旅人日記 -6ページ目

フェズ6 - 手ごわすぎるぜアラビア語

Fez6-1 「マブルーク・アリク・ラァン・ジャディッドゥ!」

「明けましておめでとう!」はアラビア語ではこういうらしい。
ここから先の訪問国はしばらくはアラビア語圏が多いので、今年はとりあえずこのアラビア語習得を抱負にしてみるとしようかな。
てなわけで、今日は新年早々朝から茶店の一角に陣取ってアラビア語の会話集や簡単な文法書とにらめっこしながら過ごしておりました。

んでこのアラビア語なんだけれど、いざ学習を始めてみたらこれがまた想像以上に手ごわい代物だっちゅうことがわかってきた。
なにしろスペイン語では主語の人称によって5つに変化した動詞が、アラビア語では男女の違いも加わるために倍の8つに変化していやがるのだ。

わかりやすく例を挙げると、例えば「食べる」という動詞がある。
英語ならイートが一人称単数の場合にのみイーツになる程度でほとんど変化しないので楽なのであるが、欧州系の他の言語ではこれが一人称単数・二人称単数・三人称単数・一人称複数・二人称複数・三人称複数とそれぞれ別の形に変化するものが多いのだ。
例えばスペイン語で食べるを意味するコメールという動詞は主語によってコモ・コメス・コメ・コメモス・コメンと5つに変化していき(スペインでは6つあるが、中南米では基本的にこの5つしか使わない)、それが過去形になったりして時制がかわればそれぞれにまた違う変化をする。
そういう言語を学ぶ際の初歩の段階では動詞の活用変化の習得にかなりの時間を費やさなければならないものなのだ。

同じようにアラビア語でも、「食べる」という意味の動詞のクルが主語によって変化していくのだが、スペイン語では区別のなかった二人称単数男性と二人称単数女性、三人称単数男性と三人称単数女性、二人称複数と三人称複数もそれぞれ明確に区別しなければならない。
つまりクルという一つの動詞がナクル・タクル・タクリ・ヤクル・タクル・ナクルー・タクルー・ヤクルーの8つにも変化した上に当然それぞれ時制によっても変わってくるというわけだ。
それほどまでにきちんと区別して使い分けているのはある意味凄い連中だなぁと感心していたら、よく見るとこのクルの変化でもそうだが「あなた(男性単数)が食べる」と「彼女が食べる」の時は共にタクルという同じ形の表現をしていて、スペイン語同様に主語はほとんど省略されるというのにこの場合はいったいどうやって区別しているのやら、ますますもってわけがわからない。

発音そのものもかなり難しい。
過去に数種類の言語を学んだ経験から、日本語にない音を出すのは結構得意な方で、ここでも現地人から「発音上手いなー」と褒められることもちょくちょくあるのだけれど、それでも何度発音してもらっても真似することの難しい音がいくつかある。
特に喉の奥の方で発音する「ハ」行の音が2種類あって、その微妙な違いがなかなか使い分けられない。

さらに文字通りに読めない単語ばかりで、単語を覚える時には綴りと同時に発音も覚えなくてはならない。
その点、ほぼ字面通りに発音できるスペイン語や、ある程度の規則さえ把握すれば初めて目にする単語でも読むことができるポルトガル語はまだ楽な方であったといえる。
発音も一緒に覚えなければならないという点では英語もそうなので、その感覚でいけるのかと思えば、そう単純な話でもなさそうなのだ。
例えば「メクネス」という地名はアラビア文字では「ﺲﺎﻨﻜﻣ」で、それをそのままローマ字に直すと「Mknas」となる。
んじゃ「メクネス」ではなく「ムクナス」に近い発音なのかというと、そうではなくてちゃんと「メクネス」と発音されている。
英語なら文字通りの発音にはならなくても、母音そのものが省略されることはほとんどないので、慣れれば初見の単語でもその形を見ればなんとなくどう発音するかが想像できたりするものだが、こうきっぱりと省略されていると想像もつかないことが多い。
要するに単語ごとにきちんと覚えなくてはならなさそうな感じなのである。

文字は当然アラビア文字で、右から左に流れるように書かれている。
このアラビア文字については、実は以前ペルシャ語やウルドゥー語を少しかじった時に学んでいるので、文字そのものの読み書きはできるのだ。
だから全く知らない状態から学ぶよりはまだ入りやすいのかもしれない。

一番辛いのは、フスハと呼ばれる標準アラビア語というものがあって、これはアラビア語圏の小学生以上なら誰でも理解するいわゆる国際共通語なのだが、実際に各国で話し言葉として使われているのはアンミーヤと呼ばれる各地の「方言」だという点だ。
モロッコではダリージャと呼ばれるこの方言、標準アラビア語とは文法的にもかなりの差異があるようで、俺が見た感じではスペイン語とイタリア語の違いぐらいの差がありそうなのだ。
当然各国の方言もそれぞれ違うわけだから、モロッコのダリージャを覚えたところで、それはエジプトに行った時にはあまり役に立たないということになる。
実際、アルジェリアに仕事で行ったことのあるモロッコ人に聞いてみたら、お隣のアルジェリアでさえモロッコのアラビア語は通じないため標準アラビア語で会話しなければならなかったそうだ。
つまりどういうことかというと、とりあえず標準アラビア語を学んだ上で、実際には各地でそれぞれの方言も合わせて使えるようにしていかないとならないというわけなのだ。
それってめちゃくちゃ面倒な話なんでないかい・・・?
広大な大陸の中で、地方によって言い回しや発音に若干の違いはあるものの、ほとんど全く同じスペイン語で通すことのできた中南米とはえらい違いである。

うーむ、なんだか難しいことだらけで初っ端から挫折しそうな感じがしてきた・・・。
わずかな救いとしては、時制の変化が少ないのと(現在形と現在進行形の区別がないらしい)外国人が覚えようとするのが嬉しいらしくて現地人が発音なんかを一生懸命教えてくれるってことかな。
日本人にとってなにかととっつきにくい言語ではあるけれど、ようやく文法の基本的構造がおぼろげながらにわかりかけてきたところ。もう少しだけ頑張ってみようかな・・・。

む、気がついたら新年早々に読者の人たちにはどうでもいい話を長々と書き連ねてしまった。
こんな言語オタク的な話はともかくとして、とりあえずは今年もいい一年になりますように!

えーっと今年は平成18年になるのかな? 
元旦、フェズより。

フェズ5 - 屋上の年越しパーティー

Fez5-1 大晦日。天気は快晴。
絶好の観光日和ではあるが、日本人的感覚で大晦日くらいは心底のんびり過ごしたいものだ。
観光日和は洗濯日和ちゅうことで、大掃除気分で洗濯したり、馴染みの茶店でカフェオレをすすりつつ、のんびりのほほんと道行く人を眺めながら、年末気分を味わっておりました。

年末とはいえ、ここモロッコでは当然イスラム暦を中心に物事が動いており、西暦での新年は特に祝ったりしそうな雰囲気がない。
ひょっとしたら少しは何かしらやるんじゃなかろうかと、淡い期待を抱いていたものの、大晦日になってもまったく普段どおりの町の雰囲気からして、やはり何事もなく過ぎていきそうな感じである。

やっぱりちょっと物足りないなぁ、と思っていたところに宿のおっちゃんが声をかけてきた。
ゴルディという名前で50歳になる大柄のおっちゃん、一日中廊下に座っているのが仕事のようなオヤジで、実際今まで働いているところなど見たことがない。
俺らのカタコトフランス語ではなかなか意思の疎通が出来なくて、あまり話したことはなかったのだが、毎日いい笑顔で挨拶してくれるので結構気に入っていたおっちゃんだ。
引篭もりが続いていた時も、俺が一日に晩飯時だけ外に出ているのを見て「体調が悪いのか?大丈夫なのかい?」と本気で心配してくれていたこともあった。
さすがに「パソコンでゲームしてました」とは言いにくく、身振り手振りで大丈夫大丈夫と伝えてはみたものの、大の大人が二人、一日中部屋に篭もっていたのだからひょっとしたらかなり変に思われていたかもしれない(苦笑)。

そのおっちゃんがフランス語で一生懸命伝えようとしているところを単語単語をつなぎ合わせて理解すると、どうやら今晩宿をあげてのパーティーを開催するので参加しないかというお誘いのようだ。
お?ひょっとして年越しパーティーをやってくれるのかな?
このままだとちょっと寂しい年越しになりそうな気がしていたので、そういうパーティーなら是非参加させてもらいたいものだ。

と思っていたら、おっちゃんは身振り手振りを加えながら「ハッピバースデートゥーユー♪」と歌いはじめた。
ん?そいつは誰かの誕生日という意味なのか?
手持ちの会話帳に付属している辞書を見ると、フランス語では「誕生日」も「記念日」もどちらも「アニヴェルセール」という同じ単語で表わすようなのだ。
ま、この際誰の誕生日だろうと大した問題ではあるまい。
年越しの最中に外でみんなが楽しそうに騒いでいる時に、部屋に篭もってこそこそゲームしていたりするのはさすがに寂しすぎる。
参加費はタジン代の50ディルハム、場所は屋上のテラス、開始は夜9時から、というのは理解できたので、とりあえず喜んで参加させてもらうことにした。

数日前までは、年越しの瞬間は丘の上に登ってフェズの夜景を眺めながら過ごすのも悪くないかもと思っていたのだが、昨日の夜にこの宿の屋上から眺めた様子から察するに、夜の町は思っていた以上に真っ暗で、上から見ても夜景と呼べるほどの夜景にはならなさそうであった。
町中の建物のほとんどが木窓になっており、閉じると中の灯りがほとんど漏れない構造になっているようなのだ。
どこで過ごそうかを考えあぐねている最中だったので、パーティーのお誘いはまさに渡りに船といったところであった。

Fez5-2 んで、夜になり、9時を過ぎた頃に「始まるよー」とお声がかかる。
会場である屋上テラスには、風船を並べた手作りの飾りが取り付けられていた。
おっちゃんは白い服に着替えて、いつもとは違いテキパキ動いて準備をしていた模様。
表情も普段よりもずっと生き生きとしていて、なんとも楽しそうだ。
もう「俺はこの日のために生きてきたんだぜー」といわんばかりの勢いで嬉しそうに動いている。

テーブルについて、食事が出てくるまで、同じくこの宿に泊まっていた日本人女の子の二人組と話しながら過ごす。
昼頃から干していた洗濯物がまだ乾いていなくて、俺はジュラーバの下はほとんど裸に近い状態。
タカハシさんの方も似たような状況で、二人とも寒空の下でぶるぶる震えながら食事が出るのを待っていた。

出てきたタジンは50も取るだけあってなかなかの美味♪
他の参加者たちも徐々に会場に現れてきて、それにつれておっちゃんのテンションもどんどん上がっていく。
あっちのテーブルに行っては愛想を振りまき、こっちのテーブルに来ては踊って見せたり、会場の装飾にローソクまで取り付け始めたりして、そのはしゃぎっぷりが見ていてなんとも微笑ましい。

他の欧米人たちはどこから手に入れて来たのか、ビールやワインを開けて乾杯している。
俺らも酒が欲しいところであったが、旧市街にあるこの宿の辺りでは残念ながら酒類は一切売っておらず、ビールやワインを手に入れるには歩いて小一時間先の新市街のスーパーまで行かなければならない。
あいにく今日は服をほとんど洗濯してしまっていたため、遠くまで買いに出かけることが出来なかったのだ。
しかたなく女の子たちが入れてくれた中国茶やタカハシさんが持っていたインスタントコーヒーで乾杯しながら新年を迎えることに。
ま、この寒空ではビールなんかよりはむしろこういった温かい飲み物の方がいいかもしれないな。
少なくとも風邪は引かずに済みそうだ。
新年早々風邪で寝込んでしまったりはしたくないしなぁ。

それでもやっぱり少しはほろ酔い気分を味わいたいと思い、ダメ元で酒を売っていそうな店を探しに外に出かけてみることに。
深夜の町は相変わらず普段と変わらない様子ではあったが、道行く人たちはなぜか「オナニー、オナニー」と、にこやかに声を掛け合っている。
お前ら新年早々センズリかよ、とその時は思ってしまったのだが、後で聞いたらフランス語で「ボナネーBon anée(明けましておめでとう)」のことだったようだ。
それがモロッコ訛りでボナニーになり、さらに最初のBの音が弱いためオナニーに聞こえてしまう。
紛らわしいからちゃんと発音せんかい。

宿の欧米人たちの多くがビールを手にしていたので、ひょっとしたら今日はこの辺りの店でも売っているのかもと思いつつ探してみたら、いともあっさり向こうの方から「酒ならあるぞ」と声をかけてきた。
ところが、どの店でもビール一本25ディルハムなどという足元見まくりのふざけんなよ値段。
観光客用に新市で仕入れてきたのだろうが、そんなぼったくり値段で買った酒じゃぁ気持ちよく酔えそうにないぞ。
あの短期っぽい欧米人たちは、それでも喜んで買っていったのだろうなぁ・・・。

いたしかたあるまい。ここは大人しく酒は諦めるとしよう。
酒がなくとも今晩のパーティーでそれなりに年越し気分が味わえたしね。
それにここ数日はカヨコさんに豪勢な食事をおごってもらい続けていたのだ。
これ以上期待するのは罰が当たるというものであろう。
ま、何はともあれ、今年もよい年にしたいものございます♪

フェズ4 - 超豪華宮殿での晩餐ベリーダンス付き

Fez4-2 本日も引き続きカヨコさんの観光のお供をさせていただくことに。
タカハシさんは腹を壊して体調が思わしくないため今日は一日宿で休養。
同じものを食べていた他の連中が腹を壊しているにもかかわらず俺だけ平気だったりすることは今までにもちょくちょくあったのだが、考えてみたら今回の旅ではほとんど全く下痢にはかかっていないような気がする。
病気にしても気温差の激しい場所を移動した時や湯冷めした時などに軽い風邪を引く程度だ。
知らず知らずの内に長期旅行者仕様の便利な身体になっているのだろうか。

今日の観光はとりあえずフェズの町を見下ろすことができる丘の上まで歩いていくことに。
城壁の外から回り込んでいけば容易に辿り着ける場所なのだが、それではちと面白くないのでメディナの迷宮内を突っ切って目的の場所を目指すことにした。

メディナ内からその丘の麓に辿り着くためには、まず迷宮の北の出口の一つであるギッサ門を目指すことになる。
実は俺も数日前に一度挑戦してはいたのだが、迷いまくってギッサ門まで辿り着くことができずに全然違う門から外に出てしまい、目的の丘がどっちの方角なのか定かでない上に自分の現在地すら地図上のどこになるのかすらわからなくなり、そうこうしている内に雨も振り出して来たこともあって止むを得ず撤退していたのだ。
メディナ内に数ある見所への複雑な道と比べても難易度Aのルートといえよう。

ま、難易度が高いといっても、実際には要所要所で地元の人に尋ねながら行けば全く迷うことなく辿り着けることができるであろう。
だが、それではやはり面白みに欠けるのだ。
あっちへこっちへと迷いながらようやく目的地まで辿り着く、それこそがこのフェズの大迷宮の醍醐味なんじゃないかと思う。
昨日は俺が先導して案内してしまったためにその楽しさを奪ってしまった部分があったかもしれないと思い、今日はカヨコさんの思うままに先に進んでもらい、俺は基本的に後から着いて行くだけにした。

メディナ内の主要道から脇道に入って北にあるはずの門を目指す。
この初っ端の入り口で間違っていたりするとまず辿り着けないのであるが、ここだけはガイドブックの地図と照らし合わせてみても間違いではなさそうだ。
問題はその先。
人の流れが比較的の多い方へと考えなしに進んでいくと前回の俺の二の舞になってしまう。
その最初の方の間違えやすい分岐点だけは伝え、後はひたすら彼女の思う方角へと歩いてもらう。
そこから先は俺もまだ未踏の地区。
細い路地裏を右に曲がり左に折れ、ガキどもが遊ぶ坂を登ったり降りたりしながら、周囲の雰囲気は徐々に城壁の外へと通じている気配になってきた。
そして最終的には全く迷うことなく最短距離で無事ギッサ門まで到達。

こう書くと「単にお前が方向音痴なだけで、ホントはそんなに難しくないんじゃないか」と思う人もいるかもしれないけれど、実際にあの地区を歩いたことがある人ならわかってもらえると思う。
カヨコさんは山登りも趣味なだけあって、その方向感覚は相当なものなのだ。
とあるネットゲーム内にて見事なまでの方向音痴っぷりをさらけ出していたことのある俺も、現実世界の町歩きでは達人並みの案内振りをすることで一部の旅人の間では有名なのだ。
初めての土地でも訳知り顔でみんなを先導するものだから、ぶっちゃけ迷っていたとしてもたぶん後ろの人たち気づかれていなかったっちゅうこともあったりするのだが・・・^^;
いや、正直な話、自慢じゃないけど、自分で思っているだけなのかもしれないけれど、俺の方向感覚もなかなかのものなのだ。
その証拠に別方向へ向かうバスに乗ってしまったこともないし(電車では一度だけやってしまった^^;)、間違って見当違いの国に迷い込んでしまったようなことも一度もない。
それは方向感覚以前の問題だろとか、くだらん言い訳はどうでもいいから話を先に進めんかいという声が聞こえる気がするので、とりあえず丘の上へと進んで行くとしましょうかね。

ギッサ門から出てしまえば、そこからは丘が見えるので迷いようがなく上まで登ることができる。
丘は全体が古びた墓地になっていて、その合間に羊毛や鞣された羊革を天日に干す作業をしている人たちがちらほら。
イスラム教の墓地って、毎回思うんだけれど、他の宗教のものと比べると簡素な作りで全体的にからっとしている。
仏教やキリスト教の墓地でしばしば感じる陰気な雰囲気がまるで感じられない。
この丘も、陽気に作業を続ける大人たちや無邪気に遊ぶ子供達のお陰か、ひたすらのどかな雰囲気なのだ。

丘の上には崩れかけた土の城壁が残っている。
その一部に開いた小さな穴を抜けると、そこにはフェズの町全体が見下ろせる格好の場所が。
そこで遊んでいた子供たちがすぐさま寄ってきて俺らを取り囲み、はにかみながら「シャッキシェン?(ジャッキーチェンのことらしい)」とか「ジャポン?カラテ?」とか話しかけてくる。
カヨコさんが写真を撮っている間、俺は彼女にもらったアラビア語の会話帳を使いながらガキどもと一遊び。
この「旅の指差し会話帳」、使ってみるのは初めてだったのだが、これがまためちゃくちゃよく出来ていて、特にこういうガキどもと戯れるには最高の代物だ。
挿絵付きのアラビア文字を見せながら指差すだけで、みんな面白そうに覗き込みながらそこに載っている例文や単語を口を揃えて発音してくれる。
日本人の耳には聞き取りにくくて、発音もかなり難しいものが多いアラビア語だけど、こうやって練習できるのなら習得するのもそう難しくはないかもしれない。
うーん、いいものを頂いてしまったなぁ^^

その後はちょっと離れた先の別の丘にも登り、近くの有名な高級ホテルの脇を抜けて、高台のベンチで一休みしたりしながら、町へと戻る。
宿へ戻るとタカハシさんは朝飲んでいた正露丸が効いたのか復活している模様。
彼も誘って一緒に軽く腹ごなしにまた外に出てみたが、年末休みなのか閉店している飯屋が多い。
しかたなくテキトーな喫茶店で茶菓子をつまみながらのカフェオレで、道行く人々を眺めながらの午後を過ごす。
ここモロッコでは観光にあくせくするばかりではなく、地元の人と同じようにカフワとよばれる茶店で一日中何もせずにぼーっと過ごすのも楽しい時間の過ごし方なのである。
ある意味一番モロッコらしい状景を楽しめるんじゃないかな。

カヨコさんはとても話し好き、というより聞き上手な女性なので、こちらもつられて旅の話をじゃんじゃんかましていたのだが、短期系の旅行者で俺ら普段しているようなマニアックな旅の話に自然についてこれる人も珍しい。
何しろヨーロッパはほとんど行っていないにもかかわらず、すでに50カ国以上は周っているほどの相当な旅の達人なのだ。
南米のパタゴニアやギアナ高地などは3人とも経験しているだけあって、どんな場所かを説明しあう必要もなく「あそこは凄かったよね~」「どこそこは行きました?」「俺らの時はこうこうこうだったんですよ~」みたいな調子でぽんぽん会話に花が咲く。
旅の話というものは、旅好きな人ならともかく、そうでない日本の友人知人たちにはなかなかしづらいものである。
俺はどちらかというと口下手な方なので、細かい説明をしなくてもわかってくれる相手というのはとても話しやすい。
気心のしれた昔の旅仲間に再会できたような気分で、今までの旅の経緯や昔の旅での体験談などを、もう昨日から引き続いてずっと話し続けていた。

夜はまた、彼女が行ってみたいというレストランにお供させていただくことに。
俺らの宿から歩いて行ける場所なのだが、ガイドブックに「メディナ内のすてきな『隠れ家』」と紹介されているだけあって、薄暗い裏路地をぐんぐん進んだ先のひっそりとした場所に入口があった。
表通りから裏路地へ入る場所にも特に案内板があるわけでもなく、俺らが探していると「店の人間だ」という若い男が店まで道案内をしてくれたものの、何もない暗い道をどんどんと進んで行くので、途中から変な場所に連れて行かれるんじゃないかと少々不安になったほどだ。

店の名前は「アル・ファシア」。
「パレ・ジャメイ」という、モコッコ国内でも指折りの格式高い高級ホテル(もちろん五つ星)の中にも同名のレストランがあるらしいが、ここはその姉妹店とのこと。
カヨコさんは本当はそっちのホテルに泊まりたかったらしいのだが、残念ながら満室で予約が取れなかったらしいのだ。
夜9時からはベリーダンスのショーがあるらしく、その少し前に入店。

Fez4-1 ウエイターに案内されて店に入ると、すぐ外の裏寂れた雰囲気とは打って変わって、豪華絢爛の別世界が。
これじゃまるでどこかの宮殿じゃないか・・・。
高い天井の広々とした空間、壁や広間を取り囲む列柱はイスラムの細かな装飾で一面びっしりと覆われている。
アルハンブラ宮殿もびっくりの凄い部屋だ。
これがスペイン辺りにあったらレストランなどではなく、博物館になって観光客でごったがえしているか、そうでなくてもパラドールとして高級ホテルに使われていそうなくらいのところだ。
後で聞いたら、200年前にはとあるパシャ(貴族)の邸宅だった建物だそうな。
いやはや、こんな所にこんな建物が隠れていたなんて・・・こいつは隠れ家どころか隠れ豪邸じゃん。

華麗な内装の割には照明はやや抑え目にしてある。
そのせいか、店内は全体的に落ち着いたたたずまい。
中央の広場を囲むようにして、高さの低い丸テーブルが配置され、一人掛けのソファー式の椅子に腰掛ける。
予約はしていなかったのだけれど、幸いまだ客が少なかったようで、ショーが行われるであろう中央の広場やその奥のモロッコ伝統音楽を演奏している場所を真正面に見据えることのできる、なかなかいい席につくことができた。

んで、真っ白な服に赤い帽子を被ったウエイターがメニューを持って来る。
この店には単品はないようで全てセットメニューになっていて、そのそれぞれにどんな物が出てくるかフランス語と英語とスペイン語で説明書きがしてあるんだけど・・・。


お値段全部三桁越えてますがな・・・^^;


ちなみに俺らの普段の晩飯といえば、安食堂で惣菜盛り合わせにスープを付けて10~15ディルハム、ちょっと贅沢タジンを頼んでもいいとこ25ディルハムといったところ。
このフルコースのメニューにワインも付けたら3人分でいったいいくらになるものやら・・・。
メディナを案内してくれたガイド料よ、と気前よく奢ってもらって、おぉそれはそれはご馳走様です♪ と気軽に構えてしまっていいのか? 別段大した働きもしていない私めごときがこんな場所でこんな凄そう料理を振舞っていただけるなんて、ホントにそれでよろしいのでございましょうか・・・?

俺がメニューを見ながら目を丸くして固まっていたら、陽気でよく喋るウエイターが自分で勝手に値切り始め、「二人分の料金で三人前ご用意しましょう。もちろんお代わりはお好きなだけおっしゃってください。何の問題もございません。前菜にはスープとサラダのどちらがよろしいですか?」と、本当はもっとくだけた英語だったけれど、その時は店内の雰囲気のせいか不思議なほど上品に聞こえたりした。

出された前菜のサラダを見て、これまたびっくり。
かんなり大きな皿に生野菜や炒めた野菜や初めて見る惣菜やオリーブなどが盛りだくさん。
数人分用の盛り合わせサラダといった量で、もうこれだけでもパンと一緒に食べてお腹一杯になりそうだ。
スープの方も、モロッコ定番のハリラというトマト風味のスープなのだが、安食堂で2ディルハムで出てくるものとは上品さがまるで違う。
これじゃメインが食べられなくなるかも、などといいながらも結局は完食。

メインは鶏のタジン
ちなみに「タジン」というのは料理名というより、本来はその料理を入れる厚い陶製の皿とそれに被せる三角帽子のような蓋のセットのことを指す言葉のようだ。
その陶器に入れて煮込んだ料理はすべて「タジン」と呼ばれるが、日本語の「鍋」に似たような単語だと思えばわかりやすいだろうか。

中に入れる具も様々で、店や地方によって味付けにかなり差がある。
たいていは鶏肉や牛肉や羊肉などを各種野菜と一緒に弱火でじっくりゆっくり煮込んであって、煮込み終えたら皿ごとそのままテーブルに運んでくれる。
ケフタ(ミートボール)や魚のタジンなんかだと、野菜はあまり使わずにトマトスープを使って煮込んである場合が多い。
味付けはサフランやパプリカやクミンなどの様々な香辛料が使われていて、煮込み加減と同様に香辛料の調合具合も料理人の腕の見せ所らしい。

さてさて、ここのタジンはどんなものかい、と思っていたら、いきなりどでかいタジンの容器が運ばれてきたのにまたまたびっくり。
普段俺らが食べている一人前用の容器の何倍もの大きさだ。
ウエイターがおもむろに蓋を開けると中から白い湯気がもわっと立ちあがる。
中身を各自の皿に取り分けてもらい、いざ賞味。

・・・・・むはっ、バリ旨!!!!!


甘さの程よく効いた絶妙の味付け。
やわらかくふっくら煮込まれた鶏肉がまったりと旨みの効いたスープをたっぷり含んで、あちち、この香ばしさがなんともまた、はぐはぐ、一緒に煮込んであるオリーブもいけますね~、ふはふは、上に乗っている黄色いのは蜜柑の皮かな、おぉ、このスープはパンに付けてもめちゃくちゃ合うじゃないですか♪
てな感じで、もうひたすら美味しく頂いちゃいました^^

食事の間はずっとアンダルース音楽と呼ばれるアラブ版のオーケストラのようなものの生演奏が流れていた。
ダルブーカというバイオリンやダルブーカという太鼓、ベンディールというタンバリン、それにノロッカスという平べったい鉄アレイのような形の銅製打楽器などを使って奏でる演奏で、モロッコの伝統音楽だ。
こんなものを生で聴くことができる機会も、俺らの身分ではそうそうないだろう。

Fez4-3 食後に果物が出てきた頃、演奏が一時中断されて、いよいよベリーダンスが始まりそうな雰囲気になってきた。
いよっ、待ってました!とばかりに立ち上がってカメラを構えては見たものの、出てきたのはちょっと太目のおばちゃん。
しかもベリーダンスと言う割には、腹すらだしていないだぶだぶの服に日笠のような帽子を被っている。
そんな阿波踊りでも踊りそうな格好でベリーダンス踊られてもちょっとなぁ・・・^^;
しばらくしたら、ちゃんと俺らが想像していたような色っぽいベリーダンスの衣装に着替えて出てきたけれど、段つきの腹でシャンシャン踊られてもなんだかなぁ・・・^^;
さらに今度は若いねーちゃんが代わりに出てきて、お、これならいけるんじゃないか、とちょっと期待したけれど、このねーちゃんの方はおばちゃんに比べると踊りが素人っぽすぎる感じがする。
中南米のサルサやアルゼンチンのタンゴを見てきた俺は踊りにはちょっとうるさいよー。
自分自身はステップ一つ踏めやしないけどね^^;

ま、何にせよ、こんな優雅な場所で豪勢なお食事にベリーダンスまで見れてしまったのだ。
多少はおごってもらえるかもと期待していたのは確かだけれど、正直ここまで豪快にご馳走になってしまうとは考えてもいなかった。
一足遅れでやってきたサンタのようなカヨコさんに感謝感謝である。

その後、一旦俺らの宿に戻り、屋上から夜景を眺めたりした後に彼女と別れる。
年越しも一緒に過ごせたらよかったのだが、日本へ戻る日程上、彼女は明日の飛行機でカサブランカに戻らなければならないのだ。
別れ際には「年が明けたら開けてね」と手紙をいただいた。
なんとなく悪い予感がしていたのだけれど、約束通り年明けにその手紙を開けてみたら、手紙と一緒にやっぱりお餞別が入っておりました。

たぶん、俺らの貧乏暮らしを垣間見て思わず援助してくれたのだと思う。
でも、あんなにもご馳走になってしまった上に、こんなものまで頂いてしまって・・・あまりにも勿体なさ過ぎて使うに使えないなぁこれは^^;
とりあえずお守り代わりとして大事に持ち歩かせていただきますね^^

カヨコさん、フェズで一緒に過ごせたこの3日間、こちらも本当に楽しかったですよ。
俺なんかじゃ一生味わうことのないようなご馳走もたらふく食べさせてもらって・・・。
本当に感謝しております^^
いつかまた世界のどこかで、ぶらっと出会えたら楽しいでしょうねぇ。
その時は、俺の方からおごらせてくださいな。
俺の懐じゃぁひょっとしたら屋台物になっちゃうかもしれませんが、その町で一番美味い屋台にご案内する自信はありまっせー!^^

フェズ3 - 足長おばさま登場

Fez3-1 最近は宿に引篭もっていたためにネットもほとんどしていなかったのだけれど、先日久々にネット屋にいってみたらホームーページの方の掲示板にちょっとびっくりの書き込みが。
2年前の8月にペルーのクスコで出会ったカヨコおばさまがモロッコに短期でやってくるとのこと。
しかも日程では28日からここフェズに3泊する予定のようなのだ。

カヨコさんは日本の某大手企業に勤めるかなりのお金持ち女性。
クスコで会った時は俺らだけだったら絶対入れないような高級レストランで仔アルパカの料理などをたらふくご馳走になってしまったことがあるのだ。
今回も会ったらたぶんご馳走になっちゃいそうだなぁと思いながらも、いや正直にいえば内心密かに期待しながら、彼女が予約しているという新市街の高級ホテルに行ってみた。

運良くちょうど彼女がマラケシュから飛行機でフェズに着いてホテルにチェックインしようという時に捕捉。
まさか俺が受付で待ち構えているとは思っていなかったようで、彼女はかなりびっくりしていたようだ。
しかも俺はその時もジュラーバ姿だったので、目の前に立っていても最初はモロッコ人にしか見えなかったらしい(笑)。
その夜はそのまま旧市街の方まで歩いて案内し、俺らの宿の近くで一緒に晩飯を食べて(結構遠慮してたんだけど、当然のようにおごってくれた^^;)、次の日からメディナの中を案内することに。

Fez3-2 んで本日、メディナの入口ブー・ジュルード門の前で待ち合わせて、タカハシさんも一緒に3人でいざ迷宮探索に出発。
空には多少雲があるものの、ここ一週間の悪天候に比べればかなりまともな方だ。
これだけ晴れていれば観光日和として十分であろう。
朝から晴れ間が見えているとそれだけで気分が全然違ってくる。
昼間でも薄暗いメディナの中に入ってしまえば、写真を撮るのに天気はそれほど影響しないのだが、それでも雨が降っていないというのは大きいものだ。
カヨコさんを案内するという大義名分もあって、今日は久しぶりに朝から部屋を抜け出すことができた。

案内役を買って出たものの、フェズの大迷宮はすでに10日近く滞在している俺らですら迷いまくり。
まぁ10日間ほとんど宿に引篭もっていたのだから当然といえば当然なのだが(苦笑)。
正直まるで自信はなかったのだが、幸いあまり迷うことなくメディナ内の見所を一通り見てまわることができた。
前回偶然辿り着いただけのタンネリや、自力で辿り着けずに人に聞きまくりながらようやく発見できたアンダルース・モスクも、今回はほぼ最短距離で到達できたと思う。
我ながらなかなかの案内人ぶりなんでないかい。
この調子ならフェズの偽ガイドとしても十分やっていけるんじゃないか?
日本人観光客を捕まえて、メディナ内を案内しながら絨毯屋や土産物屋に連れ込んで手数料でしこたま儲ける・・・うーん、最低だな、そりゃ^^;
どれだけ落ちぶれたとしても同じ日本人をカモにするようになったら人間終わりだもんなぁ。

それにしても、すでにそれなりに周ったはずだと思っていたメディナの中も、改めて歩いてみると今まで気がついていなかったいろいろな物が発見できた。
肉屋の軒先にぶらさがるどでかいラクダの首や(食用として普通に売っているのにかなり驚いた)、もしかしてこれも食うのかと思いきや「魔よけだよ」といって生きた亀を売る店(甲羅模様が縦に5つ並んでいるのがイスラム教の聖なる数と同じで縁起がいいらしい)などなど。
ナツメ椰子を売る店では試食に値段の高めのものを一つ頂いたが、これがまた胡桃の実と一緒になっていてかなりの美味。
うーむ、このメディナもまだまだ奥が深そうな所だねぇ。

Fez3-3 帰りがけにタカハシさんも露店でジュラーバを購入して、色違いながらも俺とおそろいの格好になった。
民族衣装の着こなしは俺もかなり自身があるのだけれど、このジュラーバでははっきりいって負けた気がする。


タカハシさん、あなた似合いすぎです。現地人と区別つきません。

一緒に道を歩いていても、周囲に溶け込みすぎているためつい見失ってしまうくらい。
すぐ隣にいたにもかかわらず、あれ?どこ行っちゃったんだろうと、何度振り返ったことか。
俺の中南米がらみの友人知人には、タカハシさんのことも知っている人が多いと思うけれど、このランプを持つ魔導師姿を写真を見たらみんな爆笑するんじゃないかな。
もう似合いすぎでしょ、コレ(笑)。

夜は新市街のレストランでということに。
タクシーで目的のレストランに乗りつけ、テーブルにケバブやタジンを並べて3人で楽しくお食事。
メクネス産のワインまで付けた豪勢な晩餐だ。
前菜用に「パスティラ」という料理を頼んだのだが、シナモン入りのシュガーパウダーを振り掛けたパイ生地の中に甘く味付けした肉が入っている品で、見た目からは想像しがたい不思議な味だった。
意外とくせになる味で、安食堂ではまずお目にかかれない料理なのが残念だけれど、機会があったらまたどこかで食べてみたいなぁ。

食事代は俺らにとっては数日分の宿代と食事代に相当する金額でございましたが、カヨコさんが気前よく現金一括お支払い。
別れ際には俺らが旧市に戻るためのタクシー代まで頂いてしまいました^^;
今日は全くお金を使っていないにもかかわらず、なんとも贅沢な一日でございました。
うーん、俺もタカハシさんもそれなりにいい歳こいたオヤジなんだけど、こんなにも甘えてしまってよかったのだろうか・・・^^;

フェズ2 - 2005年師走沈没日記

Fez5 今年もいよいよ終わりですね。
日本のみなさん、いかがお過ごしでしょうか。
日本も寒い季節でしょうが、ここモロッコでも結構肌寒い日々が続いています。
コタツにミカンでのんびりテレビの特番を観て暮らす年末の光景が少々恋しい今日この頃でございます。

いやはや、年の瀬というものは異国にいても足早に過ぎていくものなんですねぇ。
フェズに来てからあっという間に一週間が過ぎてしまいました。

日本人的な気分としてこの年末の時期にあくせく移動するのが嫌だったので、当初からフェズではのんびりするつもりでいたのだけれど、どうも予定以上にのんびり気分が増長しているなぁ。
このところ雨ばかり続いていることもあって、ほとんど宿から出ないで過ごしている。
天気予報によれば年明けには回復してまた晴れ続きの日が続く模様なので、それまではのほほんと年末気分を味あわせていただくことにしましょうかね。

んで、宿にこもっておのれは毎日何しとるんじゃい、HPやブログの更新はどうした、ポルトガルの写真を載せろ、日記の続きを早く読ませんかい、という喜ばしい声もちらほら聞こえてまいりました。
うーん、ここに書いちゃうとウチの両親も見ているので、できればテキトーに誤魔化して話を進めたかったのだけれど、まぁいいや、白状しちゃいます。

実は恥ずかしながら最近、とあるパソコンゲームにはまっておりました。
シャウエンで再会した旅仲間のタカハシさんが持っていた「信長の野望 - 嵐世記」をやらしてもらったら、これがまためちゃくちゃ楽しくて時の経つのも忘れてひたすら熱中。
憧れのフェズに来ているというのにもかかわらず一日中部屋に引篭もり、何をしているかといえば織田や島津や武田になって「うぎゃ、大内、勢力伸ばしすぎ。ジジイ早くくたばれ」とか「本願寺ウゼー」とかやってるわけだから、なんとも恥ずかしい話である。
3回目の全国統一をほぼ完成しつつある現在、ようやく過ぎ去りし日々を振り返って、我ながら本当に呆れる思いをしているところでございます。
相方のタカハシさんの方はというと、彼は彼で俺の持っていた「大航海時代II」にはまり、現在6人いる全てのキャラでゲームクリアを達成しつつある様子。
二人揃ってなーにやっているんだか状態。
まったく、沈没系のパッカーが揃うとろくなことにならないなぁ(苦笑)。
計らずともお互いの足をひっぱり合ってしまうから不思議である。
いや、普通の長期旅行者ならここまでひどい状況にはならないだろうけれど、今回は二人ともパソコン持ちのゲーム好きだったことが災いしたのだ。

ま、実際には上にも書いたとおり、このところ本当に天気が悪くて晴れ待ちの日々だったのだ。
朝起きて窓を開け、どんより曇った空に雨がぱらぱら。
「雨ですね」
「雨だねぇ」
「今日も観光は無理っぽいですね」
「雨じゃあしょうがないねぇ」
などと言い合いながら、二人ともニコニコ顔でパソコンを開いてゲームを起動していたのはここだけの話であるが・・・(再び苦笑)。
それでも一応、ある程度ましな天気の時を選んでは、ちょくちょくメディナに出かけて写真を撮ったりしてはいたのだ。
でもすぐにまた雨になるので仕方なく宿に引き返さざるを得なかったりするのである。

とりあえず、両親をはじめ心配してくれた方々、申し訳なかったです。
年末年始だし、冬休みだということでどうか大目に見てやっておくんなまし。
こちらとしても正直言って、こたつで温もりながら紅白見たり、除夜の鐘を聞きながら年越しそばを食べたり、初詣に出向いては屋台物を味わい、家に帰れば雑煮やおせち料理が待っている・・・そんな極々普通の日本の年越しがとても懐かしく羨ましい限りなのですよ。
ここモロッコではイスラム圏なのでイスラム暦での新年は大々的に祝うだろうけれど、西暦での年明けはほとんど何もやらなさそうだしなぁ。
まぁ町は相変わらず賑やかだし、幸い今は旅仲間も一緒だから寂しい思いはせずに済んでいるのですけどね。
Fez6
一応、ティトゥアンから滞っていたこのブログ日記もようやくこの日までの分を書き終えて更新完了。
HPの方の更新も、年越しと晴れ待ちしながらゆっくりまとめるつもりなので、もう少々お待ちください。
ポルトガルからここまでの写真が溜まりまくっていて、その整理にある程度時間がかかってしまいそうなのです。

ま、そんなわけでして、こちらは相変わらず元気に過ごしております。
皆様もどうかよいお年をお迎えくださいませ♪

フェズ - 世界最大の巨大迷宮都市

Fez1 お気に入りのシャウエンの町でしばらくぼーっとりしていたのだけれど、のんびりしてばかりもいられないので意を決してフェズへと駒をすすめることに。

フェズはモロッコ最初のイスラム王朝イドリス朝の首都として9世紀に建設された町で、日本でいえば京都や奈良に相当する古都だ。
フェズのメディナ(旧市街)は世界一の迷路の町として有名で、町の人口32万人の約半分がそのメディナの中で暮らしているという。
日本のちょっとした地方都市のような規模の大きさの町で、その全部が迷路になっているというわけだ。
なにしろ9400本もの路地が入り組む巨大迷路で、その中には350のモスクが存在しているらしいのだ。
ちょっと想像がつきにくい所だが、とにかく凄い町には違いなかろう。
以前から憧れていた場所でもあり、着く前からかなりわくわくしていた。

Fez2 シャウエンからバスで5時間の移動でフェズに着き、メディナの入口にあるカスカーデという宿に投宿。
二人部屋一人60ディルハムと、モロッコの安宿基準としてはやや高めの宿であったが、場所が便利なのと屋上からメディナを見下ろせる景色が気に入ったのでしばらくこの宿に滞在することにした。
昨日到着した時はすでに暗くなりつつあったので、今日から本格的に迷宮探索を開始である。

着いた時にも思ったけれど、想像以上に大きな町だ。
どでかい立派な城壁にぐるっと囲まれたメディナ。
今までに見た迷路の町とは規模がまるで違う。
こいつは楽しく迷って気ままに町歩きどころの話ではない。
下手したらマジで宿まで戻ってこれなくなるくらいの巨大迷路だ。

その大きさもさることながら、1000年以上前に作られた都市が現在でもさほど変わらぬ姿で生きて機能しているというのが凄い。
雰囲気も中世さながらの香りを十分に漂わせている。
高い建物の間の挟まれた薄暗い道の中、所狭しと並ぶ店々、鼻を突く香辛料の香り、活気あふれる市場、人ごみを掻き分けながら荷を運ぶロバ、異国情緒満点のアラビア音楽、時折響くアザーン(祈り)の声音・・・
うーん、いいねぇ。大好きだよ、こういう雰囲気。
ジュラーバに身を纏い、人の流れに身をまかせながら、足の向くまま気の向くままにぷらぷらと散策。
時空を越えて中世アラビアの世界に迷い込んだかのような錯覚さえしてくる。
なんとも心地よい気分である。

主要な通りでは、野菜を売る地区、肉屋街、魚市場、香辛料市場、日用品や服屋が並ぶ地区、安食堂街など、それぞれのスーク(市場)に分かれてはいるものの、明確な境界はなく全てが繋がっている感じ。
メディナ全体が一大スークといっても過言ではないほどだ。

基点となる広場や主要通りをある程度把握してから、いよいよ裏路地に挑戦。
こっちは人通りが少なくて、建物のほとんどは居住区となっているようだ。
細い道は先に進むにつれてどんどん細くなっていく。
右に折れ、左に曲がり、身体一つ通すのがやっとのトンネルような場所を潜り抜け、いくつもの行き止まりに突き当たったりしているうちに、あっという間に方向感覚を失う。
ようやく人通りの多い通りに出たと思っても、そこが一度通ったことのある場所なのかどうかさっぱり思い出せない。
いったいここはどこなんだ状態。
テキトーな方向に向かっててくてく歩いていたら、やっと見覚えのある場所に出た。
よっしゃ、今度はこっちの方角に挑戦だ。
てな感じで裏路地探索を繰り返しているうちにあっという間に時間が過ぎていく。
うーん、楽しすぎるぞ、フェズ。

Fez3 迷路の中に点在するはずの見所にはほとんど辿り着けなかったけれど、その内の「なめし革染色職人の作業所」にはたまたま通りがかることができた。
メディナの一角にあるタンネリ」と呼ばれる場所で、フェズ名産のなめし革を染色する作業場だ。
周囲を建物に囲まれた地面に染色のための桶が円形にくりぬかれている。
桶の中には染付け用の色鮮やかな染料が満たされていて、職人達がなめされた山羊や羊や駱駝の皮をひたしたり、染め上がったものを壁にかけて乾かしたりする作業が行われている。
チップを渡して近くの土産物屋の上から眺めさせてもらったけれど、なかなか見ごたえのある場所であった。

夜は宿の近くの食堂で定番モロッコ料理の一つであるタジンを賞味。
香辛料を効かせて野菜や肉などをじっくり煮込んだ物で、とっても美味。
モロッコは食費が安いうえに、何を食べてもハズレがないから嬉しい。
重ね重ね、いい国だねぇモロッコは♪

シャウエン3 - モロッコの田舎景色

Chaouen4 本日も晴天なり♪
天気がいいので、今日はタカハシさんを誘って一緒にハイキングに出かけることに。
モロッコの田舎景色を眺めながら数時間先の村まで歩いて行くのだ。
一応国立公園に設定されている地域で、全行程を歩くと30キロで12時間くらいかかるらしいが、そこまで本格的にやらなくても近場で十分景色は楽しめそうなので、軽い朝食を済ませてから水だけ持って出発。

町外れの門から続く田舎道をてくてくと歩きながら、まず最初に小高い丘の上に登ってみた。
この丘からは谷間を挟んで対岸のシャウエンの町を見下ろせる。
山裾にへばりつくように広がる白い街並みを上から眺めることができ、なかなかいい景色だ。

丘の上にはモスクのような教会のような、小さな白い建物が立っていた。
おっちゃんたちが何人か白い塗料を塗りながら修復作業をしている。
建物のことをおっちゃんたちに尋ねると、かなり昔にポルトガル人が作った教会だったとのこと。
半分以上崩れ落ちているが、内壁にはキブラ(メッカの方向をしめす窪み)が残っていた。
おそらく一度モスクに建て替えられたことがあるのだろう。
Chaouen5
おっちゃんたちの一人がハシシを買わないかと勧めてきた。
モロッコでは半ば公然とハシシの吸飲が行われているようだが、特にこのリフ山脈のあたりはマリファナの一大産地として有名で、そのブツはかなり良質のものらしい。
小さな弾丸状のハシシの塊を見せてもらう。
重量にしたら5グラム程度のブツで、これで100ディルハム(約1300円)だそうな。
「町中で買うと150ディルハムはする。俺のハシシは出来たて新鮮だ。よく効くぞぉ」
おっちゃんはハシシを混ぜたタバコをふかしながらなんとも気持ちよさげに笑っていた。

そこからさらに奥の方へと、緩やかな山道をのんびりと登って行く。
モロッコというと砂漠や荒涼とした荒地を想像していたのだけれど、実際にはとても緑豊かな土地が広がっている。
ところどころで羊を放牧していたり、二頭立ての驢馬を使って畑を耕す姿も見られる。
のほほんとした牧歌的な雰囲気。
スイスのような景色の中にアジアのような雰囲気が漂っている感じだ。

見晴らしのよい場所でちょこちょこ休憩しつつ、のんびり歩いて2時間ほどで村に到着。
天気のよい空の下、おばちゃんたちが水場に集まって洗濯をしていた。
東洋人が珍しいのか、俺らのことを気にしながらはにかむ姿がなんとも可愛らしい。
親しげで人のよさげな雰囲気だったので、近づいて話しかけてみたものの、頼みのスペイン語も残念ながらおばちゃんたちには通じない。
ううむ、こいつはやはりできるだけ早くアラビア語かフランス語を覚えた方がよさそうだなぁ。

帰りは別の道を取り、松林の中を通り抜けてシャウエンの町に戻る。
宿に戻る前に町の広場に面した喫茶店で軽く休憩。
モロッコならではの甘いカフェオレがとても美味しい。

Chaouen6 夕暮れ時の広場には、ジュラーバ姿のじいさんたちが仲良く並んで座っている。
よく見ると昨日も一昨日も同じ場所で並んで座っていたじいさんたちのようだ。
喫茶店でも一日中同じ場所でだべっているオヤジたちの姿が。
毎日毎日同じ景色を延々と眺めていてよく飽きないものである。
お前ら働かなくて大丈夫なのかよと思ったりもするが、きっと大丈夫だからそうしているのだろう。
このなんとも幸せそうな連中を眺めているとなんだかこっちまで幸せな気分になってくる。

黄昏に染まりつつある街に、モスクから流れるアザーン(祈り)の声がこだまする。
「ぁあっら~~~~~ぁあくばるっ・・・んら~~~~~いら~はいっらっら~~~~~・・・」
コブシの効いたアザーンの音色は聴きようによっては癒し系の音楽のようにも聴こえる。
長旅そのものの疲れも癒される気さえしてくるから不思議である。

シャウエン2 - 秘密の隠れ家

Chaouen1 今日もいい天気だ。
モロッコに入ってから連日好天に恵まれている。
タカハシさんが泊まっていた宿の方が居心地がよさそうだったのでそちらに移動してから、シャウエンの町を写真を撮りながらぷらぷらと見てまわる。

シャウエンは北部モロッコのリフ山脈の山間にある小さな町。
町の名前はアラビア語で「角」を表わす言葉らしい。
その名の通り、近くには二つの峰が角のようにそびえている。


Chaouen2 この町は15世紀に作られて以来、長い間聖域として異教徒に閉ざされていたという。
そのせいかだろうか、町にはどことなく独特な雰囲気が漂っている。
街並みはこれまた迷路のように細い裏路地が入り組んでいるのだが、白を基調とした家壁が淡青色の染料で塗られている。
なんとも童話的世界の街並みで、どちらかというと女の子が喜びそうな感じなのだが、俺自身もとっても気に入ってしまった。

冬場だからかもしれないが、観光客はそれほど多くない。
土産物屋や絨毯屋の客引き攻撃もタンジェやティトゥアンに比べればさほどでもない。
静かで落ち着いたいい町である。
とっておきの隠れ家にしたい、そんな場所だ。
いつ世界遺産に登録されてもおかしくないくらいの所だけれど、こいつはできれば登録してほしくないなぁ。
この静かな雰囲気をいつまでも保ってもらいたいものである。
これを読んでいる方、他の人にはできるだけ秘密にしておいてくださいねー^^

Chaouen3 ぷらぷらと裏路地を歩きながら、町を見下ろす小高い丘の上までやってきた。
丘の上では女の子たちがわらべ歌を歌いながら無邪気に遊んでいる。
カメラを向けるとにっこり微笑んでくれた。

人の写真も中南米と比べるとかなり撮りやすくて嬉しい。
カメラをぶら下げて歩いているとこっちから頼まなくても撮ってくれっていう人も多いもんなぁ。
うーん、ますますこの国が好きになってきたぞ♪

シャウエン - T氏発見♪

ティトゥアンからバスで1時間、シャウエンという小さな町に到着。
んで、何気なくぷらぷらしていたら、町外れの茶店で旅仲間のタカハシさんを捕捉♪
彼がモロッコに入ったのは俺より一週間前だったので、もうとっくにフェズ辺りに行っているかと思っていたら途中で風邪引いてゆっくりしていたらしい。

タカハシさんは俺より一回り近く年上だけど、気のいいオヤジである。
南米滞在も長くて、俺とは南極やチリのパイネに一緒に行った仲なのだ。
3月にブエノスで別れて以来、その後パラグアイやブラジルで何度もすれ違っていたのだけれど、別大陸にて9ヶ月ぶりに再会。これで4度目の再会かな?
久しぶりなんだけど不思議と懐かしさを感じない。
お互いあまり変わってないってことなのかもなー。
これからしばらく一緒に動くことになりそうだ♪

ティトゥアン

Tetouan2 タンジェからバスで2時間、ティトゥアンの町に到着。
1492年にグラナダが陥落してナスル朝が滅亡した際に、多くのイスラム教徒やユダヤ教徒がこの地に逃げ込んできたらしい。スーク(市場)が立ち並ぶメディナ(旧市街)から丘に向けて真っ白な壁の家々が密集している。
街並みはタンジェよりもずっと美しく、迷宮の規模もずっと大きい。モロッコの古い町はどこもそうだと思うが、迷いながらの市街探索がとても楽しい。

タンジェもそうだったけれど、ティトゥアンも20世紀前半にはスペイン領だったこともあって、普通の人でもスペイン語を解する人がとても多い。正直これほど通じるものだとは思っていなかったが、俺のような中南米経験者にはありがたい限りである。。早くアラビア語やフランス語をやらなきゃならないのはわかっているものの、通じてしまう便利さからついついスペイン語ばかりで事を済ませてしまう。
ま、この町でようやくダリージャ(アラビア語のモロッコ方言)の教科書を買うことができたので、今後は少しずつ地元言語に切り替えていくとしよう。

ここティトゥアンでは、町見学のかたわらにタカリ屋どもにも少々付き合ってみることにした。
前回までの日記でモロッコ人のことをちと褒めすぎてしまったかもしれず、モロッコにはいい人ばかりだという印象を与えてしまうのもよくないかもしれないので、今回はモロッコ人の悪い面にあえて注目してみたい。
タカリ屋どもに騙されかかったり、実際に騙されたりする旅行者も少なくないようので、ここらで少し注意喚起的な話をしておいた方がいいと思ったのだ。
言い寄ってくる連中に時間が許す限り付いて行き、彼らの手口をご披露してもらうことにした。

<その1> マフメッド、42歳、男性、職業:宿の客引き
バスターミナルに到着して、目的の宿を目指す路上で遭遇。
「安宿を探しているのか?とてもいい宿がある。ペンション・イベリアだ。連れて行ってやる」
そのペンション・イベリアはまさにこっちの目的の宿。
「俺はその宿の人間だ。何の問題もない。こっちだ、付いて来い」
ここで「おぉそいつはラッキーだ。連れて行ってもらおうじゃないか」などと思ってはいけない。
単なる客引きなのは明白である。
できるだけ付いて行くと書いたけれど、さすがにこういう手合いに付いて行ってしまうと宿代に余計な手数料を上乗せされるだけなので、ここはとりあえず避けてしまうことに決定。
別の宿に案内するならある程度付き合ってやってもよかったのだが、あいにく目的の宿そのものが標的になっている。こういう場合が結構面倒なのだ。
「いやぁ、今日は野宿するつもりさ。宿は探してないから用はないよ。悪いねー」
「日本人が野宿なんてするもんか。いいから付いて来いよ」
しつこく付きまとって来るが、俺は目的の宿の近くで別の道に入り煙草をふかして小休憩。
男はあきらめたのか一旦姿を消したが、宿に向かってみたら入口で待ち構えてやがった。
宿に近づくと勝手に門のインターフォンを押そうとする。
押されて勝手に紹介されてはかなわんと、また宿から離れて一休み。
こっちは早いところ重い荷物を宿に置いてゆっくりしたいところなので迷惑千万である。
「かんべんしてくれよー。お前がそこにいると入れないんだよー」というと、しぶしぶ顔で去って行った。
無事宿に入ることができて一件落着。金銭的な被害はないが、時間と体力を無駄に使わせる迷惑な存在である。

<その2> ムハンマド、56歳、男性、職業:絨毯屋のオヤジ
宿に荷物を置いて、メディナ探索を始めて5分で遭遇。
ぶらぶらと歩く俺の横に付きながら、ぺらぺらと話かけてくる。
「日本からか?ようこそモロッコへ!いいジュラーバだな。いくらで買った?ティトゥアンにはいつ着いたんだ?お前ハシシは好きか?そうか・・・ハシシはいらないのか。絨毯に興味はあるか?俺の店がすぐ近くにある。見に来いよ。見るだけだ」
ここで「おーそうか、見るだけならかまわんぞ」と気軽に考えてはいけない。
とりあえずネタのために付いて行く。
裏路地をずんずんと奥に進んで行き、最初は漢方薬のような伝統医薬品の店に案内される。ベルベル人の伝統医療の数々を説明される。特に興味ないよー、というと次はいよいよオヤジの絨毯屋へ。すぐだという割りには10分以上歩かされた。
店の二階にあがると絨毯が所狭しと並べられた小部屋が。
「座りなさい。今お茶を出すから」
お茶は断り、座りもせずに部屋を眺める。
オヤジはいろいろな柄の絨毯を床に広げながら、これは骨董物だとかこれはラクダの毛で編んだものだとか説明を始める。
ま、元々買う気はないし、それに品質はトルコやアフガン物に比べると正直言って見劣りする。
「ごめんよー、オヤジ。買うつもりはないんだ」
「今日は月に一度の特別な日なんだ。今日なら半額で、しかも送料は無料だぞ。なぜ買わないんだ」
はいはい。どうせ毎日その特別な日をやってるんだろ。
「とりあえず見るだけのつもりだったしね。今日はまだ着いたばかりで博物館とかいろいろ見てまわりたいんだ。また今度ねー」といって店を後にする。
オヤジはしばらく付いて来たが「一人で歩きたいんだ。ありがとう。またねー」ということでサヨナラ。
この手の連中からはうまくやればお茶や飯まで奢って貰えるかもしれない。ある意味便利な存在ではあるが、押しに弱い人にはおすすめできない。

<その3> ハッサン、35歳、男性、職業:偽ガイド
晩飯後にぷらぷら大通りを歩いている時に遭遇。
「日本人か。トーキョー?オーサカ?俺の兄貴は日本人女性と結婚して神戸に住んでいる。兄嫁はクミコという名だ。見ろ、写真もあるぞ。日本人は大好きだ。近くにとてもいい茶店がある。一緒にお茶でもどうだ?」
食後に軽くミント茶が飲みたかったところなので、のこのこ付いて行くことに。
店はとても古びた作りだったが、雰囲気は悪くない。
3階のテラスから広場や王宮を眺めながら甘いミント茶をするる。
男はおもむろにハシシを取り出して吸い始めた。んで当然俺にもすすめてくる。
「いや、いらないよ。好きじゃないんだ。モロッコ人はハシシ大好きだな。アッラーは何もいわないのか?」
「全然かまわないよ。ここじゃ合法なんだ」(←大ウソである)
アラビア語の発音などを教えてもらいながらしばし歓談。
「あっちの地区にいい飯屋がある。クスクスやタジネが安いぞ。付いて来い」
裏路地にある食堂に案内される。
男はテーブルに座るなり何かを注文しようとするが、あいにくというか幸いというか、こっちはすでに満腹なのだ。
「ごめんよ、食事はもう済ませているんだ」
というと、次はバスターミナルへ連れて行かれた。
「明後日にシャウエンに行くんだろ?予約しておいた方がいいぞ」
どうやら、先ほどの食堂でもこのターミナルでも客を連れてくると手数料が稼げるっぽい。
「いらんいらん。もしかしたらそのまた次の日になるかもしれないしね。予約はいい」
「明日は郊外のブアナンの泉に行くんだっけか?俺の友人がタクシーの運転手をしている。明日は俺も暇だから案内してやれる。一緒に行こう」
「いや、一人で歩いて行きたいからいいよ」
「そうか・・・。他に何か興味のあるものはあるか?」
「いや特に。今日はもう宿に帰って寝るよ」
帰り道は把握していたが、男は「こっちだ」と頼みもしないのに先導。
宿に着くまでの間も「明日は俺のおふくろが家でクスクスを作るんだ。一緒に食べないか?」と誘ってくる。
お、一般ご家庭での手料理ですか。そいつはちょっと心惹かれる。
俺は「うーん、どうしよっかな・・・」とやや煮え切らないまま宿に到着。
「食事代は折半だ。とりあえず今払ってくれ。俺はあの茶店に毎日いるから明日そこで会おう」
んなもん払うかボケ。払ったところで明日会えるという保障がどこにある。
食事はいいやというと、「わかった。んじゃチップをくれ。今日の案内代だ」
おーおーようやく露骨に要求してきたね。これぞまさしくタカリ屋といった感じで俺はとっても嬉しいぞ♪
「知るか。俺は何も頼んだ覚えはない。来いというから付いて行っただけだろ。帰れ帰れ」
男は何やらぶちぶち文句をいいながら去って行った。

今日、彼らの相手をしてみたことで、おおまかな手口をつかむことができた。
だいたいこの3パターンが多いようだ。女性一人旅の場合はまた「口説き系」の別のやり口があるようだけどね。
概して想像していたよりは強引ではない。もっと手の込んだやり口を期待していたんだけれど、きっぱり断るだけで事は済んでしまう。
どうやら近年警察の取り締まりが厳しくなって、荒業を使うタカリ屋は減少しているようだ。
ちなみに上のやりとりは全て英語。
最初はやたらとニコニコ顔で親しげに話しかけてくる点で共通している。
そしてこっちが断ろうとするとだんだん険悪な雰囲気になる点も一緒だ。

Tetouan1 要するに英語や日本語でむやみやたらと親しげに話しかけてくる連中にのこのこと付いて行かなければいいだけの話しなのだ。
そういう連中はやたらと多く感じるものの、モロッコ人全体からしたら1%にも満たないであろう。
残りの99%以上の人はホントに気のいい連中なのだ。
区別するのが難しいという話もよく耳にするが、慣れてくると怪しいヤツ特有の臭いというのがわかってくるものだ。
「美味しい話には裏がある」「タダより高いものはない」である。
特に「知らないオジサンに付いて行ってはいけませんよ」といった幼稚園で習うような常識的なことさえ守っていれば何の問題もない。
あと、モロッコには「遠来の客は神からの授かりもの」といった諺があるらしい。解釈の仕方によっては旅行者=カモだともとれる、なんともモロッコらしい言葉である。

一人で気ままに町歩きを続けたい時などには、うざったらしさ満点の連中であるが、それも彼らのお仕事だしね。心に余裕をもって上手に付き合っていくとしましょうか。