旅人日記 -4ページ目

モロッコ滞在期間延長策

Rabat1 西アフリカ行きを決めたのはいいけれど、そうするとモロッコでの残りの滞在可能日数がやや足りないことに気がついた。
日本人はモロッコではビザなしで90日間滞在できるのだが、俺に残されているのはあと2週間足らず。
西アフリカ最初の国のモーリタニアに辿り着くまで、2週間で足りるかどうか、かなり微妙なところ。
急げばなんとかなりそうな気もするのだが、気持ちに余裕がなくなるのが嫌だったので、滞在期間延長のための対策を取ることにした。

普通、その国で認められた滞在期間やビザなどを延長するためには、出入国管理事務所や警察などで正式な手続きを経なければならないものなのだが、ビザが要らない国ではたいていの場合、一度国境を越えて再入国するだけで、また最初と同じ分の滞在を許可されることが多い。
モロッコでも首都のラバトで延長手続きを取ることができるのだが、調べてみると時間がやたらとかかるらしいので、今回は一度出国して再入国する形で済ますことにした。

幸いモロッコにはスペインが帝国主義時代に分捕ったまま返還していない港町が二つか存在している。
スペイン領のセウタとメリリャである。
現在地のマラケシュからはどちらも結構な距離があるのだが、比較的近くて行きやすそうなセウタを目指すことに。

マラケシュからまずは列車でラバトに移動。
モロッコの鉄道は快適な乗り心地の上に、時間も正確であることから、旅行者からの評判がすごくいい。
俺も機会があったら一度は乗ってみたかったのだ。

列車ではワルザザート→マラケシュのバスでも一緒だったコズエちゃんと、また共連れになる。
この季節にはやたらと多い学生旅行者ではあるが、すでに院生課程を修了しつつある彼女は普通の学生たちよりもずっとしっかりしている。
モロッコ滞在中に性質の悪いモロッコ人からさんざんな目に遭わされていたようだけど、それを笑い話にできるくらいの強さを持っている。
彼女からは、マラケシュでも、この列車でも、最近の日本の様子をいろいろと聞かせてもらうことができた。
なんだか久々に若い子とデートでもしているかのような気分になれて、おぢさんはとても嬉しかったぜよ。

翌日の飛行機でモロッコを発つ彼女はカサブランカの駅で下車。
列車はそこからさらに一時間、海岸伝いを走ってラバトの中央駅に到着。
旧市街まで歩いて、テキトーに見つけた安宿に投宿。

この日は旧市街をのんびり散歩しながら、新しい靴やズボンを探すことに。
両方とも見るも無残なほどにボロボロで、いいかげん買い換えるべきだと思っていたのだ。
靴の方はコロンビアで買った軍隊用のブーツで、かなり愛着があった品なのだが、もう修理のほどこしようもない程になっていたため、ここでお別れすることに。
ラバトは首都だけあって、さすがに物が豊富に揃っている。
新しいブーツもジーンズも、そこそこ好みのデザインの物を見つけることができた。

翌朝、市バスを使ってバスターミナルへ。
今度はいつも通りにバスを使ってティトゥアンまで移動することに。
ティトゥアンまで行ってしまえば、目的のセウタはもう日帰りで行き来できるほど目と鼻の先なのだ。

ターミナルに着くが、最初は入口がよくわからずに、裏口の方へまわってしまった。
かまわず入ろうとすると入場料を請求する係員が。
モロッコのバスターミナルで入場料を取る所は今までほとんどなかった。
大した額でもなかったので払ってもよかったのだが、どこか他に別の入口がないものかと、念のためぐるっと周ってみることにした。

すると、すでに乗客を乗せてターミナルを出発したばかりのバスが、さらに往来の乗客に呼びかけながら目の前に通りかかる。
「タンジェ、タンジェ、タンジェ!」
タンジェ行きかぁ・・・。
ちなみにセウタに行くにはティトゥアンからでもタンジェからでもそう変わらない距離。
どっちを拠点にしてもよかったのだが、タンジェの場合、バスターミナルから宿のある中心地までが遠いのだ。
ティトゥアンならターミナルから宿のある地区まで徒歩5分で行ける。
宿代はタンジェの方が安いので、タンジェでもよかったんだけれど、一応だめもとでティトゥアンに行きたい旨を伝えてみた。
すると、バスの関係者たちが、なぜか喧々諤々の議論を始めるじゃないか。
彼ら同士の会話は全部アラビア語なので俺にはよくわからないのだが、多くの人が俺をターミナルの方の別のバスに乗るように指差す中、一人のオヤジが頑なにこのバスに乗せるように訴えている。
車通りの多い車道での信号待ちの間の一分間、最終的にはオヤジの話にみな納得したらしく、結局俺は流されるままにこのバスに乗り込まされた。

ティトゥアンを経由してタンジェに行くのかな?
でもそれならあそこまでもめる必要もなかろうに。
ま、無事ティトゥアンに行けるならなんでもいいや。
次のバスを待つのも面倒だし、ターミナルの入場料を払わずに済むならいうことなしだ。

ところがしばらくして、やはり様子が少しおかしいことに気づき始めた。
バスは途中の町々に立ち寄りながら、乗客を入れ替えつつ進むのだが、どの町でも客引きのオヤジは「タンジェ!」としか呼び声をかけない。
ティトゥアンもそこそこ大きな町なので、経由するならティトゥアンの名前も一緒に叫んでいてよさそうなものだ。

ララシェという町に着いた時、ふと近くの席に座っていた乗客が教えてくれた。
「君はティトゥアンに行きたいんだろう?ここで乗り換えた方が早いかもしれないよ」
乗り換えだぁ?
何となく気づいてはいたけれど、やはりそういうことか。
ティトゥアン経由ではなく、タンジェに直行するバスで、そこからティトゥアン行きに乗り換えさせようっていう魂胆なんだな。
ま、それならそれでタンジェでもいいか。
タンジェなら美味いチキンを食わせる店を知っている。
久々にあの味を味わっていくのも悪くなかろう。

気持ちはすでに懐かしのチキンの味へと向かっており、俺自身は全然腹は立っていなかったのだけれど、こういう話を黙って見過ごすと外国人旅行者全体が舐められることにもなるからなぁ。
とりあえずここは形だけでも一言文句を言っておくべきだろう。

ララシェでの休憩中にバスの関係者たちを呼び集め、苦情を述べる。
「聞いたぞ、ティトゥアンには行かないそうじゃないか!ったくこれだからモロッコ人は信用できない!俺はタンジェには用はないんだ!ティトゥアンへ行け、ティトゥアンへー!うがー!」
一応オヤジどもはみなバツの悪そうな顔をしている。
俺は最後の「うがー!」さえ言い放てれば満足だったので、それで済ましてやることに。
「悪いな。タンジェからティトゥアン行きのバスは追加料金なしで乗れるからさ、それで勘弁してくれ」
ま、最初からそのつもりだったのだろう。それほど悪いヤツらではないのだ。
「んー、いや、もういいよ、タンジェならタンジェで。そこからの乗換えだと着くのが遅くなるだろう?」
「そうか、君がいいと言うならそれで問題ないが・・・」

と、そこへ別のバスが通りがかる。
「ティトゥアン、ティトゥアン、ティトゥアン!」
「・・・え?」
「おい、これに乗り換えられるように話をつけてやるよ!もちろん追加料金なし!さ、早く荷物を取り出して来い!」
「え、いや、あの・・・」
「ティトゥアンに行きたかったんだろ?これで何の問題もない。よかったじゃないか!」
「そ、それはそうなんだけど、タンジェのチキン・・・あぐ」

ついさっき「うがー!」と叫んでしまっていた手前、もはや引っ込みがつきにくい。
今さら「やっぱりタンジェがいいです」と言えるほど俺の神経は図太くないのだ。
小心者の俺はまたもや流されるままに乗り換えさせられる。
その後は何の問題もなく、当初の予定通りに、夕方頃に無事ティトゥアンの町に到着。
予定通りではあったけれども、そこはかとない敗北感に包まれる。
うーむ、最初から晩飯のメニューも計算に入れて行き先を決めておくべきだったなぁ・・・。

西アフリカへ

Marrakech4 モロッコに来て2ヶ月半。
モロッコ国内の行きたかった場所はほぼ見終えてしまい、この先は次の国に向かうまで、途中にあるいくつかの町に立ち寄りながらの消化試合のような状態だ。

んで、次の国なんだけれど、最初の予定ではモロッコの次はチュニジアに飛ぶつもりでいた。
モロッコ側からアルジェリアに陸路で入ることができないため、カサブランカから飛行機で飛ぶ予定だったのだ。

チュニジアの後は船でマルタに渡るもよし、また飛んでエジプトに向かうもよし、とにかく東へ、日本のある方角へと向かうつもりでいたのである。

ところがだ。
それとは別にもう一つの選択肢がこのところずっと俺の頭を悩ませていた。
西アフリカである。

正直言って、今まで西アフリカに行きたいと思ったことはなかった。
遺跡好きの俺は、歴史系の遺産に乏しい地域には興味を感じていなかったのだ。
とりあえず、行くにせよ行かないにせよ、ロンプラ(旅行ガイド本)のアフリカ編をモロッコ滞在中に読みながら、どういう場所なのかだけは把握しておくことにした。

・・・ひどい地域だ。
読めば読むほど行きたくなくなってくる。
普通、ガイドブックなんか読んでいたら、行く予定がなくても行きたくなってきてしまうものなのだが・・・。
こんな地域はホントに初めてだ。

どうでもいい小さな国がごちゃごちゃと多すぎる。
どの国もビザ代がバカにならない。
賄賂を求める輩もいる。
夏は死ぬほど暑い。
雨季になると通れない道もある。
マラリアに罹る可能性もある・・・等々。

辛いことだらけじゃねーか。
意外とメシが美味いとか、美人の現地ねーちゃんがウッフンアッハンだとか、そういう多少なりとも旅人心をくすぐる話はないのか、西アフリカ。
残念ながらロンプラのどこを読んでもそんな謳い文句は書かれていない。
ったく、行くヤツの気がしれねーよ、んな地域。

現在西アフリカに向かいつつある旅仲間のタカハシさんはいう。
「ま、ベリーズがたくさん並んでいるような地域だと思えばいいさ」
ベリーズといえば・・・ビザ代高い、物価高い、見所ない、メシ不味い、街汚い、住民バカばっかし・・・。
中米で旅行者から一番敬遠されている国じゃないか。
「あんな国いらねー」という旅行者さえいる。
俺のことだ。



でも、だが、しかし、ところが、けれども、にもかかわらず・・・。
旅仲間で少数ながら「すごく良かった!」っていう人がいるんだよなぁ・・・。
結構世界各地をまわっている人たちなので、そういう連中が「良かった!」というからには絶対何かあるはず。
旅人の端くれとして、自分自身の目でその何かを確かめに行かねばならないんじゃなかろうか。
うむむむむむ・・・・・。

「行かないで後悔するよりは、行って後悔しろ」
旅をする時の、俺の座右の銘である。
今行かなければ一生行かない可能性が高いもんなぁ・・・。

そんなわけでして、結局行くことに決めちゃいました。
一度行くと決めたからには深く考えないのが俺の流儀。
たぶん、それなりに楽しい場所なんだと思う
少なくとも「やっぱりベリーズでした」というオチにはならないことを願いつつ・・・。

(写真はゲラブと呼ばれるマラケシュの水売り親父)

マラケシュ

Marrakech1 マラケシュ・・・。
モロッコを語る上で避けては通れない町だ。

1070年頃にベルベル人のムラービト朝によって首都と定められて以来発展。
フェズに次いで2番目に古いモロッコの古都である。
次のムワッヒド朝でも首都として引き継がれ、交易・商工業・学問の中心として発展を続け、その伝統は現在にも脈々と受け継がれている。
町は巨大な城壁に囲まれ、周辺は肥沃な緑の大地、さらに遠く南郊には4000メートル級のアトラス山脈が悠々と横たわる。

雑踏・喧騒・混沌。
香辛料の強烈な香り漂う旧市街では、土産物屋や屋台の客引きたちが盛んに呼び声を放ち続ける。
あふれんばかりの活気が訪れる旅人を圧倒する。
人々はモロッコの他のどの都市の人たちよりも元気がいい。
その反面、観光客たちをカモにしようと、てぐすね引いて待ち構える輩も腐るほどいる。
良い意味でも悪い意味でもモロッコのモロッコらしさが凝縮されたような町、それがマラケシュだ。

Marrakech2 そのマラケシュのマラケシュたる面を一番強く感じることができるのがジャマ・エル・フナ広場。
通称フナ広場、地元の人たちは単にラ・プラサ(広場)と呼ばれている場所だ。
旧市の一角にあるこの広大な広場では、そこに集まる群集たちの前で、常時様々な見世物が繰り広げらている。
ベルベル人の踊り子、インド人もびっくりの蛇使い、猿回しの親父、独特の帽子と赤い衣装に身を包む水売りの爺さん、ヘンナ描きやタロット占いのおばちゃんたち・・・。
夕暮れ時には巨大な屋台街も設営され、夜が耽るにつれて広場はいっそう賑わいを増す。
屋台物をつまみ歩きながら、広場のそこかしこでできている人の輪を一つ一つ覗きながら巡る。
「フナの輪巡り」というこの夜歩きこそが、マラケシュを楽しむ上での醍醐味だといえよう。

ワルザザートからのバスで出会った大学院生のコズエちゃんと一緒に、夜の屋台巡りに出向いてみた。
それぞれの屋台は白い幕で区切られ、一つ一つに番号がついた屋台が整然と並んでいる。
まるでモロッコ料理の見本市とでもいった感じに、実に様々な料理が並ぶ。
屋台の奥から沸き漂う白い湯気、その中で品定めしながら歩く観光客の群れ。
彼らの腕を露骨に引っ張る客取り合戦がそこかしこで繰り広げられている。
客引きたちは、客に合わせて何ヶ国語もの言葉をころころ切り替えている。
モロッコ人のお得意芸だ。
そのやりとりは傍から見ているだけでも面白いが、実際に自分たちに群がり寄る客引きたち相手に、おちょくったりおちょくられたりするのがとても楽しい。

「日本人デスカー?ヨーコソー!チョット待ッテクダサイネー」
ほいほい、何を売ってるのかい?
「サカナー、ケバブー、クスクスー、ココデ食ベルー?」
いろいろあるから何にするか迷いどころだなぁ・・・。
「ヤギー、ヒツジー、アタマー」
アタマって羊の脳みそのことっぽいな。俺の大好物じゃーん♪
「アシー、カンゾー、シンゾー、オダユージー」
ん?ちょっと待て。織田裕二だぁ?
「オヤジ、その織田裕二の値段はいくらだ? 今日の晩飯はそれにしてやってもいいぞ」
「ナカター、スズキー、ホンダー、トヨター」
「何だ、織田裕二はないのかよ。ならいらねーや、またねー」
「マタ後デー、ココハ16番、アナタヤクソク、ヨロシクネー」

Marrakech3 こんな調子でお互いからかい合いながら屋台の中を練り歩く。
肝心の屋台物のお味の方はどうかといえば、どこもそれなりに悪くはない。
悪くはないんだけれど、どれもそこそこいいお値段。
どの屋台でも値段は品ごとにちゃんと表示されているものの、外国人観光客が相手だとほんのちょっとしか皿に盛らないような性質の悪い屋台もある。
すぐ近くにある市場の中の安食堂街の方が、同じ値段でずっと腹一杯になるため、5日間の滞在中俺はほとんどそっちで食べていた。
広場の屋台物でのオススメはハリラと呼ばれるスープ、数種類の香辛料を混ぜ入れてある特殊なお茶、それと昼間から売っている新鮮オレンジジュースくらいかなぁ。
ゲテ系ではエスカルゴも売っているけど、見た目がナメクジそっくりでグロすぎるし、味はくせが強くて日本人好みじゃない。
期待していた羊の脳みそも、ここのはイマイチの味だった。
あとは日本のカルメラ焼きに似た小さなお菓子(名前はないそうだ)。
屋台じゃなくておばちゃんたちが持ち歩いて売っているんだけれど、柔らかい食感で甘いココナツ味がする。
昔トルコでよく食べていた俺の好物だが、モロッコではここで初めて見かけた。
1個1ディルハムとお安い物なので、観光の合間の腹ごなしに丁度いい。

マラケシュでは他にも宮殿や博物館や郊外の庭園などを見学。
その庭園の位置が「歩き方」の地図でとんでもない場所に表示されていたため、またもや大きく遠回りしてしまったが、ワルザザートで「歩き方」の郊外表記はあてにならないと思い知らされていたばかり。
我ながら学習しないやつだと思うのであえて文句をいうつもりはない。
ただ、後で知ったことだが、「ロンプラ」のモロッコ編でも全く同じように間違えて表示されていた。
ひょっとして「ロンプラ」から情報パクってる可能性あり・・・??
ま、別にいいけどねー。

アイト・ベン・ハッドゥ3 - 「騙されたっ!」

ABH3-1 昨夜はだいぶ早めに寝付けたこともあって、この日ちゃんと早起きすることができた。
日の出前で空は薄暗く宿の連中もまだ寝ているようだったが、風邪引かないように厚着をしてからいそいそと外に出る。
外気は肌を刺すように寒く、吐く息も白い。

川を渡ってカスバの前で待ち構え、オアシスの向こうから輝きを放ち始める眩しい光を身に浴びる。
光は丘の上から徐々にカスバ全体に差し掛かり、茜色に染まりゆく様をゆっくりと眺める。
村人もまだ寝静まっているようで、観光客も一人もいない。
川のせせらぎだけがチロチロと静かに流れている。
この美しい光景を独り占め・・・最高の気分だ。

宿に戻り軽い朝食を済ませ、手荷物をまとめてからまた外に出る。
川の渡し場にたたずんで、しばしカスバの見納めをしていた。

しばらくすると、この日最初の団体客の御一行がやってきた。
渡し場の手前でガイドが客たちにカスバの説明をしている。
ぱっと見は金持ちモロッコ人といった感じの人たちなのだが、どことなく雰囲気が違う。
ガイドが話す言葉に耳を傾けてみても、どうもアラビア語ではないようだ。
フランス語のようも聞こえないこともないけれども、それとも違う。
どこかで聞いたことのある言葉なんだけれども、いまいち思い出せない。

何気なく彼らを眺めていたら、渡し場の近くに店を構えるハッサン親父も顔を出してきた。
ガイドとは顔見知りらしく、親しげに挨拶を交わしていた。
「あの人たち、どこの国の人?」と聞いてみると、
「イスラエルからだよ。ユダヤ人さ」とのこと。
なるほど、あれはヘブライ語だったか。
「おっちゃんはヘブライ語もできるの?」
「いやぁ話せないよ。でも単語単語でアラビア語に似たものもあるからね。少しくらいなら聞き取れる」
「イスラエル人もモロッコには来れるんだね。他のイスラム教国では入れない国も少なくないようだけど」
「モロッコはどんな人たちでも歓迎するのさ。イスラエルという国ができてからは彼らも出て行ってしまったけれど、昔はモロッコにもユダヤ人がたくさん住んでいたんだよ」
「らしいね。でも政治的な関係はどうなの?うまくいってる?」
「うーん・・・おっちゃんも正直にいえば彼らのことはあまり好きじゃない。政治的にも問題があるかもしれない。でも政治と人とは別さ。彼らも世界中で嫌われている可哀相な連中だしね。モロッコは他のイスラム教国よりも異教徒にはずっと寛容なのだよ。数は少ないけれどもこの国にはキリスト教の教会もあるし、ユダヤ教のシナゴーグだってある。どんな宗教の人でもみな歓迎さ」
「いいね、そういうの。俺もこの国はとても居心地がいいよ」

カスバの見納めも十分に済ませ、ハッサン親父にも別れを告げる。
「またいつか。おっちゃんの商売が上手くいくように祈ってるよ!」
「ありがとう。君も元気でな。・・・あ、ちょっと待った!」
「ん?」
「最後にもう一回だけ寄っていけ。一分でいいから(笑)」と俺の腕を掴む。
「ったく、ホント相変わらずだなぁ(笑)」
「ガハハ、冗談だ。よい旅を!」

ABH3-2他の土産物屋の親父たちや宿の兄ちゃんたちにも別れを告げ、来た時と同じようにまた街道を歩いてマレ川まで戻る。
アイト・ベン・ハッドゥの村で過ごしたこの3日間、なかなか思い出深いいい旅だったように思う。
天気も最高だったし、完璧だね、めでたしめでたしだ。






・・・ん?
表題の「騙されたっ!」って何のことかって?
実はそれはこの後のワルザザートに戻る道すがらに起こることなのである。

マレ川からも来た時と同じように乗合いタクシーでワルザザート方面に向かったのだが、まだ時間に余裕があったので帰りがけにティフルトゥトのカスバにも立ち寄っていくことにした。
アイト・ベン・ハッドゥというメインディッシュを楽しんだ後でカスバはもう満腹状態だったのだが、最後のデザート代わりにもう一つくらい見ておこうと思ったのだ。

ワルザザートまであと8キロの地点で降ろしてもらう。
そこから脇道にそれて1キロほど歩いた場所に、そのティフルトゥトのカスバはあった。
見た感じでは中身はたいしたことがなさそうだったので、外面だけ写真に収めてから帰途に着く。
タクシーも使わず歩きで帰るつもりなのだが、ここで一つの問題が。

手持ちの「地球の歩き方」によると、ワルザザートから来た場合、このカスバは道の右側に見えてくると説明されている。
ところが、実際に俺が歩いてきたように主要街道の8キロ地点で脇道にそれて辿り着くと、カスバはなぜか道の左手にあるのだ。
図で書かないと上手く説明しづらいのだが、その脇道はカスバをぐるりと囲むようにして巡り、カスバの近くで二手に分かれて、一方は別の町の方角へ、もう一方はどうやらワルザザートに続いている様子。
地元の人に尋ねてみても、その道を通ってワルザザートに戻ることができるという。
記述から判断するに「歩き方」の調査員は歩きではなくタクシーかレンタカーで来ていたようだが、それが正しいとするならばワルザザートからは主要街道ではなく、この脇道の方を通って来ていたことになる。
それならばカスバは右手に見えてくるからだ。

ま、どっちで帰ってもさほどの違いはなかろうと、脇道の方をてくてく歩いてワルザザートを目指す。
本日もこれまた快晴で日差しがとても強い。
乾燥しているのであまり汗はかかないが、それでもやはり喉は乾いてくる。
今日は出掛けにペットボトル入りの炭酸ジュース買ってきたので、それをちびちびやりながらひたすら歩く。

もうだいぶ進んだかなと思った頃、巡察中の警察に職務質問を受ける。
こちとら人畜無害の日本人旅行者なので全く問題ないのだが、この警官が妙なことをいいやがった。
「ワルザザート?ここからなら戻って主要街道に出た方が早いんじゃないかなぁ・・・」
「げ、マジ?・・・でもこの道でも行けるんだよね」
「ああ行けるさ、問題ないよ」
・・・ちょっと迷ったが、同じ道を引き返すのはあまり好きじゃないんだよね、このまま行っちゃえ行っちゃえ。

さらに歩き続けること2時間近く。
段々と様子がおかしいことに気がつき始めた。
脇道はワルザザート川の南を川と平行に走りながら東の方にある町に続いているようで、想像するに川の北側を走る主要街道とは町の手前辺りで合流するものだと思っていたのだ。
ところが道は合流するどころか、進んでいくにつれて左に見える川の幅はどんどんと大きくなり、前方には橋らしきものは一向に見えてこない。
しまいには川の反対側にワルザザートの街並みが見えてきた。

ワルザザートは横に長細くできた町で、ワルザザート川の北側に東西数キロにわたって延びている。
出る前に荷物を預けていて今日も泊まる予定の宿は、その町の西のはずれに位置しているのだ。
つまりどういうことかというと、最初から主要街道を伝って戻っていたならばもうすでに宿の辺りに着いていておかしくない頃なのだ。
今歩いているこの道はどうやら町の南を大きく迂回して、東側の方に繋がっている様子。
ぐはっ、町の長さが2~3キロだとすると、単純計算で5キロ前後遠回りしていることになるぞ・・・。

すでに足にはマメがいくつか発生しており、よぼよぼじじいのような速度でしか歩けない状態。
途中で何度かへたり込みそうになったが、ヘトヘトになりながらもなんとか日暮れ前に宿に辿り着くことができた。
この宿の親父はとても親切なモロッコ人なのだが、この時も「帰り道はこれこれこうで大変だったんだよ」というと、「そんな遠回りな道でよく歩いてきたね!さぞかし疲れただろう!」といいつつ、下のレストランからカフェオレを注文しておごってくれた。
この疲れ果てた身にはとてもありがたかったので、遠慮なくいただくことに。

ふぅ・・・。
それにしても今日の歩きは辛かった・・・。
アイト・ベン・ハッドゥからマレ川までが9キロで、ティフルトゥトからワルザザートまで戻る道が本来ならば8キロ。
合わせて17キロならなんとか歩けるかなと思っていたところで、追加でさらに大きく遠回りするはめになったのだ。
それというのも「歩き方」の記述を安易に信じてしまったからである。

今回の間違いは、おそらく年度を重ねるごとに複数の調査員の調べた内容がごっちゃになってしまったからなんだと思う。
レンタカーで行った場合とタクシーで行った場合とで道が違っていたのだろう。
そうでなければ、調査員が乗ったタクシーが料金を多く取るためにわざと遠回りの道を通って行ったからなのかもしれない。
もし後者のせいであれば、悪いのは調査員ではなくモロッコ人の運転手ということになるので「歩き方」を責めるのは少々酷かとも思うが・・・。
以下、個人的な文句をぶちぶちと述べさせてもらうけれど、読者の方にはあまり関係のないつまらない話になると思うので興味のない人は読み飛ばしてほしい。

----------

たぶん日本で一番売れていると思われる旅行ガイド本、「地球の歩き方」シリーズ。
記述や地図の表記に間違いが少なくないことから、旅行者からは「騙し方」だとか「迷い方」などと罵られることもあるこのガイドブック。
中には「『歩き方』なんて使うのは真のパッカーじゃないですよねー」などと小生意気なことをほざく学生もいた。

でも個人的にはなかなか使いやすいガイドブックだと思っている。
気に入らなければ使わなければよいだけだし、ガイドブックなしでの旅の楽しさもよく知ってはいるけれども、今回の旅ではできるだけ多くのガイドブックを参考にしながら進むようにしている。
何の情報もなく着いた町で毎回毎回自力で安宿を探し歩いたりするよりは、ずっと効率がよいからだ。
この「歩き方」シリーズにも実際にいろんな国でお世話になっている。
80年代頃のものは旅行者の体験談を中心にまとめられていて、旅行ガイドというよりはちょっとしたお笑い本のような趣があった「歩き方」。
最近のものは短期旅行者向けに高めの宿やレストランの情報が多くなり、読んでいて年々面白みに欠けてきているとは思うけれども、それでもやはり英語の「ロンプラ」にも載っていない見所や安宿の情報でそれなりに頼りになる存在だ。

手持ちの「モロッコ編」は比較的よくできている方だし、そもそも自分で買ったわけではなく人からもらった本なので、文句はあまりいいたくない。
もうね、地図の中で宿や見所の位置が数ブロック違う場所に示されていることがあっても、そのくらいなら大目にみるよ。
その程度なら「ロンプラ」でもしょっちゅうあることだし、「ロンプラ」みたいに数年前に閉店したはずのレストランをずっと載せ続けていたりするよりはましだ。
バスの料金などで実際よりだいぶ高めに記載されていたとしても、この調査員ボラれているなーと思うだけだ、許す許す。
ブラジルのとある町では地図に書かれた道の名前が完全に間違っていて、宿探しに全然見当違いの場所を歩きまわされたこともあるけれども、今となってはそれも懐かしい思い出だ。

でもね・・・右だとか左だとか、西だとか南だとか、そういう基本的な間違いはできる限り避けてほしいと小声でいいたい。
特に郊外の見所に関しては細心の注意を払ってもらいたい。
ちょっと間違えただけで、今回のように何キロも遠回りさせられることになるのだ。
他にもワルザザート周辺の見所に関しては、実際には8キロあるけれども本の中では3キロと書かれているような箇所もあった。
往復で6キロと16キロじゃ、えらい違いだぞオイ・・・。

そりゃぁね、郊外の見所へはタクシーやレンタカーで行く方法について書いてあって、徒歩での行き方を書いてあるわけではない。
多少記述が間違っていようとも、タクシーなら迷わず行ってくれるだろうし、レンタカーなら数キロ遠回りしたとしても大した問題じゃないのかもしれない。
でもね、俺のように数キロくらいなら平気で歩いて行こうとする旅行者もいるんだよー。
仮にも「歩き方」なんだからさ、短期旅行者向けに手軽な「タクり方」ばかり載せていないで、もう少し貧乏長期旅行者にも配慮してくれると嬉しいんだけどなぁ・・・。


----------


てなわけで、今回見事に俺を騙してくれたのはモロッコ人ではなく「地球の歩き方」だったというお話でございました。
ちゃんちゃん。

モロッコで騙されないための注意を懇切丁寧に書いてくれている「歩き方」。
このままだと誰にも騙されることなく無事にモロッコの旅を終えてしまいそうだと思っていたら、俺はアンタに騙されちまったよ、トホホ・・・(笑)

アイト・ベン・ハッドゥ2

ABH2-1 目覚ましを朝6時に設定していたはずなのだが、目が覚めるとすでに9時をまわっていた。
どうやら暴睡していたらしい。
あちゃ、朝日は見逃してしまったか・・・。

昨日に引き続いて本日も快晴。
アイト・ベン・ハッドゥのカスバ自体は十分満足していたので、ワルザザートに戻ってもよかったんだけど、もう一泊しようかどうか少々悩んでいた。
昨日のカスバ見学の合間に土産物屋を冷やかしながらそこのベルベル人やトゥアレグ人たちと仲良くなっていたのだが、彼らからもう一つの見所について勧められていたのだ。
アイト・ベン・ハッドゥから川沿いの街道を上流に向かって5キロほどのところに、タムダフトという名のカスバとオアシスがあるという。
規模は小さいながらも美しいオアシスで、アイト・ベン・ハッドゥと違って観光客は滅多に行かない場所らしい。
「歩き方」にも「ロンプラ」にも載っておらず、俺も初耳だったが、写真で見る限りでは悪くなさそうなところだ。

ガイドブックにも載っていない、観光客もほとんど行かないような穴場か・・・。
旅人心をくすぐってくれるじゃないか。
その手の場所というのはえてして当たり外れが大きいものだが、たとえしょぼかったりしても、この青空だ、いい散歩にはなるだろう。
それにもう一泊すれば、今朝は見逃してしまった朝日にも再挑戦できる。
モロッコでの滞在可能日数が残りわずかなので、早めにワルザザートに戻りたい気持ちもあったのだが、焦って移動するのは元々好きじゃないしなー。
てなわけで、賛成80反対20くらいで延泊決定。

カメラだけぶらさげて、水も持たずに出発。
街道を北へ北へと歩くこと約1時間、目的のタムダフトらしきカスバが見えてきた。
谷間の緑のオアシスを見守るようにして、丘の上に土の砦がそびえている。
と、それはいいんだけど・・・なんだありゃ?
カスバの前の広場にキャンピングカーらしき車がうじゃうじゃ停まっているじゃないか。
観光客はほとんど来ない場所じゃなかったのかよー。
「ふっ、騙されたぜ・・・」
いや、別に騙されたってほどじゃないんだけれど、モロッコでは一度は言ってみたい台詞だ(笑)。
ま、多少は客がいようとも、アイト・ベン・ハッドゥほどではなかろう。

ABH2-2ところがカスバに近づいてみると、なんだか様子がおかしい。
カスバの上には照明器具のようなものが取り付けられ、入口の辺りには地元の人でも観光客でもなさそうな連中が忙しそうに動き回っている。
もしかして、映画か何かの撮影か?

カスバの中に入っていこうとすると、いかにも映画監督といったような風貌の大柄モロッコ人に止められる。
「悪いが今は入れないんだ。見ての通り撮影中でね」
「映画?」
「いや、テレビ番組だ。イタリアのね。俺たちはモロッコの製作会社なんだけど彼らに協力しているのさ」
「ふーん、ちなみにどんな番組の撮影なんだい?」
「若い女性たちをこのカスバの中に数日間閉じ込めて、いろんなゲームで競争をさせながら、最終的に優勝者を決めるという番組だ」
出演者を軟禁状態にするあたり、なんだか日本テレビが若手芸人にやらせそうな企画だなぁ・・・。
でもそれとは別にどこかで聞いたことのある話だ。
「それってもしかして元々はアメリカの番組で、確か『サバイバル』とかいう・・・」
「そう!まさにそれだよ。その番組のイタリア版さ」
アメリカのヤツは無人島やジャングルなどでやっていたのをどっかの国の宿のテレビで観たことがあるなぁ。
確か日本でも同じような番組をやってたんじゃなかったっけ・・・?

よく見ると救急車までちゃんと待機している。
カスバの中ではイタリア美女たちの過酷な戦いが繰り広げられているのだろうか。
「中にはどうしても入れないのかい?」
「遠くからわざわざ来ているのに申し訳ない。裏手のオアシスの方なら問題ないのだが・・・」
ふむふむ。
ま、どうせこのカスバの中身も今まで見てきたものと大差なかろう。
もし入れていたとしても、入場料を取るようだったら入らなかったかもしれないしね、別にかまわんよ。

ABH2-3 カスバの周りの、同じように土で出来た集落をぐるっと大周りして、裏の谷間に下る。
ここのオアシスもアーモンドやオリーブの木が生い茂る果樹園になっている。
アーモンドの木ってこの辺りに来て初めて見たのだけれど、まるで梅や桜のように白い花をつけている。
最初は杏子かとも思ったのだけれど、地元の人に聞くとみなアーモンドの花だという。
ちょっとした花見気分でオアシス内を散策。
こんな綺麗な花も眺められるなんて、ホントいい時期にきたなぁ・・・。
木々の間を灌漑用の水路が走っている。
荒れ果てた砂漠の中を歩いて辿り着いた緑のオアシス、喉はカラカラだったけれども、この清涼感にはなんとも心癒されるね。

カスバのちょうど真裏の辺りで写真を撮っていたら、イタリア人の撮影スタッフらしき人がやってきて止められる。
「関係者かい?違うなら入ってきちゃだめだ」
「裏のオアシスならいいって聞いたけど」
「あそこに白く塗ってある石があるだろう?あれよりこっち側は製作会社の貸切なんだ」
「了解。邪魔するつもりはないんだ。2~3枚撮ったらすぐに出るよ」
「早くしてくれよ。オエライさんに見つかると、俺はいいけど、君にとっては大問題だ」
んー?
半ば脅し文句とも受け取れる最後の一言がちと気になったけれども、ここは大人しく退散してあげよう。
もしアイト・ベン・ハッドゥの方で撮影でくだらん番組を撮影しているようだったら、嫌でも邪魔してやるところだけれど、ちゃんと人のあまり来ないカスバでやっていることだしね、許してあげるとしよう。

一通り見てまわった後、できれば喉を潤したかったところだが、あいにく茶店も売店も見当たらない。
村人のベルベル親父を捕まえて、お茶を飲めないか聞いてみたら、彼の家で用意してくれるという。
失礼かとも思ったが、一応値段を聞いてみると「いくらでもいい」という。
重ね重ね失礼かとも思ったが、いくら欲しいかしつこく聞いてみたら「10ディルハム」というボリボリお値段。
お茶なんてこの辺りなら普通は3ディルハム、高くても5ディルハムがいいところ。
しかたない、宿まで戻ってからにするか。

オアシスに辿り着けども茶も飲めず・・・か。

また一時間かけてアイト・ベン・ハッドゥの村に戻る。
炎天下を歩き通しでカラカラになった喉を潤すため、炭酸ジュースを買ってがぶ飲み。
その後はまたアイト・ベン・ハッドゥのカスバをぼーっと眺めたり、土産物屋の連中と遊んで過ごす。

この土産物屋の連中なんのだが、ここのやつらはかなりしつこい手合いが多い。
「見るだけ。ほんのちょっとでいいから」
モロッコの土産物屋の呼び込みは必ずこの言葉から始まる。
そして見るだけでは決して済まそうとしない。
「見るだけだ。買わなくていいから」が1分後には「どうして買わないんだ」になるあたり、どいつもこいつも感心したくなるほど図太い神経してやがる。
どうせ何も買うつもりはないし、全く同じパターンで攻めてくる土産物屋とのやりとりにも飽き飽きしていたので、相手にしなくてもよかったのだが、何度も店の前を通り過ぎながら挨拶を交わしているうちに、暇つぶしに一回くらいは入ってやってもいいかという気になってくる。
この二日間で、すでに村の土産物屋の連中とはほとんど全員顔見知りになっていた。
毎回毎回断りながら通り過ぎるのも気が引けるんだよね。
俺って実は結構押しに弱い方なのかもしれない。

「悪いね、ホントに買う気はないんだ。見るだけだっていっても、あんたらいつもそれで済まそうとしないだろう。がっかりさせたくないんだ。わかるかい?」
「かまわん。見るだけ見るだけ。絶対気に入る物があるから」
「はぁ」・・・わかってねーよコイツも、と苦笑ししつつ、親父に袖を引かれるままに店の中に連れ込まれる。
親父はベルベル人のペンダントだのトゥアレグ人のブレスレットだのを、いろいろと説明しながら絨毯の上に次から次へと並べていく。
俺はホントに興味ないので、ぼーっと眺めるだけ。

モロッコ人の土産物屋の親父は大きく分けて二つ種類の性格にわかれるようだ。
こちらに興味がないとわかると、段々しょぼくれていくヤツと段々興奮してくるヤツだ。
たいていは前者のタイプの比較的かわいい手合いの親父が多い。
しょぼくれてくれたところで適当に世間話を交わして店を出る。
5分で片がつく楽な相手だ。
後者の時はちと面倒だが、なるべく相手の自尊心を傷つけないように適当に話を合わせ、頃合を見計らってから店を出る。
それでも長くて10分がいいところかな。

ところが今回入った店のうち、一人の親父が異常なまでのしつこさで迫ってきた。
ハッサンという名のトゥアレグ人のこの親父、買わないで出ようとすると「なぜ何も買わない!一つくらい買っていってもいいじゃないか!」と怒り出す始末。
「だから最初から言ってるだろ、買うつもりはないって」
すぐに振り切って出てもよかったのだが、この親父からはタムダフトのカスバのことを教えてもらったという小さな恩もあったのだ。
この店の前もまた何度も通るだろうしなぁ、もう少しだけ付き合ってやってもいいか。
「正直いって、カネにあまり余裕がないんだ。わかってくれよー」
「・・・その高そうなカメラはいくらした?」
「1000ユーロくらいだったよ」
「日本からモロッコまで飛行機代はいくらする?」
「それも往復で1000ユーロくらいかな・・・」
「それでもお前はカネがないのか」
「ウン・・・」
こんな風に攻められると、もう苦笑するしかない。

「俺みたいな個人旅行者を相手にしなくてもさぁ、団体で来ている人たちが大勢いるじゃないか。彼らの方が絶対カネ持ってるって。結構たくさん買っていくんだろう?」
「いや、彼らはみな買い物はマラケシュやフェズで済ますようだ。ここで使える時間も少ないからね、そう多くは買っていかない。みんなカスバの写真だけ撮って何も買わずに通りすぎて行く・・・」
といって親父はややうなだれる。
ふーむ、観光客が多い割りには、それほど繁盛しているわけじゃないんだなぁ。
「・・・こういう話はあまりしたくないんだけどね、見ろよ、俺のズボン、ぼろぼろだろ?靴だってほら穴が開いているんだ。絨毯を買うようなカネがあったらだな、俺は新しい服や靴を買いたいんだよ」
「・・・・・」
「飯だっておっちゃんたちより食べてないと思うよ。今朝もカフェオレ一杯だけだし、昼も抜いてる。ラマダン(断食月)じゃないけどラマダンみたいなもんさ」
「そうか・・・食べてないのか・・・」
「わかってくれたかい?」

しばし沈黙。

「よしっ、おっちゃんはこれから飯にするところだ。お前も一緒に食べていけ!」
「いやいやいや!そんなつもりじゃないんだって!何も買わないのに飯なんかおごってもらっちゃ悪いよ。それに俺は朝や昼を抜くことがあっても夜はちゃんと食べているんだから心配してくれなくてもいいんだ」
「気にするな。もうお前から何か買ってもらおうなんて思ってない。いいから食ってけ食ってけ!」
本気で遠慮してたんだけど、親父は店に誘う時と同じような強引っぷり。
財布の紐は堅くても、俺はやはりどこか押しに弱いところがあるようだ。
断りきれずに、小間使いの少年がどこからか買ってきたサンドイッチとジュースをいただくことに。
「飯は一人で食うよりみんなで食べた方が美味いもんだ。このサンドイッチもなかなかいけるだろう?」
サバのトマトソース煮をつぶしたものが入っているだけの素朴なサンドイッチ。
でも、結構空腹だったこともあって、実際かなり美味しく感じた。
「ありがとう・・・マジで美味いよ、これ」
「明日はワルザザートに戻るのか?」
「うん、たぶんね」
「いつかまたモロッコに来ることがあったら、ここにも必ず来い。そしておっちゃんの店で絨毯買っていけ(笑)」
「わかった。そん時ゃたんまり買わせてもらうよ。金持ちになってくるから店ごと買っちゃうかもよー(笑)」
「ガハハハハ、待ってるぞ!」

ABH2-4 再度お礼を言い残して、親父の店を後にする。
その後はまた夕暮れ時のカスバの写真を撮ったり、丘の上に登って沈みゆく夕陽を眺めたりしながら過ごす。
暗くなってから宿に引き返し、晩飯には昨夜と同じようにタジンを頼んだ。

この宿の滞在者は今は俺だけしかいないようで、レストランにも今夜は他の客は来ておらず閑散としていた。
ここのレストランのタジンは日本人の団体客もよく利用するだけあってなかなかの美味。
でも何となく、ハッサン親父と一緒に食べたあのサンドイッチの方がずっと美味しかったような気がするなぁ・・・。

アイト・ベン・ハッドゥ1

ABH1-1 次の目的地はアイト・ベン・ハッドゥと決めていた。
ワルザザートの町から30キロの郊外にある有名なカスバで、モロッコではサハラ砂漠と共に個人的に一番楽しみにしている場所。
丘の斜面に作られた土の城砦アイト・ベン・ハッドゥ、モロッコで一番美しいともいわれるそのカスバは世界遺産にも登録されている。
芸術的なまでに絵になるこのカスバは昔から世界各国の映画関係者の注目を浴びており、数々の映画撮影に使われてきた。
有名なところでは「アラビアのロレンス」「ソドムとゴモラ」「ナイルの宝石」「グラディエーター」「ハムナプトラ2」などだ。
全部観たことないんだけどねー(笑)。

トドラ峡谷を見た後は、またしばらくティネリールでのんびり。
弁解するわけではないが、純粋に晴れ待ちの日々であった。
部屋に閉じこもることもなく、茶店でフランス語の勉強をしたり、町の周辺のオアシスを散歩したりしながら、そこそこ健康的な生活を過ごしていた。
次のワルザザートまで行ってしまってもよかったのだが、ワルザザートよりはティネリールの方が物価が安いと思ったため、居心地のいいこの町でゆっくりしていたのだ。
そして雨が続く日の合間の比較的ましな天気の日にワルザザートまで移動。
そのワルザザートでもさらにしばらくは晴れ待ちが続いていたのだが、5日目にしてようやく文句ない快晴に恵まれた。
天気予報で確認しても、この後一週間くらいはこの快晴が続きそうな気配。

ABH1-2 晴れ待ち。
この日記では今までに何度も出てきた言葉であるが、ここらで少々説明を加えておきたい。
読者の方々の中には「晴れ待ちで一週間??ありえない!!」とか「まーた沈没するための言い訳だろ~」とか思う方も少なくないかもしれない。
確かにごもっともな話なんだよね、特に後者(笑)。
雨が降ると休日になるという肉体労働者のごとく、観光に出れない反面、一休みできると喜んでしまっている自分がいる。
でもね、ここぞという場所ではやはり最高の天気の時を狙って撮影に臨みたいのですよ。
日本を遠くはなれてこんな所まで来る機会などそうないのだから、安易に妥協したくないんだよなぁ。
同じ場所を訪れても、天候次第でその印象が全然違ってくることが多々あるし。
料理はちゃんと明るい場所で食べてこそ美味しいのと一緒で、見所も晴れ空の下で存分に味わいたいのですよ。
長期旅行者っていうのはカネはないけど時間だけはたっぷりあるものなのだ。。
逆に言えば時間こそが俺らのような旅人の最大の武器、せっかくだからその武器を最大限に活かしていきたいのである。
とはいうものの、ここモロッコではすでにその武器の実弾(滞在可能日数)も残りわずかになってきてはいるんだけどね・・・(苦笑)

ABH1-3 ワルザザートの宿に荷物を預け、朝飯をカフェオレ一杯ですませてから、バスターミナル前にたむろする乗合いタクシーの親父たちに話しかける。
「アイト・ベン・ハッドゥに行きたいんだけどー」
「片道か?往復か?片道なら150ディルハムだ」
「うーん、そいつは一台丸々雇った場合のお値段だよね。俺には払えん。途中のマレ川まででいいから乗せておくれ。そこまでなら乗合いで10ディルハムで行けるっしょ?」
「マレ川に行くやつはもう出ちまったよ。次のやつを待たなきゃならない。何時間後になるかわからんぞ」
「かまわんよ。待つ待つ」
「今日はもう出ないかもしれない。それでもいいのか?」
「いいよー。だめだったらまた明日にするから」
「そうか・・・そこまでいうならしょうがない。この車に乗れ」
「へ?」
「これがマレ川に行くやつだ。お前が6人目で最後の客だからすぐ出発だ」
おいおいおい!そんな状況だったら最初からとっと乗せろってんだ!
ったく、これだからモロッコ人てやつは・・・(苦笑)

グランタクシーという名で呼ばれるこの乗合いタクシー。
日本のタクシーとさほど変わらない大きさなのだが、乗客は通常6人まで乗せる。
助手席に2人で後部座席に4人。
でっぷりでぷでぷのおばちゃんと一緒に助手席の方に詰め込まれ、いざ出発。

ABH1-4 ワルザザートから20キロの地点のマレ川まではあっという間に到着。
そこから先のアイト・ベン・ハッドゥまでの9キロはさらに乗合いタクシーもあることがあるらしいのだが、俺が着いた時にはあいにく一台の車もなかった。
ま、元々この9キロは歩いてもいいつもりでいたので、てくてくと歩き始める。

事前にワルザザートの宿の親父から聞いていた通り、道は平坦で歩きやすい。
荒涼とした砂漠の中の一本道、前方を遠く仰ぎ見ればアトラスの山々が白く雪を被っている。
途中で後ろから来た車が停まり「乗りなよ、お金はいらないから」と親切にいってくれたが、なんとなく最後まで歩いていってみたい気分になっていたので丁重に断って歩き続ける。

歩き始めてから2時間ほど、もうそろそろかなと思っていた頃。
前方に延びる道が左右の丘の切れ目の合間を抜けていて、その丘を過ぎると急に視界が開けてきた。
緑豊かなオアシスの先、右斜め前方の小高い丘の麓に肌色の集落がへばりついているのが見える。
あれがアイト・ベン・ハッドゥか・・・。

ABH1-5 村の入口の手前の辺りに、ちょっとした展望台のような場所がある。
そこからの写真を何枚か撮った後、村の中へと入っていく。
ちなみにアイト・ベン・ハッドゥのカスバと現在の村とは川を隔てて分かれており、川の手前の村の方には街道沿いに10数軒の宿が連なっている。
アイト・ベン・ハッドゥのカスバそのものの方にはベルベル人やトゥアレグ人の5~6家族が住んでいるだけだそうな。

ここを数週間前に訪れた旅仲間のタカハシさんからすすめられていた「ラバラカ」という宿を目指す。
宿はすぐに見つかり、100ディルハムを50ディルハムに値切って部屋を取る。
このラバラカという宿、モロッコの田舎でよく見かける形のカスバ形の味のある外観。
田舎だから中身は簡素かと思いきや、都会の安宿よりもずっと小奇麗な部屋に案内された。
シャワーやトイレが共同でなく、ちゃんと部屋に付いている。
タオルや石鹸もきちんと備え付けられていて、フェズやメクネスあたりでこれほどの部屋なら200~300ディルハムはしてもおかしくはない。
屋上のテラスからはアイト・ベン・ハッドゥのカスバも見下ろせる。
こんなところにわずか50で泊まれるなんて、お買い得感ばりばりだなー。

ABH1-6 宿にはテント式のレストランが2棟併設されている。
この時には60人くらいの日本人団体観光客が貸切りで昼食を取っていた。
「日本人もよく来るの?」
「来るよー。日本人はウチでもお得意様だ。君も歓迎するよ」
「ありがとう」
「でも日本人は冬にしか来ないね。欧米人は夏も冬も来るけれど。どちらにせよ団体さんたちは午前中にカスバを見学して、ここで昼を食べ、午後にはワルザザートやマラケシュに戻っていってしまう。忙しい人たちだよね」
「ふーん、そうなんだ」
「ご予定は?何泊するつもり?」
「うーん、とりあえず一泊だけのつもりで来たけれど、気に入ったら二泊するかも」
「いいところだからね、きっと気に入ると思う。ゆっくりしていくといいよ」
何となくもうすでに気に入りつつあるような気がする。

砂糖いっぱいの甘いカフェオレで一服ついてから、いよいよお待ちかねのカスバに向かう。
案内しようと数人のガキが付きまとってきたが「カネならないぞ」と振り払う。
村とカスバを隔てる川の渡し場にはロバやラクダが待機していて、ロバなら10ディルハム、ラクダなら20ディルハムで渡してもらえるようだ。
でも飛び石のように土嚢を並べてあるので、それを伝えば歩いても簡単に渡ることができる。
川を渡るとその先には、絵に描いたような美しい姿のアイト・ベン・ハッドゥが眼前に立ちはだかる。
うーん、期待通りに見事なカスバだ。

その後は、カスバの中を見学したり、丘の頂上からの景色を楽しんだり、手前のオアシスを散策したり、この美しいカスバを様々な角度から写真に収めたくて、何時間もひたすら周囲を探索し続けていた。
カスバは陽が傾くにつれ、徐々にその表情を変える。
夕暮れ時に橙色に輝く様が特に美しい。
夢中になって撮影を続け、気がついたら500枚も撮っていた・・・。
傍で見ていたモロッコ人たちから「写真家なのか?」といわれる始末。
うーん、確かに我ながらアホみたいに撮ってたなぁ・・・。
写真のデータを焼くためのCD代もばかにならないことだし、「下手な鉄砲」式ではなくもっと狙いをつけて撮れるように腕を磨かなきゃだな。

ABH1-7カスバの中はもう廃墟そのものなのだが、人の住んでいるらしき家や土産物屋が数軒あった。
そのうちの一つの店で、スレイマンという名の兄ちゃんと仲良くなる。
ドレッドにきめた髪型がよく似合うトゥアレグ人の兄ちゃんだ。
最初はいろんな土産物を勧めてきた彼も、こちらが買わないとわかると後はひたすら世間話。
古ぼけて色褪せた写真を見せながら、彼の家族や砂漠での遊牧生活の様子などを自慢げに話し続ける。
気のいい兄ちゃんなので、こちらも楽しくてつい長居していたのだが、その内に話は段々と下ネタの方へと加速していく。
よくある話なんだけれども、どこの国でも男同士の会話なんてたいていそんなものかもしれない。
「俺はトゥアレグだけど、ベルベル人の女が大好きだ。彼女らはトゥアレグの女よりずっと美人でとても熱い」
「へぇー、ムスリムなのに結婚前でも遊んだりする女性がいるのかい?」
「普通の人は無理さ。町へ出てカネを出して遊ぶんだ」
「モロッコにもそういう場所があるとは初耳だよ」
「あるある。結婚したら○○○はもちろんできるけど、×××や△△△はできなくなる。アッラーが禁じているからだ。でも結婚前なら全部問題ない。日本ではどうだ?」
「日本では結婚の前でも後でも一応どれも問題ないけれど、×××はあまり一般的じゃないね。○○○や△△△は・・・(以下略)」
「いいなー、俺もいつかは日本人の女と・・・(以下略)」
あからさま過ぎて品がないので続きは割愛せざるを得ないのだが、ま、古今東西、男同士集まるとどうしてもこの手の話に花が咲いてしまうものなのである。

夜は宿のレストランでタジンを賞味。
レストランには欧米人団体観光客も来ていて、宿の兄ちゃんたちが太鼓演奏を披露していた。
特に民族衣装を着たりしていなかったので写真も撮らなかったけれど、なかなかの見ものであった。
さてと、明日は早起きして朝日を浴びるカスバでも狙ってみようかな。

トドラ峡谷

Toudgha1 モロッコという国は、砂漠があり、迷宮都市があり、美しい海岸線をもつリゾートもあったりして、非常に変化に富んだ景観を楽しませてくれるのだが、国の中央を斜めに走るアトラス山脈によって大きく二つの顔に分けることができる。
3000~4000メートル級の山々が連なるアトラス山脈を境にして、北側は比較的緑豊富な土地、南側は荒涼とした砂漠地帯だ。
北の大都市では城壁に囲まれたメディナ(旧市街)が主な見所になるのに対して、アトラスの南は砂漠やカスバ(城砦)やオアシスといった、辺境の世界を楽しませてくれる所だ。

エル・ラシディアからワルザザートの町まで「カスバ街道」と呼ばれる道が走り、バスで移動していると沿道に点在するカスバやオアシスの村々を横目に眺めながら進むことができる。
延々と続く乾ききった大地、かと思えば数10キロごとに通りすぎるオアシスの村では満々と水を湛えた川を中心に緑豊かな田畑が広がっている。
車窓からはオアシスで暮らす人々の素朴な暮らしぶりも垣間見れるし、遠くを仰げば雪を頂くアトラスの山々が青空の下に映えている。
昔はサハラ砂漠の南とアトラスの北の町を結ぶ重要な通商路でもあった所だ。
バスで数時間の距離でも当時はラクダでキャラバンを組んで何日もかけて移動していただろうことを想像したり、昔も今も眺め自体はさほど変わっていないだろうなぁ、などと往時に思いを馳せながら街道を移動。

カスバ街道沿いのカスバやオアシスを全部訪れるのは時間的にも資金的にも無理があるので、そのうちのいくつかを訪れることに。
今いるティネリールの町はカスバ街道きっての美しいオアシスがあることで有名だ。
北のアトラス方面に続くトドラ川沿いに緑のオアシスが続き、川のさらに上流には切り立った岩壁が立ちはだかる峡谷があるらしい。
天気のよい日を選んで出向いてみようと思っていたら、着いた翌日にいきなりの快晴。
こりゃ行かねばなるまいと、さっそく出かけてみることにした。

町からトドラ峡谷までは片道15キロの登り道。
自転車を借りて行く手もあったのだが、そのレンタル料が高いこともあり、無難に乗合いタクシーで行って帰りを歩いて下ってくることにした。
6人の乗客が集まり次第出発する乗合いタクシーだが、運良くたった5分で客が集まった。
そしてオアシスの続くトドラ川沿いの道を走り、20分ほどで峡谷の入口に到着。

峡谷には入場料があるわけでもなく、崖と崖に挟まれた下に走る道をてくてくと歩く。
ぐわわわん、と思い切り切り立っているのは最初の数百メートルくらいで、その先も2~3キロ歩いてみたけれど奥の方は特に見ごたえのある場所ではなかった。
ま、こんなものかな。
切り立った崖ではフランス人のロッククライマーが数人岩登りを楽しんでいた。
観光客がほとんどいなくて、山間の景色を静かに味わうことができたし、それでよしとしておこう。

Toudgha2 帰りは15キロの道を、オアシスの景色を写真に収めつつ延々と下る。
オアシスにはナツメ椰子の木々が生い茂り、その奥に土で出来たカスバが立ち並んでいる。
遠目には廃墟のように見えるカスバ。
中に入っても廃墟そのものだったりするのだが、人が住んでいる家もいくつかあるようだ。
ベルベル人やトゥアレグ人の子供たちが、どこからともなくわらわらと出てきてはこちらを見て無邪気にはしゃいでいる。
川沿いでは洗濯をするおばちゃんたちの姿が。
昼下がりののどかなオアシスの光景だ。
言葉はほとんど通じないが、陽気に挨拶を交わしながら通りすぎる。

さらに町まで街道沿いをひたすら下る。
途中、10歳くらいの少年が一人走り寄ってきた。
「ムッシューは日本人かい?お願いがあるんだ」といってポケットから何かをとりだそうとしている。
どうせ物売りか何かだろうと、最初は相手にしないでいたのだが、少年の手には日本円の硬貨が。
100円玉が一枚に、10円玉二枚。
「両替してくれないか?」と訴える少年。

この少年がどこで日本円を手に入れたかは知らない。
日本人旅行者が小遣い代わりに恵んでやったのだろうか?
町の両替所に行っても、硬貨じゃ両替してくれないしな、確かにこれじゃ可哀想だ。
替えてあげてもいいけど、俺だってすぐ帰国するわけじゃないから日本円持ってても正直な話邪魔なだけなんだよなぁ。
と、少々躊躇していたらその少年、うつむきながら「俺・・・ディルハムの方がいいよ・・・」とつぶやいた。
俺は普段から物乞いには一銭も恵まないような冷血人間なのだが、この時はちょっとぐっときてしまった。
ちょうど同額くらいのディルハムが手持ちにあったので替えてあげると、少年は「ありがとう、ムッシュー!」と元気に走り去っていった。
無邪気な笑顔がとても気持ちいい、と同時に、この程度のことに躊躇した自分がやけに恥ずかしく思えてきた。
うーん、同額なんてケチ臭いことせずに、多めにあげればよかったかもなぁ・・・。

その後、さらに町まで戻る途中、今度は大の大人二人に両替を頼まれた。
彼らが手にしていたのは日本円ではなくユーロの紙幣。
どうやら彼らは車で通りがかるヨーロッパの旅行者を相手にハシシを売って稼いでいるらしい。
売っている物が物だけに、こいつらには同情する気になれんなー。
ハシシ売ってもいいから、お前らはちゃんと町まで行って両替しなさい。

全部で20キロほど歩き続けたので、町に戻る頃にはもうくたくた。
宿でシャワーを浴びてから、広場の茶店でカフェオレで疲れを癒す。
ついでにフランス語の勉強もしていたのだが、ふと気がつくと辺りは暗くなっていた。
どうやら眠りこけていたらしい。
今日はやたらと疲れたけれども、気分はいたって爽快。
やはり部屋に閉じこもって休養しているよりは体を動かしていた方が健康にはいいようだな、うん。

ティネリール

Tinghir 砂漠からエルフードに戻った翌日には次の町へと移動。
おぉ、我ながらちゃんと旅を続けているではないか!
もう沈没パッカーなどと呼ばせないぞ、俺だってやる時はやるのだ。
と、過去に何度となく繰り返したたわごとを一人つぶやきながら、次の町であるティネリールに到着。

バスでティネリールの町に着くなり、5人の客引きが押し寄せてきた。
まず一人が「エル・フーダ」という宿の名刺を見せながら「俺のとこに来い」という。
まあ待て待てと、ひとまずかわそうと思ったら、反対側から回り込んだ男からも名刺を見せられる。
「あいつのところはダメだから俺のとこにしろ」
といいながら、突き出した名刺は同じく「エル・フーダ」

ほえ?

他のヤツラはどうかといえば、これまたそろいもそろって皆「エル・フーダ」の名刺やら宿の写真やらを手にしている。
どうやら5人全員が同じ宿の客引きらしい。
この中で客を捕まえたヤツだけが手数料をもらえるのか?
と思いきや、これが彼ら流のツカミであり、宿の従業員総出で出迎えにきているらしい。
ぶははっ、何て暇なヤツラだ。
こりゃ一本とられたぞと、その中のマネージャー格らしいユネスという男に話をつけ、35ディルハムを30まで値切って泊まることに決定。

ユネスはモロッコ人にしてはかなり流暢な日本語を話す。
それも、決して変な言葉を使うわけではなく、極めて礼儀正しい言葉遣い。
他の連中もカタコトながら日本語の混ざった英語を使う。
全員ベルベル人で、会話の端々で、ベルベル語ではこういうんだと教えてくれたりする。
皆、日本人が大好きのようだ。
宿では茶を振舞われ、日本語で書かれた情報ノートを見せてくれた。
お、情報ノートがある宿なんて久々だぞ。
はてさてどんなことが書かれているのかなと、ざっと目を通してみたのだけれど・・・

・・・全ページとも直筆じゃない。
別のノートに書かれたものを一度コピーして、それを張り付けて作られている。
こいつは眉に唾つけて読むべきだなと思いきや、案の定、内容はどれもこの宿に都合のよいことばかり書かれている。
それも、この宿が主催する砂漠ツアーについてのものがほとんどだ。
「最高でした。メルズーガに個人で直接行くよりはずっと安く行けたと思います」といった類のものばかり。
んで実際に書かれている値段を見ると、それって安いのか?と首をかしげたくなるような金額が示されている。

俺みたいにカスバ街道を南下してくるんじゃなく、マラケシュからワルザザート経由で北上してきた場合、リッサニやエルフードの現地情報はわからないからなぁ。
そういう人たちはこれを読んで、安易に決めてしまうのかもしれないけど・・・ま、俺はすでに見終わっているし関係ないか。
宿の連中は親切で気のいいヤツラだし、ここは一つ大目に見てあげることにしよう。

この後、しばらくこのティネリールという町で過ごすことになるのだが、これがまた非常に居心地のよい町であった。
物価はいままでの町で最安。
町の人たちもとても友好的で極めて親切。
モロッコで沈没するべき場所を訊ねられたらまずまっさきに挙げたくなるくらいだ。
メクネスなんかでちんたらせずに、こっちでのんびりするべきだったか・・・。
ま、それはともかく、明日は晴れたらトドラ峡谷に出向いてみるとするかな。

サハラ砂漠3

Sahara3-3朝7時。
昨夜に準備しておいた目覚ましの音で起床。
褐色の肌の外人ねーちゃんとお楽しみ中のいい夢を見ていたようだが、そんなことよりもここはやはり朝日の方を優先したい。
土間に敷かれた毛布の中からごそごそと這い出して、がっつり着込んでから外に出る。
寝ぼけ眼で出てみたものの、外は肌を刺すような寒さ、あっという間に目が覚める。
と、それはいいんだけれど、肝心な朝日の方は今日は雲に隠れて全く見ることができなかった。
うーん、こんなことならもっとお楽しみを続けていればよかったか(笑)。

しばらくしてアブドゥルの一家やアリじいも起き出して来た。
昨日と同じような朝飯を済ませ、昨日と同じようにラクダ君に乗って出発。
今日は今までに通ってきた道を引き返すだけで、特にこれといって新たに見るようなものもない。
昨日までと同じく、ラクダの背でゆっさゆっさと揺られながら、のんびり空を仰ぎ見つつゆっくりと進む。
朝には曇りがちだった空も昼過ぎにはまた晴れ間が広がり、宿のある村まで帰る間、今まで同様に気持ちのよいラクダ行を続けていた。

Sahara3-1今回のラクダツアーは、当初はできれば旅仲間のタカハシさんと一緒に行けたらいいなと思っていたもの。
ところが俺の方がメクネスで沈没してしまっていたため、彼の日程に間に合わせることができなかったのだ。
でも、一人で来てみて、これはこれで正解だったかもしれないと思うようになった。
確かに複数で来れば、お互いの写真を撮りあったり、感動を共有できるという面も大きいだろう。
けれども、この広大な砂漠を独り占めできる最高の気分、これは何ものにも替え難い気がする。

欧米や日本が休みとなる頃には観光客で結構混みあうらしいけれど、今の時期はシーズンオフでとても空いているようだ。
他の旅行者にもほとんど出くわさず、とても静かな雰囲気を味わうことができた。
夏場の方が雨が少ないし、この地の猛暑も味わいたい人にはいいかもしれないけれど、冬場でも天気さえよければ最高の環境なんじゃないかな。
昼間は寒くもなく暑くもなく、思っていたよりずっと過ごしやすかったしね。

一昨日泊まったオアシスにて昼飯を済ませ、村までの最後の行程を戻り進む。
そして村に近づくまでの間、この静かな砂漠の世界を優雅に楽しんでいたのだけれど・・・
村まであと小一時間ほどの辺りで、けたたましい騒音が聞こえてきた。
「ブオンブオーンブロロロロロロロロロロ・・・・・」
音の方角に目をやると、村に程近い砂丘の上でオフロードバイクを駆る集団が。
かーっ!何てヤツラだ。人が最高の気分に浸っているところに!
一応、多少の良心はあるようで、俺らが丘の脇を通り過ぎる時にはエンジンを止めていたけれども、結構遠くまで響いてたんだぞその騒音。
美しかった砂丘の丘は、見るも無残に醜い車輪の跡が縦横無尽に付けられてしまっている。
宿に戻ってラクダを降りてから、あの連中に一言いってやろうかと歩いて引き返してみたものの、残念ながらその時にはもういなくなっていた。
たぶんヨーロッパから来ている連中だろうけれど、まったくもって最低なヤツラだ。

Sahara3-2アリじいに別れを告げ、ツアーの料金と宿代の支払いを済ませてから、エルフード行きのミニバスが来るまで、しばらく村の中を散策。
オアシスの景色や子供たちの写真を撮りながら楽しく過ごしていた。
その後宿の連中にも別れを告げ、来た時と同じようにミニバスに乗ってエルフードの町へと引き返す。

エルフードでは前と同じ宿に部屋を取り、その後しばらく町中をぷらぷらと歩いていたら、三日前にごちゃごちゃと悪態をついてきたチンピラ少年がまた俺を見つけて話しかけてきた。
以前の憎たらしい面構えとは打って変わってのニコニコ顔。
「砂漠に行ってきたのか?ラクダは楽しかったかい?天気よかったからなー、最高だったろ?!」
と、まるで我が事のように喜んでいる様子。
前回の険悪な雰囲気などどこ吹く風だ。
「ああ、楽しかったよ!」
「うんうん、よかったなあ。時間があったらウチの店にも寄っていけよ。お茶でもご馳走するよ!」
こいつの笑顔を見ていたら、今回の砂漠の旅は本当にいい形で締めくくれたなぁと思えてきた。
俺はモロッコ人たちのこういうカラっとした性格が大好きである。

サハラ砂漠2

Sahara2-1 朝6時半頃起床。今日も快晴だ。
まだ日の出前だが、空はすでに薄ら明るくなってきている。
天幕から離れた場所で大便をかましてから、砂丘の上に登って朝日の到来を待つことに。
ちなみに当然ながら砂漠の中にトイレなどない。
適当な場所で済ませて、あとは砂を被せてはい終了。いたって簡素である。

7時20分。
昨夜アリじいがいっていた通りの時間に朝日が昇る。
昨日の夕陽と同様で、雲が少ないため朝焼けにはならないけれども、ご来光というのは何となく神々しいものだね。
今日もいい一日になりそうだ。

パンにクリームチーズとマーマレードジャム、そしてお茶、デザートにミカン、といった軽い朝食を済ませてから出発。
今日も砂漠の中を南へ南へと進み、夜は砂丘の端にあるというベルベル人の住居に泊まるとのこと。
昨日同様にじいさんが手綱を引くラクダの背に揺られながら、ゆっさゆっさとのんびり進む。

Sahara2-2 ラクダは時々立ち止まり、ところどころに生えている草や潅木の葉をむしゃりむしゃり。
見ていると、食べられる草とそうでない草を選んで食べているようだ。

途中でフンコロガシの一種っぽい昆虫が、砂地の上を這っているのを見かけた。
ベルベル語でザベ、アラビア語でハムフース、フランス語でスカラベというらしい。
古代エジプトの装身具などでよく見るずんぐりむっくりのスカラベとはだいぶ形が違う。

数時間後に砂丘の端が見えてきた。
肌色の砂地の途切れた先には黒々とした荒地が広がっていて、そのさらに奥の方には切り立った台地が長く延びているのがわかる。
「あの台地のところまでがモロッコ。あの先はアルジェリア。国境まではここから40キロくらい」とのこと。
「アリじいは遊牧民だった頃、アルジェリアの方にも行ったことがあるの?」
「もちろん。もっと先のニジェールまで行ったこともある」
ニジェールまで??数千キロはあるだろうに。ホントかよ、おい・・・(笑)

Sahara2-3さらに数時間後、砂丘の地区を出て、黒い荒野に出る。
ベルベル人の住居だという土で出来た小さな家が数軒あり、その内の一軒にお邪魔する。
家と家はそれぞれ100メートルくらい離れていて、各々に羊を入れる小屋がついている。
今日俺らがお世話になるのはアブドゥルというベルベル人のおっちゃんの一家が暮らす家だ。
アブドゥルの他、おばちゃん二人、若いにいちゃん一人、女の子二人の六人家族のようだ。
当然ながら電気も水道もない、昔ながらの砂漠の生活をしている。

おばちゃんたちがお茶を入れてくれ、アリじいが作ったサラダとパンで昼ご飯。
アリじいは相変わらず食が細いので、大量のサラダのほとんどが俺の方に回ってきた。
もったいないからできるだけ食べようとしていたんだけれど、それでも少し残してしまった。
そしたらじいさんはその残ったサラダをアブドゥル一家の方に持っていくじゃないか。
ありゃ、彼らにあげるのなら無理して食べずにもっと残してあげればよかったな・・・(苦笑)。

食後は羊小屋で飼われていた仔山羊の写真を撮ったり、周辺を歩いて散策しながら放牧されているラクダを追いかけまわしたり、女の子たちとベルベル語で遊んだりしながら過ごす。
夕暮れ時にはまた砂丘の方まで歩いて行って、写真を撮ったりしていたのだが、残念ながら夕陽自体は丘の向こうに隠れてしまいほとんど見ることができなかった。

Sahara2-4 晩飯はおばちゃんたちが作ってくれたクスクス。
今までいくつかの食堂で食べたクスクスよりもずっと美味しかった。
どこの国でもそうだけれど、やはり家庭料理が一番いけるねぇ。
今度はもっと残そうかとも思ったけれど、美味しかったので結局完食してしまった。

こういう土地では基本的に早寝早起きであるものだ。
夜9時ころにはランプを消して就寝。
夜中に一度小用に起きたけれど、空を見上げたら月がやや霞んでいた。
風も多少出てきているようだ。
明日は曇りか雨になるかもしれないなぁ・・・。