて年に一度、財産目録及び収支報告を提出している。後見監督人として家裁に年間報告をし、報酬請求を行うのに必要な書類となるのだろう。4年前、我が家は倒れた母を代理する人物が早急に必要だった為、詳細を調べる間も無く任意後見発効の申立てをしてしまった。審判が下った頃、救急車で運ばれた直後には医師から植物状態になる事も覚悟してほしいと言われ胃瘻を勧められた母は、転院先で自分で食事をとり、立つリハビリを始めた。救われた気がした。で、なんと、私は初回、後見監督人に財産目録を提出する際に、財産目録とともに作業療法士さんに撮って頂いたリハビリをする母を囲む家族写真を表紙に貼り付けてしまった。「写真なんて貼られてもね、、、」後見監督人弁護士先生はため息をつき呆れていらした。その瞬間まで私は後見制度とは本人の意向を尊重し、医療や介護などの利用をサポートして日々のくらしを守る「身上保護」が目的の制度(注釈)だと勘違いしていた。リハビリをする母の写真を見て「お母様、回復されてよかったですね。」みたいな会話が出来ると思っていたのだと思う。「写真なんて貼られてもね、、、」その一言で自分がおとぎの国の呑気な住人だった事を悟った。もちろん提出書類の内容が後見人弁護士先生が納得するものでなかった事がため息の原因だったのであろうけれど。後見報告に本人の写真なんて必要ない。生活が成立していれば、任意後見人と後見監督人との間で必要な情報は資産状況のみで十分。後見制度の現実が始まった、、、母の資産状況は稀に見る複雑さのため、司法書士法人I事務所に作成して頂いた財産目録だけではわからないとダメ出しを受け3回財産目録を作りなおした。財産目録の作成と並行し定期報告書の作成。いつの間にか私は後見監督人に認められる任意後見人になるため、必死になっていた。「私はあなたの監督をすることが仕事で、あなたの相談にのる事が仕事ではない。」そうで、監督人のダメ出しは私にとって抽象的だった。具体的なアドバイスは全くなかった。ほとんど使ったことがない表計算ソフトを夫に教えてもらいながら試行錯誤が続いた。なるべく多くの情報を報告するためにコピーをとり、一円単位で間違いのないよう収支を確認し、家裁の雛形に書き込むだけではわからないとのご指摘だったので色分けなどの工夫をし自分なりの報告表を模索した。レシートは全てA4紙に貼り付け、身上看護や今後の課題について文章にし、問題事項に関する写真を添付し(母の写真などという人間味のある写真はやめた)、母に関して使った時間を30分単位で業務日誌として記載した。提出前は母に会いに行く時間が取れないほど書類作成に追われた。後見の相談をした司法書士先生や弁護士先生に「とても分かりやすい報告書ですね。」と褒めて頂くまでの内容となり、自己満足に浸った。後見報告書を作成する事が、後見監督人から後見人としての私に求められた一番大切な仕事になっていた。本当は報告以外の後見実務の方が大変だった、、、個人的な言い訳をするのはいけないけれど忙しかった。辞めてしまった仕事の後処理に追われていた。子供の習い事の役員も、出欠確認、合宿手配、練習場所確保、試合準備、人間関係等、割と大変だった。いじめの解決のため何回も学校に通っていた頃でもあった。そして、母の体調を心配しつつ、次の居場所を探すことも簡単ではなかった。新しい仕事も探さなければならない、、、家族が病にたおれる。それだけでも生活のリズムは変わるけれど、こういう時は色々重なる。それまでストレスで太ることはよくあったが、後見制度のおかげでの人生で初めて7キロのダイエットに成功(?)してしまった。50歳を前に痩せると「病気した?」と友人に尋ねられる。疲れきってしまった。後見監督人弁護士殿はおっしゃった。「大変ならば後見人をやめればいいじゃないですか。」相談に行った先や任意後見の書類を作成して下さった司法書士中本女氏からも任意後見人をやめ、法定後見に切り替えてはどうかというご提案を頂いた。やめる事を勧めなければならないような内容の任意後見契約書を急いで作成したのには司法書士事務所としての思惑もあったと感じている。(加えて実際はお会いした事もない司法書士が作成した書類だった事を、後で知ったのだが、、、)私は後見人をやめるべきなのかな?悩んだ。実際にやめるべきかとまで悩んでしまったのは、書類作成を始めとする後見事務が大変だったからというより、その過程で監督人、士業、家裁から頂いた言葉と対応の行き場のなさが原因だった。けれど任意後見と法定後見では生と死くらいの違いがあることを調べて知り、さらに何人もの方にご意見をお聞きして回った。ここまで大変な報告書を作成する必要はないのでは?後見の報告は必要最低限で十分でしょう。監督人に飼いならされている。お母さんが本当に望んでいる事のために時間を使った方がいい。救われるアドバイスを頂くことが出来た。そして、専門職後見人が報告書として作成した書類を見せて頂いた。すごく、サッパリしていた。。。「書類なんてどうでもいいから、また来てね。」母は言っていた。私は母との会話や実務に時間が取れるよう、報告書の内容を専門職後見人の報告書を参考に簡素化した。時間的にはもちろん、精神的にも疲労が軽減した。監督人からは前の形式の方が良いと促されたが、冷静になるとやはりあそこまでの報告が必要とは思えない。表計算ソフトの使い方を覚えた。資産状況を把握出来た。監督人弁護士先生に感謝している。複雑な資産を監督する立場として、後見人をガッチリ管理したいとの思いはわかる。詳細な記録を残す事が後々を考えて好ましいこともわかる。けれど、士業が団体による講習等のバックアップを受け後見事務を行うの対し、親族はやはり後見人として素人であり孤独なのだ。建設的にコミュニケーションをとり、士業の立場からだけではなく、本人と本人を支える人間の立場からもどのような形が良いか話し合うことが出来れば、ここまで迷走することはなかったと思う。リハビリに付添うなど、その時期に母が本当に求めていたであろう事に時間を使えたのではと思う。士業の視点から見れば私はダメな後見人だろう。法律に弱い。数字に弱い。要領も悪い。大変だし、任意後見人をやめた方がいいのかもしれない。でも、法律の知識がなければ弁護士に、数字に弱ければ税理士に相談していけばいい。母が娘に後見人として求めたのは、自分の性格や家族の歴史を知っている人に自分の代理を務めてもらうということだと思うのだ。少なくとも私を精神的に追い込むことが母の望みではなかったと思う。もしも私が倒れたらを考える。私と夫の間では意見や趣味が食い違う事もある。不満がつのり言い争いが続いた時期もあった。けれど、何かあった時は夫に私の代理人をお願いしたい。見ず知らずの士業に私の貯金通帳や不動産の権利を預け、私の代理を務めてもらうなどあり得ないと思う。憎み合う家族もいる。親が子を、子が親を、殺したりもする。親の資産で購入したスポーツカーを乗り回した親族後見人もいたのだろう。けれど、家族が本人の代理人となる。この古臭い形を否定してほしくない。「後見人を辞めればいい。」お願いだから簡単に言わないでほしい。自分を良く知っている家族に後見人になってもらいたい。それが任意後見という契約にまでした、母本人の意思であり、自己決定なのだから。禁治産制度から後見制度へ本人の意思を封印し行動を制限する制度から、本人の意思を尊重し保護する制度へ。任意後見は制度の新しい志の売りであったようだ。でも現実は、任意後見でさえ制度が掲げる理想とは遠いものとなっているのではないかと思えてならないのです。注釈朝日新聞記事「伸び悩む成年後見」より『結局は……禁治産の時代とあまり変わっていない実態があります。………本人の意向を尊重し、医療や介護などの利用をサポートして日々のくらしを守る「身上保護」……こそが制度の主な目的であるはずなのに、です。』日本成年後見法学会理事長・新井誠氏

  • 20Aug
    • 本当に言いたい事はなかったのかな?

      「何か言いたいことはありますか?」不意にこの質問を受けて、、、言いたいことを語り出せる人と、語り出せない人がいるのではと思う。もう少し具体的に「何か食べたいものはありますか?」1年に1度しか会いに来ない人にこう聞かれたら、、、例え、その時ものすごくお腹が空いていてカツ丼とか食べたくても私は「ないです。」と言ってしまうと思う。「どこで生活したいですか?」この質問の先にまだ生活したこともない施設での生活が想定されていたとしたら、どう答えればいいんだろう、、、「何か言いたいことはありますか?」年に一度数分しかご縁のない後見監督人伊東秀文弁護士から不意にこの質問を受けた母は答えた。「ありません。」でも、本当に言いたい事はなかったのかな?親族の言葉は誘導であると恫喝され、、母はある日突然、脳出血で倒れ、一時は植物人間に準じるような状態だった。しかし、少しづつ軽快した。ほとんど動くことさえない状態から、自分で食事を取り、会話をするようになった。横浜そごうまで行って買物をした時は、倒れた直後の母を思い出し感動した。辛いが左脳の出血による後遺症で半身を動かすことが全く出来ない。自分が言いたい事を表現するために必要な単語を思い浮かべることが難しい。それでも、具体的に尋ねれば答えが返ってくる。意思を持っている。「何か言いたい事はありますか?」これで終わらせていいのかな?被後見人と言っても人それぞれ。植物状態で全くコミュニケーション不能の方もいらっしゃると思う。じっくり耳と心を傾ければコミュニケーションをとり、意思を確認出来る人もいる。しっかりと理論立てて自分の意思を語ることができる被後見人にも私はお会いしたことがある。この人が被後見人だとしたら、お年寄りの半分は被後見人ではないかと思えるくらいの。後見制度は自己決定権や意思の尊重というような理想又はキャッチフレーズを掲げ続けている。でも思うのだ。自己決定権どころか、そもそも本人の意思を聞こうとしていないんじゃないかな?後見制度を使うような事理弁明能力のない人の意思に耳を傾ける必要はないと考えている士業さん、割といらっしゃるんじゃないかな?だとしたら、後見制度推進の理念「自己決定権の尊重」ってなんだろう?たしかに、自分の意思を表現することが難しいから後見制度を使うのだと思う。判断能力に問題を抱えているから後見制度を使うのだと思う。でも、そういう人のためにも日本には「基本的人権」という考え方があるんじゃないかな。見知らぬ人の人生に大きく関わる。例え、言葉にならないとしても、本人の意思を確認するための試行錯誤が必要なのではないかな?難しい事だとは思う。でも、切り捨ててはいけないんじゃないかな?特に人の権利に関わる事が仕事であれば、、、後見制度を意思決定支援制度へ!という声もあるようだ。でも意思支援や自己決定権の尊重を掲げる制度を本人の意思や自己決定を封印するために使う弁護士さんもいらっしゃる。意思決定支援まだまだまだまだまだまだ遠い。

  • 17Aug
    • 法定後見について、こんな所に気をつけた方がいいんじゃないかな?

      法定後見について、(主に専門職→弁護士・司法書士等による後見について)こんな所に気をつけた方がいいんじゃないかな?あくまでも後見に関わった一般人として、見聞き体験し、感じた内容です。事実に間違いがあれば修正します。ご指摘下さい。後見制度の利用は行政による福祉的サービスではなく、司法の審判による措置である。申立ての際に後見人候補者を記載しても、記載した人物が後見人になれるとは限らない。↓後見人は家庭裁判所が任意に選任する。親族は後見人になれない場合が多い。↓親族を後見人に選任する方向の朝日新聞記事があったが、中核期間設置との連携が前提であり、中核期間の整備がなされていない現状ではまだ期待すべきではなく、誤報との解釈も、、、親族が後見人となった場合、管轄家庭裁判所の決めた額(東京都の場合500万円)以上の流動資産(現金)があると後見制度支援信託に預けることで管理することを求められる。後見制度支援信託の利用を断ると後見監督人がつく→後見監督人報酬が発生する。株式も現金化し管理することを推奨している。成年後見制度を利用する事で、公務員などの資格を失う。↓「欠格条項」は原則として削除する一括法案が決定したようだが、見直しは未だ実現されていない。↓見直された。後見申立てにかかる費用はすべて、申立人負担になり、本人の財産からは支出できない。↓申立ては本人の意思ではないため、申し立てた人の負担。被後見人となった本人の意思が尊重されるとは限らない。↓本人は自宅で生活したいと希望しても、後見人が施設で生活すべきと判断すれば施設での生活を強要されるなど。そもそも、後見制度を利用するような事理弁識能力のない人間の意思は確認してもらえない覚悟も必要。報酬の確保が難しい中で「意思決定支援」は困難であるという士業の本音つぶやきも、、専門職後見人は身上介護は行わない。↓本人の身の回りの世話は後見人の仕事ではないが個人の裁量としてする後見人もいる。専門職後見人は身元引受人にはならない。↓施設入所には身元引受人が必要。後見人としてではなく個人としてなることは出来るがまずならない。本人の資産に関する物は後見人が管理する。↓預金通帳、実印、印鑑登録カード、銀行印、年金関係書類、保険証、有価証書など、本人に関わる一切の重要な物は後見人に預けられ管理される。親族は基本、守秘義務などを理由に本人の資産がどれくらいあるか確認する事が出来なくなる。本人の資産は本人以外(もちろん夫婦、親子も)から守られる→隔離される。↓施設で暮らすおじいちゃんのお金でおばあちゃんの暮らす家の修理は出来ない。などなど。本人の財産維持にとって不利な事は出来なくなる。↓生前贈与、相続対策、寄付、親族への貸付等は出来ない。被後見人は遺言書は作成出来ないと考えるべき。↓被後見人が遺言書を作成するには以下の条件が必要・事理を弁識する能力を一時回復したときであること。・医師2名以上の立会があること。・立ち会った医師は、遺言者が遺言作成時に精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く状態になかった旨を遺言書に付記して、これに署名押印をすること。後見人は交代できない。↓人間性に問題がある、親族との間で本人支援の考え方に違いがある程度は交代の理由にはならない。横領が判明すれば解任される→親族は通帳の確認は出来ないので横領に気づかないこともあり得る。社会福祉士団体の指導では面会怠慢などにより交代する事もあるよう。↓交代もあり得るという旨の記事を目にしたが何を基準とするかの根拠もない、、、死ぬまで後見制度の利用をやめる事は出来ない。↓障害や認知症が治れば後見制度の利用をやめる事は出来る。実際は一度後見相当と審判が下されると、若干本人の意識レベルが軽快した程度で利用をやめる事は難しい。後見人報酬が月額2万円以上かかる。↓制度の利用が続けば、死ぬまで後見人報酬が月額2万円以上かかる。月額基本料に加え、本人の為に起訴行為を行なった、不動産を売却した場合などは別途報酬がかかる。報酬金額は家裁が決める。明細は示されないので後見人本人でさえどのような基準で金額が決まっているかわからない。↓報酬決定の基準が流動資産額から仕事内容に変わるようだが、どのような基準で金額が決まっているかわからない事に変わりはなく、余計に謎が深まる気がしてならない。ごくごくごくごく稀に後見人に財産を横領される事がある。↓横領の多くが親族であるようだ。一方、士業の横領は表に出ることが少なく、横領額が高額である→横領された金額が回収されるかは謎。被害者に対し、日本弁護士連合会では1人当たり500万円を上限とする見舞金を支払う制度がある。司法書士会にも、賠償制度がある。以下、より個人的な印象です。後見制度を利用するための相談先はたくさんあるが、発効した後見の正式な相談先はない。↓今後、中核機関が設立され対応して下さる可能性はある。今の所は「そういう制度になっている。」というようなお答えである。家庭裁判所は士業後見人・後見監督人任せで、基本、横領以外対応しない。専門職後見人、後見監督人には当たりハズレがある。↓もちろん、本人に寄添い、親族と連携をとり、制度の意義を感じたずさわっていらっしゃる後見人も多くいらっしゃる。はず。一方、本人面会もなく親族を排除し独善的に本人を支配するような後見人もいる。後見制度は曖昧で不確かな制度。↓家裁、専門職後見人、金融機関、行政等、判断基準が不明確なため質問たらい回しで、結局どうすれば良いの解決しないこともある。本人、親族の許可なく自宅を含む不動産が売却される事もある。↓本来は医療費が払えないなどの理由があり、自宅の処分に関しては家裁の許可がおりた場合にのみ、不動産売却は行われる。実情は自宅以外は家裁の許可は必要なく、士業後見人の判断とあればおおよそ許可が下りる。親族の許可は必要ない→家族(の一部)から後見人が影響を受けることのないよう配慮されている為。親族は本人を支えるネットワークの中で立場が低い。↓本人の財産を使い込む、虐待する、というのが親族の立ち位置であり、親族の判断より士業後見人の判断が正しいとされる世界である。後見制度を利用すると法が家庭に入ってくる。↓私達は夫婦間、親子間、兄弟間など家族間の問題は家庭のルールに任せ、法は家庭に入らずというのが当然の生活をしている。しかし、後見制度を利用すると法が本人を守るために介入してくる。「本人の為にお金を使う」というのは、士業が本人の為と認めた範囲での「本人の為」。↓士業は本人の性格も歴史も知らないので趣味や娯楽や思いは排除され、独善的に管理されることも覚悟。後見制度の利用は最低限の資産を本人の生活の為に使い、残りは財産の凍結と考えた方が良い。↓士業後見人の報酬額はほぼ本人の流動資産額により決まる。後見をビジネスとすると、本人のお金を使わないよう管理する事が仕事になるのが自然。資産が事実上、国家管理下におかれる制度とも言える。↓算定方法変更により変化があるかもしれないが、どのようになるかは謎。流動資産額を基準としたストック収入ではなくなる事で、やる気を失った士業つぶやきも目にした。後見制度を利用する際は、本人には意思能力がないと認定を受ける覚悟を持った方がいい。↓後見制度を利用する本人には事理弁明能力はない→事理弁明能力のない本人の意思を、尊重すべきではない。「専門職後見人」といえども関わり方、目的、経験、専門性、人間性等によって後見制度への認識がかなり違う。弁護士や家庭裁判所の考え方と一般社会の考え方は違う。制度の運営と、士業の立場がとても大切にされている。後見制度は構築過程のとても不安定な制度である。後見制度は本人の意思を否定する制度にもなり得る。

  • 05Jul
    • 後見制度は利用する前に、よくよく考えた方がいい。

      今も日本のどこかで銀行に勧められて、、、自治体に勧められて、、、司法書士に勧められて、、、施設に勧められて、、、、、、、後見制度の利用を考えている人がいると思う。http://soudan.sk110.jpこちらの「後見査定3点セット」にある「そもそも本当に必要?」「後見人をつけるといくらかかる?」先ずは遊びと思って査定してみるといいのではと思う。こちらの「後見お悩み相談室」電話相談がある。1時間18,000円高すぎる!でも、実際に後見制度で専門職後見人が選任されれば、嫌も応もなく1ヶ月18,000円(施設生活の場合の最低相場)以上の報酬が死ぬまでかかる。こちらの相談、『仲裁や代理はいたしません。ご相談者様を応援する形でサポートいたします。』『結果の保証はできません。結果の保証は誰もできない性質のサポートです。』とある。ひどい。でもこれは、この法人が後見制度の相談機関として力がないわけではないと思う。後見制度がそういった性質の制度なのだ。とにかく後見制度は利用する前によくよく考えた方がいい。法定後見。親族は後見人になれないと思った方がいい。なれたとして、管轄家裁が定めた額以上の流動資産が本人にある場合、後見制度支援信託に預けるか、監督人に報酬を支払い監督して頂くことになる。家庭裁判所が選ぶ専門職後見人、後見監督人には当たりハズレがある。選ばれた後見人、後見監督人を変更することは横領でもなければ出来ない。本人の資産から専門職後見人、後見監督人に報酬を支払うことになる。認知症や知的障がいが治らなければ、死ぬまで後見制度から離れることは出来ない。後見制度は曖昧で流動的だ。後見制度において親族は冷遇される。本人の意思が尊重される保証はない。後見人は本人に関して絶大、絶対的な代理権を持つ。後見制度はサービスではない。事件に対して審判が下される措置だ。本人は法律的に葬り去られてしまう。可能であれば、任意後見契約や家族信託を考えた方がいい。それでも後見制度が必要な場合もあると思う。本人と本人を支えている人にとってベストな選択が出来ますよう。でも、後見制度利用促進が基本となってしまい本人と本人を支えている人にとって本当にベストな選択をアドバイスしてくれる人、アドバイス出来る人というのが、あまりいない。

  • 01Jul
    • 後見制度利用促進の地域連携ネットワークイメージ「本人に身近な親族」の文字、小さすぎないかな?

      平成29年1月後見制度利用促進委員会意見http://www.cao.go.jp/seinenkouken/iinkai/pdf/gaiyou.pdf#search=%27地域連携ネットワーク+成年後見%27ここにある地域連携ネットワークのイメージには親族(家族は民法上では親族)の文字がないらしい、、、忘れたのかな??親族は当然の存在だからあえて記載しないのかな??と思ったら、、、こちらの後見制度利用促進基本計画にはあった!!http://www.cao.go.jp/seinenkouken/keikaku/pdf/keikaku2.pdf#search=%27地域連携ネットワーク+成年後見%27「本人に身近な親族」の文字小さすぎないかな?実際の所、後見制度における親族の扱いって、(任意後見でさえ)こんな感じだと私は思う。後見制度って本人の意思を否定する制度でもあるけど、本人と親族(家族)の関係を否定する制度でもあると私は思う。「本人に身近な親族」をここまで排除して実現される判断能力に問題を抱えた人達の「意思の尊重」がどんなものか伺える地域連携ネッワークのイメージではないかと私は思う。

  • 20Jun
    • 大きな制度の運用のためなら、小さな家庭の築いてきた在り方を壊してもいいのかな?

      この記事にあるお亡くなりなったお婆さまのことを書いておかなければ。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52743http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56169私情を交えて経緯をまとめてみました。体重わずか1076グラム、生きるか死ぬかで生まれてきたお婆さまの娘さんには知的障がいがある。↓2011年の東日本大震災をきっかけに娘さんの将来を心配し、後見制度の利用を考えた。お婆さまが親族後見人として娘さんの財産管理、身上監護を行うことになった。↓娘さんにはお婆さまとご主人が娘さんの将来を考えて自分たちのお金を娘さん名義の通帳で積み立ててきた流動資産(現金)が相当額あった。↓親族後見人による不祥事が多発していた事を受けて、2013年から一定額以上の流動資産を管理する親族後見人に対し、①日常生活に使わないお金を、家裁の承認抜きに使えないよう預ける後見制度支援信託を利用する。②後見監督人をつける。どちらかを強要する家裁の運用が始まった。↓お婆さまは財産管理の権限を取り上げられ、後見制度支援信託の締結業務のために選任された弁護士後見人が、娘さん名義の通帳を管理することになった。↓娘さん自身に会ったこともない弁護士に「お願い」して、毎月、娘さんの生活費として10万円をもらう生活になった。↓娘さんの通帳のお金(個計)は、この家庭にとって家族のお金(家計)でもある。なぜ、依頼した覚えもない弁護士後見人に管理されなければいけないのか?『旅行などもったいない。』という弁護士に毎月2~3万円もの報酬が娘さんのお金から支払われる。↓お婆さまは疲労困憊。↓後見制度支援信託を拒否。締結業務のために選任された後見人弁護士は辞任した。↓再度財産管理権はお婆さまに戻ったが、後見監督人弁護士がついた。後見監督人がついたことにより監督人弁護士に年間20万円程度の報酬が娘さんのお金から支払われる。娘さんはまだ若い。死ぬまでに払う報酬金額はいくらになるのだろう??↓①後見制度支援信託②後見監督人いずれかが強要されるというのは預貯金額が1000万円をこえている場合(東京都は500万円らしい)の家裁による運用上の措置である。↓お婆さまは預貯金の一部を娘さん名義の保険に移し、預貯金額が1000万円を下回るようにするなど、合法的な抵抗をした。↓業を煮やした家裁はお婆さまから財産管理権を剥奪。新しく財産管理を行う後見人弁護士を選任。身上監護のみお婆さまとする職務分掌型複数後見となった。↓新しくついた財産管理後見人弁護士から初回面談の連絡が最近何度かあったそう。↓財産管理を行う後見人弁護士が選任された2週間程後、お婆さまは心筋梗塞で急死なさった。私は2017年、後見制度の問題点を考えるセミナーでお婆さまのお話をお聞きした。席が前後だったこともありセミナー後のディスカッションで生きる死ぬかで生まれてきた娘さんへの思いや育児、弁護士後見人の心無い対応等、詳しくお話を伺った。状況は違うけれど、私も子供を産んだ時に生きるか死ぬかの思いをした。そしてこの制度に関わる弁護士の親族に対する独善的な態度には共感する所が多かった。お婆さまのことが、とても印象に残っていた。その後が気になっていた。お話好きな方ではあったけれど、国の制度を批判するために人前に立つようなお人柄ではなかった。お話を伺った時はお婆さまが信託を拒んだため信託締結業務のために家庭に入りこんできた弁護士が辞任することになり、通帳が戻ってくるのではと前向きになっていらっしゃり笑顔で話していらした。「弁護士なんかに負けないよう、後見制度を勉強したい!」けれど、お婆さまはお亡くなりになった。ストレスが溜まっていたのではと思うけれど、、、そこはともかくとしないといけないのかな?今、思う。お婆さまは本当は後見制度の勉強なんてする必要はなかった。弁護士、家裁相手に一般の人間がものを言うストレスというのは私も経験しているが半端ない。後見制度なんかに関わらなかったらご主人と娘さんとの穏やかな生活だけに人生終末期の大切な時間を使えたはずだったのだ。美味しいものを食べたり、何の気兼ねもなく自分達のお金で旅行に行ったり。聖路加国際病院の日野原重明先生の言葉「命はなぜ目に見えないか。 それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。 死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。 どうか一度しかない自分の時間、命をどのように使うか しっかり考えながら生きていってほしい。 さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために 使うことを学んでほしい」「人が望むことはなんでしょう。平和です。平和というのは、”人が与えられたいのち(時間)を壊されてしまわないこと”です」お婆さまは随分と自分の命を、生きるか死ぬかで生まれてきた命のために使ってきたのではないかと思う。ただただ、平和を望みながら、、、「親の子への愛は無償」とか言うけれど、親っていざとなったら子供に頼れるのではくらいの下心を持っている。でも、生まれた時から知的障がいを抱えたお子さんを育てる。それは本当に見返りを求めない無償の愛だったのではないかな。家裁が決めたことだから?そういう制度になっているから?それでいいのかな?本人の個性や家庭の歴史も知らない他人が財産管理や身上保護に関わる。そこには制度運用上の都合ではなく、個人を尊重する最大限の理解があってしかるべきではないかと思うのだけれど、、、大きな制度の運用のためなら、小さな家庭の築いてきた在り方を壊してもいいのかな?あの笑顔が失われた家は今、どんなに静まりかえっているだろう、、気がかりを残したまま、お婆さまは時間を使い切ってしまったように思う。残されたご主人と娘さんのことが気になります。紫陽花の花言葉には元気な女性、辛抱強い愛情、一家団欒、家族の結びつきそんな花言葉もあるそう。お婆さまのご冥福をお祈りします。親のお金を自分では財産管理ができない子ども名義の口座に移してはいけないらしい。家族信託という選択もあるようです。https://style.nikkei.com/article/DGXMZO06606770Z20C16A8000000?channel=DF280120166585

  • 13Jun
    • シニアの服って、イマイチじゃないかな?

      先日、施設を訪ねたら母がパジャマ用のトップスを着ていた。ブルーの花柄のそれはワンマイルウェアとして通用する物ではあるのだけれど、やはりパジャマなので首周りがゆったりしすぎていて下着が見えていた。夏服が足りないもよう。脳出血の後遺症で半身が全く動かない母は自力で服の脱ぎ着が出来ない。完全に施設の方の介助に身を委ねるしかない。それまで着ていた衣類は全て使えず、着せやすいよう、脱がせやすいよう⚫︎かなり大きめ。⚫︎トップスはボタン前開き。⚫︎ガンガン乾燥機に耐えられる丈夫なもの  →綿100%ではなく、ポリエステル系の生地。ここら辺の条件を外せない。で、可能ならば⚫︎汚れが目立たない。⚫︎シワにならない。⚫︎寝ていることも多いので肌に優しい生地。以外と難しいのだ。文句ばかり言ってしまうけど、シニアの服って、イマイチじゃないかな?特に女性の服って、無理矢理オシャレにしようとして乾燥機対応不可だったり。色々と試してみた。UNIQLO7〜8年前はシニア向けのゆったりとした衣類を展開していたような気がするのだけれど、最近はデザイナーとのコラボなど若者志向が強く施設で暮らす母向けの服がない。しまむら、ジャスコここら辺の店には安価なシニア向け衣類があった。けれど乾燥機にかけると縮んでしまうものが多かった。当初は母の身長を考えPサイズのものを購入したりもしたが結局縮んでしまう。最終的にトップスはこちらのポリエステル率高めが多い。⚫︎「前あきポロシャツシリーズ」縮みにくい。https://item.rakuten.co.jp/b-across/c/0000000128/ズボンは乾燥機にかけても縮まないというのがとても大切で、施設で見ていても時折ツンツルテンのおズボンを履いているおじいちゃま、いらっしゃる。で、落ち着いたのがこちら。⚫︎「スクエアニット裾リブ付きズボン」リブ付き裾でずり上りがなく、何より縮まない。https://item.rakuten.co.jp/himawari-kaigo/10002498/?s-id=adm_browsehist_itemけれど、脱ぎ着はさせにくいよう。圧倒的に着用している(着用してもらっている)のはこちら。⚫︎ワコールの「らくラクパートナー」シリーズhttp://store.wacoal.jp/disp/CSfLastGoodsPage_001.jsp?GOODS_CD=DRL220&COLOR_ID=GY9,720円https://www.wacoal.jp/item/disp/detail.html?GOODS_CD=DRL305&SEASON_CD=18SS7,560円高いだけある。伸縮性があり脱ぎ着も楽で着心地も良さそう。乾燥機使用にも頑張ってくれている。そして、足が冷えるらしい。最初レッグウォーマーを用意したのだけれど、あまり活用されていなかったので夏でもこちらの長靴下を使ってもらっている。https://item.rakuten.co.jp/himawari-kaigo/10001651/子供や自分の普段着、大型スポーツ用品店で購入することがふえている。アウトドアやスポーツ系ブランドの衣類って研究されているのだろう。すごくいい。通気性も良く丈夫で直ぐ乾くし乾燥機にかけても縮まない。最近のものは、いかにもアウトドアやスポーツ用という感じではなくタウンユースに充分対応出来るデザイン、生地感のものが増えた。この機能性と日常が楽しくなるような素敵なデザインのシニア用の服を作ってくれないかな?と思いつつ、ウロウロして夏らしい服を2着購入。気に入ってもらえるかな?(母にも、介護をしてくださる方にも。)縮まないといいな、、、施設で生活している母の衣類を選ぶというのはたいした事ではない。それでも、試行錯誤がある。障がいを抱えた子供を育てる。認知機能の衰えていく家族の日常を支える。そこにはどれだけの試行錯誤があるのだろう。家族により様々な工夫やルールがあると思う。家族が負っているものは重い。後見制度身上介護は後見人の仕事ではない。と、よく書いてある。身上監護は後見人の仕事っぽい。身上配慮義務も後見人の役割とされているらしい。最近では『本人の意向を尊重し、医療や介護などの利用をサポートして日々のくらしを守る「身上保護」こそが制度の主な目的であるはず……』日本成年後見法学会理事長の新井教授はおっしゃっていた。『本人の意向を尊重し、医療や介護などの利用をサポートして日々のくらしを守る』これを実際に負っているのは家族じゃないかな?弁護士先生を始めとする専門職後見人、この意識、持ってくれているかな?

  • 07Jun
    • 後見人の当たりハズレって、何とかならないのかな?

      人生のハズレ子供の担任がハズレだ、、、。校長と話し合ってみようかな。上司がハズレだ、、、。先ずはガマンかな。部所を変えてもらう。会社を辞めることもありえる。配偶者がハズレだ、、、。自分で決めた相手だし、どうにもならない場合、婚姻関係を辞めることもある。人生のパートナーは一人ではない。新しいパートナーを探すということも。人生には色々な当たりハズレがあるけれど、ハズレてもだいたいの事には次の選択がある。後見人の当たりとハズレ後見人、もちろん当たりがあると思う。後見人の手配により、自宅であれ施設であれ、本人が望む生活環境を手に入れた。悪徳商法の被害から逃れた。思いが実現し、趣味など喜びが出来た。家族や周りの人も安心している。財産管理だけではなく、本人の意思やライフスタイルを理解しようとなさることで人生が後見開始以前より豊かになった。成年後見制度に意義を感じ、基本理念にのっとり関わっていらっしゃる。後見報酬が発生する意味がある(´∀`*)そんな後見人が選任されたら当たりかも。でも、ハズレもあるのだ。『成年後見人の立場にあった弁護士が財産管理を任された認知症の高齢女性ら3人の預貯金から計約1億1200万円を着服した。後見人弁護士は着服した金をキャバクラ代などに使い、被害者は老後の蓄えを奪われ、入居施設からの退去を考えざるを得ない人もいる。』横領は後見人解任に及ぶ、わかりやすい大ハズレ。後見人により無理やり施設に入所させられた。会いたい人に会えない。思い入れのある家や土地を売られた。お金はあるのに生活費が足りない。後見人が会いに来ない。この程度の問題視されないハズレもある。後見を財産管理としてしかとらえず、本人の意思やライフスタイルが無視され人生が後見開始以前より貧しいものになった。成年後見制度に営利目的のみで関わり、基本理念など頭にない。何のために後見報酬が発生するのかわからない( ノД`)そんな後見人が選任されたらハズレかも。後見人の当たりハズレ、単純な相性もあるはず。後見人によって人生は変わる。変えることができる。でも、法定後見では後見人を選ぶことは、ほぼ出来ない。余程の問題がなければ後見人を変えることもできない。後見が必要なくらいだから本人と話し合う必要もない。後見人は親族などに後見内容を報告する義務はない。後見開始後の正式な相談先はない。後見は死ぬまでやめることができない。(精神疾患や認知症が治れば、やめれるけど、、)判断能力に問題を抱えた本人のせいなのかな?ハズレだったら、、こんな八方塞りな制度に管理されるかもしれないなんて、判断能力が不十分だからといって不自由すぎると思う、、、。後見人の当たりハズレって、何とかならないのかな?私は制度利用当初、後見って、もっとしっかりした制度で、専門職には共通の認識があると思っていた。でも、この制度、びっくりするくらい個人の裁量に委ねられている。後見人、後見監督人によって考え方や言う事が違ったりする。後見人、後見監督人もわからなかったり、迷ったり、困ったり、間違えたりする。でも、家庭裁判所は裁量としか言わない。裁量でもいいと思う。本人が納得していれば、、、そして「自己決定権の尊重」「ノーマライゼイション」「残存能力の活用」後見制度の基本理念は可能な限り守られるものだと思っていた。でも、後見が発効したら自己決定権やノーマライゼイションや残存能力、無視する事ができてしまう。無視するためにこの制度を使う弁護士さえいる。後見制度はむつかしい。『後見を簡単と言う人は、制度を見て人を見ていない。』日本の後見は死ぬまでやめることができない。(精神疾患や認知症が治れば、やめれるけど、、)たまたま選ばれた人が死ぬまで包括的に他人の人生を支配できる制度。どうしてもわからない。本当にこれでいいのかな?

  • 18May
    • 専門職後見人には、当たりとハズレがあるんじゃないかな?

      専門職後見人さんの支えで穏やかな生活を手に入れた被後見人さん、多くいると思います。ただ、千葉県の入所施設における後見制度利用に関するアンケートを見ると施設訪問が年1回程度、ほぼ訪問はない、電話のみで41.8%http://pacg.jp/inpage/contents_shiryou/pdf/Q_results_guardianship.pdfこれでは本人の意思を尊重できないのでは?と思ったけれど、そもそも意思を尊重する意思がないっぽい。やはり、本人に会って、本人の意思を尊重する意志を持って欲しい、という思いもあるのですが、https://ameblo.jp/koukenseidowakaranai/entry-12376251833.htmlもっと気になることがあるのです。当たり前なんだけど、裁判所に選任される専門職後見人には、違いがある。電話のみの確認というのは、本人が植物人間状態なので会っても意味がない。電話確認で十分。など、理由があるのかもしれない。訪問回数に関しては今後、各団体でガイドラインが示され改善するのかもしれない。でも、月に2回訪問を行う後見人とほぼ訪問のない後見人。これ、後見に対する価値観の違いや温度差があるのは明らかじゃないかと、、、後見人には当たりとハズレがあるんじゃないかな?ご自身が後見をしている被後見人に対して  「ペットだな、、」と表現した後見人がいらっしゃったそうです。「ペット」と表現したいような無欲で従順な人だったのかもしれません。一度発効した後見は、やめることも、後見人の交代を希望することもできない。この方の人生は死ぬまで、後見人の「ペット」ご主人様との間に後見制度という忠誠を誓った「ペット」そしてなんと、ご主人様に報酬をもたらす、すてきな「ペット」なのかもしれない、、、「ペット」とまで言わないまでも、後見人・後見監督人という仕事を物言わぬクライアントの財産管理に関わるだけで定期収入を得ることのできる、すてきな仕事だと感じている士業さん、いないことはない、と感じてしまうのです。たまたま当てがわれた支援者(管理者)の価値観で本人と家族の人生がかわるかもしれない。それが、日本の判断能力や発言力に問題を抱えた人間に用意された制度だということに、打ちのめされるのです。

  • 15May
    • 意思確認の意思は、あるのかな?

      私がお会いしたことのある後見人さん。もし、判断能力を失った私の生活の後ろにこんな方がいらして下さったら安心できる!と思うような、真摯な後見をなさっていました。司法書士として後見人をなさっている男性。精神疾患を抱えた被後見人さんからは毎日のように電話があり、度々呼び出しがある。全てに対応する事は出来ないけれど、可能な限り対応していらっしゃるということで、少しお疲れの様子でした。市民後見人をなさっている女性。ご自身のお子様が障がいを抱えていることから制度に意義を感じ後見人になられた。親身になりご本人を訪問し、相談にのり、お手伝いをした。しかし、同業者からあまり色々とお手伝いをすると後見人は何でもやってくれると思われてしまう。本人訪問は月に1〜2回程にするようにと忠告を受けてしまったそうです。社会福祉士法人代表として後見人をなさっている男性。ご自宅での生活を望む方もいらっしゃる。フォローできない部分は社会福祉士としてのネッワークでバックアップするようにしているそう。本人訪問は何もなければ月に1回。制度の問題点にも耳を傾け、良い意味でフラットな後見をなさっている印象でした。そんなこんなのお話を伺っていたので、家裁に選任される後見人って月に一回くらいは本人訪問をしてくれる。と、思っていたのです。ちがった、、、入所施設における、入所者の成年後見制度利用状況に関するアンケート。「より良い成年後見利用のために」http://pacg.jp/inpage/contents_shiryou/pdf/Q_results_guardianship.pdf専門職後見人と法人後見の方の訪問状況月 1~2 回程度  64 人(36.6%)2~3 か月に 1 回 58 人(33.1%)年 1 回~2 回  49 人(28.0%)ほぼ訪問はない  19人(10.9%)電話のみ定期的にある 5 人( 2.9%)年1回程度、ほぼ訪問はない、電話のみで41.8%月 1~2 回来てくれる後見人は36.6%。『民法 858 条は「成年被後見人の生活、療養看護及び財産の管理に関する事務を行うに当たっては、成年被後見人の意思を尊重し、かつその心身の 状態及び生活の状況に配慮しなければならない」としている。訪問もせずに、被後見人の意思確認は可能なのか・・』と、考察されている。後見人の報酬は管理した財産の金額でほぼ決まる。身上監護を行なってもほとんど評価されない。忙しい弁護士さんの中には、お金にならない時間と手間がかかることをやらない人もいる。そうだ。家裁の考えとしても施設訪問ほとんどなしでOKみたい。「電話で職員と連絡を取り、男性の状況を把握」していれば「心身の状態や生活状況をどう把握するかは、後見人の裁量で適切な方法を選ぶことが許容されている」https://www.asahi.com/articles/ASK9N3FZSK9NULBJ003.htmlアンケート考察にもあるように訪問なしで、被後見人の意思確認はできるのかな?と思ったんだけど、弁護士や司法書士ら960人にアンケート調査「本人の意思確認をしない」15%「しないこともある」50%理由「本人は合理的な判断ができない・しにくい」75%https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20180501-OYTET50005/意思確認の意思が、あまりない。訪問なしでいいわけだ、、、最初からはっきり言ってくれた方がありがたいです。後見制度は財産管理の制度です。中には意思を確認してくれる後見人もいます。でも、判断能力がないから後見制度使うんでしょ?意思確認なんて出来ないじゃないですか。。。

  • 14May
    • 報酬って、本人スルーで決まってないかな?

      後見人、後見監督人への報酬。当然のように支払われる。でも、この報酬、必ず払わなければいけない債務ではないみたい。『報酬付与の審判は後見人に報酬請求若しくは報酬を受け取る地位を付与・形成する審判と解され、特定の義務者(被後見人)に金銭の支払を命じるものではなく、その審判書は執行力のある債務名義とはならない。』後見人・後見監督人は家裁に報酬を受取る権利を与えられただけらしいのです。裁判官にお会いした際にもお聞きしてみました。「後見監督人への報酬って債務ではないんですよね?」裁判官、苦い虫を噛んでしまったように見えました。だって、本人の判断能力がないからって、本人が払うと言ってるわけでもないのに、本人の通帳から勝手にお金もらうわけにいかない、、、でも、本人の財産の使い方の決定権のある後見人は利益相反。じゃ、判断能力のない人からどうやって報酬もらうの???ムツカシイ、、、後見人、後見監督人報酬。私はてっきり家庭裁判所が「××弁護士があなたの為に後見人の仕事をしてくれたから報酬を払って下さいね。」と本人にお願いするのかと思っていた。そんなわけなかった、、、後見人・後見監督人の仕事をしたから「私にふさわしい金額の報酬下さい。」(申立人に対し、相当額の報酬を与えるとの審判を求める。)と申立てると「報酬として、本人の通帳から、……円あげるよ。」(報酬として、本人の財産の中から……円を与える。)と、ズバリ金額が書かれた審判が下される。金額の根拠は書いてない。なんか、本人スルーで決まってないかな?でも、これでいいのだ。本人スルーでいいのだ。後見制度を使うと、被後見人の財産は被後見人の財産ではなくて家裁に管理された被後見人の財産になる。だから、家裁が「あげるよ。」「もらっていいよ。」って言って、いいんだよね?判断能力に問題があることで後見制度を使うと家裁が選任した後見人の価値観で本人の財産の使い方を本人スルーで決めれるようになっちゃうけど、(本当は本人の意思代理だけど、、、)本人の財産から、報酬を持っていっていいよ!って、報酬も家裁が本人スルーで決めちゃっていいみたい。本人の資産が少ないため、あえて報酬請求をしていないという人の話を聞いたことがある。大阪市の市民後見人養成・活動支援では市民後見人は無償のボランティア活動である事を明言している。本人にちゃんと承諾をもらうようにしているという後見人さんもいらした。これ、当然だと思う。私たちの事を私たち抜きで決めないで欲しいNothing About Us Without Us障がい当事者の間で使われているスローガンがあるらしい。将来、私も認知症にになるかもしれない。明日、交通事故で植物人間になるかもしれない。そして、後見制度が必要になるかもしれない。でも、生きていたら、たとえ意識がなくても、私の財産は私のものだ。私の事を私抜きで決めないで欲しいって思うのだけれど。判断能力がなくなったらしょうがないのかな?後見制度の報酬決定の流れを見ると、考えてしまう。後見制度って、やっぱり無能力認定なのかな??後見制度を使うと、人権なくなっちゃうのかな、、、でも、報酬を払わないと首が絞まる話に続く

  • 13May
  • 12May
    • 変えれるようにならないかな?

      平成26年私が親族として任意後見人に就任した時に受けた支援はこのサッパリとした冊子のみでした。そして親族後見人として、困ってしまったのです。今って色々な相談先があると思う。いじめ、不登校、病気、過労、精神疾患、自殺、借金、離婚、認知症、保険、人権、進路、ブラック企業、年金、失業、消費者トラブル、子育て、ストーカー、、、、、求めて探せば困った時のフォローや選択や逃げ道がある。解決しないとしても、、、成年後見制度に関しても相談先があるに違いない。聞いて回りました。契約書を作成してくださった事務所を皮切りに、街の司法書士事務所。成年後見制度といえばリーガルサポート。電話相談、近隣の司法書士も紹介して頂きました。市町村の無料法律相談。母の住む町、私の住む町。社会福祉協議会の成年後見担当相談員さんや講演会。後見に関わった専門家として本を執筆している先生。弁護士さん。横浜弁護士会の相談所って横浜そごうの何故か高級食器売場と美術画廊の奥にあるんですね。銀行からは家族信託の会社を紹介して頂きました。わかった事は、成年後見制度を利用するための相談をする所は沢山ある。でも、発効した後見について相談する所はない。(民間法人で1つ以外)発効した後見って、相談してもどうにもならない。「心苦しいのですが、 どうにもならないのです。 そういう制度になっているのです。」という感じでした。で、「家庭裁判所に相談してみてはどうか?」と、何人かにアドバイスを頂きました。なので、行きましたよ。馴染みのない所へ。横浜家庭裁判所横須賀支部。家庭裁判所という所は敷居が高いのです。「困っているのです。」という相談に「お話を聞きましょう!」とカジュアルに答えてくれるような場所ではないのですね。ジョウシンショ(上申書)を提出して下さい。ということで、とりあえずその場でお聞きしてみました。「後見人が後見人としての任務に困った場合どうしたら良いのですか?」質問に対する家庭裁判所の書記官のお返事は後見人が後見業務について困っているというのは後見人自身の問題であって、被後見人の問題ではないわけで、家庭裁判所でどうこうなる問題ではない。後見業務に関して困っているのなら、後見人(私ですね)自身が自腹で弁護士を立てて相談にきて下さい。ということでした。弁護士にお願いするとしたらお金がかかりますよね。弁護士に相談するお金が後見人(私)にないとしたらどうすれば良いでしょうか?とお尋ねした所、このようなお返事が返ってきました。それは、あなたに後見人としての資質がないということになりますね。家裁が守るのは被後見人だけ、ということかな?泣きそうでした家裁はパンク状態で後見対応にうんざりしている。とも聞いています。そんな感じです。今後は中核機関が出来て相談対応を行うかもしれないけど。親族の相談にも対応してくれるかな?母が生きてるうちに対応してくれるかな?そして困った時って、現状の何かを変えるべきだと思うのだけれど、人とか、考え方とか、、、この制度は変えることがムツカシイ。変えれない。後見人や後見監督人は横領でもないと交代しないし、士業さんって、偉くて正しい。その正しさには法律という根拠があるから考え方を途中で変えない。絶対変えない。中核機関が中に入ってくれることで変わるのかな?変えれるようにならないかな?みんなで考えて、色々な考え方を認めて、本人の意思を尊重できる制度になるといいな。。。今のシステムのまま後見制度を促進することに私は反対します。