シントラとロカ岬 | 旅人日記

シントラとロカ岬

Roca1 行ってきたぜよ、ロカ岬。
リスボン滞在5日目にしてようやく待ちに待った撮影日和。
朝から嬉々として出かけてまいりました。

ちなみにロカ岬というのはユーラシア大陸のさきっぽ、大陸最西端の地のことである。
沢木耕太郎の「深夜特急」に描かれている場所なのでご存知の人も少なくないと思う。
寒いだけで何にもない所だよー、とは聞いていたけれど、地の果てというのはもうそれだけで魅かれてしまうものなのだ。
何もなくても「はるばるここまでやって来たんぜー」という達成感は得られるだろう。
むしろ変な建物などなくて荒涼としてくれていた方がより旅情をそそるというものだ。

まずはリスボンから列車に乗って、途中にあるシントラの町に寄り道。
ポルトガル王国時代の宮殿が残っている場所だ。
イギリスの詩人バイロンが「エデンの園」と讃えているほどの美しい場所だとガイドブックには書かれていたが、正直全く期待はしていなかった。
だいたい「娯楽の殿堂」だとか「秘密の花園」だとか、そんないかがわしい謳い文句が付けられている所というのはろくなものじゃないだろう。

Sintra駅から1時間かけて徒歩で山を登り、山頂にあるイスラム時代の城とペーナ宮殿を見学。
このペーナ宮殿、イスラム様式とヨーロッパの建築様式が組み合わさっていて、外面はいまいち統一感のない印象だ。
中もたいしたことはなかろー、と思って入ってみたら・・・
これが意外にも素晴らしい部屋が目白押しであった!
中央に配したパティオ(中庭)を囲んで王や女王の寝室があるのだが、部屋そのものはどれも小さいものばかりだ。
豪壮華麗というほどではないのだが、内装や調度品の数々がなんとも趣味がいい。
しかも王族たちが生活していた当時の雰囲気そのままに保存されているのだ。
今までに見てきた宮殿では展示のあり方がどことなくおざなりで、どうしても博物館を見ているような印象だったのだが、この宮殿は今すぐ住んで暮らしても十分やっていけそうなくらい、そのままの形で残されている。
ポルトガルは1908年に国王と皇太子が暗殺されて共和制になっているが、おそらくその遺産がそのまま共和国に引き継がれたのだろう。
窓からは緑豊かな山すそが伸び、平野の先に大西洋まで見えている。こいつは確かに「エデンの園」かもしれない。
オーストリア・フランス・イギリス・スペインと数々の王宮を巡ってきたものの、住んでみたいと思わされたのはここが初めてかも。
うーむ、こりゃ全財産はたいてでも買い取りたくなる宮殿だな。俺が全財産はたいたところで何の足しにもならんだろうけどねー。

予想以上にシントラで時間がかかってしまい、そこからバスで40分ほどのロカ岬に着いたのはもう夕暮れ時だった。
ま、夕陽が見たかったのでちょうどいい。
人から聞いていた通りに、灯台以外になーんにもない場所。
イギリスのランズエンドみたいにテーマパークになっているよりはマシであろう。
このくらい殺風景な方が「地の果て感」っちゅうものがある。

Roca2 先っぽの崖の上には一応、十字架を冠した石碑が立っていた。
北緯38度47分、西経9度30分と経緯度を刻んでいる。
石碑には、16世紀の世界的に有名なポルトガルの詩人カモンイスの詩の一節も刻まれている。
Aqui...Onde a terra se acaba e o mar começa.
大地が尽き海の始まるところ
、という意味だ。
「海が始まる」という辺り、バスコ・ダ・ガマのインド航海を詠った詩人らしい言葉である。
その大地が尽きる先に座り、強風が吹きすさぶ中、寒さに震えながら大西洋に沈む夕陽を眺めながら眺めておりました。

ふと思ったんだけど、最西端のロカ岬が結構有名なわりに最東端の方はあまり知られていない。
気になったのでリスボンに戻ってから調べてみたら、ロシアのチュコト半島のデジニョフ岬っていう所のようだ。
アメリカとの国境に近いから、軍事施設とかあって容易に立ち入れない場所だったりする可能性が高そうだなー。
旅行者で行ったことある人なんているのだろうか?

さてと、これでポルトガルも概ね終了かな。
あとはエボラ経由でペインに戻り、ぼちぼちアフリカ大陸上陸を目指すとしますかね。