先日、財産目録及び収支報告書類を郵送した。
随分遅くなってしまった。
この場を借りてお詫びします。
この報告、4年目に入るが未だどのような形式がベストなのか悩んでいる。
私は任意後見人として、3ヶ月毎に後見事務の定期報告を行っている。
「3ヶ月に一度くらいがいいんじゃない?」
と母が言ったわけではない。
任意後見契約の雛形がそうなっていて、
「これが一般的な任意後見契約です。」
と司法書士N女氏に説明を受けたからだ。
3ヶ月に一度の報告で十分のような気がするのだけれど、後見監督人弁護士先生より提出のご指示があるので定期報告に加えて年に一度、財産目録及び収支報告を提出している。
後見監督人として家裁に年間報告をし、報酬請求を行うのに必要な書類となるのだろう。
4年前、我が家は倒れた母を代理する人物が早急に必要だった為、詳細を調べる間も無く任意後見発効の申立てをしてしまった。
審判が下った頃、救急車で運ばれた直後には医師から植物状態になる事も覚悟してほしいと言われ胃瘻を勧められた母は、転院先で自分で食事をとり、立つリハビリを始めた。
救われた気がした。
で、
なんと、
私は初回、後見監督人に財産目録を提出する際に、財産目録とともに作業療法士さんに撮って頂いたリハビリをする母を囲む家族写真を表紙に貼り付けてしまった。
「写真なんて貼られてもね、、、」
後見監督人弁護士先生はため息をつき呆れていらした。
その瞬間まで私は後見制度とは本人の意向を尊重し、医療や介護などの利用をサポートして日々のくらしを守る「身上保護」が目的の制度(注釈)
だと勘違いしていた。
リハビリをする母の写真を見て
「お母様、回復されてよかったですね。」
みたいな会話が出来ると思っていたのだと思う。
「写真なんて貼られてもね、、、」
その一言で自分がおとぎの国の呑気な住人だった事を悟った。
もちろん提出書類の内容が後見人弁護士先生が納得するものでなかった事がため息の原因だったのであろうけれど。
後見報告に本人の写真なんて必要ない。
生活が成立していれば、任意後見人と後見監督人との間で必要な情報は資産状況のみで十分。
後見制度の現実が始まった、、、
母の資産状況は稀に見る複雑さのため、司法書士法人I事務所に作成して頂いた財産目録だけではわからないとダメ出しを受け3回財産目録を作りなおした。
財産目録の作成と並行し定期報告書の作成。
いつの間にか私は後見監督人に認められる任意後見人になるため、必死になっていた。
「私はあなたの監督をすることが仕事で、
あなたの相談にのる事が仕事ではない。」
そうで、
監督人のダメ出しは私にとって抽象的だった。
具体的なアドバイスは全くなかった。
ほとんど使ったことがない表計算ソフトを夫に教えてもらいながら試行錯誤が続いた。
なるべく多くの情報を報告するためにコピーをとり、一円単位で間違いのないよう収支を確認し、家裁の雛形に書き込むだけではわからないとのご指摘だったので色分けなどの工夫をし自分なりの報告表を模索した。
レシートは全てA4紙に貼り付け、身上看護や今後の課題について文章にし、問題事項に関する写真を添付し(母の写真などという人間味のある写真はやめた)、母に関して使った時間を30分単位で業務日誌として記載した。
提出前は母に会いに行く時間が取れないほど書類作成に追われた。
後見の相談をした司法書士先生や弁護士先生に
「とても分かりやすい報告書ですね。」
と褒めて頂くまでの内容となり、自己満足に浸った。
後見報告書を作成する事が、後見監督人から後見人としての私に求められた一番大切な仕事になっていた。
本当は報告以外の後見実務の方が大変だった、、、
個人的な言い訳をするのはいけないけれど
忙しかった。
辞めてしまった仕事の後処理に追われていた。
子供の習い事の役員も、出欠確認、合宿手配、練習場所確保、試合準備、人間関係等、割と大変だった。
いじめの解決のため何回も学校に通っていた頃でもあった。
そして、母の体調を心配しつつ、次の居場所を探すことも簡単ではなかった。
新しい仕事も探さなければならない、、、
家族が病にたおれる。
それだけでも生活のリズムは変わるけれど、こういう時は色々重なる。
それまでストレスで太ることはよくあったが、後見制度のおかげでの人生で初めて7キロのダイエットに成功(?)してしまった。
50歳を前に痩せると「病気した?」と友人に尋ねられる。
疲れきってしまった。
後見監督人弁護士殿はおっしゃった。
「大変ならば後見人をやめればいいじゃないですか。」
相談に行った先や任意後見の書類を作成して下さったと思った司法書士・中本かおり氏からも任意後見人をやめ、法定後見に切り替えてはどうかというご提案を頂いた。
やめる事を勧めなければならないような内容の任意後見契約書を急いで作成したのには司法書士事務所としての思惑があったと感じている。
加えてこの任意後見契約書は契約書作成時にはお会いした事もない吉野絵美司法書士が作成した書類だった事を、後で知った。
その後の吉野司法書士、代表市川司法書士の関係ございませんといった対応。ひどかった。
私は後見人をやめるべきなのかな?
悩んだ。
実際にやめるべきかとまで悩んでしまったのは、書類作成を始めとする後見事務が大変だったからというより、その過程で監督人、弁護士、司法書士、家裁、書記官、裁判官からいただいた言葉と対応の行き場のなさが原因だった。
本当にひどかった。
私は後見制度に関わったことにより家裁、士業から受たぞんざいで屈辱的な扱いを決して忘れないと思う。
けれど任意後見と法定後見では生と死くらいの違いがあることを調べて知り、さらに何人もの方にご意見をお聞きして回った。
ここまで大変な報告書を作成する必要はないのでは?
後見の報告は必要最低限で十分でしょう。
監督人に飼いならされている。
お母さんが本当に望んでいる事のために時間を使った方がいい。
弁護士、司法書士ではない方から救われるアドバイスを頂いた。
そして、専門職後見人が報告書として作成した書類を見せていただいた。
すごく、
サッパリしていた。。。
「書類なんてどうでもいいから、また来てね。」
母は言っていた。
私は母との会話や実務に時間が取れるよう、報告書の内容を専門職後見人の報告書を参考に簡素化した。
時間的にはもちろん、精神的にも疲労が軽減した。
監督人からは前の形式の方が良いと促されたが、冷静になるとやはりあそこまでの報告が必要とは思えない。
エクセルの使い方を覚えた。
資産状況を把握出来た。
監督人弁護士先生に感謝している。
複雑な資産を監督する立場として、後見人をガッチリ管理したいとの思いはわかる。
詳細な記録を残す事が後々を考えて好ましいこともわかる。
けれど、士業が団体による講習等のバックアップを受け後見事務を行うの対し、親族はやはり後見人として素人であり孤独なのだ。
建設的にコミュニケーションをとり、士業の立場からだけではなく、本人と本人を支える人間の立場からもどのような形が良いか話し合うことが出来れば、ここまで迷走することはなかったと思う。
リハビリに付添うなど、その時期に母が本当に求めていたであろう事に時間を使えたのではと思う。
士業の視点から見れば私はダメな後見人だろう。
法律に弱い。
数字に弱い。
要領も悪い。
大変だし、任意後見人をやめた方がいいのかもしれない。
でも、法律の知識がなければ弁護士に、数字に弱ければ税理士に相談していけばいい。
母が娘に後見人として求めたのは、自分の性格や家族の歴史を知っている人に自分の代理を務めてもらうということだと思うのだ。
少なくとも私を精神的に追い込むことが母の望みではなかったと思う。
もしも私が倒れたらを考える。
私と夫の間では意見や趣味が食い違う事もある。
不満がつのり言い争いが続いた時期もあった。
けれど、何かあった時は夫に私の代理人をお願いしたい。
見ず知らずの士業に私の貯金通帳や不動産の権利を預け、私の代理を務めてもらうなどあり得ないと思う。
憎み合う家族もいる。
親が子を、子が親を、殺したりもする。
親の資産で購入したスポーツカーを乗り回した親族後見人もいたのだろう。
けれど、
家族が本人の代理人となる。
この古臭い形を否定してほしくない。
「後見人を辞めればいい。」
お願いだから簡単に言わないでほしい。
自分を良く知っている家族に後見人になってもらいたい。
それが任意後見という契約にまでした、
母本人の意思であり、自己決定なのだから。
禁治産制度から後見制度へ
本人の意思を封印し行動を制限する制度から、本人の意思を尊重し保護する制度へ。
任意後見は制度の新しい志の売りであったようだ。
でも現実は、任意後見でさえ制度が掲げる理想とは遠いものとなっているのではないかと思えてならないのです。
注釈
朝日新聞記事「伸び悩む成年後見」より
『結局は……禁治産の時代とあまり変わっていない実態があります。………本人の意向を尊重し、医療や介護などの利用をサポートして日々のくらしを守る「身上保護」……こそが制度の主な目的であるはずなのに、です。』
日本成年後見法学会理事長・新井誠氏