お隣、交野市の家康ひそみの藪と山間部の裏ルート!? | 徒然コオロギ庵~旅する似顔絵師~

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一年の半分を旅に過ごす似顔絵師コオロギの日々の雑記。趣味の古墳巡り&地質巡り&車中泊アレコレetc徒然とだらだらと書き尽くします

4月上旬、地元の桜巡りをしていたとき

 

面白い歴史スポットを見つけました目キラキラ

 

枚方のお隣の交野市にある星田妙見宮、 

 

 

 

 

このお宮の駐車場の横のこんもりした茂み

 
 
ここに看板がありまして
 
なんと!!
 
 
伝 家康ひそみの藪っ!
 
 
ここに家康潜んでたんっ爆笑アセアセ!?
 
思わず2度見してしまいました(笑)
 
 
天正十年(1582年)六月二日
織田信長が京都本能寺において、明智光秀の反逆によって自害した。
その時、少人数の近臣を連れて堺に滞在していた徳川家康は、いち早くその情報を入手するや身の危険を感じ即刻、境を出て本国三河へ帰ることにした。
その日の深夜家康は、この竹やぶにひそみ、村の長の平井氏に連絡して、山城方面に出るため、道に精通した農民を道案内人として出すよう依頼した。
平井家では、沢山の握り飯を鶴の絵を描いた大皿に盛って提供し、信用のおける二人の農民を選出して、無事に道案内の大役を果たさせたといわれている。
 
とのこと。
 
 
石碑もありました。
 
 
本能寺の変のあとの家康といえば、、
 
大河ドラマ【真田丸】のときの下矢印
 
画像お借りしましたお願い
 
 
これ(笑)
 
観てないので詳しくは分かりませんが
 
これは伊賀越えのシーンなのかな?
 
交野市から伊賀まで遠いけど
 
このひそみの藪のあたりでも
 
こんな泣きそうな形相だったと思うと滝汗
 
笑けてきますね爆笑笑い
 
三谷さんの脚本というのもあるけど。
 
 
大阪から山城、京都への抜け道といえば
 
数年前に地元枚方で展示されていた
 
 
文化財展示。
 
この中の津田城遺跡の展示で
 
 
足利幕府の終焉の場面が。
 
織田信長に敗れた足利義昭が、京都の宇治から現在の東大阪市の若江城に追放される途中、枚方の山間部にある津田寺に寄り、本願寺方に引き渡されたとのこと。
 
歴史のめちゃめちゃ重要な一場面が
 
なんと枚方だったのねびっくりハッ
 
大河ドラマ【麒麟がくる】でも
 
信長に敗れた足利義昭のシーン、
 
滝藤さんの表情がとても印象的でした。
 
あの後、枚方を通って本願寺方へ引き渡され、
 
若江城、紀州、備後へとさまようのね。。
 
この津田寺は津田城だったとの表記もあり、謎の山間部の拠点だったそうです。
 
津田城遺跡。
 
 
 
家康がひそんだ竹やぶも
 
最後の足利将軍が引き渡された拠点も
 
淀川近い街道沿いではなく、
 
京都から大阪中心部や南部へ抜ける
 
山間部の裏ルートだったのかなキョロキョロアセアセ
 

 
 
我が家からも眺められる生駒北麓の山並み、
 
あの山並みの中でいろんな歴史が動いてたんだな
 
時空の旅、おもしろ〜爆笑キラキラ
 
 

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