旅人日記 -7ページ目

タンジェ

Tanger1 今日はとりあえずタンジェの町を観光。
これといって特に見所があるわけではないけれど、迷宮のような裏路地を迷いながらさまよい歩くのがとても楽しい。
アルヘシラスの港で出会い、船の中でも少し話したロンドン留学中の日本人男女と街中で再会し、一緒に土産物屋や服屋などで買い物しながら町を探索。

町には魔法使いのようなねずみ小僧のような、そんな格好をした人たちが多い。
モロッコの民族衣装でジュラーバと呼ばれる服だ。
普段着の上からすっぽりかぶり、全身を覆うゆったりとした服。
民族衣装大好きでコスプレパッカーの俺。もう買う気満々であった。
宿のおっちゃんに尋ねると200ディルハム(約2800円)くらいで買えるらしい。

旧市街の服屋をめぐって、着心地のよさそうな品を探し歩く。
値段を聞くとほとんど同じようなジュラーバなのに店によって「500」「250」「400」など言い値にかなりの差がある。
いうまでもなくぼったくろうとしているのだ。
値切り交渉はそれほど得意ではない俺だが、アラブ式の交渉の仕方は多少心得ているつもりだ。
どれだけ気に入った品を見つけても、とりあえず買わずに店を出る。そうするとどんどん言い値が下がっていくのだ。
言い値「400」の店で試着をさせてもらった後にそれをやってみた。

買わずに店を出ようとすると「わかった300でいい」となり、
もう少し考えてみるよというと「しょーがないな。ラストプライス250だ!」となり、
こっちのラストプライスは150なんだ、また明日見に来るよというと「待て待てマイフレンド!200ならどうだ!」となり、
それでも振り向かずにすたすた歩いていくと「もういい150だ!もってけ!」とオヤジの半ばやけくそ気味の叫び声が後ろから聞こえてきた。

俺はすかさず踵を返して「150でいいんだな。買った!!」とオヤジにつめよる。
しまったという顔で唸るオヤジ。
「うむむ、たぶんもうちょっと払えるよね・・・?」

「ダメ。150きっかり♪」
150ディルハムと引き換えにオヤジはしぶしぶ顔でジュラーバを手渡す。

よしよし。なかなかいい買い物が出来たんでないかい。
ほんの5分で400が150までに下がるあたり、愉快なところである。
こういう国での買い物はいちいち面倒なこともあるけれど、要は楽しんでしまえばいいのだ。
実際楽しいし♪

Tanger2 さっそくジュラーバを纏って町歩き。
長髪なのでジュラーバを纏ってもやや目立つかもしれないが、それでも寄ってくる連中の数は激減した。
いちいち相手をする煩わしさが少なくなっただけでも儲けものである。

その後、他の土産物屋に立ち寄る度に「そのジュラーバ、いくらで買った?」と聞かれまくり。
150ディルハムだというと、みな必ず「おー、それはいい値段だ。いい買い物したな」といってくれる。
お世辞かもしれないけど、そんなことはどうでもよくて、とにかくひたすら気分がいい。

数日後にはフェズ辺りで旅仲間のTさんに追いつく予定。
この格好で後ろからこっそり近づいて「マイフレンド、いいハシシあるよ、買わない?」とか囁いてみようかな。
その時の彼の反応が今から楽しみである。

アフリカ初上陸!

Gibraltar1 2日間の移動の日々で疲れていたこともあって、やや遅めの10時頃起床。
宿を出て11時発のタンジェ(モロッコ)行きの船のチケットを購入。
早めに出港ターミナルに着いていたのだが、出国審査が始まったのが11時半頃、船に乗り込めたのは12時頃だ。
広々とした船内ロビーの一角に陣取って、窓から遠くに見えるジブラルタルの大岩を眺めながら、生ハムを肴に白ワイン・・・じゃなかった白葡萄ジュースをちびちびやりながら出港を待っておりました。

ところが1時間待っても2時間待っても船はなかなか出港しない。
いいかげんそろそろ出る頃だろうと思い、甲板に出て煙草をふかしながら待っていたけれども、それでも出る気配なし。
外に出ていた間に、なにやら船内放送があったらしく、乗客たちがざわついていた。
故障か何かでもうちょっと時間がかかるのかなー?と思ったら、みんな急いで船を降り始めているじゃないか。
乗員に尋ねると、なんとこの船は天候不良とかで欠航になるとの話。
乗客たちはチケットを返してもらい、午後2時に出るという別の船を目指して次々に下船していった。

うーん、ついてないなぁ。
ついてないけど、今日はのんびりまったりの船移動の日だ。
時間がかかっても今日中にモロッコに着ければ俺にとっては問題ない。
まぁあせることもなかろうと、のたのたとターミナルに戻ってカウンターでチケットを別の船用に変更してもらおうとすると・・・

「これはバウチャーなので、実際に購入した場所で変更しないと次の便の乗船券に変えることはできません」なんてことをほざきやがれましたんですよ、これが。

はぁぁぁぁあ???
今から街中まで戻って変更して来いってか。それでみんなあんなに急いでいたわけか・・・。
時計を見るとすでに1時50分。くどくど文句をいったり別の方法を考えている暇はない。
猛ダッシュで走ってバウチャーを購入した代理店に駆け込む。
「おっちゃん、船がキャンセルになった。何でもいいからとにかくこれ変更して!」と叫ぶと、すぐさま別のバウチャーに変えてくれた。
「これ何時に出る船用?」
「知らん。彼らが2時に出るというなら2時に出るんだろう!」
「わかった。ありがとう!」

また走ってターミナルに戻ったが、結局また出国審査が始まるまで時間がかかり走らなくても余裕で間に合っていたようだ。
それでも先ほどの船で一緒だったイギリス人の女の子は見かけない。
彼女は鉄道駅の方で買ったようだったので、もしかしたら今日の出港はあきらめたのかもしれない。
他にも人づてで買ってもらったために変更のしようもなくて新たに券を買う羽目になっていたスペイン人のおばちゃんたちもいた。
ったく、ここはスペインだぜ。一応先進国じゃないか。船便の変更くらいターミナルで出来るようにしておけってんだ。
二度目の出国審査が始まり、みんなやれやれといった表情で船に乗り込む。
先ほどの船の中ではモロッコの入国印もすでにパスポートに押されており、付け加えて再度出国印と入国印をもらう羽目になった。
各国のスタンプをパスポートに集めるのは大好きなんだけれど、こんな形で無駄にページを消費されるのは勘弁してほしいなぁ・・・。

乗客が二倍になって船内はちと混みあっていた。
この船もなかなか出ようとしなくて、また欠航かもなーと思っていたら3時頃にようやく出発してくれた。
よしよし、これでなんとか今日中にモロッコに辿り着けそうだな。
それにしても最近出国間際にあわただしくなることが多いなぁ。
ベネズエラでも駆けずりまわされたし、今日なんか優雅にジブラルタル海峡横断を楽しむだけだと思っていたのに。

船内で日本人の新婚旅行中のご夫婦と出会う。
聞けばモロッコにはタンジェだけで1泊の滞在らしい。
「グラナダの観光案内所で『新婚旅行であの悪名高きタンジェ?一番行っちゃいけない場所だよ』っていわれました」
などと笑っていたけれど、それは俺でもそう思うなぁ。
テーブルを囲みお互いのガイドブックなどを見せ合いながらしばし歓談。
ワインまでご馳走になってしまった。イカ墨の缶詰を肴に赤ワインで乾杯。船では一杯やりたいところだったのでとても嬉しかった。

Gibraltar2 しばらくしてから甲板に出て景色を眺める。
右岸にはスペイン沿岸の町が見えている。
左岸にはアフリカ大陸の山々がぐわぁっと広がっている。
どっちも手が届きそうなくらい近い距離だ。
ジブラルタル海峡ってこんなにも狭いものだったのだねぇと改めて感心。
どこまでが地中海でどこからが大西洋なんだかはよくわからない。
朝から曇り空だった天候もすでに回復し、晴れ晴れとした青空。
船は日の傾く方向に針路を取り、一路タンジェを目指してゆっくりと進んでいく。

ちょうど夕陽が丘に隠れる頃にタンジェの港に到着。
他の旅行者から悪い噂ばかりを聞かされていたタンジェ。
いったいどんなお出迎えをしてくれるのやら。
港に降りるなり、客引きの連中がどっと押し寄せるだろうか。

内心ワクワクしながら船を降りてみると、そこには山のような人だかりが。
ほー、あれが噂のお出迎えか。こりゃまた想像以上だね、と思っていたら、実際にはこの船がスペインに折り返すのに乗る乗客の群れであった。
港を出てからもタクシーの客引きがちらほらいるものの、噂の「お出迎え」というほどのものではない。
「ノン・メルシー」と楽々とかわせてしまえる。
なんだかちょっと期待はずれだぞ。
もっとこうネタにできるような激しい歓迎の仕方を期待していたんだけどなぁ。

なんにせよ、無事タンジェに着いたのだ。
初のアフリカ大陸上陸♪ モロッコだよ。久々のイスラム圏だよ。
町は白壁の家々が丘にへばりつくように並んでいる。
陽はすでに暮れてしまったものの、西の方角はまだ青々としていて、白い建物とのコントラストが非常に美しい。
感動しながら新婚ご夫婦(名前聞き忘れちゃった^^;)と一緒に町を目指す。

彼らのことがちと心配だったので、予約してあるというホテルを一緒に探してあげることにした。
迷路のように入り組んだ町で、地図を見ながらでもなかなか場所がわかりづらかった。
結局ちょっと遠回りをさせてしまって申し訳なかったなー。

んで今度は自分の宿探し。
いざ一人になって歩いていると、先ほどとは違って客引きの連中がわんさか寄ってくる。
おー来た来た♪
内心嬉しくてしょうがなかったが、まーネタのためにわざわざカモになるのもなんなので、一人一人テキトーにあしらいつつ、かわしまくって無事自分で宿を見つけることができた。
1泊45ディルハム(約630円)、トイレは共同、シャワーは無しという安宿だが、大きなベッドにバルコニーから街を見下ろせる部屋でかなり気に入った。

荷物を置いて、夜の街中を気分よく散歩。
もう文字通り10秒ごとに声をかけられる。
「コンニチハ」「サヨナラ」「オゲンキデスカ」「ヨーコソモロッコへ」等々。
なんだか人気者にでもなったような気分でとても心地よい。
「チノチノ」とうるさい中南米や、やや冷たい雰囲気のヨーロッパよりよっぽど気分がいいぞ。

半分くらいは声をかけるだけでそのまま素通りしていくが、もう半分の連中はちと性質が悪いやつらだ。
話しかけられてちょっと立ち止まると、すかさずハシシを売りつけようとしてくる。
こっちは元々買う気はないのだから相手にしないに限る。
聞くところによると、ハシシを旅行者に売っておきながら、後で警察にたれこんで二重で儲けようとするやつも多いらしいのだ。
そんな連中でさえ、別れ際には「モロッコへようこそ。いい旅を!」と必ずのように付け加える。
しかもみな笑顔がとても素敵だ。

宿のおっちゃんも、食堂のにーちゃんも、みんな優しくて親切にしてくれる。
まだ着いたばかりの国ではあるが、なんだかとっても気に入ってしまったぞ。
物価も安いことだし、アラビア語習得を理由にして少々のんびりしてしまうのも悪くないかもなー。
と、初っ端から沈没してしまいそうな気分のアフリカ大陸初日でありました。

25ユーロのチーズケーキ

Andalucia 朝日の眩しい光とカモメの鳴き声に起こされる。
ターミナルでカフェ一杯の軽い朝食済ませ、セビーリャ行きのバスに乗る。
バスは高速道路をひたすら東へ進み、いつ越えたんだかわからない国境を越えて、午後1時過ぎにセビーリャに到着。

セビーリャは一度来たことがあるので、知っているターミナルに着くかと思っていたら、バスは全然見覚えのない場所に到着した。
どうやらスペイン国内各地へのバスターミナルとは町を挟んで反対側の場所に着いたようだ。
街中を小一時間かけて歩き、ターミナル間を移動。
前回セビーリャでは4泊しているので多少の土地勘が残っている。目的のターミナルまで迷わず辿りつくことができた。

さてと、この後の進路がちと悩みどころであった。
1.モロッコ行きの船が出るアルヘシラスの町に直行
2.その前にグラナダに寄り道

の二者択一だ。

グラナダもすでにこの旅の途中で立ち寄っている場所。
アルハンブラ宮殿を含めて観光は全て済ましているので、いまさら寄り道する理由はないといえばない。
だが、一つだけどうしても気になっているものがあった。
チーズケーキである。
前回のグラナダ滞在中にほぼ毎日のように食べていたお気に入りのチーズケーキがあるのだ。
グラナダの「カフェテリア・リスボア」という店が出すそのチーズケーキ。
めちゃくちゃ美味いというわけでもないのだが、ちょっとプリンのような味がするそのチーズケーキが個人的に大好きなのだ。
中南米滞在中の2年間ずっと、そのチーズケーキを味わうためだけにまたグラナダに立ち寄るべきかどうかずっと悩んでいたのだ。
結論が出ないままセビーリャまで来てしまったが「行かないで後悔するよりは行って後悔しろ」が俺の信条である。
ええい後先考えずに行ってしまえいっ、ってことで結局グラナダ行きのバスに乗り込む。

バスはアンダルシア地方のオリーブ畑が延々と続く中、高速道路をグラナダ目指して東へ走る。
空は雲ひとつない快晴。これ以上ないくらいの絶好の観光日和の中、今日はひたすら移動移動だなー。
夕暮れが迫る頃、白雪をかぶったシエラネバダの山並みが見えてきた。
グラナダはあの麓にあるはずだ。

午後6時頃にグラナダ着。
できれば今日中にアルヘシラスに行きたくて、バスの時間を調べると最終で8時発の便があった。
2時間あれば街中に行ってチーズケーキ食べて戻ってくることも難しくはあるまい。

Granada 市バスで中心街に向かい、目的の店に直行、すかさずチーズケーキを注文。
売り切れていることもよくある品なので少々心配していたのだが、運良く今日の分はまだ残っていた。
んで、懐かしの味をじっくりと堪能。うむうむ、そうそう、この味だよ♪
本当はその日に売れ残って次の日まで寝かしてあったヤツの方がまったり感が強まって、より好みの味なのであったが、この際贅沢はいうまい。

懐かしの味に舌鼓打ちながら、ふとこのチーズケーキを今回味わうためにいくらかかったか考えてみた。
チーズケーキそのものが2.5ユーロで、それにセビーリャからグラナダまでのバス代とグラナダからアルヘシラスまでのバス代を足して、セビーリャからアルヘシラスまで直行していた場合のバス代を引いてみると・・・。
うぎゃ!25ユーロもしてやがるよ、このチーズケーキ・・・。
元の値段の10倍かよ。高くついたなぁ・・・。

ん?待てよ。もしあと一つ食べたら、一つあたり(25+2.5)÷2=13.75ユーロになるじゃないか。三つ食べれば一つあたり10ユーロの計算だ。
我ながら賢いぞ。もう一つ二つ行ってしまえ、と思わず注文しそうになって手が止まった。
よく考えろ。食べれば食べるほど旅費は確実に減っていくのだ。足すのはいいがそこで割ってはいかん割っては。
これはあれだな。長期旅行者が陥りやすい罠と一緒だ。滞在費の安いところで長居することによって一日当たりの旅費が安くあげようとするのはいいけど、結局全体でかかる費用が減るわけではないのだ。
危ない危ない。危うくチーズケーキの甘い罠に引っかかってしまうところであった。
このチーズケーキのために余計に使った移動費は昨日野宿して浮かした宿代と相殺ということで納得するとしよう。
今回の勝負も引き分けといったところだな。何と勝負しているのか自分でもよくわからんけど。

その後、モロッコ行きの船上用にとスーパーで白ワインと生ハムと缶詰をいくつか買い込む。
んで市バス代をケチって走ってターミナルに戻り、結構ぎりぎりでアルヘシラス行きのバスに乗り込む。
アルヘシラスに着いたのが夜の12時頃。
また野宿にしようかと考えていたのだが、意外と寒かったので適当な安宿を見つけて投宿。

んで部屋で何気に、買ってきたワインを眺めると・・・
ワインじゃなくて白葡萄ジュースじゃねーか、これ!
ぐは、ワイン棚に並んでた一番安いやつを何も考えずに買ってしまったのだ。あんな場所に紛らわしく並べておくなよなぁ・・・。
引き分けだと思っていた試合なのに、PK戦でしてやられた思いだよ・・・。トホホホホ。

エボラ

Evora1 ポルトガルに来て2週間。そろそろスペイン経由でモロッコに入る向かうとしよう。
リスボンから直行便のバスでスペインに入ってもよかったんだけど、途中のエボラという町が世界遺産だっちゅうことでついでに寄り道していくことにした。

リスボンからバスで2時間、エボラの町に到着。んで、そのまま荷物を持って町見学。
エボラは城壁に囲まれた小さな町だ。
小さな町なので荷物を担ぎながらでもそれほど苦にはならない。
2~3の教会を見学したが、どれもあまり見ごたえのあるものではなかった。
内壁を人骨で埋め尽くした「骸骨礼拝堂」なるものはちょっと面白かったが、礼拝堂そのものが小さすぎていまいち迫力に欠ける。
ローマで見た骸骨教会の方がよっぽどすごかったなー。

Evora2 バスターミナルに戻ってスペイン行きのバスを探す。
ところがここからはスペイン方面に行くバスはないようだ。
リスボンまで戻ればセビーリャ行きの夜行バスがあるのは知っているのだけれど、引き返すというのは気分的に好かない。
金銭的にももったいないので別ルートを探していると、ファロという南海岸沿いの町に行くバスがあるのを発見。
そこからスペイン行きのバスがあるかどうかは、ターミナルの人も知らないようであったが(知っとけよ)、まー行けばなんとかなるであろう。

バス待ちの間、日本人旅行者と話す機会があった。
70過ぎのおじさんたちで、ツアーではなく個人で来ているとのこと。
元々は同級生だったという3人組。なんかいいなー、そういうの。
俺が2年半以上旅しているというと、もの凄く驚かれた。
しきりに「親がよっぽどお金持ちなんだねー」とかいわれたけど、いやいや一応自分で稼いできてますがな(苦笑)。
「日本の飴だよ」といって「サクマドロップ」をたくさんいただいてしまった。
缶入りのドロップ飴・・・めちゃくちゃ懐かしい代物だ。まだ売ってたんですね、コレ(笑)。

午後6時発のバスで4時間かかってファロの町に到着。
スペイン行きのバスを調べると、朝8時発のセビーリャ行きがあるとのこと。よしよし。
すでに観光案内所は閉まっており、この町の安宿情報も持ち合わせていない。
今から宿を探すのも面倒だな・・・。野宿にしてしまうか。

港の前のベンチに寝袋を敷いて就寝。
この辺りは冬季でも暖かい地方なので、野宿も比較的快適である。
若かりし頃にヨーロッパを野宿ばかりで旅していたのを思い出すなぁ。

シントラとロカ岬

Roca1 行ってきたぜよ、ロカ岬。
リスボン滞在5日目にしてようやく待ちに待った撮影日和。
朝から嬉々として出かけてまいりました。

ちなみにロカ岬というのはユーラシア大陸のさきっぽ、大陸最西端の地のことである。
沢木耕太郎の「深夜特急」に描かれている場所なのでご存知の人も少なくないと思う。
寒いだけで何にもない所だよー、とは聞いていたけれど、地の果てというのはもうそれだけで魅かれてしまうものなのだ。
何もなくても「はるばるここまでやって来たんぜー」という達成感は得られるだろう。
むしろ変な建物などなくて荒涼としてくれていた方がより旅情をそそるというものだ。

まずはリスボンから列車に乗って、途中にあるシントラの町に寄り道。
ポルトガル王国時代の宮殿が残っている場所だ。
イギリスの詩人バイロンが「エデンの園」と讃えているほどの美しい場所だとガイドブックには書かれていたが、正直全く期待はしていなかった。
だいたい「娯楽の殿堂」だとか「秘密の花園」だとか、そんないかがわしい謳い文句が付けられている所というのはろくなものじゃないだろう。

Sintra駅から1時間かけて徒歩で山を登り、山頂にあるイスラム時代の城とペーナ宮殿を見学。
このペーナ宮殿、イスラム様式とヨーロッパの建築様式が組み合わさっていて、外面はいまいち統一感のない印象だ。
中もたいしたことはなかろー、と思って入ってみたら・・・
これが意外にも素晴らしい部屋が目白押しであった!
中央に配したパティオ(中庭)を囲んで王や女王の寝室があるのだが、部屋そのものはどれも小さいものばかりだ。
豪壮華麗というほどではないのだが、内装や調度品の数々がなんとも趣味がいい。
しかも王族たちが生活していた当時の雰囲気そのままに保存されているのだ。
今までに見てきた宮殿では展示のあり方がどことなくおざなりで、どうしても博物館を見ているような印象だったのだが、この宮殿は今すぐ住んで暮らしても十分やっていけそうなくらい、そのままの形で残されている。
ポルトガルは1908年に国王と皇太子が暗殺されて共和制になっているが、おそらくその遺産がそのまま共和国に引き継がれたのだろう。
窓からは緑豊かな山すそが伸び、平野の先に大西洋まで見えている。こいつは確かに「エデンの園」かもしれない。
オーストリア・フランス・イギリス・スペインと数々の王宮を巡ってきたものの、住んでみたいと思わされたのはここが初めてかも。
うーむ、こりゃ全財産はたいてでも買い取りたくなる宮殿だな。俺が全財産はたいたところで何の足しにもならんだろうけどねー。

予想以上にシントラで時間がかかってしまい、そこからバスで40分ほどのロカ岬に着いたのはもう夕暮れ時だった。
ま、夕陽が見たかったのでちょうどいい。
人から聞いていた通りに、灯台以外になーんにもない場所。
イギリスのランズエンドみたいにテーマパークになっているよりはマシであろう。
このくらい殺風景な方が「地の果て感」っちゅうものがある。

Roca2 先っぽの崖の上には一応、十字架を冠した石碑が立っていた。
北緯38度47分、西経9度30分と経緯度を刻んでいる。
石碑には、16世紀の世界的に有名なポルトガルの詩人カモンイスの詩の一節も刻まれている。
Aqui...Onde a terra se acaba e o mar começa.
大地が尽き海の始まるところ
、という意味だ。
「海が始まる」という辺り、バスコ・ダ・ガマのインド航海を詠った詩人らしい言葉である。
その大地が尽きる先に座り、強風が吹きすさぶ中、寒さに震えながら大西洋に沈む夕陽を眺めながら眺めておりました。

ふと思ったんだけど、最西端のロカ岬が結構有名なわりに最東端の方はあまり知られていない。
気になったのでリスボンに戻ってから調べてみたら、ロシアのチュコト半島のデジニョフ岬っていう所のようだ。
アメリカとの国境に近いから、軍事施設とかあって容易に立ち入れない場所だったりする可能性が高そうだなー。
旅行者で行ったことある人なんているのだろうか?

さてと、これでポルトガルも概ね終了かな。
あとはエボラ経由でペインに戻り、ぼちぼちアフリカ大陸上陸を目指すとしますかね。

旅仲間の帰国

本日はロカ岬に行ってみようと考えていたところであるが、相変わらずの空模様。
とりあえずネットで天気予報を調べてみると、明日からは晴れマークがずらりと並んでいる。
ロカ岬のついでに立ち寄るつもりだったシントラの宮殿が本日休館であることも考え合わせて、予定を明日に変更することに。

ネットついでにメールをチェックすると、旅仲間のメグミちゃんが一時帰国する旨を伝えていた。
メグミちゃんは五大陸単独走破を敢行中の、若い(南米長期旅行者基準)ライダーである。
コロンビアのボゴタで出会って以来、カリ、キト、クスコ、ラパス、オルーロ、ポトシ、ウユニ、ビーニャ、カラファテ、ブエノスアイレスと各地で再会すること実に10回。
南米のいたるところで一緒に遊び、共に沈没生活を過ごしてきた仲。
同期の南下組の中でも一番付き合いが多かったのが彼女である。

俺とほぼ同時期に南米を終了し、相棒の赤いバイクと共にオランダのアムステルダムに飛んできていた彼女であるが、そこでバイクの修理に2ヶ月以上を要することが判明。
物価の高いヨーロッパで2ヶ月も待ち続けるのは確かに厳しい話だ。
その他諸々の事情も重なり、悔しいながらも一時帰国を決断した模様。
きっといろいろと思い悩んだ末の結論なのだろう。
長期旅行をしたことがある人ならわかるかもしれないけれど、一時帰国というのは結構ツライものなのだ。
俺自身が最近キャッシュカードの件で一時帰国を余儀なくされかかったため、その気持ちはよくわかる。
「日本へは帰りたいけど帰りたくない」
生前の彼女がよく口にしていた言葉である。死んでないけど。



そのメグミちゃんが別メールで、パリ行きの夜行バスの切符を買ったもののターミナルで乗り遅れてしまったことを話していた。

♪運転手さんそのバスに
 僕も乗っけてくれないか
 行き先ならどこでもいい


半ば自嘲気味にそんな歌を歌いながら、メールはなぜか逆方向のハンブルクから発せられていた。
何やってんだか・・・(笑)
バスでの移動には相当不慣れなんだなー。やっぱり君はライダーだってことだね。

相棒、早くよくなるといいね。
モロッコでは時期がずれちゃうかもしれないけど、きっとまたどこかで会えるさ。
旅人の世界に戻ってくるのを楽しみに待ってるよん♪

リスボン3

Lisboa2 今日は日曜日。
リスボンの観光名所はほとんどの場所が日曜は入場無料になっている。
小雨が降りしきる悪天候ではあったけど、無料の日とあっては黙っていられないのが貧乏旅行者の悲しい性である。
そんなわけで一日中、日が暮れるまでリスボンの見所を巡り歩いておりました。

まずは中心街から電車で数駅離れたベレン地区にある「発見の記念碑」へ。
テージョ川沿いにそびえる高さ52メートルの帆船形の記念碑だ。
エンリケ航海王子を先頭に大航海時代を切り開いた天文学者、宣教師、船乗り、地理学者たちの大きな像が続いている。
大海原へ乗り出していく姿がなんとも勇壮である。

記念碑の前の広場には大きな世界地図が大理石の床に描かれている。
そこには日本を含め世界各地の「発見」の年号も記されている。
欧米では今でも大航海時代のことを「地理上の発見の時代」などと普通に呼んでいたりするのだが、まぁいつまでたっても自己中心的にしか物事が考えられない連中なので、ここは大目に見てあげるとしよう。
そもそも日本は「発見」どころか「漂着」したんだろうが・・・と一言いいたいところではあったが、何はともあれ、この時代に彼らが偉大な功績を成し遂げたことは事実である。
まともな海図もない時代にちっぽけな帆船で大洋に乗り出し、新たなる航路を開拓していったのだ。
勇敢な冒険者たちの時代を讃える碑である。素直に感心しておくとしよう。

明国船に乗っていたポルトガル人商人が種子島に漂着したのは1543年のはずだが、この地図ではなぜか間違って1541年になっている。
地図の上に立って日本の周辺を眺めていると、ふと日本海のあたりに妙な落書きがあるのを発見。「DOKDO」と下手くそな字で刻み込まれている。
韓国語でトクト(独島)、つまり竹島のことである。
かー、こんな世界的に有名な記念碑にまで落書きしちゃうかね。しかも彫り込みで。
おそらく韓国人の仕業だと思うけど、同じ東洋人として恥ずかしい限りだよ・・・。

その後は同じベレン地区にあるジェホニモス修道院(バスコ・ダ・ガマの墓がある)やベレンの塔などを見た後、中心街に戻っていくつかの教会や美術館を見てまわる。
アルメニア人の石油王グルベンキアンの遺産を展示するグルベンキアン美術館では、古代エジプトやギリシャやイスラム美術の中にまじって日本の印籠の収集品まであったのには驚かされた。
蒔絵作りの硯箱や重箱などもあった。
同じく収蔵する西欧絵画や調度品の数々もなかなか趣味がいい。やるなグルベンキアン。

さてと、明日はいよいよロカ岬にでも行ってみようかな。
最近はずっと曇りや雨続き。この季節だからしかたがないとはいえ、たまには晴れて欲しいなぁ・・・。

リスボン2

Lisboa1 今日はリスボンの町を地図も持たずにひたすらぶらぶら。
見所にも立ち寄らず、何も考えずに町を歩くのもたまにはよいものだ。

焼き栗を売るおっちゃんおばちゃん。
子犬を連れて道端でアコーディオンを引く少年。
川べりで一日中釣り糸をたらす人々。

街には路面電車が縦横無尽に走っている。
迷宮のように裏路地が入り組んだ地区もあり、その辻々では蚤の市も開かれていた。
売っているのは、こんなもの売れんのかよーといったガラクタばかり。

工事中の地面の下には、ローマ時代の遺跡が顔を出していた。
たぶん、掘りかえしたらそこらじゅうが遺跡なのだろう。歴史の古い町なのである。
裏通りをちょっと歩けば、娼婦たちが可愛らしい声で誘ってくる。
昔から続く港町の姿がそこにある。
どことなく古臭く裏寂れていて、哀しげなファドの調べがよく似合う町である。

リスボン

ポルトガルの首都リスボンに到着。
リスボンといえば1522年にフェレロ家の公子ジョアンが私設艦隊を編成して旅立った場所として有名であるが、そんなマニアックな話はさておき。

宿に荷物を置いて、さっそく観光に繰り出したいところであったが、その前に一つやらねばならぬことがあった。
実はマドリッドで買ったデジカメに少々問題が発生。
レンズが汚れているわけでもないのに、撮影した画像に黒い点が浮かんでしまうのだ。
しかるべき場所でカメラの内部をきれいにしてもらう必要がありそうなのだ。
そんなわけで、まずニコンの公式サポートデスクを探さなければならなかった。

説明書に書いてあった住所を頼りに探すと、宿から歩いて15分ほどの場所に事務所を発見。
ところが、技術的なサポートは別の場所で行っているらしく、そこからさらに1時間歩いてまた別の事務所に向かう。
そこでカメラを見てもらうとやはり内部洗浄を要するとのこと。
けれども、ここでは受付しかしていなくて作業はまた別の場所でやっており、ここで頼むと受け取りは一週間後になってしまうというのだ。
カメラなしで一週間も過ごすのはできれば避けたい。ていうか一週間もリスボンにいたくはないぞ。
とりあえずその修理工房の場所を尋ね、直接出向いてみることにした。

修理工房はかなり辺鄙な場所にあって、リスボンから電車で1時間、バスで30分、そこからさらに人に聞きまくって歩き回り、ようやく探し当てることができた。
工房では「遠いところをようこそ。大変だったでしょう」と優しそうなおねーさんが出迎えてくれた。
修理を頼むと、受け取りは週明けの月曜になってしまうとのこと。
こんな辺鄙な所にまた出向いてくるのは面倒だぞ。
無理を承知で何とか今日中に頼んます、と頭を下げたら、いともあっさりとやってくれた。
しかも10分もかからずに終了。そんなに簡単ならもったいぶらずに最初からやらんかい。

ま、何にせよ無事修理完了だ。
修理費30ユーロはちと痛い出費だが、カメラを何日も預けることなく終わったのだからよしとしておこう。
明日からはいよいよリスボン観光を始めるとしようかね。

ナザレ

Nazare 大西洋に面するナザレの町にやってきた。
バスターミナルに着くなり客引きのおちゃめなおばちゃんに引きずられ、着いて5分で宿が決定。
宿代は1泊25ユーロがあっという間に15ユーロになり、最終的に10ユーロまで値切ることができた。
それもそのはず、街中には「部屋あります」の看板がいたるところに見られ、冬場で観光客が少ないとはいえ少々供給過剰気味の様子なのだ。

ナザレは海水浴場付きの小さな漁村。
陽気な漁師のおっちゃんたちはチェックの柄の独特の帽子をかぶり、おばちゃんたちは黒いスカートにポンチョやカーディガンを羽織って歩いている。
海沿いではアジの干物を干す光景なども見られ、どことなく伊豆の西海岸のような雰囲気がなくもない。

けれども街並みが小ぎれい過ぎていて、いまいち情緒に事欠けるんだよなぁ。
海はそれなりに綺麗なんだけど冬なので意味ないし。
こんなにも観光地化されている場所だとは思わなかったよ。
漁村といったら普通、もっとこううら寂れて鄙びた感じを醸し出しているべきものであろう(偏見)。
こんなやたらとお洒落な漁村なんて趣味じゃないぞ。

だが、まーよし。
別にナザレそのものが楽しみでここにやって来たわけではないのだ。
ナザレを拠点にアルコバッサやバターリャにある修道院が見たかったのである。
どちらも世界遺産に登録されていてる歴史ある修道院で、バターリャの方にはあのエンリケ航海王子の墓があったりするのだ。

んでさっそくナザレからバスで二つの町を巡ってみたのだが、結局はそっちの修道院も期待したほど見ごたえがあるものではなかった。
天気も悪くて、写真もまともなものが撮れない。もう一日早く着いていれば快晴だったというのに残念だ。
でもまぁ今日はたまたま「独立回復記念日」とかで両方とも無料で見学することができたのである。
合わせて9ユーロのもうけ。結構でかいんでないかい。
運がいいんだか悪いんだかよくわからないけれど、今回は引き分けということで許してあげるとしよう。