真言宗の僧侶になるには、得道、授戒、加行、潅頂の四つの通過儀礼がある。
髪を剃り四恩に感謝して出家する得度式。三百近い戒律を授けられる授戒式。一つ一つの戒律を授けられるたびに五体投地する。二日はかかる。しかも授戒式は高野山のそのまた奥の真別処円通律寺で行われるので、2日続けて山越えの道を往復させられるから、年輩の方には酷な2日間だ。
そして加行は約100日のあいだ、寺に籠もって真言宗の行法を学ぶ。私は前後期50日ずつ2年かけて真冬に、やはり真別処円通律寺で行った。
今は高野山大学の学生は、大学内の加行道場で行っているが、私の頃は学生は真別処円通律寺か専修学院かを選べた。
専修学院は、普段は学院生の学習と修行を行っていて、夏と冬の長期休暇中に、高野山大学の学生を受け入れてくれた。食事は賄いの人が作ってくれて、学生は修行にのみ精励できた。監督の人の管理も行き届いていた。反面管理を逸脱して行法をとことんするのは許されなかった。
一方、真別処円通律寺は、山奥なので不便極まりない。食事も自炊なので、行者が交代して食事を作った。食事当番の行者は、他の行者よりも早起きして自分の行法をして、みんなが行法してる間に調理することになる。ただ、料理の心得のある学生ばかりではない、しかも精進料理をするとなると、かなり苦労する。
私が真別処円通律寺に入ったのは前後期とも冬に修行したので、雪深くなると食材を届けに来られなくなることもあった。こうなると、生ゴミをあさってキャベツの芯を拾ったり、山に出て山芋や山菜を食材に調達することもあった。ある意味でアウトドアライフを送っているよえなものだった。しかも食事は精進料理なので健康的な食生活になった。私は胃腸がそんなに丈夫では無いのだが、修行中は絶好調で体重も増えた。
しかし、普段味の濃い肉や魚を食べつけていた学生は、味が薄く口寂しくなり、醤油や塩を取り過ぎるようになる。そのお陰で尿路結石ができてしまい、悶え苦しんだ行者もいた。もし尿路結石で病院にかかるようなことがあれば、そこで修行は中止させられ、再度初めからやり直すことになる。だから必死に石を出そうとして、飛び跳ねながら用を足す人もいた。現に私のすぐ横で、苦しみながら跳ねて、石が音をたてて落ちたこともあった。これも苦行と言えよう。
私はそんな修行生活を楽しんでいた。苦行は楽しいことのほうが多かった。