いつだって予算が思うだけあればいいに決まっています、しかしそうはいかないのが現実というもの。映画で節約を強いられるあれやこれやに撮影に録音部をつけないということがあります。キャメラだけ廻して音声はアフレコにするわけで(まったくサイレント映画の撮影に逆戻りしてスクリプターはさぞ楽ちんと思いきや、あとで音声を合わせるとなると役者が間違いなく台詞通りに喋っているかアドリブを入れたら入れたでそれをメモしておかねばなりませんからいつもに倍する気苦労で)す。そんな撮影の最たるものがピンク映画でして、頼んでも撮影許可が得られないことが多く(いやあ許可を得てもいざ撮影が始まると内容が内容だけに心に何やら後悔が兆すらしくやっぱり出ていってくれの一点張り)自ずと手持ちカメラで抜け駆けの撮影になります。山本晋也監督『痴漢地下鉄』(1975年)なんて(当然一般映画のようにエキストラでラッシュを再現しているこざっぱりした臨場感はどこにもなく)容赦なくひとが揉み合い押し込められるざらついた朝の地下鉄にのっけから乗り込んで(そういう隠し撮りと別撮りのアップのお芝居部分をうまく継ぎ合わせながら)寧ろ画面に活気が出るのはアフレコをいいことに俳優たちが口の動きにお構いなく引きも切らないアドリブを入れるからでまさしく久保新二の真骨頂です。(そう言えば武智鉄二監督『華魁』で小判を湯水のように降り注いでやっと華魁とのこの世の夢枕に耽溺できる絢爛な上層階とは別に地下牢とも覚しき襖一枚の横並びに皆さんご奮闘中の客のなかにあって主人公と幾分なりとも絡みがあるエキストラに久保新二を見つけたときには何ともピンクの人気俳優の心意気を感じたものです。その久保を二番手にエキストラの筆頭にいたのが佐々木つとむで何とも懐かしい(というか顔を見るまですっかり記憶の布団のなかに潜り込んでいた)物真似の人気者ですが子供ながら面白いというよりも当時の演芸にあった(子供の青っ洟と中年男の猪っ首を併せ持った)変な凄みに構えている感じで... 。)さてアフレコの思わぬ効能にあやかるのは丹波哲郎で頑固なほど台詞を覚えてこないため(松方弘樹なんてセットで合うなり<で、お前との絡みで俺はどうなるんだ>と聞かれたと言いますものね、)業を煮やした監督がセット撮影なのにアフレコにして、(とは言え台詞が頭に入ってないのは変わりませんから)こういうときはなるべく口を曖昧に開け閉めするのがコツとのこと、恐れ入ります。ということで今回のお話は声のたゆたいを追って映画の数々を縫ってまいりましょう。

 

久保新二 Shinji_Kubo

 

山本礼三郎は戦前には劇団「たんぽぽ」に招かれて水の江瀧子の相手役もこなして(満場の少女たちからは歯噛みする妬みの視線を一身に耐えつつ)目のこぼれそうな二枚目ですが、何と言っても黒澤明監督『酔いどれ天使』(1948年)で一端の顔役のつもりでマーケットを仕切り女たちを咥え煙草で抱き寄せていた三船敏郎の前に出所してくる兄貴格です。凄み、貫禄からしても流行りの白スーツにオールバックをひと房捻って垂らす三船をチンピラ同然に吹き飛ばしてマーケットも女たちも手に入れるとその女たちから溜め息まじりに見下される自分の落ちぶれ具合に握り潰される三船です。長いキャリアにあの風貌ですから黒澤をして怖い人かと身構えさせますが三船と刺し違える最後の格闘ではあのペンキに塗れる演出にも文句を言わず黒澤自身が山本の芝居を賞賛することになります。その山本の最後の仕事がアフレコです。田中徳三監督『駿河遊侠伝 破れ太鼓』(1964年)はすでに撮影を終えていますが、残した仕事はないかと山本自ら問い合わせてきていまの自分の体調を思うと<明日という日に自信がない>... 急遽録音を整えて録り終わるや程なく逝去という何とも手を合わしたくなる映画人の生きざまです。そんな山本に兄事するのが小林重四郎で私が小林に引かれるのもやはりあの声でして井上梅次監督『夜の牙』(1958年)では街路を呑み込む夜の暗闇にスポットライトに浮かんだ主人公まで姿は黒く沈みながら一歩一歩脅しの文句を口ずさむ甘く谺するような低音が小林です。威風にどっしり重いのではなく軽く上ずった丸みが戦前は股旅姿の二枚目で鳴らしてレコードを吹き込んでは流行歌手で名前を売ったという往時を偲ばせて姿を現さずとも声を聞けば闇の主が小林と知れる魅力です。

 

小林重四郎 Jushiro_Kobayashi

 

何にしても声とは記憶を揺さぶるものでして(思えば私の子供の頃の声優諸氏は新劇の俳優たちでもあって)映画の思わぬところで懐かしい声に撃ち抜かれることもあるでしょう、ピンク映画の常連でもあった寺島幹夫はともかく例えば松山善三監督『名もなく貧しく美しく』(1961年)は高峰秀子と小林桂樹による耳の不自由な夫婦がまさに手探りで戦後の濁流と耳が聞こえない子育てというどれほど耳を澄ませても子供の声が届かない難しさを歩んでいく物語で、ちょっとした手違いでキセルを疑われると血眼で追いかけてくる駅員の怒声も聞こえず悠々とした背中が駅員にはふてぶてしさに揺れていていきなり胸ぐらを掴まれますが、でも辛いのはそこではなく耳が聞こえないとわかった途端にそれまでの怒りを見下しのうちに収めてしまって(もはやまともな人間として扱う気もなく)... そんななか警官に職質だったか聞き込みだったか街路に呼び止められる場面です。ロングで並び立つ無名の警官のその声を耳にするや私の心がざわめき立って声を反響させながら記憶を手繰るのももどかしく声が輪郭を帯びてあぁ、スナフキンとその声の主を見つめるわけです。それにしてもサイレントで始まった映画が程なく声を獲得すると口をパクつかせていた俳優たちの声がフィルムに乗るようになって(当たり前ですがこれまでだって普段に声を出してもおりますし俳優の多くは何らかの舞台の経験者でもありますのに)その声に苦しみます。勿論歌に踊りがご自慢だった市川右太衛門のように発声に何の苦労もないひともありますが、千恵蔵も阪妻も体をよじるような苦しみのなかに自分の声を探り当てます。千恵蔵は発声の文字ひとつひとつが刮目しているような喉仏を転がす口舌ですし、阪妻にしても絞り出すというか喉のどこから声を出しているのかまさに五臓六腑の声でしてそう言えば仲代達矢は阪妻の発声こそ合理的だと述べていて(春日太一『仲代達矢が語る日本映画黄金時代』PHP研究所 2013.2)確かに仲代自身が70年代頃それまで(綽名の<モヤ>のままに)ぬうっと鼻にこもった口舌だったのを大きく(歌舞伎ばりに)身構えた声色に変えていてそれもそういう思索の過程だったのでしょう。最後に声の美しさにひとり挙げますと、自然と人工の際どいところに立った美丈夫ながら最初は悪の魁偉に際立つようだったのに(『暗黒の恐怖』『シェーン』)寧ろそういう体躯を蝕むナイーブさにぐっと存在感を増していって(『悪徳』『攻撃』)悪にせよ善にせよ青々と草を渡る風の爽やぎに乗ってジャック・パランスの声の心地よさ。

 

ジャック・パランス Jack_Palance

 

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