ダカール沈没記 | 旅人日記

ダカール沈没記

Dakar4-1 見所も全て見終え、ダカールにいる間にやるべきこともあらかた終了したところ。
もういつでも出発できる状態ではあったのだが、どういうわけか足が前に出ない。
どうやら長居をしているうちに、気分が本格的な沈没モードに突入してしまったようだ。

今までこの先の国々について深く考えないようにしていたのだが、ここまで来てそうそうのんきな話で済ませられる訳もなく、最近はガイドブックや情報ノートをマジメに読みながら旅のルートなどを検討していた。
ところが調べれば調べるほど、気持ちがどんどん重くなってくる。

・シエラレオネのビザ代100USドルなり・・・ぼったくるのもいい加減にしてほしい。
・ギアナは賄賂天国、兵士や警官からの賄賂要求多し・・・銃突きつけて賄賂要求するのは反則だよなぁ。

ったく、お前ら何考えてやがんだ。
旅行者を歓迎する気がないとしか思えない。

・リベリアの6~7月の降水量1000mm以上・・・1000ミリって1メートルだぞ?泳いで移動しろってか?
・マリの夏の気温40度以上・・・俺を干からびさせる気なんだな、そうなんだな?

数字だけ見ると大したことはないと思うかもしれないけれど、スコールが続く季節での未舗装道路での移動はめちゃくちゃ辛くなるに違いないのだ。
気温40度というのも日陰で計るもののはずなので、日なたは50度を余裕で上回るだろう。
俺の相棒である精密機器たちはこの極悪環境に耐えられるものなのだろうか。
その前に俺自身がそんな苛酷な環境に耐え切れない可能性が高いぞ。

先々のことを考えれば考えるほど、ここダカールがずっと居心地のよい町に思えてくる。
物価と治安さえ気にしなければ、大西洋から吹き込む風のお陰で結構涼しく快適だし、図書館の日本語書籍の魅力は捨てがたいし、セネガル料理で毎日食いしん坊万歳のお気楽極楽世界じゃないか。

そんな感じでひたすら厭戦気分が蔓延。
明日こそは出るぞと固く心に誓ってみるものの、次の日になると、もう一泊くらいしても大して変わりはしないよなぁ、などと自分自身を甘やかし続けてしまっていた。
何だか登校拒否児童のようで恥ずかしいことこの上ないのだが、無意味に沈没しているだけではさすがにもったいないのでフランス語の勉強をちまちまと進めたりしながら多少は有意義な日々を過ごしていた。

そんなある日のこと、日本大使館で一人の日本人女性と出会う。
アフリカの各地でダンスを習いに来ているそうで、モロッコ・ギニア・セネガルと周って来たそうな。
その彼女がモロッコの話をしている時に、ふと気になることを言った。

「そういえばモロッコで同じように3年くらい旅行している人に会いましたよ。2月の終わり頃でしたけど」
「へー、俺も同じ時期にモロッコにいたけど、他にも長期旅行者がいたんだねぇ。あ、もしかしたらタカハシさんのことかな?どんな人だった?」
「ちょうどマサさんと同じくらいの髪の長さのオジサンでした」
「ふーん、それじゃタカハシさんじゃないなぁ。そんな長期の人だったらどっかで会っていてもおかしくないものだけどね」

と、その時は深く考えなかったのだが、一時間くらい経ってからふと思いつく。
ひょっとしてそのオジサンってもしかして・・・。

「モロッコで会った人って、もしかしてマラケシュの屋上テラスのカフェで会わなかった?」
「そう!何で知ってるんです?」
「俺だよ、それ(笑)」
「えぇ??」

俺も鈍い方ではあるが、彼女の鈍さも相当のようだ。
まぁ、俺はモロッコではあの頃、ジュラーバを着てヒゲも伸ばしっぱなしだったからなぁ。
彼女の方も、今はセネガル女性と同じような衣装でばっちりきめていて、お互いに風貌ががらっと変わっていたのだ。
それにマラケシュで会った時はほんの少し話してすぐ別れただけだったし、数ヶ月ぶりに会ってすぐに気がつかなかったのも無理はない。

ま、大した話じゃないんだけどね、何となく可笑しかったので書いてみた。
それにしても・・・オジサンですか。
歳は取りたくないものだのぉ・・・(苦笑)