なんか……3カ月連続で更新記事があったことって、何年ぶりなんだろう?!
萌えのエネルギーって凄いよね!電気作れるレベルだよね!!

友達からはさらに「ダブルミンツ」や「どうしても触れたくない」を薦められたのですが、ここで敢えてわたしが次に手を出した、というより再視聴したのが「太陽と月に背いて」でした。
厳密に云えばBLじゃないんですけど、昭和の腐女子であるわたしにとって、BL実写よりはるか前から存在している同性愛を描いた映画は、かっこうの萌え対象、いやむしろ本家と云っていい。私的金字塔にして殿堂入りは「モーリス」に決まっているとして、その次くらいに好きなのがこの作品。「Total Ecripce(皆既日食)」っていう原題も凄まじくそそります。
まずはAmazonをチェックしたらすでにDVDは廃盤で、中古価格がとんでもない高額になっており、あれ、わたしもしかしてDVD持ってたんじゃないのか?と都合よく思い出してみたんだけど、実家にも今の家にも存在していませんでした。しかも、TSUTAYAにもVHSしかないんだよ! ビデオデッキを捨てずに取っておいて本当によかったです。わたしが好きでもう1回観たい映画やドラマって、どういうわけか絶版になっていることが多いんですよ……『ロックよ、静かに流れよ』とか『司祭』とか『深く潜れ』とか……。

何ゆえこのタイミングで見返そうと思ったかと云うと、この映画の主人公である二人の詩人、ポール・ヴェルレーヌとアルチュール・ランボーの関係性を、四宮と成瀬につい重ねてしまったからなんですが(結局それかよ!)、再視聴してみると、ちょっと残念なおっさんの年上が生意気な美男子年下に心乱される、という設定以外は、そんなに似てはいませんね。特にヴェルレーヌは、ちょっとどころかあまりにも残念なやつなので、四宮と一緒にしたら怒られそうです。
ランボーは、見目麗しく詩作の天才、だけど性格は我儘で態度は粗暴という、BL的にはもちろんのこと、そうでなくてもたいへん魅力的なキャラクターです。それを、ビジュアル最高潮のレオナルド・ディカプリオが演じています。遥か昔の自ホームページにも書き散らかしましたが、若かりしころの彼の魅力はこの映画に極まっていると云っても過言ではなく、少年と青年の狭間にある独特の美しさと妖艶さ、傲慢と無垢が同居する天才詩人の危うさを、その美貌と演技で見事に体現しています。ほんと、ランボーが乗り移ったのかと思うくらいに説得力があります。ヴェルレーヌを不遜な態度で罵ったかと思えば、自分を置き去りにするヴェルレーヌに子どものように泣いてすがったり、表情がくるくる変わってかわいい。んもう!この小悪魔!(いや、悪魔か?)
対するヴェルレーヌ役のデヴィッド・シューリスは、正面からがっつり剥げていておっさん感というかねちっこい中年感が強く、上映当時から否定的な声が多かった記憶がありますが、肖像画を見る限り剥げ散らかしているのは事実ですし、オランウータンのような醜男って云われていたらしいですから……。それから考えれば、シューリスは背が高くて指も綺麗、帽子を被ればなかなかの紳士ぶりで、むしろ底上げされているとも云えますし、ヴェルレーヌの弱さや女々しさが、その情けないビジュアルも含めてよく表れていたと思います。
ちなみに、実際の年齢は、出会った当時ヴェルレーヌ27歳、ランボー16歳で、これは四宮&成瀬とほぼ同じだわね!と、ちょっとテンション上がります。27歳だったら、まだまだ若い美青年として描かれていてもおかしくないけれど、それだと史実から乖離してしまうからなあ……。
もともとは、ランボー=リバー・フェニックス、ヴェルレーヌ=ジョン・マルコビッチがキャスティングされていたらしいですね。それだとまた印象が違ったでしょうか。顔の好みは、ディカプリオよりも断然リバー・フェニックス派なんですけど、もはやわたしの脳内では、ランボーと云ったらディカプリオでしか再生不可ですから!

キャストの話はこの辺で置いておいて、再視聴して思ったのは、これは男同士でしかあり得ない愛憎劇だなということでした。またしつこく参照しますが、サンキュータツオ氏の著書で、BLは「男は丈夫だから安心」「鈍器と鈍器みたいなもんだからぶつけ合える」という大前提があるからこそ成立する世界だという話があって、それをすごく納得できたんです。
ヴェルレーヌとランボーは、小学生のがきんちょみたいにはしゃぎ合ったかと思えば、酷い言葉で罵り合い容赦無く殴り合います。アル中でDV気質のあるヴェルレーヌが妻に振るう暴力はいたたまれないんだけど、ランボーに拳銃をぶっ放すシーンはなぜか酷いと思わない。腐女子バイアスと云ってしまえばそれまでですが、男同士だからこそ、肉体的にも精神的にもあんなに傷つけ合うことができるんじゃないのかなって。そこが男女の恋愛との大きな違いで、我々のような腐った人間が熱狂する所以であると思います。
さらに二人の関係性を紐解くと、肉体的な攻受ではランボー攻、ヴェルレーヌ受なんですね。これがビジュアル的に受け付けない腐女子の方々も多いみたいですが、妻の元にたびたび戻ってしまうヴェルレーヌに嫉妬交じりのムカつきを隠せなかったり、初めて海を見て満面の笑みでヴェルレーヌに抱きついたりするランボーには、受けっぽいかわいさもあって、わたしの中ではリバ可、ということで勝手に解釈しています。

二人はフランスを出てロンドン、ブリュッセルと放浪しながら爛れた生活を送りますが、まあこんな関係が長く続くわけもなく、痴話喧嘩の末にヴェルレーヌがランボーの手を拳銃で撃ち抜いた「ブリュッセル事件」によって、2年で終止符が打たれます。ヴェルレーヌは監獄送りになり、ランボーは実家のあるロッシュ村に帰郷。ヴェルレーヌが出所してから一度だけ再会しますが、すでにランボーは詩作をやめており、その後はご存知のように、アフリカで商人として後半生を過ごし、二度と詩を書くことはありませんでした。
道徳的にはどうしようもない二人の、脆くて儚い関係。しかし、その作品と伝説は永遠の命をもって歴史の記憶に刻まれています。当時、彼らを非難し、軽蔑したであろう人々の生きた証明よりも、遥かに鮮烈に。何しろ、2016年のオークションで、例のピストルが約5300万円で落札されたっていうんだから!ゴッホじゃないけど、極貧放浪生活を送っていた二人がこれを聞いたらどう思うだろう……。
映画のラストで、ランボーの妹に兄の作品を渡してほしいと依頼されたヴェルレーヌが、彼女が去った後にその名刺を破り捨て、アブサンを2杯注文してランボーの幻影を見るシーンは、何度見ても切なくて胸を打たれます。「私たちは幸福だった。忘れない」と呟くヴェルレーヌ。そして、ランボーの最も有名な詩の一節「見つけたよ。何を? 永遠を。太陽を溶かしこんだ海だ」が、アフリカの乾いた大地と海の映像とともに流れます。二人にしかわからない理解と共犯関係、愚かで輝かしい青春を、ぎゅっと永遠に閉じ込めたような素晴らしい終わり方でした。

青春と云えば、ランボーの存在や生き方そのものが青春の権化のようですよね。だからこそ、未だに詩の世界のカリスマであり続け、後世の人々の好奇心を掻き立てる。後年、アフリカで書かれた家族への手紙に普通の結婚への憧れを綴っているのを読むとちょっぴり寂しくもなりますが、希求する魂の躍動こそが青春だとすると、ランボーの生涯はずっと青春だったようにも見えます。アフリカの地で過酷なビジネスに勤しんでいたとしても、それは、ペンで詩を綴るのではなく、体で詩を生きる行為だったのではないでしょうか。
わたしは詩を書きませんが、詩と旅は似ていると思います。情報の多い2000年代に旅したわたしにとってさえ、イエメンやエチオピアは遥かに遠い土地でした。ランボーが生きたころはもっと未知で苛烈な世界だったはずですが、それでも行かずにはいられなかった。その衝動や無謀は、詩のロマンにも似ています。だけど、実際にかの地に行って住んでみたら、超タイクツな場所ですとか手紙でこぼしているのが、ランボーらしいというか、旅人あるあるというか(笑)。
反対に、ヴェルレーヌのろくでなしぶりに共感できるのは、多分、青春が終わってからなんでしょう。このどうしようもない弱さ、流されやすさはなかなか擁護しがたいのですが、そんな性質こそが、美しく物憂げな詩を書かせるのだとすれば、人間、何が幸いするかわかりません。映画では描かれていませんでしたが、ヴェルレーヌはランボーと永遠に別れる前、彼から詩稿を託され、それを世に送り出すために献身したといいます。詩集『イリュミナシオン』として結実したそれは、ヴェルレーヌの未練と執念の賜物にほかならず、それだけでもう白飯を3杯はお代わりできるほど萌えられるというものです。
余談ながら、当時も今回も、ヴェルレーヌ夫人役のロマーヌ・ボーランジェの恐ろしく豊満な肉体には大いに驚いたものでした。ヴェルレーヌも「妻の心よりも体が好き」などと最低発言していただけのことはあります。

「太陽と月に背いて」の話がずいぶん長くなってしまいましたが……。
最近ちょっといいなと思っている実写ものが、テレビ東京のサスペンスドラマ「僕はどこから」です。
原作漫画がありますが、わたしは未読です。今はドラマが楽しみなので、読むのは放映終了後に取っておきます。
まったくBLではない、健全バディもの(匂い系?ブロマンス?)で、第4回までは視聴済みの録画は消しているくらいの思い入れでしたが(HDDが常にギリギリなのです)、最新の第5回でいきなり気持ちが高度1万メートルまで上がってしまいました。
優しくておとなしい作家志望の薫と、若きヤクザの組長・智美は、高校時代の同級生です。二人してユニセックスな名前もツボすぎるんですが、どこからどう見ても白と黒、正反対のキャラクターなのに、「読書会」という最高にエモーショナルな交流と、智美の妹の危機を薫が救った過去によって、普通の友人以上の絆がある二人。
薫は、人の書いた文章を書き写すとその思考をまるごと読み取れるという特殊能力を持っていて、それがストーリーのキモになっています。
第5回では、ある事件で窮地に立たされた二人が、あわや友を売ってしまうのか?!という筋書きからの、一気に彼らの強い結びつきが際立ってくる展開には鳥肌が立ちました。もともと、自らのBL嗜好の根本を考えるに、どっちかというとこういう、恋愛でもなく、友情と呼ぶには強すぎる、「絆」としか表せない関係性が大・大好物なんですよね!
この二人の関係って、みんな大好き『BANANA FISH』のアッシュと英二にも似ているなと思いました。つまり、アッシュにとっての英二が良心や純粋さの象徴で、英二にとってのアッシュが強くてかっこいい憧れの存在……というのが、まさにアッシュ=智美、英二=薫で当てはめられる気がします。
薫役の中島裕翔と、智美役の間宮祥太朗のビジュアルの組み合わせもいい。特に、間宮祥太朗ってこんなに美形だったっけ?と、画面でアップになるたび惚れ惚れします。映画「翔んで埼玉」で、通行手形無しで東京に入り込んで呆気なく逮捕されたモブ青年と同じ人とは、とても思えません。
今夜放送の第6回も、予告を見る限り、腐的胸キュン展開がありそうで楽しみです!

世は新型コロナウイルスで騒然としているのに……と我ながら呆れつつも、何せ年末からずっと頭が腐りっぱなしで気持ちの切り替えができません。
とっくに忘れたはずの同人界隈のことまでゾンビのように蘇ってきたりするのですが、手に入らなかった幻の本などを徒然なるままに検索していたら、なんと高松のBe-1と、下北沢のコミケットサービスが閉店してるじゃないですか……それも3年くらい前に。
その間、特にわたしの需要がなかったということでもありますが、この2軒では、池袋の乙女ロードでは決して手に入らないようなお宝を掘り出したこともあり、今日のように病気が再発したときの心の拠り所でしたのに……。在庫の行方が気になりますが、全国のまんだらけなどに散らばったのでしょうか。

……という前振りからの、今回の話題は同人ではなく、BL実写です。
懲りずに腐った話題だけど、おっさんずから離れただけでも進歩だと思って!
おっさんたちのせいなのか、小説・漫画もいいけど実写もね、という気分になっていて、とは云えあんまりポルノやAV寄りのものだとかえって萌えられないので、腐女子友達が薦めてくれた、いわゆる鉄板名作BLの実写版を観てみることにしました。
2020年も早や2番目の月に入ったというのに、本当にどうかしていると思いますが……だって今年は、ついに「窮鼠はチーズの夢を見る」も公開だしね!やっとこさ公開日も発表されたし! 第一印象は、今ヶ瀬がちょっとイメージと違うかなあとか思っていたんですが、ちらほらネットに出て来る宣伝ビジュアルを見たら、だんだんストライクゾーンに入ってきて、楽しみで仕方ない。

まず、おっさんず熱がいったん収まったところで観たのが、「ポルノグラファー」「インディゴの気分」。
昨年末、件の腐友からDVDを借りていたのですが、おっさんたちの世界からなかなか心を移すことができず、やっとのことで年明けに鑑賞。すでに方々で語られ絶賛されているだけあって、素晴らしい作品でした。
2作は続きになっていて、原作漫画があります。深夜とは云えBLドラマが地上波で放映されるというので、界隈ではかなり話題になったようです。
おっさんとはまた違った、胸が締め付けられる感じ、それは萌えというよりも切なさなのかもしれません。おっさんはあれほど盛大に心を揺さぶられながらも特に号泣したという記憶もないわたしが、このドラマでは随所にこみ上げてくるものがあって、うっかり誰かと一緒に観なくてよかった……と思いました。
鬼束ちひろの主題歌もいいんだよな~。特に「ポルノグラファー」の「Twilight Dream」がいい。頭出しを聞くだけできゅーんと胸が絞られる。
登場人物は、官能小説家の木島、大学生の久住、そして編集者の城戸。「インディゴの気分」ではもう1人、官能小説界の大御所である蒲生田という老人が重要な役割を担いますが、ほぼこの3人で展開します。
3人とも決して極端な過去やトラウマなどは抱えていないのだけど、全編がほの暗く、儚く、ブルーな(インディゴな?)雰囲気を纏っていて、見終えると深いため息を吐きたくなって、心に何か重いものが残るような余韻が凄い。見終えてしばらくの間、つい自分まで気怠い感じになってしまいました(笑)。
最初は正直、知らない俳優さんばっかりだし……と及び腰になっていたのですが、見終わったらメインキャストの3人のことがとても好きになってしまい、公式ブックまで買う羽目に。原作漫画を後で読んで、主役の木島先生以外はそんなに似てないなあと思ったけれど、むしろ原作に対して「違うじゃーん!」と武蔵の口調で云いたくなるほど、映像とキャスティングが素晴らしかった。ドラマはかなり原作に忠実に作られているのですが、それが功を奏してか、原作を実写が超えたんじゃないかと思えるほどの世界観を作り上げていて(自分がドラマから観ているせいもありますが……)、三次元の破壊力って凄いなあと感嘆。
特に木島先生=竹財輝之助は、神キャスティングですね。おっさんずもそうだけど、この手のドラマはキャスティングが命だとつくづく思う。本当に失礼ながらそれまで全然彼のことを知らなくて、もったいない限りです。齋藤工に似ているとよく云われているようですが、もうちょっと中性的で繊細な雰囲気。これで39歳とか信じられない。でもこの年齢だからこんなに色気があるのかしら。細い縁の眼鏡が最高に似合っていて、眼鏡外してもやっぱり美形で、昔、自分のHPに眼鏡をかけたスナップを載せていたときに、「美人なら眼鏡かけてても美人とわかる。こいつは違う」などと巨大掲示板で書かれたことを急に思い出してしまいました(粘着質ですまんw)。
ちょっと調べてみたら、去年のNHK「旅するスペイン語」講座の旅人だったのですよね。今なら、拝みながらガン見してスペイン語をマスターするのになー!


どちらも面白かったのですが、どちらかというとわたしは、続編の「インディゴの気分」のほうが好みです。木島が久住と出会う前の、城戸との過去のお話。
冒頭の城戸のモノローグ、「なんとも説明しづらい関係ってあるだろ」という言葉が、ラストに繋がっていくんですが、きちんと結ばれなかったがゆえに、一生心の奥で燻り続ける思い、切なさと背徳感が背中合わせになったような思いを、十字架のように背負っていくっていうのがもうねえ、堪らないです。
それはとても辛いんだけれど、どこか甘美でもありますよね。永遠に閉じ込められた、だけど確かに生きている感情。人や人生の陰影や味わい深さは、そういうところにあると思ったりして。「モーリス」のラストで、ヒュー・グラント演じるクライヴが、自分のもとを去っていくモーリスの幻影を見るシーンを思い出します。
自分が古い人間なのかもしれないけれど、ピュアな愛と同じように、歪んだ愛……というか愛が変質してしまった感情、執着とか嫉妬とかただの性欲みたいな後ろ暗い劣情を、フィクションには求めてしまうのです(現実世界だと劇薬すぎるのでね)。
一瞬恥ずかしさで目を覆いたくなるような激しめの濡れ場もありながら、それ以外のところでの肉付けが本当に上手い。純文学から転向して官能小説を書きあぐねる木島に、蒲生田が「経験なんかなくてもいいんだ。自分の欲望を自覚すればいい」という場面や、病魔に侵されていく蒲生田を前に憔悴する木島など、サイドエピソードにも見どころがいっぱい。

なんか、あまりにもよく出来ているので、これなら腐ってない友達に普通のドラマとして薦めても差し支えないんじゃないかな? とうっかり思ってしまいましたが、結構な裸と絡みのシーンがあるため、冷静に考えたらやっぱ差し支えますかね!
あんまりAVばりにがっつりやりまくっていると、もはや一作品としての評価がしづらいのですけど、これはほんとにギリギリのラインで品を保っている感じ。一歩間違えたら大事故になりそうなところ匙加減を絶妙に調節した、奇跡的な出来だなーと思います。

次に観たのが、「宇田川町で待っててよ。」
これは先に原作漫画を読んでから観ました。漫画も素晴らしかったのですが、わりと淡々とした雰囲気の漫画が、今どきのイケメン(主役2人がジュノンボーイ)によって三次元化されると、やっぱり破壊力が増しますね。映画というよりスペシャルドラマみたいな小作品ですが、そのコンパクトなサイズ感と、「ポルノグラファー」シリーズよりも演者が初々しいのが、この物語の世界観に合っていたと思います。
舞台は男子校、クラスではまるで存在感のない陰キャ主人公の百瀬と、対照的にイケてるグループに所属する八代。だけどある日、密かに女装趣味のある八代が、渋谷の喧騒のなかでその女装姿を百瀬に見つけられてしまうところから、物語は始まります。この舞台が、渋谷ってところがまずいいです。毎日の通勤で渋谷のスクランブル交差点を通らねばならないのが辛すぎるせいもあり、渋谷よりも断然新宿派のわたくしですが、この設定はやっぱ渋谷でないとね!
わたしはそれまで、BLのなかでも女装男子というジャンルには、知識も萌えもなかったのですが、八代の絶妙な女装具合にはドキドキしてしまいました。元が綺麗な顔だから女の恰好をしてもかわいいんだけど、やっぱりどうにも男がチラ見えする、よく見たら妙に上背あるし咽喉仏もあるしやっぱ男なんじゃね?というような、完成度80~90点くらいの女装、これを実写で表現できているのが素晴らしい。歌舞伎や宝塚とも違う、性別の境界に立っている際どくて危うい美しさ。よくよく思い出してみると昔からわたし、「八犬伝」の犬坂毛野には特別な感情を抱いていましたし、萌えツボなのかもしれません。にわかに女装男子に興味が湧いて、大島薫の著書にまで手を出してしまったわ。この調子で行けば、そのうちオメガバースも嗜めるようになるかも!?
萌えとは別に考えさせられたのは、「周りの目を気にせずに好きな服を着る」という気概についてです。

女装や男装は、ファッションという以上に性癖の面も大きそうですが、わたしもやっぱり、好きな服を好きなように着ることが自分を肯定することに繋がっているから、「自分でも(女装は)似合ってないってわかってる」と自虐する八代に、なんの疑問もてらいもなく「かわいい」と云ってのける百瀬の姿には、ときめきとともに、神々しささえ感じてしまいました。それは好きになるわ!

 

長くなりそうなので、後編に続きます。

年が明けても、寝ても覚めても(おっと、これは今話題の……)、相変わらず「おっさんずラブ-in the sky-」の沼から抜け出せない体になってしまって、本当に、成瀬じゃないけど「責任取ってくださいよ」って云いたいです。
終わった恋(萌え)を乗り越えるには新しい恋が必要、ということで、そっち系のあれこれを物色しては気を紛らわせているのですが……いったい何なのでしょうかこの情熱は……思春期真っ只中の男子の抑えきれない性欲みたい(知らんけど)。
で、今回は、そっちで読んだり視聴したりした作品の話を書こうと思っていたのですけど、正直なところ、今いちばんハマっているのはネット上で日々アップされるおっさん二次創作だったりして(そのうちコミケに足を運ぶであろう自分の姿が見える……)、そうこうしているうちに公式ブックが発売されちゃったりして再び沼に突き落とされたので、この話題にしつこく舞い戻ります。まあいいよね、個人のブログなんだから好きなことを書けば!
はーそれにしても、配信のゆく年くる年SPを見て、もはや妄想なんかしなくても十分満たされたつもりでいたのに、人の欲とは計り知れないものですよね……。さすがに劇場版なんかあるわけねーかと思っていたけれど、ちょっと期待、いや熱望している自分がいるもんな! 映画とか大げさでなくていいから、バレンタインとかお花見SPとかないのか? 四宮と成瀬の行く末はもちろんだが、春田と武蔵だって色々補足が欲しいじゃん? テレ朝に長文お便り書こうかしらん!?

今年に入って気がついたこと。
それは、以前わたしは「なるしの(成シノ)がしっくりくる」と書いたんですけど、やっぱりなるしのじゃなくて、しのなるかも……より厳密に云えば精神的にはなるしので、肉体的にはしのなる、が私的な正解なんじゃないかということです。えっ、ごめんねどうでもいいお知らせで!
いや、元々どっちもアリなんだけど、色々考えた結果、四宮にはいざという時には男っていうか、雄になってほしいって気持ちが抑えきれなくなってきまして……何せあの見事な腹筋だし、整備士だから腕力もありそうだし、身長は同じだけど成瀬に四宮が組み敷ける気がしないし……そもそも四宮が成瀬に「お前かわいいな」って2回も云っちゃったりしているわけだし、かわいい担当は受っていうほうが目に優しいし、つまりは四宮はやっぱり抱く側に回ってくれ!ということなんです(お前は何を云っているんだ)。業界用語でいうところの、ヘタレ攻めの襲い受けってやつですか。
なかなかおっさんの話で盛り上がれる人を現実世界で見つけられず、おっさんず展にも一人で2回も足を運んだりして、いかにも孤独なオタクライフを送っているのですが、先日、ようやく交友関係のなかで一人、リアルファンを捕獲しました。腐女子ではない上に男子なので、腐的な萌えと違うところはありつつもドラマを楽しんだ一視聴者として、きゃっきゃ盛り上がってたいへん楽しかったのですが、そんななか、5話で四宮が元妻・子どもと向き合えて、男としての自覚とか自信をそこで取り戻したんじゃないかっていう彼の意見が、なかなかに新鮮で。ふだんネットで死ぬほど考察を読んでいるけれど、あまり見たことのない見解だったのよね(読むものが偏りすぎているのかもしれんが……)。で、成瀬のことを「あれはどネコでしょ」とばっさり断言したのにはビールを噴きそうになってしまいましたが、わたしはそれを聞いて、自分の迷いをだいぶ吹っ切ったのでした。
そうだよなー、初回から成瀬のキャラとビジュアルは、わたしのなかでは「風木」のジルベール風味の典型的ビッチ受と信じて疑わなかったのに、6話で四宮を襲っちゃったもんだから、つい、あれ?逆?とか思ってしまった。好きの感情が大きいほうが攻なのかな、とかね。
なるほど、人は(ってか腐女子は)こうやってCP(カップル)固定主義になっていくわけだね。自分ではあんまりこだわりないつもりだったけれど、思い起こせば、その昔、某二次創作にハマったときも、逆CPはあんまり好みじゃなかったかも。基本的にはニコイチで好きだから、全然地雷にはならないですが……。腐女子にとって、関係性というのは何をさておいても大切な要素だということをあらためて学んだ次第です。

でも腐女子にはなるしのの方が人気が高いってのも、なんとなくわかる(個人リサーチでは倍くらい違う)。ほら、腐のレベルが上がると、おっさんにかわいさを見出しがちだって、サンキュータツオ氏も著書に書いていたし……。
萌えの解消のために、あれこれ物色しているなかで見つけた『YOUNG BAD EDUCATION』『YOUNG GOOD BOYFRIEND』という漫画があるんですが、なるしの的な色眼鏡をかけて読んだせいか、いちばん萌えた作品です。
年下のかっこよくて成績優秀な男子高校生と、冴えないけど妙に色っぽいおっさんの化学教師が、お互いにストーキングするくらいベタ惚れし合って、その後10年以上もラブラブで付き合っていくお話。年の差、なんと20歳! 11歳差の成瀬と四宮どころではない!
んなことあるか?といちいちツッコみたくなるほど中年に都合のいい設定ですが、ヘタレな年上にぐいぐい行く年下くんを優秀イケメンパイロットの成瀬にどうしても重ねてしまうし、それ以上におっさん教師が四宮っぽくて(「こんなおっさんのどこがいいんだよ……」的な懊悩とか)、今のわたしのストライク萌えゾーンに刺さる。何があっても、相手の残念なところも全部好き!みたいな、まさに成瀬じゃんという感じの年下くんの恋心がいい。

と、ここまで完全に頭がお花畑の内容ですが、実際のこの界隈はというと、熱烈な愛や楽しい妄想とともに、地獄のような争い、誹謗中傷、恨みつらみ、忖度、マウントなども日々飛び交っているわけで……やっぱりCP論争は血で血を洗う宗教戦争ですね。
気をつけないと流れ弾に当たって死ぬ可能性もあり、ツイッターのほうが色々と活発だけど、わたしはこの自宅(ブログ)で一人ごにょごにょやっているくらいがたぶんちょうどいい……こんなマイナーブログにすらなんだか変なコメント付いてるけど! 一方で、安全そうなオフに参加して萌えを共有したい気持ちも多分にあって、心が緊縛されているみたいで苦しい……。
気を取り直して、先日発売された公式ブック。もっとでかい版型で見せてくれー!とか、成瀬はもうちょっとすっきりフェイスラインの写真はなかったのか?などの引っかかりはあるものの、成瀬の千葉雄大と、四宮の戸次重幸のインタビューで、あのセリフやあのセリフがアドリブだったという話を読めただけでも元が取れました。役者ってマジで凄いな、本当に役を生きているんだな、ドラマってみんなで作っていくものなんだな、などと感動しちゃったわ。あと、気になったのは、成瀬のプロフィールで、初めての海外渡航先=トリニダード・トバゴってのが……なんで? マイナーすぎないか??パイロットの研修所かなんかがあるのか???
公式ブックの発売とともに、感想や考察はもちろん、各種二次創作もまた盛り上がってて凄いよね。やっぱ旬ジャンルの二次は勢いがありますね。毎日何かしら更新されるし、みんなこれでもかというほどドラマの行間を埋めまくっていて、もう書き込む余白ないんですけど!という感じ(笑)。わたしは、過去作のすでに枯渇した二次にしかハマったことがないので、とても新鮮です。ほぼカップル人気割れしなかったS1は、もっと盛り上がっていたんでしょうね~。

みなさま、メリークリスマス!(いつにないテンション)
無事に最終回、そしてスピンオフまで配信され、ようやくわたしとOLとの長い日々は終わりを告げました。
ひと言でいうと、感無量に尽きるのですが、この溢れる思いを書き留めておきたい気持ちでいっぱいなので、最後、しつこくやらせていただきますね!

最終回を待つ間は、あまりにも思い詰めすぎていたので、気持ちの拠り所を求めて、成瀬×四宮を応援するツイッターアカウントの呟きを祈るように探し、狂ったようにファボる1週間でした。もう、検索ワードも心得たもんだからね! 隠語(っていうのか?)で検索できるようになったもんね!でも、マイナーカップルなので、気分はすっかり隠れキリシタン……。
それでもしつこく検索していると、ほどなくして大体が見覚えのあるアカウントやツイートばかりになってしまい、これ以上掘っても、もう何も出てこないなあ……というところまで行き着いてしまっていました。
さりとて、某掲示板や某某掲示板などへ行くと、心折れる考察や意見に溢れているので、もう泣いても笑ってもあと数日なのにわざわざ傷口に塩を塗らんでも……と思いましてね。こうして、人の視野とは狭くなっていくものなのですね……。

希望があるとしたら……縋れる根拠は、下記のとおりでした。
・予告で、四宮が誰かに「俺のどこがいいわけ?」と云っている(映像無し、台詞のみ)。これは成瀬相手では?
・武蔵は、成瀬が恋する相手を知っている。だから、一時的に黒澤家に住むことになって武蔵に弟子入りするという四宮(予告情報)に、そのことを諭すのでは?
・月曜の「TVガイド」で、超重要シーンとして春田×成瀬のハグがレポートされていたので、この段階でそんなネタバレがあるわけないのでは?
・逆に、クランクアップなど最終回に関する情報がまったく出てこない四宮は、重要なネタバレに絡んでいるのではないか?
・成瀬は、古墳とかグラタンとか1つのことに執着するタイプだから、一度本気で好きになった相手にはとことん執着するのでは?
・成瀬の父親の命日と、四宮の誕生日が同じ日というのは運命的な符号では?
・第4話の卓球大会で、成瀬・四宮がペアだったことには、意味があったのでは?
・最終回の数日前に、なぜかシノメシブログ(四宮の料理ブログ)が上がっていて、これが最終回に黒澤家でふるまう天ぷらだったので、最終回後はグラタンが来るのでは?
・これまでの春田は年下のイケメンとくっついてきたけれど、S2で果たして同じことをやるだろうか?

……まあでも、どれも根拠薄弱であることは否めず、7話の最後、春田と成瀬の手つなぎで、成瀬の手が名残惜しそうに離れたように見えたのと(実際そういう演出だったと思う)、四宮の気持ちがどこまで成瀬に向くのかがどうにも自信がないまま迎えた最終回。
当日は、もちろんリアタイ視聴です。有馬記念直前の中山競馬場にいる心構えで、「気持ちは完全に成シノ1点買い!……だけどやっぱ、春成も500円くらい買っといたほうがいいかしら……」とかどうでもいい独り言をブツブツ云いながらの幕開けでした。
予告とこれまでに出た情報や布石を、ひとつひとつ確認するように、超集中、息を止めて視聴。こんなに真剣にドラマを見たことが、かつてあっただろーか?!(笑)


ここからは、詳細にネタバレしますので、ご注意くださいませ。
わたしの注目は、なんといっても、成瀬が変節しないかどうか?その1点に尽きます。
まず、「春田とはうまくいってるのか?」という、予告でも流れた四宮の台詞。これは前半早々に回収されました。
7話のラストで寮を飛び出した四宮と職場で出くわした成瀬が、外で歩きながら話す場面。ここの成瀬がまたかわいい。「あなたがいない(ご飯を作ってくれない)せいで、俺はグラタン食うしかないし、春田さんは俺のグラタン食うし……」と愚痴をぶつけるんですが、その返しが「春田とは……」なんですね。そこで成瀬が、なんでわかんないんですか!?とブチ切れてくれたので、この時点ではまだ成瀬が四宮を好きなことがわかって、ほっとしました。

寮を出た四宮は黒澤家に居候しており、そこで彼は、愛の極意を武蔵から学ぼうと弟子入りします。実際に何かを学ぶような描写はありませんが、第4話に続く黒澤杯(今回は相撲大会)を経て、四宮は寮に戻り、また春田と成瀬と3人で食卓を囲むまでに関係は修復。成瀬は、嫌いだった人参を食べられるようになっていて、四宮もなんだか嬉しそう。
またある日の食卓で、春田が四宮に「チーズハンバーグが食べたい」とリクエストするのですが、四宮は「お前のリクエストはもう聞かん」と断ります。それでも四宮の側に行って食い下がる春田に、成瀬が立ちはだかり、春田を外に連れ出します。
そこからが、例の、「TVガイド」にも出た重要シーンね! うわー来た来た来た、ここで春田と成瀬、抱き合ってたもんね! 成瀬は涙流してたし……。ここの答え合わせ如何で、運命が決まるってことよ!
もう、自分が誰になっているのかわからないくらい心臓をバクバクさせながら固唾を飲んで成り行きを見守りました。結果……、成瀬はこう云います。
「春田さんは俺にとって大切な人だから……それは(付き合うことは)できない」
ああああああああ!そっちかーーー! 期待はもちろんしていたけれど、成瀬-----!!!(気分は9回二死裏)
「あんた(四宮)としか(キス)したくない」とまで成瀬に云わせた落とし前を、きちんとつけてくれて本当によかった……。

そして、パイロットを引退する武蔵のクリスマス・ラストフライトを経て、それぞれの結末が出されるわけですが……。
成瀬×四宮は、四宮が成瀬を受け入れようとするところで終わります。このラストシーンが、どんだけよ!というくらい萌えが詰まっていて、6話のラストと二大巨頭で鬼リピ確定。ていうかもう、現時点で100回は再生してる(←病気)。
まず、成瀬の好きなグラタンを、四宮と成瀬がふたりで作っている!それだけでもう感情のダムが決壊しそうになりましたが、予告で四宮が云った台詞「俺のどこがいいわけ?」はここで、成瀬相手に使われて大歓喜!
で、ここからの成瀬の返しがまたいいの。「なんか見てらんないんですよね……(中略)だって、どことなく残念じゃないですか?」などとからかって、四宮が「残念云うな! どこがいいか聞いてんだよ!」と文句を返すと、四宮の目をじっと見つめながら囁くように「どこがいいのかなあ……」と、にじり寄って云うんですよ!なななななにこれ!? 天使の誘惑!? そういえば中の人は「ゴセイジャー」で天使の役だったもんね!?(意味不明)
成瀬、やっぱ君はこうでないと!タコ公園のタコの滑り台で子どもみたいに泣いている君よりも、ずっとこっちのほうが成瀬らしくて好き。かわいくて、いじらしくて、でも基本的に不遜で、とても色っぽくて……これぞ成瀬の真骨頂でしょ。
キスまで持って行く流れも神がかってた。思わず四宮が顔を近づけそうになって踏みとどまったところに、すかさず成瀬が迎えに行くようにキスするんですけどね! さらにそのあと、ダメ押しのように「キスしようとしてたでしょ?」とにっこり。ああああああああ!成瀬ってば、どんだけ手練れの小悪魔なのよ!?(さっき天使って書いたけどw) 7話であんだけ幼児だったのに、このギャップ! これはさすがの四宮も落ちるやろ……と思ったけど、その後、AbemaTVで配信されたスピンオフ(SP)を見たらけっこう往生際が悪い(笑)。

SPがあるだけでも感謝感激なのに、もしかしてキス以上のなんやかんやが見られたりするんだろうか?!などとさらに邪な願望を抱かずにはいられませんでしたが(こらっ)、そこもやっぱり視聴者の安直な期待とは違う方向に行くのがこのドラマ。
あんなキスシーンがあったというのに、かえってふたりの関係はぎこちなくなり、表面的には後退していきます。
最初に見終えたときは、「えー!?続き早よ!!」というのが正直な気持ちでしたが、冷静になって見れば、6話で成瀬が四宮を襲って、最終回では小鳥がついばむような軽いキスをして、SPでやっとデートに漕ぎ着けて……と、普通の恋とは逆方向に巻き戻っていくんだけど、お互いの気持ちはどんどん寄り添っていくという心憎い仕掛けになっているんですよね。
成瀬が、「キスまでにやらなきゃいけないことってなんですか?」と春田に尋ねたことを、愚直に実践している姿が、とにかくいじらしい。
そんなSPのラストは、単発おっさんずのラストくらい、匂わせながらも幸せいっぱいの素敵な終わり方でした。最後に、四宮の寝顔を見ながら成瀬がそっと目を瞑るところ、本当にエモすぎて、心臓が溶けそうになります。


前に、襲い受けが性癖なのかもと書きましたが(どうでもいいリマインド)、年上受がぐいぐい来る年下攻に翻弄される組み合わせも刺さるのかも? でもって、年下攻の情熱が空回りしている感じもいいのかも?? あと、両片想いっていうシチュエーションも好きなのかも???
わたしは固定厨ではありませんが、やっぱり成シノ(成瀬×四宮)の位置がしっくりきますね(と云いつつ、どっちもアリだし見たいけどね!)。SPでは、四宮に振り向いてほしくて、(四宮が好きだった)春田の真似をしてアホの子みたいになる成瀬が見られますが、アホだけど健気すぎて萌えが止まりません。いいよね、こんなにも好きな人に必死になれるって、マジで尊いわ……。
で、そんな成瀬を前に揺れまくる四宮の気持ちにも、すんごいドキドキする。整備士という職業柄か、生真面目で、失恋したばかりなのにもう次の恋に進んでいいんだろうか?とか悩んでいるわけ。好きになっていいのかなって、10も年上の男が怯み、困惑し、自分のダメな部分をどんどん晒しちゃう様子、なんてもどかしくてかわいいんだろう……って、成瀬もたぶん、そう思っていそうなのがいい。一方で、子どもじみたところが多々ある10も年下の男を、おそらく本能的に放っておけなくて、あれこれ世話を焼いちゃう四宮がまたいい。
6話ラストも切なくて最高だったけれど、好きなカップリングが関係を築いていこうとする過程は、実に麗しいですね。薄い本を探しに行かなくても、公式が腐女子の妄想をどんどん実現してくれて、誠にありがたい限りでした。だけど、もうこの先は見られないのかと思うと、やっぱり薄い本での補完は必要かしら……。
ちなみに、SPの見どころはたっくさんありますが、前編のラストで春田が出てきて「ハッピーニューイヤー」っていう場面、やっぱ春田かっこいい!って思ってしまいました(←現金)。あの一瞬で出す存在感、やっぱ主役だなーと。

……とまあ、わたしは自分の願望通りの結末だったから前向きな気持ちで振り返れるけれど(公式の見解と自分の希望が一致するのは実にすっきり、そして安心感がありますね)、納得のいっていない人はたぶん死ぬほどたくさんいて、中国のファンは怒り狂っているとかいう噂も……(中国は、ビジュアルのよい春田×成瀬推しが圧倒的多数とか)。このブログも、見る人が見たら爆破対象になってもおかしくありません。
わたしも、リアタイ視聴時は、春田の気持ちがあんなに早く武蔵に行ったのは、ちょっと、え、えーーーマジ?!ってついていけなかった。
思い起こせば、7話での武蔵のファイナルアプローチに春田が涙を流して断った場面や、乱入クレーマーを体を張って止めようとする武蔵を怒るほど心配しているところ、最終回で武蔵がパイロットを辞めると聞いて激しく動揺する春田……決して、フラグがなかったとは云わないけれど、贔屓目に見ても唐突感があり、もうちょっとなんとかならんかったのか?とは思いました。意地悪な見方をすれば、成瀬と四宮をくっつけるために、春田と武蔵を無理やりくっつけた感も否めないわけです。
武蔵エンド自体はいいの。なんだかんだで、「おっさんずラブ」は春田と武蔵の物語であり、この組み合わせこそがドラマの主軸・目的であり、武蔵を入れた4人のカップリングにおいて、最もハッピーエンドに近いのはこれだと思う。何より、すっかりギャグ担当として蚊帳の外に置かれていた感のある武蔵が、きちんとラブストーリーの主役になったことは、心から嬉しい。単発、S1ともに、武蔵にいちばん泣かされてきた身としては、なおさら感慨深いものがありました。武蔵といるときの春田は、やっぱり「はるたん」みがあってかわいいしな!
だからこそ、春田の気持ちの旋回を、もう少し丁寧に、もう少し布石を置いて見せてくれたらよかったなあ、と。成瀬から武蔵へ矢印を振り向ける理由が、もうひと押し欲しかった。しかも、成瀬に振られた次の日に武蔵に行くって、急旋回すぎない?!
後から知ったことですが、もともとこのS2は、武蔵エンドで終わらせるつもりで書かれていたというから、なおのこと惜しい……。そこさえしっかり書いていれば、本当のハッピーエンドでカタルシスも半端なかっただろうし、春成推しもある程度は納得できたと思うの。何せ武蔵は、単発から3回も春田を追って転生(?)しているのだから!
あと、春田を抱きしめるシーンもあった獅子丸は、もうちょっと重要な役どころでもよかったんじゃないかと……ちょっと登場が遅すぎたか?

全編を通して思ったのは、好きな人に好かれない、好きじゃない人に好かれるという、恋愛が持つ容赦のなさでした。ほんと、ドラマ内のキャッチコピーじゃないけれど、「好きになってくれた人を好きになれたらいいのに……」ですよ。人としては好きなのに、恋の対象にはならない相手。なんか、いろいろ思い出して辛くなるな……(笑)。
それでもこの人じゃなきゃダメで、たった一人の、心揺さぶられる人だということが恋愛の尊さでもあるわけですが(そこが、私が成瀬を推す理由でもあるのですが)、一方で、最終回前にふと思ったのは、「貫く」「受け入れる」「応援する」という愛のカタチがあって、それを登場人物それぞれが担うのではないかということでした。
それを誰が担うのか?となったときに、わたしのなかでしっくり来る割り振りは、成瀬=貫く、四宮=受け入れる、春田=応援するだったのです。で、武蔵は、そんな3人をさらに大きな愛で包む役割?とか思っていました。
わたしは成瀬に肩入れしすぎているのでこうなりますが、これは、見ている側一人一人で答えが違うでしょう。でも、自分の愛を貫く強さ、いい意味での我儘さが、成瀬にはあると思ったんですよ。だって、ビッチだったのに、誰とでもキスできたのに、春田とだって2回もキスしたのに、なんでそれで、完全に片想いと分かっていて四宮に行ったか、って話なんですよね。そこから翻って春田に行く必然性なんて、ないのよね。成瀬の「本気だよ」が1話で変節してしまうなんて耐えられない、人間不信になっちゃう!と思っていましたが、ごめんね疑って……。
じゃあ春田は? 四宮は?ってことなんだけど、春田に関してはわたしもギリギリまで成瀬エンドあるかも?と思っていたのであれなんだけど、四宮は、春田と一度きちんと決別してしまっているのよね。春田の気持ちが自分にないことを、はっきりとお互いに確認してしまっている。だからここから再び……というのは無いと思っていました。もちろん、すぐには春田をふっ切れないとしても、成瀬の情熱に触れて、心を動かすことがあってもいいんじゃないの?と(だからこそ、成瀬には諦めてほしくなかった)。それを変節だとは思わなかったし、最終回で、春田の料理のリクエストを断った時点で、四宮はもう前を向いているんだと思いました。
で、春田の行く末は最後までわからなかったけれど、最終回中盤の、成瀬と向き合うシーンで、成瀬はきっぱりと春田に、大切な人だからこそ、軽い気持ちで付き合うことはできない、と告げている。それは、春田が四宮に向き合ったときと同じくらい、はっきりとした結論だったと思う。もしかしたら、手つなぎの時にすでに、春田は成瀬の気持ちが自分に向いてないことに気付いていたのかな?(ここはわたしは読み違えていたけれども)
それだったら成瀬も四宮にはっきり、というか酷い断られ方してるじゃん!と思うんだけど、前のふたつとは中身が違って、きちんと向き合ってないんだもの。だから、ここだけはまだ可能性があるんじゃないかって。

まーた長くなってしまいました。「ROCKIN'ON」の2万字インタビューかよ! ほんと、重症ですみません(汗)。
まるで自分が恋しているみたいな……とはちょっと違って、あくまでも人の応援の立場なんだけど、恋の苦しみに限りなく近い気持ちを嫌ほど味わわせてもらって、‟感謝文句”(by成瀬)を云いたいですね。
まあでも、こんなにはまったのは、結局のところ、成瀬=千葉雄大のビジュアルに幻惑されたっていうのが、案外いちばん大きかったりしてな……。もう2年くらい前ならもっと凄絶な美しさだったかもしれませんが、時々顔が真ん丸なのも、成瀬というキャラクターのダメダメなかわいらしさと合っていてよかったのかも。逆にあと2年後だったら、このかわいらしさは出せなかったかも。本当に、このキャスティングには感謝しかないです。
もはやあとは、来年の『窮鼠はチーズの夢を見る』の公開を楽しみに暮らしていこう……また腐った沼に落ちないか心配だけど、結末がわかっている分、気は楽だし。
このブログで、「実写化したら、ファンのバッシングが恐ろしいことになりそうだけど、わたしは実写でも観てみたいなあ。色気のある上手な役者さんに、リアルとドラマが絶妙にブレンドされたこの世界を再現してほしい!」と書いたのは、もう7年も前のこと。さすがに実写は無理やろと、ドラマCDをリピっていたあのころを思うと、夢って叶うもんですねえ。

これまでの更新頻度からは考えられないまさかの連投で、いよいよ気が狂っていますが……再びOLの話。
最終回後も多分もう1回更新するからそのつもりで!!(笑)
ネタバレに加えて、今回は、人によっては地雷のカプ厨的な話題なので、引っかかる方はどうかスルーしてください。

6話のラスト以来、めちゃくちゃバイアスがかかってしまったわたしは、先週の7話を見たあと、あまりにも辛すぎて眠れなくなり、すがるようにさまざまなSNS上の考察を読み漁ったあげくほぼ一睡もできず、そのまま朝から仕事の出張に行くことになり、さすがに仕事に支障きたすかもと心配していたら、変なアドレナリンが出まくっているのか、1日中いやに元気で、自分が怖かったです。
成瀬は、その場で四宮に拒絶されたものの、これまでのくそ生意気なキャラをかなぐり捨てて、柄にもない行動を取り始めます。春田に相談してデートスポットを一生懸命探したあげくに春田と疑似デートしたり、自分の好きなもの=古墳を四宮の潜在意識にすり込もうと寮のリビングに古墳本を散らかしたり……30才という設定を考えるとあまりにもあどけなすぎる成瀬。
しかし四宮は、春田との決着がついたばかりの傷心に加え、さらに春田が成瀬を好きらしいと知ってしまい(この下りはけっこう曖昧な描写で、ん??という感じだったけど)、必要以上に成瀬を拒み、「迷惑なんだよ!」とまで言い放ちます。ここの場面が、春田の幸せのためにというよりも、本当に成瀬には興味がないんだなと思える冷たさだったので、成瀬だけでなくわたしの心が死にました。
あらためての強い拒絶にショックを受けた成瀬は寮を飛び出し、四宮は残酷にも、春田に「行ってやれよ!早く!」と言うのです。春田は戸惑いながらも成瀬を探しに出……。

そこからの展開は、己の願望とは裏腹に、どう考えても、春田×成瀬で確定だと思いました。
わたしはもともと、このふたりでエンドになると思っていたから、6話のラストさえなかったら、素直に喜べるはずだったのです。
だけど、まさに番組のキャッチコピーのひとつ「君の気持ちを知ってしまったから……」ですよ。成瀬の気持ちを知ってしまったから。あんなに強い気持ちを見せられてしまったから……。
とにかく、成瀬が四宮に放った「誰とでもキスできると思っていました。でももうあんたとしかしたくない」という台詞が、「好き」よりもある意味ずっと重い言葉が、わたしのOL世界の中心に据えられてしまって、これがないがしろにされる展開だけは見たくないと、強く思ってしまうのです。成瀬には、初めての本気の恋を貫いて、あわよくば叶えてほしいと……。ビッチの純愛に肩入れするなんて、ヤンキーの改心に感動するくらい安直かもしれないけれど!
振られる人間の痛みを理解した成瀬が、今まで自分が辛い時になぜかいつも近くに居てくれた春田の有難さに気づき、絆されていく……という流れはいかにもありそうですが、そんな説明書きみたいにわかりやすい展開にするなら、もはや、成瀬の恋と失恋は、最終的に春田に傾くためのお膳立てか舞台装置でしかなかったとさえ思えてきます(めちゃめちゃ歪んだ視点w)。
そりゃ、成瀬は四宮にわりとひどい振られ方をしたし、この一連の下りは、結末によっては鬼門になりそうなほど辛くて見返せないんだけど、実際あんなふうに振られたら、“傍にいてくれる自分を好きな優しい人”に傾く気持ちも分かるし現実的にあるあるだと思うけれど、なんかそれは、ドラマでわざわざ見たくなかった、悪い意味での現実というかね……。
それにしても、あんなに拒絶されるなんて、成瀬がこれまで人を振り回してきた天罰なのかと思ってしまうわ。

予告には、「俺にとって春田さんは大切な人だから……」という成瀬の台詞があり、さらにはふたりが抱き合っているシーンまであります。しかも、このシーンの撮影レポートが月曜にネットに上がり、とにかくそこが最重要シーン!みたいな煽られ方をしていました。
ここを素直に解釈するか否か。頭では、7話からの流れも鑑みると、ああもうこれは春田×成瀬じゃん?と理解するのですが、なんせ成瀬→四宮の恋を潰したくない身としては、「大切な人だから……でも、恋とは違うんです」とかなんとか、続けてほしいわけだよ!今までの成瀬の、孤高のツンデレキャラはすでに崩壊しつつあるけれど、あんなにプライドが高くて心を閉ざしていて誰のことも本気で愛せなかった君が、初めてなにかしてあげたい、自分を好きになってもらいたいと思った相手を、ゆっくりと結晶化したその気持ちを、諦めてほしくないのよ!成瀬が誰と結ばれようが、とにかく幸せになってくれたらなんでもいいとは思えないのよ……。
成瀬には、“恋とは物分かりの悪いものだ”ということを体現してほしい。ドラマだから、あの顔だから許される執着のフィクションを見せてほしい。振られて、本当に大切な人に気がついて、そして春田エンドへ~~(ドラクエ3か!)という、ありそうな展開に傾かないでほしい。ドラマ公式は「恋から愛へ」を謳っているけれど、そんなの関係ねえ。好きな人のために身を引き、応援する愛も美しいけれど、恋には恋の純粋さがあるはず。 成瀬も黒澤キャプテンに云ってたじゃない、「引き返すべきではなかったと思います。僕なら違うアプローチを探ります」って(これは操縦の話だけど)。
そして、四宮には、答えて欲しいとまで贅沢は云わないから、あんな拒絶の仕方で終わらず成瀬の気持ちにきちんと向き合ってほしいし、春田は……はるたんは、武蔵がもうSeason3にて転生しなくていいよう、武蔵の気持ちに答えてやってくれ!(暴論)
6話ラストではあんなに妖艶だった成瀬が、7話では完全に幼児返りしてしまって、そりゃあのビジュアルだからかわいいんだけど、なんだか物足りなかった。そのあどけなさが、対四宮にだけならまだ萌えられるとしても、春田にまであんなに無防備になってしまうなんて……ぶっちゃけ、最後の手つなぎシーンなんてもう、今にもコロッと春田にいてまいそうやったやん。

無論、視点を変えれば、成瀬が四宮を好きなように、春田もずっと成瀬のことしか見てなかったのは事実で、同じく「執着の物語」は成立するし、最終回で報われてなにが悪いねんと云われたら、ぐうの根も出ないんですけどね(ついでに云えば、四宮も春田をずっと見ていたわけだけど、何せ6話であそこまで真摯にお断りされているからなあ……)。
しかしながら、恋に理屈が通らないように、萌えにも理屈は通りません。
先週時点では、成瀬にも、春田にも、四宮にも報われてほしかったけれど、それは同時に成立しないのよね。でも、成瀬が絆されてめでたしめでたし、というのはなんか粗雑だなと思うわけ。
春田が2回も手つなぎポッケinするのも、優しさというより下心を隠し切れない感じに見えて(色眼鏡ですよね、わかります☆)、あんまりときめかなかった……。いやこれ、完全に振られて傷ついてる子に、無意識的にとは云えつけ込んでるやん!って。
一方で、5話で強引にキスした春田にはむしろ萌えたという自分もいるわけで、盛大に矛盾しているけどな! なんだろう、温もりたっぷりの優しさで成瀬を包み込む春田が、ちょっと胡散臭く思えるのかな?(笑) わたしが5話後の気持ちのままなら、7話は神回になっていたかもしれませんが、今となっては、唯一リピートできない回になってしまいました(と云いつつ、そのうち見るだろうけど……)。
まっ、こうして自分もあっけなく変節しているのだし、成瀬が春田に傾いたってなんの不思議もないよね(泣)。でも、なぜか成瀬には過剰な期待をしてしまう。春田や四宮のそれに比べて、比較的、奥ゆかしく分かりにくく描かれてきた恋心の成長が、静かに降り積もっていた想いが、あの6話で結実し大爆発したときの破壊力は、やっぱりこのドラマの名場面であり重要シーンだと思うから。
あと、単純に、成瀬×四宮の組み合わせが好み。偏食家と料理好き、機上の人と地上の人、10歳の年の差というコントラストの強さと、ふたりとも仕事熱心で、飛行機が大好きで、ついでに身長が同じという共通項の、絶妙なバランス。

不動産編では、最終回の前にとんでもないちゃぶ台返しをした後、最後の最後で大逆転みたいな展開だったので、今回も、予告映像には出ていないけど、だからこそ隠された重要なシーンとして、成瀬×四宮あるんちゃうん??と、一縷の望みを抱いていたりもして。
今、SNSやネット上では、春×成、成×四、四×春(逆位置を含む)、さらには黒×春ってのもあるんだけど、それぞれの派閥というかチームみたくなって、推しカプを全力で応援&妄想する様子は、もはやワールドカップの決勝リーグか、有馬記念前夜のそれ。
誰もが最後の最後まで自カプの可能性を探って、強引とも云える考察に明け暮れているさまは、ちょっと滑稽ではあるけど泣けてきます。皆さん、エンドによっては古墳に入る覚悟も出来ているみたいだし(注: 成瀬の趣味が古墳だから)。
この界隈は怖いなーと思って遠くから見ていたけれど、好きが余って過激派へと転じていく人々の気持ちが、今ではちょっとわかってしまうな……。ついでに、推しの結婚が本気で許せない気持ちとかも、たぶん同じようなもんなんだと思えてきました。もういい大人ですから、誰かを攻撃したりディスったりはしませんが。
結局は、最終回で見えるものが‟正解”であって、それはスポーツの結果の如く覆せないものなんだけど、もはや正解に固執するよりも、自分の欲望のままに好きな組み合わせを全力で応援するのが、このドラマの正しい見方のようにも思えてきました。自分の願いが絶たれた場合は、そのうち量産されるであろう薄い本を探す旅に出るわ……。

まーしかし、今回は脇のふたり(成瀬、四宮)が魅力的すぎたと思う。はるたんのことはずっと好きだし、今回も応援するつもり満々だったのに、今のわたしは何なんだよ!(笑)
前回にも増して、鼻息荒く、唾飛ばしまくりの内容ですみません。でも、渋谷スクランブルスクエアを徘徊中、丸首のざっくり黒ニットセーターを見かけ、「これ、6話のラストで成瀬が着ていたあのセーターに似てる……」とか思って衝動買いしてしまったくらいには、病んでいますのでね(やべーやつだよ)。

ひっっっっっさしぶりに更新したと思ったら、萌えを吐き出すだけの偏った話題で申しわけありませんね!
だけど、書かずにはいられないんです。なんだろうこの、仕事や生活が手につかない苦しさ……もう買い物すらわたしを癒してくれない……これはもはや……きっと………恋(違うって)。
古くは『絶愛』や『モーリス』に始まり、昨今では『窮鼠はチーズの夢を見る』シリーズや『聖なる黒夜』シリーズなどにドはまりして夢遊病者のように暮らしていた、あのときの感じと酷似しています。
気がついたら、関連コンテンツを求めて目を血走らせながらネットの海を徘徊している自分の業の深さよ。かなりしばらくこの世界からは遠ざかっていたというのに、やはり、腐女子の魂百まで、腐海浄土に生きざるを得ない運命なのでしょうか……。でも、上には上のディープなファンがネットには溢れているから、わたしなんてまだまだかわいいレベルだよね??そうだよね!?

なんの話かって? いま絶賛放映中の、「おっさんずラブ-in the sky-」ですよ!
放映情報も直前まで知らなかったくせに、前回以上にはまってしまい、勢い余って2016年の単発版と、今年の映画版も立て続けに見ちゃってるし! 映画なんて、8月下旬封切だから、12月のいま、そもそも上映館が都内に1軒しかなかったわよ!(最も、映画公開時は、ちょうど家族の病気やら長期出張やらが重なって、とてもそちらに心と時間を割く暇はなかったんだけどさ……)
昨年版のときもそれなりにはまってブログの記事にもしているけれど、今回はあのときより、病気度が高い気がしています。おっさんずメンヘラ。。。

知らない人のために簡単に説明しますと、この「おっさんずラブ」というドラマシリーズは、主人公の春田創一(はるたん)を巡って、その上司である黒澤武蔵という正真正銘のおっさん(ヒロイン)と、その他の男と、女もちょこっと参戦してラブバトルを繰り広げるというラブコメディです。
これまでの歴史を繙くと、2016年に単発ドラマが放映され(文具メーカー編)、2018年春に連ドラ化(天空不動産編)、その連ドラの続きとなる映画版が2019年夏に公開され、同年秋からはシーズン2(正確には3なのか?)としてあらたな連ドラ(航空会社編。ピーチ全面協力!)がスタートした……という流れです。舞台となる職場は毎回変わり、登場人物も変わるのですが、春田と武蔵だけは固定です。
わたしは、現在の航空会社編がスタートすることを知って素直に喜んでいたのですが、ほどなくして、天空不動産編のファンたちが阿鼻叫喚していたことを知りました。試しにツイッターの検索窓に、「おっさんずラブ」と入れると、次のワードが「地獄」と出て来るという、まさに地獄。。。
皆さんが何を怒っているのかというと、天空不動産編の連ドラ&映画で目出度く春田と結ばれた牧凌太が、今回のシリーズでは登場せず、春田と武蔵だけが据え置きで、航空会社という全く違う世界での物語となったことでした。
わたしは、「はるたんと武蔵を軸に回っているパラレルワールド」という設定については、そういうドラマなんだね、「寅さん」とか「相棒」的な感じってことだよね、くらいにしか思っていなかったのですが、天空不動産編を至上の世界と考える人々の目には、冒涜にも等しいと映ったようで……。
まあ、不動産編の第6話ラストで、武蔵とはるたんが同棲していた展開でさえ、暴動が起きかねない勢いでしたから、そもそもの世界が変わってしまうなんて、ありえないことなのでしょう。サンキュータツオ氏のBL論で、「カプ(カップル)論争はもはや宗教戦争に等しい」といった論説がありましたが、その威力を肌で感じる現象でした。無論、人間関係入り乱れすぎの、現在の「in the sky」でも、同様の戦争が起こっていますがね! 怖くて近寄れないので、物陰からそっと見ています……。
わたしは、自分がどうやら、どんなおっさんずラブも受け入れられるうえ、航空会社編に至っては、どのカップルの組み合わせでも案外いけるクチだったことに気がつき、思わず「マジデリカシー!(が無い)」という牧の言葉を思い出していました。
いやもうね、ここまで来たら、はるたんと武蔵には、結ばれるまであらゆるタイプのシチュエーションで永遠に転生してほしいですわ。部長、機長と来たから、次はやっぱ組長……?って、いきなり絵面が「極妻」みたいになるのもなんか違うけど!

では以下、放映順ではなく、わたくしの視聴順に、感想ともつかぬ独り言をしたためたいと思います。

【2018年・連ドラー天空不動産編】全7回
ドラマ「家政婦のミタゾノ」からの番宣でたまたま知ったというのも、もはや運命の出会いだったんだな……としみじみ。現シリーズの1週間後の放映が待ちきれなくて、こっちの録画を見始めたんだけど、結果、最初から最後まで通して見ちゃったわ☆
はるたんの流されやすさを、BL漫画の傑作『窮鼠はチーズの夢を見る』の大友先輩に、牧の甲斐甲斐しさと面倒くささを同作品の今ヶ瀬と重ね合わせると、より楽しさと切なさが増します。
しかし、前にも書きましたが、わたしのハイライトは、最終回、武蔵からのお手紙をはるたんが読むシーンです。途中から、外を歩いている武蔵と、家で手紙を読んでいるはるたんが2画面で出てきて、最後に、
武蔵「君に」
はるたん「会えて」
二人「よかった」
と唱和する部分が、いま書いていても涙腺が緩みます。
あと、細かすぎて伝わらないけど好きなシーンは、やはり最終回、武蔵が結婚式場で「はーるたん」と愛しそうに呼ぶと、はるたんが「はぁい」と小声で答えるところ。このはるたんが、 嫌がっているふうでもなく、さりとて満面の笑みでもない、なんとも複雑そうな笑顔で、最強にかわいいんだ!
……あれ、なんか武蔵絡みばっかりだな? もちろん、牧と結ばれるラストが本来のハイライトなのはわかってるよ! ここからふたりの関係性(業界用語でいうと攻受)が変わるのかな?と想像させるラストシーンもよかったです。

【2019年・連ドラ―in the skyー】全8回・放映中
なんといっても、いままさにリアタイ視聴しているので、この話が長くなりますが、どうぞご容赦を。でもって、ネタバレありまくるので、これから見るという方は飛ばしてください。
本当は最終回までアップはやめておこうと思っていたのに、このあとの展開と結末によっては現在の情熱が維持できない可能性もあるから……。
今回は、春田が中途採用の新米CAで、武蔵が“グレート・キャプテン”と慕われる機長です。初めの3回目くらいまでは、「なんか前回にも増してアクセル踏み込んでるなー」という、展開に対しての純粋な感心が先行しておりましたが、春田が自らの恋を自覚する中盤から、俄然萌え度が10倍増しになり、今では先が気になりすぎて、先日はついに、めったに買わないテレビ雑誌まで買ってしまったほどです。
前シリーズでは、圧倒的に受け身だった春田(このシリーズでは、はるたんという愛称は出てきません)。お人好しでちょっとポンコツなのは相変わらずですが、パラレルワールドとはいえ、こんな、嫉妬や独占欲むき出しの攻系はるたんも見られるとは……と感慨にむせぶ場面も。
今回は、牧ポジションが、先輩にあたる整備士の四宮(シノさん)と、年下の副操縦士・成瀬に分かれています。牧くんの料理上手で几帳面で忍耐強いところはシノさんに、若きイケメンのビジュアルとSっ気&ツンデレ属性は成瀬に。
このドラマでは、毎回ラスト5分で怒涛の展開を見せ、さらに予告で混乱させるというパターンがお決まりなのですが、第5回のラストでは、春田が「おまえぜんっぜん可愛くないんだけどっ」とか言いながらも成瀬に惹かれて、泥臭くも熱量の高い愛の告白をしたうえ、半ば強引にキスするという衝撃の場面があり、しばらく頭の中が花火大会みたいになって、サルの自慰のように録画をリピートしてしまったわ……。

で、1週間、まさに一日千秋の思いで待った先日の第6回放送。またこのラスト5分がやばすぎました。
成瀬は、自分でも気がつかないうちに沸き起こっていた四宮への恋情を、春田に振られたばかりの四宮へぶつけます。ビッチ体質で周りを振り回してきた成瀬が、唯一、本気で好きだと確信できた相手が四宮で、でも不器用な成瀬は、「俺が忘れさせてあげるから」なんて云っていきなり迫って、体で慰めようとする(!)。
その瞬間まで、キャストの番手的にも春田×成瀬なのかなと思っていましたが、このシーンであっさり成瀬×四宮に8割方寝返り、いかにも受け受けしいビジュアルの成瀬なんだけど攻めも全然アリでは、いや待って、これって襲い受けとかいうジャンル? 過去にハマった作品を鑑みるとわたしの性癖に刺さるのってもしやこれ?……などと、くだらないことを考え巡らせ、1日1回はここの場面を見ないと落ち着かない体質になってしまいました。
他人を信用できないために刹那的な関係しか持ってこなかった成瀬が、初めて人に何かしてあげたい、でも(傷ついている貴方を)どうしてあげたらいいかわからない、もうあんたとしか(キス)したくない……と泣いている姿の、捨て猫みたいに無防備な美しさ、儚さ、切なさってばよ! そこまでの伏線で描かれてきた数々の、無意識的な好意の表出と相まって、胸を掻きむしられるものがありました。

顔がよくて仕事はできるけど性格に難ありまくりの成瀬って、現実世界で身近にいたら感じ悪~!って思いそうだけど、フィクション的には面白いのと、千葉雄大演じる成瀬のビジュアルの説得力がありすぎて、何でも許します!って思っちゃう(多少むくみが気になるときもあるけど)。
もともと「あざとかわいい」と称されているほど赤ちゃんみたいな愛くるしい顔立ちの役者さんですが、この成瀬役は、もはや“BLの申し子”としか云いようがないほどの、かわいさと色気のマリアージュが半端ではありません。本当に三次元? ジルベール(風と木の詩)か森蘭丸の生まれ変わり??
だから、春田にキスしてもされても、四宮を襲っても、武蔵と恋愛抜きで絡んでいるシーンでさえも、全部から萌えが滴ってくる。対春田には冷たく、対四宮には不器用に、対武蔵にはあくまでもかわいく……服を脱いでいるわけでも、過剰に性的な場面でもないのに、なんだろう、表情から台詞、仕草、人との距離感に至るまで、いちいちエロい。背徳的っていうか、陰翳礼讃的っていうか、端的にBL的なんです。例えば、前述の四宮を押し倒すシーンの、「俺が」と「忘れさせてあげるから」の間の取り方とか!細かすぎて多分伝わらないけど!
最初は正直、とりあえず今回も綺麗な顔の年下男子を春田の相手に当てがっといた感じかな、くらいにしか思っていなかったし、初回放送で成瀬が、職場まで追ってきた遊び相手を追い払うために、たまたまそこにいた春田にキスするというシーンも、萌えよりインパクトが先行している感じだったのですけど、後半になるにつれいろいろ炸裂してきて、6話ラストの破壊力で、息の根を止められた感じです。

見ていない方には、人間関係がさっぱりわからないと思うので整理しますと、
春田→成瀬
成瀬→四宮
四宮→春田
という、主要人物全員が片思いの関係。これは、ドラマが進行するにつれ徐々に確定していくのですけどね。
シノさんの春田への恋もとっても切ないんだけど、ここは最初っから報われなさそうという気配があったので、6話でお試し交際の末に正式に振られたときは、ああやっぱりね……という思いしかなかったです(シノ春民に殺されそうな発言)。
……あれ、武蔵は?? もちろん武蔵→春田の片想いは不動です!!!(笑)
しかし、ほかの2人とは恋愛の矢印が無いもんで、若干、いまは蚊帳の外感がありますね。今回の武蔵には娘までいるし……。残り2回で怒涛の追い込みがきっとあると信じています。
さらには、6話から急に獅子丸怜二というスパダリ系のイケメン(山崎育三郎)まで投入され、人間関係はさらに混線。誰と誰が結ばれてもおかしくないんだけど、必ず誰かが不幸になるであろう状況。不動産編は、何だかんだいっても最後は牧でしょ?という謎の安心感はあった気がするな……。
現時点では、成瀬×四宮がいちばん萌え度高くて薄い本とか読みたくなる感じなんですけど、春田が置いてけぼりになるのも辛いし、春田が成瀬に告白→キスするところは最高に興奮したし、さりとて春田×成瀬で落ち着くには6話の成瀬は本気すぎたし、いやもういっそ武蔵でいいのでは? そうするとSeason3で転生できないか……と、なかなか自分の心が定まらず、まさに乱気流真っ只中の今ココ。
ミステリーばりに先が読めず、ネットに上がっている考察や予想を読むんだけど余計に混乱して、無駄なしんどさを抱え込んでいます(苦笑)。国語の試験問題だったらほとんどの人が解けないと思う……。

CAなのに機内乗務のシーンないんかい!とか、社員寮なのに共同スペースに春田と成瀬と四宮しかおらんし!とか、武蔵もあんだけ迫っといて春田が倒れた原因が自分にないとか思ってるわけー?? ……などなど、いろいろ突っ込みどころはあるけれど、今回は、春田も含めて登場人物がみんな必死で情熱的で、それぞれにカッコ悪くて酷いところもあるっていうのが、見る側の気持ちを掻き立てるのかも。成瀬がシノさんに一気呵成に畳みかけていくところも、心の中ではスポーツ観戦ばりに「行けーーーー成瀬ーーーー!!」って叫んでたもんな(笑)。
やっぱり、“押さえきれなくて溢れ出す気持ち”、この熱量こそが、恋の醍醐味なんだと思います。当事者になったら辛くて苦い禁断の果実ですが、フィクションで味わう分にはいいもんだ(笑)。
何にしても、「好きの反対は嫌いじゃなくて無関心」という法則にもあるように、好きも嫌いも過激派を増殖させるほどのフィクションというのは凄いですね。あと2週で終わり、どうやって畳むつもりなのか……しかし、どんな結末になっても、少なくともここまでは見てよかったと思えるし、不動産編とはまた違った面白さを生み出してくれた俳優・制作陣には尊敬しかありません。またドラマが終了したら感想書きます(多分)。

【2016年・単発ドラマ】
スペシャルドラマということは2時間くらい?と思っていたら、1時間モノでかなりコンパクトにまとめられていたんですね。
でも、ここに「おっさんずラブ」のエッセンスがぎゅっと凝縮されていて、短いが故のテンポのよさと疾走感で、満足度はかなり高かったです。リアリティも、この単発がいちばんありそげ。
天空不動産編の始まりのハイライト、部長の盗撮に春田が気づくところから、シャワー中の春田に牧が迫る「春田さんが(単発では、センパイが)巨乳好きなのは知ってます。でも巨根じゃだめですか?」という名(迷?)セリフ、部長と牧のキャットファイト、そこで牧がはるたんの悪いところを10個言う流れも、全部こっから始まっていたのよね~!
このときの武蔵のライバル役は、落合モトキ演じるハセこと長谷川幸也。愛くるしいビジュアルの牧とはだいぶタイプが違いますが、掴みがたい色気と、いい意味での生々しさがあって、上記シーンの違いを味わうのもまた一興です。春田を「センパイ」って呼ぶのも、ちょっと『窮鼠~』の今ヶ瀬チックで好き。あと、ふたりの身長差がそんなにないところも、男同士感が溢れていて好き。
しかし、なんといっても最高オブ最高なのはラスト!“恋に落ちる瞬間”が、完璧な出来で表現されていて、もうね、“ときめきに死す”とはまさにこのこと! 悶えるくらい、いいシーンなんですっ!
春田のキャラクターは、連ドラほど優しくもなく、流されやすくもなく、どこにでもいるノンケの兄ちゃんという感じです。なんなら、ちょっとツンデレ気味なのは、以後のキャラにはない属性かも? でも、“はるたん”の可愛げはちゃんとあって、部長お手製の弁当を食べたあとにヤケ酒して帰宅し、「さむいさむいさむい……」とソファに縮こまって寝るシーンなどは、妙にリピートしたくなります。
春田が、ハセの告白を受けて「気持ちわりいんだよ!」なんて言っちゃうのも、部長をたまたま押し倒しているところを後輩に見られて「春田さんはゲイ」だと噂を流され、会社ではれ物に触るような状態になるのも、今だったら考えられないけど、これが3年前の世のリアルだったのかなとも思う。現ドラマ(in the sky)では、男同士で恋が始まっても、ジェンダー面での葛藤はほとんどありません。ある意味ではBL色が強くなったとも云えるけれど、当事者にとってはこれこそが正しく、優しい世界とも云えます。そんな一面を見ても、LGBTを巡る世界は、この3年で大きく変化したと感じます。
なお、この単発でも、武蔵が春田に、やけに達者な毛筆でラブレターを送るんですが、部長のお手紙には毎回泣かされる……。
「はるたんは、自分に自信がないと言いますが、僕は、君のいいところをたくさん知っています」って、 こんなこと云われたら思わず絆されちゃうよー!
正直、はるたんと武蔵の並びに萌えるわけではないのですが、やっぱりこの二人がいてこその「おっさんずラブ」、主役ははるたんで、ヒロインは武蔵なんだなとあらためて思います。

【2019年・映画版】
ドラマ「in the sky」が佳境に入っているなかで観たせいもあって、普通に楽しんだ、娯楽として面白かったというのが正直な感想です。このシリーズでも何度でも出て来る、いわゆる「人として好きです」的な感じでしょうか……。
相変わらずのコミカルさ、はるたんのアホっぽいかわいさ、武蔵の突き抜けた面白さ、映画ならではの大げさ感は楽しかったですが、正直なところ萌えは少なめでした(自分比)。そんななか、春田と牧が浴衣で花火大会デートするシーンは、スキマスイッチの主題歌と相まって、なんか切なくなってしまった。BLを読み込んでいる友達によれば「BLあるある」らしいけど!
しかし、何よりも印象に残っているのは、これを恋人と観たというバイセクシャルの友達が「ほんとに萌え死んだ」と言っていたことかな(笑)。

シリーズ共通の萌えとしては、やっぱ「男の制服」ですかね。
リーマンスーツはもちろん、航空会社編ではパイロット、整備士、CA……みんなユニフォーム姿が素敵でそそる!
そして、どんな世界でも、ちょっとずつ性格は違っても、真っすぐで、ポンコツで、テンション高くて、自分にも他人にも鈍感で、でも優しくて、温かくて、可愛くて、妙に色気があって、表情豊かな、田中圭演じるはるたんの太陽みたいなキャラクターに尽きます。
そんなはるたんを何度でも好きになる、武蔵の異常な愛情もね!

たいへんご無沙汰しております。
仕事の業務で文章を書く量が多く、なかなかこちらまで手が回らず、気がつけば8月です……って、暑中見舞いも終わるって!
怠け心に鞭打って久々に更新したのは、読了したばかりの『戒厳令の夜』のことを書きたかったから。
五木寛之というと、昨今ではすっかり『大河の一滴』に代表される人生指南本の人というイメージに、わたしの中ではなっていますが、過去にはこんなスケールの大きな小説を書いていたのですね。
わたしは昔、それこそ中学だか高校のころ、深夜に再放送していた同名映画をたまたま視聴したことがあります。おそらく途中から見て、ほとんど内容は覚えていなかったものの、ラストがかなり鬱的な意味で衝撃だったという記憶だけは、いまに至るまで強固に持っています。
それで、ずいぶん前から、気になる本リストにこの本が入っていたのですが、すでに久しく絶版。Amazonの中古品もそんなに高くないとはいえ、またいつかと後回しになっていたところ、便利な電子版が出ているではありませんか!

朧げに、スペイン内戦の話だったかな……と記憶していたのですが、スペイン内戦をベースにしつつも、主題は、1973年9月11日に起きたチリ・クーデターでした。初版単行本は、1976年に上梓されています。
わたしは最近、宝塚版の「チェ・ゲバラ」を観劇したこともあり(あの夢々しい世界でキューバ革命を取り上げるとは!)、頭が中南米寄りになっていたので、読む心構えは万端でした。
「その年、四人のパブロが死んだ」というたいへん印象的な一文から始まる物語。
画家パブロ・ピカソ、詩人パブロ・ネルーダ、音楽家パブロ・カザルスという実在の人物に加え、4人目のパブロこと、パブロ・ロペスは小説の創作で、幻の画家という位置づけです。“その年”とは、ピカソ、ネルーダ、カザルスが亡くなった1937年を指します。
主人公は、映画宣伝会社に勤務する30代後半の江間隆之。出張先の博多で、強烈な既視感に襲われて入ったバー「ベラ」で、パブロ・ロペスの絵が掛かっているのを発見します。ナチス・ドイツの収奪と第二次世界大戦のどさくさに紛れ、すでにこの世から消滅したとされていたロペスのコレクション。それが何故、福岡のバーに……?
という、いかにもそそるプロローグから、怒涛の展開(←便利w)に突入し、舞台は九州から、ロペス・コレクションの正式な所有者とされる女性の出身国、チリへと軸足を移していきます。折しもチリは、クーデター前夜。原田マハの人気ぶりを説明するまでもなく、“名画を巡るサスペンス”は鉄板ネタですね。
そこに絡んでくるのが、日本の歴史上、異端の民とされてきた、非定住・非農耕・非入籍を掟とするサンカ(文中ではシャンカ)や海の民(海人族)だったりして、新宿の素敵書店「模索舎」的ロマン溢れる民俗学の豆知識も満載。
全部のせの丼のようなお腹いっぱい感、いろいろ出来すぎな展開は気になりますが、昨今、このような世界を股にかけて展開する一大ロマン小説を久しく読んでいなかったので(最近の小説というと、だいたいが小さな日常に留まっている気がするのです)、やっぱりこういうダイナミックなフィクションを読むと、小説の力、小説にしかできない“壮大な語り(騙り)”の芸術の、無限の可能性を体感します。

中南米やアフリカに、真の独立と平和をもたらそうとした指導者たちは、キューバのフィデル・カストロを除いて、無残な結末を迎えていることが多いです。みんな大好きチェ・ゲバラしかり、ブルキナ・ファソのトマ・サンカラしかり、コンゴのパトリス・ルムンバしかり……。
世界で初めて、自由選挙による社会主義政権を打ち立てたサルバドール・アジェンデも例外ではありません。チリ・クーデターで、ピノチェト将軍が指揮する軍に包囲され、自殺したとされています(殺された説もあるようです)。
小説では、さまざまな登場人物の口を借りて、アジェンデのやり方を褒めたり貶したりしていますが、概ね、作者の気持ちはアジェンデ側にあると思いました。
物語の最後のほうで、アジェンデ本人が登場する場面があります(こういうことができるのが、小説ならではのウルトラCだよね)。そこに描かれているのは、困難な道を高潔な精神で切り開こうとする、一人の英雄の姿でした。
わたしは、文人・哲人の政治家というものに、やや肩入れが過ぎるのかもしれません。アジェンデは、マレーシアの現首相マハティール同様に医者の出身で、チェコの初代大統領トマーシュ・ガリッグ・マサリクは社会学者であり哲学者。
わたし自身はどこにでもいる心の狭い馬鹿ですが、国や大きなものを背負って立つ英雄には、強く賢く、そして優しく合ってほしいと勝手な願いを抱いているのです。

それにしても、もしわたしが旅に出る前にこの小説を読んでいたら、また巡る場所も変わっていたのになあ……と今さらながら後悔。
あの頃、チリ人でわたしが唯一知っていたのは、日本の公務員の横領事件で有名になったアニータさんくらいだったから! アニータさん経営のレストラン見学に行っている場合ではなかった……。
せめて、アジェンデ大統領の最後の演説の書き起こしくらいは読んで行きたかったよね!
わたしにとってのチリは、アルゼンチン、ブラジルと並んで文明開化が進んでおり、移動はすこぶる快適、食事は安くておいしい海の幸とワイン……と、いかにも能天気な旅の内容で、歴史に思いを馳せることもありませんでした。
2010年には、「人権と記憶の博物館」なるミュージアムが設立されたそうで、こういうものが当時あれば、もう少し早く歴史を学ぶきっかけになったかもしれません。
まあでも……大多数の国の政治事情は、旅をした後になってやっとわかることも多いですね。旅をしたからその国のことを少しは身近に感じられ、知ろうという欲も出て来やすいので、やっぱり人生で2回くらいは長期の‟グレート・ジャーニー”に出たほうがいいかもしれません(笑)。

小説の巻末には、チリ・クーデターやアジェンデ、絵画やファシズム、サンカなどにまつわる参考図書がずらりと列挙されています。しかし、ほとんどがもう絶版ですね……。『ヒトラー強盗美術館』なんて、興味津々な本もあるんですけどね!
いま、アジェンデの伝記を読みたいと思っても、それらしい本が見当たりませんし、映画『戒厳令の夜』もDVDソフト化されていませんし……嗚呼、わたしの好奇心はどこにぶつければいい!?
ネルーダの詩を読むか、カザルスの演奏を聞くか、それがせめてもの手当でしょうかね……。

自分の頭で考えることが大切、とよく云われます。しかし、その自分の頭も、ちっぽけな人生経験と日々得る情報や知識のコラージュであることを思うと、想像以上の限界があります。
だから、旅に地図が、航海に灯台が必要なように、人生にも先生や師匠が必要です。
それが誰なのかと考えたとき、真っ先に思い浮かぶのは藤永茂先生です。今年で93歳になる物理学者であり、わたしにとっての「知の巨人」であり、知と正義の指針でもあります。
先生(敬意を表して、以下そう呼ばせていただきます)のブログ「私の闇の奥」は、数年来、私の愛読ウェブコンテンツのひとつであり、普段はショッピングのことしか考えていないわたしでも、読むたびに心が引き締まります。
最近まで、気管支炎が進行して肺炎を患っていたそうで、90代の肺炎というと死と隣り合わせの危ないイメージしかないわたしは、まるで親族のような重さで心配していましたが、無事に回復されたようでひと安心です。ブログにも新しい記事がアップされて嬉しい限りです。

前に書いたことと重複しますが、先生のブログにたどり着いたのは、シリアが不穏な空気に包まれ始めたころのことでした。
チュニジアから始まった「アラブの春」を、エジプトあたりまではあまり疑いもせずに見守っていましたが、事がリビアに至ってうっすらと疑念が湧いてきたのです。そしてシリアにまでこの波が及んだときに、その気持ちは一層濃くなりました。
少なくとも日本では、誰もあれがおかしいと思っていない。「独裁国家」が次々と倒されていくことをむしろ賞賛している。そのことに違和感を覚えるなかで、先生のブログに出合ったのでした。
そこには、シリアだけでなく、リビア、そしてアフリカと中南米の国々――いくつかはわたしが旅してきた――がいったいどのような歴史をたどり、いまどのような状況に置かれているのかが、極めて抑制の効いた、しかし高い熱量の籠った文章で綴られていました。物理学という理系の極北のような難しい学問を収めながら、文学や芸術に造詣への深さもうかがえる、“文理両道”とも云いたいような端正で、自意識の臭みのない文章。知的でなければ絶対に書けないことが、馬鹿のわたしにでもなんとなくわかります。

先生はジャーナリストではありませんし、現地で取材活動をしているわけでもありません。
わたしは基本的に現場原理主義みたいなところがありますが、それでも、長年研究者としてカナダとアメリカという異国で暮らした経験と、膨大な文献やサイトを読みこなし、複数の著作を上梓してきた先生の知性は、たとえ現場に赴かずとも、クリアに物事を見る力があると信じています。現地の声が常に正しいとは限りませんし(わたしだって、街頭インタビューで日本の政治についてコメントを求められても、なにも実のあることは云えません)、現地に行けばなんでも見えるわけでもありません(それは自分自身で証明済みです)。
昔、ある集まりの雑談でのこと、労働も碌にしない思想家なんてものは必要のない存在だという意見に対して、ある人が「世の中には、“考えることが仕事である人”が必要なんだよ」と諭していたのを思い出します。わたしもそう思います。まじめに働く庶民にこそ正義があると思いたくなるのもわかりますが、日々を労働に捧げていると、ものを考える余裕もないので、誰か信頼の置ける人に考えてもらわないと、間違った方向に進む危険があります。逆も然りですけどね……。
ブログをご覧になって、ありがちな陰謀論と捉える方もいるかもしれません(実際、“それ系”と思われる人が、先生を同類だと思うのか、コメント欄に長々と、あちこちにコピペしているような自説を貼り付けていることもあります)。しかし、わたしには、今の世界のあり方を読み解くひとつの重要な視点であると思えます。
先生の目は徹底的に“弱者”の側に注がれており、ひとつの正義感によって貫かれています。それは、歴史において、強い立場の人間がそうでない側の人間をどう扱ってきたのか、とりわけ、植民地主義に端を発し現代まで続く世界規模の収奪に対しての告発です。
そのことが顕著にわかる事例として、先生が訳出された『闇の奥』のコンゴに始まり、ハイチ、ブルキナファソ、エリトリア、ジンバブエ……といった、普段のニュースではほぼ知ることもない国を取り上げてこられました。
遠い国々のこと、そこから見える世界の姿――効率よく生きて暮らすうえでは、知らなくても考えなくてもいいことです。まして、先生のように研究者としての本分を全うされた方なら、外界の雑音など気にせず心安らかに日々を送っていてもよさそうなものです。
しかし先生は、“人間としての責任”とでもいうべき使命感から、本を読み、勉強し、発信しておられるように思います。90代という高齢で、奥さまの介護もしながらそれらを続ける姿に、宗教の求道者のごとき厳しさと高潔さを見ずにはいられません。
先生の展開する、ともすれば‟過激な”論説をわたしが信じるのは、もともとマイノリティやカウンターカルチャーに傾きやすい性質ということもあるでしょうが、先生の核である「良心」に共感するからであり、そして、先生の血肉である「知」に対して敬意を抱いているからです。
「強く(厳しく)なければ生きていけない、優しくなければ生きている価値がない」という有名な一節があります。これは本物の知性とは何かを考えたときに、うってつけの表現だと思います。まさに知性とは強く(厳しく)あるべきであり、かつ、優しさの上に立脚していなければ価値がない(むしろ危険ですらある)でしょう。

最新のブログによると、先生はいま、ベネズエラの動向に注目しています。
ベネズエラの現状を、わたしはどう見てよいのかわかりません。
ここにも‟民主主義革命”が‟輸出”されており、大国が第三世界の政権転覆を支援し、民主主義の名のもとに多くの国が破壊されるという、いつか見た風景を思い出さずにはいられませんが、一方で、市民たちが食糧を求めて長蛇の列を作り、大規模停電のための水不足で排水を汲んでいる写真などがSNSで流れてくると、現政権の正義も怪しいものに思えてきます。庶民にとっては今日食べるパンのこと、目の前の現実をよく生きることのほうが大切だからです。
自分の旅の思い出から繙くと、ベネズエラに関しては、シリアと違って、特によい印象もない代わりに、酷い印象もないのですが、当時は、旅人の間では、ベネズエラは中南米でもトップクラスに治安が悪い国という評判でした。わたしは結果的に無事でしたが、ジンバブエ同様に闇両替がまかり通っていましたし、現地で襲われた旅人も何人か知っていますので、その評判はまあ、間違ってもいなかったんだろうと思います(警察が特に悪質という話もよく聞きました)。そんな先入観もあり、ベネズエラがお世辞にも模範的な国であるとは思いづらいものがあります。
しかし、ダントツに危ないとされていた首都カラカス、日本大使館では、カラカスのセントロ(旧市街)には泊まらないでと言われたカラカス(だからと言って新市街のホテルは高くて泊まれず、旧市街の適当な安宿に泊まっていました)。南ア・ヨハネスブルグに次ぐくらいの警戒心で挑んだその旧市街は、特に殺気立っているわけでもなく、むしろ普通の首都らしく賑わっていました。もともとは豊かな国なのだろうということは見て取れました。わたしは、人が密集している場所のほうが安全だと判断して、日中は町歩きに専念し、歩いている途中に見つけた小奇麗な美容室に入って、髪を切ってもらいました。料金は安かったけれど、その時の髪形は、わりと意にかなったものでした。
ベネズエラの旅は、エンジェル・フォールやロス・ジャノスなどの自然豊かな観光地が大半でしたが、ベネズエラを思い出したとき、真っ先に浮かんでくるのはなぜかその美容室や、あてもなく歩いた旧市街の風景です。何ということもない、ありふれた旅の日常の一コマでしかないのに、自分でも不思議です。

なにが真実で、なにがフェイクニュースか? カラカスの停電はサイバーテロだという見解と、単に草むしりをさぼっていた所為だという意見と、どちらも本当のようでもあり、嘘のようでもあります。それはやっぱり自分の頭で判断するしかないのですが、藤永先生が、ベネズエラとシリアに同じ問題を見ているなら、さらにコンゴやハイチやリビアやウクライナにも繋がっている問題だと考えているなら、わたしはその“闇の奥”を知りたいと思うのです。

気がついたらもう2月とか、本当にこのままだと、「あれ、もうこの世とさよならですか?」ってなりそうなくらい光陰矢の如しなんですけど、皆さんお元気ですか!
せめて1月中に更新しておけば、新年の挨拶もできたのに、さすがに2月ではあけましておめでとうもなかろうよ……。

さて、久しぶりに筆を執ったのは、吉川トリコ著『マリー・アントワネットの日記』(全2巻)という本を読んで、その感想を書きたくなったからなのでした。
前回の『ギケイキ』に続いて、またしてもこのテの、超口語体歴史絵巻です。つい先日亡くなった橋本治の『枕草子』『徒然草』はその走りですが、口語体ではあるものの、橋本治特有の回りくどさに引っかかって、わたしはスムーズには読み進められなかったのです。でも、『ギケイキ』とこの『マリー・アントワネットの日記』は、ほぼ一気読みに近い勢いで、読了まで漕ぎ着けました。
書店で目にしたときは、『プリンセス・ダイアリー』の新シリーズでも出たのかしらと思うようなティーン向けラノベ感溢れる装丁で、いい年した大人が手に取るには気恥ずかしく、横目で見つつ素通りしたのです。しかし、Amazonのレビューは概ね高評価。見た目で判断してはいけないわね、と思いを改めて読み始めたところ、これが『ギケイキ』に勝るとも劣らない面白さ、爆走する一人称にあれよあれよと引きずられ、手が離せなくなってしまったのでした。
みんな大好きマリー・アントワネット。最強の悲劇のヒロインにして、ガーリーの権化。『ベルサイユのばら』のラストは涙なしには読めないし、ソフィア・コッポラの映画『マリー・アントワネット』は最高にときめくビジュアルだったけれど、そのキャラクターに「わかりみ」を感じたのは、この本が初めてかもしれません。「わかりみ」とか「しんどみ」というネットスラングがあまり好きではないのですが、それさえも腑に落ちました。顔文字あり、DAI語あり、ヒップホップスラングあり、現代のJKかパリピみたいな文体と、アントワネットの朗らかで調子ノリ、だけど妙に冷めてもいる性格が、ちょっと鳥肌が立つほどの親和性の高さです。
有名な、結婚式のサインでインクのしみが垂れ、まあなんて不吉……というエピソードも、トワネット(文中での自称)にかかれば、
そんなのよくあることじゃん? いまこうしているあいだにも世界中でありとあらゆる液という液がぽちょぽちょ垂れてるじゃん? ドモホルンリンクルの貴重な一滴だってけっこうな頻度でぽちょぽちょ垂れてるよ?
と、こうですからw(『ギケイキ』の「皇潤を飲みたい」を思い出しますね)
乗馬の練習をしたいと申し出るも、オーストリアからお付きのメルシー伯爵に大反対され、折衷案としてロバで代用することになり「くそダサくて泣きそうです」とか、革命後も、身目麗しい近衛兵に代わって、粗野な国民衛兵が警備にあたるようになった時は「いきなり作画が池田理代子から宮下あきらに変更になったようなもん」とか、いちいちキラーフレーズで笑わせてくれます。

また、すでに歴史的イメージの固まった人々も、なかなか新鮮な描かれ方をしています。
主人公のアントワネットはもちろんですが、良妻賢母にして名君の誉れ高いマリア・テレジアの毒親っぷり、色気の権化のようなルイ十五世の公妾デュ・バリー夫人の素朴な一面、そして何より目からウロコなのは、凡愚暗君という評価がデフォになっている夫・ルイ十六世の、従来のイメージとは正反対に近いキャラクターです。
「心にもない美辞麗句をぺらぺらと口にする数多の殿方よりも、必要最小限のことだけ簡潔に述べ、まちがってもそら言など吐かない殿下のほうがよくね? 普通によくね?」(byアントワネット)
14歳で嫁いでから7年間、夫婦関係がなかったというのは有名なエピソードです。今の時代よりも強固に「女は子どもを産む」ことが至上命題で、しかも世継ぎを産むことが国家の存亡に関わる立場にいて、セックスレスが原因でなかなか子どもができず、非難と中傷に晒されるなんて、耐え難い苦しさだったでしょう。まだ若くて綺麗な自分を持て余し、遊びに現を抜かしたくなるのもごく自然というか、しゃあないなと思ってしまう。ほら、高齢の平民でも、不妊ストレスで爆買いに走る人もここにいるから!
でも、この夫婦像、決してネガティブには描かれていないのです。後半、革命に巻き込まれていくなかで強くなっていく家族の絆……というのは他作品でも読めるけれど、処刑前のモノローグで「こちとら二十三年かけてルイ十六世担してるんでw」と息巻くトワネットは、ときめきこそ無けれども、陰で「錠前萌えのキモオタ」(すげー表現ww)と囁かれる夫の中に宮廷の汚れに染まらぬ高潔な魂を見続け、同志として寄り添い、人生を共にする。そんな、切ないけれど、温かくて確かな夫婦愛が、チャラい文体で読めるのはこの本だけ!フェルセンとの燃える恋よりも、そっちのほうに泣けてくるのは、自分が年を取った証拠なんですかね……。

たぶん、アントワネットは良くも悪くも少女のように潔癖で誇り高く、きれいでかわいいものを愛し、約100年後に歴史の表舞台に登場するプリンセス・エリーザベトと同様、自由を希求し、自分らしくあろうとした女性だったのだと思います。現代的な視点で見れば、隙のないマリア・テレジアなどよりはよっぽど共感ポイントがあり、だから時代を超えて人気があるのでしょう。
「このままときめきに殺されるなら本望だって思っちゃう。「ときめき上等」ってローブの背中に刺繍したいくらい。」
この小説ではフェルセンとの恋は完全なプラトニックとして描かれており、さすがにそれは無いような気もしつつ、実際のところ、数々の性的な醜聞なんかは根も葉もなくて、夫同様、そのテの欲求はそんなに強くなかったんじゃないかという気がします。
そんなアントワネットの真骨頂ともいえるのは、「ベルばら」でも描かれる革命後の気高さもさることながら、デザイナーのローズ・ベルタンや髪結いのレオナール・オーティエとともに、「ファッションで天下取ったる!」と鼻息荒くモードを席巻していく様子です。動きやすくてエレガントなドレスの発明は、のちのココ・シャネルにも匹敵する、まさにファッション革命だったのです。狂気の沙汰と揶揄された盛り髪も、爽やかな香りの植物性の香水も、アントワネットが流行らせたといいますし、近年はナチュラリストとしての評価も高まっていることから、そういったセンスに関しては天才的で、先進的な考えの持ち主だったのですね。
(余談ですが、昔、プチ・トリアノンに行ったときは、ベルサイユ宮殿に比べてなんか地味だなーと思った記憶があります。でも今思えば、砂糖菓子やレースのような、繊細で少女的な感性に貫かれた空間づくりだったのね……)

「そんな格好してたら男ウケ悪くなるよ」って? うるせーバカ! なにを着るかはあたしが決める。だれにも左右させたりしない。この国の女たちもいずれそうなる。世界中の女たちがそうなる。ファッションで世界は変わる。あたしが変えてみせる。

実際にここまで思っていたかどうかわかりませんが(笑)、なんか、トワネット、かっけーじゃん!と喝采したくなります。政治的な才能は無かったかもしれないけれど、決して馬鹿だったわけじゃないのよね。
参考文献リストにあった『マリー・アントワネット: ファッションで世界を変えた女』も、興味津々で注文しました。
ちなみに、アントワネットの浪費は、実際には国を傾けるほどのものではなかったようで、財政難の原因は先々代からのツケと度重なる戦争でした。とは云え、明日のパンにも事欠く庶民からしたら、目立つ王妃が怒りの標的にはなるよね……。

『ギケイキ』義経と『マリー・アントワネットの日記』のアントワネットには、文体のせいだけでもなく、“軽さ”という共通項があるように思います。
歴オタ的には、アントワネットも義経も本当に歯がゆい存在で、あの時もうちょっとああしていれば……と思うことが多々あるけれど、大人になると、欠点と魅力は紙一重ということもわかってくるので、何だかんだで後世まで語り継がれている彼らは、間違いなく魅力的なキャラクターだったのでしょう。
アントワネットも文中で自分で云うようにお道化(ODK)が過ぎる性格で、だけど楽しいしまいっか、と流されてしまう、人の好さとノリの良さ。容姿端麗で愛嬌があって、平和な世の中ならばそれでよかったけれど、時代や環境が許さなかったゆえの不幸。
これは両作品の書き方のせいもありますが、どこまでも軽いキャラクターに、壮絶な後半生が待っていて、それが余計に悲しみを増幅させます。すいかに塩みたいな効果なのでしょうか。楽観なのか諦念なのか、悲惨な状況になっても、ふたりともあくまでお道化を忘れずに、軽やかに流されていくのです。だってそれがクールだから、とでも言わんばかりに。

史実に基づく堅牢な屋台骨のおかげか、どんなに文体が暴走しても、物語は破綻することがないので、安心して読めます。婚礼から首飾り事件、フランス革命、処刑まで、押さえるべきハイライトもばっちり。
外側はサクッ、中はもちもちという最高の食感ならぬ読感ですので、ラブリーすぎる表紙に怯まずに、ぜひ手に取ってみてください!kindleもあるでよ!

わたしのなかで、第何次だかすでにわからないほどの源義経ブームが起こっています。
それというのも、夜更けの書店で偶然見かけた、町田康『ギケイキ』(義経記)。町田康×源義経という組み合わせに興をそそられ、軽い気持ちで手にしたらこれが面白いのなんのって!
先日、某作者さんと久しぶりに会いまして、その際、某作者さんが「ホラーやSF以外の小説をあんまり面白いと思ったことがない」とのたまうので、いやそんなことはない、小説にはノンフィクションには到達できない境地があるなどともっともらしく反論したものの、近年は、昨年一時的にはまった西村賢太と、ドラマの影響で読んだ『モンテ・クリスト伯』以外、ほとんど小説を嗜んでいなかったため、至極説得力に欠けていました。
しかし、この『ギケイキ』は、久しぶりに小説を読んで楽しい、ページをめくる手が止まらないという興奮に満ちていました。もちろん、わたしが源義経好きだからという要素(まさに判官贔屓)を差し引く必要はありますが、半面、すでに知っているストーリー(義経の一生)をこれほど新鮮に読ませてくれるというのは、やっぱり小説の持つ力なんだろうと感服しています。

古典の現代語訳とか、歴史小説だと思って読むともうむちゃくちゃです。無論、いい意味で。
ナルシストでやたらファッションにこだわる義経、不細工でメンヘラの弁慶、顔がばかでかい頼朝、なに言ってるかさっぱりわからない義仲…などという、ほとんどマンガかコントのようなキャラ設定からして脱帽ものですが(しかしメンヘラはともかく、ほかは伝承とそんなに乖離していないはず)、言葉遣いもバリバリの現代語、ヤンキーやらオカマやらコテコテの南部大阪弁やら乱れ交ってたいへんなことになっていて、斬り合いになれば腸ははみ出し脱糞し、なにかといったら菊門をつけ狙い、すぐに「殺します」とか云っちゃうんですけど、案外、この野蛮さ、チャラさ、柄の悪さって中世当時のリアルだったりするのかも、と思える妙な説得力があります。
そして、途中で絶妙にぶっ込んでくる現代の話題や風俗の破壊力。というのは、義経が現代によみがえって当時のことを回顧するスタイルを取っているからそんなことが可能なのですが、兄の朝長の死地に造った卒塔婆をジョン・レノンが来訪したことで有名な銀座の喫茶店に喩えてみたり、歩きづめの行軍で膝が痛くて「皇潤を飲みたい」という兵士がいたりするのが、史実以上に頭に残ります(笑)。なんたって、冒頭からしてハルク判官、ですからね!

会話のあほらしさも絶品です。たとえば、義経に平氏打倒の協力を仰がれた陵介重頼と従者のこんなやり取り。
「ああ、どうしようどうしようどうしよう」
「どうしたのですか」
「むっさやばい、むっさやばい」

突然、義経に頼って来られてみっともなく狼狽する重頼に対し、冷静な従者が答えます。
「だから、平家を滅ぼす手伝いはできない、ってはっきりそう言えばいいじゃないですか」
「あ、そうか。でも、そんなこと言ったら気を悪くされないだろうか」
(中略)
「だからあ、清盛に命を助けられたのに、その清盛の命を狙うなんていうのは、スピルチュアル的に考えても非常によろしくない、とかなんとか言えば、あー、はい。ってなりますよ」

…と終始ふざけているようにしか見えませんが、この重頼という男の小心さがよーくわかって妙にリアルなんですよね。
歌舞伎にもなっている「堀川夜討」もずいぶんとページを割いていますが、貴船に逃げ追い詰められた、日本一の駿足ランナー(こういう喩えがいちいち可笑しい)土佐坊正尊のぐちゃぐちゃに混乱したモノローグは圧巻です。

『へうげもの』を読んで打ちのめされた時にも思ったけれど、歴史ものの面白さは、結局は揺るがない史実に、どこまで大胆なフィクションを織り交ぜられるかにかかっています。
そのフィクションというのはキャラ設定も含めて、有りえないんだけど有りえるかも、意外とこの説アリかも、リアルかもと思わせる魔術的な手腕と理屈を超える熱量が必要で、中途半端にこちょこちょと現代の感覚が混じっているのが、いちばん失敗だと思うのです。
だから、あまり大きな声では云えませんが、「真田○」はダメだったなあ…。秀吉の右腕みたいになっていたり、淀殿にちょっかいかけられたり、まあ普通に考えて有りえないんだけど、そこの説得力がほとんど感じられず、すべてがご都合主義に終始しているとしか思えず、幸村を信繁と表記したくらいでは到底補えない史実(と一般的にされている事)との乖離が、いちいち気に障ってしまったのでした。
わたしは大坂編の初期あたりで嫌気が差し、夫が視聴する横で薄目を開けて見たり見なかったりしていましたが、大坂五人衆の一人、毛利勝永が岡本健一くんという個人的においしすぎる情報を聞くに及んで、再びテレビの前に座ってみたところ…なんですか、あの小物感漂うチンピラは。。。明石全登なんか、ひたすら祈ってるだけのモブキャラじゃないですか!
まあ、ふた言でまとめるなら、「リアリティがなく」「誰もかっこよくなかった」というガッカリ感ですかね…。「真田○」がダメで、『ギケイキ』がOKという感覚を、うまく説明できないのがもどかしいのですが、決定的な違いはここなんだと思う。後者のキャラはむちゃくちゃアホだけど、時たまもんのすごくかっこよくなるというか、凄みを見せるのがいい。五条大橋での出会いの後、義経と弁慶が一緒に経を読み上げるシーンなんて、若干菊門的な意味でも鳥肌が立ちましたよ。

その昔、なぜかコルカタの安宿で、町田康の初期作品『くっすん大黒』だか『夫婦茶碗』だかを読み、その炸裂する文体に衝撃を受けた記憶があります。その証拠に、当時の個人的な日記が、一時的に町田文体の真似事みたいになっています(笑)。
しかしその後は、そんなに熱心に追いかけることもなく今に至っていたのですが、ここで再び出会おうとは。それも、日本史上屈指のアイドル・源義経とともに。これを機に、名作といわれる『告白』あたりに手を出してみようかしら。
源義経で創作するのではなく、あくまでも枠組み・骨子は『義経記』であるという基本姿勢もいいのかもしれません。人として生まれたからには、やっぱり源平合戦で大活躍するかっこいい義経を見たいじゃんと思いますが、なんと原作の『義経記』でもばっさり端折られているんだって。小説内では、義経自ら「(そういうのは)平家物語とか読めばよい。大河ドラマとかにもなっているし」と一蹴しています(笑)。それでも、良くも悪くも自由でスーパースターな義経像はいささかも損なわれていない。古典の範囲で創作するというバランス感が、ちょうどいいのだと思います。

今書いていてふと思ったのですが、町田康と栗原康が同じ下の名前の持ち主というのも、「康、侮りがたし」という何やら奇妙な感想を抱かせます(ついでに、北村一輝の本名も康)。
栗原さんも一遍の評伝を書いているし、こういう憑依型でかつパンクでアナーキーな文体と歴史ものって、相性がいいのかもなあと思います。ひょっとしてこれが歴史小説の新境地? 


余談ですが、『ギケイキ2』のサブタイトル「奈落への飛翔」ってのもいいよね。すべてを諦めきったようなアナーキーな天才・義経のあっけらかんと悲しい感じが凝縮されている感じ。
2021年完結、全4巻予定らしいけど、それまでわたしが生きられますように!