<足の音せず行かむ駒もが>、恋人の許に通うのに足音を立てない馬があったらなあという愛らしい一節ですが、気になるのが<もが>。詠嘆の<も>に疑問の<か>が連なって濁音化したもので事物の所有や事態の到来を願望します。万葉集では<もがも>が一般的ですが、そちらは<もがな>に転じます。
<あな恋し今も見てしか>、<てしか>も上代の願望を表す助詞です。見るに付いていることからも動作が成し遂げられることを願って、端的に<したいなあ>。自分の動作における願いですから会話や心中、歌の言葉であって地の文には用いられず。〈しか〉のみで願望を表し、他に〈にしか、てしかも〉。
<まひ>と聞くとすぐに浮かぶのは<舞ひ>でしょう。では<天にます月読壮士まひはせむ>、月読壮士は月のこと。このときの<まひ>は漢字を当てると<幣>、感謝や願い事に神やひとに捧げものをすることでつまりは贈り物。<今宵の長さ五百夜継ぎこそ>、素晴らしい今夜を五百夜も続けてほしいから。
古語の<むつかし>にむずかしいの意味はありません。赤ん坊が機嫌を損ねたときにいまも使う<むずがる>に名残を残す<むつかる>、不快に思ったり腹を立てることを意味する動詞を形容詞にしたのが<むつかし>です。ですから鬱陶しい、わずらしい、面倒臭い。むずかしいに相当するのは<かたし>。
<いつしかもこの夜の明けむ>、いつしか夜も明けたかと思うところです。古語の<いつしか>に知らぬ間にという意味はありますが、曲者が<も>。願望を表すこの言葉を伴うと<早く>の意味になって、早く夜が明けてほしい。<わが宿に蒔きしなでしこ いつしかも花に咲かなむ よそへても見む>も同じく。
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『 こけさんの、なま煮えなま焼けなま齧り 』 五十女こけ