[山城国乙訓郡] 角宮神社



■表記
八柱の雷神を総称した「八雷神(ヤクサノイカツチノカミ)」、また単に「雷神」とも。


■概要
亡くなったイザナミ神の体から化生した神。

◎記紀にはイザナギ神が黄泉国で見た亡くなったイザナミ神の姿は、体にウジが沸き八柱の雷神が生じていたと記されます。
逃げ出すイザナギ神に、与母都志許売(ヨモツシコメ、黄泉醜女)に続いて八雷神に千五百の黄泉軍を添えて追わせるも、桃の実により退散させられたとあります。


◎紀の記述
(頭)大雷神、(胸)火雷神、(腹)土雷神、(背)稚雷神、(尻)黒雷神、(手)山雷神、(足)野雷神、(陰部)裂雷神

◎記の記述
(頭)大雷神、(胸)火雷神、(腹)黒雷神、(陰部)柝雷神、(左手)若雷神、(右手)土雷神、(左足)鳴雷神、(右足)伏雷神

◎通常「火雷神」は八柱の総称を指します。「山城国風土記」逸文では、角宮神社(式内社 乙訓坐火雷神社)は八柱のうちの胸に生じた「火雷神」が祀られているとしています。

◎「雷神」は多くの場合において龍蛇神として顕現するのが特徴。畏怖の対象である反面、恵みの大雨をもたらす神とも考えられたようです。これは日本特有の信仰形態。祟り神を丁重に鎮魂することにより守護神となるというのと同様かと思います。水神であり、雨乞いの神であり、稲作の守護神として祀られてきました。

◎「火雷」について、「火」は「電光」(いなづま、いなびかり)を表すとする説や火災を起こすという説などがあります。また「火」は「穂」とされることも。「雷」は「イカ」が「厳」とし「ツチ」を「槌」(打ちたたく)とする説や、「ツチ」を「蛇」とする説、「ツ」を助詞「~の」とし「チ」を「霊」とする説などがみられます。

◎続紀の大宝二年(702年)の条には、「山背国乙訓郡に在る火雷神は、旱毎に雨を祈ふに、頻に徴験有り」と記されます。ここで示される「火雷神」とは角宮神社のこと。

◎上述の「山城国風土記」逸文には、「火雷神」は後に「丹塗矢」となり賀茂建角身命(賀茂御祖神社の祭神)の御子である玉依日売の側に流れ寄り、賀茂別雷命(賀茂別雷神社の祭神)が生まれたと記されています。つまり角宮神社(式内社 乙訓坐火雷神社)は「丹塗矢」を祀る社ということに。「世界大百科事典」の「火雷神」の項には、
━━丹塗矢は,蛇や剣とともに雷神の形象で,とくに人間の女性に通うときの姿である。「古事記」に大物主神が勢夜陀多良比売に通う類似の伝説がある━━としています。

◎菅原道真は死後、雷で災害を起こす祟り神となりました。こちらの火雷神と習合し、「火雷神」と称されることも。
また第49代光仁天皇皇后、井上内親王の第三皇子の名も「火雷神」(→ 詳細は火雷神社宮前霹靂神社の記事にて)。ただし本来はイザナミ神の御子「火雷神」を祀っていたところに被さったとする説も。

◎関連する神を祀る社として式内社 氣吹雷響雷吉野大国栖御魂神社(行方不明社)の記事を上げています。


■祀られる神社等(参拝済み社のみ)
(*菅原道真を祀る神社は除く)

[伊勢国度会郡] 雷電神社(記事未作成)
[山城国乙訓郡] 向日神社
[山城国乙訓郡] 角宮神社
[大和国山邊郡] 豊日神社
[大和国廣瀬郡] 穂雷神社
[大和国廣瀬郡] 廣瀬大社(穂雷神社を合祀する説有り)
[大和国高市郡] 「雷丘」

[大和国忍海郡] 葛木坐火雷神社
[大和国吉野郡] 丹生川上神社 上社(配祀)
[河内国若江郡] 若江鏡神社


*関連社(参拝済み社のみ)
[遠江国] 雷三神社

[丹波国] 愛宕神社(元愛宕、記事未作成)
[山城国愛宕郡] 賀茂御祖神社(下鴨神社)

[山城国愛宕郡] 賀茂別雷神社(上賀茂神社、記事未作成)
[山城国愛宕郡] 愛宕神社(記事未作成)
[大和国山邊郡] 豊日神社

[大和国宇智郡] 御霊神社 本宮
[大和国宇智郡] 火雷神社
[大和国宇智郡] 宮前霹靂神社
[紀伊国牟婁郡] 雷公神社




[大和国忍海郡] 葛木坐火雷神社