「 老いて見上げる星:北極星 」 の続きです。

 

 

ドン・シーゲル ラスト・シューティスト ジョン・ウェイン

 

1972年、若い頃の彫り込んだような二枚目とはさすがに移り変わってのけぞるような大男は相変わらずですが肥満した体型にやはり年齢を感じさせてジョン・ウェインも65歳です。(映画が生まれて70年に満たない歴史のなかで美男を世界に誇ったスターは数知れませんが草創期のルドルフ・ヴァレンティノは早世、フェアバンクスの人気は時のはざまに凋落しラモン・ナヴァロは映画界を去って考えてみればこのときジョン・ウェインはひと知れず(或いは自分でもそう気づかずに)老いてスターであるという映画史の未踏の地に立っていたわけです。同時期にデビューしたゲーリー・クーパーもクラーク・ゲーブルも持ち前のスター像を貫きながら既に倒れ(こちらは思わぬ伏兵という感じの)ケーリー・グラントは艶福の老年を心静かに送っていてウェインひとりが目の前に広がる映画史とスターとしての自身の生命を一歩一歩重ねながら歩んでいくわけです。)この年の『大列車強盗』(バート・ケネディ監督 アメリカ)では近年の『勇気ある追跡』や『チザム』『リオ・ロボ』で見る重量感のある構えで(西部劇に付きものの速さや鋼鉄の硬さとは違って)大河を思わせるゆったりとした包容力を浮かべた主人公を引き継いでいます。ただこの映画がひとつの分岐点だと思うのはジョン・ウェインにぶら下がる古馴染みのふたりでして、それがベン・ジョンソンとロッド・テイラーですが南北戦争の昔からウェインとともに死地をくぐり抜けてきて彼らとて忍び寄る初めての老いに恐々としたものがあるのです。とりわけテイラーは気づかぬ振りをしてきたその兆候にいよいよ崖っぷちで女性へ恬淡とした情熱しか掻き起こせないいまの自分を半ば受け入れています。ジョンソンこそ夜通し女性を傍らにはべらせることにまだまだ生き甲斐を感じていますが、巧いのはこのふたりに壮年のそれぞれのさまを受け持たせることで同年齢のウェインにもこのふたつの可能性が自ずと重ねられて単にいままでの若さの、(終わることのない)延長にある人物からひとつ節目をつけています。

 

 

バート・ケネディ 大列車強盗 ベン・ジョンソン ジョン・ウェイン ロッド・テイラー

 

 

この『大列車強盗』から『マックQ』(ジョン・スタージェス監督 1973年)、『ブラニガン』(ダグラス・ヒコックス監督 1975年)、『オレゴン魂』(スチュワート・ミラー監督 1975年)、そしてドン・シーゲル監督『ラスト・シューティスト』(1976年)へと辿っていくときかつての強大な映画会社もなく強くて広大なアメリカもいまや遠くに思う寒々とした70年代を生き抜くに当たってウェインが引き受けた覚悟も見えてきます。自分が生きたいヒーロー像を握り締めながらしかし飽くまでそれが時代のなかで可能である形へと捨てるものを捨て変えれるものを変えるそういう覚悟です。端的に手放さなかったのは無類の強さです、そして受け入れたのが老いです。勿論スターの自尊心はひと筋縄で行きませんから或いはまだ強さの他にも若さの躍動が巻き返せるのではないかとあえかな道に踏み迷わないこともなく、それが『マックQ』。はっきりと『ダーティ・ハリー』を向こうに廻した刑事物で(似合ってはいますが些か張り切り過ぎの)めかしこんだスポーツカーでご登場です。見た目は管理職であっても何らおかしくない年齢でありながら当然はみ出し刑事で違法捜査も何のその、年齢不詳な若さが高燃費なアメ車の貫禄で映画を走り抜けます... がやはりここは行き止まりです。次作の『ブラニガン』では同じく悪党を震え上がらせる無頼の刑事ですが同じ年齢不詳でも主人公を緩やかに老いへと引き入れていく柔和さが魅力です。ブラニガンに付き添うヒロインは女性の実直さを三つ編みにしたようなお嬢さんで(勿論恋へと発展する要素は全くなく何せ男性刑事と組まされたことに気が気でない彼女の恋人がひと目見るなり胸を撫で下ろす老いらくぶりで)まさに孫の釣り合いです。そこに父の包容力を滲ませて(まあ念を押すまでもないんですがあからさまに父と子供なのではなく『オレゴン魂』の、キャサリ・ヘップバーンが養子にしている先住民の少年にしても『ラスト・シューティスト』での死地と定めたその町で出会うやはり少年にしてもグランパの柔和で彼らの年齢相応の背伸びを受け止めながら父の力強さで導くという自身のスターのあり方を時代の現実に模索して)晩年のウェインに新たな魅力が宿ります。ヒロインも『オレゴン魂』のキャサリン・ヘップバーンは先住民の居住区に移り住んだ牧師の娘で(父を悪党に殺されてウェインと旅をするという言わずもがな『アフリカの女王』を意識させて)役の若さと見た目のあっけらかんとしたところにヘップバーンは立っています。恋云々というよりもお互い寂しさに吹き巻かれている境遇から不器用に手を伸ばす感じが愛らしく(物語自体は何とも出たとこ勝負のような進み具合ですが)喋ってはやり込められるふたりの掛け合いがだんだんと胸に染みてきます。

 

 

 

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最初ドン・シーゲルはクリント・イーストウッドやチャールズ・ブロンソンに声を掛けたというんですから『ラスト・シューティスト』の主人公はやはり彼らの年齢ということでしょう。敬虔な寡婦として下宿を切り盛りするヒロインとは恋と言えるような形を(勿論彼の死という目前の現実もありますから)結びませんがそういう人間の一線を踏み越えて何か声には出さない了解をお互いに抱きます。その彼女も先年四十になるかならずのご主人が亡くしたというですから三十代後半というところ、もう若くはないけれど老いからも遠い(言わば生きることの盛りにぽっかりと空いた)そんな年齢の男女が死を挟んで向かい合う物語であったわけです。しかるに主人公はジョン・ウェイン、冒頭から末期癌に冒されて名うてのガンマンであるウェインは荒涼とした平原をとぼとぼと馬に揺られています。かつて命を救われた旧知の医者に最後の診断を下して貰おうと旅してきたわけです。西部の噂に吹き渡った悪名です、誰もがウェインを快く思いませんがいまや(撃たれるよりも)ただ刻々と死が迫ってくるその残された時間に自分の生涯の意味を見出そうとこの町を最後の場所と定めます。ドン・シーゲルのことですからイーストウッドやブロンソンでもさぞや映画の高鳴りを生み出したことでしょうが彼らであれば本来死ぬのではない年齢の、生き生きとした肉体が手折られる(しかもあまたの人殺しとその報復に取り巻かれながら皮肉なことに自らの内なる自分によって最期を迎える)人生の逆説が響きます。しかし設定はどうあれ目の前のウェインは老ガンマンであり(何か彼自身の、俳優人生をも想起させて)癌で早世する悲しみとは違う、ひとが皆死を迎えることの普遍的な定めがひとりの男の歩みのなかに一歩ごとに迫りながら(ただむざむざと死に打ち負かされるのではなく)生きることの、最後の誇らしさへと踵を返すあの感動はやはりウェインでなければなかっただろうと思います。主演を断ったというイーストウッドがこの映画に何を思ったか私は知りません、しかし遠く彼もまたウェインの年齢になって『グラン・トリノ』(2008年)で見せたあの結末にはそのことの答えがあるのかもしれません。

 

 

 

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