旅人日記 -5ページ目

サハラ砂漠1

Sahara1-1 朝起きて、とりあえず村の周辺を散歩。
天気は昨日の砂嵐が嘘のように消え去って、真っ青な空が広がっている。
どこまでも青く澄み渡る空。
モロッコに来てからの日々を思い返してみても、これほどまでに晴れ渡った日はなかったんじゃなかろうか。

この超の付くサハラ晴れ。
これ以上の砂漠日和はどう考えてもありえなかろう。
宿のおやじを捕まえるなり「おっちゃん、気が変わった。やっぱりラクダの手配をお願いするよ」と頼み込む。
「ほっほっほっ、今日は最高の天気だからねぇ。是非行ってくるがいいよ」
「でもね、手持ちのカネがも厳しいのも事実なんだ。ちょっとでいいから値下げしてよ」
俺はこの天気なら1000払っても惜しくない気持ちになっているが、気分的に少しは値切りたい。
「しょうがないなぁ。2泊3日で700ディルハムならどうだい」とおやじ。
「商談成立!よろしく頼む!」

ラクダとラクダ使いが来るまでの間、しばらく浴びれないだろうと思い、シャワーを浴びながら暇つぶし。
さっぱりしたところにラクダ君到着。
ラクダ使いのじいさんは穏やかそうなベルベル人。
目が寄っていて焦点があってないような見つめ方をするが、茶目っ気のある笑顔だ。

ラクダの背には手作りの木枠に毛布を数枚被せた、簡単な鞍が乗せてある。
その毛布の上にまたがるのだが、座り心地は悪くない。
木枠の前後に取り付けられた鉄製の取っ手をがっちりつかむように指示される。
ラクダはじいさんの合図で、かっくんがっくんと立ち上がる。
この立ち上がる瞬間は、確かにしっかりつかまっていないと振り落とされそうだ。

いよいよ出発だ。
ラクダの上から宿の連中に手を振りつつ、広大な砂丘の奥へと進んで行く。
昨日着いた頃は薄暗くてよくわからなかったけれど、改めて眺め渡してみると、本当に砂砂砂の果てしない大地が広がっている。

Sahara1-2 空はどこまでも高く、果てしなく青く青く澄み切っている。
ラクダの背の上でごろんと仰向けになりながら、ぷはぁーっと煙草をふかす。
こういう時の煙草はまた格別に旨い。
冬のせいか日差しもそれほど強く感じない。
気温がそこそこ低いので、この日差しが逆に肌に温かく気持ちよい。
風もなく、絵に描いたような静かな静かな砂漠の中をゆっくりゆっくりと進む。
砂地を踏み進むラクダの足音さえ、微かにしか聞こえない。
音らしい音といえば、ラクダの背に乗せてある食料袋の中から聞こえる、水がちゃぷちゃぷいう音くらいだ。
この乾ききった大地では水の音というものは何とも耳に心地よい。

ガイド兼ラクダ使いのじいさんはずっと寡黙のままだ。
「俺はマサ。おっちゃんは?」「アリ。サハラにようこそ!」「ありがとう!よろしくな!」
最初にそれだけの言葉を交わしただけで、あとは黙々とラクダを引き続ける。
普通ガイドといったら、結構おしゃべり好きの人が多くて、時には鬱陶しいくらいのヤツもいたりするのだが、このじいさんは自分の役柄というものをちゃんとわきまえているね。
俺がドンキホーテならじいさんはパンチョといった役回りだ。
砂漠に余計な言葉など不要である。
肌色に輝く砂の大地に海のように青い空、もうそれだけで十分の世界なのだ。
その辺に転がっているものを指し示して「これはラクダの糞ね」とかわざわざいう必要などどこにもない。

途中で同じようにラクダに乗ったフランス人の若いカップルとすれ違った。
そのカップルは同じように2泊3日の行程を終えて帰るところらしい。
俺が乗ってきたラクダは見た目にかなりよぼよぼのやつだったのだが、ここで彼らの乗ってきた元気そうなラクダと交換することに。
その際に、彼らの方についていた若いラクダ使いがカタコトの日本語で話しかけてきた。
「コンニチワ。日本ハドコカラキタノ?東京?板橋区?バシバシ?」
「へ?何だ?バシバシ?」
「アナタノ名前ハ?佐原サンデスカ?ワタシハ砂漠サンデス。ガハハハハ」
「・・・・・(苦笑)」
コイツにこの芸を仕込んだという板橋区の佐原マコトよ、貴様の罪は結構深いぞ・・・。
うんうん、こういうやつにあたらなくて本当によかった。
アリじいさんよ、俺はあんたみたいな静かなヤツの方がずっと好きだ。

Sahara1-3さらにラクダの背に揺られ続けること数時間。
本日の宿となる小さなオアシスに到着。
オアシスといっても、大きな砂丘の麓のやや窪んだ土地で、椰子の木が一本と潅木が少々、それに小さな井戸が一つあるくらい。
そこに大きな天幕が二つと小さな小屋が一つ設置されていた。
先に到着していたフランス人の熟年カップルと一緒に、アリじいがこしらえた昼飯を食べる。
人参やジャガイモがたっぷり入った鶏のタジンだ。
このカップルもここで泊まるのかと思ったら、彼らは日帰りで来ていたらしい。
昼飯後にはもう村の方角へ去って行った。

俺は食後にしばらく周辺散策。
ただひたすら砂しかない世界なのだが、もう楽しくてしょうがない。
昨日の砂嵐のお陰か、先人達が残していたであろう足跡はきれいさっぱり消えており、どの丘も美しい曲線美を描いている。
新雪の上を自らの足跡をつけながら歩くような楽しみも味わえるのだが、ここまで美しいとなんだか勿体なさ過ぎる気がする。
傾きつつある陽に照らされて輝いている場所はなるべく避けながら、あちらこちらと歩き回る。

夕暮れ時にはオアシスの脇にそびえる大きな丘の上に登ってみた。
稜線に腰を掛け、西の大地に沈む夕陽をのんびりと眺める。
雲がないので夕陽そのものは赤く染まらなかったけれども、砂の大地は黄金色に輝きを増し、それが淡い薄桃色へ、そしてやや暗めの橙色へとゆっくりと表情を変えていく。
東の空には薄紫色の宵闇が徐々に差し迫り、上を仰げば星が一つ二つと現れ始める。
うーん、最高だ♪

Sahara1-4 日が完全に暮れてから、アリじいさんが焚き火を熾してくれた。
砂漠の枯れ木は極度に乾燥しているためか火の通りがとてもよい。
しゅーしゅーと音を立てながらものすごい勢いで炎が立ち上がる。
満天の星空の下でじいさんと二人、焚き火を囲んでしばし歓談。

「アリじいはラクダ使いの仕事、何年やっているの?」
ところが、じいさんは答える代わりに棒切れで地面に数字を書き始めた。
「25」
そうか、25年もやっているのか・・・と思ったら、その後に
「00」と付け加えた。ほぇ???
さらに最後に「DH」と書き足す。
「2500・・・ディルハム??」
「そうだ。大きいやつはな」
「いやいやいや、ラクダの値段を聞いているんじゃなくて、じいさんは昔からラクダ使いをやっているの?」
「昔は・・・子どもの頃はノマド(遊牧民)だったんだよ」
ほーそうだったんだ・・・って、いやいや俺が聞きたいのはだな・・・ま、いっか(笑)。

俺のフランス語もかなりカタコトなのだが、じいさんの理解度も頼りなさげである。
じいさんいわく「ベルベル語とアラビア語は問題なし、フランス語少々、スペイン語と英語はほとんどダメ、日本語は『ラクダ』『ツカレタ?』『ミズ』『サバク』『キレイ』だけ」とのこと。
うーむ、喋らないんじゃなくて、喋れなかったのか、このじいさん。
まぁ良かろう。
必要最小限の意思疎通はなんとかなっているわけだし、そもそもここでは余計な言葉など必要ないのだ。

とりあえず明日の朝日の時間だけは確認しておきたかった。
じいさんはまたもや砂地に「420」と示す。
「4時20分?そんなに早いの?」
すると、今度は指を折りながらフランス語で「・・・サンク(5)、シィス(6)、カトル(4)・・・4時!」
「おいおい、アリじい、シィスの次はセットゥ(7)だろうが(笑)」
「セットゥ?おぉそうだ、7時!7時!」
ふぅ。日の出は7時20分てわけだな。了解了解。
それにしてもフランス語の数字すらもまともにいえないとは思わなんだ。
本当に知らないのか、それとも単にボケてるだけのか、はたまたわざとネタでやっているのか・・・うーんよくわからん。

Sahara1-5 その後は「アラビア語指差し会話帳」を使いながらさらに会話を進める。
じいさんは文字も読めないので「指差し」ではなくちゃんと発音しなければならなかったが、それでも何とか通じていたようだ。
とりあえずじいさんが現在55歳で、家族はいないことが判明。
あとは動物の名前をいいながら、例えば「砂漠にオオカミはいるの?」「おぉいるとも。ベルベル語ではウッシンというのさ」「んじゃヘビは?」「いるいる。ティフィエラというのだ」てな感じでそれなりに会話が弾む。

焚き火の後はまたアリじいさんお手製のタジン。
じいさんも一緒に皿をつついたのだが、一口二口食べただけでもういっぱいだと席を立つ。
食後にじいさんと一緒にしばし星を眺める。
じいさんはオリオン座を指差して「フランス語ではラウリオン、ベルベル語ではカディトゥス、巨人のことだよ」と説明。
「日本語じゃなんていうんだ?」「日本語ではオリオン座。昔は真ん中の三つの星を挟んで、左の赤い星を平家星、右の白い方を源氏星とか呼んだりしたらしいけどね」「ゲンジボシ?」「そうそう。昔ね、日本ではね平家っていう部族と源氏っていう部族が戦争しててね・・・ん~ゴメン上手く説明できそうにないや(笑)」

北の空には北斗七星が。
南半球での暮らしが長かったせいか、北斗七星なんて久々に見た気がする。
じいさんが寝床を用意する間、俺はまだしばらく一人で星を眺め続ける。
もう本当に降るような星空、流れ星だって板橋区バシバシだ・・・。
・・・うぐ。
板橋区の佐原マコトよ、貴様のことはやはり許さん。

今夜の寝床はラクダの毛で作られた天幕の中で、マットの上に厚手の毛布を五枚重ね。
気温は5度で、かなり冷え込んではいたが、これなら温かく眠れそうだ。
最近は昼夜逆転の生活だったので、すぐに寝付けるかどうか心配だったが、どうやらあっという間に眠りこけていたようだ。
夕陽を見るとα波か何かが影響して体内時計が正常に戻ると何かの本で読んだけれど、それって本当かもしれないなぁ。

砂漠への道2

Merzouga 本日の天気は「砂嵐」(ちなみに左の写真は翌朝のもの)。
晴れるのを待ってから砂漠を目指そうかとも思ったのだが、どうせ待つなら直接砂漠の中で待ち構えた方が効率が良かろう。
昼前に宿を引き払い、荷物を担いで町の南の出口に向かう。
そこから先は砂漠(といってもまだ黒々とした砂礫が続く荒地なのだが)の中へ向かう一本道が始まっているという場所だ。

そこでメルズーガの村に向かうミニバスを人に聞きながら見つけたのはいいのだが、出発は午後3時とのこと。
しかたなく昼飯食べたり、ネットをしたり、カフワでお茶しながらのんびり暇つぶし。
2時頃にはバスの出発地点に戻って、あとはひたすらバスが出るのを待つ。
目的地はメルズーガではなく、途中にあるオテル・カフェ・デューン・ドールという宿にすることにした。
映画「星の王子さま」で使われたという飛行機の模型があるらしく、宿の裏手はすぐ大砂丘になっているらしい。
周りには他に何もない不便な場所らしいが、ガイドブックに載っていた宿の外観の写真がなんとなく砂漠の中の小城砦のようで心惹かれたのだ。

と、そこへ昨日のチンピラ君が俺を見つけてやってきた。
今日はこれまたガラの悪そうな別のオヤジも一緒だ。
「へい!結局どこに行こうというんだい?あのバスはメルズーガには行かないぞ」
おいおい、んじゃどこ行きのバスだっていうのさ(笑)。
「オテル・カフェ・デューン・ドール??そこは街道から何キロも離れているんだぞ!バスは宿まで寄ったりしない。バスを降りてから砂漠をこの砂嵐の中で歩かなきゃならない。道を尋ねようにも人なんかいないぞ!」
ま、それは確かにそうかもしれないなぁ。
「俺らの宿にしろよ!ラクダツアーだったら、もうお前の言い値まで下げてやるからさ」
ごめんよ、俺は強引なヤツはどうも好きになれないんだ。とりあえずデューン・ドールに行ってみるよ。
「かーっ、どうなっても知らないからな!あの辺りはアルジェリアの国境にも近いんだ。ほんの40キロしか離れていない。道に迷って国境を越えたりしたらアルジェリアのとち狂った連中に殺されるぞ!」
40キロも迷いながら国境まで辿り着けるものかい。それはそれですごい話だと思うぞ(笑)。
「ここまでいっても聞く耳持たないんじゃ、もうどうしようもねぇな!俺らはちゃんと忠告したからな!せいぜいお気をつけなすって!へっ!」
二人は威勢のいい捨て台詞を残して去って行った。

このやりとりを傍で静かに見守っていたベルベル人のおっちゃんに聞いてみると、今の連中はアラブ系のヤツらだという。
「タチの悪いヤツらなので相手にしない方がいいよ。でも彼らのいうことにも一理あるんだ。おっちゃんもデューン・ドールはおすすめしないなぁ。街道から遠すぎるよ。他にもオーベルジュ・ロアジスとかカスバ・デ・デューンとかキャンピング・サハラとか評判のいい宿がたくさんあるしね。それらだったらこのミニバスが通る道沿いだから心配ないし」
オーベルジュ・ロアジスは手持ちのガイドブックも薦めていて、最初は俺もデューン・ドールとどっちにしようか迷っていたのだ。
「ロアジスは評判いいよ。君のような旅行者がよく泊まる宿だ」
ふむふむ。人に薦める時の態度としては非常に好ましいぞ、このおっちゃん。
先生、嬉しくなっちゃったので花丸あげよう。
ちなみにこのおっちゃんは特定の宿と繋がりがあるわけではなく、単に俺と同じバスを待つ一般庶民。
彼のような、どこかと利害関係があるわけではない第三者からの情報は信頼できるというものだ。
ちゅうわけで目的の宿をあっさりオーベルジュ・ロアジスに変更。

予定通り午後3時発のミニバスに乗って、砂漠の中をひたすら南下。
舗装道路はすぐに途切れ、あとは道のない荒野の中を砂煙をあげながら走っていく。
地面にはかすかに轍の跡が残っているけれども、それも道を成すほどではなく、こいつは確かに相当慣れた人じゃないと走れたもんじゃないなぁ。
外は相変わらずの砂嵐。
大地にはあたかも無数の蛇が這っているかのように幾筋もの砂塵が流れ走っている。

2時間くらい経った頃、前方にどでかい砂丘が姿を現した。
このエルグ・シェビ大砂丘こそが、一般的に俺らが思い描くようなサハラ砂漠そのままの世界であり、今回の旅の目的の場所なのだ。
オーベルジュ・ロアジスはそのすぐ近くにあり、バスは前もって頼んでいた通りに宿の前で停まってくれた。
この近辺はどうやら小さな村を形成しているようで、歩いていける範囲に他にもいくつか宿がありそうだが、とりあえずロアジスに入ってみる。

宿代は最初60ディルハムといわれたが、すぐに30ディルハムまで値下がった。
食事は晩飯が50ディルハムで朝飯が20ディルハム。高ぇ。
だが僻地なのでこれはしかたないだろう。どの宿でも食事はそのくらいだと聞いていたしね。
んで、気になるラクダツアーの料金はというと・・・1日400ディルハムとのこと。
うーん、これもちと高いなぁ。

「しゃーない。あきらめるか。今晩一泊だけして明日はメルズーガに行くとするよ。あっちなら250ディルハムでラクダツアーをやっている場所を知っているんだ」
俺流の値下げ交渉開始である。
ところが、この宿のおっちゃん、こちらの手には一向に乗ってこない。
モロッコ人といえば、どいつもこいつもこっちが要らないというと二言目には「いくらなら買う?」と必ずしつこいくらいに聞いてくる連中だというのに。
「お好きなようになさるといい。ここはいい所なのでゆっくりしていくことをすすめるよ」と終始穏やかな笑顔。
こちらの足元を見ている様子でもない。

この値下げに応じないという態度、実は俺はこういうヤツの方が好きだったりする。
アラブ式のやり方だとはいえ、ほいほい値下げるヤツほど信用できないものなのだ。
簡単に値下げないというのは、その必要がないからであり、それだけ自分達の仕事に自信がある証拠とも受け取れる。

とはいうものの、こっちも、はいそうですか、んじゃ400ディルハムで、というわけにはいかない。
何しろこの悪天候だ。
インターネットで調べた天気予報では明日あたりから回復する見込みではあったが、それもどうなるかわかったものではない。
全ては明日の天候次第だなー。
食費が高くつく場所なので、できるだけ早く晴れてくれるといいんだけれど・・・。

砂漠への道1

Arfoud2 エルフード2日目、砂漠へ向けての本格準備開始!
とはいうものの、別段大掛かりに隊商を組んで砂漠を横切ったりするわけではないのだ。
ラクダやラクダ使いを雇い入れたり、水や食料を買い込む必要はない。
エルフードから50キロほど南に進んだ砂漠の中にメルズーガという小さな村があり、そのメルズーガ村やそこへ行くまでの街道沿いに砂漠へ向かう旅行者向けの宿が点々としているらしく、要はどの宿を目指すかを決めて、あとそこへ辿り着くまでの交通手段を確保すればいいのだ。
その手の宿に着きさえすれば、あとは宿の方で自動的にラクダもラクダ使いも手配してくれるとのこと。
ま、要するにツアーなのである。

俺がメクネスでチンタラしている間に、旅仲間のタカハシさんの方はすでにこの砂漠の旅を2週間ほど前に終えていた。
彼はエルフードではなくリッサニの方から行ったらしいのだが、彼の話では直接砂漠の中の宿に行くとラクダツアーはかなり割高になるとのこと。
事前にエルフードかリッサニで宿の客引きと交渉して、宿泊料とツアー料金をあらかじめ交渉しておいた方が安くなりやすいらしいのだ。
ふむふむ。そんなら俺も同じやり方で行ってみるとしようか。

ところがエルフードの町中を釣り人気分でぷらぷらと歩いていても、客引きどもの食いつきが想像以上に悪い。
ようやく一匹釣れたと思ったら、これがまたクソ生意気な面構えのチンピラ少年で、値段が折り合わないとわかると悪態をついてくる始末。
リッサニの方はエルフードよりも旅行者が少ないからか、相当な客引き攻勢があるらしいのだが、うーん一体どうしたものやら。
やはり一度リッサニに移った方がいいのだろうか。

ま、そう焦ることもあるまい。
体調回復もかねてこの町でぷらぷらしていれば、その内もっと寄って来るかもしれないし、そうでなければこちらから適当な宿を目指して直接行ってみるのも悪くはなかろう。
多少は高くついたとしても、何もないこの町で無意味に過ごすよりはマシというものだ。

のんびりと土産物屋を物色しながらターバンを購入。
真っ青に染め上げられたターバンで、両端だけが黒くなっている。
これがこの地の遊牧民たちが愛用する定番の柄らしい。

そのターバンを購入した店の連中と、ちょっと仲良くなる。
3人の少年たちが経営する店で、最初は英語交じりの仏語で値段交渉していたのだが、俺がスペイン語で「うーむ、ちと高いな・・・」とつぶやいたのがきっかけで、後はひたすらスペイン語のみでの会話。
彼らは3人とも以前マドリッドに商売で行っていたことがあるらしく、とてもきれいなスペイン語を話す。
スペイン語を話す日本人が珍しいらしく、心底嬉しそうに話まくり、3人揃って売り物の楽器を使ってちょっとした演奏などもしてくれた。
俺自身も、フェズやメクネスでほとんど通じなかったスペイン語が、アトラスの南でもこれほど使えるものかとちょっとびっくりしながらも、とても楽しく歓談。

その内に、俺がメルズーガの砂漠を見に行く話になった。
年長のイスマイルが、これまた嬉しそうに提案。
「俺の友達の家に行こう!ラクダにも乗れるよ!俺らが一緒ならぼったくられたりする心配はない。車もある。明日の朝に出発しよう!」
ちょちょちょ、ちょっと待て。いきなりそこまで話を進めるでない。
「普通に行ってみろよ、ベルベル人のヤツらぼりまくりだぞ」
ん?ベルベル人のヤツらって・・・君らもベルベル人じゃないのか?
「違うよ。俺らはトゥアレグ人さ!」と誇らしげにのたまう。
ふーむ、手持ちのガイドブックには「ベルベル」というのアラブ人が入り込む前の先住民族の総称で、その中にトゥアレグがいたり、ノマドがいたりするようなことが書いてあったりしたけれど、どうも事情が違うようだ。
自らをトゥアレグだという彼ら、確かに他の人たちよりも黒人系の血が濃そうな顔立ち。
俺はベルベルだという連中にも何人か会ったが、そっちの方は顔立ちはアラブ系とそう変わりはないけれど、肌の色が浅黒い人が多い。
かといって人種として明確に分かれているわけでもなさそうだ。
彼らの中には「父親はベルベルだけど、母親はトゥアレグさ」というヤツもいた。
「言葉は全く違うのかい?」と聞くと「いや、結構似てるよ」とのこと。
「ふむふむ。そういえばさ、さっき俺のことをジャッキーチェン!とかいってたろ?ジャッキーチェンは中国人なんだ。んで俺は日本人。日本人も中国人も韓国人も君らから見たら同じに見えるかもしれないけれど、俺らの場合は言葉も全く違うんだ。会話も全然通じないんだよ。知ってた?」と聞くと、
「へえー!ホントに?!全く通じないの??」と心底驚いている様子。
ま、俺らが彼らのことをよく知らないのと同様に、彼らの知識もそんなもんなんだろうな。

「んで、旦那、どうする?明日一緒に砂漠に行くかい?」
うーん、最近は現地民の連中との付き合いが少ないなーと感じていたこともあって、話に乗ってみるのも一興かと思わないこともないのだが・・・。
でもどちらかというと、大砂漠の中に一人静かに身をおいて、できれば誰にも邪魔されることなく物思いに耽ったりしたいところなんだよねぇ。
ちなみに彼らの歳を尋ねると、年長のイスマイルが19歳であとの二人は17歳。
一緒に行って遊ぶのは悪くないかもしれないけれど、こう見えても俺は30過ぎのいいオヤジなのだ。
精神年齢は似たようなものかもしれないが、下手すると単にガキどものお守りになりかねない話なんだよなぁ。
「・・・とりあえず一晩考えてみるよ。一緒に行く気になったら明日またこの店に来るから。誘ってくれてありがとうな!」
日本流ではあるが、婉曲な断り文句を残し店を後にする。彼らに上手く通じていたかどうか。
帰りはイスマイルがバイクの後ろに乗せてくれて宿まで送ってくれた。

ターバン以外に収穫のない一日ではあったが、今日はこの店の連中のおかげでなかなか楽しく過ごせたなぁ。
さてと、明日はどうしたものか。
もう面倒だから、直接砂漠の宿に乗り込んでしまうとするか。

雪のアトラス山脈越え

Atlas時は15世紀後半。
七つの海を制覇すること三回。
勢い余って最後は家康になって日本統一まで成し遂げたところで、ようやく意識が現代に復帰。
いいかげん本気の本気で出発しようという気分になってきた。

休養を始める前には60はあったHPが現在45くらいにまで下がっている。
だが、このままここに居続けても悪化していく一方であるのは明らかだ。
幸いMPの方は80ぐらいを維持しているので、しばらくはそれで乗り切ることにしよう。
多少は体調が悪かろうとも、寝たきりでいるよりは体を動かしていた方が健康にはよいものなのだ。
それがわかっているなら沈没などせずにとっとと移動していればよかったものを、という声もあるだろうし、俺も全くもって同感なのだが、旅人である前に元々はゲーマーである俺のこと、今回も大目に見てやってほしい。
ちなみに俺はもう許した。

さてさて、読者の方々には全くどうでもいい、長い前振りが続いてしまったが、とにもかくにもようやく沈没生活から脱出できたのである。
めでたしめでたしだ。

久方ぶりに荷物をまとめて、もはや下宿のような感じになっていた宿を後にして町に出る。
まだ暗い夜道を歩いてターミナルに行き、朝7時半のバスに乗り込んだ。
行き先はエルフード。
アトラス山脈を越えた先にある町だ。

このアトラス山脈越えなんだけれど、4000メートル級の山々が連なるという、これがまたなかなか侮れない難所なのだ。
バスが出てからしばらくはずっと眠りこけていたのだけれど、ふと寒さに眼を覚ましたら、外は一面の銀世界。
アフリカなのに雪景色。
まるで日本の豪雪地帯に迷い込んだかのようだ。
こういう景色にはこのバスの中で鳴らしているようなアラビア音楽は似つかわしくない。
「北の国から」のテーマソングが丁度いい。
さだまさしの鼻歌を半ば強引に持って来ては窓の外の白い世界を眺めていた。

標高2000メートルを少々越えた辺りで峠越え。
この程度なら高山病にはならないものだが、それにしてもこの寒さは衰弱中の身体にはちときつい。
そういえば、バスに乗り込む時に他の乗客たちがやけに厚着だったのを思い出した。
甘く見ていて普段の格好で乗り込んでしまったけれど、もう少し重ね着しておくべきだったなぁ。

峠を下り、街道の分岐点にあたるザイーダという名の小さな町で小休憩。
この辺りはもう雪もなく、周囲はメキシコやボリビアの高地でよく見かけたような荒れ果てた大地が広がっている。
違うのはサボテンが生えてないことぐらいか。
その後はかなり迫力のある大峡谷を通り抜け、椰子の木の生い茂るオアシスの村々を時々横目に眺めながら、夕暮れ時にエルフードの町に到着。

Arfoud1 このエルフードは、20世紀初頭にフランス軍の対サハラ前進基地として作られた町で、モロッコにしては珍しく碁盤上の街並みをしている。
やたらに大きな街路に仕切られた、四角四面の街並み。
どことなく、内蒙古や新疆のど田舎に作られた人工都市の感じに似ていなくもない。
町中には特に見るべきものはないのだが、旅行者にとってサハラ砂漠へ向かう際の拠点となる場所だ。

バスを降り安宿をかたっぱしから見て周るが、どこも1泊60ディルハムはする。
バスでもう一時間ほど先に進んだ場所にあるリッサニはここよりさらに小さな町なのだが、そこなら40ディルハムの宿があるという情報があったので、この際リッサニの方に移ってしまおうかとも思い始めていたところ、やや町外れの場所に30ディルハムで泊まれる場所を発見。
シャワーなしだったが、部屋は広くて使いやすい。

よしよし、これにて拠点確保。
明日からはいよいよ砂漠に向けての本格準備を開始するとしましょうかね。

メクネス沈没記

たいした見所があるわけでもないメクネス。
長居するような場所じゃぁないこのメクネスに来て早くも二週間が過ぎた。
モロッコの中でも物価が安いというこの町で、当初から写真の整理やホームページの編集をしながらゆっくり過ごすつもりではいたのだけれど、どうも少々のんびりし過ぎてしまっているような気がする。
毎度のことながら、こんなんじゃいかんと焦りを感じ始めた今日この頃。

写真の整理とホームページの編集およびブログの執筆に丸々一週間を費やし、おっしゃそろそろ念願のサハラ砂漠を見に出発しちゃろうかいと意気込んでいたのもつかの間・・・。

体調崩しちゃいました^^;

パソコン作業が終了しつつある頃、モロッコの祝日がらみの連休があったようで、いつも行っていた飯屋街が軒並み閉店している状態。
折悪しく連日雨が続いていて、食いどころを探し歩きながら、雨の中を新市街まで出向いたり、町の反対側のバスターミナルの方まで行ってみたり、そうこうしているうちに少々風邪気味に。
いたしかたあるまい。
体調が復活するまでもうしばらく休養しておこう。

と、ここまではよかったんだけれど・・・。
まーた発病しちゃいました。例の沈没癖が。

今回の沈没グッズは、写真の整理ができてパソコンの容量に空きができたのをいいことに、ついついダウンロードしてしまった「大航海時代IV」
七つの海を駆けずり回り、交易や財宝探索や港の酒場女を靡かせることに精を出す毎日。
日がな一日部屋に引篭もっては体力の限界までそんなことをしているわけだから、体調など回復するはずもなし。
体調不良→休養→引篭もり→さらに体調悪化という最悪の沈没スパイラル。

さらに今回は、外で開いている飯屋がほとんどなかったので、毎日市場でみかんを大量に仕入れてきては、ひたすらみかんだけで過ごす日々。
モロッコのみかんは安い上に意外と美味い。
美味いのはいいんだけれど、ビタミンの取り過ぎというのも体にはよくないようだ。
一日2キロのみかんで過ごしていたら・・・三日目に幻覚が見えてきたよ。
うーん、みかんでも飛べるものだとは、新発見だ♪

いやいやいや!
俺はそんな発見をするためにモロッコに来ているわけじゃあない!
明日こそは出てみせる!
・・・と毎日自分に言い聞かせながら、その後さらに10日もぐだぐだしてしまうはめに。
うーん、相変わらずのダメ人間っぷりである(苦笑)。

こまんたれぶなフランス語

MouleyIdriss アラビア語の習得を今年の抱負にしてみたものの、やはり相当な難物なんだなー、これが。
普段、語学を学習する際には、細かい箇所を全部理解できなくとも、がんがん進んでいるうちに何となくわかってきたりするものなのだが、今回は進もうにもまともな教材がないものだから進みようがないのである。
カフェで地元のおっちゃんたちを捕まえては少しずつ教えてもらうしか方法がないのだが、それもやはり限界がある。
何しろ、喋れるけれども文字の読み書きはできないおっちゃんも少なくないのだ。
しかもこの調子だと多少は話せるようになった頃にはもうモロッコを終了している可能性が高いしなぁ。

もういい。面倒だ。
アラビア語はエジプト辺りに行ってから、また再挑戦することにしよう。
エジプト辺りのアンミーヤ(話し言葉)だったら、シリアやヨルダンでも通じやすいのでずっとやりがいがあるのだ。

てなわけで、今年の抱負はあっさり挫折
いやここは一つ前向きにだな、フランス語の習得に変更ということにしておこう。

アフリカではフランス語を公用語としている国が多い。
モロッコもその一つで、他にも北アフリカや西アフリカの多くの国で使える便利な言葉なのだ。
使えるといっても、現地の人たちが母語として日常会話に使っているわけではなく、あくまで第二言語なのだが、それでも話せないよりはマシである。
というか、話せないと後々確実に苦労するであろう。

以前何度か挑戦しては挫折していたフランス語。
苦手意識がとても強かったのだが、今回改めて学習を始めてみたら、文法が以前よりずっと容易に理解できるようになっていた。
どうもスペイン語の下地があるお陰のようだ。
男性名詞・女性名詞の使い分けや、人称による動詞の変化など、スペイン語を学んだ時と同じような感覚で覚えていくことができる。
形のよく似た名詞や動詞も多く、いいまわしもスペイン語の文例の単語単語をフランス語のものにかえるだけで使えることがちょくちょくある。
例えば、スペイン語で「ちょっと待って」の「ウン・モメント」はフランス語では「アン・モマン」、「次のバスは何時に出るの?」はスペイン語では「ア・ケ・オラ・サレ・エル・プロクシモ・ブス?」だが、フランス語では「ア・ケルール・パール・ル・プロシャン・ビュス?」といった感じだ。
なんとなく似てるっしょ?
フランス語の学習でつまずいている人は、一度スペイン語をやってみてはいかがだろうか。
スペイン語の方が日本人にはずっと入りやすい言語だし、遠回りにはなるけれどその方がずっと楽に進めるんじゃないかな。

難点だったフランス語の発音も、やっているうちに段々と慣れてきた。
スペイン語と違って、文字通りに発音できる単語はまずない。
さらにやたらと子音の発音を省略したり、省略した上に後ろの単語とくっつけて発音したりするので、もうわけがわからなくなる時がある。
この後ろの単語とくっつけて発音する、フランス語特有のリエゾン
後ろの単語が母音で始まる時は前の単語の子音を省略せずに一緒に発音するというもの。
例えば「あなた」にあたるvousという単語はリエゾンなしでは単に「ヴ」と発音されるのだが、後ろに「持つ」というavezが来ると「ヴザヴェ」となる。
このリエゾン、大っ嫌いだったんだけれど、考え方をちょっと変えて、基本的に常に最後の子音を省略せずに発音して後ろとくっつけるように意識して、逆に母音で始まらない単語が後ろにくるときには発音しない、という風に考えるようにしてみた。
そして何度も発音しながら練習しているうちに、これまた段々と普通に使えるようになってきたのだ。

よしよし。
ここまで使いこなせれば、あとはよく使う用例や単語から順に覚えていくだけである。
なーんだ、意外と簡単じゃんかフランス語。
この調子で、ぺらぺらにとまではいかないまでも、後々の旅先で困らない程度にはしておきたいものだ。
さらに調子に乗って、日本に帰ってからも少々高級なフランス料理屋に女の子を連れて行って、バシっとフランス語で注文したりなんかしたら結構格好よかったりするんでないかい?
その時にウエイターから「スミマセン日本語デオネガイシマス」とかいわれてしまわないように頑張らねばなー(笑)。

過去の日記について

Meknes2-3 えー、この旅日記なんだけれど、2005年9月18日のオリンダ(ブラジル)からいきなり始まって今までぼちぼち続いてきたのですが、それより以前の過去の話も読みたいぞっていう人いますかね・・・?


何人かいるようだったら、それ以前の分も思い出しながら少しずつ書いていこうとは思っているのですが・・・。

メクネス2 - ヴォリュビリス遺跡

Meknes2-1 今日はメクネスから30キロほど離れた場所にあるヴォリュビリスの遺跡を見に行くことに。
ヴォリュビリスはモロッコに現存する最大のローマ遺跡で、元々はモーリタニア王国の一都市ワリーリとして栄えた町が紀元前40年以後にローマの属領となってからさらに繁栄し、最盛期には2万人もの人が住んでいたという所だ。
日本での知名度は低いが、いや俺もモロッコに来るまで全く聞いたこともない遺跡だったのだが、一応世界遺産にも登録されている。
世界遺産大好きのタカハシさんと一緒に久々の遺跡観光へいざ出発。

メクネスの新市街からグランタクシーと呼ばれる乗合いタクシーに乗って、まずはムーレイ・イドリスの町を目指す。
ムーレイ・イドリスはモロッコ最初のイスラム王朝であるイドリス朝の創始者ムーレイ・イドリス一世の廟を祀る聖地で、非ムスリムは入ることの出来ないその廟を中心とした丘の上の小さな町なのだ。

はっきりいって特に見ごたえがある町ではなく、単なる中継地として利用したにすぎない。
メクネスから小一時間ほどで到着したこの町で、軽い昼食を済ませてから、またグランタクシーで目的のヴォリュビリス遺跡を目指す。

遺跡につくと、欧米人団体観光客の御一行でかなり賑わっていた。
御一行どころか、御二行、御三行くらいがじゃんじゃん到着してきて賑わいをいっそう増していたけれど、この時期これはいたしかたなさそうだ。
ヨーロッパの有名観光地にくらべればまだマシな方だと思うしね。

遺跡の中に入っても最初は他の観光客たちだらけで、この調子だと静かにたたずむ遺跡の状景を楽しめないかもなぁと思っていたのだけれど、彼らとは別の順路で周ってみることにして、遺跡の奥の方から攻めてみたらそれなりに静かな雰囲気を味わいながら見学することができた。

遺跡にはところどころにモザイク装飾が当時の状態のままで保存されている。
大通り沿いに並んだ私邸跡の床をよく見ていると、意外なほど多くのモザイクが残されている。
図柄はギリシャのデロス島の遺跡で見たものやイタリアのポンペイで見たものに比べると、やや稚拙な印象が否めないが、それでも千数百年の時を隔ててもなお色鮮やかに残るモザイク装飾を眺めていると、当時の人々の生活風景が垣間見れる気がしてきてなかなか楽しい。

Meknes2-2 大きな邸宅跡では保存状態の良好な浴場もいくつか見ることができた。
たいていの浴場跡ではモザイク装飾もきれいに残っていて、当時の雰囲気を容易に想像できる。
「こんな場所で金髪ねーちゃんをはべらせて風呂につかってみたいものだねぇ」などと、隣のスケベオヤジはほざいていたが、そんなこと俺だって「全く同感ですねー」

カラカラ帝の凱旋門やユピテル神殿やフォーラムと呼ばれる公共広場などが並ぶ、遺跡の中心地も見て周る。
この辺りの遺物が遺跡の中では一番見ごたえのある形で残されていて、この感じだと凱旋門や神殿の列柱に夕陽がさしたらさぞかし美しいことだろう。

夕焼け時まで待とうかどうか悩みどころであったが、空には昼過ぎから雲が多くなり、この調子だと夕焼けというほどの夕焼けにはならなさそうな感じなのだ。
ま、遺跡自体は十分堪能できたことだし、今日のところはひとまず引き上げることにしよう。
帰りは小一時間かけてムーレイ・イドリスの町まで歩くことに。
バスターミナルがある丘の上まで歩いて登るのは面倒だなと思っていたけれど、幸い町の入口でメクネスに向かう民営バスを捕まえて乗り込むことができた。

さてさて、これでメクネスの観光は郊外の見所も含めてほぼ終了かな。
あとはHPの編集と写真の整理を済ませてから、いよいよモロッコ観光のハイライトの一つであるサハラ砂漠の方へ移動していくとしましょうかね。
メクネスから4000メートル級のアトラス山脈を越え、砂漠を見てからカスバ(城砦)街道を抜けてワルザザードの方へ向かう予定。
数々の映画で撮影に使用されたアイト・ベン・ハッドゥの廃墟がとっても楽しみなのだ。
乞うご期待♪

メクネス - 電源探し

Meknes1 廊下のベッドで眼を覚まし、さて今日は何をしようかと考えてみたものの、もう少しまともな寝床を探さない限りこのままではどうにも落ち着かない。
外は昨日に引き続いて絶好の観光日和ではあったが、とりあえずは部屋探しだ。
HPの編集やパソコン内に溜まりまくった写真の整理をしたいところなので、安い部屋でも電源がないところはできれば避けたい。
電源付きで、お家賃1泊40ディルハム前後、できれば中心広場まで徒歩5分~10分圏内という立地条件、お湯シャワーはハマム(銭湯)を使うから付いてなくてもいいよー、ちゅう希望条件を持って昨日周った物件を再度全部訪ねてみた。

ところがそもそも空いている部屋が少ない上に、どこの宿でも電源付きの部屋はほとんどない。
一軒だけ、くそ狭い3人部屋に電源があったが、80ディルハムというかなり高めのお家賃。
いたしかたなくオテル・マロックに戻り、60ディルハムの一人部屋が空いていたのでとりあえずそこに落ち着くことに。
その部屋にも電源はなかったのだが、ここに滞在しながら毎日他の宿を見に行けば、その内に年末年始の短期旅行者も少なくなるだろうし、電源付きの格安物件も見つかるかもしれない。
それまでは茶店やネット屋を利用する時にそこの電源に繋がせてもらってなんとかしのいでいくとしよう。
一時しのぎの借りの部屋ではあるが、少なくとも廊下のベッドよりは落ち着くので、とりあえずはこの宿に泊まりながらタカハシさんと一緒にメクネスの市内観光(写真のムーレイ・イスマイル廟など)や郊外のヴォリュビリス遺跡などを見て周っておりました。

幸いこの2日後には40ディルハムの安宿に移ることができ、そこにも電源はなかったのだが、宿のにーちゃんがいいヤツで、特殊なソケットを使って豆電球の根元から電源を引けるようにしてくれたのだ。
しかもそのソケットはもういらないからくれるという。なんていいヤツだ。
その種のソケットは俺も自分のものがあったのだが、モロッコの電球の差込口とは形が合わず使えずにいたのだ。
これさえあれば電源のない安宿でも問題なくパソコン作業ができる。
そこそこ大きな町であるメクネスでさえこれだけ電源事情が悪いのだから、この先田舎に行ったらもっと苦労するだろうなと思っていたところだったのだが、あっとう間に問題解決。ツイてるなぁ♪
願わくは純粋なパソコン作業のための使用に留め、「本願寺ウゼー」系の娯楽にはまることなく旅を続けることができればいいのだが・・・^^;

フェズ7 - フェズ最終日

Fez7-2 天気予報では年明けから快晴続きになるはずであったのだが、2日になっても相変わらずイマイチの空模様。
一日でいいからかーっと晴れてくれれば、丘の上から青空の下の街並みが撮れるんだけれどなぁと思いながらも、これ以上晴れ待ちしている余裕はなさそうだ。
いいかげんあきらめて3日にはメクネスに移動しようと考えていたところ・・・
来ました!フェズ滞在2週間目にしてようやくの雲一つない青空が!

もうこれ以上ないっちゅうくらいの絶好の撮影日和。
こうなった以上は午前中のバスでメクネスに移動しようとしていた予定を当然のように延期決定。
でももう一泊フェズに滞在するよりは、半日使えば一通り写真は撮れそうなので、夕方にはメクネスに移動するというのも悪くない。
メクネスはフェズからバスでほんの一時間半の距離だし、安宿も多そうなので暗くなってから着いても特に問題はなさそうなのだ。

Fez7-1 宿をチェックアウトして荷物を預け、いつでも移動できる体勢を整えてから、カメラを持って町歩き。
今まで行った場所をもう一度なぞりながら、もうここぞとばかりにフェズの写真を撮りまくり。
この一日さえあればフェズの滞在は十分だったんじゃないかと思えるくらいに、新市街も含めて全ての見所を総まとめ的に駆けずり回っておりました。
夕陽がさす頃に、丘の上にも再度登ってみた。
今までに登ったことのある2つの丘とは別の3つ目の丘に登ってみたのだが、景色はここが一番よかったかも。
ちなみにそこはオテル・レ・メリニドの真正面にある丘で、展望の場所に出るためにはかなり小さな城壁の穴を這うようにして潜り抜けなければならないので服が泥だらけになってしまう。
観光客はまず来ないような場所だけれど、意外な穴場として結構気に入ってしまった。

一通りの写真を撮り終え、満足気分でフェズを後にする。
長々と居ついてしまったフェズだが、これでもう思い残すことは何もない。

夕方5時発の民営バスに乗り、メクネスの旧市街近くのターミナルに着いた頃にはもう真っ暗。
目星をつけていた安宿を安い方から順に一つ一つあたってみるが、あいにくどこも満室。
想像以上に混みあっているようだ。
メクネスは比較的見所の少ない町なので大丈夫だと思っていたのだけれど、やはり年末年始の時期ははどこも観光客でいっぱいなのか。
フェズで別れて先にメクネスに着いているはずのタカハシさんも見当たらない。
うーん、困ったね、こりゃ。

とりあえずタカハシさんの居所だけでも確認しておこうと、もう一度安宿を周りながら聞き込みをしてみた。
特に人相書きを書く必要もなく、彼の特徴的な頭部を身振りで示しただけでいとも簡単に目撃情報を入手。
どうやらオテル・マロックという宿に向かったらしい。
この界隈ではちと高めっぽい宿だったので、まだ見に行ってはいなかった所だ。

そのオテル・マロックに行ってみると宿自体はやはり満室だったが、タカハシさんを発見。

大晦日にフェズで会った日本人の女の子たちも一緒だった。
彼らに会えたのはよかったけれど、さてさて今晩の俺の寝床はどうしたものやら。

オテル・マロックのおばちゃんに「他の宿もどこも満室でさぁ。なんとかならないかなー?」
と相談してみたら、2階の廊下にあるベッドなら使ってもいいという。
おぉ、さすがはモロッコ人、優しいじゃないか、と喜んだのもつかの間。
「60ディルハムね♪」と、いやらしそうに笑いながら、足元見まくりのお値段をつげてきやがった。
こんのくそばばぁめ。

いやいやいや。
ここで怒ってしまっては、元も子もない。
何しろ他は全部満室。
新市街まで行けば他にもあるかもしれないが、そっちが空いている保障はなく、探している間にこのベッドすら他の人に取られてしまう可能性もあるのだ。

足元見られるのは大嫌いなので内心めちゃくちゃ頭にきていたけれど、ここは根気強く値段交渉。
50ディルハムまではすぐに下がり、しばらくして40にまではなったけれど、そこからはなかなか下げようとしない。
40ディルハムといったら普通に一人部屋に泊まれるお値段。
「しょうがない。今日は野宿にするよ。タカハシさんの部屋に荷物だけは置かせておくれ」というと、それすらダメだというおばちゃん。
ムカムカムカムカ。
「そのくらい、どこの国のホテルでも問題ないはずだ。勝手にやらせてもらうよ」と荷物を運び込もうとした段階になって、ようやくおばちゃんの方が折れた。
30ディルハムでいいという。
30なら俺にとっても許容範囲だ。廊下に置いてあるだけのベッドにしてはまだ少々高い気もしたが、なにしろ立場が弱いのはこちらの方なのだ。この際我慢することにとしよう。

うーむ、この町は第一印象からよろしくないなぁ。
まぁ物価はとりあえず安そうなので、しばらくのんびりしていればいい面も見えてくることを期待するとしましょうかね。