☆ 雷丘
(いかづちのおか)
大和国高市郡
奈良県高市郡明日香村大字雷138
(登拝可)(P無し)
*既にたくさんの「いいね」を頂いてますが、初めて登拝したので改定記事として上げます。
「大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 庵りせるかも」 ━柿本人麻呂━
「出雲国神賀詞」に「加夜奈留美命の御魂を飛鳥の神奈備に坐て皇孫命の近守護と貢置き…」とある「飛鳥の神奈備山」説もある山(丘)。
「飛鳥の神奈備山」とは飛鳥坐神社の旧社地でも。
標高110m。標高差は15m足らずくらいでしょうか。「神奈備山」とするにはあまりに無理があるかと思います。
古墳の可能性もあると考えています。
その場合の被葬者はもちろん少子部連蜾嬴(チイサコベノスガル)ではないかと。
「日本霊異記」には、
━━雄略天皇が小子部蜾蠃に雷神を捉えて来るように命じた。小子部蜾蠃は豊浦寺と飯岡の間の丘から雷神を捉えて献上したが、天皇は雷神の光輝く様に恐れをなし返して来いと命じた。小子部蜾蠃が没するとその忠義を称えて、丘に墓標を立てた━━(大意)とあります。
紀の雄略天皇七年の条には、
━━天皇が「三輪山」の神を見たいというという命令があった。登って大蛇を捕獲し献上したが、雷のような音を立てる大蛇に天皇は恐れをなした。大蛇は山に放たれたが、その山を「雷」と名付けた━━(大意)とあります。
◎関連社 (ともに小子部蜾蠃を祀る)
*[大和国十市郡] 子部神社(飯高町372)
*[大和国十市郡] 子部神社(飯高町376)
当社より西北西500m辺りに馬立伊勢部田中神社が鎮座します。そちらの旧社地は豊浦の古宮遺跡(推古天皇 小墾田宮推定地)とされているところ辺りにあったものの、「飛鳥川」の大洪水(慶長年間1596~1615)で流され現社地に遷されたとしています。「飛鳥川」は「雷丘」の南すぐから東にかけて流れています。
これに関連するのが式内名神大社「気吹雷響雷吉野大国栖御魂神社 二座」。廃絶社であり、鎮座地を巡って多説展開されています。
この社に対して平田篤胤は、「気吹雷響雷 吉野大国栖御魂神社二坐は雷岡に立て御在まして九頭明神と申奉れるをもおもうへし」としています。この社が「雷丘」から洪水で流され、現在は橿原市田中の社叢(現在の馬立伊勢部田中神社)として残されていると。
つまり「飛鳥川」を挟み東岸(雷丘すぐ側)に気吹雷響雷吉野大国栖御魂神社、西岸に馬立伊勢部田中神社が鎮座していたのではないかと考えています。
*写真は過去数年に渡る訪問時のものが混在しています。
*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。