奈良平安時代の人々は災害を自分事として体験していた
前号の330号では、奈良・平安時代の日本が東日本大震災クラスの地震、南海トラフ地震、それに伴う津波被害、連動して富士山の大噴火など、列島全体が災害に見舞われ続けた激動の時代であったことを書きました。
そのために、火山は女神として神格化され、災害に見舞われた人々の心を癒すべく日本各地に地主神がまつられ、寺が建立されました。そして、そんな激しい大地による災いを乗り越えるために、神仏習合という形で、地主神と仏教の仏たちが人々を支えたのではないかという、少し大胆な考察をしました。
ところで、奈良平安時代の人々は、こうした災害をどのように受け止めていたのでしょう。現代人は、大地震は地球のプレートが動くことによって起きる地震であると分かっています。また台風は、夏の強い陽ざしが太平洋高気圧、大陸高気圧を作り出し、その隙間に、強力な熱帯低気圧を作り台風に発達します。地理的な自然現象と気象現象を、現代人は別々の自然現象と捉えています。
しかし、奈良平安時代の人々は、自分の周りの自然現象だけを体験していました。テレビもネットもありませんでした。台風の嵐も、地震の揺れも、抗うことのできない自分を包み込む世界として捉えていたのでしょう。実は「自然」という言葉自体、今のような使い方をしませんでした。「自然」とは、「おのず(自)からしかる(然)べく」という意味で使われていました。つまり、天変地異は全て「おのずから」(なるべくして)そうなることだったのです。
現代社会では、私たちは地震や台風の災害を、被災地でなくても知ることができます。しかし、奈良平安時代の人々は、災害を知ることとは、自分事として災害を当事者として自分の周りの世界そのものとして体験することでした。そして自然現象は「おのずからしかるべく」起きる出来事と感じて抗うことなく受け入れていたのです。
日本は兵農分離の国だった
現代人は、全ての体験を、なぜ?どうして?と考えます。しかし、この「なぜ?」「どうして?」と考える現代人は、すべての体験が理解できるという前提で知ろうとします。ところが、奈良平安時代の人々は、地震や嵐がなぜ起きるか現代人のように深く考えられませんでした。なぜなら、それは人知の及ばないこと、神の意志、あるいは何かの祟りと考えるしかなかったのです。
そして奈良平安時代までの日本人は、異国から侵略を受けたことがありませんでした。ですから、大きな災いは天災だけでした。誰かのせいで大きな災いは起きなかったのです。自分と同じ人間の仕業で大きな不幸が起きるなんて想定できませんでした。では日本以外の大陸に生きる人々はどうだったのでしょう。
お隣の朝鮮半島の人々は、常に中国大陸の勢力の覇権に一喜一憂し、ある国は迎合し、ある国は対立して、常に緊張関係にありました。そして併合された国の人は隷属させられ辛酸をなめた生活を送る事が少なくありませんでした。それはヨーロッパでもアフリカでも同じでした。日本にも戦国時代という内戦の時代がありました。しかし、日本の戦国時代は領主一族だけが争って、領主の勝敗によって農民が辛酸をなめると言うことは海外ほど酷くなかったのです。新しい領主は、新しい領地の農民を耕作者として常に保護していたのです。日本の戦国大名は、日本以外の大陸の国の領主のように、農民の都合を考えずに争いをしませんでした。日本の内戦は農繁期にはしませんでした。しかし戦国時代になって大きな合戦のうち、桶狭間の戦いや川中島の戦いなど、農繁期に行われた合戦もありました。こうした内戦は農民の負担が大きく、領主は農民から不評を買ったのです。
戦国時代は農民が兵士としても活躍しました。有名なのは豊臣秀吉です。しかしその後は再び日本では兵農分離の時代になりました。政権闘争が一般市民の幸不幸を左右することは世界的に見ても稀有な平和な国だったと言えます。
人と争うよりも天地に脅かされたから寛容で優しい人の心が育まれた
海外から来た人は、日本は治安が安定していると言いますが、そもそも日本という国の中では、歴史的に政争が社会を混乱させたり、収奪が頻発するようなことは、諸外国と比べたら遥かに少なかったと言えます。ですから、蒙古襲来は、初めて外国からの侵略で、日本人にとっては驚きだったのです。蒙古軍は敵兵に後ろから斬りかかったり、ひとりの人を何人もの人が襲ったりする集団戦法は、当時の日本人にとっては驚きでした。
外敵の侵攻を受けたことのなかった日本人にとって、最近の外国人観光客の怒濤のような来訪は、刺激的で拒否反応が出るのも無理からぬ事と思います。しかし、それ以上に外国人観光客にとって、日本人の寛容さや優しさも驚きです。
私がチベット旅行に行ったとき、チベットの地元旅行社の社長から聞いた話しです。社長は日本に行った時、電話を掛けようと国際電話のできる電話ボックスに入ったそうです。用件を済ませてボックスを出ると、日本人が社長の財布を持って差し出したそうです。どうやら電話ボックスで財布を落とし、その財布がボックスの外に出ていたそうです。その財布を拾った日本人は、社長が電話を終えるまで待っていてくれたというのです。持っていかずに拾ってくれたことにも驚き、電話が終わるまで待っていてくれたことにも驚いたというのです。
天と地に育まれた日本人の精神性
日本人は、人間同士で物を奪い合ったり、騙し取ることはまれです。物を盗ることも盗られることも、歴史的に少なかったのです。その代わり、地震や火山噴火や台風などの自然現象によって、田畑を失ったり、人の命が奪われることが少なくなかったのです。だから、人間同士で支え合い、助け合う精神性が育まれたと私は考えます。夏になれば台風や集中豪雨、冬になれば地域によって豪雪。それに干ばつなどの災害は、日本全国津々浦々に起こります。そんな厳しい自然と人間同士が助け合って共生することのほうが、日本人にとっては自然な選択だったのです。だから、自然に抗うことなく、神や仏を畏れ敬う信仰が根づいていったのです。
しかし、残念ながら、この自然を畏れ敬う日本人の精神性を、明治以降は歪んだ形で利用した時代がありました。自然と共生し、自ら感じて自らの行為に生かしてきた寛容で崇高な日本人の精神性は、厳しい自然によって培われた高度な自利利他性を育んでいました。
今こそ、天と地に育まれた、日本人の崇高な精神性を大切にしたいですね。