レトバ湖 | 旅人日記

レトバ湖

Dakar3-1 ゴレ島とアルマディ岬を見終えた後も、しばらくの間ダカール滞在を続けていた。
旅仲間のタカハシさんなどは、物価が高い上にやたらとスリの多いダカールが嫌いらしく「よくあんな町で長居できるねぇ」とメールで呆れ果てていた。
確かに物価や治安の面を考えると、居心地がいいとは言いがたい町なんだよね。

でも、このダカールにも個人的にとっても気に入っている物が二つあった。
日本大使館の図書館とセネガル料理である。

ダカールの日本大使館にはちょっとした図書館が併設されていて、日本語書籍の貸し出しもしてくれる。
旅行者による情報ノートも置いてあって、周辺各国のビザ取得情報やアフリカ各地の旅情報など、便利な情報がびっしりと記載されていた。
考えてみたら、ダカールから先の場所について、まだあまりよく知らないんだよね、俺。
旅行者の少ない西アフリカで、その最も旅行者が少ない季節に来ているからなぁ。
他の旅行者にも全然出会わないし、今まで情報交換のしようもなかったのだ。
ちゅうわけで、毎日のように日本大使館に出向いては、情報ノートから有効な情報を書き写したり、面白そうな本をごっそり借りてきては宿に持ち帰って読みふけっていたのである。

Dakar3-2 もう一つのお気に入りはセネガル料理
市場の横にちょっとした屋台街があり、毎日そこに出向いてはマフェ(ピーナッツから作ったカレー)やチェプジェン(魚や野菜の煮込みを炊き込みご飯に乗せたもの)やヤッサ(甘酸っぱい味付けの野菜炒めをご飯に乗せたもの)やスプカンジャ(オクラに似た食感の野菜を魚のダシで煮込んだもの)などに舌鼓を打っていた。
モロッコから先は大した料理など期待できないだろうという先入観があったのだが、意外にもこのセネガル料理がかなりの美味なのである。
しかも米食が基本なので、御飯党の俺には嬉しい限り。
このセネガル料理さえあれば、あまり日本食が恋しくならない程だ。
モロッコ料理もそれはそれで美味かったんだけれど、あっちは主食がパンだったからなぁ。
ちなみに、この辺の国では日本人のように米粒一つ残さず平らげたりはしないで、みなある程度皿に残して帰って行く。
中国と同じように食事は量で持て成す習慣があるらしく「もう食べ切れません満腹です御馳走様」という意味がこもっているらしい。
中には半分近くも残していく人がいて、勿体ないなぁと思っていたら、屋台のおばちゃんが後で残飯をまとめて乞食の子供たちに分け与えていた。
うーん、上手くできているもんだね。
逆に残さず平らげたりすると、足りなかったのかと思われて、また皿にぐわっと追加で盛ってくれたりする。
大飯食いの俺にはまことに嬉しいお持て成しである。

てなわけで、ダカール暮らしを楽しんでいるうちに、日に日に気持ちが沈没気分になりかけてきていた。
ん、こいつはいかん傾向だ、気分転換にどこかに行ってみるとしよう。

Dakar3-3 まだ行っていない見所にレトバ湖があった。
フランス語ではラック・ローズと呼ばれ、日本語に訳せば「薔薇の湖」という場所。
湖中に生息するプランクトンの作用で、湖水が綺麗なピンク色に染まっているという湖だ。
ダカールからちょっと遠いこともあって今まで何となく行くのを躊躇っていたのだが、この際だから思い切って行ってみようじゃないか。

市バスやミニバスや乗合いタクシーを乗り継いで、ダカールから3時間かけて湖に到着。
ん?全然ピンクじゃないじゃないか。
季節がらか、それとも日の光の加減なのか、くすんだ焦げ茶色にしか見えない。
写真で見たのとはえらい違いだ。
ガイドブックには乾季にはピンクに染まるようなことが書いてあって、一応今も乾季のはずなんだけどなー。
ちょっとがっかり。

Dakar3-4 湖の周囲ををてくてく歩きながら先に進むと、奥の方で塩の積み出し作業をしている人たちがいた。
湖のほとりに小さな村があって、村人たちが総出で作業を続けている。
どうやらこの村人たちは湖から採れる塩で生計を立てているらしい。
男たちが底の平らな小船で湖に繰り出し、スコップで船一杯に塩を入れて持ち帰ってくる。
それをバケツで汲みだして、頭に載せて天日に干す場所まで運ぶのは女の仕事。
乾いた塩をより分けて袋に詰めるのは老人たちの仕事となっている様子だ。
子供たちはそこかしこで無邪気に遊んでいる。
ドロ川みたいな色の湖を眺めているよりは、こっちの方がよっぽど見ていて面白い。
休憩中のおっちゃんたちや村の女の子たちと少し話していたら、帰りがけに記念にと岩塩を少し袋に入れて持たせてくれた。
うーん、岩塩なんか貰ってもどうしようもないんだけどな、気持ちが嬉しいからありがたく頂戴しておこう。

さてと、ダカール周辺の見所も全て見終えたことだし、ぼちぼち南下の旅を開始しなきゃだなぁ・・・。