若尾文子という圧倒

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私が子供の頃にはまだ性典女優という言い方は健在で、南田洋子や若尾文子を紹介するときには(ふたりともとっくに押しも押されぬ大女優ですのにまだ)引き合いに出されていました。逆に言うとそれまで大和撫子は良妻賢母、婦道の鑑であってそんな性(欲)などというものはないという建前だったところに、大映の『十代の性典』(島耕二監督 1953年)が与えた衝撃のほどがわかります。(まあこの辺は洋の東西を問わずでエリア・カザン監督『草原の輝き』(アメリカ 1961年)でもヒロインであるナタリー・ウッドが年頃の娘らしいあれやこれやに興味津津なのを母親が諌めて性欲などというのはお父様だけのもので女性は神聖な勤めとしてそれに付き合うけれど何も感じはしないのよとしれっと宣いますからね、尤も娘の方は母親の嘘のほどをあとから嫌というほど味合わされますけど。)

 



さて増村保造監督『青空娘』の、若尾文子の魅力に打ちのめされた世の男性も多いことでしょう。題名そのままに一点の曇りもなく晴れ渡ったヒロインのひた向きさも然ることながら、純白のシャツに髪を引っ詰めた洗い立ての清楚さに、絞ったウエストからはスカートをなびかせて若さがすらりと伸びている若尾の初々しさには男たちが抱く可憐さがまさにひとりの女性の形となって翻っているんですからね。ただ... そんな男たちの熱い想いをよそに若尾文子という女優がそんなところに収まっているわけはなく... 低嶺の花と言いますが、私には若尾文子という女優の本質は圧倒さにあるように思います。可憐さ、美貌、乳白色の匂い立つような肌の温かみ...  男たちが自分の掌のなかに収めておきたい女性の魅力を湛えながらいざ男たちが組み敷こうとするとむくむくと立ち上がって組み付いても組み付いても征服などできない圧倒さ。女性というものの、底知れなさを若尾ほど体現している女優はないように思います。男性に対する女性なのではなく、女性が男性という対もなく単独でそこにある、(まるで単性生殖のような男性に対する)圧倒さ。

そのことを実地で(ほんと這いつくばるまで)思い知らされたのが『からっ風野郎』(増村保造監督 大映 1960年)の三島由紀夫です。小学校もやっとこ卒業したやくざの二代目で狂犬の危なっかしさを内に抱えつつまさに孤独な犬の嗅覚で危険を躱しながら裏社会のすれすれを生きていく、などという芝居が三島にできるはずもなく、大人の服を子供が着たように設定の大きさばかりが浮き上がってしまっています。ただ三島の前に立ちはだかるのは自身の芝居ばかりではありません。ヒロインは若尾文子なのです。彼女は映画館のもぎりをしているところを無理やり三島に体を奪われ、このやくざ者と共に生きていくことを決意する女性です。当然三島は若尾を乱暴しようと彼女を組み敷きますが自分の男性性で若尾を押さえ込もうとすればするほど彼女の圧倒さが立ち上がってきて(物語の筋はどうあれ画面に)広がっていくのは三島の絶望、征服できないものを前にして己れの間抜けな小ささを抱えねばならない無力感です。三島は何度となく若尾を殴りますが殴れば殴るほど打ちのめされていくのは三島の方なのです。ノーベル賞級作家を以ってしても(まあ演技のほどはガリ版刷りですが)若尾には到底太刀打ちしようがありません。

私が見る限り若尾のこの圧倒さを正面から捻じ伏せ得たのは『赤い天使』(増村保造監督 大映 1966年)の芦田伸介です。元々うらなりの、つるっとした瓢箪のような顔つきでそれまでは程度の知れた三下役(川島雄三監督『銀座二十四帖』日活 1955年)だった芦田は絶望で一時は失語症に陥るほどの、怪我を自動車事故で負います。しかしそのことは俳優として芦田に陽炎立つような得体の知れなさを纏わせ、役の過去に闇より深い深みを抱えさせることになります。従軍看護婦である若尾はこの映画でもそうそうに傷痍軍人たちに暴行を受けますが、そんなことでは彼女の存在に毛ほどの傷も付きはしません。その若尾に泥沼の中国戦線を前線医師として終わることない負傷兵の、もはや治療とも言える治療もできず送還、復帰、死を振り分けるような泥濘んだ毎日にある芦田が言い放ちます、「俺はお前が好きだ」。愛を囁くのではなく全く正面切ったこの言葉を若尾に突き立てるのです。芦田は自らの男性性で若尾に対峠しその圧倒さに怯むことなく立ちはだかります。勿論若尾の圧倒さは何ら減縮するわけではなく芦田の得体の知れなさがそれを呑み込んで見せるわけです。若尾文子とはかくあれということです。

 

・ 増村保造監督 『青空娘』 大映 1957年

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・ 増村保造監督 『からっ風野郎』 大映 1960年

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・ 増村保造監督 『赤い天使』 大映 1966年

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絡み、絡まず、絡まる

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カーロン愛弓『父・鶴田浩二』(新潮社 2000.06)は巷間見受けられるスター家族によるパパ大好き本とは幾分姿勢を異にしています。スターについて廻る虚飾とそれをまといつつ実人生を送っていくしかないひとりの人間の心中を紐解いてスターであることと父であることを巧みに縫い合わせていく、なかなか聡明な一冊です。岸恵子とのこと、佐久間良子とのことにも触れられていますし(松竹を揉ませに揉ませた岸との恋愛を断念したからこそ著者もまたこの世に生を享けたわけですから父娘ともにデリケートな一線でしょうが、いまや病床にあって死よりも遠い若かりし頃の恋人の面影を口にのぼらせる鶴田にもそれを聞く娘にも人生の甘美が流れるそんな一場面です)、誇大に喧伝された鶴田の戦争体験についてもまず事実であるところを認めた上で父の心情を綴っています。

とにかく著者の目の明るさが印象的です。梅宮辰夫や松方弘樹を可愛がったのも勿論彼らへの情愛あってのことですが、役者としての彼らの個性が自分を脅かすことのないことを見切った上のことなんていう洞察にはあざやかな切れ味さえ感じさせられます。この本に鶴田と山城新伍の不仲について言及があるんです。鶴田が山城を嫌ったのは山城のモダンで軽妙洒脱な才能を自分にはないものと疎んじたからというのですが...  著者の理智には敬服していますが、(だってクイズ番組の司会がしたいわけでもトーク番組で座持ちのいいチョメチョメ話を披露したいわけでもない鶴田浩二が山城のそんな才能に嫉妬する云われがないですものね)、やはり鶴田の嫌悪は生理的なもののように思います、少なくとも芝居の上での。

鶴田と山城が芝居でもっとも長く絡んだのはおそらく『次郎長三国志』(マキノ雅弘監督 東映 1963年)でしょう、何せ一本どっこの駆け出しの次郎長に最初に子分につくのが桶屋の鬼吉で冒頭からふたりの芝居が続きます。鶴田が山城をいつから嫌うことになったのか私は知りませんが、すらりとした立ち姿で青年次郎長を演じる鶴田は山城との絡みが何ともやりにくそうです。マキノ雅弘の『次郎長三国志』は次郎長よりも子分たちによって語りを廻していきますから、冒頭からしばらくは桶屋の鬼吉ひとりの切り廻しで(しかも鬼吉の前任はあの、芸の懐深い田崎潤でしょ)山城の重圧はあまりありますが、それにしても何かこうしっくりと行きません。勿論鶴田相手に山城の芝居は実直そのものです。

芝居について私があれこれいう前にまずは役者の言葉を引いた方がしっくり来るでしょうか。中村又五郎は言っています、「芝居ってのは自分だけうまくやったって、かえって浮き上がってしまうんです。バランスを崩してはいけないんで。相手あっての芝居です。この頃の役者は自分の芝居だけで精一杯で、相手を考える余裕のない人が多くてね。」(郡司道子『聞き書き 中村又五郎歌舞伎ばなし』講談社 1995.12) 私なりに言い換えると役者には芝居をアンサンブルだと考えるひとと芝居を(自分の)表現だと考えるひとがあるということです。鶴田は勿論前者で相手の芝居を受けそれに重ねていくことで相手を引き立てつつ自分を(更に)引き立たたせようとします。一方の山城は相手の芝居を受けてもそれをそのまま返さずに、初手で仕切り直して自分の芝居を返してくる(これは喜劇の役者たちがよく見せる手際です。相手の芝居を受けながら間を詰めたり外したりして受け流し自分で仕切り直した芝居を相手に投げる、セリフはやり取りされるけれど芝居は絡まず一回一回お互いの芸が取り交わされるだけで、面白いけど芝居の情感は高まっていきません)、私が芝居の生理と言っているのはここです。

芝居を重ねていこうとする主役に、芝居を一回一回仕切り直してくる相手、鶴田の嫌悪も募ろうというものです。その後も鶴田と山城の絡みを注意して見ていますが、以降鶴田は山城を自分の懐に入れず何か足先でさばいている感じが画面からも伝わります。当然山城には更にも伝わっているわけですから不仲も当然と言えば当然です。(山下耕作監督『あゝ決戦航空隊』なんて確か直接の部下のはずですが絡みすらなくなって、山城がひとりごちるアップのはるか後ろをすたすたと歩いていく鶴田浩二... )さて山城以上にこの後者の姿勢を貫いたのが山城以上に鶴田が嫌っていた三国連太郎です(し私としては同じく最たるひとが渥美清です)が、そのことはまた別のお話に致しましょう。

 

・カーロン愛弓著 『父・鶴田浩二』 新潮社 2000年

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・マキノ雅弘監督 『次郎長三国志』 東映 1963年

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・郡司道子著 『聞き書き 中村又五郎歌舞伎ばなし』講談社 1995年

 

 

 

山城新伍

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山城新伍という芸名は自分がつけたと北の御大自ら書いてらっしゃいます(『旗本退屈男まかり通る』東京新聞出版局 1992.9)、聞けば山城の出身、時あたかも橋蔵が水も滴る若武者姿で若い女性たちに黄色い声を振り絞らせていた新吾十番勝負がヒット中、それらを足して出来た名前だと(安直さは認めつつ)まんざらでもない書きぶりにはあの、退屈男の高笑いが聞こえてきそうです。その山城は私が子供の頃には映画にテレビドラマ、司会、コメンテーター、CM、著述とまさに多彩な活躍を見せていて顔を見ない日がないようなそんな10年20年を走り抜けた、まさにスターではないスターの頂点を極めたようなひとです。

ただ彼を見ていて私なりに感じるのは何か自分のことを俳優で終わるような人間ではないと見做している、そういう野心というか謹直な(少年のような)大志を持っているということです。同じようなひとに田宮次郎があって、彼の場合はそれが実業界での成功です。升本喜年『田宮二郎、壮絶!』(清流出版 2007.7)を読んでもそんな田宮の周りをブローカーたちが跋扈して壮大な事業話を持ち込んでは何くれと彼から金を吸い上げていく、そして失敗すればするほど田宮の野心そのものは更に大きく深くなって彼自身を呑み込んでいくわけです。山城が田宮と異なるのは同じく自分を俳優で終わる人間ではないと思いつつ、同時に彼の頭のよさは自分がエンターテインメントの世界以外に成功しようがないことも見抜いていることです。頭がいいから自分の向こう側を見ようとし頭がいいから自分の限界も見てしまう... 山城の、真面目さといい加減さがないまぜになったあのキャラクターには何かそういう相剋のやるせなさがあるような気がします。

さてこのひとりの人間のなかの引き裂かれた心中は映画というものを真ん中に置くとさらにはっきりと分光していきます。『次郎長三国志』の桶屋の鬼吉は言うに及ばず任侠映画での箱持ちや律儀者の手代、組の仕打ちに愛想を尽かす若い衆(石井輝男監督『緋ぢりめん博徒』)など(東映のスターシステムにあって山城の位置づけとしてはヒロインを庇って悪にさんざんぱら傷めつけられ自分の無力さに歯噛みしながら耐えに耐えてその怒りを主人公の健さんたちにバトンタッチする役どころですから)小さい役ながら実直な芝居を見せますが、何と言っても俳優として水を得た魚となるのは70年代でしょう。

 


『トラック野郎』ではダッチワイフを小抱きにして登場しますし、鈴木則文監督『温泉みみず芸者』では小池朝雄の戦友で何やらハレンチな発明に勤しんでおります。そういう役の<お下劣さ>もさることながら同じようなキャラクター設定ではある小池や名和宏が飽くまで演出に沿って芝居をしているのにそんなところはさっと逸脱して引きも切らないアドリブに芝居の内側までさらけ出してその圧倒的な過剰さに小池も名和も立ち尽くしています。芝居を絡ませるというより文字通り山城の独壇場で場面を仕切っては芝居を返すという感じです。その最たるものが『不良番長』シリーズでしょう。主演の梅宮辰夫の出で立ちからしてが『乱暴者』(ラズロ・ベネディク監督 1953年)のマーロン・ブランドから引いているわけですから、そういう可燃性の暴力を内に抱えながら街にすくぶっている若者たちの物語です。女、金、遊びの勝手気ままな毎日はやがて既存の組織とのっぴきならない軋轢に陥りますが、それに組み敷かれるのを拒否し飽くまで自分たちの自由を貫いて立ち向かうというのがシリーズ初期の姿勢です。仲間たちがひとりひとり倒れていきながら最後は主人公だけが生き残る、その姿には怒りと虚無感が漂って監督の野田幸男の目指すところがよく出ています。しかるに山城の加入後、彼のアドリブやギャグが徐々に作品世界に浸潤していき、やがてドタバタ、エロ、ギャグ満載のアチャラカ映画になると、共演の安岡力也や鈴木やすしたちまで悪ノリを始めてクライマックスで討ち死にするのもギャグにしてしまい(「わかったわかったもう死ぬ時間だからバイバイ」)、作品が内側から崩されていくのを見つめる野田監督の心中をや。

その一方でテレビのトーク番組でもこと映画の話になると、それまでのチョメチョメ話に脂下がった表情を一変させ(そう彫りも深くないあの顔に生真面目な眉間の皺を深く刻んで)日本映画の現状に真直な苦言を呈する山城新伍があるわけです。往時の日本映画の隆盛を知る者としてその衰微を憂う気持ちと、隆盛が傾いたからこそ(スターシステムが崩れ序列の重い蓋が罅割れて)自分がのし上がる余地が生まれ奔放に才能を発揮できたことは百も承知なわけですから、ひとつには括れない何かを映画にもまた抱いていたのでしょう

 

・マキノ雅弘監督『次郎長三国志』東映 1963年

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・鈴木則文監督『トラック野郎 爆走一番星』東映 1975年

 

 

 

またまた今回も胡乱な話を申し上げようというのですが、まずはこんなところを枕に。先だって戦後の小津映画の出演者を眺めていると、常連の杉村春子や東野英治郎、中村伸郎、長岡輝子、桜むつ子の他にも新劇の面々が多数出演していることに改めて気がつきます。『東京物語』の老妻の印象が強いため東山千栄子がすぐに浮かびますが意外なことに『東京物語』のほかは『麦秋』のみ。逆に小津映画と聞いてもすぐには浮かばない宮口精二が二作出ているのも意外でした。賀原夏子は『浮草』で座員たちが通う料理屋にはべるあけすけな女給ですし、三島雅夫は『晩春』に、信欣三は『東京暮色』に出演しています。そうそう見落としてしまいそうですが、『長屋紳士録』で飯田蝶子がだんだんと捨て子に情が移り始めた頃に引き取りに現れる父親が小沢栄太郎です。こうして当時の、日本の新劇を牽引していた錚々たる面々を見ていると逆に出ていないあのひと、このひとが気になります。そうです、小津が起用しなかった俳優から小津映画を見てみるというのが今回のお話です。さて滝沢修の、宇野重吉の小津映画とはありや。

同じことは映画俳優にも言えます。1952年『お茶漬けの味』では当時松竹にあった鶴田浩二を起用していますが、同じ頃松竹には三国連太郎がいたのに使わなかったし、以降も三国を使うことはありませんでした。田浦正巳を『早春』『東京暮色』に出演させながら俳優座の同期だった仲代達也を自分の映画に呼んでいません。勿論正確にはさまざま契約もありスケジュールの都合もあるでしょうし案外話はあったけれど諸般の事情で流れたなんていうこともあったのかもしれませんが、三国連太郎の、仲代達也の小津映画を思い浮かべるとき(『お早う』の佐田啓二の役を仲代が演るなんてというのはちょっと見たい気がしますが、『彼岸花』で久我美子を家出までさせる青年(画家でしたっけ)が佐分利信の待ち構える夜の安酒場に現れると渡辺文雄ではなく三国連太郎だったら、そりゃもう別の映画という気がしますものね)、先の滝沢修にしても、宇野重吉にしても小津の映画とは同じ映画という世界の、あっちとこっちという感じがします。


その意味で同時代呼ぼうと思えば呼べないわけではなかったし小津映画とも親和的に見えるのに使わなかった俳優の、最大の謎は森雅之のような気がします。(ほんと胡乱な話ではありますが。) 例えば『彼岸花』の佐分利信を森が演じたとして、老け役の笠を還俗させて黒々といがぐり頭の長兄に仕立てた『麦秋』のあの役に森を宛てたとしていやいやそもそも原節子が何か大きな喪失を呑み込むように嫁ぐ子持ちの中年男(が二本柳寛ではなく森)であったとしても、『小早川家の秋』で葬式に集まるひとびとの慌ただしさのなかをどっかと座る主人公の弟であっても、無理はないように思います。森の上品さと狡いような色気、しっかりと重さを持った佇まいと何とはない頽廃の影を引くやるせなさを実際には私たちは小津の映画では見ることはありません。いつも生きることに儚げな森の姿を小津の映画に重ねたときに私がちょっと胸をつかれるような気になるのは、『東京物語』や『秋日和』で未亡人である原節子の、その現れることのない夫のことです。あの薄闇に引いた影のような存在が原自身の影と重なり合い(わずかにずれ)ながらいまもあって過去を現在にして生きている、あの永遠の夫こそ小津映画の森雅之なのかもとも思うのでした。

 

・小津安二郎監督『東京物語』松竹 1953年

 

・小津安二郎監督『秋日和』松竹 1960年

 

 

 

児玉清がまだ小玉清でクレジットされている例えば『夜の流れ』(川島雄三・成瀬巳喜男監督 東宝 1960年)などから見てきて、東宝のニューフェースであった若い頃の彼には如何にも都会育ちの鼻っ柱の強さが面差しに出ていて、芝居もいつまでも角が取れませんし、俳優という職業への矜持とそれにうまく収まりがつかない自意識がともすると不敵な印象になっています。この不敵さというのは児玉が役者として終生持っていたものだと思いますが、だんだんと持ち前の華やかさや落ち着きに包んでいって私たちに馴染み深い児玉清になります。この転機は勿論年齢ということもありますが、そういう時期にテレビに活動を移したことが大きいように見えます。映画に比べてはるかにダイレクトにお茶の間に届くテレビではどうしても役とともに役者本人のイメージが伝わってしまい、映画のようにすべて芝居、すべて役柄では通用しない難しさがあります。この難しさが(映画ではやや軽薄に見えた)児玉に親しみやすさと知的な落ち着きをまとわせます。クイズ番組で彼が発する「ご名答!」の合いの手も彼の年齢では知らぬもののない戦後のラジオ番組『話の泉』で和田信賢アナウンサーの名調子として親しまれたもので、こんなところにもテレビというものを見据えた児玉の細やかな演出が伺えます。まさに中年の転機です。

一分の隙もない紳士服に身を包み落ち着いた大人の物腰に柔和な笑みを浮かべて国産高級セダンの傍らに立っている、私たちが思い浮かべる二谷英明とはまさにこの姿。『特捜最前線』の神代警視正そのままの、寡黙にして中年男性の渋い包容力を馥郁と漂わせています。ん? しかるに日活時代は... ダンプガイ。初期の石原裕次郎を主人公にその敵役を演じる二谷は四角張った顔にまるで砂利の山に爪先を突き立てて猛然と蹴上がっているそんな全身に活力を漲らせた男です。『俺は待ってるぜ』(蔵原惟繕監督 1957年)のギャングや『紅の翼』(中平康監督 1958年)の殺し屋ではそれでもまだ服を着てますけど、『零戦黒雲一家』(舛田利雄監督1962年)なんてぷりっぷりっの白い半ズボンに胸をはだけたシャツ1枚、戦争に置き去りにされたような南洋の島のなかで気温以上に熱いものをたぎらせて燻っている兵曹ですもんね。日活のみならず東映に客演した『日本侠客伝 花と龍』(マキノ雅弘監督 1969年)でも恋心を踏みにじられた怒りに全身を震わせて主人公に挑みかかる男ですから映画における二谷はまさにダンプガイ、それが高級セダンの紳士になるにはやはりテレビという場が大きく働いたように思います。私が思い浮かべるのはホームドラマの『まんまる四角』、美人だけどやかまし屋の奥さんが京マチ子です。そのガミガミの下をのっそりとすり抜けていく柔和な旦那さんを二谷は演じていて、以降この柔和さがひとの抱く二谷のイメージになっていきます。やはりテレビというものをきちんと意識して自身の役者のイメージを変えていったわけです。

目の眩むようなその長大な役者人生を阪妻の肩車から始め(丸根賛太郎監督『狐の呉れた赤ん坊』大映 1945年)、日活で本格デビューする前に長谷川一夫(伊藤大輔監督『獅子の座』大映 1953年)とも田中絹代(『獅子の座』『山椒大夫』)とも共演しているんですからその華々しさたるや津川雅彦の面目躍如といったところです。それまでの澤村名義の子役から津川雅彦としてデビューすることになる中平康監督『狂った果実』(1956年 日活)では石原裕次郎の弟役で少年の繊細さが何かこの世を透かしながら立っているような陶然とした美少年ぶりです。ただここまでがあまりにひと並み外れた華々しさだけに、この頂点からするとずっとそれには及ばない不遇とも言えない不遇を長くかこつことになります。移籍した松竹でも更に東映や大映でもいまにも残る映画に出演しながら主役でもなく単なる脇でもない何とも中途半端な位置にぶら下がったままどんどん年齢ばかりを重ねていきます。やはり一番の理由は顔が綺麗すぎたということだと思います。あの美貌では気軽な役はつけられないし、主人公に据えると他との釣り合いも難しい、どうにもひとり浮いてしまいます。本人からしても芝居の重みと見た目の折り合いがつけにくく軽い芝居も重い芝居も見た目のよさには取ってつけたようで(そうそうあの、甲高くつっかえたような声も津川の印象をちぐはぐなものにしていてマキノ雅弘は何度か津川にどもりの役をさせていますが)60年代の津川の苦労が偲ばれます。挙句に中年とともに美少年の面影はどうにも浮世離れして色悪しかやりようがなくなります。70年代テレビで見る津川は女をたぶらかす小悪党やめかした服装をした何とも鼻持ちならないやつという役ばかりでどうにも行き詰まった感じがしたものです。しかしそこを開き直って小悪党の小ささや中年男の行き場のない狡さに役者としての立ち位置を開いていって、いまに続く津川雅彦が生まれるわけです。東陽一監督『マノン』(幻燈社 1981年)では掻き抱いた腕のなかで見通しのない関係にもがく若い女をほどくでもなくただただ女の体を弄びながら男自身そういう空虚にしか自分の居場所がないあの、津川雅彦はどうにも中年の男であってまさに『狂った果実』から二十五年掛かって自分の華やかさを吹っ切ったと言えましょうか。

 

舛田利雄監督『零戦黒雲一家』日活 1962年

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・中平康監督 『狂った果実』 日活 1956年

 

 

気持ち、ねぇ。

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小林正樹監督『日本の青春』(東宝 1968年)は遠藤周作『どっこいショ』が原作、題名からしても飄々と時代の政治にうそぶいているような狐狸庵先生ですが、そうだけに鋭い時代への眼差しがあったように思います。

主人公は年頃の青年らしく身に迫る政治意識に悩みながら理屈に走る左翼先生にも、武断の自衛官にもしっくりと来ない日々です。彼には片耳の悪い父がありますが、戦時中に学徒出陣であった父を制裁して耳を潰したのが恋人の父であることを知ります。一生の障害を背負わされた父を思って主人公は恋人の父に詰め寄ります。このときの彼の物言いが「どうしてくれる! 父の耳を返せ!」ではないんです、「父を殴ったときのあなたの気持ちが知りたい」なんです。気持ちが... 知りたい...?

これと同じような思いをさせられたのが今村昌平監督『人間蒸発』(ATG1967年)です。結婚を約束しながら蒸発した恋人を探す女性に密着しながら同時にそのドキュメンタリーの内側にも映画の視線を導入することでフィクションとドキュメンタリーの境界を裏返し続けるなかなか凝った手法が採られています。このなかでリポーターとして同行する露口茂に恋人が見つかったら彼に何て言いたいと聞かれて、理不尽に自分を捨てたその男にこの女性が言いたいのが「どうしてくれる! 私の青春を返せ!」ではないんです、「蒸発したときのあなたの気持ちが知りたい」なんです。やっぱり... 気持ちが... 知りたい... の?

『丸山眞男集』の月報だったか丸山が当時大学封鎖をしていた全共闘と団交に臨む話が出ていて、着座するや学生諸君が開口一番、「交渉などするつもりはない。自分たちの要求を呑むのは当たり前、問題はどういう気持ちでそれを呑むかだ」と言い放ってこれでは政治ではなく、宗教だと学生たちに失望していますが、あれれ、ここでも気持ちが(...知りたい...んだ?)。

それにしてもなぜ気持ちなんでしょう、ひとつ思うのは「どうしてくれる!」と詰るよりも相手の、(場合によって自分の)「気持ち」を問題にした方が何倍も倫理的に相手を責め立てられるということ。気持ちを持ち出された途端に、相手は倫理的に屈従するしかないところに置かれ、気持ちの前ではどんな事情も言い訳でしかなく、爪先から頭まで相手に服するしかなくなるということなんでしょう。気持ちはどうとでもなるものではなく、神聖にして犯すべからざるもの、言わば失った耳よりも、うっちゃられた女性自身よりも、政治的な交渉よりも上に置かれているわけです。

ただこの気持ち戦法、相手の倫理感を利用して自縄自縛に追い込むなかなかあざといやり口ですが、万能ではありません。冒頭の『日本の青春』に戻ってみましょう。父から聴覚を失わせた「気持ち」を持ち出して相手を締め上げようという主人公に恋人の父はこう言い放ちます、「それはお前の父親が無能だったからだ」。「気持ち」を持ち出す相手に「気持ち」で返してもどんどん相手の作る倫理の罠に嵌まるばかり、それを「無能だからだ」と切り返すことで倫理の呪縛を断ち切ってしまいます。逆にこのやり取りから透けて見えるのは、なぜ「気持ち」を持ち出すのかという持ち出す側の心理で、気持ちを持ち出すひとが恐れているのが
実はこの「無能」という言葉であるということです。それを相手に言わせないために「気持ち」を持ち出すという倒錯した心理戦。男に逃げられた女性も、高い理想を掲げた学生諸君も相手に自分たちが「無能だから」と言われるのを恐れている、そんな気持ちと無能の何重にも折り畳まれた戦いを、さすが狐狸庵先生、見抜いてらっしゃる。

 

 

ひとつ軽い

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映画でお馴染みの新劇の面々が語り合う『四人でしゃべった』(早川書房 1987.1)はまさに「しゃべった」の題名がぴったりの、話の身振り手振り、会話の「あれ」「それ」をそのまま文字に起こしたようなややざっかけない編集ですが、それもまた役者の息吹そのもの。その四人とは小沢栄太郎、信欣三、嵯峨善兵、松本克平。

小沢栄太郎、信欣三、嵯峨善兵についてはこれからも折に触れお話することになりましょうから、今回は何はともあれ松本克平を。と言っても私に松本を語る何ほどのものもないのですが、寧ろその何ほどもないところが(他の三人と比べても)何とも不思議ではあります。決して映画で見ない顔ではなく、刑事部屋の机を挟んで主人公と向かい合う署長であったり課長であったり、あるいは店の間口に人生を押し込んだようにむっつりしたカストリの親父だったり。

すぐに思い浮かぶのは木下恵介監督『女の園』(松竹 1954年)で押しつけられた結婚がいやさに女学校に無理して入った高峰秀子を連れ戻しにやって来る頑迷な父親です。これにしても小さな役で、映画における松本克平は滝沢修や小沢栄太郎どころか信欣三や嵯峨善兵に比べてもひとつ軽い扱いを受けている気がします。

(余談ですが、この『女の園』の父親、戦時中の女学生の勤労動員を描いた黒澤明監督『一番美しく』で娘が体調を崩したとの報せにもともと村から娘を出すことに気乗りがしていなかった父親が早速娘を連れ戻しにやって来て、この女生徒のやるせない思いがわかっている同級生たちに鼻先まで詰め寄られて退散するあの場面から多く引かれているような気がします。それはともあれ)

極めつけは深作欣二監督『風来坊探偵 岬を渡る黒い風』(ニュー東映1961年)で出てきたと思いきやろくろく顔も映らないうちに連れ去られ次の場面では死体になって海に浮かんでいました。何とも不思議です。

 

 

杉良太郎を少々

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もう随分前ですが、菅原文太、梅宮辰夫、山城新伍、それに松方弘樹がいたかどうか、(そのうちもう三人が亡くなってるんですね、ほんと淋しいかぎりですが)、テレビの番組で水割り片手に東映時代の思い出話になります。はばかりのあることも多いでしょうし、どっしりと落ち着いていますが菅原はバラエティ番組の常連でもありませんから、なかなか口が重いんです。その彼が役者のひとりに生意気なのがいて皆で〆ようとしたことがあったなと言い出します。あったあったと梅宮たちも笑っています。皆でのしちゃおうってことになって夜中にそいつを呼び出したら、そんなかの誰かがあいつはたしか空手の達人ですよって言い出して、わぁーって逃げたよな。番組では名前は出ませんでしたが、これを聞いていた視聴者は(まあ私がということですが)生意気というこの俳優に杉良太郎を思い浮かべたように思います。まあいまならばそれが待田京介だとわかるんですが。(だいたいこの話の時分は杉は日活ですものね。)ただ杉も殺陣に合気道を取り入れて容赦のない投げや足払いを見せていましたし生意気というところも何ともはや。ということで今回は杉良太郎を少々。

伊藤雄之助の『大根役者 初代文句いうの助』(朝日書店 1968.4)は業界の裏話を披露するような役者本とははっきり一線を画した芝居を巡る芸談であり、歌舞伎の世界からいびり出され蹴り出された苦難を役者として生き抜いていく一代記であり、本物でない芝居がまかり通っていることへの警世の書です。この本に杉の名前が出てきます。伊藤はテレビドラマでは(VTRですから)撮影が終わるとすぐに上のブースに駆け上りいま撮ったところを見せて貰って自分の芝居を必ず確認すると言います。誰もそんなことをしていなかったのが、伊藤の姿勢を見て翌日からは杉も一緒に上って確認するようになったと満更でもない口ぶりでしたから、まさに初代文句いうの助のおメガネに叶ったわけです。

長谷川一夫と杉の交際のことを知ったのは林成年の『父・長谷川一夫の大いなる遺産』(講談社 1985.7)のなかです。もともと林と杉が親友であったところに映画界から身を引いたあと舞台に活動を移していた長谷川が控えめに杉への助言を口にしたことで(杉もさっそくそれを自分の芝居に取り入れて)以降ふたりの間に真率な敬愛が生まれます。(まあどうでもいいことですが、林成年は大映の俳優でしたから大映の、とりわけ長谷川が大映にいた頃の映画にいくらでも出ているのに私が初めて彼を知ったのは大林宣彦監督の『廃市』です。死んだような水郷の町の、美しい姉妹(とは言っても根岸季衣と小林聡美ですがそれがまた世の中とは隔絶した旧家のリアリティを醸していて)その間でさ迷うのが姉の夫である峰岸徹。祭の素人歌舞伎に出た峰岸の横で同じく白粉を落としている風格のある壮年の男が林で、このもつれた恋愛と義理立てのことを勿論知りつつ形にならない悲嘆を呑み込んでいる感じが伝わります。この映画はのちに林海象などにも受け継がれたギャランティーの分配方式を採っていて出演料などを払わない代わりに上映がある度にその売上をスタッフ出演者にそれぞれ割り振られたパーセントで支払っていくというもので私が見たのもそんな小さな上映会のひとつでした。まあそれはともかく)長谷川一夫とのつながりを聞いて、私には役者としての杉の輪郭が浮かんできたように思いました。

杉良太郎にまつわる最後の話は内田良平『乙姫様の玉手箱』(潮出版社 1984.12)にあります。テレビの杉の当たり役のひとつ、遠山の金さんを舞台に移したお芝居に内田も出演しています。ただ内田は思わぬ病のために一度降板し、命に関わる大手術をしたあと復帰してきた体です。内田ですから根は善人だが世の中からあぶれてしまったような境遇にある役どころ、仮に無実の罪に問われているひとのその無実の目撃者であってもそうやすやすと奉行所に出向くのは憚りのある身。しかしそのひとのことを思うと根っこの善人がいても立ってもいられず、わが身を顧みずお白洲に駆け込んでくる。(と見てきたようなことを書いていますが役柄についてはまったく失念しておりまして、私の大幅な加筆です。)最後は桜吹雪で悪人をきりきり舞いさせて一見落着、そのあとのことです。白洲に控えている内田に向かってお奉行様が語りかけます、大病を乗り越えてよくぞここまで参ってくれた、遠山心より礼を申すぞと杉がアドリブで内田の復帰をねぎらい満場の拍手が内田に送られます。そのことをいまふたたび書く内田の筆も杉への感謝に溢れていましたが、内田良平を大いに贔屓にする私としても杉の思いやりに思わず手を合わせたくなったひとくさりでありました。

 

 

 

 

80年代の光。

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胡乱な話ついでに、では80年代の光はどうだろうというのが今回のお話です。神代辰巳監督『ミスター・ミセス・ミス・ロンリー』は原田美枝子が制作、原案、脚本に名を連ねて三国連太郎、原田芳雄、宇崎竜童を相手に主演をこなしたATG作品ですが、あれが1980年。同じ年に神代辰巳は『少女娼婦 けものみち』も撮っています。中年にさしかかった内田裕也が大人びてしかし手のなかで打ち砕いてしまいそうな少女と出会ったがために、何もかもを見透かすようであり同時に盲目のように何も見ていないような少女の佇まいに心も体も離れがたくなっていくまさに題名のままの映画ですが、当時にっかつロマンポルノに時折顔を出す山谷初男が托鉢僧となって白波を蹴立てる浜を行くところ海が烟るほどの荒れようながらむらむらと晴れ渡ったその光が何かあっけらかんとそこにあって(その何もなさ、ぺらっぺらの明るい透けるような薄っぺらさに)突然映画のなかで80年代が始まったという気がしたものです。

そして『ミスター・ミセス・ミス・ロンリー』で(いま見てもうまい題名をつけたものですが)、しくじりをした宇崎竜童を(それまでにもさんざんっぱら傷めつけてもう宇崎は血反吐に蹲っていますが)オフィスビルに入ったスポーツジムで彼のパトロンである名古屋章は歯噛みするばかりに怒りがおさまらず、しくじったことよりも女と暮らしていたその裏切りにぷるぷると震えているそういう役で、手下のふたりに(ひとりが草野大悟ですがもうひとりは誰だったか記憶の薄闇に消えていますが)さらに制裁を加えるように言いつける、そのときの名古屋たちの背後で差し込んでいる光に私は80年代の光を見たように思います。ぽっかりと何もなく、そこにあって、色や光ではなくただ明るさが本質であるような、そういう光。(まったく、胡乱な話ですが。)

この光がやがて相米慎二監督『台風クラブ』(ディレクターズ・カンパニー 1985年)の、台風一過に夜明かしした興奮で思わず校舎から飛び降りてぬかるみに突き刺さった生徒をたおやかに照らすあの朝日になるんでしょうし、大林宣彦監督『さびしんぼう』(東宝 1984年)では主人公のカメラ少年が青春のアチャラカのような毎日からふいに遠ざかって小さな港町を見下ろすひとりぼっちの冬の日なたになるのでしょう。そして森崎東監督『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(キノシタ映画 1985年)の、当時の言い方だとジャパゆきさんのフィリピン人女性に彼女たちのひとりと恋仲だった(これまた当時の言い方だと)原発ジプシー、それに学校の先生から身を持ち崩していまではヌードダンサーの箱持ちをしている男などそういう原発の町に掃き寄せられた人間たちを詰め込んでフィリピンへと密航を企てた船が船長である殿山泰司の、フィリピンに着いたという号令にわれ先にと船底から這い出して見る、海原の先に広がっている自由なるフィリピン、と思ったものが進路をどう間違えたのか東京湾のど真ん中で、ぽっかりと開けた海のとも空のともつかない光に揺られている、あの光もまた ... いやはや胡乱に胡乱を重ねるお話でございました。

・神代辰巳監督『ミスター・ミセス・ミス・ロンリー』ATG 1980年

 

・相米慎二監督『台風クラブ』ディレクターズ・カンパニー 1985年

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・大林宣彦監督『さびしんぼう』東宝 1984年

 

・森崎東監督『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』キノシタ映画 1985年

 

 

 

 

 

 

 

70年代の光

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さて70年代も随分と遠いことになってしまいましたが、しょっぱなから胡乱なことを申しますと、映画のなかに70年代の光を感じることがあります。勿論フィルムメーカー毎の発色剤や現像方式などを厳密に追った上でのことではありませんから、単にそう見えるというだけのことなんですが。例えばこってりとした赤の発色が気に入ってアグファのフィルムを使っていた小津安二郎のカラー映画には光よりも色を感じます。卓上から佐分利信に詰め寄ってくる山本富士子にしても、土手を歩きながら巧みにおならを出してみせる子供たちの風景にしても、愛人のところに行きたさで孫と気もそぞろなキャッチボールをやっている鴈治郎の昼日中にしても、光の透明さではなく色のビロードのような厚みにうっとりさせられます。

これはアグファに限らず60年代ぐらいまでの日本映画ではある程度共通しているように見えます。山本薩夫監督『赤い陣羽織』(松竹 1958年)は代官が百姓の妻に懸想し彼女を我がものにしようとして引き起こされる喜劇ですが、先代の勘三郎扮する代官が日毎思い浮かべては胸を掻きむしられるその女が有馬稲子です。このカラーフィルムに映し出された有馬の姿には肉体の重みすら感じさせるふくよかな神々しさがまとわれていて代官がそうなるのも宜なるかなという感じなのです。モノクロフィルム時代の<光>による映像のはかなさ、薄さとは一転してこの初期カラーフィルムの<色>による映像には描かれたもののような稠密さが何か神話のようなくりくりとした生命力を喚起してひとりの女優の身の丈をはるかに越えた魅力が画面に拡がっています。

そのカラーフィルムが70年代に再び<光>を映し出すようになる、カラーフィルムが70年代の光を捉えるようになるというのが私の素朴な感想なのですが、どの作品に最初にそれを感じたのか、神代辰巳監督『宵待草』(日活 1974年)、斎藤耕一監督『旅の重さ』(松竹 1972年)、須川栄三監督『野獣狩り』(東宝 1973年)、中平康監督『変奏曲』(中平プロ=ATG 1976年) .... よく覚えていませんが、このことを考えるときにまざまざと思い浮かべるのは、斎藤耕一監督『無宿』(勝プロ 1974年)です。任侠映画から次の役柄を模索していた当時の高倉健をあえて昔の<健さん>そのままの役柄に嵌め込んで、そういう渡世の義理にがんじがらめになった男の周りをお調子者の勝新太郎がまとわりつく。道をはずれた男たちが或いは人生をやり直せる、そういう夢をひと知れぬ海辺に追いかけてやがて現実に追いつかれるのですが(まあ言わずともお察しの通りロベール・アンリコ監督『冒険者たち』(フランス 1967年)の翻案で)、心ならずも高倉健が安藤昇の命を奪うときのあの木漏れ日にしても、若葉の照り返る勝との道々にしても、まるで夢の場所のように開けた入江の白い浜にしても、色が透明度を上げて場所の息遣いのような光を捉えています。いやはや胡乱な話でございました。

斎藤耕一監督『無宿』勝プロ 1974年