ダーティ工藤『新東宝1947-1961』(ワイズ出版 2019.3)を読んで不意打ちを喰らったのが(と言いましてもかの本は工藤が長年に亘って行ってきた関係者への丹念なインタヴューの集成でありその都度どこかに発表されていたものを一堂に会して私は初出を読んでいるのにその部分がすっぽり意識から落ちてるんですからいやはや記憶も折々の関心も秋の空でして)新東宝時代に丹波哲郎は石井輝男とは顔を背け合う間柄だったというのです。想像される通り入社した映画会社でも新人とは思えぬ態度の大きさを見せつける丹波であって新東宝ではまさに君臨していた二大監督の渡辺邦男、阿部豊を物ともせず向こうが嫌うならこちらも靡かぬ気概を見せてそんな骨太な愛らしさがやがて両巨頭の心を溶ろけさせるほど気に入られるんですからまさに人徳ではあります。しかるに石井とは然にあらず、それもこれも清水宏が現場で新人女優を酷くしごいたという噂が広まって丹波は義侠心から清水に直接捩じ込みにやってきます。ただ清水は撮影でも自分では演出もつけず況してや役者と口も利かないという変わり者、青筋立てて胸ぐら掴むばかりに詰め寄る丹波にも目を合わさずますます激昂してむしゃぶりつくところに清水の助監だった石井輝男が割って入ると清水を守って丹波と火花を散らします。工藤も言っていますがこれで新東宝時代に(のちに東映で見るふたりの関係からしても)石井輝男の諸作にふさわしい役柄はいくらもありながら決して丹波の姿を見ない理由がわかったわけです。逆に驚くのは私の方でして石井輝男が(新東宝の倒産で)東映に移籍してきた早くも二作目で丹波の主演作となりますが決定的なのは『恋と太陽とギャング』(1962年)で白いロングコートの流れるような毛並みもそのままにヤバイ仕事にもゆったり構えてはともすると二枚目をずり落ちる丹波哲郎です。彼の情婦はこのとき新東宝から移ってきたばかりの三原葉子で、悪い男だが憎めない自分のイロと丁々発止に腹を探り合う場面では丹波と三原と石井輝男の、新東宝の同じ釜をの飯喰ってきた朗らかさをついつい感じておりましたのに丹波と三原、三原と石井は重なっていながら丹波と石井はまだこれからの付き合いだったとは。

 

 

 

 

しかしそんな初心だったふたりの信義も東映の雪崩のようなケレンに揉み合って結局1990年代後半の石井最晩年の二作にも丹波の出演が見えます。エロ、グロを突っ走った大蔵貢の新東宝にいながらエロにもグロにも(怪談にも天皇と戦記にも)染まらずに異彩を放つフィルム・ノワールに監督の一線を保った石井が東映ではやがてどっぷりとエログロの苦海に身を沈めて『温泉あんま芸者』『残酷異常虐待物語 元禄女系図』『異常性愛記録 ハレンチ』『明治大正昭和 猟奇女犯罪史』と題名からも捩じ込まれそうな<変態>の渦潮です。(まあそんなところを捉えて小沢茂弘は石井の名前を聞くなり<あのゲテモノ監督>と吐き捨てて(小沢茂弘『困った奴ちゃ』ワイズ出版 1996.11)、実際晩年の作品まで血しぶきに目玉、内臓を迸らせて単に血腥いだけでなくそういうものを抱えた人間の無常を浮き立たせて『無頼平野』(1995年)でも大詰めに一騎打ちする吉田輝雄が南原宏治の腕を切り上げると体を飛び跳ねたその腕を犬が喰いつくなんて念の入れようですから、勿論本人の嗜好に響くものはあるのでしょう。でも私はそれを石井の性向に見る前に東映を<ゲテモノ監督>となっても生き抜いたのはやはり映画会社が潰れたときの寄る辺なさに一度は映画監督としての人生が切り刻まれたことにあるように思います。映画を監督するということが如何に資金の上に成り立ってい(てこの集団的な創造が如何に資金によって結合してい)るかを嫌というほど思い知らされれば題材を選り好みなどしていられないでしょう。)さてそんな一作に『ポルノ時代劇 忘八武士道』(1973年)があって当時よくある題名に<ポルノ>を掲げて時代劇だけでは萎びてしまう男どもの鼻面をぐっと持ち上げては劇場へと引っ張り込もうという苦肉の策ですが(そんな下心でやってきた貴兄たちを一応は満足させるほどにはポルノであって)置屋の畳の上で手足を四方に縛られて裸んぼを大の字に押し広げられた女の姿なんて朝飯前、そんな<ポルノ>の主人公に功成り名遂げて何をいまさら丹波哲郎です。

 

 

 

 

このときもう50歳を越えていた丹波が(いくら遅咲きであれ)素っ裸の、汗に男の欲望を滲ませる濡れ場に身を晒した生々しさを感じるためにも少し迂回をしてみましょう。映画史において女性の裸に厳しい制約があったことは誰もが知るところです、ハリウッドでは裸はおろか同衾を匂わせることも長くご法度、60年代になった日本とておいそれと女性の裸が映せるものではありません。鈴木清順監督『春婦伝』(1965年)でも立ち尽くす川地民夫の傍らを駆け抜ける野川由美子は瞬く一瞬に裸体を晒すやその一瞬を掻き消すように走り去りますし次作の『黒い雪』では猥褻裁判を引き起こす武智鉄二も『紅閨夢』(1964年)では女性たちが裸に揺れ動くたびにそれを顕にしない工夫に四苦八苦です。ただこのことでついつい私たちが忘れがちなのは女優が裸にならない時代というのは男性スターもまた脱ぐことがないということでしてそのことを私に気づかせてくれたのがジョン・スタージェス監督『マックQ』(1973年)です。男盛りのはみ出し刑事がジョン・ウェインで麻薬、売春と都会の闇を取り仕切る悪の尻尾を掴もうとひとりの女性に接触します。表向きはウェートレスですがどっぷりと組織の売春に浸かっていて現れたウェインの男を値踏みするとひと晩相手をしてくれたら情報提供するなどと言い出す始末。幾分いがらっぽい年増で(まあ主人公が食指が動いていないのは一目瞭然なのですが)ここは職務の逸脱も辞さない覚悟、ベッドに招かれるところで溶暗です。次に画面が開けると勿論朝になったそのベッドからで(女性は裸を思わせる肩口をシーツから覗かせて昨晩の行為を示して)通常主人公はその傍らで同じく裸で横たわってのっそりとシーツから起き出すのが常道ですがここではベッドに女性がひとり、何とウェインは昨日と1ミリも違わぬスーツ姿でドアから顔を覗かせると朝食が出来たことを告げて...  そうウェインは濡れ場で男性スターも脱がない時代のスターということです。これは洋の東西を問わず女性との生々しい寝床で裸を晒す片岡千恵蔵や長谷川一夫というのはやはり想像し難いものです。そうだけに例えば深作欣二監督『博徒外人部隊』(1971年)で沖縄に仲間と乗り込んだ鶴田浩二が仲間を次々失う虚しさと行き場のない怒りを抱えて土地の美女と艶めかしい異国の情緒で肌を合わせる場面で裸で横たわる鶴田が女を弄ぶ濡れ場の生々しさは女郎屋に上がっては不聊な着流しのまま寝酒の猪口を呷っていた任侠映画とは大きな隔たりです。任侠映画の下火でひと昔前のギャング映画に戻ってしかも十歳老けてしまった自分を見つめる鶴田の大きな覚悟があの裸に照り返しています。『ポルノ時代劇 忘八武士道』では同じ艶めきに一歩踏み込んだ丹波哲郎が女の唾液の臭いがするような裸を翻してさて入り乱れる敵の素っ首をバッタバッタと落としていくわけで石井輝男にか或いは企画に名を連ねる俊藤浩滋にかともあれ何とも義理堅い。

 

 

 

 

石井輝男 ポルノ時代劇 忘八武士道 丹波哲郎

 

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石井輝男 ポルノ時代劇 忘八武士道 ひし美ゆり子

 

 

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