武智鉄二監督『紅閨夢』(1964年)にしてやられるのは握り固めたお団子のような体躯に和装、着物姿の婦人をふたり引き連れて街なかを一目散に早歩く主人公はどっから見ても谷崎潤一郎の引き写しです。都会の劇場という暗がりで白昼堂々芸術とエロの際どい一線に滴るのは女性のふくよかな柔肌でして鼻の穴をおっぴろげて堪能しては(単なる女好きというよりも)何か利かぬ気の、女性美への憧憬に何怯むところとてありません。ひとびとの口の端にのぼる新たな肉体を求めて次なる場所へ移る合間にこれまた豪勢な食事に舌鼓を打って女性と美食に練り込まれた日々です。連れ立つふたりの婦人は特に説明もありませんがやや年齢差のある女性たちで年嵩のひとりは主人公の夫人と覚しき関係からして名高い谷崎の松子夫人が思い浮びますし年若いもうひとりは(どうも夫人の方の親族といった控え方からしても)或いは戦後に谷崎の寵愛を集めた渡辺千萬子でしょうか、何とも谷崎に私淑する武智のしたり顔が見えるようです。それにしても三人でつつき合うには丸テーブルを遠慮会釈なく埋め尽くす中華料理に、料亭のお座敷では食べても食べても趣向を凝らした季節の品々が運ばれて帯を締め上げた女性たちにすればこのままでは鵜と同じ、つい帯を解かずにはいられません。そんな溢れ返る食事の合間に女性たちが絶賛する映画のヒロインを小耳に挟むとこっそりと見に行った満足と興奮にともかく高まる鼓動を鎮めようと躍り込んだ喫茶店で頼む三色アイスクリームを主人公が三つともに平らげる(ややあさましく誇張された)食べっぷりは余程印象的だったのか、武智の生誕百年を見据えた座談会で本作の名前が出るや児玉竜一がこの場面を口にします(岡本章『武智鉄二伝統と前衛』作品社 2012.1)。この主人公を演ずるのが茂山千之丞で武智に義理堅いところを見せて大藏流である茂山兄弟の弟です。

 

 

 

のちに猥褻で名を馳せる武智の映画とは言え(裁判にまでなる『黒い雪』は次作であって)本作ではあからさまに裸体を晒さぬ気遣いもありそう目くじらを立てることもないようですが茂山が本作に出ることの並々ならぬ勇気を慮るにはもうひとつ別の線を引くのがいいでしょう。本作と同じ1964年武智は日生劇場の柿落としを委託されて『勧進帳』の演出を手掛けます。心躍る配役は武智の面目躍如でして弁慶が中村富十郎、義経が市川雷蔵、富樫が市川猿之助、そして番卒に控えしが茂山千作、千之丞とあっては当時も(いまも)芝居好きの諸兄諸姉の心を捉えずにおりません。しかるにそれを聞くに及んで富十郎は團十郎の勘気を被り公演には決して<歌舞伎十八番>の文言を入れるべからずと厳命された上に謝罪させられますし、茂山兄弟に至っては歌舞伎役者と同じ舞台に上がったことを問題視されて日本能楽協会から自主退会を勧告されます。父と兄は協会の求めるまま退会を受け入れる覚悟を決めますが理知的で返す刀と言った切れ味の千之丞は協会規約にさような(歌舞伎との共演を禁とする)条文がないことを根拠に飽くまで協会に残ったまま出演する道を進む、そういう渦中にあって(手柔らかとは言え裸体をなぞる)本作に出演しているわけです。ただ武智が古典芸能の(形式と流派に)閉塞した安穏をこじ開けようとするのは止めようのない機運でもあって遡る1956年に狂言座で上演した『鳴神』では同じく武智の手によりますが鳴滝上人に富十郎、雲の絶間姫は乙羽信子、白雲坊と黒雲坊にはやはり茂山兄弟という配役も然ることながら千之丞が思い出すのは裏方に控えた地謡の面々で観世三兄弟に野村万之丞、まさに狂言異流派の大藏流、観世流、和泉流の若手たちが自らの芸能を古典に限定されない芸術へ押し開かんと気概に奮い立っています。まさにそれを鼓舞して古典芸能や舞台演出の所業で名前を引かれるときの武智鉄二は何と雄々しく私たちの前を立っていることか(、それなのに映画ではどうしてあの体たらく... )。

 

 

 

それにしても下手すれば流派の孤児ともなり兼ねない同伴を続けるかような義理堅さを茂山兄弟にさせているもの、千之丞が語る武智鉄二との出会いは然もあらん一冊の雑誌です。戦中も幾多の芸能者を経済的に支援し続けた武智鉄二は戦後に自ら編集の雑誌『観照』を発行します。彼独断の筆にまかせた劇評誌ですが千之丞に言わせると嫌いな役者をぼろっかすにこき下ろして彼の父など言いたい放題にやり込められてとんだ煮え湯を呑まされます。そんな折り武智自ら連絡してくると今度新劇を演出して役者の台詞を狂言の節廻しでいくから口移しで役者に教えて貰えないかと依頼されてここから生身の武智を知っていくわけです。千之丞は生涯の恩人を三人挙げて片山九郎右衛門、八世三津五郎とともに武智の名前を挙げて武智歌舞伎に留まらず実験工房や岡本太郎のような現代美術との第一線とも協働して(は古典、現代或いは伝統、前衛という線引きを軽々と乗り越えて)いく力強い武智の傍らにあったその息吹を感じさせます。そんな信頼を舞台のみならず(何と!)映画にまで引き摺って『源氏物語』(1966年)では千之丞が惟光、千作は明石入道となってとりわけ千作は(なぜそういう演出になったのかよく呑み込めないのですが)流離する貴公子である源氏を自邸に招くと娘と引き合わせるその背後で始終ひきつけを起こしたような甲高い笑い声にけたたましく... 挙句の果てが武智渾身のポルノ映画『白日夢』(1981年)のクレジットに名前を見たときには軽く目眩さえ覚える律儀ぶりです。そもそも1964年に路加奈子、石浜朗、花川蝶十郎を主演に武智自ら監督したモノクローム版と大きく脚本の変更がなく目玉は愛染恭子と佐藤慶の本番で(まあ見比べてみるとわかりますがこの性交場面だけがあとからくっつけられていて)そんな映画に数年後には人間国宝となる大名跡が出演するわけです、まあ愛染と佐藤の間を割ってスッポンポンになる役ではありませんが。歯科医の診療室で隣り合う美女と青年が治療中に昏迷した幻夢で度重なる愛欲の泥沼から抜け出そうともがく物語ですが、逃亡の果てに青年が美女を刺し殺す顛末は64年では白昼の銀座で、81年は大阪ミナミで撮影されてそういう現代日本のど真ん中で無残に遺体が放置される孤立に青ざめます。通行人に自らの殺人を認知させようと青年は血塗れに追いすがりますが誰ひとり立ち止まる者のないなか、ひとり遺体にしゃがみ込むのが千作でしかるに彼の目に入るのは傍らに落ちたお札であるという(何というか鳴らない口笛のような)薄っぺらい悲しさです。この役を64年では三鬼陽之助が同じくカメオです。

 

 

 

 

 

武智鉄二 白日夢 茂山千作

 

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武智鉄二 紅閨夢 茂山千之丞

 

 

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武智鉄二 紅閨夢 茂山千之丞

 

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