ゴレ島とアルマディ岬 | 旅人日記

ゴレ島とアルマディ岬

Dakar2-2カーボベルデから戻ってから数日後にタカハシさんとメグミちゃんはガンビア方面へと南下していった。
俺はダカール周辺の観光がまだだったこともあり、一人この町に残ることにした。
写真の整理やホームページの編集など、やらなければならない作業も溜まっていたので、もうしばらくこのダカールで過ごすことになりそうだ。
彼らには当分会えなくなりそうだなぁ。
短期旅行者宣言しているメグミちゃんのペースには追いつけないだろうし、比較的のんびりペースのタカハシさんにも運がよければガーナ辺りで会えるかどうかといったところだろう。

Dakar2-1実は、モーリタニア滞在中に気がついたのだが、写真を焼いて保存してあったCDの大半が、猛暑のためにデータが破損され使えなくなってしまっていたのだ。
大事な大事な写真たちがパァ・・・うぅ。
幸い、ほとんどのCDは同じものを二枚ずつ焼いて、一枚を日本の実家に送り、もう一枚を自分用に持ち歩いていたので、完全に失ってしまったファイルはそう多くはない。
だが、ホームページの編集を進める上でモロッコで撮った写真のうち何枚かを壊れかけのCDから救出する必要があり、その作業に思った以上に時間がかかってしまった。
うーん、この先もクソ暑い地域を旅しなければならないことを考えると、何か別の保存方法を考えなきゃならないなぁ・・・。

そんなこんなで、ちまちまとパソコン作業を続けながらあっという間に一週間が過ぎた。
本当はパソコン作業だけなら5日ほどで終了したはずなのだが、長時間のパソコン作業の合間に気分転換のため戦国時代の日本に出かけたり、13世紀のモンゴルの草原で騎兵部隊を引き連れて暴れまわっていたのはここだけの話だ。
パソコン作業と日本列島統一とユーラシア大陸統一が一息ついたところで、今さらながらだがダカール観光を始めることにした。

Dakar2-3 まずはダカールの町のすぐ近くに浮かぶゴレ島へ。
フランス植民地時代に奴隷積出港として使われていた島だ。
鉄道駅近くの港から船に乗り、30分ほどで島に到着。
島には植民地時代の建物が美しく残っていて、全体的にのんびりした空気が漂っている。
車がないせいかもしれないが、まるでこの島だけ時が止まっているかのようなレトロな雰囲気じゃないか。
ダカールの街の喧騒がウソのようだ。

小さな島なので30分もあれば一通りぐるっと周ることができる。
「奴隷の家」などいくつか博物館があるけれど、中身はどれもしょぼいものばかり。
それよりも島内をあてもなくぷらぷらと散策しているだけで結構楽しい。
ちょっとしたタイムトリップ気分を味わうことができるおすすめの場所だ。

次に、アルマディ岬という名のアフリカ最西端の岬に行ってみることに。
ダカールの町があるベルデ岬半島そのものがアフリカ最西端と言えないこともなく、その中でも本当の最西端に当たるアルマディ岬までわざわざ出向く観光客はそう多くはない。
だが、旅人の中には、どういうわけか端っこ好きというか先端マニアというか、どうしても一番先の最果ての地に立ってみないと気が済まないという連中が少なくないのだ。
俺自身は特に先端にこだわる趣味はないのだが、その気持ちは分からなくもない。
長い旅路の果てに辿り着いた最果ての地、そこには独特の旅情もあれば、ある種の達成感のようなものがあるのだろう。
せっかく近い場所にいることだし、軽い気持ちで足を伸ばしてみることにした。

Dakar2-4 ダカール市内から市バスを乗り継ぎ、バスを降りた場所から2キロほど歩いて岬に到着。
岬の前には魚や貝をバーベキューにして売る店がいくつか並び、その横に磯と極々小さな浜辺があるだけ。
浜辺では地元の人らしき家族連れが海水浴を楽しんでいる。
うーん、こいつは旅情に浸れるような場所じゃねぇなー・・・と思っていたら、磯辺の向こうに海側に突き出た堤防のようなものが見える。
聞くところによると、その先が本当の最西端に当たり、そこはクラブ・メッドという五つ星リゾートホテルの敷地の中にあって宿泊者以外は入れないとのこと。
ぬ?
先っぽにはそれほどこだわらない俺だが、金持ち以外お断りみたいな場所には意地でも入ってみたくなってきたぞ。

とりあえず小さな石垣をまたいで越えて敷地内に潜入するが、あっという間にホテルの従業員らしき黒人の兄ちゃんに見つかって追い出されてしまった。
ホテルの宿泊者は白人ばっかしだからなー、東洋人はどうしても目立ってしまうようだ。
その後も隙を見計らっては何度か侵入を試みるが、その都度見つかって追い出される。
磯辺にうじゃうじゃいるウミウシをつついて遊んでいる振りをしつつ、再度隙をうかがっていたものの、もうすでに完全にマークされているようで、兄ちゃんは石垣から動かずにずっとこちらを見張っている。
しばらくの間、磯辺と石垣を挟んでにらめっこと達磨さんが転んだ状態が続く。
そうこうしているうちに、彼との間に気持ちの通じ合いというか、厳しい戦いの末に生まれる堅い友情のようなものが芽生えてきたかというと、そんなことは全くなく、もういいかげん諦めて帰りなさいという冷たい視線が地元の海水浴客からも注がれる始末なのであった。

ぐっ、いたしかたあるまい。
今日のところは大人しく引き下がってやるとするか。
何度も書くようだが、最西端ごときにはちっともこだわってないので、別に悔しくも何ともないのだ。
それに、何だあの、いかにも人工的な造りの最西端は。
あんな後から取って付けたかのような岬は俺は認めんぞ。
俺が辿り着いたあの磯辺こそが本来の最西端であることは誰の目にも明らかであろう。
というわけで、見事アフリカ大陸最西端に到達した達成感を味わいつつ、ダカールへと帰途に着くのであった。