法定にしろ任意にしろ、
後見制度を利用する本人及び本人と関わる親族の在り方は家庭裁判所もしくは家庭裁判所に任命された者の「正しさ」の基準次第です。
そして
「正しさ」ほど強く人を否定し追い詰めるものはない
任意後見監督人であったI弁護士に教えていただきました。
一昨年、
家裁の書記官からご連絡があり、我が家の任意後見監督人が変わりました。
ブログを書き、
Twitterで呟き、
任意後見契約書類を見せながら何件たずねて回ったか?
弁護士、司法書士。
家族信託の会社も。
家族信託のぶ厚い本を出版なさっている遠藤弁護士は穏やかなかたでした。
リーガルサポートにもしつこく電話をしてみました。
上申書、何通書いたか、、、
家庭裁判所の書記官と大喧嘩をし、
裁判官の心ない態度に号泣し、
後見の杜の宮内氏に愚痴りはげまされ、
後見制度の勉強会、
弁護士会館で行われた講座、
NHKのクローズアップ現代に出演し制度を嘆き。
(出演自体は数秒でしたが丁重な取材でした。)
考え得る全てのことを行い
後見監督人の交代を訴えた5年でした。
I弁護士が鬼の首を取ったかのように意気揚々と不正ではないかと指摘した家裁への報告が、過去に報告済み事項の修正忘れで特段問題はないという出来事があった少し後だったように覚えています。
5年目にして
監督人が変わりました。
変わる理由に関しての説明は全くありませんでした。
そして新しい後見監督人に変わったことで5年前から兄弟、税理士も含め上申してきた内容が認められたました。
認められてよかったです。
リセットです。
でも、
リセットです。
過去の5年間はどうなったのでしょうか?
過去の5年間のことは忘れて下さいということのようです。
5年ですよ。
たかが5年ですか?????
5年って人生が変わるのに十分な時間なんです。
5年が我が家に落とした影が消える日はくるのか、、、
もう一度言います。
法定にしろ任意にしろ、
後見制度を利用する本人及び本人と関わる親族の在り方は家庭裁判所もしくは家庭裁判所に任命された士業の「正しさ」の基準次第です。
「正しさ」は担当者により変わることもあるようです。
任意後見人発効直後から私とI弁護士の間ではことごとく意見の相違がありました。
論点から母の思いや我が家の状況を無視すればI弁護士の主張する「正しさ」も正しさの一つだったのかもしれません。
いっそ不動産を売って任意後見人をやめればよいのかとも悩みました。
「正しさ」は強く人を否定し追い詰めます。
我が家はすっかり変わってしまいました。
制度利用以前、私は弁護士の先生というのは高い法律の知識で人を助ける人格者だと思っていました。
実際にその膨大な知識と明瞭な判断、何よりもお人柄に感動する素晴らしい弁護士の先生にお会いした事もあります。
(ちなみにこの先生は後見制度には疑問が多く関わりたくないとおっしゃっていました。)
しかしI弁護士には人としての違和感を感じるばかりでした。
お会いする度に味わった腹わたをえぐられるような喪失感は今でも忘れることが出来ません。
もしかしたらI弁護士はあの威圧的な対応を戦略とする大層優秀な弁護士なのかもしれません。
後見監督人の主張する「正しさ」に従わなければいけないのか?
I弁護士というのはどのような方なのか??
I弁護士に関してお聞きして回りました。
I弁護士が事務所を構えるY市内の弁護士の先生方。
以前所属なさっていた弁護士事務所。
狭い業界なのでしょうか?
たまたま相手方としてI弁護士と関わった弁護士先生にお話を伺う機会もありました。
「あの方なら、そんな言い方をなさるかもしれませね。」
「I弁護士は普通になさっていれば普通なんですけど、スイッチが入ってしまうと手に負えない感じになってしまうんですよね〜」
「あんな失礼な弁護士には会ったことがない。」
「許せない。」
「忘れたいですね。」
「お気の毒に、運が悪い。」
後見制度に反感を抱く親族の間で
後見制度は食えない士業の不労所得である。
というような批判があります。
まさか全ての士業にとって後見制度が不労所得というわけではななく、逆に報酬の見込めない案件が増えているようです。
後見制度に意味を感じ真摯に関わっていらっしゃる士業さんも多くいらっしゃることでしょう。
I弁護士も監督人としての仕事はなさっていました。
(その仕事が母が望んでいるものであったか、仕事に見合った報酬であったかは別ですが。)
一方の事実として後見制度周りで横領を行なった士業さんに関する記事では借金返済や事務所の運営に行き詰まったという理由を多く目にします。
弁護士さん、あまっているそうです。
弁護士に限らず仕事に行き詰った士業さんが物言わぬ依頼者の仕事に携わるということも否定しきれない現状。
お仕事ぶりや制度に対する認識にばらつきがあることは容易に想像できます。
人としての判断が必要とされる未熟な制度を担う現場で親族の反感があふれ出ているのも当然かと思います。
専門職と呼ばれる後見人、後見監督人の唱える「正しさ」は法という基準を背負った絶対的な「正しさ」となります。
けれど「正しさ」の基準は時に偏り曖昧で、制度を利用する側は当てがわれる担当者を選ぶことは出来ないんです。
「正しさ」に疑問や反感を抱えたとしても横領というような明らかな不正が表に出なければ家裁に当てがわれた担当者の交代はイバラの道です。
制度利用により権利や生活が守られた人もいらっしゃるのでしょう。
けれどこの制度は時に人の全てを否定し追い詰めることもできます。
支援となるか、支配となるか
利用者は選べません。
想像して下さい。
他人に管理される生活を、
善意の第三者が家庭に入り込む不愉快さを。
そして判断能力が回復するまで抜け出せず、
根拠の知らされぬ報酬を払い続けなければならない。
現行の後見制度を利用する上で覚悟しておくべきことかもしれません。
我が家の任意後見がこれ程にこじれたのは司法書士事務所に作成していただいた任意後見契約書の内容によるものです。
任意後見ってどうなのかな?
⑤その任意後見契約は本人の意思を伝えられているのかな?
に続く。
5年間を返して、、、