[ お話は 前回 から引き続いて ]

 

ヴィンセント・ミネリ バンド・ワゴン ブキャナン アステア ファブレー オスカー・レヴ

 

ジョージ・ガーシュインの親友にしてアーノルド・シェーンベルクの直弟子なんて20世紀の音楽史を(勿論音楽家として)生き抜くには申し分のない経歴でしょう、そんなひとも羨むピアニストがいま私の目の前をフレッド・アステア、ジャック・ブキャナン、ナネット・ファブレーといった名うての芸達者に挟まれて景気よく踊り猛っております、ヴィンセント・ミネリ監督『バンド・ワゴン』(アメリカ 1953年)です。アステアはかつては名を轟かせたブロードウェイの寵児でしたのに吹き荒ぶ風は彼を過去に追いやって(顔でこそ余裕綽々ですが)実のところ崖っぷち、その彼をふたたびロングラン札止めの第一線へ返り咲かせようと目論むのがファブレーとそう、オスカー・レヴァントです。ミュージカル映画というのは劇場の絢爛さに学びつつ映像表現としての可能性を思う存分切り開いてまさに華と吹き綻んだのは30年代から40年代半ば、しかるに映画会社の経営がだんだんと左前になるに従って湯水のように製作費を注ぎ込むミュージカル映画は嫌がられて... 50年代以降作られるミュージカル映画というのは言えば歌って踊る歌謡映画ですものね。そういう激しい引き潮に自ら波の只中に立ってミュージカル映画の王道を示さんと格闘していたのが本作のプロデューサーであるアーサー・フリードで彼の膝下で脚本から劇中歌の作詞まで二人三脚の健筆を奮っていたアドルフ・グリーンとベティ・コムデンをそっくり引き写してレヴァントとファブレーの本作での奮闘ぶりです。彼らを夫婦という設定にしたのは物語に収めやすいからか(夫婦以上に長きに渡ったふたりの共同作業をからかった)洒落なのか、ともあれミュージカル製作の裏側から(失敗と挫折に一度は重く閉じ込められながらやがて高まる人気にそれを喰い破って)檜舞台の喝采へと昇っていきます。そもそもオケと共演できるようなピアニストですからレヴァントの役は自ずと音楽家が多くなります。『ユーモレスク』(ジーン・ネグレスコ監督 1946年)では素朴な境遇のなかでヴァイオリンへの熱情に目覚めていく主人公に寄り添う巷のピアノの先生ですし、『巴里のアメリカ人』(ヴィセント・ミネリ監督 1951年)でもジーン・ケリーを見守る作曲家です。かの作では畏友ガーシュインのピアノ協奏曲をフルオーケストラを従えて演奏して(ただ...  作中ではこれは彼が気怠く吐き出す紫煙の彼方に見る夢でして)まさにレヴァントの本文たる姿にこちらが畏まるのも束の間見れば指揮棒を振るのも彼、やがて五重奏のヴァイオリン奏者が五人とも彼で、木琴も彼(ここでも見事なマレット捌きを披露して)、ティンパニーも彼、挙句に喝采にひと際声高に立ち上がる聴衆までが彼なんですから澄ました顔でそんなアチャラカをやっております。

 

 

 

 

 

さてオスカー・レヴァントに分け入る前に折角ですから彼の先生から語り始めてみましょう、そうです長いヨーロッパの調性音楽をひっくり返して和音を構成する中心的な音階を解放したあのいかめしい十二音技法のシェーンベルクとわれらがハリウッドとの関わりです(オットー・フリードリック『ハリウッド帝国の興亡』文藝春秋 1994.04)。当時MGMにはまだ<ラスト・タイクーン>のアーヴィン・タルバーグが存命中でこの辣腕の映画製作者はアメリカに亡命していたシェーンベルクを映画音楽に引き入れることを思い立ちます。(まあ同じく亡命したジャン・ルノワールに<とりあえず西部劇でも撮らせよう>と考えるハリウッドの面々ですから、その名を知られたヨーロッパの作曲家にミュージカルナンバーのひとつでも作らせようとひらめいたからと言って何ら不思議はありません。)<二時に撮影所に来られたし>、ビジネスレターのこの簡素な言い廻しを見てシェーンベルクの無調的精神が沸騰します、<ウィーンにあれば皇帝フランツ・ヨーゼフでさえも私には<貴殿のご来駕を賜りたく>であるぞ!>。こういうことについては(無調どころか)まったく19世紀的な気位のなかにあるシェーンベルクにアメリカでは外交文書でしか使わないような最上級の敬語に書き直して撮影所への御越しを乞います。当日も粗相のないように早くからお待ちしておるタルバーグですが約束の時間を過ぎても待てど暮らせど閣下がやって参りません。痺れを切らして方々に連絡を入れると何とシェーンベルクは時間通りに撮影所に辿り着きながら門のところに集合していたスタジオ見学ツアーの一行に紛れ込んでしまっていることが判明。しかるに閣下に置かせられましては自分が撮影所に参るや多数のお付きの者たちで出迎えて(どうもこの辺り国王や王妃が離宮などを散策するのに道化や侍女があまたさぶらうのを思い描いたらしく)撮影所の隅々まで案内しようというMGMの心尽くしに甚だ感じ入りご満悦で見学ツアーを続けたとか。そのシェーンベルクの許でピアノ協奏曲を書き上げたオスカー・レヴァントです。融通の利かない堅物の師匠ですが弟子のことになると優しい気遣いを綻ばせて如何にしてこの曲を世に出してやるか一計を案じます。ちょうどロサンジェルス交響楽団の指揮者に就任していたオットー・クレンペラーに聞かせることを思い立ちパーティでクレンペラーが同席した折さりげなくレヴァントをピアノへ誘います、<どうだろう、お聞かせしては?>。この師匠の計らいに重々感謝しその目論見を重々理解しながら、ピアノについたレヴァントは自分の曲を弾く代わりに(何故こんなことをしているのか自分にもわからないまま)<アイルランドの瞳が微笑む時>という流行歌をクレンペラーにたっぷり弾き語ってしまって... 挙句に20世紀にその名を刻むこの偉大な指揮者に<ベートーベンは... お好きですか>と質問していま思い返しても自分で自分に戸惑うこの夜の振る舞いです。最高の結果が目の前にぶら下がるや(あとはそれをそっともぎ取るだけでいいのに)ドン・キホーテ的な突進に身を委ねずにはおけないとは何と愛らしいこと。

 

 

 

さて私の愛するレヴァントの一本となりますとハワード・ホークス監督「赤い酋長の身代金」でしょうか。ジョン・スタインベックを導き手にO・ヘンリーのよく知られた短編をそれぞれ監督と俳優を組み合わせて織り成した『人生模様』(1953年)の一編でしてフレッド・アレンを相棒に株の不正転売によっていまでは全国に指名手配を受けるふたり組がオスカー・レヴァントです。都会育ちで身なりこそ紳士ですがこんな片田舎に参りましたのもここいらで目鼻の立つ金を手に入れようと子供の誘拐を思い立ったからでしてアレンは2回、レヴァントに及んでは6回も刑務所に出入りしながら一向に懲りない男たちです。しかしそれ以上に世の中には上には上がいることをまだ知らないとんだ世間知らずでこれから一昼夜かけてそのことを嫌と言うほど思い知らされるわけです。子供と言いましても手の掛かるほど幼すぎては困りますし成長しすぎていては捕らえておくのに骨が折れます、手頃な幼さの上に田舎にあっても親はそれなりの金満家でなければ身代金の額が見合いませんからさて慎重に見極めてこれぞというひとりを後ろから袋詰めにして連れ去ります。その一部始終をたまたま窓から母親が見掛けていますが別段驚く様子もなく(まるで何度も読んだ雑誌を捲るように結末までの気怠いなりゆきにあくびさえ出す始末で)この辺りから彼らふたりの運命は自分たちではどうしようもできない傾斜に追いやられてあとは必死でその坂にしがみついておくしか... 被せた袋を引っ剥がすと泣くでも喚くでもなくいやに落ち着き払った子供がこちらを見据えていて(というよりこの袋を剥いだ瞬間にひとつの悪夢が子供の形で生まれ落ちたという感じで)彼こそ題名の<赤い酋長>そのひとでして身代金を受け取るまでと呪文のように(やがてふたりして独り言のように)繰り返しながら酋長に乗っ取られた夜に呑み込まれていきます。しかも結末にはこの酋長すら出し抜き更に一枚上手にお尻の毛まで脱毛です。フレッド・アレンもレビューに身を置く古株の芸達者ですが彼と手に手を携えてオスカー・レヴァントのまさに芸は身を助く男一代でございます。

 

 

 

ヴィンセント・ミネリ 巴里のアメリカ人 オスカー・レヴァント

 

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『 こけさんの、なま煮えなま焼けなま齧り 』 五十女こけ


新婚道中記
  監督 : レオ・マッケリー
  製作 : アメリカ

  作年 : 1937年
  出演 : アイリーン・ダン / ケイリー・グラント / セシル・カニンガム / ラルフ・ベラミー

 

 

レオ・マッケリー 新婚道中記 ケイリー・グラント アイリーン・ダン


1930年代も半ば(現実のアメリカは矢継ぎ早のニューディール政策に横たわった重い巨体が何とか寝返りを打つか打たないかというところでふたたび景気後退に沈み込みあとは戦争に期待するしかないそんなきな臭い下り坂を前にして)ハリウッド映画には貧困の一文字たりとも浮かぶことなく大理石の列柱が天を持ち上げるような大広間で遠く過ぎ去った20年代をいまも満喫しているかのような映画が作られ続けて...  まあ本作はそんな一作ではあるわけです。(毎夜の空襲でベルリンを穴ぼこだらけにされてナチスドイツ崩壊も秒読みに入りながらゲッベルス率いるウーファが尚戦争どころか食料窮乏の影ひとつない、テーブルには肉でもハムでも生野菜でもふんだんに溢れ返ったドタバタ喜劇を作り続けたことはそうナチスの狂信にだけ帰すべきことなのかどうか大いに迷うところです。映画という鏡に現実を映すことを忌避するのは何もファシズムに限らず自由を掲げる国にあっても同様であって寧ろウィリアム・A・ウェルマン(『飢ゆるアメリカ』)やジョン・フォード(『怒りの葡萄』)のような気骨こそ例外なのでしょう。)冒頭から瀟洒なスポーツクラブには暇を持て余して(スカッシュやパーティ、ダンスホールに時間の果汁を滴らせて)黄金色の湯舟に人生を浮かべているような青年たちが行き交い、主人公の目下の悩みも奥さんにはフロリダ旅行と告げたこの数日の証拠づくりに日焼け機械で(いやあ戦前にもあるものです、野太い電気スタンドのような専用機械でコーディネーターが一度には15分だけと忠告するのも何のその)せっせと肌を焼いております、一体どこで何をしていたものやら。そうやってしっかり肌にフロリダ土産を刻んで帰宅しますと妻は昨夜から留守だとか、豪華な居間が侘びしくそそり立って胸騒ぎに落ち着きません。程なく帰宅はしたものの、追い打ちをかけるようによもやの男連れ、聞けば昨日この歌の先生と出掛けた帰り車の故障に立ち往生してやむなく安宿に一夜を取ったと言って言い淀むでなし淀みがないから嘘偽りがないとも言えまたそうでないとも言えて...  ともかくあっけらんとしているだけに腹が立ちます。しかしなじろうにもフロリダ行きの嘘など妻にはとっくに見破られていてお互い覇気が上がらないまま振り上げた拳にしがみつくうちあれよあれよと離婚が決まります。法的に確定するまでには90日間の猶予がありますが自分と相手の気持ちはいまや両手に別々の玉となってひとつを手に取ればひとつは宙を舞っていてこの手にふたたびひとつになる日は来るものかどうか。さて本作の監督であるレオ・マッケリーにはマッケリーの、時代との戦いがありましてというのもこの30年代半ばすっかり箍が外れていたヘイズ・コードが強力に絞め直されると夫婦であっても男女の同衾は以ての外です。新婚でしかも縒りを戻そうという男女にもベッドはふたつ寒々と横たわっていてこのご禁制の暗い河をマッケリーは如何に渡らせるか、奇しくも同じ年海を隔てた小津安二郎もまた妻の寝所へ通じる薄闇を夫に行ったり来たりさせて(『淑女は何を忘れたか』松竹 1937年)戦争の時代を前に今宵限りは甘い夜を。

 

 

 

 

 

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『 こけさんの、なま煮えなま焼けなま齧り 』 五十女こけ


ジョン・キャロル・リンチ監督『ラッキー』(アメリカ 2017年)で主人公は若かりし日の自分の判断を悔やむ齢九十のいまです。彼の傍らには大型のテレビがいまもその後悔をまざまざと映し出していてめくるめく煌めきを夢幻に瞬かせながら愛らしい笑顔で語りかけてきます。演奏家ながら指には何か愛の重い拘束のように付けられるだけの指輪がひしめき宝石をあしらったスパンコールの燕尾服に彩られて宮廷から持ち出したような燭台がピアノの上でこの夜の華麗さを灯しています。始まった演奏はクラシックからポップス、ミュージカル、ブギウギ、ジャズを駆け巡りあるときは荘厳に歌い上げあるときは観客の微笑みの間を渡っていって(まあテオドール・アドルノが卒倒しそうな)ヨーロッパ的な音楽の素養とアメリカ文化が心地いいそよ風となって(ときには会場一丸の掛け声が音楽を突き上げながら見事に)混じり合っています。ラッキーは言います、演奏を聴くなり彼を天才だと思いながらなぜ自分は彼がゲイであることに拘ってその才能を受け入れなかったのか、性的な嗜好なんてそのひとだけのものなのに... テレビの向こうの演奏家が異性を愛そうが同性を恋人にしようが彼の才能を愛することからしたらどうでもいいことです。会場を埋め尽くす紳士淑女のさんざめく笑顔を見てもそのひとリベラーチェが生み出す芸術と娯楽の二輪の花がどれだけひとびとの心に生きる喜びを煌めかせているかわかります。彼自身は残念なことに30年も前に亡くなりますが彼の演奏も彼の笑顔も彼の築き上げた美意識と寛ぎのショーもひとびとをいまも魅了してこの時間を越えた喜びの輝きにいまや死を(というか死を逃れ難く感じるその反射に自分が生きていることを)強く意識せずにはいられないラッキーをあの悔悛に誘うわけです。因みにそのリベラーチェの友人のひとりがエルビスでして若いときの、弾けるような肉体と甘く不敵な笑顔でアメリカ全土を照らすようだった彼が人気と(何より)体型を崩していった後年に衣装を派手にするのもリベラーチェの影響だとか。耳が隠れるほどの立衿に金鎖の縁飾り、散りばめられた赤青金の宝飾が体を揺するたびに流星のように瞬いて首からは白いストールが瀑布となって垂らされて...  例え動けば暴れるような豊かな胴廻りにひと足ごとにベルトをずり上げていてもスーパースターの風格を衣装が見事に受け止めていますよ。その通り今回は映画のなかに多芸で生きたひとたちを見るというお話です。

 

リベラーチェ Liberace

 

 

 

ヴァイオリンを小脇に燕尾服で現れては聴衆を前にはにかむその殊勝さが何ともあやしいところです。案の定調弦に音を所望してAを叩くピアニストに微妙にずれた音程で応えては(鮮やかな満足ぶりで<That's close enough>と)澄ましておりますよ、そうです、ジャック・ベニーの音楽コントの始まりです。伴奏に伴われて弾き始めても実際のメロディからそっ返った音程を上に行ったり下に行ったりして聴衆ももぞもぞとほくそ笑まずにいられません。円熟の落ち着いた演奏家のふりをしてただの下手の横好きというのがベニーの笑いの線でして得意のひとつがメンデルスゾーン『ヴァイオリン協奏曲 第一番』の、悩ましく哀感をそそる旋律を鴉が絞め殺されるようなかぎ裂きの高音で弾くというものでヴァイオリンが引き付けを起こしたようにつんざくなかをひとり心地よさそうに演奏に酔いしれるベニーです。勿論普通に弾けば堅実な演奏家でして、ベティ・デイヴィスの肝煎りで戦中に兵隊向けの慰安施設として開かれていた<ハリウッド・キャンティーン>を舞台にまさにアメリカ版慰問袋といった趣きのデルマー・デイヴィス監督『ハリウッド玉手箱』(1944年)は映画界の老若男女がカメオ、一芸と引きも切らず、ベニーも見事な演奏を披露します。いつもの調弦の遣り取りで聴衆をくすぐると今宵は何とヨゼフ・シゲティと共演して丁々発止のヴァイオリン演奏を繰り広げます。祖国ハンガリーを思えば亡命先のアメリカで国策映画に協力するのもシゲティの志でしょうがそれにしても日頃いかめしいクラシック界にあって果敢にエンターテインメントに足を踏み入れるなど微笑ましい限りです。

 

 

 

戦後ではアイザック・スターンがジャック・ベニーを相手に幾度もコントで渡り合い一度などスターンご自慢のストラディバリウスをしげしげと眺めるベニーは楽器の胴に書き込まれた数字を見つけて、しめしめ中古楽器店で書き殴られた価格だと<1728 dollars!>と喜ぶのを即座に<years!>と訂正するスターンです。テレビの冠番組だった『ジャック・ベニー・プログラム』では日頃からヴァイオリンの練習の余念のないベニーが(言わずもがないつものかぎ裂きの引き付け演奏ながらご本人はそうとは思わず)自らの練習のさまを録音することを思い立ちます。しかるに録音された実際を聴くと(まあ私たちが耳にしてきたままの)そのひどいありさまに打ちひしがれるベニーです。見かねて執事のロチェスターが一計を案じて何と納戸にスターンを忍ばせるとベニーの練習に合わせて演奏してもらいそちらを録音してしまおうというのです。いやがるベニーをおだてすかして何とか練習させると更にいやがるその録音を聞かせるや前とは打って変わった見事な演奏が響き渡ります(そりゃそうです、アイザック・スターンの演奏なんですから)。これで少しは元気になるどころか以前に倍する自信に勇み立ってこれを(つまり演奏しているときにはひどい出来だが録音するとあら不思議、卓絶した仕上がりになっているという)名づけて<ジャック・ベニーの魔法のヴァイオリン>としてレコード会社に売り込むというのです。すっかり有頂天ですからすぐにもスタジオに押し掛けて訝しむプロデューサや録音技師たちを尻目に説明もそこそこ早速演奏を始めます。計器を振り切るような金切りの音色に皆々総毛立ち頭を抱えますとますます気をよくして、ところが録音されたものを聞けばまるでアイザック・スターンのような名演に早変わりとほくほくで視聴を促すと巨大なスピーカーから流れ出すのは喰いつかんばかりの刺々しいヴァイオリンの絶叫... 魔法はどこへやら、呆れるのを通り越して怒りに奮えるスタジオの面々に蹴り出されて初めてロチェスターの企みに気づくという次第です。それにしてもアイザック・スターンの何ときさくなこと。


アイザック・スターン Isaac Stern ジャック・ベニー Jack Benny

 


さてジャック・ベニーの映画と言えばエルンスト・ルビッチ監督『生きるべきか死ぬべきか』(1942年)ということになりましょうか。妻の美貌と(若い男の心を甘くなぞるような)浮気心はとても夫の手には収まらず小さな劇団でハムレットを演じながらも気もそぞろなジャック・ベニーです。ナチスの手に落ちた故国ポーランドではわずかに地下に命脈を保った抵抗組織が一縷の望み、しかしそれも二重スパイによって組織の全容がナチスに手渡される一刻を争う危機に(まあ背に腹は変えられず)このハムレット役者を替え玉にして二重スパイをおびき寄せる賭けに出ます。蹴り出した小さな石が生み出す波紋はやがてゲシュタポ全体に延いては総統の面前にまで拡がっていってもはや引き返すことのできない命がけの芝居を続けていくしかありません。ゲシュタポで鬼と恐れられる大佐がシグ・ルーマンでおわかりの通りとんだお調子者ですがそうだけに裏返すと薄いカミソリ刃のような冷酷が透けて見えてベニーの綱渡りも彼に追い詰められていきます。チャップリンの『独裁者』(1940年)が喜劇の向こうに高らかな人類知を駆け上っていったとするなら本作は喜劇を喜劇のまま突っ切って暴力に飽くまでユーモアで対峙してみせるルビッチの気骨が漲っています。同じ時期ナチスと或いは直接にヒトラーと対決する諜報員の活躍を描いた国策映画はいくつも作られますがそういう銃弾と暴力には暴力という時局の血が騒ぐ仕立てに比べて本作の評判は惨憺たるものだったらしく(ポール・ヴィリリオ『戦争と映画』平凡社 1999.7.15)ベニー自身これを自分の代表作と見做していたかどうか、ともあれ不寛容に対する寛容であることの戦い方を示して21世紀のこの手に残されたわけです。

 

 

 

 

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「 映画(20と)ひとつ、矢崎仁司監督『ストロベリーショートケイクス』 」

 

 


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映画(20と)ひとつ、矢崎仁司監督『ストロベリーショートケイクス』
  監督 : 矢崎仁司

  製作 : 日本
  作年 : 2005年
  出演 : 池脇千鶴 / 中村優子 / 岩瀬塔子 / 中越典子 / 安藤政信 / 村杉蝉之介

 


矢崎仁司 ストロベリーショートケイクス 中越典子 岩瀬塔子(魚喃キリコ)


漫画というのは(まあ全く見識のない私の思うところではありますが)いくら長編の物語であっても散文というよりもやはり詩に近い感じがします、それはコマを割るということ、そのコマの間を飛び、紙面を大きく飛び廻ることでリズム(と跳躍)が大きく世界を刻んでいて... 原作は魚喃キリコの漫画です。4人いる女性たちにあっておそらく本人を大きく反映させた役で原作者も出演していて彼女はすでに一定の評価を得ているイラストレータです。そうだけに注文もあっちに振られこっちに振られるその振幅に渾身で応えながら実際は来る日も来る日も白い紙の上で形のない形を何とかものにしようともがき過食と嘔吐を繰り返しながらそう、それは心の底から泣くことも笑うこともできないまま食べては吐いて何とか心を自分のなかに留めていてそうやってまたひとつ作品を仕上げたところで何かあればたかがイラストという出版人の本音にずたぼろにされます。美貌に聞こえた魚喃ですから女優たちの間にあって見劣りすることはありませんがやはり本職とは別口の美人であって(東陽一監督『四季奈津子』の阿木燿子を思い浮かべていただいたらいいかと...)作品に(何かべっとりと広がる)重い浮遊感を与えています。まあ胡乱な話を引き伸ばすのも気が引けますが同じくカットを割ると言っても漫画は映画よりも文章表現に近いように思います、視覚表現ではありますがどんな緻密に描き込んでも映画のひとコマに詰め込まれる情報量に漫画は遠く及びません。基本的に漫画は焦点化と(余白を適当に残す)曖昧さの表現であってこれは言葉の技法と同じです。それに比べるとキャメラとフィルム(或いは撮像素子)が映し出す克明さは主人公の見える限りの肌理の肌理まで、同じ緻密さで背後の椅子、壁、それに掛かった絵まで捉えて... いやあおかしいのは映画の方であってとてもあの映写速度では読み取れるはずのない情報を満載して流れ流れてゆく不思議な芸術です。私が本作でもっとも漫画的な溌溂さを感じるのは4人のひとり池脇千鶴が夜の煙草の自販機の前で隕石を拾う件で(まあ隕石というのも道路にぽつねんと落ちていて何か訴えかけるように押し黙ったその風情に思わず天を見上げたからですが)それ以降部屋の一画で小さなおざぶに鎮座してお灯明も上げられます。そうです、彼女にすれば石を神様に何ごとにつけお祈りせずにはいられません、職業はデリヘル事務所の電話番でそこが即ち女性たちの待機部屋でもあれば性とお金が交差してさまざまに揉み合う人間の心のさまを見ることになります。さて残るヒロインのふたりはその同じ事務所で男の待つ場所に出向く体を商品に生きる女性がひとり(彼女の客がまた多士済々でして小説家よりも演劇人であった頃の戌井昭人を皮取りに高取英、傑作は保坂和志で三島由紀夫ばりに構えこそ豪胆ですが自分で自分の芝居の裾を踏みはしまいかと見ている方がハラハラさせられて)、あとひとりはOLのいまを少しでも結婚へと(ちょうど式のときに放たれる鳩のように)飛び立ちたいと願っては(そこを男からは見透かされ気づけば何らデリヘル嬢と変わらない扱いを受けつつも)健気に望みを抱き続けて... それぞれが女であることの過酷さを生き抜くその向こうに差し込む日差しの、何と朗らかなこと。

 

 

 

 

矢崎仁司 ストロベリーショートケイクス 池脇千鶴

 

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「 あるメキシコ人俳優の終わり 」

 

 

 

 


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『 こけさんの、なま煮えなま焼けなま齧り 』 五十女こけ


いやあ聞き届けてもらうまでは監督にむしゃぶりついてでもその俳優の懇願が続きます、彼の言うところを聞いてみましょう。こう見えてもメキシコでは私は英雄なんです、メキシコの観客が許さないんです、英雄である私があんな終わりを迎えるなんて、どうか願いを聞き入れて考えて直して下さい、メキシコの英雄が砂漠で野垂れ死んで狼に食べられちゃうだなんて、せめて狼だけは何とかパピー、お願いです。(勿論見たわけではありませんけど膝を折ったまま逃げる相手に追いすがって懇願に突き上げる両手の握り拳を震わせる彼の姿が目に浮かぶようで... )しかるにそんなことで心を動かされる相手ではありません、というか世にあまた書き残された彼の性格にしましたらこんな懇願をされればされるほど聞いてやろうという気持ちを吹き飛ばすとんだひねくれ具合です。案の定メキシコの英雄の哀訴も一顧だにされることなく蹴散らされて程なく彼はいつ果てるともない砂漠をさ迷った挙句に体を絞り上げる水への渇望に堪りかねて拳銃で自らを撃つと狼たちが遠吠えする宵闇のなかに命を落とします、そうジョン・フォード監督『三人の名付親』(アメリカ 1949年)です。ただこれはどう見てもフォードの信念の方が正解で日頃私たちが抱いている自分の生命の絶対さがひとたび自然の只中に置き去られた途端に人間もまた食べられる肉の生き物であるという原初のおののきが呼び起こされて人間と自然と神が大きな希求(と絶望)で密着する感覚があのペドロ・アルメンダリスの終わりに広がっていきます。(因みに本作での抜擢を皮切りにハリー・ケリー・ジュニアがフォード組に参加することになりますが、彼の映画デビューはそれに先んじるハワード・ホークス監督『赤い河』(1948年)で主演は同じくジョン・ウェイン。憧れのハリー・ケリーの息子と初めて絡む場面で撮影を止めるホークスです、ウェインに役の念を押します。君は彼、つまりハリー・ケリー・ジュニアに好感を持ってはいるが非情な男なんだぜ、笑顔は駄目だよ。笑ってません。いや、笑っていたよ。それは... 彼がいい芝居をしているのが嬉しいからだと思います(ハリー・ケリー・ジュニア『ジョン・フォードの旗の下に』筑摩書房 1997.6)。ジョン・ウェインとはまあそういう男なんでしょう。)

 

 

 

 

 

ペドロ・アルメンダリスにしてもギルバート・ローランドにしてもドローレス・デル・リオにしても(彼ら同様にその名を世界に轟かせるマリア・フェリックスは英語を面倒がったのとともすると自分のような女優を<インディアン娘>に仕立てたがる底意を見透かして確かハリウッドでの仕事はありませんが... )ラモン・ノヴァロもメキシコ映画初期のスターであるアンドレア・パルマのいとこなわけですから思うことはメキシコ人俳優のハリウッドでの浸透の早さと広がりでしてその謎を解いてくれるのが野谷文昭『メキシコの美の巨星たち その多彩でユニークな世界』(東京堂出版 2011.4)です。メキシコ革命は1910年代に為されますが時を同じくしてアメリカでは映画が自動車や製鉄、鉄道に並ぶ一大産業へと勃興して勿論当時はサイレント映画ですから台詞に言語の縛りがなく日本を含めて非英語圏からの俳優の進出を助けると同時に台詞は字幕や弁士に委ねてハリウッド映画をそのまま非英語圏へ輸出できます。ところがスペイン語圏向けなどにはその国向きの俳優に入れ替えて吹替版を作っておりましてそこにメキシコ人俳優の需要があったわけです。このことは同じくハリウッドに地歩を固めても日本人や中国人が敵役と悪女に押し込められていたのと違って曲りなりにも主人公やヒロインを演じる道を開いてそれこそノヴァロのようにハリウッドのトップスターになるようなメキシコ人も現れます。更にアメリカ、メキシコ間の上げ潮になったのが第二次世界大戦でスペインを旧宗主国とする南米各国がファシズム陣営に加担するなかメキシコは唯一連合軍として参戦、そのことを広く喧伝したいアメリカからは国内の映画産業へ惜しみない協力が降り注がれてメキシコ映画史が誇る黄金時代が花開きます。まあ喜ぶのも束の間気がつけば製作、配給、興行の網の目にがっちりアメリカ資本が根を張って戦後はその根を自らの痛みを覚悟して引っこ抜かねばならなくなり(挙句に時代は政官財協調のコーポラティズムに入ってどんよりと晴れ曇ると)華やかだった黄金の日々はあえなく終わりを告げます。そんなメキシコの、清濁が切り揉む雪解けの河のような歴史に思いを馳せながら最後に言い添えられた一節に思わず足が止まります、それはメキシコの雄と覚しきペドロ・アルメンダリスの最期を語って何か立ち話の別れ際に知人の(それもとっくに過去になった)自殺を聞かされたようにぽつねんと置き去りにされる思いです。

 

 

 

『三人の名付親』の、あの叩けば砂埃が舞い立つような気のいい男がどんな人生の終わりを迎えたか思えばまったく見落としていてギルバート・ローランドやドローレス・デル・リオの姿をジョン・フォード監督『シャイアン』(1964年)に見掛けては何とはなく年齢なりのしたたかな立ち位置で活躍しているものと思い込んでいたわけです。よく知られた作品が彼の遺作であるなど意識もしないままそれを見ていて(まあ私が見ていたショーン・コネリーの007はいまも若山弦蔵の声に記憶が彩られるそんな頃のものですが)何とも迂闊なことです。今回テレンス・ヤング監督『007 ロシアより愛をこめて』を見返して改めて思い知らされるのはアルメンダリスの溜めの利く男ぶりでして当時旬のショーン・コネリーを向こうに廻して何ら見劣りすることなくしぶとい男ざかりの花で艷やかに微笑みます。さて部下の失敗には即断即決で容赦ない割にいつもいつも廻りくどい作戦でボンドにしてやられ、引き金をあと5mm引けば方がつくという絶好の機会になると急に騎士道精神か貴族趣味を発揮して自らボンドの窮地を解くと無駄に余裕綽々なところを見せているうちあっさり攻守を引っ繰り返されて結局吠え面をかくスペクターです。自分たちでさっさと盗み出せばいいものをソ連とイギリスの諜報部を手玉に取ろうと凝った筋を張り巡らすうちひとりこんがらがってすっ転げお目当ての暗号機もソ連美女もまんまとボンドの手に収まります。舞台となるイスタンブールでボンドの支援をするアルメンダリスはアップになる笑顔こそメキシコの伊達男の華やぎですが追手を振り切って逃げる場面などボンドを先導して駆け上がる体はまるで他人の体のように自分で自分を引きずり上げる息の切れ方で撮影も病を押してということですが...  病に蝕まれる現実に自分の何を見たのか入院したアメリカの病院でピストル自殺を遂げます。メキシコ人俳優がイギリス製作の映画でトルコ人を演じてアメリカの病院で自殺をするという何とも寄る辺のなさばかりが残ってこの終わりもまた映画というものでしょうか。

 

 

 

ペドロ・アルメンダリス Pedro Gregorio Armendáriz Hastings

 

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テレンス・ヤング 007 ロシアより愛をこめて ペドロ・アルメンダリス ショーン・コネリー

 

 

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