旅人日記 -2ページ目

カーボベルデ1 - 世界遺産(たぶん)のシダージ・ベーリャ

CaboVerde1-1 前回からの続きでカーボベルデに行くお話し。
同行の面子はこの日記ではすっかりお馴染みのタカハシさんとメグミちゃん。
改めて紹介すると、タカハシさんはしょぼい世界遺産が大好きな気のいいおっちゃん。
以前メグミちゃんと二人でいて親子に間違えられたのをちょっと気にしているらしい
メグミちゃんはKawasakiKLR650という赤いバイクで世界を駆けるライダーだ。
体長を崩して現在死にかけているが、死ぬ前にどうしてもカーボベルデを見ておきたいと懇願するのでしかたなく連れて行くことに。
とある共通の友人から「キングボンビーズ」と名付けられた、20代・30代・40代の男女混合三人組だ。
個人的には「マサと愉快な仲間たち」といったところであるが、これ以上好き勝手書くと後で彼らにどつかれそうなので、密かに思っているだけにしておく。

ダカールからカーボベルデまでは飛行機で約2時間。
買った航空券はセネガル航空のものだったが、飛行機そのものはカーボベルデ航空の46人乗りのプロペラ機だった。
わずか2時間の飛行時間の割には期待以上にまともな機内食が出る。
やるな、カーボベルデ航空。
ダカールを夜8時半に出発したプロペラ機は、時差が1時間あるためカーボベルデの首都プライヤの空港に現地時間の9時半に到着。

カーボベルデは入国にビザが必要な国だが、急に決めた話だったので事前に取得せずにやって来ていた。
数年前に発行されたロンプラの情報から、空港で取得しても20ユーロくらいだと踏んでいたのだ。
ところが係官のおっちゃん曰く「お一人様45ユーロでございます」
・・・うぎゃ、高っけぇ。

貧乏症の俺は思わず値下げ交渉に入ろうとしてしまったが、キングボンビーズの他の二人は「ま、しょうがないね」と大人の意見。
そ、そうだよな、こればっかりはしょうがないんだよな。
うーん、この先アフリカ各国のビザ代では同じような衝撃が待ち控えているんだろうなぁ・・・。
ちなみにダカールで取得した場合の値段を後で調べてみたら32ユーロくらいであった。

空港からはタクシーで目的の安宿ソル・アトランティコに乗り付ける。
朝食付きで一人部屋1500エスクード、二人部屋2500エスクード(1ユーロ=110エスクード)、西アフリカ基準で言えば高い方だがこれもいたしかたあるまい。
小ぎれいな宿で、受付の兄ちゃんも親切そうで気に入った。
すでに夜11時を過ぎており、この日は何も出来ずに就寝。

寝る前にロンプラを読みながら、このカーボベルデについてざっと学習しておくことに。
こんなマイナーな国、読者の人もほとんど知らないだろうから、俺自身が読み知った限りのことをここで軽く説明しておく。

セネガルの西、大西洋上に浮かぶカーボベルデ群島からなる共和国。
群島は比較的大きな10の島と5つの小島から形成され、その全てが火山島。
カーボベルデ(緑の岬という意味)の名の割りに、緑少ない不毛の島が多い。
1456年(覚えやすいねぇ)にポルトガル人が辿り着いた時は無人の地だったが、その後は奴隷貿易の中継地として栄えることに。
18世紀からは立て続けに旱魃に襲われて、100年間で半数近くの住民が餓死。
1876年(これも覚えやすいねぇ)の奴隷制廃止以後は衰退、19世紀末からは大西洋を行き来する大型定期船の補給港として再繁栄。
独立国になったのはアフリカ諸国の中ではかなり遅めの1975年だが、ポルトガルからの離脱は比較的平和裏に行われたようだ。
現在の人口は約45万人、住民は黒人と白人の混血であるクリオーリョ(クレオール)、主要産業はトウモロコシやサトウキビを中心とした農業とマグロとイセエビを主とする漁業だが、欧米への出稼ぎ労働者からの収入が国の経済の大きな部分を支えている。
平均寿命・識字率・国民一人当たりのGNPは全て西アフリカ最高で、アフリカの中ではかなりの先進国といえよう。
とまぁ、そんな国であるらしい。
別に試験に出るわけではないし、後の話の伏線にも全くなっていないけれども、このくらいの事前知識があった方が読み進む上でイメージを掴みやすいんじゃないかな。
着いてから言うのも何だが、俺も今さらながらどういう国だか分かってきたところだ。

CaboVerde1-2んで、本日。
いよいよカーボベルデ観光開始である。
ま、観光といっても、俺らが訪れているこのサンチアゴ島には大した見所はない。
ロンプラの情報を隅々まで読んでも、やはり、ない。
欧米人観光客で賑わうというサル島にはビーチリゾートや塩の採掘場があったり、他にも活火山でのトレッキングが楽しめるフォゴ島や緑豊かなサント・アントン島などもあるのだが、今回の旅では時間と金に余裕がなくて断念。
んじゃ、一体何しに来たのか俺ら自身ですらちょと謎な部分があるのだが、その辺は深くつっこまないで頂きたい。
こういった、一般のパッカーがまず来ないような国というものは、ただそれだけの理由で惹かれてしまうものなのだ。
そこに行ったというだけで、他の旅行者たちに大いに自慢できてしまうのである。
もっとも、自慢したところで「どこそれ?」で終わってしまうのが悲しいところであるが。
要するに、ぶっちゃけた話、単なる自己満足以外の何ものでもないのだが、それを言ったら旅そのものが自己満足に過ぎないという身も蓋もない話になってしまうので、やはり深く追求しないことにして、長ったらしい前置きはもういいからとっとと話を先に進めて欲しいところなのである。

見所に乏しいこのサンチアゴ島でも、一箇所だけ見所と呼べなくもない場所がある。
それがシダージ・ベーリャだ。
ポルトガル人がアフリカで最初に築いた町で、当時はリベイラ・グランジという名で奴隷貿易によって結構栄えていたらしい。
光栄の「大航海時代」には全く登場しない町なので、俺が知らなかったのも無理はない。
16世紀にはかの有名なイギリスの海賊フランシス・ドレークによる略奪で廃墟となったが、その後に造られた要塞が丘の上に残っているという。
ロンプラによるとユネスコの世界遺産に登録されているらしい。
俺らキングボンビーズの三人はそれぞれ別資料から仕入れた世界遺産リストを持っていて、このシダージ・ベーリャは何故かそのどれにも載っていないのがやや気になるところではあるが、ま、世界遺産だろうが何だろうが、しょぼい遺跡にはかわりあるまい。
しょぼい世界遺産フェチのタカハシさんはもとより、俺自身もしょぼい遺跡は結構好きな方なのだ。

CaboVerde1-3 プライヤの町からミニバスに乗り、20分ほどでシダージ・ベーリャの村に到着。
小さな湾の周辺に石造りの家が散在する小さな村だ。
丘を見上げると、思っていたよりもずっと立派な要塞が見える。
丘の上へと続く坂道を登りながらぐるっと迂回する形で、要塞の裏手にある入口に辿り着く。
チケット売り場には小さなバーが併設されていた。
すでに半死半生状態のメグミちゃんを尻目にタカハシさんと軽くビールで乾杯しながら喉を潤す。

要塞の中に入ってみると、ガイド付きのスペイン人らしきカップルが一組いるだけで、ほぼ俺らだけの貸切状態。
しょぼい観光地というのは他に人がいなくてのんびり見て回れるのが嬉しいね。
敷地内には昔の貯水場の跡と大砲がいくつか残っているだけではあるが、湾を見下ろす眺めは悪くない。
城壁から海に向けて据えられた数門の大砲は、素人目にはいつの時代のものか分からないが、この程度の砲身では弾丸を海まで届かせるのが精一杯だったんじゃなかろうか。
全然関係ないけど、その昔長州藩が四国艦隊を相手に戦った時の大砲もきっとこんな感じのものだったんだろうなぁ。
テキトーに写真を撮りつつ、30分ほどで見学終了。
その後は村に下り、メグミちゃんには木陰で休んでいてもらって、タカハシさんと一緒に村の別の場所にある崩れかけた教会などを見学していたが、そっちはホントにしょぼかったので話は端折る。

CaboVerde1-4 前置きが長かった割りに本日の観光はこんな感じであっさり終了。
明日は他にやることもないし、島の奥の方にでも行ってみるとしようかな。

そうだ、カーボベルデに行こう

Dakar1-1 ダカールに着いた翌日に日本大使館で旅券の更新を申請してきた。
2週間ほど前に実家に頼んで戸籍を大使館宛に送ってもらっていたのだが、俺が大使館に出向いた日のちょうど前日に領事さんの手元に届いていたようで、すぐに申請の手続きを取ることができた。

今俺が使っている旅券は2009年まで有効で、ページ数もまだかなり残っている。
だから必ずしも現時点で更新しなければならないわけではないのだが、西アフリカでは日本大使館が存在しない国が多く、先々のことを考慮してここで更新しておくことにしたのだ。
次に日本大使館がある国はギニアかガーナになり、ここセネガルと違ってどちらも入国にビザが必要な国。
そっちで更新する場合、ビザの押された古い旅券は無効と化すため、新しい旅券の方に新たにビザを取り直さなくてはならない可能性があるのだ。
もっともセネガルでも入国印は今の旅券の方にしか押されていないため、入国印のない新しい旅券では出国の際にいちゃもんつけられる可能性がなくもないんだけどね。

ちなみにここの領事の清野さんは非常に親切な方だった。
提出した顔写真が少しずれていて規格に合わなかったのを何とかしてくれたし、残りページ数が多いため本来なら更新申請の理由には満たなかった所を、他の適当な理由に変えてくれたりした。
他にも各地の治安情報やマラリア対策など、様々なことに親身になって相談に乗ってくれる。
今までいろんな国で日本大使館を訪れてきたけれど、ここまで面倒見のいい領事さんは初めてである。

新しい旅券が出来上がるまでの数日間は、タカハシさんたちの宿に遊びに行ってはパソコン作業をしながら過ごす。
んで、気がつけば、いつのまにか彼らと一緒に「サイコロ振っては電車走らせまくる」というダメ人間的生活にどっぷり漬かってしまっていた。
イカンイカンイカン、こんなんじゃいかんぜよ。
メグミちゃんの体調が回復するまである程度休養が必要なのは分かるけど、部屋に篭もりきりというのもよくないぜよ。

だいたいだな、
タ「スリの銀次に80億も持って行かれちゃったよ」だの、
メ「ドジラ来た!私の新潟物件がぁぁ!」だの、
マ「そこの金持ち、牛歩カードでもくらえっ!」だの、
大の大人がアフリカまで来て交わす会話じゃないだろう。
少しは恥を知ったらどうだ、俺を含めたこのド沈没トリオ!
メールで状況を知った他の旅仲間たちから「キングボンビーズ」と罵られる始末だ。

うーん、こいつはちょっとした気分転換が必要かもしれないな。
そうだ、アフリカに入った頃から妙に気になっていたカーボベルデにでも行ってみてはどうだろうか。
大した見所のなさそうな国だけれど、三人で行けばそれなりに楽しかろう。

旅券の更新手続きをする際には古い旅券は提出しなければならないと思っていたのだが、ダカールの大使館では手元に残しておいてもよいと言われた。
だから手続きが完了するまでの間、必ずしもダカールで待ち続けてる必要はなく、他の場所に行くことができる。
セネガル以外の国にも旧旅券で行けてしまうのだ。
厳密に言えば、すでに更新申請手続き中のため手元の旧旅券は無効扱いなので、それを使って国境を越えるのは違法であり、もし万が一ばれたら旅券不携帯で捕まっても文句は言えないのである。
ま、実際にはばれようがない話であるし、旧旅券に残っているページも勿体ないので、できればカーボベルデには旧旅券を使って行きたいところなのである。

新旅券が出来上がる予定日の今日、タカハシさんと一緒に日本大使館に出向く。
タカハシさんもここで旅券を新しく申請することに決めたため、それが出来上がるまでの間に一緒にカーボベルデに行くことを誘ったらあっさり同意してくれた。
俺ら二人が行くならメグミちゃんも確実に行くことになるであろう。

大使館に行くと、俺の旅券はすでに出来上がっていた。
10年もので、ICチップ入りの新型旅券だ。
ビザや出入国印用に使えるページが以前のものと比べて2ページ増えているものの、冊子の真ん中にICチップが内蔵された分厚いページが挿入されている。
そのせいで、増補している訳でもないのに全体がすでに分厚い。
このICチップ入りの新型旅券、某傲慢大国のゴリ押しに合わせる形で作られたものらしい。
その国にはこのICチップ入りの旅券でないと、観光でもビザが必要になったからだという。
あんな国に用のない人間にとってはいい迷惑である。
ま、今回は通常ならページ数に余裕があるから新規申請できなかったところを、この新型旅券に切り替えるという名目で手続きができたので、助かったといえば助かったんだけどねー。

旅券が出来たのを確認した後、領事の清野さんに受け取りを数日延期してもらうように頼んだ。
「手数料の関係ですか?」と尋ねる清野さん。
「いえカネは問題ないのですが、ちょっと今の旅券のままで行きたい場所があって・・・」
「国境は越えないで下さいね。旅券不携帯で捕まってもこちらは対処できませんから」
「いやぁ、そんなカーボベルデになんか行ったりしませんよ、ねぇタカハシさん、行っちゃダメですよ」
「・・・・・」

帰りがけに市内の旅行代理店でカーボベルデ行きの航空料金を調べると、往復で約260ユーロとのこと。
悪くない値段だ。
んで、出発日は明日に決定。
急な話だが、メグミちゃんがバイクの保険期間の関係から後一週間ほどでセネガルを出国せねばならぬ事情があるため、できるだけ早く行ける便を選んだのだ。
宿に戻り、メグミちゃんも誘うと案の定彼女も同意。
体調不良の彼女を連れて行くのは少々不安ではあったが、ダカールに一人残して行くよりはマシであろう。

そんなわけでして、明日からキングボンビーズ三人揃ってカーボベルデに行くことに。
ちなみにカーボベルデはダカールから西に450キロの距離に浮かぶ島国。
たぶん日本人でその存在を知っている人はそう多くはいないであろう。
俺自身、アフリカに来るまで全く意識したことがなかった国だ。
何があるかはよく分からないけれど、たぶん綺麗なビーチくらいはあるんだろう。
公用語はポルトガル語らしい。
幸い俺らキングボンビーズは三人ともブラジル経験者。
ポル語はそこそこ話せるので、特に困ることはないであろう。
気ままな気分で3泊4日のプチ・リゾートの旅に行ってくるぜよ。

追いついちまったぜよ^^

Dakar1 サンルイ滞在中にメールを見たら、旅仲間のタカハシさんとメグミちゃんがまだダカールにいることが判明。
どうやらメグミちゃんの方が体調をかなり崩してしまったらしく、病院に行くことになるかもしれないと書かれていた。
サンルイの町もなかなか味があったのでブランドンたちと一緒にあと数日のんびりしようかとも思っていたけれど、こうなりゃ話は別だ。
メグミちゃんのことが心配だし、何よりも、もう会えないと思っていた二人に再会できそうなのだ。
急いでダカールに向かうとしよう。

ブランドンたちに別れを告げ、バスでセネガルの首都ダカールまで移動。
セネガルのバスはワゴン車を改造したミニバスが多く、座席が狭くて乗り心地はいまいちなんだけれど、それでも公共交通機関が存在しているというだけでありがたい。
辛い移動が多かったモーリタニアと比べると、まことに快適な楽ちん移動である。
道中の眺めも殺風景な荒野ばかりのモーリタニアとは違い、かなりの樹木が生い茂っている。
初めて目にするバオバブの木にちょっと感動。
いいねぇ、一段とアフリカっぽい景色になってきたではないか。

ダカールには5時間ほどで到着。
彼らが部屋をシェアしている宿は、一人部屋を取るとかなり割高になってしまうため、事前にネットで調べておいた比較的安めの宿に部屋を取った。
んで、すぐさま彼らの宿の方に出向いてみる。

ひょっとしたら病院の方に行ってしまっているかなとも思っていたけれど、幸い二人とも部屋にいたままだった。
とりあえず再会を喜びつつ、様子を尋ねる。
心配していたメグミちゃんの体調は、だいぶ回復に向かいつつあるらしく、結局病院にも行っていないとのこと。

マ「こんな物価の高いダカールで、ビザ取りしてない割りには結構長居してましたねぇ」
タ「それがさぁ、いざ出ようとすると、その度にメグミちゃんが体調崩しちゃってねー」
メ「道連れにしちゃってました」
マ「相変わらずだなぁ」
タ「一応、ゴレ島もアフリカ最西端の岬も見終わって、もういつでも出発できる状態なんだけどね」
メ「私も出たいのは山々なんですけど、熱がなかなか下がらなくて・・・」
そうは言いながらも、想像していたよりはずっと元気な様子で一安心。

少なくともマラリアの類ではなさそうだ。
詳しい症状を聞いて察するに、恐らくは強い日差しと気温の高い中で長距離のバイク移動をしたため、日射病と脱水症状のようなものが併発していたんじゃないかと思う。
その後は風邪と夏バテのような状態を繰り返していた模様。
聞くと、二人とも最近は食欲がなくてまともに食事を取っていないらしい。
オイオイ、そんなんじゃ体力が衰えていくばかりだぜ、無理してでも食べなきゃ・・・。

スーパーと市場に行き、コーラとヨーグルトとトマトを買ってきてあげた。
どれも精のつくものではないが、まずは食欲を回復することが先決だろう。
俺の経験上、炭酸飲料とトマトは夏バテによく効くし、ヨーグルトは食欲回復に効果があるはず。
日本人の中には炭酸飲料は身体によくないと思っている人も少なくないだろうが、インドでは腹を壊した時などに炭酸飲料に塩を入れたものを飲んで直したりする。
実際に試したことがあるけれど、これが意外にもかなりよく効くのだ。

その後はしばらく彼らの部屋で過ごしながら、お互いの今までの経緯を語り合う。
タカハシさんとは年明けにモロッコのメクネスで別れて以来、約3ヶ月ぶりの再会だ。
ほぼ同じようなルートを通ってきていることもあり、積もる話も多い。
話が落ち着いたところで、二人が妙なことを言い始めた。
タ「さてと、三人揃ったところだし、さくっと20年くらいやりますか」
マ「へ?」
メ「ですねー。ついでに私に取り付いているキングボンビーもマサさんになすりつけたいし♪」
マ「もしかして・・・」
タ「準備完了。えーっと、最初の目的地は青森!」
メ「はい、マサ社長の番です。サイコロ振ってください」
オイオイオイ、人が心配していりゃぁ、今まで部屋に引篭もって二人して「桃鉄」なんぞにはまってやがったのか!
マ「青森なら当然水戸経由だよな。6出ろ、そりゃ!」
って、俺もソッコー引きずり込まれている場合か!

ったく、楽しいからいいけれど、二人とも本気で出る気あるのかよ(笑)
タ「追いつかれちゃったことだしね、もう一二泊してもいいかな」
メ「ま、今さら焦っても何が変わるというわけでもなし」
さすがは南米長期旅行者組、ほっとくとすぐに沈没してしまうダメ人間っぷりが板についている。
俺はそんな彼らが大好きである。

Dakar2 夜は三人でバーに繰り出し、再会を祝してビールで乾杯。
セネガルはイスラム教徒が多い国だけれども、こうやって酒が気軽に飲めっるてのは嬉しいねぇ。
いや、俺自身はほとんど飲めないんだけどさ、こういう時くらいはパーっとやりたいものなんだよね。

さてさて、何はともあれ、無事に二人と再会できて本当によかった。
ダカールまでには追いつくという約束も果たせたことだし、これにて彼らとの「鬼ごっこ」も終了かな。
俺は旅券の更新手続きが終わるまでダカールを出ることはできないし、もしかしたらカーボベルデに行くかもしれないのだ。
たぶんこの先はもう彼らには追いつけまい。
タカハシさんには「キングボンビー」と化しつつある疫病神ライダーを引き連れていってもらって、俺はしばらくダカールでのんびりさせてもらうとしようかな。

モーリタニアからセネガルへ - 白人パーティーとの国境越え

Rosso1 ヌアクショットの宿で仲良くなった白人パッカーの何人かが、今日セネガル方面に向かうことになった。
俺も一緒に行くように誘われていて、ちと迷ったものの、やりたかったパソコン作業の半分ほどが片付いていたし、残りはダカールでの旅券再発行手続きの合間にでも仕上げられそうな気がしていたので、結局一緒に出発することにした。

モーリタニアからセネガルに入るには、ロッソという名の国境を通らなければならない。
特に問題なく通過している人が多いようだが、人によっては賄賂を請求されたりする、やや性質の悪い国境だ。
思うに、難易度としてはB級、中級者向けといった感じの国境だろう。

何事もなく通過できれば問題ないのだが、それはそれで少々味気ない気がする。
できれば中ボス級の敵が待ち構えてくれていると話も面白くなって、このブログのネタとしても使えるんだけどなぁ。
などと、ツレの白人たちには言わなかったが、内心密かにそんなことを考えていた。

今回俺がパーティーを組むことになった三人の白人パッカーは以下の面々である。
貧困国での援助活動をしながら100カ国以上の滞在経験を持つイギリス人のジョナサン(32歳)。
自称芸術家で、見るからに大人しそうな性格のフィンランド人アンディ(29歳)。
そして、俺とはもうすっかり仲良くなっていたアイルランド人大工のブランドン(42歳)だ。
この多国籍四人パーティーでロッソの国境を攻めるというわけだ。

みな験豊富な旅人だ。
中でも特にジョナサンはフランス語もペラペラで、ザイールやソマリアやアフガニスタンといった危険度の高い国々にも行っている。
自然と彼がリーダーのような役割をつとめることになった。
好んで前衛をつとめてくれるようなので、それなら俺がしゃしゃり出る幕もなかろう。
後衛としてたまに補助系呪文でも放ちながら、自分のHPは温存させてもらいましょうかね(笑)。
白人パッカーのお手並みを拝見するのも悪くない。

宿の近くでタクシーを捕まえ、中心地から6キロ南のロッソ行きの車が出る場所まで行く。
群がり寄る客引きたちをかわし、ロッソに行く車の運転手と話をつけ「ロッソまで荷物代込み一人1500ウギア」という地元人価格まで値切っていざ出発。
3時間後には国境の町ロッソに到着。
と、ここまでは極々順調に事が運んだ。

国境のセネガル川には橋は架かっておらず、対岸までは船で渡らなければならないらしい。
このところずっと砂漠地帯を旅していたせいか、水を湛える川なんて久々に見るような気がする。
モーリタニア側の税関は正午から午後3時までは閉まっており、俺らが着いた時にもまだ開いていなかったのだが、しばらくすると係官が出てきてパスポートを四人まとめて提出させられる。
ジョナサンが一人それに付き従って建物の中に入って行き、俺らは交代で荷物番をしながら、残りのウギアをセネガルの通貨であるセーファーに両替したりして過ごしていた。

3時になり国境が開き、ジョナサンが自分のパスポートだけ持って戻ってきた。
「一応、出国印は押してもらったんだが、出国税として一人1000セーファーが必要だ」とジョナサン。
他の二人は、しょうがないなぁといった顔をしていたが、俺はちょっと納得がいかない。
「払ったのかい?」
「ああ、俺の分はな。長いこと交渉して、ようやく四人で4000セーファーまで値切れたんだ。払わないとパスポートを返してくれないよ」
「ちょっと待てよ。俺の友人は何も払わずにここを越えているぜ。それにネットで調べてもみたけれど、モーリタニアの陸路出国で出国税がいるような話はなかったんだ。領収証もくれたのかい?」
「いや領収証はない」
「それなら賄賂じゃないか」
「払いたくなければ個別に交渉するしかないさ。1000セーファーなら2ドルもしない。大した額じゃないだろう。こんなうざったい連中がウヨウヨしている国境はできるだけ早く通過するに限る。とっとと川を渡ってサンルイ行きのバスを探そう」

気持ちは分からないでもないけれど、ちょっと焦りすぎなんじゃないか?
賄賂の金額が大したことなくても、そういうことが繰り返されると国境の役人どもも調子に乗るだろう。
後に続く他の旅行者たちのためにも、できるだけ払わずに済ました方が個人的にはいいと思う。

「払う必要ないって」という俺の忠告にもかかわらず、ブランドンとアンディは「1000ぐらいならね」と、とっとと払って自分たちのパスポートを返してもらっていた。
さらに、税関の入口には謎のチケット売りのオヤジがいて、それもジョナサンが四人分まとめてさっさと購入してしまった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。それ、なんの券だかわかって買ってるのかい?」
「地元の連中だってみんな払っている。港の使用税か何かだろ。それにたったの50ウギアだぜ!?」
細かいことにグチグチいうヤツだといわんばかりに、イライラした口調で叫ぶジョナサン。
いやね、金額のことはどうでもいいんだけどさ、もうちょっと心にゆとりを持とうぜよ・・・。

想像していたよりもずっと楽しませてくれる国境じゃないか。
こいつはジョナサンに任せきってしまうのはちとつまらないかもしれない。
段々と、俺自身のやり方でクリアしてみたい気持ちになってきた。

Rosso2税関の建物を抜け、国境係官の案内で川岸に出る。
俺のパスポートは依然その係官のオヤジの手に握られたままだ。
川には小さな木製の渡し舟が多数、それに車も乗せられる鉄製の大型渡し舟が一隻控えている。
係官のオヤジは俺たちを小船の方に連れて行き、一人の船頭のところに案内する。
「一人300ウギアだ」と、ご丁寧に船代まで係官が提示してくる。
ジョナサンたちはもう乗る気満々だ。

「マサも早く払ってパスポートを返してもらえよ。みんな揃わないと船に乗れないじゃないか」とジョナサンがせかす。
うーん、ここらが潮時かな・・・。
彼らの戦いぶりは見せてもらえたことだし、ここから先は俺なりのやり方で通させてもらうとしよう。
「ごめん。やっぱり俺は払う気になれないんだ。俺の事は俺自身でなんとかするから、悪いけどみんなは先に進んでくれ」
「あのオヤジの様子だと、そう簡単に返してもらえそうにないぜ」
「それならそれで、持久戦に持ち込むよ。俺はここで一泊二泊するはめになっても別にかまわんさ」
と、荷物を地面に置いて、どっかり腰をすえる俺。
他の三人はちょっと困ったような顔をしている。
「どうしても払いたくないのかい?」
「カネの問題じゃないんだ・・・。みんなはこんな場所はできるだけ早く抜けたいと思っているんだろうけれど、俺はね、国境越えはいつも楽しむことにしているんだよ。特にこの手のやっかいな国境は大好きでねぇ。うーん、わかってもらえるかな・・・。そうだ、コンピューターゲームに例えてみるとわかりやすいかもしれない。俺たちは今、モーリタニアの地域を終了して次のセネガルのステージに進もうとしているだろ?あのオヤジはその関門で待ち構える敵モンスターさ。ヤツを何とかしない限り先には進めない。賄賂で戦闘を避けるのも一つの手段かもしれないけれど、俺としてはもう少しこの戦いを楽しみたいのさ。上手くいけば経験値が入ってレベルも上がるかもしれないだろ?(笑)」
「ハハハ、そいつは面白い考え方だな」とブランドン。
「なるほどねぇ・・・」とジョナサンもうなずく。
そうこうしているうちに、オヤジは俺のパスポートを手にしたままどこかへ消えてしまった。

俺は小船ではなく大型渡し舟の方も気になっていたので、近くを通りがかったおっちゃんに聞いてみた。
すると、そっちはあと30分ほどで出るそうで、しかも先ほど買った港使用税らしきものがこの船のチケットだとのこと。
なぁんだ、それならわざわざ小船に乗る必要なんかないではないか。
他の三人もそれについてはあっさり同意して、みなで大型渡し舟で渡ることに。
んで、俺のパスポートの方はというと、船が出るまで粘っていたら、渋々顔で戻ってきたオヤジがあっさり返してくれた。
ま、そんなもんである。
彼らも払う気のないヤツをいつまでも相手にするほど暇ではないのだろう。

国境の川をこの船で越えている時に、サンルイの町に向かうという乗合いタクシーの運転手が寄ってきた。
例によってジョナサンが仕切って話をまとめ、一人1500セーファーでサンルイに行くことになった。
「これでセネガル側に着いたら、すぐにサンルイに向かえるぞ」とジョナサンたちは喜んでいたけれど、俺はまたなんとなく嫌な予感がしていた。
まだ国境越えも完全には終了していないというのに、そんなに焦らない方がいいんじゃないかなぁ・・・。

セネガル側に着くと、またもや係官にパスポートをまとめて持っていかれた。
ジョナサンと、さらに先ほどのタクシーの運転手が後に続く。
俺らはまたもや荷物番しながら出口で待機。
しばらく待っていたけれど、ジョナサンたちは30分経っても戻ってこない。
「また一悶着してるのかな」と心配になって見に行こうとした頃に、ようやく戻ってきた。
「ちょっともめたけれど、今度は何も払わずに入国印を押してもらえたぜ」
「そいつはよかった」と安心する三人。
「でも、その際にさっきの運転手がかなり手伝ってくれてね。その分の手数料として、サンルイ行きのタクシー代を一人1750セーファーじゃなきゃダメだと言っているんだ」とジョナサン。
「ま、タクシーなら探せば他にもあるだろう。バスだってあるはずだし。あの運転手にこだわる必要はないんじゃないかな」という俺の意見に他の三人も同意。

ところが、国境の先で待ち構えるタクシーはどれもみな値段が結構高め。
バスの方は午後5時まで出ないという。
先ほどの運転手はいつの間にかどこか消えてしまっている。
よくよく考えてみると、彼は運転手でもなんでもなく、単に外国人の国境越えを手伝って金だけ貰ってトンズラするセコイ類のヤツだったのかもしれない。
だいたい、セネガル側のタクシーの運転手がいちいち国境を越えてモーリタニア側まで客引きに出向くというのも妙な話だ。

Rosso3 日暮れ前にサンルイに着きたいというジョナサンは、またもや焦りを感じつつある様子で、先ほどの自称運転手を探してあちこち歩き続けていた。
そうこうしている間に、他のタクシーは全部出払ってしまい、結局はバスで行く選択肢しか残されていない状況に。
バスが出るまでの間、俺は地元のガキどもと写真を撮ったりしながら遊んで過ごしていた。
同じバスを待つ客の中にはオランダ人の若いカップルもいて、彼らの方は全く問題なく国境を越えてきたとのこと。
どうやら賄賂を求める役人はてっとりばやく稼ぐために、できるだけ大人数のグループを狙うらしい。
これからは面倒くさそうな国境はなるべく一人で越えることにしようっと・・・。

アフリカでは大抵そうだと思うけれど、バスは乗客が満員になるまで出ようとはせず、結局は7時頃になってようやく出発。
「5時に出るって言っていたのに・・・」
出発してからもジョナサンはぶちぶち文句を言っていた。
バスはジュッジ鳥類国立公園という、世界遺産にも登録されている場所の脇の道を通っているはずなのだが、残念ながらすでに暗くなっていたために何も見えず。

サンルイの町には夜10時過ぎに到着。
バスは本土の方に着いたのだが、この町の中心は橋を挟んで向こうのサンルイ島の方にある。
タクシーを使い、以前にこの町に来たことがあるアンディが薦める安宿に向かう。
そこの大部屋に泊まることにしてようやく落ち着くことができた。

四人ともかなりの空腹を感じていた。
揃って夜の町に繰り出し、バーでビールを注文。
近くのファーストフードからハンバーガーも仕入れてきて、みなで乾杯。
モーリタニアでは飲むことができなかったこともあり、久々の酒にみなほくほく顔だ。
「いやぁ、ようやく酒にありつけた」とブランドン。
「店が開いていてよかったよ。間に合わないんじゃないかと心配していた」とジョナサン。
・・・ひょっとして、こいつら酒が飲みたい一心で急いでいたのか?(笑)

StLouis1 酒には滅法弱い俺は、一瓶空けることもできずに早々に撤退。
他の三人はだいぶ遅くになって「おいマサ、レズビアンバーがあったぜ」などと言いながら宿に戻ってきた。
どうやらはしごしながら、女の子がいそうなバーを探していたらしい。
「黒人のレズビアン?女しかいなかったのかい?」
「いや、白人のレズだ。男も四人ほどいたけれど・・・あれはきっとゲイだな(笑)」とブランドン。
「レズじゃ、お持ち帰りしてもどうしようもないしなー(笑)」とジョナサン。
「明日はちゃんとした女の子がいるバーを見つけてみせます」今日はずっと大人しかったアンディまでノリノリだ。
・・・好きだねぇ、みんな。
俺は酒場女はどうも苦手な性質なので遠慮しておくとしよう。

さてと。
今日の国境ではいろいろあったけれど、とにかく無事にセネガルに入国できたわけだ。
今回の旅で56カ国目の国、レベルも56まで上がったことにしておこう。
この先には今までよりもずっと手強い敵が待ち構えていそうな気がする。
モロッコの土産物屋の親父クラスの雑魚では少々物足りないと感じていたので、強敵キャラは望むところ、いつでもかかって来いである。
・・・とは言うもののレベルの割りに戦闘能力が貧弱なので、実際に襲ってくるような敵からは尻尾巻いて逃げるしかないんだけどねー(笑)

おいてけぼりにされちまったぜよ^^;

Nouakchott4 モーリタニアの首都ヌアクショットにて、ブログの執筆や写真の整理などのパソコン作業に数日没頭。
そうこうしている内に、ダカール滞在中の旅仲間のタカハシさんとメグミちゃんからメールが届いた。

「待ちきれません」

あちゃ。
ちとのんびりしすぎてしまったか・・・(苦笑)

ダカールは物価が高い町なので、できれば彼らが周辺国のビザ取りを終了してダカールを出るぎりぎりぐらいで追いつこうと企んでいたのだ。
ところが、ビザについては彼らも俺と同じ考えだったらしく、結局ダカールではビザ取りを全くしてねーでやんの(笑)
追いついて、三人で乾杯したかったところだけれど・・・うーん残念だ。

ちなみに俺はダカールではビザ取りはしないけれども、旅券のページ数が足りなくなりつつあるため、その更新だけはしなくてはならないのだ。
更新手続きには少なくとも一週間くらいかかりそうだし、この先はもう追いつけそうにないなぁ。

ま、しゃーない。
急ぐ必要もなくなったことだし、こうなったらいつもの旅のペースに戻して、のんびりのほほんと進んでいくことにしよっかな。

タカハシさん、メグミちゃん、情報送ってくれてありがとうございました。
追いつけなくて申し訳ない^^;
二人とも道中くれぐれもお気をくださいませ。
もしまたどっかで沈没するようなことがあったら、出来る限り駆けつけるようにしますからねー!

ヌアクショットの快適宿

Nouakchott3 ヌアクショットで最初に泊まったユースの部屋は、狭くて小汚くて暑苦しくて、その上、夜になると蚊がわんさか襲ってくる。
幸い俺は蚊帳を持っていたため、そこそこ快眠できたけれど、連れのブランドンは蚊に悩まされてほとんど眠れなかったようだ。

そのブランドンが、翌朝早くからいそいそと街に出かけて行った。
何をしに行ったのかと思いきや、数時間後に他の宿を見つけて戻ってきた。
「マサ、あっちの宿のほうがずっと快適だ。荷物をまとめて今から移ろうぜ」
俺自身はこのままでもいいかなとも思っていたのだけれど、いい宿があるならその情報も押さえておきたかったこともあり、一緒に移ってみることにした。

彼が見つけてきた宿の名前はオーベルジュ・メナタ。
モーリタニアの安宿の例に漏れず、ここもキャンプ場で基本はテント泊だ。
比較的新しくできた宿らしくロンプラの最新版にも載っていないが、口コミで欧米人の間では有名になりつつあるらしい。
ヨーロッパ人のパッカーやライダーや、キャンピングカーで来ている人たちなどで結構賑わっていた。
優しげな感じのフランス人美人ねーちゃんが管理人として切り盛りしている様子。
大きな天幕の中に敷かれたマットでの雑魚寝なのだが(ちなみにやや高いが部屋もある)、夜はマットごとに蚊帳まで設置してくれるという。
台所も使えるし、お湯シャワーまである。
こいつは確かに居心地よさそうなところじゃないか。

ヌアクショットは物価が安い上にネット環境も整っている。
ブログやホームページの更新作業をするのにかなり都合のいい場所だ。
この先のダカールは物価が高いのはわかりきっているので、ここにいる間にできる限り作業をすすめておきたいところだ。
ちゅうわけで、このヌアクショットにてパソコン作業にいそしみながら、その後数日間のんびり過ごすことに。

ダカールで待っているという旅仲間二人のことが気にはなるけれど、彼らは周辺国のビザ取りのためにしばらくダカールに釘付けされていることだろう。
数日遅れたところで彼らがダカールを出る前には追いつけそうだ。
ちなみに、俺自身はダカールでビザ取りをするつもりはあまりない。
西アフリカを旅する人の多くがダカールで周辺国のビザを取ってから動き始めるのが普通のようで、俺も最近までそれが当然なんだと思っていた。
ところが、ネットで詳しく調べてみると、わざわざ滞在費の高いダカールで取らなくても、途中の町や国境で取れるものがほとんどなのだ。
その方がビザ代そのものもダカールで取るよりも安い場合が多い。
ダカールでまとめて取ると、国によってはビザの有効期限の関係からいついつまでに入国しなければならない等の制約ができてしまう。
短期旅行者ならともかく、のんびり屋の俺としてはそういう時間制限つきの旅はできるだけ避けたいのだ。

宿の滞在者はほとんどがフランス人で、残りは他のヨーロッパの国から来ている人たち。
フランス語しか話さないフランス人たちと、英語で会話するその他の人たちで、自然とグループが出来上がっていた。
俺はブランドンと一緒に英語の連中とつるむことが多く、みんなでメシを食べに行ったり、パソコンで旅の写真を披露したり、世界各地での旅の話で盛り上がったりしていた。

こういう宿にたむろする欧米人といえば、他人の迷惑を顧みずにバカ騒ぎをする連中が多く、不快な思いをさせられることが少なかった。
ところが、たまたまかもしれないけれど、この宿の連中はホントに気持ちのいいヤツが多い。
西アフリカなどという、世界的にみてもマイナーな地域にいるだけあって、すでに他の地域もかなり周っている経験豊富なパッカーが多い。
そんなツワモノ系の連中が、みな大人しく静かに過ごしているのだから、不思議な気がするくらいだ。
一つには、この国では酒が手に入りづらいという点があるのだと思う。
ブランドンと一杯やりたくて、ビールかワインを売る店を探してみたものの、結局見つけることができなかった。
みな「酒飲みてぇなぁ」と口々に言いながらも、コーラで我慢しているところが可愛いらしい。
もう一つには、アメリカ人・イスラエル人・ドイツ人など、ヤカマシ系の人種がいないというのがあるかもしれない。
腐るほどいるフランス人たちの中には高慢で鼻につく連中がいないこともないけれど、近寄らずにほうっておけばそれほど害はない。

そんなわけで、ここヌアクショットでは彼らとともにとても楽しい数日間を過ごすことができた。
中南米では欧米人系の溜まり場宿はあえて避けるようにしていたし、モロッコでは個室ばかりで他の旅人と出会う機会が少なかったのだ。
今まで日本人とばかりつるんでいた俺だけれど、西アフリカには日本人旅行者も数少ないことだし、これから先はこんな風に白人パッカーとつるむ機会も少なくなかろう。
欲を言えば若い美人のねーちゃんと共連れにでもなりたいところだけれど、そうそう美味しい話は転がっていないようで、今のところ出会うのはいい歳こいたオヤジばかり。
うーむ・・・。
ま、この際だから、ホモでない限りは許してあげるとしましょうかね(笑)

ヌアクショットへの道 - 超幸運な移動日

Nouakchott1 ウアダンからアタールに戻ってきた後、この町でもう一泊ゆっくりして疲れを癒すのも悪くないと考えていた。
ところが、先行してセネガルにいるはずの旅仲間の二人と連絡を取りたくて町に一軒だけあるネット屋に行ってみたら、器械の故障でしばらく休業するとのこと。
彼らと連絡を取る以外にも、ネットを使って早めに調べておきたいことがいくつかあるんだよなぁ・・・。
午前中を宿でのんびり過ごしながら、今日中にヌアクショットまで行ってしまおうかどうか悩んでいた。
首都のヌアクショットには安くて速い快適なネット屋があるらしいのだ。
電脳パッカーの俺としては、休養を取るにはネット環境が整っている場所の方が何かと都合がいいんだよねー。

よくよく考えてみると疲労はめちゃくちゃたまっているわけではない。
ヌアクショットまでは6~7時間くらいらしいし、そのくらいの移動なら何とかなりそうかな。
てなわけで、思い切ってヌアクショットに向かうことに決定。

荷物をまとめて昼頃に町に出る。
ヌアクショット行きの車を探す前に、顔なじみのモロッコ人のオヤジが経営する安食堂のサンドイッチで腹ごなし。
ここのサンドイッチは安い上にボリューム満点、ソースにからめた炒め玉葱と揚げポテト入り、味も上々でかなりのお気に入り。
アタールではほとんどこのサンドイッチばかり食べていて、この町での最後の食事もここにしようと前から決めていたのだ。

そのサンドイッチを食べている最中に、同じ食堂で食事中の数人のモーリタニア人のおっちゃんの一人から話しかけられた。
「君は日本人だろう?荷物を持っているところを見ると、もしかしたらこれからヌアクショットに行くのかい?」
「うん、そうだよ。車はまだ見つけてないけどね」
「それはちょうどよかった。おっちゃんたちは今、日本人団体客の車の運転手をしているんだ。ほら、あそこに車が停まっているだろう?」
おっちゃんが指差す場所にはトヨタの四駆車が5台並んでいた。
「彼らはあそこのレストランで食事中なんだけれど、食事が済んだらヌアクショットに向かうんだ。荷台には余裕があるし、ヌアクショットまで乗せてあげられると思うよ。彼らが出てきたら話してごらん。同じ日本人なんだから問題ないだろう」

おぉ?そいつはちょっと美味しい話なんじゃないかい。
ここからヌアクショットまでの移動費の相場は3000~4000ウギアくらいと聞いている。
日本円にして1500円前後、もしそれが浮くなら正直言ってありがたい。
ダメ元で頼んでみるのも悪くないかもな・・・。
どでかいサンドイッチをゆっくり食べながら、団体さんたちがレストランから出てくるまで、とりあえず待ってみることにした。

と、そこに、シンゲッティから戻ってきたばかりの様子のブランドンが登場。
「おー、マサ!元気だったか?お前は会うたびにいつも何か食べているヤツだなぁ(笑)」
「この暑さの中、ちゃんと食べておかないと体力が持たないからねぇ」
彼も同じサンドイッチを注文。
食べながら、お互いのこの数日間のことを報告しあう。
「シンゲッティでのラクダツアーはどうだった?」
「初日は天気もよくて最高だったんだけどね、その日の宿泊地のオアシスに着いたらフランス人の団体がうじゃうじゃ来ていてさ。2日目の昨日はまるでパリにでもいたような気分だったよ。ウアダンの方は?」
「超のつくド田舎だったねぇ。でもそのせいかシンゲッティより人が親切でよかったよ」

話している最中に日本人団体の人たちがレストランから出てくるのが見えた。
「ところで、ブランドン、今日はアタールに泊まる予定かい?」
「ああ、そのつもりだ。明日にはヌアクショットに行くつもりだけどね」
「あそこに日本人団体がいるのが見えるだろう?彼らはこれからヌアクショットに向かうらしい。んで、俺は今から彼らの車に乗せてもらえるように交渉してみるところなのさ」
「ほー!同じ日本人だしな、絶対乗せてくれるだろう。ラッキーだな!」
「そこで、どうだい、俺と一緒に行く気はないかな?上手くいけば15ドルくらい浮くぜ」
「ふむ・・・それは確かに美味しい話かもしれない。でも・・・ちょっと気が引けるな。一人ならまだしも二人分頼んだら断られる可能性だってあるだろう?」
俺はブランドンのこういう控えめな性格が大好きだ。
「俺自身がダメ元で頼んでみる話なんだよ。乗せてもらえるようなら一緒に行っちゃおうぜ」
「そうだな・・・本当に乗せてもらえるならありがたい話だ」
「よし、決定!ちょっと待っててくれ!」

ブランドンを後に残し、車に乗り込みつつある日本人団体の人たちに歩み寄る。
50代から60代くらいの人たちからなる10数人の団体のようだ。
「こんにちは!日本人の方々ですよね?こんなほとんど観光客もいないような所で、珍しいですね。僕なんかこのところずっと日本人には会っていないんですよー」と、まずは気軽にご挨拶。
「アンタも日本人?こんな所で一人で旅行してるの?ほぉー!」
予想はしていたけれど、かなりびっくりしているご様子。
「えぇ?もう3年も旅行してるの?一度も日本に帰らずに??」
「ええ、恥ずかしながら放浪中の身なんです」
「そりゃまた凄いね。おい聞いたか、3年だってよ」
何人かが集まってきて、しばらく質問攻めにあう。

頃合を見計らって本題を切り出してみた。
「・・・実はですね、先ほど運転手さんからみなさんがこれからヌアクショットに行くと伺ったのですが、もしご迷惑でなければ荷台で構いませんので乗せていただくわけにはいかないでしょうか・・・?」
「ご迷惑もなにも、俺たちは全然構わないさ。添乗員さんさえオーケーなら、なぁ?」
まだ20代にも見える若い男の添乗員さんも丁度レストランから出てきたところだった。
「添乗員さん、あつかましいお願いなのですがどうでしょう?」
「そうですね、みなさんの車なので、みなさんさえよろしければ・・・」
やったね♪
ブランドンを振り返り、オーケーサインを送る。

一台の車の荷台に空きスペースを作ってもらい、いざ出発。
荷台の上でブランドンが感心したように言う。
「オジギって生で見るのは初めてだったよ。効果あるんだなぁ」
俺が日本式にぺこぺこ頭を下げていたのが面白かったらしい。
「ブランドン、アンタは昨日パリにいたって言ってたけど、今日はトーキョーだな(笑)」
「ハハハ、違いない(笑)」

アタールとヌアクショットを結ぶ道は、日本の援助でできたという立派な舗装道路が走っている。
5台のトヨタの隊列は時速100キロ以上は余裕で出しながらひたすらすっ飛ばす。
この速さなら5時間くらいでヌアクショットに着きそうな勢いだ。

途中で何度かトイレ休憩を挟む。
休憩の間に話を聞いてみたら、彼らは18日間の行程で、西アフリカのいくつかの国を回っているらしい。
数日後にダカールからイタリア経由で日本に戻るところだとのこと。
「もう疲れちゃってね。日本に早く戻りたいよ。アタールのホテルじゃ、お湯すら出なくてねぇ・・・」
この辺りの国じゃあ、高級ホテルといえどもまともな設備が整っていないものが多いのだろう。
見るからに疲れている様子の人たちも少なくない。

日程から察するに、観光よりも移動にかける時間の方がずっと多いのだろう。
この広大な地域を周る上ではしかたがないとはいえ、単調な移動が多い日々では、退屈な気分なりがちなのかもしれない。
そんな最中での、俺らのような珍客との出会いに、みな心から喜んでくれているようだ。
トイレ休憩の度に、何人かが代わる代わるに俺のところにやって来ては、日本の食べものや薬などをたんまりと持って来てくれた。
「私たちはもうすぐ日本に戻るんだから、いいから貰っておきなさい」
断りすぎるのも失礼かと思い、結局そのほとんどをありがたく頂いてしまった。
梅干に、日本茶に、わかさぎの甘露煮まで・・・。
正直な話、めちゃくちゃ嬉しいものばかりだった。
中にはお金までくれる人がいて、さすがにちょっと困ったんだけれど、結局それも強引に受け取らされてしまった。

「アナタは将来は何になるつもりなの?」おばあちゃんの一人がにこやかに問いかける。
「将来ですか、えっとですねぇ・・・」
「おばあちゃん、そういうことは聞かないの。今は自分探しの旅の最中なんだから」と隣のおばさまが代わりに答える。
え、いやその、別に自分を見失ってるわけじゃないし、将来設計もいろいろと考えてなくもないのですが・・・ま、いっか(苦笑)
「そうかい、そうかい。大変だろうけど、頑張るんだよ。身体にだけはくれぐれも気をつけて。このお守りもあげるから持って行きなさい」

荷台に戻り、再び進む車の上でブランドンが茶化す。
「移動費の15ドルが浮いた上に、食料たっぷり貰って、挙句の果てに○○ドルまで稼いだってのかい?信じられない話だなぁオイ!」
「断りきれなかったんだよぉ」
「会ったばかりだってのにな。俺らヨーロッパ人じゃホント考えられない。・・・いや、正直すごいと思うよ」
「日本人の中でも結構お金持ちの人たちなんだと思う。さっきあの添乗員から彼らのツアー料金を聞いたんだ。約100万円って言っていたから・・・えっと、ユーロにすると7000くらいかな」
「7000ユーロ?18日間で??」
「俺らならアフリカで2年近くやっていけるぜ」
「だな。いやはやなんとも・・・」
「この貰ったカネで、ヌアクショットでビールでも買ってパーっとやろう。こういうお金は一人で使いたくないんだ」
「それはマサにくれたんだから、俺が使うわけにはいかないよ。大事に取っておいて、宿代の高いダカールなどで滞在費の足しにするといい。エアコン付きのいいホテルに数泊はできるんじゃないか」
ったく、相変わらず遠慮しがちなヤツだなぁ・・・。
「それにしても、こんな楽ちんな移動はモーリタニアに来て初めてだよ」
「確かに。今日は本当にツイている。それもあそこで偶然マサに会えたお陰だ」
「俺だって、たまたまネット屋の器械が故障していたから出る気になったんだ。そうじゃなきゃ今頃はアタールでのんびりしていたところさ。偶然の巡りあわせってヤツだな」

Nouakchott2 猛スピードで飛ばしていたため、日暮れ前にはヌアクショットに到着。
二人で何度もお礼をいって、彼らと別れる。
別れ際にも、また薬やらお金やらを頂いてしまった。
うーん、本当にいい人たちだ・・・。

車は彼らのホテルの前で停まったのだが、幸いにも俺らが目指す安宿はそこからほんの数ブロック先にあった。
小汚いユースだったが、他の宿を探すのも面倒なのでとりあえず投宿。
ネット屋に行ってメールを見ると、旅仲間二人から「ダカールで待ってます」とのメッセージが。
このところ移動の連続だったので、ここらで少々のんびりしたいところだったけれど、しゃーない、ちょっとは先を急いでみようかな。

アフリカの微笑み

Ouadane1 砂漠に埋もれかけた町シンゲッティと、さらに砂漠の奥地にあるウアダンの遺跡を訪れ、数日振りにアタールの町まで戻ってきた。
今回の旅では、田舎へ行けば行くほど、人の笑顔がどんどん素敵になっていくのを強く感じた。
最初は話しかけづらい雰囲気すら感じていたのだけれど、彼らとの間の垣根は意外と簡単に取り外すことができた。
モーリタニアに来てからキツイ移動の連続を強いられてはいるけれど、厳しい自然環境と素朴な暮らしの中でたくましく生きている彼らの姿にとても勇気付けられる思いがした。


さらに美味しい発見が一つ。

アフリカ、長髪、モテモテ。
砂埃にまみれる長距離移動のごとに、真っ白ごわごわ、その都度洗ったり梳かしたりに時間がかかり、もう面倒だからばっさり切ってしまおうかとも思っていたのだけれど、この長髪は非常に便利な武器になることに気がついた。

Chinguetti6 こっちの人たちは縮れ毛で短毛なので、直毛の長い髪の毛はとても珍しがられる。
特に女性からはものすごく羨ましがられる。
「特別なオイルでも使っているんでしょ?」とか
「どんなシャンプーなの?私にもわけてよ」とか。
「ウチの娘を貰っておくれよ」なんていうおばちゃんまで。
その娘さんもまんざらではないはにかみ方で見つめてくる。
うーん、いい所じゃないか、アフリカ♪

人の写真の撮り方のコツもつかめてきた。
最初から「写真を撮ってもいいですか?」と求めても、嫌がる人の方が圧倒的に多い。
まずはしばらく一緒に話したり遊んだりしてから。
次におもむろにデジカメを取り出して、まずは自分自身の写真を撮って表示画面で見せてあげる。
デジカメでこそ可能な便利な技だ。
そうすると、もう興味津々。
終いにはもう勘弁してくれっていうくらい、うじゃうじゃ集まってきてはみな撮って欲しがってくる。

Ouadane5 ガキどもの無邪気っぷりもかなりのものだ。
学校帰りの子供たちと遊ぶ機会があったのだが、もう有名人にでもなったかのようなもてはやされぶり。
こっちが空手の型でも見せようものなら、蜘蛛の子をちらすように200メートルくらい先までキャーキャー言いながら逃げて行き、すぐにまたキャーキャー言いながら寄ってくる。
ノリのよさが南米の比ではない。
愉快なところだ。

どうやら俺もこのアフリカという大陸にかなり惹かれ始めてきたようだ。
さくっと抜けるだけのつもりでいたけれど、しばらく腰を落ち着けてじっくり見て周るのも悪くはないかもしれないな。

ウアダン - 滅び行く町の片すみで

Ouadane2 モーリタニアで一番有名な観光地であるシンゲッティを見終えた後、もう首都のヌアクショットを目指してもよかったのだが、できることならついでに立ち寄りたい場所がもう一つあった。
シンゲッティと一緒に世界遺産に登録されているウアダンの遺跡だ。

シンゲッティからさらに120キロ奥にあるウアダンは、12世紀から16世紀にかけて栄えた町だ。
シンゲッティと同様に、ラクダの隊商で内陸に塩を運びマリ王国のトゥンブクトゥで金と交換する塩金交易の中継都市として繁栄。
16世紀にモロッコのサアード朝がこの地に勢力を伸ばしてからは衰退し、現在では完全な廃墟と化しているらしい。

シンゲッティからウアダンへは、定期的に行き来する車がないため、通常は一度アタールの町に戻ってからウアダン行きの車を探す必要があるのだが、面倒だし費用もかかる話だ。
できれば直接行きたかったので、シンゲッティでは地元の連中にダメ元で声をかけまくりながらウアダンに行く車を探し続けていた。
地元の人たちは「無理無理。誰もウアダンには行かない。アタールに戻った方が早いぜ」とおっしゃる人ばかり。
うーん、やはりどうしようもないのかなぁ、と半ば諦めかけ、一応アタール行きの車も押さえておいた。

結局、ウアダン行きの車を見つけられないままシンゲッティの初日が終了。
翌朝アタール行きの車が宿までやってきて、運転手のおっちゃんに乗るかどうかを問われる。

「うーん・・・ゴメン、やっぱりアタールに戻るのはできれば避けたいんだ。ウアダンに続く道の分基点はここから16キロくらい戻った場所だよね。そこまでヒッチハイクで行って、そこから先の車を探すようにしてみるよ」
「滅多に車の通らない道だぞ。アタールからウアダンに行く車だって、一日一本あるかないかだ。本気か?」
「ま、なんとかなるっしょ。インシャアッラーさ」
「ったく、しょうがねぇヤツだな。よし、俺がなんとかしてやろう。俺の車は今日これからアタールに行くけど、アタールでウアダンに行く連中を集めてみる。明日の朝8時にまたここに来てやるから、待っているといい。ウアダンまで2000ウギアで乗せてやる。悪い話じゃなかろう?」
「マジで??そいつはメチャクチャ助かる!!ありがとう!!!」

アタールに戻りウアダン行きに乗り換えた場合、おそらく3000ウギアは余分にかかっていただろう。
アタールですぐにウアダン行きが見つかる保証もなかったし、こいつはホントにおいしい話だ。
宿のオヤジや、同宿でこれからラクダツアーに向けて準備中のフランス人たちは、俺がずっとウアダン行きを探していたのを知っていたので、みな口々に「よかったな!」といってくれる。

んで、翌日。
約束通りに8時には支度を整えて待っていたのだが、9時になっても10時になってもいっこうに車は現れない。
ひょっとしてからかわれただけなのかな?と半ば諦めかけていたら、11時頃にようやく到着。

「今日はもう来ないかと思ったよ」
「悪い悪い!さ、すぐに出発だ。荷台でかまわんだろ?」

荷台に揺れられる移動にも、もう十分身体が慣れていた。
しかも今回は乗客が少なくて荷台は俺一人の独占状態。
横になってしばらくうたた寝できたほどの楽ちん移動であった。

座席の方に一昨日シンゲッティで出会ったイギリス人のオヤジが一人、地元の人たちに混じって座っていた。
すでに50を越す高齢パッカーで、経験豊富なツワモノ系。
話し振りが皮肉屋っぽくて、あまり好きになれないと感じていた人だ。
彼とは途中の休憩時にまた少し話す機会があった。

「荷台でいくら払ってる?」と、ダクという名のそのオヤジが聞く。
「2000ウギアだよ」
ちなみに1ユーロが300~320ウギア。
「俺はアタールからだけど、5000払っていてね」
「5000?それはちょっと多すぎるんじゃ・・・アタールからなら荷物代込みで高くても3000が相場だって聞いたぜ」
「それが話が違うんだ。この新道ではなく、シンゲッティから東へ直行する昔の道を通って行く契約だったはずなんだ」
「その道については俺も知ってる。確か、砂丘の中をラクダで4日はかかるっていう道だろ?」
車でも行けるものなのか・・・?
そんなこと考えてもいなかったけれど、車で行けたとしても、それなら逆に5000は安すぎる話のような気がする。
ラクダなら食事込みだけど、1日20ユーロとして20×4×300=24000ウギアはかかる計算だ。
そもそもそっちが車ではまともに走れないから、こうして新道ができているんだろうに。
「とにかくこれは契約違反。ウアダンに着いたら運転手と話をつけるてカネを返してもらうつもりなんだけど、悪いが君、話がこじれたら協力してくれないか?」
「え・・・?いや、まぁ、別にいいけど・・・」
「契約を守らないとどうなるか彼らに思い知らせてやる。アタールに戻ったら警察にも報告しなければならない」
そう言って、ダクは車のナンバーをメモっていた。

契約ねぇ・・・。
どうも本気で言っているようにしか見えないけど、イギリス人ってそんなセコイこと言う人種だったかなぁ。
変人系のイギリス人も何人か知っているけれど、カネのことでちまちま揉めるようなヤツは少なかったと思うぞ。
ひょっとしてユダヤ系なんじゃないかと邪推したくなる。
ま、どうでもいいけどね。

ウアダンの遺跡は小高い丘の斜面にあり、丘の上には村人が暮らす居住区がある。
車は丘を駆け上り、とある宿の前で停車。
シンゲッティの時と同様、そのままその宿にお世話になることにした。
ダクのオヤジも同じくそこに泊まるようだ。

ダクは運転手のおっちゃん相手に仏語を駆使しての交渉を開始。
最初は「はぁ??」状態だった運転手のおっちゃんも、次第に彼が何を訴えているか理解できたようだ。
「契約って誰と誰の?」と運転手。
「俺と、この車を紹介したアタールのモーリタニア人さ。ウアダンまで別の道を通る約束だったのに、その話を聞いてなかったのか?」とダク。
「何か紙に書いた契約書でも?」
「いや、契約書はない」
「口約束だけ?」
「そうだ」
運転手と傍で見ていたモーリタニア人たちから嘲笑が漏れる。

俺はちょっと可哀相だなと思いつつも、「悪いなダク。協力してあげたいのは山々なんだけど、俺自身彼らとの揉め事はできれば避けたい。ここから脱出するのにまた彼ら手を借りなければならないだろうしね」と、あっさり中立宣言。
「大丈夫、俺は問題ない。アタールの警察に報告すれば困るのは彼らの方さ」
・・・ま、好きにするがいいさ。

カネ返しの交渉を続けるダクを横目に、俺は宿のおっちゃんからの茶のもてなしを受ける。
儀礼の3杯をありがたく戴き、4杯目を慇懃に断ってから、いざ遺跡の方に向かってみた。

現在の居住区に近い地域には人の住む家も残っているが、遺跡の中心に近づくにつれ、ほぼ全ての建物が半壊もしくは全壊状態になっている。
まるで大きな地震に襲われた後のようだ。
早急に保存修復が必要だといわれている遺跡だが、ここまで崩れていると何十年かかることやら。
少なくとも現時点では何らかの対策が取られているようには見えない。

遺跡には裏から入り込んだ形になり、丘の上から中心部を下り降り、表門の方に辿り着いた。
遺跡は小さな城壁に囲まれ、その外辺には椰子の木が茂るオアシス。
入口近くにある古いモスクの塔に登り、遺跡や周囲の光景を楽しむ。

Ouadane3丘は二つの大きな枯れ河が合流する地点にある。
今では完全に砂漠と化している枯れ河だが、数万年前は豊富な水を湛える大河だったという。
目の前に広がる砂の世界からは想像もしがたいが、当時は像やキリンやライオンがのし歩いていた緑豊かなサバンナだったのだ。
目を閉じて、心静かに太古の光景を思い浮かべてみた。

当時は石器時代だ。
サバンナの大地で石鑓を片手に獲物を追う黒人の狩猟民。
1万年前からはサハラの広がりとともに獣も人も姿を消す。
北からベルベル人たちがラクダとともにやってきたのは3世紀。
広大なサハラの各地を結ぶ交易路は時とともに徐々に増え続け、7世紀からはイスラム教もこの地に根付き始める。
このウアダンが栄えた時代はその後だ。
人が集まるにつれて町は規模を増し、この地方での中心的な交易都市として発展したのだろう。
モロッコ人に通商路を奪われて以後衰退。
そして今、目の前には役目を終えて静かに死を迎える町の姿がある。
瓦礫の山の中でわずかに町の形を残す遺跡が砂漠の熱い風に吹きさらされていた。
往く河の流れは完全に絶えちゃっているけれど、諸行無常、栄枯盛衰、悠久の時の流れを感じさせてくれる場所である。

夜はダクを誘ってクスクスを食べに行った。
いけ好かんヤツではあったが、飯は一人より誰かと一緒の方が美味いしね。
ウアダンは電気もないような寒村で、村には食堂も一軒しかなさそうだった。
たいした料理にはありつけないだろうと思っていたのだけれど、ここのクスクスは素朴ながらもとても家庭的な味がした。
モーリタニア滞在中に食べた食事の中で一番美味しかったと思う。
食堂では村のにいちゃんたちが俺らの周りに群がってきて、ダクは彼らと一緒の写真を撮ったりしていたのだが、その写真を欲しがる彼らとダクのやりとりがちょっと面白かった。

「誰かEメールアドレスを持っている人はいる?」と訊ねるダク。
こんな田舎では当然かもしれないが、誰もそんなものは持っていない。
それ以前にEメールとは何かを説明するのにかなりの時間を要した。
「しかたない。ロンドンに戻ってから印刷して、ここの住所に送ってあげよう」
ところが、今度は「住所」の概念すら理解できない様子。
そもそもデジタルカメラの仕組みもよくわかっていない人たちなので、「印刷」という話についてもダクは身振り手振りを交えて「パソコン」と「プリンター」が必要だということを一生懸命説明していた。
とりあえず「住所」が何を意味するかはわかってもらえたようだが、みな「ウアダンだ」と言うのみ。
さらに、この村には郵便局も存在していないということも判明。
頭を抱えて苦笑するダク。
と、そこに父親がヌアクショットに住むという青年が一人。
「それはいい!そこの住所があれば解決だ!」と喜ぶダク。
ところが彼は両親の電話番号しか知らないようだった。
ダク、再びガックリ。

何か他にいい方法はないものかと思案を繰り返すうちに、他にも村人がどんどん集まってきて、そのうちの一人がアタールの郵便局に私書箱を持っていることが判明。
そこに送ることでようやく話がまとまった。

Ouadane4「いやはや、なんとも・・・。似たような事は今までにもあったけれど、今回のが一番手間取ったよ。俺は撮った写真は頼まれれば必ず送るようにしていてね。考えてみろよ。もしその写真がちゃんと彼らの元に届いて、いつかまた俺がこの村に訪れることがあったあら、その時は彼らとは生涯の友人になれる」
彼は俺よりもずっとまともな仏語を話せるのだが、それでも複雑な会話にはかなり苦労しているのがわかる。
使える言葉を総動員して一生懸命説明していた彼の姿に感心させられた。
意外といいヤツなのかもしれないな・・・。

その後ダクとはアタールに戻るまで共連れとなり、その間俺のモロッコ情報と彼の西アフリカ情報を交換したりしながらずっと話していた。
国元の同世代の友人たちは、みな家や車を持ち普通の家庭を築く人たちで、50を過ぎても独り身で旅を続ける彼は半ば変人扱いされているようだ。
それに対する不平不満を何度となく聞かされた。
「旅を終えて帰国して、友人たちに会って話しても、5年の旅がわずか5分で終了さ。後はサッカーだの車だの年金だのの話になる。いい車を持てば女もできるとヤツらは言うが、俺は車に釣られるような女はゴメンだね。そうは思わないか?」
「気持ちは分からんでもないけど・・・まーいいじゃん。人それぞれ幸せの形は違うものだと思うよ。少なくとも俺はいつどこでくたばっても『いい人生だったな』って言える自信があるぜ」


旅や人生に対する考え方はまるで違うし、相変わらずアクの強い話し振りを続ける彼だったが、地元の人との付き合いは俺よりずっと上手にこなしていた。
旅行に便利な仏語の単語もかなり教えてもらうことができたし、いい意味でも悪い意味でもとても勉強になったと思う。
西アフリカでは旅行者自体の数が少ないので、今まであまり突っ込んで話すことの少なかった欧米人旅行者とも付き合う機会が多そうだ。
いけ好かない連中が多いので敬遠することが多かったけれど、これからはもう少し積極的に話しかけてみるとしようかな・・・。

シンゲッティ - 砂漠に埋もれかけた町

Chinguetti1 昨日の列車移動に疲れて休養を決めたブランドンをキャンプに残し、俺はシンゲッティ行きの車を探す。
シンゲッティはアタールからさらにサハラ砂漠を100キロほど奥に行った辺りにある、世界遺産の町だ。
イスラム世界では7番目の聖地に数えられる場所で、最盛期には12のモスクと25の神学校があり、2万人の人が住んでいたという。
当時は主要交易品である塩を満載した3万頭ものラクダの隊商が、砂漠の中を数十日かけてモロッコ・セネガル・マリ方面との行き来をしていたのだが、その交易の中継都市として繁栄していたようだ。

アタールの町で何度か通って顔なじみになっていた安食堂のモロッコ人親父が親切に案内してくれたお陰で、シンゲッティ行きの車は簡単に見つけることができた。
トヨタのピックアップトラックだ。
乗客は助手席におばちゃんと子どもが一人、その後ろの席には4人のフランス人旅行者、さらに後ろの荷台に現地人が俺を含めて5人という構成。
いや、もとい、俺を除いた現地人が4人・・・いや、それもちょっとおかしい、現地人4人に俺一人という構成だ。ふぅ。

アタールを出た車は、荒野の中のダートの道を100キロ以上のスピードを出して駆け抜ける。
ちょっとした峡谷をなす峠を越え、さらに東へとすっとばす。
昨日シュムからアタールに行く際に乗った車では荷台の乗客が多くてまともに座る場所もなかったのだが、今回は荷物の上にかけた網の上に悠々と座っての楽ちん移動。
荷台より車内の席の方が当然値段が高いのだが、中の狭い座席にぎゅうぎゅう詰めにされるよりは荷台で風に吹かれている方がよっぽど気持ちがいいと思う。

スピードを出しすぎていたせいか、車は途中でパンクしてしまう。
よくあることらしく、乗客の現地人たちも手伝ってあっという間にタイヤ交換。
その後は問題なく、2時間半ほどでシンゲッティの町に到着。

Chinguetti5車はローズ・ドゥ・サブレという宿の前で停車。
宿は他にも結構ありそうだったが、手っ取り早くここに泊まることにした。
宿といってもまたもやキャンプ場。
どうやらモーリタニアではテント泊が基本らしい。
テントといっても登山者たちが使うようなものではなく、砂漠の民が使う天幕が敷地内にいくつか設置されてあって、絨毯敷きの内部に数人分のマットが置かれている。
中は意外と広々としていて居心地も悪くない。

モーリタニアでは客人に茶を振舞う伝統がある。
砂糖たっぷりの甘い紅茶だが、じっくり煮出すので緑茶のような苦味も強い。
小さなグラスに注がれたその紅茶を客人は3杯目までは断ることなく頂くのが礼儀だそうな。

この宿でも滞在中に何度も茶を運んできてくれた。
それが散策から一休みしに戻った時とか、シャワーを浴びた後など、いつも絶妙なタイミングで持ってきてくれる。
日本の茶道の精神に通じるものがあるような、さりげない心遣いがとても嬉しい。

Chinguetti3宿は村の入口の新市の方にあり、世界遺産の旧市街地区は幅数百メートルの巨大なワディ(枯れ河)を挟んだ向こう側にある。
新市街といってもどの辺が「新」なのかわからないほどにボロボロで鄙びた町なのだが、それはともかく旧市街の散策に出かけてみた。

石版を積みあげただけの簡素な造りの 家々が互いに連なり町をなしている。
結構人が住んでいる地区もあるようだが、大半の場所は廃墟というか遺跡というか、壁石が崩れ落ちまくり、風化するにまかせているかのようだ。
この町の周囲には広大な砂丘が広がっているのだが、そのうち町ごと砂に埋もれてしまいそうな気もする。
住居と同様の石造りのモスクがあり、塔からアザーン(祈り)の声が流れていた。
ここのアザーンは調子が速く、独特のコブシのきかせ方をしているのが印象的だった。

Chinguetti7モスクの近くには中世の図書館がいくつか残されている。
最初は全部閉まっていて入れなかったのだが、夕方また覗きに行った時にはフランス人の団体客が来ていて、一緒に見学することができた。
ベルベル人のガイドのおっちゃんは流暢なフランス語を使い、まるで講談師のような口調でシンゲッティの歴史や逸話を説明する。
さらに、木の棒に鉄釘を打ち付けて作られた特殊な鍵や、貴重な古文書の数々を見せてくれた。
古文書の多くは単純に箱に入れるだけの形で保存されている。
色褪せ、朽ち果てるままにされているかのようにも感じる。
ユネスコももっとちゃんと保存できるように何らかの対策を講じた方がいいんじゃないかなぁ・・・。

Chinguetti4 砂丘の方にも出かけてみた。
町の外れに出れば、そこから先はどこまでも果てしなく続く大砂丘。
美しい砂の大地が優雅な曲線を描き、肌色に輝く大海原をなしている。
規模でいったらモロッコのメルズーガのものよりずっと広いようだ。

この地を訪れる旅行者は遺跡よりもこの大砂丘でのラクダツアーを楽しむためにやってくる人が多い。
俺もどうしようかずっと悩んでいたのだけれど、メルズーガでかなり満足していたこともあって、結局ここではラクダには乗らずに徒歩で散策するだけに留めることにした。
ちなみにここのラクダツアーはメルズーガで行くよりも若干安く、飯付きで一日20ユーロくらいが相場のようだ。

Chinguetti2 適当な方角に向かって1~2時間歩くだけで、もう360度見渡す限りの大砂丘の中に身を置くことができる。
比較的眺めのよさげな場所を見つけ、砂地に腰を下ろし、この雄大な光景を心ゆくまで堪能していた。

日暮れ時にはガキどもとサッカーを楽しんだり、地元のにいちゃんたちとデジカメ使って遊んだり、土産物屋のセネガル人のオヤジと話し込んだり、夜は晩飯を他の宿で食べながらそこの宿泊者たちと情報交換したりしながら過ごす。
遺跡そのものはたいして見ごたえのあるものではなかったけれども、なかなかいいところだな、ここ。

イスラム世界の7番目の聖地だというシンゲッティ。
1番目のメッカに続き、2番目以降の聖地はメディナ・イェルサレム・ダマスカスと、4番目までは知っているんだけれど、5番と6番がどこなのかはわからない。
ここの地元の連中にも何人かに聞いてみたんだけど、みんな知らねーでやんの。
ま、どーでもいいか。
7番バッターがこの程度なら、きっと大した場所じゃないだろうしね。