佐紀盾列古墳群をドライブスルー♪ | 徒然コオロギ庵~旅する似顔絵師~

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一年の半分を旅に過ごす似顔絵師コオロギの日々の雑記。趣味の古墳巡り&地質巡り&車中泊アレコレetc徒然とだらだらと書き尽くします

先日、奈良の伯母宅を訪れたあと
 
平城宮跡歴史公園を巡り

 


 
すぐ近くの古墳を巡、、いや
 
車に乗ったまま
ドライブスルー古墳見学しました
 車うずまきうずまきうずまき
 
平城宮跡歴史公園を歩きすぎて疲れたので(^^;)


その中の一つ、
 
写真に撮ったはずが消えてしまっていた
 
市庭古墳 
別名、平城天皇陵楊梅陵
(へいぜいてんのうやまもものみささぎ)
 
やまもも陵、やまももの木があるのかしら?


平城宮跡歴史公園の写真に見切れて
 
かろうじて写っていましたカメラアセアセ
 

 
これです(笑)
 
 
この古墳、
 
天皇陵でありながら
 
平城宮を建てる際に一部が削平された古墳
 
と、記憶していたのですが
 
調べてみると正確にはちょっと違うものの
 
なかなか心に沁みる物語がありましたショボーンタラー
 
 
現在は前方後円墳の後円部だけが残っていて
 
それでも直径100m以上もある巨大円墳びっくりキラキラ
 
削平される前の姿は
 
200mを超える巨大な前方後円墳だったそうです。
 
 
平城天皇は平安京を作った桓武天皇の子なのに
 
平城京を作るときに削平された古墳だと
 
100年くらい前に古墳ができていたことになり、
 
時代が合いませんキョロキョロ!?
 
宮内庁的には平城天皇の陵墓となってますが
 
出土した埴輪などから5世紀前半の古墳と考えられています。
 
 
周囲にはコナベ古墳、ウワナベ古墳など

古墳時代中期の

宮内庁の陵墓参考地である巨大な古墳があり
 
佐紀盾列古墳群となっているので
 
同時代のかなり高貴な方の古墳であることには
 
間違いなさそうです。
 
 
さて、この平城天皇、
 
ぱっと見、平成天皇にも見えますね(笑)
 
父、桓武天皇との関係が微妙だったそうで

父の死後に即位してからは

父の政策を見直したり、

譲位後には平城京に移り住み、

平城京への遷都を目論むなどしたそうです。

それらは失敗し政治の中心からは外れますが

その後も平城京に住み続けたとのことキョロキョロタラー

※Wikipedia参考

父への反抗?平城京への思い入れ?

なかなか興味深い天皇なのでした。


市庭古墳(楊梅陵)は

平城天皇の古墳ではなかったけど

平城宮跡自体が、

ある意味平城天皇の広大なお墓なのかもしれません照れ


さてドライブスルー古墳見学の続き車キラキラ

コナベ古墳
全長204m。仁徳天皇の皇后磐之媛命の陵墓参考地。
円筒埴輪列や形象埴輪が見つかっています。
西側外堤部分に奈良時代の石敷が見つかっていて、天皇や皇族が宴を催す松林苑跡ではないかとされ、古墳を庭園の一部とする貴重な資料となっています。

ウワナベ古墳
応神天皇の娘、仁徳天皇の皇后、八田皇女の陵墓参考地。
2020年の調査で墳丘規模が明らかとなり全国12位の大きさであることが分かりました。


やっぱ、宮内庁陵墓指定の古墳は

近づけない感じといい

思わず手を合わせたくなる美しさですお願いキラキラ


堺市の仁徳天皇陵などある百舌鳥古市古墳群も

上空から見たら古墳だらけで圧巻ですが

平城京北側のこの地域も

なかなか見応えありますよウインク




それにしても今回はドライブスルーしたけど


今度はちゃんと歩いてまわろ〜チューアセアセ



  奈良の古墳巡り

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