本居宣長六十一歳自画自賛図
子安宣邦によると歌の添削を頼んだ賀茂真淵からこんなものは歌ではないと突っ返される本居宣長です。万葉集に還れという真淵の原理主義はわかりますが、いまや町人にまで裾野を広げる地下歌人の盛んなるところに身を置く本居にすれば旦那芸的な遊芸も致し方なし、真淵をやんわりとやり過ごします。
『石上私淑言』は本居宣長の歌論、歌は物のあはれから出づるとされます。高まる興趣と感情が言葉となって溢れるとき技巧を呼び起します。技巧が読む者を引き寄せ共感を拡げると読者を視野に入れる曲者ぶり。然るに後半から古語の考証と唐意との対峙に呑み込まれて未完。『古事記伝』へ引き継がれます。
神道は日本書紀を正典としてその解釈を密教と朱子学に依っています。しかし正格漢文体で中国的な正史になぞられた日本書紀に大和言葉はなくつまりは神代の姿もないとしたのが本居宣長です。単に古事記を訓み下すのではなくその中に大和言葉とその意味の広がりを探す方法的な実践と結実が『古事記伝』。
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