旅人日記 -3ページ目

世界一長い列車の旅

Choum1 モーリタニア三日目。
ヌアディブの町から460キロ東のシュムの村まで鉄道で移動することに。

この列車の旅では、ヌアディブの宿で仲良くなったアイルランド人のブランドンという名のオヤジと共連れとなった。
インドやタイを「お子様天国」呼ばわりしたツワモノ系アイルランドとは別人で、ブランドンはパッと見は旅人ですらない、どこにでもいそうな極々普通のオヤジだ。
欧米人パッカーのツワモノ系のヤツらはクセの強すぎる連中が多く、俺とは肌が合わないことが多いのだが、彼とは話しているうちにとても気が合いそうだと思うようになった。

「どうしてこの時期に西アフリカを旅しようと思ったんだい?」そう訊ねてみたら、
「本当はもっと早い時期に来たかったんだけどね、仕事の関係(彼は自営の大工さん)でどうしてもこの時期になってしまったんだ。季節外れなのは承知の上さ。ま、暑い土地での一番暑い時期を過ごすのも、熱帯地方の雨季を味わうのも面白いかもしれないと思ってね」と笑う。
俺とは旅のスタイルはかなり違うものの、旅に対する考え方にとても近いものがある。
(旅の共連れとして合格だな・・・)
10も年上の彼に対して生意気な話かもしれないけれど、俺はそんな風に考えて内心ほくそえんでいた。

ブランドンと一緒に、プラットホームもない砂漠の駅で列車を待つこと4時間。
午後3時発のはずの列車が日暮れすぎの7時になってやっと到着。
到着した列車を見て、ブランドンと二人で笑いこける。
長っげぇぇぇ・・・。
いつまでもいつまでも延々と続く貨物車の列が目の前を通り過ぎていく。
実はこの列車、モーリタニアの主要産物である鉄鉱石を運ぶ貨物車で、世界一長い列車といわれているのだ。
全長2.3キロ、何車両あるか数える余裕はなかったが、100車両以上はあるんじゃないか、これ。

鉄道の全長は670キロだが、俺らが乗った区間は460キロ。
客車もついているらしいのだが、貨物車の方ならタダで乗ることができる(合法)。
天井のない貨物車両の底に寝そべり、月夜の砂漠の中、夜空に浮かぶ星を見上げながらの鉄道旅行。
こう書くと、お、まるで銀河鉄道のようなロマンチックな話じゃないかと思うかもしれないけれど・・・。

Choum2 実際にはかんなりしんどい移動だった。
煤だらけの鉄の箱の底、震度3くらいの揺れが延々続く12時間。
時折、震度5~6くらいの衝撃が襲い掛かる。
砂漠の夜の寒さも半端じゃない。
濛々と巻き上がる砂埃、ターバンがなかったら確実に喉をやられていたと思う。
そうそう体験できる列車ではないので、楽しんではいたけれど、正直言って二度目は勘弁させていただきたい類のものだ。

結局、ほとんど眠れないまま朝7時にシュムという名のド田舎の村に到着。
延々と続く列車の姿を写真に収めたかったのだが、夜明け前に着いたので残念ながらまともに撮影できず。
ちなみにこのシュムも含めて、途中に駅は一つもなかった。

Choum3 村の中で2時間待ち、今度はトラックの荷台の荷物の上に乗せられる。
地元の連中たちと、四の字固めでもしているかのような態勢で、砂漠の中の道なき道を3時間、昼過ぎにようやく宿のある(といってもまたまたキャンプ場)アタールという町に到着。
んで、ようやくほっと一息つくことができた。

サハラ砂漠に囲まれた町。
郊外には土で出来た簡素な家や、草で作ってあるだけの家もちらほら。
思い描いていたアフリカの光景がそこにある。
とうとうこんな場所までやってきちまったのか俺は・・・。

強烈な日差しが肌を刺す。
温度計を見たら、まだ夏になっていないにもかかわらず、50度を越えていやがる。
日陰ですら40度近い。
モロッコの涼しい気候に慣れきった身体には殺人級の破壊力だ。

とりあえず水シャワーでさっぱりしてから、埃にまみれた服を全部洗う。
干したジーパンが1時間足らずで完全に乾いた。
さすがだ。

炎天下の町中をちょっと歩いてみたが、この時間帯は人通りも少なく面白みに欠ける。
日が暮れて涼しくなってからまた出直してみるとしよう。

----------

今回の移動では、アフリカの旅がどういうものなのかを垣間見れたような気がする。
この先、この手の辛い移動がくさるほど待っているんだろうなぁ・・・。

でもね、辛かったのは確かなんだけど、移動の間、共連れのブランドンと一緒にずっと楽しんでいたのもまた事実。
想像以上の状況を目の前にして、二人とも何度も笑いこけていた。
アフリカの旅のコツがつかめてきたような気がする。
沸々とやる気も沸いてきた。
こうなったら行ける所までとことん行ってやろうじゃないか!うりゃぁっ!

ヌアディブ - 西アフリカに入っちまったぜよ

Nouadhibou1 モロッコのエッサウィラの町から4日間の連続移動の日々を続けて西サハラを越え、モーリタニアにやって来た。
昨日の国境越えの移動では、おんぼろトラックに詰め込まれての12時間移動。
さすがにちと疲れたので今日はここヌアディブの町でのんびり休養することに。
とりあえず昨夜に泊まった宿を引き払い、ロンプラに載っているキャンプ場(Camping ABBA)に移ってみた。
そっちの方が他の外国人旅行者も多いだろうから、情報収集ができることを期待したのだ。

ヌアディブは砂漠の中の埃っぽい町。
蝿がやたらと多い。
ここまで南下してくると、住民の多くは黒人系。
モロッコと比べると、人々に笑顔が少ない。
地元の人ですら、タクシーの値段でぼられてもめたりしていたほどだから、外国人とみたらぼってくる連中も少なくあるまい。

街の雰囲気や売られているものなどが、ガラリと変わった。
とうとうアフリカに来たんだなーって気がする。
今にして思えば、モロッコはアフリカと呼ぶには全てが楽に運びすぎていた。
ここから先は久々に厳しい旅になりそうな予感がする。
キャンプ場にいたツワモノ系パッカーのアイルランド人がいう。
「西アフリカはタフだ。ここと比べたらタイやインドなんて、お子様用の天国みたいなところさ」

Nouadhibou2 日中は暑くて外を歩く気にもならない。
でも、お陰で洗濯物があっという間に乾くし、水シャワーが気持ちいい。
キャンプ場のおばちゃんに頼んで飯を用意してもらったら、これが意外にも美味。
魚と野菜をじっくり煮込んだものを、味つきのご飯にのせたものだった。
モロッコにも米はあるけれど、主食扱いではなくて、野菜の一種としてサラダなどに使われていた。
まともな米食が恋しかったところなので、これは嬉しい。
多少環境が悪かろうとも、メシさえ美味ければなんとかやっていけそうな気がする。

夕方、夕涼みがてらに港の方まで散歩してみた。
港といっても、浜辺に小さな漁船がいくつか並んでいるだけのもの。
男たちが箱一杯の魚を水揚げしている。
体長30センチくらいの魚なんだけれど、箱から落ちてしまったものはそのままほったらかしにしている。
だから浜辺にはきれいな形のままの魚がゴロゴロ転がっている。
全部拾い集めたら数箱分になりそうな量なのにもったいねぇなぁ。

写真を撮っていたらガキどもが寄ってきた。
さすがにガキどもは無邪気だ。
なかなかいい笑顔を見せてくれた。
この国もそう悪いところでもないのかもしれない。

こんな調子で西アフリカ初日は終了。
明日は「世界一長い列車」とやらに乗って、砂漠の中のオアシスの町を目指す予定。
公共交通機関がないので、なにかと移動が辛そうな国だけど、ま、なんとかなるべさ。

見てろよ、西アフリカ。
いつもの調子でさくさくこなして見せるぜ。
かかって来るならいつでも来いだ、うりゃ。

サハラ砂漠縦断の道

NishiSahara3 西サハラ最南の町ダクラ。
このダクラの町から先、サハラ砂漠を縦断し、国境を越えてモーリタニア側のヌアディブの町までは約400キロ。
数年前まではまともな道がなかった区間で、国境を越える旅人たちは軍が護送する四駆車の隊列で、道なき砂漠を2~3日間かけて突き進まねばならなかった場所だ。
世界一周の旅の中で一番印象深い移動であったという人もいる。
その途中の光景を、まるで月や火星の世界のようだったという人さえいる。

そんな難所も、現在では立派な舗装道路が敷かれ、ダクラからわずか6~7時間で国境まで辿り着くことができる。
時が経つにつれ、諸事万般がお手軽便利な方向へと進んでいくのが世の常とはいえ、ちょっぴりもったいない気もする。
数年前までにここを越えた旅人たちと同じ体験をするのは、今となっては難しいからだ。
ま、軟弱者の俺にとっては移動が楽であるのは嬉しい限りだしね、俺がここに辿り着く前に道路を用意しておいてくれた人たちに感謝感謝である。

舗装道路が敷かれた事により、お手軽な道になったとはいえ、現在でも一つだけ問題が残されている。
その道を走るバスがないのだ。
いずれ走らす計画はあるらしいのだが、とりあえず現時点では南へ向かう車を探し、運転手と交渉して乗せてもらうしか手段がない。

ダクラの町に着いた夜、町の人たちに聞き込みをしてみたところ、どうやら郊外5キロの町の出口に、モーリタニア方面に向かうトラックが集まる場所があるらしい。
翌朝、その場所までタクシーで行ってみると、聞いていた通り数台のトラックが待機していて、それぞれダクラの町で仕入れたのであろう荷物を積み込む作業を行っていた。

運転手の一人と話がつき、モーリタニアのヌアディブまで250ディルハムで乗せてもらえることになった。
その車の積み込み作業は正午頃にようやく終了。
前方の助手席に、同じようにヌアディブまで行くモーリタニア人のにいちゃんとモロッコ人のおっちゃんと一緒に詰め込まれ、いざ出発。

最高時速80キロしか出せないような、超おんぼろトラック。
ハンドル回りも弱いようで、右へ左へとふらふらしながら進んで行く。
途中にいくつかある検問では、運転手が警官に賄賂を渡している場面もあった。
「古い車だからね、本当は走らせちゃいけないんだ」
こんなサイドミラーも付いていないような車、日本では当然だがこちらでもやはり違法らしい。

サハラ砂漠の中を南北に貫きまっすぐ伸びる舗装道。
昨日までに見てきた光景と同じ、何の変哲もない荒野が広がっている。
火星や月はどこへ行ってしまったのやら。

運転手は寡黙なモーリタニア人。
もう一台のトラックで先行する兄貴分らしき人からかなり急かされているらしく、半ばイライラした様子でハンドルを握る。
助手席のモーリタニア人のにいちゃんとモロッコ人のおっちゃんは、俺を間に挟んでアラビア語での会話を楽しんでいた。
お互いが使うアラビア語は単語単語で違いが多いようで、会話の端々で「それはフランス語だとなんていうんだ?」といった場面もちょくちょく見られた。

国境には日暮れ頃の7時に到着。
出国の手続きを終え、国境の間の幅数キロの緩衝地帯に入った時には、外はもう真っ暗になっていた。
この砂漠の中の緩衝地帯には、70年代にポリサリオ軍がモーリタニア軍と戦っていた時に埋められた地雷が現在でも多数残っているという。
ちなみにこの緩衝地帯には道路はなく、砂漠の中を進むことになる。
運転手も慣れてはいるだろうけれど、この暗闇の中、誤ってズドーンとやってしまったりすることだけは勘弁して欲しい。

その緩衝地帯のど真ん中、一人の兵士が立つ場所で車が停まる。
先行していた兄貴分の車も一緒だ。
「ちょっと待っててくれ」と言い残し、運転手達は砂漠の暗闇の中へ消えていく。

残された俺たちはしかたなく砂漠の中で月を眺めてぼーっと過ごす。
運転手達は、一時間、二時間たっても戻ってこない。
地雷が埋まる砂漠のど真ん中、動き回らなければ安全だとはわかっていても、落ち着いて過ごせる場所じゃないなぁ。

「彼らは一体何やってるんだい?」
モロッコ人のおっちゃんに尋ねてみた。
「闇取引というやつだ」
「へぇ、そりゃまた何の取引なんだろう。マリファナかハシシかな?」
「ハシシかもしれないし、コカインかもしれないし・・・いやコカコーラだな、きっと(笑)
「ハハハ、そりゃいいや」
「何にせよ、俺らには関係ない話だ。心配要らないよ」

結局、待たされること三時間後、ようやく運転手達が車に戻ってきた。
商談が上手く成立したのか、今までずっと不機嫌そうだった運転手のおっちゃんは、戻ってきた時には打って変わってのニコニコ顔。
「ムッシュー、待たしたな!国境を越えさえすればヌアディブすぐだからもう少し我慢してくれ!」

その後、モーリタニア側の国境では20ユーロを払って無事ビザを取得でき、30日の滞在を許可された。
兄貴分の車の方に乗っていたフランス人カップルも同様に20ユーロを払っていた。
確かモーリタニアも含めて西アフリカのほとんどの国ではフランス人はビザ不要のはずだと記憶していたけれど、最近事情が変わったのかな?

国境からは1時間半ほどでヌアディブの町に到着。
時間はすでに夜中の12時近い。
初めての国の初めての町に着く時間としては好ましくない時間帯だ。

町はとっくに寝静まっているであろうと思っていたら、煌々と灯りをつけて開店している店がいくつかあった。
同乗のモロッコ人たちに付き従い、余ったディルハムをモーリタニアの通貨であるウギアに替える。
ウギアという通貨の名前からして、語感がずっとアフリカっぽくなったのぉ。

宿はモーリタニアの兄ちゃんの案内で「ヌアディブで一番安い宿」というところにタクシーで連れて行ってもらった。
宿に着いた時、地元人のモーリタニアの兄ちゃんが話をつけていたにもかかわらずタクシー料金でもめることに。
「この距離なら1人100ウギアのはずだろ?」
「外国人がいるじゃないか。お前はいいけどヤツらは200だ」
「何言ってやがる、俺の友達だぜ!」
そんなやり取りが繰り広げられる。
うーん、さすが西アフリカ、地元の連中ですらこんな調子なら先が思いやられるなぁ・・・(苦笑)

宿の方もまだ開いていた。
レストラン付きの宿で、軽い食事を取ることもできた。
モロッコ人のおっちゃんと相部屋を取り、少々疲れていたこともあってすぐに眠りこける。

いよいよ西アフリカの旅の始まりだ。
まだ着いたばかりで右も左もわからないけれど、ま、なんとかなるっしょ。

西サハラ

NishiSahara1 エッサウィラを出る日の朝。
早朝に出発するメグミちゃんを宿の前でお見送り。
この先は西サハラ越えでモーリタニアまで延々と続く長距離移動となる。
バス移動ではバイクの移動速度には追いつけないので、次に会えるとしたら西アフリカのどこかということになろう。

俺の方のバスは昼過ぎに出るため、彼女を見送った後は宿でもう一眠り。
数時間後に起床して、出発準備をしている時に、バックパックに取り付けてある南京錠用の鍵を失くしていることに気がついた。
鍵をかけてある中には大したものが入っているわけではなかったので、しばらくほっといてもよかったんだけど、もうすぐ国境越えなのだ。
国境でもし荷物検査があった場合、その鍵を開けられないようであれば、変なものでも隠し持っているんじゃないかと疑われる可能性もある。
バスの時間までまだ余裕があったので、解決策を得ようとエッサウィラの街中をぶらついてみた。

しばらく探しているうちに、金物職人街の辺りで万力と糸鋸のある店を発見。
気のよさそうな兄ちゃんに頼むと、快く引き受けてくれて、あっというまに南京錠のU字の部分を切り分けてくれた。

そうこうしている内にバスの時間が近づいてきたので、近くの安食堂で適当に飯を済ませる。
宿に戻る途中で、ふと大事なことを忘れていたことに気がついた。
出発前の飯は、マラケシュで一緒だったコズエちゃんが絶賛していた「カレー炒飯入りデニッシュ」にしようと決めていたんだっけ。
むぅ、すでに満腹な上に時間がない。
「カレー炒飯入りデニッシュ」はまたいつかモロッコに来た時用に取っておくことにしよう。

エッサウィラを出た後は、バスや乗合い四駆車を乗り継いで、西サハラをひたすら南へ南へと向かって移動を重ねる。
夜行で一気に行く手もあったのだが、西サハラの景色というものも見ておきたかったので、あえて昼間移動の方を選んでみた。

NishiSahara2 エッサウィラから次のタンタンまではバスで12時間移動。
タンタンに着いたのは夜中の12時だ。
次のラーユーンまでは乗合い四駆車で7時間、その次のダクラまではモロッコ国営バスで10時間ほど。
期待していた車窓からの光景は、残念ながらどこの区間も大したものではなかった。
何もない荒野が延々と続く中、立派な舗装道路だけが南北に長く伸びている。
途中の町にも見所らしいものは全くなかった。
町ごとに寝床となる宿を探し(たいていバスターミナルから数キロ歩かされた)、翌朝またターミナルに行って別のバスに乗り換える。
30キロの荷物を背負っているため、これが結構な重労働なのだ。
夜行バスで一気に通過し方がずっと楽だったよなぁ。

ちなみにラーユーンの辺りから南は、国際的に帰属問題が未解決の西サハラの地域。
「ポリサリオ戦線」が宣言した「サハラ・アラブ民主共和国」という国を承認している国も少なくないのだが(日本は未承認)、話すと長くなるので詳細ははしょる。
ただ、現在ではほぼ完全にモロッコの支配下にある地域。
「歩き方」のモロッコ編では「現在、西サハラとの国境は閉鎖されている」などと書かれていたけれど、そりゃ一体いつの話だって気がする。
そもそも国境などまるで存在していないかのようであった。

町で見かける人たちもモロッコ人ばかりだったように思う。
サハラウィ(西サハラ人)たちはどこへ行ったのやら。
もしくは追いやられたのか。

ラーユーンもダクラも、見た目に新しい人工的な造りの町。
移民優遇政策を取り、インフラ整備をガンガン進めて、自領であることの既成事実を着々と進めるモロッコ。
中国政府がチベットや新疆や内モンゴルで行っているやり口によく似ている。
モロッコは大好きな国なんだけど、こういうやり方だけはやはり好かんなぁ・・・。

エッサウィラ - カモメ舞い、糞にまみれた港町

Safi1 アルジャディーダからエッサウィラまでは直行バスだといい時間のものがなく、途中のサフィという町で一度バスを乗り換えることにした。
そのサフィの町へは海岸伝いの道を走るのだが、車窓からの眺めがかなり楽しめるものだった。
緑の大地の合間にちょこちょこ砂丘があり、その奥に真っ青な大西洋が広がっている。
時折、たぶん食用であろうラクダが放牧されている光景も見ることができる。
草地の緑、砂地の白、海の青、そこにラクダ。
バスの車窓からは残念ながらいい絵は撮れなかったが、同じ道をバイクで走っているはずのメグミちゃんならきっと途中で何枚か撮っているであろう。
後で会えたら分けてもらうっと。

エッサウィラではメグミちゃんとはバイクの置き場所の関係から別宿になる可能性が高く、俺の到着時間も夕方遅くの予定だったので、会えないかもしれないと思っていたが、幸い俺が泊まる予定だった宿の方で問題なく停めることができたようで、結局またまた同宿となった。

Essaouira1 彼女は俺より3時間ほど前に到着しており、すでに町中の観光を済ませていた。
小さな港町なので、1時間もあれば一通り見て周れるようだ。
それでも旧市街の規模はアルジャディーダと比べればずっと大きく、観光客もかなりの数だ。
メグミちゃんに案内してもらいながら夕暮れ時の港町を散策する。

「そうそう、ここまで来る途中、サフィの北岸辺りかな?海沿いに綺麗な場所があったっしょ。写真撮ってきた?」
「え?マジで?内陸の国道の方を通ってきちゃった」
あらら、それはもったいない。
海とラクダを一緒に撮れるなんて、モロッコでもあそこぐらいなんじゃないかなぁ。

港にはカモメの群れが舞い飛んでいた。
その群れ飛ぶ様を写真に収めることに熱中していたら、服の上に落下物が見事に命中しやがった。
小娘大喜び。
ぐっ。

「さすがマサさん、かましてくれますねー(笑)」
「くそっ、こういうネタをかますのは普段はメグミちゃんの役だろう。なぜ俺にくる!」
「ま、ウンが付いたということで。でもそれ以上近寄らないで下さいねー♪」

Essaouira2 常日頃から物事万事華麗にこなすこの俺がなんという失態。
そういえば、アルジャディーダでも磯辺で遊んでいた時に「あ、そこ滑りやすいから気をつけて」と注意する言葉が終わらぬうちに自ら海にはまっていたし、どうも彼女とは相性がよくないようだ。

いや、思えばここ一年くらい、女性が少しでも絡むとろくなことがなかった気がする。
ブラジルでカメラを盗まれた時も女がらみだったし、その他にも似たようなことが何度かあった。
元嫁と別れて独身気ままパッカーになった頃からだなぁ。
うむむ、こりゃ、もう女には近寄らず一生独身で過ごせってことなのかな・・・?

アルジャディーダ2

ElJadida4 アルジャディーダではもう一つ見ておきたいものがあった。
旧市街の中に残るポルトガル時代の貯水槽だ。
昨日は日曜日だったため入ることができず、今日9時の開館と同時に見学し、そのままバスターミナルへ向かって10時のバスに乗る予定を立てていた。

日の出前に起床。
隣のベッドでぐずり続ける小娘をたたき起こし、海から昇る朝陽を眺めながらコーヒーをすする。
うーん、今日もいい一日になりそうだ。
荷物をまとめ、出立準備を完全に整えてから貯水槽に向かう。

旧市街が相当なしょぼさだったので、貯水槽もかなりしょぼいであろうことを期待していたのだが、これがまた想像以上に美しいものであった。
実際、しょぼいことはしょぼいのだが、天窓から差し込む光が地下水に映え、天井を支える円柱の柱が水面にも対称を成して浮かび上がる。
昔イスタンブールで見た地下貯水槽に似ているが、規模は小さいもののこちらの方がより幻想的な雰囲気である気がする。

ElJadida3さてと。
アルジャディーダで見るべきものは見終えたので、いざ次の町であるエッサウィラに向かうとしましょうかね。
と、そこで小娘がぐだぐだとのたまい始めた。

「マサさん、今日もいい天気ですねー」
「だな。こうも絶好の観光日和だと、移動に使うのがもったいないくらいだ」
「絶好の洗濯日和でもありますね」
「ふむ、そうともいう。って、もしかして・・・」
「私、洗濯物が結構たまっちゃってて」
「延泊?」
「もう一日くらい、のんびりしても悪くないかと」
「まぁ、特に反対する理由は見当たらないな」
「んじゃ決定!」

ったく、これだからダメ人間と共連れになるとろくなことにならない。
せっかく高速移動の旅にも調子が出てきたところだというのに・・・。

ま、正直な話、俺もそろそろ洗濯せねばという頃だったし、もっと正直にぶっちゃければ、この町の雰囲気からして一人だったら4~5日は余裕でのんびりしていた可能性が高い。
ダメ人間万歳である。

宿に戻って、嬉々として荷物をほどき、屋上を借りてしばし洗濯作業を楽しむ。
海から強い風が吹くものの、乾燥した土地柄だからか塩気を含んではおらず、実に気持ちいい。

午後はバイクのエンジンオイル探しに付き合うことに。
メグミちゃんのバイクで使う型のオイルがなかなか見つからなかったが、5軒目くらいのガソリンスタンドでようやく望みの品を発見。
バイクでの旅というものは、普通のパッカーにはない面倒が多いことが想像に難くないが、特に先進国以外の地域での備品には苦労することが多いようだ。

さてさてさて。
これにて休養十分、気力体力ばっちり回復。
明日こそはちゃんとエッサウィラに向けて移動することにしよう。

アルジャディーダ1 - しょぼさあふれる港町

ElJadida1 カサブランカからバスで2時間、大西洋岸に面するアルジャディーダの町にやってきた。
旅仲間のタカハシさん一押しの町だ。
彼曰く「物価が安くて、いい宿もある。世界遺産もなかなかしょぼくてよかったですよ」とのこと。
しょっぼい世界遺産を巡るのが大好きの彼のこと、きっとマジでしょぼいんだろうなぁ・・・(笑)

そのタカハシさんも泊まったであろう安宿に投宿。
先に着いていたメグミちゃんと相部屋になった。
建物自体は古めかしい造りだが、宿の人たちはみなとても親切、海岸通りに面した窓付きの部屋は広々として使いやすい。

町のには16世紀初頭にポルトガル人によって築かれた旧市街がある。
この旧市街が世界遺産に登録されたのは極最近のこと。
メグミちゃんと一緒に、旧市街の中や城壁の上をぷらぷらと散策するが、タカハシさんが薦めるだけあって、やっぱりしょぼい。
でもその分、観光客もほとんどいなくて、静かにのんびりと過ごすことができる。
俺自身もかなり気に入ってきた。

ElJadida2 昼飯には、この町の名産である揚げ魚を賞味することに。
海岸沿いにある揚げ魚専門の安食堂街に入り、魚フライの盛り合わせを注文。
モロッコでは内陸でもたいていの町で揚げ魚を食べることができるが、ここは港町だけあってやはり鮮度が抜群だ。
魚の身もほどよく引き締まっており、特にアナゴ(たぶん)が美味であった。
フライでこれだけ美味いなら、生でもかなりいけるであろう。
うーん、久々に生魚も食いたいなぁ。
俺のバックパックの中には醤油にワサビも常備しているんだけれど、ここ一年くらい活躍する場に全く巡り合えないでいる。

旧市街の入口に近い辺りで、ヨーグルトを売る店を発見。
モロッコのヨーグルトは安い上にバリ旨。
このヨーグルトとモロッコ特産のナツメ椰子さえ食べていれば毎日健康そのものである。
だから俺は新しい町に着くと、まず真っ先にヨーグルトを売っている店を探すようにしていたのだ。

この店のヨーグルトは上に苺や杏子のジャムを乗せた珍しいものだった。
味もかなりイケルので、その後何度か通っていたのだが、この店のおばちゃんがまたとても陽気な人であった。
食べ終わってお皿を返す時に必ず「ビッサハワラハー?」と聞いてくる。
アラビア語で、健康になりましたか?さっぱりしましたか?という、食後などに使われる挨拶言葉だ。
こちらの返し言葉は「ラフヤテクサハー!」
アッラーがあなたにも健康を与えますように、となる。
こちらの発音が悪いので何度も直されるが、ちゃんと発音できるとニッコリ微笑んでくれた。

思えばこのアルジャディーダは女性がとても元気な町のような気がする。
宿のおばちゃんも元気闊達そのものの人だし、昼飯を食べた安食堂でもおばちゃんたちも大声で喧嘩しあいながら周囲の笑いをとっていた。
パッと見はしょぼくて、鄙びた港町かもしれないけれど、なんとも気分よく過ごせる所だ。

こういう場所ではついつい長居してしまうんだよなぁ、俺。
でももうモロッコでののんびり期間は終了したのだ。
明日は早起きして朝のバスで出発することにしよう。

カサブランカの巨大モスク

Casa1 メグミちゃんとはその後ラバトで3日間一緒に過ごすことに。
南米の、いや南米に限った話ではないが、沈没宿にたむろする連中の間では、誰かが出発しそうになると、周囲の人間が足止め工作を行うのが慣習のようになっている。
「一日二日急いだところで何も変わりませんて」
「今晩、みんなでカレーパーティーする予定なんですよ。参加しないんですか?残念だなぁ」
そんな調子でお互いの足を引っ張り合う光景が日常茶飯事に繰り広げられている。
今回も同様にメグミちゃん引止め作戦を行うつもりでいたのだけれど、さすがに少々疲れていたためか、作戦を実行することもなく、彼女自ら延泊決定。
ま、三日三晩ぶっ続けでも尽きないほどに積もる話があったしね。
お陰で俺もホントに楽しい日々を過ごすことができたよ。

4日目の朝、ラバトの旧市街の入口で彼女と別れる。
「事故らないように気をつけてな!」
「マサさんもお気をつけて!またどこかで!」

その後、俺は荷物をまとめて宿を引き払い、カサブランカまで移動。
ラバトからカサブランカまでは鉄道でわずか一時間の距離、あっという間に到着。
カサブランカではユースホステルに泊まることにした。
モロッコでユースホステルを使うのはこれが初めてだ。

カサブランカの港前の駅からユースまでは歩いて10分ほど。
んで、ユースの前に着くと、門前に見覚えのあるバイクと見覚えのある女の子。

「よ、久しぶり♪奇遇だねぇ(笑)」
「お久しぶりです!元気でしたか?(笑)」
「もう着いてたんだ」
「10分前くらいですよ」

これで12回目、2時間ぶりの再会。
この後、この調子でいくつかの町で同様の再会を繰り返すのだが、あまりにもバカバカしいので以後の再会話は省略する。
バス移動とバイク移動での鬼ごっこ。
それもお互いが鬼をやってるものだから、再会しないわけがない。

ユースには時間制限があって、俺らが着いた時は閉まっていたのだが、幸い門前でしばらくだべっていたら、おっちゃんが扉を開けてくれて荷物を置かせてもらえた。
チェックインはまだ出来なかったものの、これで市内観光に出向くことができる。

カサブランカの観光の目玉といえば、ハッサン二世モスクだ。
というか、それ以外にはろくな見所もない町なのである。
旧市街の中をつまみ歩きながら通り抜け、海岸沿いにあるドでかいモスクを目指す。

このハッサン二世モスク、8年がかりで1993年に完成したモロッコ最大のモスクだ。
モスクの前の広大な敷地には8万人、内部には2万5千人が収容可能だという。
巨大なミナレットの高さは200メートルで世界一だそうな。
ちなみに設計はフランス人のミッシェル・パンソー。
個人的には大して期待していなかったこのモスクだが、いざ目の前にしてみると、その巨大な様に圧倒されずにはいられない。
とつもなくデケェ建物だ。

拝観はツアーの形式で行われる。
入場料は120ディルハム、モロッコにしては破格の料金だが、学割で60ディルハムで入ることができた。
英語ガイドの案内に従い、モスクの中に進んで行く。

Casa2 高い高い天井の広々とした空間。
内部装飾には大理石や杉やマホガニー材が使われており、それぞれに絨毯の柄のような緻密な幾何文様が掘り込まれている。
電灯にはヴェネチアのガラスも使われているという。
まるで欧州のどこかの国の宮殿のように豪壮な空間なのだが、宗教施設だけあって、絢爛というよりは荘厳という印象を受ける。
うーん、この中で2万5千人もの人々が一斉に礼拝を行う様を一度見てみたいものだ。

この中央大広間を見た後は地階にある参拝客のためのアブルーション(手や身体を清める泉)の部屋やハマム(浴室)なども見学。
どちらもなかなか面白い造り。
淡い光が差し込む幻想的な空間を作り出していた。

夕方は旧市の魚フライをつまんだり、アイスを食べながら新市街を散歩して過ごす。
晩飯後にまたモスクまで来てみたが、夜は夜で照明に照らされた姿がとても美しいものだった。

さてと、これにてカサブランカ観光も終了。
お次は、旅仲間のタカハシさんオススメのアルジャディーダかな。

ラバト - 沈没ライダー登場

Rabat3 俺がまだマラケシュにいた頃、アムステルダムから一通のメールが届いた。
旅仲間のメグミちゃんからだ。
「来週、モロッコに入ります。カサブランカ辺りで待っていて下さい」
ほぇ?来週だぁ?
アムスからここまで、あの沈没好きの娘が一週間で来れるものなのか??

半信半疑ではあったものの、予定日の頃にはラバトで待ち構えてみることにした。
カサブランカは物価が高そうだったし、ラバトは人が穏やかで居心地が良く飯も美味くてかなり気に入っていた町なので、ここで数日骨休みがてら様子を見ていたのだ。

して、到着予定当日の今日。
一応前日にメールをやり取りし、こちらがラバトにいることを伝えることができた。
朝にスペインのアルヘシラスから船に乗り、昼にモロッコ側に着いたとしても、ラバトに辿り着くのは早くても夕方だろうと思い、昼間はのんびり市内観光をしたりして過ごしていた。

んで、夕方に宿に戻ると、そこにはすでに彼女からの伝言が残されていた。
うぎゃ、もう着いていたのか。
伝言は、宿にバイクを入れることができなかったため別の宿を探しに行く旨を伝えていた。
でも無事に到着できたようでとりあえず一安心。
よしよし、再会を祝するためにワインでも買ってくるとするか。

新市でワインを入手してから部屋に戻る。
しばらくすると下の階から懐かしい声が。
「マサさーーん!」
おー、来た来た♪
「久しぶり!ようこそモロッコへ♪」
「いやぁホント嬉しいです!もうこれでアフリカでの目標は半分終わったようなものですよ!」
「ったく、アフリカ初日から何言ってんだよ(笑)」

Rabat2 彼女は知る人ぞ知る、雑誌にも載っちゃったりするくらいの有名ライダー。
俺とはコロンビアで出会って以来、南米各地で出会っては別れを繰り返し、今回でかれこれ11回目の再会になる。
前回ブエノスで別れた後、またブラジルのどこかで会おうと約束していたものの、オリンダ⇔サンルイスの間で見事にすれ違い。
いつもなら再会しても「よっ!元気だった?」くらいだったのだが、今回は8ヶ月ぶり、しかも別大陸での再会ということもあって喜びはことさらに大きい。

バイクはユースホステルの方にも停めることができず、結局市内の駐車場に停めることになった。
その後はラバトの旧市街を軽く案内、顔なじみの安食堂で定番モロッコ料理のタジンを味わう。
彼女はアムスからの3000キロを5日間で走破、その間ほとんど食事を摂っていなかったようで、久々のまともな料理を嬉しそうに食べていた。

夜は部屋でワインを開けながら、お互いのこれまでの経緯や、南米での懐かしい話や、他の旅行者たちの噂話に花が咲く。
うーん、旅仲間というものは実にいいものだ。
同じ場所で沈没していた期間が長かったこともあり、お互い気を使う必要もまるでない。

それにしても、こうして二人で話していると、周囲の空気は南米の沈没宿そのものと化してくる。
モロッコなのにアフリカなのに南米にいるかのような不思議な錯覚を覚える。

ふと何気に、今まで同じ場所にいた日数がどれくらいになるか気になった。
そんなもん数えられるわけないじゃん、と思いつつも、お互いの旅の記録を照らし合わせてみたら、正確にはじきだすことができてしまった。
本日を含めてなんと総計210日!

「7ヶ月?マジで?」
「ありえない!恐ろしい数字ですよ、コレ」
「南米での沈没期間、ほとんど重なってるってわけか。てか、どんだけ沈没してやがんだよ」
「お互い様です」
「そら、モロッコにいても、南米気分になってくるわけだ・・・」

ま、それはともかく、無事に再会することができて本当によかった。
彼女の方は諸事情により、これから先は沈没することなく一気に進んで行くらしい。

「私はもう短期旅行者ですから。のんびりできる人が羨ましいですよ~(笑)」

君のその決意がいつまで続くことやら見ものであるが、とりあえずしばらくは俺も歩調を合わせてさくさく移動にしてみよっかな。
今となっては信じられないかもしれないけれど、俺だって昔は誰にも負けないほどの高速パッカーだったんだぜ。

「マサさん、無理無理。そんな話、誰も信じませんて」

あ、そう、やっぱり?

セウタ

Sebta1 朝起きると、外はモロッコにしては珍しい程の大雨。
今日はここティトゥアンからセウタに日帰りで行って、新しい入国印を貰ってくる予定なのだけど、この雨の中で移動するのは面倒だ。
面倒だけれども、すでに以前観光を済ましているこの町では他にすることもなし。
パソコン作業をしながら一日待ってみるという選択肢もあったのだが、あいにく部屋に電源がない宿なので作業しようにも思うように進まないだろう。

幸い、昼過ぎには小雨になってきたので、意を決してセウタを目指すことに。
日帰りでの再入国を拒否される可能性も考えて、荷物を預けて一旦部屋を引き払う。
宿のおばちゃんには遅くても2日以内に戻る旨を伝えておいた。

セウタまでは乗合いタクシーで40分ほどの距離。
国境に辿り着く頃には雨も止み、それどころか見る見るうちに青空が広がってきた。
国境ではモロッコ人らしき連中が出入国カードを売りつけようと寄ってくるが、当然のように無視。
外国人用の窓口で問題なくモロッコの出国印を入手。

その後、すぐに再度モロッコ入国の手続きをしてティトゥアンに戻れそうでもあったが、この青空だ。
せっかくだからセウタの観光をしておくことにしよう。

スペイン側では船に乗ってスペイン本土に渡るのかどうかを訊ねられた。
「いや、セウタの市内に行くだけで、またモロッコに戻る予定なんだけど」と言うと、それならスペインの出入国印は必要なしとのこと。
パスポートのページを無駄に消費しなくて済むので、これは助かる。

国境から市街地までは3キロほど。
市バスも走っていたが、海沿いの景色を眺めながら、てくてくと歩いて行くことに。
国境を離れてしばらくすると、近くの丘にあるモロッコ人居住区らしい所からアザーン(祈り)の声が鳴り響いてきた。
その響きの中、海岸沿いの遊歩道ではTシャツ短パン姿のスペインねーちゃんがジョギングしている。
なかなか面白い光景だ。

市内に辿り着くと、街中のほとんどの店は閉まっていた。
そっか、考えていなかったけど今日は日曜日だったんだなぁ・・・。
大好物の生ハムでも買って帰りたいところだったけれど、残念ながら無理そうだ。

Sebta2 セウタの全体的な街並みはスペインのアンダルシア地方の小さな港町のような感じ。
町中に残る、16世紀のポルトガル時代に築かれたサンフェリペ堀を見学。
東西に伸びる約6キロ半島の根元、セウタ地峡と呼ばれる場所に作られた立派な堀だ。
近くにはアフリカ婦人教会とカテドラルもあった。

その後は半島の先の灯台があるあたりまで歩き、岬をぐるっと周って市内に戻る。
さくっと見て周るくらいの軽い気持ちでいたのだが、結局今日はかなり歩くはめになったなぁ・・・。
帰りも国境まで歩いたので全部で15キロくらいかな?
昨日買ったばかりのブーツで歩いたので、足にはひどい靴擦れとマメが出来ており、国境に辿り着く頃には、びっこを引いて歩かざるを得ない状態であった。
こりゃ、しばらくはまともに歩けない日々が続きそうだなぁ。

国境では無事モロッコの入国印を入手して、再入国をはたす。
これでもう90日は問題なくこの国に滞在できるというわけだ。
ま、モロッコはすでに満腹なので、もう長居するつもりはないんだけどねー。
残りのどうでもいい町を経由しつつ、さくさくとモーリタニア国境を目指すとしましょうかね。