メクネス2 - ヴォリュビリス遺跡 | 旅人日記

メクネス2 - ヴォリュビリス遺跡

Meknes2-1 今日はメクネスから30キロほど離れた場所にあるヴォリュビリスの遺跡を見に行くことに。
ヴォリュビリスはモロッコに現存する最大のローマ遺跡で、元々はモーリタニア王国の一都市ワリーリとして栄えた町が紀元前40年以後にローマの属領となってからさらに繁栄し、最盛期には2万人もの人が住んでいたという所だ。
日本での知名度は低いが、いや俺もモロッコに来るまで全く聞いたこともない遺跡だったのだが、一応世界遺産にも登録されている。
世界遺産大好きのタカハシさんと一緒に久々の遺跡観光へいざ出発。

メクネスの新市街からグランタクシーと呼ばれる乗合いタクシーに乗って、まずはムーレイ・イドリスの町を目指す。
ムーレイ・イドリスはモロッコ最初のイスラム王朝であるイドリス朝の創始者ムーレイ・イドリス一世の廟を祀る聖地で、非ムスリムは入ることの出来ないその廟を中心とした丘の上の小さな町なのだ。

はっきりいって特に見ごたえがある町ではなく、単なる中継地として利用したにすぎない。
メクネスから小一時間ほどで到着したこの町で、軽い昼食を済ませてから、またグランタクシーで目的のヴォリュビリス遺跡を目指す。

遺跡につくと、欧米人団体観光客の御一行でかなり賑わっていた。
御一行どころか、御二行、御三行くらいがじゃんじゃん到着してきて賑わいをいっそう増していたけれど、この時期これはいたしかたなさそうだ。
ヨーロッパの有名観光地にくらべればまだマシな方だと思うしね。

遺跡の中に入っても最初は他の観光客たちだらけで、この調子だと静かにたたずむ遺跡の状景を楽しめないかもなぁと思っていたのだけれど、彼らとは別の順路で周ってみることにして、遺跡の奥の方から攻めてみたらそれなりに静かな雰囲気を味わいながら見学することができた。

遺跡にはところどころにモザイク装飾が当時の状態のままで保存されている。
大通り沿いに並んだ私邸跡の床をよく見ていると、意外なほど多くのモザイクが残されている。
図柄はギリシャのデロス島の遺跡で見たものやイタリアのポンペイで見たものに比べると、やや稚拙な印象が否めないが、それでも千数百年の時を隔ててもなお色鮮やかに残るモザイク装飾を眺めていると、当時の人々の生活風景が垣間見れる気がしてきてなかなか楽しい。

Meknes2-2 大きな邸宅跡では保存状態の良好な浴場もいくつか見ることができた。
たいていの浴場跡ではモザイク装飾もきれいに残っていて、当時の雰囲気を容易に想像できる。
「こんな場所で金髪ねーちゃんをはべらせて風呂につかってみたいものだねぇ」などと、隣のスケベオヤジはほざいていたが、そんなこと俺だって「全く同感ですねー」

カラカラ帝の凱旋門やユピテル神殿やフォーラムと呼ばれる公共広場などが並ぶ、遺跡の中心地も見て周る。
この辺りの遺物が遺跡の中では一番見ごたえのある形で残されていて、この感じだと凱旋門や神殿の列柱に夕陽がさしたらさぞかし美しいことだろう。

夕焼け時まで待とうかどうか悩みどころであったが、空には昼過ぎから雲が多くなり、この調子だと夕焼けというほどの夕焼けにはならなさそうな感じなのだ。
ま、遺跡自体は十分堪能できたことだし、今日のところはひとまず引き上げることにしよう。
帰りは小一時間かけてムーレイ・イドリスの町まで歩くことに。
バスターミナルがある丘の上まで歩いて登るのは面倒だなと思っていたけれど、幸い町の入口でメクネスに向かう民営バスを捕まえて乗り込むことができた。

さてさて、これでメクネスの観光は郊外の見所も含めてほぼ終了かな。
あとはHPの編集と写真の整理を済ませてから、いよいよモロッコ観光のハイライトの一つであるサハラ砂漠の方へ移動していくとしましょうかね。
メクネスから4000メートル級のアトラス山脈を越え、砂漠を見てからカスバ(城砦)街道を抜けてワルザザードの方へ向かう予定。
数々の映画で撮影に使用されたアイト・ベン・ハッドゥの廃墟がとっても楽しみなのだ。
乞うご期待♪